さて、
前回は、
ゲシュタルト療法における、
アウトプットの重視に、
ついて書きました。
また、それが、
日本文化の同調圧力的な、
抑圧的な世界の中では、
自立能力の育成と、大きな可能性を持つことについて、
触れました。
今回は、
もう少し具体的に、
セッション(ワーク)の中において、
どのように、
表現を育てるのかについて、
書いてみたいと思います。
古典的な、
ゲシュタルト療法では、
「やり残した仕事」を、
完了するために、
人生の中で、
未完了の体験となった場面を、
演劇的に再現して、
ロールプレイすることを、
書きました。
そして、
再現された場面の中に入っていき、
その時の情景の中に入っていき、
当時の感情になりきって、
「本当は、こう言いたかった」
のようなことを、
実際に言ってみるのです。
また、
行動をとってみるのです。
これは、
原理的には、
簡単に見えますが、
実際に体験してみると、
慣れないうちは、
なかなかに、
心理的抵抗が、
大きいのです。
芝居だとわかっていても、
想像上の空間だとわかっていても、
なかなかに、
心理的ブロックが
働きます。
動けなくなります。
(逆にいうと、実は、
こんな心理的な作用で、
私たちは、
普段の生活で、
動けなくなっているのです。
そのことを実感できます)
そして、
そのような、
再現場面の中で、
「あえて」
「何かを表現してみる」
「何かを言ってみる」
ということを、
やってみます。
「リスクを少しとって」
やってみるのです。
それは、決して、
無理に、ではありません。
自分の心が動き、
自分が、興味を持った場合に、
やってみるのです。
やってみることは、
ほんの小さな一歩です。
しかし、
この一歩は、
決定的な、
「突破の一歩」
となるのです。
無意識は、
事実と想像とを区別しないので、
「現実の体験」として、
私たちの心理プログラミングを、
書き換えて(上書きして)しまうのです。
今まで繰り返していた
「ゲーム」を、
少し踏み出したのです。
そして、
「新しいゲーム」
をはじめたのです。
これは、
決定的なことです。
そして、
それは、
「境界を超えていく」
ことになります。
私たちに、
新たな自由の可能性を、
照らし出してくれます。
そして、
このようなセッション(ワーク)を、
なんども繰り返し、
突破することに慣れ、
表現することに慣れてくることで、
アウトプットと、
個の自立の能力、
治癒と健康の要素も、
促進されていくことと、
なるのです。
それは、
私たちに、
人生の、
新しい次元の啓示として、
新しい可能性を、
教えてくれることになるのです。
※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
【第二部 気づきと変性意識】
【第四部 当スペース関係】
→著作紹介