潜在意識と変性意識を利用した自己変容で
 〈流れる虹のマインドフルネス〉へ
           
〈変性意識〉と〈深化/進化型のゲシュタルト療法〉で、
    あなたのビジネス、アート、コーチング、カウンセリング、NLPに
        真の超越的次元をもたらします

フリー・ゲシュタルト・ワークスは、
「実践的心理学」―ゲシュタルト療法―
をベースに、
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・卓越したパフォーマンスの発揮(発現)
・並外れたアウトプットの具現化
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・意識と知覚の拡大、覚醒 awakeness 状態の実現
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砂絵Ⅰ

動画解説「映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識」



この動画では、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心や意識の構造について、
解説をおこなっております。








【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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マインドフルネスの光明その2 無為のゲシュタルト

さて、前回、
ゲシュタルト療法に、
長く取り組む中で、
ワーク(セッション)の中で、
「しないこと」が、
重要になる側面について、
取り上げました。

「しないこと」の中で、
気づきの力を働かすことが、
ゲシュタルト療法でいう、
気づきの連続体awareness continuumを、
より深め、
自発的な心の動きを、
湧出させることについて、
触れました。

「しないことのゲシュタルト」
という姿勢が、
気づきと自由の、確保のために、
必要となって来るというわけなのです。
しないことのゲシュタルトへ マインドフルネスの光明

そして、
この「しないこと」ができるようになると、
逆に、
真に、「すること」も、
できるようになって来るのです。

そして、ここが、
重要な点でも、
あるわけなのです。

それは例えば、
次のような事柄を、
思い起こさせます。

精神分析家の、
D・ウィニコットWinnicottの概念に、
「独りでいられる能力the capacity to be alone」
というものがあります。

子どもの心理発達の中で、
母子一体の融合状態から、
子どもが、
徐々に分離成長して、
人が、自分自身になっていく過程の中で、
育って来る能力です。

親がそばにいても、
平然と、自立して、
(その存在を気にせず)
内的な意味で、
独りでいられる能力です。

それは、
最終的な成長の姿としては、
大勢の人の中にいても、
他者(他の人々)に妨げられないで、
泰然と、独りで完結した、
「自分自身でいられる」という、
自立的・独立的な能力に、
つながっていきます。

しかし、
「独りでいられる能力」が低い人、
つまり、
「独りでいられない人」とは、
大勢の人の中にいると、
他者の存在が気になって、
(他者の存在に毀損されて)
自分独りという、
完結した存在(自分自身)に、
なかなか、
なりきれないものなのです。

「独りでいられる能力」とは、
「自分自身でいられる能力」
ともいえるものなのです。

つまり、逆にいうと、
「独りでいられない人」とは、
「自分自身でいられない人」
とも言い換えられるのです。

そして、
「独りでいられない人」
においては、
本当の意味で、
「他者と出遭う」ことや、
「他者と共にいる」
という力もまた、
弱くなってしまうのです。
自分自身の存在が、
曖昧で、
自立していないからです。

つまり、
真に「独りでいられる人」のみが、
真に「共にいるwithness」ことができる人、
とも、いえるのです。

これは、
真に「しないこと」ができるようになると、
真に「すること」ができるようになることとも、
一脈通じる事態であるのです。

そして、
「何もしない」
という完全な無為が、
完璧に統合・集中された、
稲妻のような行為を生み出す、
基盤となっていくのです。

そして、
この「しないこと」を育てるためにも、
マインドフルネス瞑想は、
とても有効な方法論と、
なっていくものなのです。


◆マインドフルネス瞑想

それでは、
マインドフルネスを巷に広めた、
ジョン・カバットジン博士の言葉を、
いくつか見ていきましょう。

「私はこの“注意を集中する”ということを、
“マインドフルネス”と呼んでいます。
今では、瞑想の意味は
かなり知られてきています。
注意を集中することは、
いつもとまではいえなくても、
誰もがふだんから行っていることです。
つまり、瞑想は、
かつて考えられていたような
得体の知れないものではなく、
生活の中で
私たちがふだん体験しているものなのです。」
(『マインドフルネスストレス低減法』春木豊訳、北大路書房)

ところで、
博士は、別のところで、
マインドフルネスとは、
気づきawarenessだといっています。

このことは、
少し分かりにくいところなので、
解説しましょう。

まず、
注意力と、気づきawarenessでは、
心の中における階層が、
少し違います。
(当然、それらは地続きで重なっていますが)

そして、
注意を「集中する」状態とは、
注意力を「意図的」に働かせている状態であり、
注意力そのものより、
上位の働き(意図・能力)が、
「少し」加わっている状態なのです。

注意力を、「意図的に」操作できるのは、
注意力よりも上位の力です。

この上位の力の中に、
気づきawarenessは、
含まれているのです。

そのため、
以下のような気づきawarenessも、
可能となって来るのです。

「さて、瞑想をする時のように
自分の心の動きに注意をしていくと、
自分の心が、
現在よりも過去や未来に
思いを馳せている時間のほうが
ずっと長いことに
気がつかれると思います。
つまり、実際、
“ 今”起きていることについては、
ほんのすこししか自覚していない、
ということなのです。
そして、私たちは、
“ 今”というこの瞬間を十分に意識していないために、
多くの瞬間を
失ってしまっているのです。
この無自覚さが
あなたの心を支配し、
やることすべてに
影響を与えるのです。
私たちは、
自分のしていることや
経験していることを
十分に自覚しないまま、
多くの時を
“ 自動操縦状態”で
習慣的にすごしているのです。
いわば半眠半醒の状態に
あるようなものなのです。」
(前掲書)

ここでは、
「注意を集中する」プロセスの中で、
気づかれて来る、さまざまな状態、
「無自覚」「自動操縦状態」「半眠半醒の状態」などが、
洞察されています。

ところで、
ゲシュタルト療法においても、
今、実在する目の前の風景から離れて、
実在しない過去や未来に対して、
無益な空回りをすることが、
神経症的態度だと、
かつてより指摘していたものでした。

実在していない未来に対する、
行き場のない危惧の興奮を指して、
「不安とは、抑圧された興奮である」
と言ったのは、
フリッツ・パールズです。

まずは、その興奮に、
コンタクト(接触)して、
内容を知れという、
意味合いでです。

また、さきの文中で言われる、
「自動操縦状態」「半眠半醒」などの言葉が、
以前に見た、
G・I・グルジェフの言葉と
響きあうものであることも、
まことに納得的な事柄でもあるのです。
自己想起 self-remembering の効能

そして、
醒めた状態awakenessとは、
気づきawarenessの、
持続された状態であるわけなのです。

カバットジン博士は、
私たちの心が、
普段、ストレスに満たされた時の、
無自覚な心の状態を、
次のように描写します。

「心の中を、許容範囲以上の
不満足感や無意識が
支配するようになると、
おだやかさやリラックスした感じは、
味わえなくなります。
その代わりに、
分裂した感じや追い込まれる感じに
さいなまれるようになります。
「ああだ、こうだ」と考え、
「ああしたい、こうしたい」と
思うようになります。
ところが、えてして
こうした想念は互いに矛盾しあい、
その結果、何かを行う能力を、
大きく狂わせてしまいます。
こんなとき、
私たちは自分が何を考えているのか、
何を感じているのか、
何をしているのかが
わからなくなっているのです。
さらに悪いことに、
私たちは、
自分がわかっていない、
ということにも
気づくことができなくなっているのです。」
(前掲書)

このような時にこそ、
自己の心に対して、
気づきawarenessを持つことが、
必要となります。

そのため、
ゲシュタルト療法では、
ワーク(セッション)の空間において、
分裂した感情や自我のそれぞれに、
丁寧に気づきawarenessを当て、
それらを解きほぐし、
統合していくということを、
行なっていきます。

そして、そのためにも、
まず第一に、
自己に注意を集中することや、
気づきawarenessを働かせることが、
必要となって来るものなのです。

博士は、述べています。

「注意を集中することによって、
文字どおりあなたは目ざめていきます。
意識せずに、
機械的にものごとを見たり、
行ったりするいつものやりかたから
脱出することができるのです。
このように、
自分が何かをしている最中に、
自分がしていることを
意識できるようにするのが、
『マインドフルネス瞑想法』の本質です。
『マインドフルネス瞑想法』には、
特に変わったところも
神秘的なところもないということが
おわかりいただけたと思います。
瞑想とは、瞬間、瞬間の体験に
注意を向けるためだけに
行うものなのです。
そして瞑想によって、
自分の人生を見つめ、
瞬間の中で生きるという
新しい生き方ができるように
なっていくのです。
“ 現在”という瞬間には、
その存在を認めて尊重しさえすれば、
魔法のような特殊な力が
秘められています。
それは、
誰もがもっている
かけがえのない瞬間なのです。
私たちが知らなければならないのは、
“ 現在”という瞬間だけです。
“ 現在”という瞬間だけを
知覚し、学び、行動し、変え、
癒さなければなりません。
だからこそ、
“ 瞬間瞬間を意識する”
ということが
とても大切になってくるのです。
瞬間をより意識できるようにする方法は、
瞑想トレーニングを通じて
学んでいくことになりますが、
そこでは、
努力するということ自体が
目的なのです。
努力することによって、
あなたの体験は
より生き生きしたものになり、
人生は
より本当のものになっていくのです。」
(前掲書)<

……………………
さて、以上、
カバットジン博士の言葉を、
見てみましたが、
このように、
マインドフルネス瞑想の姿勢は、
ゲシュタルト療法の方法論と、
大変、共通したものであると、
いえるものなのです。

そして、
ある面では、
ゲシュタルト療法が、
ややもすれば、
おろそかにしてしまう、
本来的な意味での、
気づきawarenessの力を、
唯一の技法としているという点においても、
マインドフルネス瞑想は、
ゲシュタルト療法を補完するという意味で、
とても有効なアプローチと、
いえるものなのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
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しないことのゲシュタルトへ マインドフルネスの光明

さて、
拙著『砂絵Ⅰ』では、
心理的な変容過程(行きて帰りし旅)において、
その最終的な局面の中で、
気づきawarenessの力が、
とりわけ重要なことについて、
特に強調しました。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

この指摘は、
ゲシュタルト療法や体験的心理療法が、
多く陥りがちな落とし穴と、
私たちの心理的変容と拡充を、
さらに進化させるための必須事項として、
記したものです。

気づきawarenessの能力は、
ゲシュタルト療法の、
入口であると同時に、
出口でもあるのです。

しかし、往々にして、
ゲシュタルト療法をやっている人の中でも、
このawarenessの核心部分が見失われて、
マンネリや、悪循環に、
はまっていくという事態に、
なっているのです。

そして、また、
ゲシュタルト療法の中でも
この悪循環の仕組みが
公式化されていないのです。

これ自体が、まさに、
気づきawarenessの欠如、
という事態でもあるわけなのです。

今回は、
巷でも認知度も上がって来た、
「マインドフルネス」
という概念(補助線)を使って、
この問題点の中身を、
見ていきたいと思います。

ゲシュタルト療法を、
長くやっているにも関わらず、
なんか自分は、行き詰っているなぁと、
感じられているような方にとっては、
参考にしていただける内容に、
なっていると思われます。


◆気づきawarenessの力

気づきawarenessという能力の中には、
さまざまな状態や帯域があります。

しかし、
通常、ゲシュタルト療法の中では、
「気づき」という日常用語を、
漠然と使っているため、
どのような状態や要素を指しているのか、
焦点化されにくくもなっているのです。

人は、自分は、
なんでも「簡単に気づける」と、
思ってしまっているわけです。

しかし、
ゲシュタルト療法の中では、
気づきawarenessは、
ある種のスキルであり、
訓練によってこそ、
研ぎ澄まされていくものなのです。

いわば、普通の人の生活は、
気づきawarenessのない生活とも、
いえるものなのです。

ところで、
ゲシュタルト療法の中では、
気づきの連続体awareness continuum
として知られている、
気づきの姿勢があります。
気づきの3つの領域 エクササイズ

刻々と瞬間瞬間、
三つの領域に、
気づき続けているような状態です。

紹介したように、
エクササイズもありますが、
これは、あくまで、
イメージをつかむためのものにすぎません。

実際には、
毎日の生活の中で、
いつでもどこでも、
これを行なっていることが大切なのです。

つねに、
気づきの連続体awareness continuum
として存在できることが、
ベースラインであり、
覚醒awakenessなわけなのです。

そして、
このスキルが、
私たちの心理的統合を進め、
実際的にも、
ワーク(セッション)を、
進め(深め)やすくもするものなのです。

実は、
この気づきの連続体awareness continuumとは、
正規の文脈でいわれている、
マインドフルネスそのものでもあるのです。
判断を挿し込まない、
オープンな気づきの状態である、
ということなのです。


◆気づくことの違い 同一化と脱同一化

さて、
気づきawarenessそのものは、
気づきの連続体awareness continuumとしての、
マインドフルネスなのですが、
そのことが、
ゲシュタルト療法の実践の中でも、
見失われたり、
間違われていく理由(要因)が、
いくつかあります。

まず、それは、
実践上で、起こって来ます。

ゲシュタルト療法のワーク(セッション)を、
長期にわたって継続的に続けていくと、
ワーク自体が、
ある感情的なテーマなどを中心に展開されるため、
その内容(テーマ)そのものに、
気を取られてしまう(同一化してしまう)、
という点が、
まず第一の理由です。

ワークの実践においては、
ある微かな感情に気づきを持ち、
それに深く没入して、
それをさまざまに展開していくことが、
重要となります。

そのことが、
私たちの葛藤を解きほぐし、
情動的に深く、
解放していくことになるからです。

この場合の、
「ある感情」とは、
「ある部分的な自我」に、
由来しているものです。
私たちは、普段、
それらになかなか気づけません。
ワークの中の、
変性意識状態(ASC)でこそ、
それらが気づかれやすくなるのです。
複数の自我(私)について ―心のグループ活動

ところで、
ワークの中のこの場面で、
私たちの心は、
「2つの働き方」を、
しています。

ひとつは、
ある部分的な自我(感情)に、
気づくawarenessという状態です。

これは、
その感情を、
対象化している状態であり、
主体は、
その感情そのものとは、
少し離れた状態、
つまり、脱同一化している状態にある、
ということです。
このわずかな差異、
脱同一化が、
気づきawarenessの状態の核心なのです。

もうひとつの働き方は、
その感情そのものに、
深く没入し、同一化している状態です。
深く同一化しているからこそ、
その感情(自我)を内側から深く把握し、
そのものとして、
自発的に展開していくことが、
可能となるのです。

ワークの中で、
私たちの心は、
この2つの働き(同一化と脱同一化)を、
同時に、2局面で、
振幅しながら、
行なっているのです。

そして、
この2つ(同一化と脱同一化)を
振幅しながら、
行なえることが、
ワークが、
私たちを深く展開し、
統合していく、
肝の力なのです。

この同一化と脱同一化は、
車の両輪のように、
働くものなのです。

そして、
ワークの変性意識状態(ASC)の中では、
このことが、
可能となるわけなのです。


…………
さて、
話をもとに戻しますと、
ではなぜ、
ゲシュタルト療法の中で、
気づきの連続体awareness continuum
という、マインドフルネスが、
なぜ、見失われがちになるのか、
という点です。

それは、
今、前述に見たワークの場面に即して言うと、
ワークの中で起こる、
ダイナミックに情動を解放していく側面、
つまり、各感情や自我と、
「同一化」する側面ばかりに、
私たちが、
気を取られていくことに、
なるからなのです。

そのことが、
ワークの中で、私たちに、
大きなカタルシスや解放をもたらすものなので、
その成功体験に引っ張られて、
これらの体験を、無意識裡に、
繰り返そうとしてしまうのです。

そして、そのことと、
ゲシュタルト療法のやり方そのものを、
同一視してしまいがちなのです。

そして、その際、
気づき(脱同一化)の側面よりも、
同一化の側面に、
意識がいってしまうのです。

また、その結果として、
同一化する心理的内容(各感情や自我)を、
探しはじめることにも、
なってしまうのです。
そして、これが、
落とし穴のはじまりなのです。

よく、
ゲシュタルト療法のサークルでは、
自分の持っている、
問題やテーマ、パターンなどが、
取り沙汰されます。
ワーク(セッション)の、
素材(ネタ)となるものたちです。

そのため、
人によっては、
ワークのための、
問題やテーマ、パターンを、
探しはじめることにもなります。

しかし、本来、
各感情や自我は、
自発的、かつ繊細に、
気づかれるawarenessべきものたちなのです。
無理に、ベタに、
設定するものではないのです。

そのような設定は、
先入観やビリーフ(信念)をつくり出し、
かえって、
ワークと気づきawarenessを、
阻害するものに、
なったりもするのです。

そして、このような態度は、
結果的に、
ワークの類型における、
「することのゲシュタルト」という、
間違った姿勢にも、
つながっていくこととなるのです。


◆「することのゲシュタルト」という落とし穴

さて、
ワーク(セッション)においては、
気づきと情動的な解放、
脱同一化と同一化の振幅が、
表裏一体のものとなって、
深い心理的統合も可能となります。

しかし、
ワークの中で、
情動的な解放による、
「問題解決」や「答え」ばかりを、
求めていくと、
起こっている事態への、
今ここの気づきawarenessが、
根本から、見失われていくことにも、
なっていくのです。

同一化すべき感情ばかりを探して、
自己の、その時の状態への気づきawarenessが、
失われていってしまうのです。

そのようなワーク(セッション)においては、
クライアントの方は、
しばしば、心焦って、
答えを求めて、
「何かをしよう」とばかりをします。

これが、
「することのゲシュタルト」
という落とし穴です。

しかし、
ワークにおいて、
第一に、
何よりも重要なのは、
「何かをすること」
でなく、
「何もしないで」、
ただ、自分の状態に、
気づいてawarenessいることなのです。

自分の中で起こっていることに、
ただ、
気づいてawarenessいることなのです。

「答えを求めている」自分に、
ただ、
気づいてawarenessいることなのです。

その中でこそ、
自己の内側から、
真に自発的な表現、
活路が現れて来るのです。



◆マインドフルネスと、しないことのゲシュタルト

さて、マインドフルネスの流れは、
さまざまな文脈で、
日本でも知られはじめましたが、
その大元は、
ゲシュタルト療法が広まる背景でもあった、
米国西海岸で、
ヴィパサナー瞑想や、上座部仏教の瞑想法として、
広まっていたものでした。

日本では、鬱病への特効薬がない中で、
認知行動心理療法のひとつとして、
認知度があがっていったのかもしれません。

その立役者の一人でもある、
『マインドフルネスストレス低減法』(春木豊訳、北大路書房)
の著者、ジョン・カバットジン博士は、
マインドフルネスとは、気づきawarenessのことだと、
端的に語っています。

その著書の中で、
博士は、プログラムの参加者が、
プログラムに取り組む様子を、
次のように描写します。

「彼らが行っているのは、
“ 何もしない”ということです。
そして、
一つの瞬間から次の瞬間へと連なっていく、
一つひとつの瞬間を自覚し、意識するために、
一つひとつの瞬間に意欲的に集中しようとしているのです。
つまり、彼らは、
“ 注意を集中する”トレーニングをしているのです。
別の言い方をすれば、
彼らは
自分が“ 存在すること”を学んでいるともいえます。
彼らは、
何かをすることによって時をすごすのではなく、
意図的に何かをするのをやめ、
“ 今”という瞬間の中で、
自分を解放しようとしているのです。
心に気がかりなことがあったとしても、
体が何か不快感を感じていたとしても、
その瞬間の中で、
意図的に、心と体に安息を与えようとしているのです。
“ 生きている”ということ、
“ 存在している”ということの本質に
踏み込もうとしているのです。
彼らは、
何かを変えようとするのではなく、
ただ自分の置かれているありのままの状況と共に
その瞬間を過ごそうとしているのです。」
(前掲書)

さて、
ゲシュタルト療法においても、
気づきawarenessのベースラインは、
ここにあります。

ワーク(セッション)で、
何かをすることは、
必須ではないのです。

しないことの中にこそ、
豊饒な気づきawarenessが、
あるのです。

これが、
しないことのゲシュタルト、
です。

見たくない自分も含めて、
判断しないで、
刻々の、
剥き出しの自分を、
ありのままに、
ただ気づいていくことなのです。

それだけでも、
ワーク(セッション)は、
成立するのです。

そしてまた、
ゲシュタルト療法の中では、
「変化の逆説」法則として、
知られているものがあります。

つまり、
何かを変えようとすると、
逆に、
変化というものは起きないのです。
しかし、
変化を期待せずに、
ただその状態を受け入れると、
変化は起こるのです。

変化を求めないと、
変化が起きるのです。

「変化は起こすのではなく、起こるのだ」
とは、パールズの言葉です。

マインドフルネスの姿勢は、
この本来の、
ゲシュタルト療法の姿勢を、
より明確に、
照らし出してくれるものなのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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気づき・自己想起・至高体験 目標とプロセス


さて、当サイトでは、右寄せ
人間の意識や存在の、
さまざまな拡張された体験領域を、
取り扱っています。

最近では、
マインドフルネス的な気づきと、
グルジェフの自己想起について、
扱いました。
気づきawarenessと自己想起self-remembering
自己想起self-rememberingの効能

また、マズローの
至高体験や自己実現の考えについても、
見てみました。
「至高体験」の効能と、自己実現
アイデンティティの極致としての至高体験
「完全なる体験」の因子と、マズロー

関連領域としては、
登山における山頂体験について、
卓越した登山家、
ラインホルト・メスナーの洞察を、
参考にしてみました。
登山体験 その意識拡張と変容

これらが示す、
数々の体験領域は、
私たちの生Beingの、
より拡張された次元を、
垣間見せてくれる、
貴重な領域ともいえます。

私たちの生には、
現代社会が、通常了解している以上の、
さまざまな潜在能力があり、
創造性、意識拡張の領域においても、
より大きなひろがりの可能性を、
持っているからです。
その一端は、
拙著の中でも、
多くの考察をめぐらせました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

ところで、一方、
私たちは、
日々の生活を生きつつ、
それほど特別な達成を持たなくとも
さまざまに閃光的で、
刺激的な、
強度の体験を得ながら、
日々を成長、生成Becomingしているとも、
いえます。

今回は、
人生の中における、
そのような大きな目標と、
日々のプロセスとの関係を、
どうとらえるかについて、
少し考えてみたいと思います。

そこでは、
マズローの言葉が、
ヒントとなります。

ところで、
マズローは、
欲求の五段階仮説で、
有名でもありますが、
その下位の
「基本的欲求」
「基本的価値」
を追求することが、
必ずしも、
途中経過としての価値しか、
持たないのというわけではないことを、
至高体験との関係で、
指摘しています。

目標とプロセスとの、
生命Beingと生成Becomingとの、
多様な姿を語ります。

「…かれに関するかぎり、
特定の期間中
階層のうちの
どのような欲求に支配されていようとも、
生命lifeそのものと同じ意味の
絶対的、究極的な価値なのである。
だからして、
これらの基本的欲求
あるいは基本的価値というものは、
目標としても、
また単独の終局目標に達する階梯としても、
とり扱われるのである。」

「なるほど単一の究極的価値
あるいは人生目標といったものの
あることはたしかであるが、
われわれは複雑に連関しあった
価値の階層的、発達的体系をもつこともまた、
たしかに正しいのである。」

「これはまた、
生命Beingと生成Becomingとの間の
明らかに対照的な逆説を解くのに
役立つ。
なるほど、
人間は絶えず究極に向かって精進しており、
それはいずれにしても
別種の生成であり、
成長であるといえる。
まるで、われわれは
つねに到達できない状況に
達しようと努めなければならない宿命に
あるかのようである。
だが、幸い、
こんにちではこれが正しくないこと、
あるいは少なくとも唯一の真理でないことを、
知っている。」

「それを統一する別の真理があるのである。
われわれは一時的な絶対的生命によって、
つまり、至高経験peak-experienceによって、
よい生成が再三、再四報いられるのである。
基本的欲求の満足が達せられることが、
われわれに多くの至高経験を与えてくれる。
しかもその一つ一つが無限の喜びであり、
それ自体完全なものであり、
みずから生き甲斐を感ずる以外
なにも求めようとしない。」

「これは天上が
どこか生涯のはるか彼岸にあるとの考え方を
否定しているようなものである。
いわば天上は生涯にわたり
われわれを待っていて、
一時的にいつでも入りこみ、
われわれが日常の努力の生活に帰るまで
楽しもうと身構えているようである。
そしてひとたびわれわれがそれにひたると、
絶えず思いを新たにし、
この記憶を大切にして、
逆境の際には
心の支えともなるのである。」

「そればかりでない。
刻一刻の成長の過程が、
それ自体完全な意味において、
本質的に報いられる喜ばしいものである。
それらは山頂の至高体験でなくとも、
少なくとも山麓の経験であり、
まったくの自己正当性をもつ喜びの曙光であり、
生命の一瞬である。
生命Beingと生成Becomingとは
矛盾するものでも、
たがいに排反するものでもない。
接近と到達とは
ともにそれ自体報酬なのである。」
(『完全なる人間』
上田吉一訳、誠信書房)

さて、
マズローの言葉を見てみましたが、
探求のプロセス自体の中に、
達成の至福が、
すでにいくらかは含まれている、
というわけなのです。

そうではないと、
たしかに人は、
動機を失いがちになってしまう
ともいえます。

しかし、
筆者が見た多くの事例からも、
実際のところは、
至高体験を含有する、
さまざまな強度な体験が、
人生には、
侵入して来るものなのです。

それとはわかりにくい、
多様な姿や形態で、
至高体験は、
私たちの生のうちに、
含まれているものなのです。
「山頂」にいなくとも、
それに連なる「山麓の経験」は、
非常に多くあるのです。

要は、
気づきawarenessを、
磨いていくことで、
それらを掘り起こし、
育てていくことなのです。

そのようなヴィジョンや熱意、
体験に開かれている姿勢が、
心身の探求を進める上でも、
とても重要なことであるといえるです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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自己想起 self-remembering の効能 マインドフルネスと、グルジェフからのヒント

さて、別に、世間一般や心理療法の現場で漠然と語られている「気づき awareness」という心理状態(上位機能)を、構造的に理解するために、G・I・グルジェフの自己想起 self-rememberingという気づきの実践技法をさまざまに見てみました。
気づき awarenessと自己想起 self-remembering

マインドフルネスが語られるようになってきた昨今、特に重要なテーマと考えられたからです。そこでは、変性意識状態(ASC)の研究で有名なチャールズ・タート博士の著書『覚醒のメカニズム』(吉田豊訳、コスモスライブラリー)をもとに諸々を考えみました。

今回は、グルジェフの弟子としても著名なウスペンスキーの著書『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳、平河出版社)から、グルジェフの言葉やウスペンスキーの洞察を取り上げ、自己想起 self-remembering の大きな潜在力について考えてみたいと思います。

ところで、それに少しでも取り組むと分かるように、自己想起 self-remembering は、非常に困難であると同時に、極めて重要な実践であり、人生を決定的に違う光りのもとに照らし出すものとなっています。

さきのタート博士は語ります。

「ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』を読んだ結果、私が初めて自己想起を実践した時、これは自分が必要としている何かきわめて重要なことだとすぐにわかった。」(前掲書)

また、ウスペンスキーも語ります。

「G(グルジェフ)の言ったこと、私自身が考えたこと、また特に自己想起の試みが私に示したことすべてから、私はこれまで科学も哲学も出合ったことのない全く新しい問題に直面しているのだということを間もなく納得したのである。」(前掲書)

ウスペンスキーの言葉は、すでに100年前のものですが、この間、人類はまったく進化していないので、事態はまったく変わっていないのです。

グルジェフは語ります。

「人生全体、人間存在全体、人間の盲目性全体はこれに基づいているのだ。人が自分は自分を想起することができないということを本当に知れば、彼はそれだけで彼の存在(ビーイング)の理解に近づいているのだ。」(前掲書)

ところで、筆者自身は、拙著『砂絵Ⅰ』の中でも記したように、個人的には「自分の自意識を外側から見る」というような変性意識的体験により、自分の日常意識の「無明性(眠り)」を突きつけられた結果、この自己想起の重要性に気づいていったという経緯があります。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 

◆自己想起の実態

さて、この自己想起 self-remembering ですが、ウスペンスキーの本の中では、弟子たちが自己観察の宿題に対してさまざまな回答する中で、グルジェフが語ったことにあります。

「誰も私が指摘した最も重要なことに気づいていない。つまり、誰一人、君たちは自分を想起 remember yourselvesしていないということに気づいていないのだ〔彼はここの部分を特に強調した〕。君たちは自分を感じて feel yourselvesいない。自分を意識 conscious of yourselvesしていないのだ。君たちの中では、〈それ it が話し〉〈それ it が考え〉〈それ it が笑う〉のと同様、〈それ it が観察する〉のだ。君たちは、私 I が観察し、私 I が気づき、私 I が見るとは感じていない。すべてはいまだに、〈気づかれ〉〈見られ〉ている。……自己を本当に観察するためには何よりもまず自分を想起しなければならない。〔彼は再びこの語を強調した〕。自己を観察するとき自分を想起 remember yourselvesしようとしてみなさい。」(前掲書)

自己想起 self-rememberingは、普通に、現代社会で生活する中では、決して教わることのない独特な意識の働かせ方です。

自己観察の宿題を指示する中で、グルジェフは、私たちが自分自身だと思い、自分たちの自明の道具(特性)だと思っているこの「意識」は、決して確固として、いつもここに在るわけではない、私たちの存在を満たしているわけではないと指摘していたのです。それを観察するようにと示唆していたのです。

「私の言っているのは、意識が再び戻って来たとき初めて、それが長い間不在だったことに気づき、それが消え去った瞬間と再び現れた瞬間を見つけるか、あるいは思い出すことができるということだ。」(前掲書)

「自分の中で、意識の出現と消滅を観察すれば、君は必然的に、現時点では、見もせず認識もしていない一つの事実を見ることになるだろう。その事実というのは、意識を持っている瞬間というものは非常に短く、またそれらの瞬間瞬間は、機械の完全に無意識的かつ機械的な働きの長いインターヴァルによって隔てられているということだ。」(前掲書)

ウスペンスキーは、実際に、自己想起をトライした印象を次のように語ります。

「自分自身を想起すること、あるいは自分を意識していること、自分に、私は歩いている、私はしているといいきかせること、そしてとぎとれることなくこの私を感じ続けること、こういった試みは思考を停止させるというのが私の最初の印象である。私が私を感じていたとき、私は考えることも話すこともできず、感覚さえ鈍くなった。それにまたこの方法では、ほんのわずかの間しか自分を想起することはできなかった。」(前掲書)

そして、ウスペンスキーは、なんとか見出した定義として、次のように語ります。

「私は、自己想起 self-rememberingの特徴的な点である、注意の分割ということを話しているのである。私は自分にそれを次のような方法で説明した。何かを観察するとき私の注意は観察するものに向けられる。これは片方だけに矢印が向いている線で示される。

 私―→観察されている現象

私が同時に自己を想起しようとすると、私の注意は観察されているものと私自身の両方に向けられる。第二の矢印が線に現われる。

 私←→観察されている現象

このことを明確にしたとき、問題は何か他のものに向ける注意を弱めたり消したりしないままで自分自身に注意を向けることにある、ということに気づいた。さらにこの〈何か他のもの〉は私の外部にあると同様、私の内部にもありうるのであった。」

「注意のそのような分割の最初の試みが私にその可能性を示してくれた。同時に私は二つのことにはっきり気づいた。」

「第一に、この方法がもたらす自己想起は〈自己を感じること self-feeling〉や〈自己分析 self-analysis〉とは何の共通点もないことがわかった。それは奇妙に親しい趣のある新しくて興味ある状態だった。」

「第二に、自己想起の瞬間は、まれにではあるが生活の中でたしかに起こることに気づいた。このような瞬間を慎重に生みだすことによってのみ新しさの感覚を生むことができるのである。(中略)私は、自分の人生の一番古い記憶―私の場合は非常に幼少時のものであった―は自己想起の瞬間 moments of self-rememberingであったことがはっきりわかった。このことに気づくと他の多くのことがはっきりしてきた。つまり私は、自分を想起した過去の瞬間だけを本当に覚えているということがわかったのである。他のものについては、それらが起こったということだけしか知らない。私にはそれらを完全によみがえらせrevive、再びそれらを経験することはできない。しかし自己を想起した瞬間は生きて aliveおり、またいかなる意味でも現在 presentと違っていなかった。」

「私はまだ結論に至ることを恐れていた。しかし、すでに自分がおそろしく大きな発見の敷居の上に立っていることに気づいていた。」(前掲書)

そして、

「これらはすべて最初の頃の認識であった。後になって注意を分割することができるようになったとき、自己想起は、自然な形で、つまりおのずから、非常にまれな、例外的な状況でしか現れないようなすばらしい感覚を生み出すことがわかった。」(前掲書)

自己想起の能力は、訓練によって変容していくのです。
ところで、筆者自身も、人生の最初期の記憶は、自己想起 self-remembering と思しきものでした。それは一人で公園の砂場で遊んでいる時のもので、その状況はまったく覚えていませんが、何かを求めて注意を視界のない(遠くの)どこかに向けている時のものでした。そして、これが今も記憶として残っている理由は、風景の内容のせいではなく「遠くに注意を向けている自分の存在」というものを強烈に感じとっていたためであったのです。

さて、以前の記事にも引いた、タート博士の言葉を再び見てみましょう。

「人々が『感じること、見ること、聞くこと』を初めて試みる時、彼らは、しばしば、ある種の微妙な透明さ―その瞬間の現実により敏感で、より存在しているという感じ―を体験する。それは、合意的意識では味わうことができず、また、事実、言葉では適切に述べることができない、そういう種類の透明さである。たとえば私は、それを『透明さと呼ぶことにさえ自分がいささかためらいを感じているのに気づく。と言うのは、その言葉は(あるいは、それに関するかぎりでは、いかなる特定の言葉も)それ(透明さ)が安定した、変わらない体験であることを含意しているからである。それはそうではない―バリエーションがある―のだが、しかしそのことは、あなたがこの種の自己想起を実践すれば、自分で発見するであろう。」(前掲書)

さて、ところで、ゲシュタルト療法では、「気づきの連続体 awareness continuum 」といって、刻々の自己の状態に、気づいて awareness いくことを重要な実践として行なっていきます。

エクササイズもありますが、エクササイズ自体は、あくまでもイメージをつかむためのもので、本番は、日々の暮らしの中で、これをいつも行なっていくことにあります。
気づきの3つの領域 エクササイズ

この連続的な実践は、きちんと深めていくと「透明さ」「その瞬間の現実により敏感で、より存在しているという感じ」に近づいていくものでもあります。それはセッション(ワーク)を深めると同時に、普段の統合感を進めていくものであるのです。

そして、つまりは、この気づき awareness の連続的な実践に、自己想起の要素を持ち込むことは、私たちの気づきの範囲をひろげ、その統合的な効果をより倍化させていくことでもあるのです。

そのような点からも、この自己想起 self-remembering は注目すべき実践となっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 


登山体験 その意識拡張と変容 メスナーの言葉


さて、以前、
方法論として極めて重要な、
気づきと自己想起について、
取り上げました。
気づきawarenessと自己想起self-remembering

また、その流れで、
即興表現と自己想起との関係についても、
考えてみました。
キース・ジャレットの、覚醒と熱望

今回は、その関連として、
登山体験というものを通して垣間見られる、
意識拡張や気づき、
変容の諸相について、
見てみたいと思います。
登山と瞑想は、
さまざまなレベルで、
元来、近似した要素を持っていますが、
登山と瞑想
ここでは、特に、
その覚醒体験や至高体験の側面について、
考えてみたいと思います。

ところで、
イタリアの登山家、
ラインホルト・メスナーといえば、
人類史上初めて、
八千メートル峰14座すべてに、
単独無酸素で登頂した登山家として、
知られています。

今回は、
彼の著書『死の地帯』(尾崎鋻治訳、山と渓谷社)から、
その興味深い言葉をいくつか、
拾っていってみたいと思います。

というのも、メスナーは、
優れた登山家であるばかりでなく、
体験を通した、生の哲学者といった面持もあり、
その体験や洞察を言葉にする、
卓越した才能を、
持ってもいるからです。
そのため、拙著『砂絵Ⅰ』でも、
彼の言葉を何度か引きました。
内容紹介 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

さて、ところで、
メスナーは、
この本の前半で、
登山家が遭遇する、
極限的体験(滑落、臨死、瀕死等)の中で経験した、
さまざまな意識拡張的な体験報告を、
取り上げています。

彼自身が、
その経験者でもあるのですが、
そのような体験領域の中では、
私たちは、
日常意識から離れ、
フロー体験や、
臨死体験で報告されるような、
不思議な意識拡張的体験を、
経験しがちとなっているからです。

それらは、
私たちが元来持っている、
潜在能力が、
危機的状況の中で、
不意に現れたものとも、
いえるものです。

メスナーは、
そのような広大な潜在能力が、
私たちのうちに在ることに、
注意を促していくのです。

そして、
困難で苛烈な登山体験が、
人を惹きつけていく、
その核心部分に、
私たちの存在や意識を、
深いレベルで覚醒させ、
解放していく秘密があることを、
示唆していくのです。

実際に、彼の言葉を、
見てみましょう。

「私は今でも
八千メートル峰登頂への究極の動機が
何であるのか、
自分でもわからない。
ただ、一度頂上へ登ってしまうと、
また降りるのがとてもいやになるのだ。
面倒だからというだけではない。
私にとっては、
下降によって
私の中に
虚しさがひろがるからである
―失楽園―
それは成功の意識によって
満たされることはない。
頂上に到達したときに
すでにまったく別種の虚しさ、
私の全存在をとらえる
解放的な虚しさを
私は何度も経験した。」
(前掲書)

メスナーは、
山頂において、
ある種の意識拡張を、
経験していたのです。

「私はエベレストの頂上から
下山しようとしたとき、
なかなか降りる気になれなかった。
(中略)
どうしてかはわからないが、
もっと長くいられるものならいたい、
永久にだってそこにいたいと思った。」

「八千メートル峰の上に
そのまま座りつづけたら
どうなんだろうなと、
私はときどき考えた。
登頂の隠された意味は
頂上にとどまることではないだろうか。」

「無限の、
なにもない空間の中心である頂に
私は座っていた。
はるか他の谷々に
乳色の靄が沈んでいた。
私のまわりの地平線が、
私の中にある空虚さと
同じように膨らんできた。
すると私の深い呼吸が
自然に凝縮して、
純粋の幻視的な輪となった。
なんともいいようのない
ほがらかな放下感とともに
私のこの調和状態、
一種のニルワナ―
涅槃から目覚めた。」
(前掲書)

そして、
彼は、山頂体験そのものが、
至高体験peak-experienceのように、
ある種の変容を、
人にもたらすことに、
思いをめぐらせます。

「ヘルマン・ブールが
ナンガ・パルバードの山頂から
生還したのは、
登頂したからである。
もしも最高点を目前に失敗していたなら、
あのように超人的な下山は
できなかったろう。
だから私にいわせれば、
彼が生還したことこそが、
彼が登頂した証拠なのである。
彼はあの夢の点に触れたからこそ、
時期を失せず、
その点から離れることができたのである。」

「人に踏まれることのなかったこの世界で、
私を支配するものは、
一方では雲や谷、
深さや広がりの現実的知覚であるが、
他方では、
自然が演出するその劇とは
一見ほとんど関係がないような、
精神的感銘と内的照明(悟り)である。
私は八千メートル峰から
再び低地にもどったとき、
精神的に
生まれ変わったように思ったことが
何度もあった。
だから私が
高所での体験から得た認識を、
私は錯乱や幻覚ではなく、
深い真実だと思っている。」
(前掲書)

そして、
つまりは、

「高く登れば登るほど、
ますます自分が透明に、
くっきりと見えてくる。
感覚が研ぎ澄まされる。
彼があれほど情熱を寄せた頂が、
具体的な形で彼のものとなる。
彼は一種の光明点の中へ入り、
涅槃の中に
消え去ることができる。」

「初めてのいくつかの大きな遠征の後で、
私は自分の人生がひろがったのを感じたが、
同時により思慮深くもなった。
三つ目の八千メートル峰である
ヒドゥン・ピークが私に鎮静作用を与えた後、
涅槃とは何であるかが
ようやくわかりかけてきたと思った。
つまり私は
生を超えるものの息吹を
吸ったのである。
エベレストの頂上では
一種の精神的オルガスムを体験した。
それは時間と空間のない全有意識における
感情的振動である。
そのとき私の理性は
完全にシャットアウトされていた。」
(前掲書)

さて、
ところで、
メスナーは、
彼自身のさまざまな極限状態における、
実体験から、
このようなことを引き起こす、
私たちの存在の、
秘められた組成について、
仮説を考えていきます。

「まもなく三十年になる
私の登山家生活で体験した数々の幻視は、
私の自己理解に本質的に寄与した。
あるときは
私は意識点としてだけ存在したり、
またあるときは
強い充実感にあふれたりした。
そういうときには、
悟性が特にそんなふうに働きかけなくても、
知が認識になるのである。
悟性はその認識を記録する。
すると一瞬その認識は
合理的に把握できるように見えるが、
それは一瞬だけのことであって、
二度と呼び戻すことはできない。」

「私の経験によれば、
人間は、外的人間と内的人間とからなっている。
外的人間―身体的・知的領域―は
誰にでもかなりよくわかる部分である。
しかし内的人間―精神的領域、
それは意識下であり、
まだよく解明されていない次元である
(私はこれを精密素材領域と呼んでいる)―は、
そこへ通じる方法を知らない限り、
誰にもわからない。
(中略)
どの肉体も、
すべてがそれからできている
元の素材を自分の中に持っている。
だからどの人間も万有を分け持っている。
万有は無限だから、
人間は無限を分け持っている。
道具としての感覚器官と、
記録装置としての意識の助けを借りて、
人間は意識的に明確に
自分自身を経験する(知る)ことができる。
(中略)
精神的な、
私のいう精密素材的な人間には
限界がないから、
精神的人間の経験能力には限界がない。」

「死の地帯の体験は
―いろいろと議論された死の経験と同じく―
新しい意識領域へいたる階梯の
重要なステップのひとつであろう。」
(前掲書)


さて、以上、
登山にまつわる、
ラインホルト・メスナーの言葉を見て来ましたが、
これらの言葉は、
登山に限定されない、
さまざまな生の場面に、
適用可能な洞察となっていることが、
類推できると思われます。

このような至高体験や、
体験領域を持つものは、
私たちの人生の中で、
多様に存在するからです。

そのような意味において、
メスナーの洞察や示唆は、
私たちの人生で、
さまざまに役立っていく、
刺激的(覚醒的)なものと、
なっているのです。

最後に、彼が、
本の冒頭に記した言葉を、
引いておきましょう。

これなども、
この「登山」の言葉を、
各人の取り組み事項に置き換えることで、
その野生的創造の可能性を、
引き出す枠組みに、
なっていくものです。


登山―それはひとつの可能性
登山―それは冒険
登山―それは積極的な自然体験
登山―それは創造的にして遊技的なスポーツ
登山―それは行為において存在を意識化する
登山―それは死の挑戦に抵抗するなかでの悟り
登山―それは天から地上への移行
登山―それは此岸と彼岸との架け橋
登山―それはより高い意識段階を求めること
登山―それはひとつの可能性
(前掲書)


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
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気づきawarenessと自己想起self-remembering

さて、
ゲシュタルト療法においては、
気づきawarenessの力について、
特に重視しています。

気づきの3つの領域 エクササイズ


ゲシュタルト療法の創始者、
フリッツ・パールズは語ります。

 「『気づく』ことは、クライエントに
自分は感じることができるのだ、
動くことができるのだ、
考えることができるのだということを
自覚させることになる。
『気づく』ということは、
知的で意識的なことではない。
言葉や記憶による『~であった』という状態から、
まさに今しつつある経験へのシフトである。
『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる」

「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、
行動への可能性をひらくものである。
決まりきったことや習慣は学習された機能であり、
それを変えるには
常に新しい気づきが与えられることが必要である。
何かを変えるには別の方法や考え、
ふるまいの可能性がなければ
変えようということすら考えられない。
『気づき』がなければ
新しい選択の可能性すら思い付かない」
(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

拙著やサイトの、
別の個所でも述べているように、
気づきawarenessは、
通常の私たちの心に対して、
少しメタ(上位)レベルの機能とも、
いえるものなのです。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』

さて、しかし、
この気づきですが、
「気づきawareness」という言葉は、
日常的な言葉な分だけに、
その状態が、
カバーしている帯域は非常に幅広く、
実践している人たちの間でも、
その状態(含意)が、
きちんと特定できていないという、
難点があります。

最近、日本においても、
マインドフルネスや、
ヴィパサナー瞑想も、
大分、メジャーになって来て、
気づきawarenessの重要性が、
知られるようになって来ていますが、
それでもいくらか、
わかりにくい要素が多いようです。

ここでは、
「気づきawarenessの先にあるものが何なのか」
と補助線を引くことで、
その途中段階にある、
「気づきの状態」を特定し、
それを訓練し、
育てていく実践と勘所について、
考えていきたいと思います。


◆気づき・自己想起・客観意識

そのため、ここでは、
気づきawarenessの状態の、
より先にある状態として、
ロジアの秘教的な思想家、
G・I・グルジェフが唱えた、
「自己想起self-remembering」
というものについて、
取り上げてみたいと思います。

グルジェフ自身は、
スーフィー系の、
秘教的なスクール出身のため、
その修行システムの体系には、
なんとも判断しがたい、
不思議な宇宙論が含まれているのですが、
それを脇に置いて、
その実践的な心理学を取り出すだけでも、
心理療法的な見地からも、
充分示唆に富む内容となっているのです。

変性意識状態(ASC)という言葉を有名にした、
アメリカの心理学者で、
意識の諸状態の研究家、
チャールズ・タート博士は、
そのようなグルジェフの実践システムについて、
心理学的な知見から、
『覚醒のメカニズム』(吉田豊訳、コスモス・ライブラリー)という、
興味深い本をまとめています。

今回は、
そこで描かれている、
自己想起self-rememberingの、
特性や原理・構造を見ていくことで、
気づきawarenessに必要な状態(強度)が、
どのような状態であるのかについて、
見ていきたいと思います。

それというのも、
気づきawarenessは、
訓練の果てに成熟していくと、
だんだんと、
自己想起self-remembering
の状態に近づいて来るからです。

逆にいうと、
自己想起self-remembering
と、まったくかけ離れている、
気づきawarenessは、
まだ、非常に微弱な段階にある、
幼い、気づきawarenessの状態である、
ということでもあるのです。

ところで、
自己想起self-rememberingとは、
その名の通り、
「自分のことを思い出している状態」
のことです。

重要なポイントは、
ただ思い出すだけではなく、
普段の日常生活の中で、
何かを(没頭的に)行なっている時に、
それを行ないつつ、
「このことを行なっているのは私」
と、自分の存在自身に、
気づいているということなのです。

つまり、生活の中で、
つねに、
自分の存在に、
今ここで、
ずっと気づいているawareness
という状態なのです。

たとえば、
この文章を読みつつ、
読んでいる自分自身の存在にも、
気づいていることです。
「読んでいる内容」をくみ取りながら、
「読んでいる私(自分)の存在」にも、
気づいていることです。

ウスペンスキーは、
注意力を、
対象と自分自身に分割する、
といいましたが、
そのような状態です。

実際に、
行なってみると分かるように、
この状態を、
持続的に維持していくことは、
至難の業です。

そのような自己想起self-rememberingが、
気づきawarenessの先にあることの意味が、
分かるかと思います。

実際、
自己想起self-rememberingに習熟すると、
気づきawarenessの状態も、
ずっと練度と力を増したものに、
なっていくのです。

ところで、
この自己想起の体験内容
(人生を一変させる、
めざましい覚醒感と豊かさ)を、
表現するのも、
至難の業です。
しかし、
これは自己想起を説明しようとする、
すべての人が、
逢着する地点なのです。

自己想起について、
さまざまに解説した後、
タート博士は述べています。

「私はこれらの言葉に満足していない。
けれども私は、自己想起のなんらかの体験をした
他の誰かには、かなりよく
これらの言葉の意が伝わることを知っている。」
(前掲書)

「気づきawareness」も、
そのような伝達の難しい側面を持っていることは、
分かるかと思われます。
自己想起は、
それがより強まったものでもあるのです。

ここからも、
気づきと自己想起の関係が、
類推されます。


◆自己想起の困難

自己想起はまた、
実践が難しいものです。
短時間、自己想起できても、
私たちはすぐにその実践を、
忘れてしまいます。

その難しさのひとつの要因は、
力とエネルギーに属することにもあります。

タート博士は述べています。

「自己想起の初期の難しさを理解するのに
役立つ類比がある。
われわれの注意力は筋肉―
われわれの心的機能が
あまりに自動化してしまっているので、
自分の側のなんの努力もなしに
われわれの注意を
その自動的な通路に沿って
いともたやすく運んでくれるため、
ほとんど使われることのない、
そういう筋肉―
のようなものである。
今あなたはそのたるんだ筋肉を
意図的な注意のために
使い始めているのだが、
しかし意図的な努力に慣れていないので、
それはすぐに
疲れてしまうのである。」
(前掲書)

また、慣性によってすぐ自動化する、
私たちの心の普段のふるまいに合わないからだとも、
いえます。
グルジェフは、
心の自動化を防ぐため(常に目覚めるため)、
自己想起を重視したので、
当然といえば当然なわけです。

「困難は、
必要とされる注意力と
努力の連続性を
維持することにある。
私の経験では、
自己想起は自動的にはなりえない。
あなたは常に、
それを意志的に行うことに、
意図的で意識的なわずかな努力と注意を
当てなければならないのである。」
(前掲書)


◆自己想起の存在論的な強度

たとえば、
タート博士は、以下の文にあるように、
自己想起の実践で起こる感覚を、
「透明さ」
「より存在しているという感じ」
と呼んでいますが、
多くの人が、
自己想起の中で、
そのような、濃密化する存在感を、
感じ取るのです。

「人々が
『感じること、見ること、聞くこと』を
初めて試みる時、
彼らは、しばしば、ある種の微妙な透明さ―
その瞬間の現実により敏感で、
より存在しているという感じ―
を体験する。
それは、合意的意識では味わうことができず、
また、事実、
言葉では適切に述べることができない、
そういう種類の透明さである。
たとえば私は、
それを『透明さ』と呼ぶことにさえ
自分がいささかためらいを感じているのに
気づく。
と言うのは、その言葉は
(あるいは、それに関するかぎりでは、
いかなる特定の言葉も)
それ(透明さ)が安定した、
変わらない体験であることを
含意しているからである。
それはそうではない―バリエーションがある―のだが、
しかしそのことは、
あなたがこの種の自己想起を実践すれば、
自分で発見するであろう。」

これは、
ある種のマインドフルネスで、
人が、はじめのうち、
新鮮に体験する領域と、
近いものでもあります。

ちなみに、ここで、
「合意的意識」と呼ばれているのは、
既成の社会の集合的合意によって、
催眠をかけられている、
普段の私たちの日常意識のことです。
「合意的トランス」とも、
呼ばれたりしています。

催眠の専門家でもあるタート博士は、
グルジェフと同じように、
私たちの日常意識とは、
社会集団が、成員に押しつけたい、
合意的な信念(ビリーフ)によって、
催眠をかけられている状態であると、
喝破しているのです。

そして、
その催眠を解くには、
自己が同一化している、
さまざまな自動的な自我状態に、
刻々気づく、自己想起の状態が、
必要であるとしているわけです。

自己想起が育つことで、
私たちは、
自分の自動化に気づき、
そのパターンを中断し、
より意識的な統合を、
なしていくことが、
できるわけなのです。


◆自己想起の構造・原理・効能

さて、そのような、
私たちの催眠にかけられた、
複数の自我状態(副人格)と、
自己想起self-rememberingの、
構造的関係を、
次に見てみましょう。

ゲシュタルト療法における、
気づきawarenessと、
複数の自我を扱う、
ワーク(セッション)のアプローチと、
大変近いことが分かると思います。

「基本的に、自己想起は、
とりわけ、任意のいずれかの時の
あなたの意識の特定の中身と同一化せず、
あなたの全体性の跡を
つけていくことができる、
そういう意識の一側面を
創り出すことを伴う。
それは、合意的トランスからの
部分的ないし完全な覚醒である。」

また、
「自己観察」と対比しつつ、
自己想起の特性を、
以下のように述べます。

「自己想起でも
同じ内容の世界および体験を
観察することができるが、しかし
観察のレベルまたは源泉が異なる。
注意を分割し、それによって、
両腕両脚中の感覚のような何か他のものに
同時に注意を留めながら、
通常よりもずっとよく観察いられるようにすべく
行使される意図的な意志は、
普通の心の外側のレベルで作用する機能を
創り出す。
あなたは起こりつつあることに心を奪われない。
あなたが―
『独立して』という用語が
通常用いられているよりも
はるかに大きな意味で―
独立して存在する、
そういう仕方があるのだ。」
(前掲書)

ここでも、
「普通の心の外側のレベルで作用する機能」
「あなたは起こりつつあることに心を奪われない」
「独立して存在する」
と、自己想起のつくる、
心的機能の新しい支点(中心)が、
私たちの自動化を超克する機能として、
指摘されています。

「自己想起とは、
われわれの分離した諸機能を
より統一された全体へと
まとめ上げることをさす用語である。
それは、
あなたという存在の(理想的には)全体、
あるいは、少なくとも
その全体のいくつかの側面が、
意識の詳細と同時に
心に留められるような仕方での、
意識の意図的な拡大を伴う。
それは、
われわれの知的な知識はもちろん、
われわれの身体、われわれの本能、われわれの感情を
想起することであり、
それによって
われわれの三つの脳の発達と機能の統合を
促進するのである。
このより広い範囲に及ぶ注意は、
われわれが体験の詳細に熱中し、
それらの詳細および
そのような熱中に伴う
自動化した機能と
同一化することを防いでくれる。
通常の自動化した同一化と
条件づけのパターンの外側に
意図的な意識の中心を
創り出すことによって、
われわれは、より多く目覚め、
より少なくトランス状態に陥っている自己―
主人のための土台―
を創り出すことができ、
それによって
われわれはより良く自分自身を知り、
より効果的に機能することが
できるのである。」
(前掲書)

さて、
ここでは、
自己想起の狙いでもある、
「意識の意図的な拡大」が、
指摘されています。

私たちは、
そのような意識の拡張を通して、
分裂と自動化を超え、
より統合した存在に、
近づいていくのです。

このような構造にも、
ゲシュタルト療法や、
当スペースが記している、
方法論との共通点が、
うかがえるかと思います。

実際、ゲシュタルト療法に、
グルジェフの観点を持ち込むことは、
大変、益の大きなことなのです。

また、
このような構造的連関で見ていくと、
気づきawarenessと言われている状態に、
自己想起self-rememberingと同じく、
どのような強度が無ければならないのか、という、

前段(冒頭)の論点も、
より見えやすくなって来るのです。

そのような意味でも、
この自己想起self-rememberingの視点は、
気づきawarenessを考える上でも、
大変、参考になるものとも、
なっているのです。

また、興味深いことは、
グルジェフ自身は、
この自己想起の成長の先に、
「客観意識」という、
次の状態があることも、
示唆しているという点です。

自己想起は、
まだまだ不安定な状態ですが、
それが確固として、
安定した状態があるとしているのです。

そのような観点(考え)も、
本書で扱っている、
意識の階層構造の仮説と、
通ずるものがあり、
意識の海図を構成する上での、
また、実践を進める上での、
興味深いヒントと、なるものなのです。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。





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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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アイデンティティの極致としての至高体験

さて、前回、
自己実現に影響する、
至高体験peak-experienceの
さまざまな特性について、
見てみました。
「至高経験」の効能と、自己実現

今回は、
アイデンティティ(自己同一性)の、
極致として現れる、
至高体験の姿について、
見てみたいと思います。

通常、私たちは、
「自分とは、誰であるのか」と、
自己の存在/体験について、
つねに、確信と不確信の間を、
揺れ動いています。

それは、
私たちの日常意識や自我が、
構造的に持っている不十分さを、
反映しているためと、
考えられます。

しかし、
至高体験(至高経験)peak-experienceにおいては、
その構造的欠陥が、
いっとき、消し去られます。

マズローは述べています。

「人びとが至高経験におかれているとき、
最も同一性identityを経験し、
現実の自己に近づいており、
最も個有の状態である
というのがわたくしの感じなので、
これは純粋、無垢のデータを提供してくれる
とくに重要な源泉であると思われるのである。」
(『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

それらを描写する、
マズローの言葉を、
いくつかまた、
拾っていってみましょう。

「至高経験にある人は、
他の場合以上に精神の統一
(合一、全体、一体)を感ずる。
かれはまた(観察者から見ても)
いろいろのかたちで
(以下に述べるように)
一段と統合しているようにみえる。
たとえば、分離分裂が少なく、
自分に対して闘うことよりも
むしろ平和な状態にあり、
経験する自己と
観る自己との間にずれが少なく、
かれのすべての部分的機能が
たがいに巧妙に、
齟齬なく体制化せられ、
それが集中的、調和的、効率的である、など。
以下、統合および
その基礎となる条件について、
違った観点から述べてゆきたい。」

「かれが一段と純粋で
単一の存在になるにつれ、
世界と渾然一体と
深くつながることができるようになり、
以前には自己でないものとも
融合するようになる。
たとえば、愛人は、
たがいに緊密になって、
二人の人間というよりはむしろ一体となり、
我―汝の一元論は可能になり、
創造者は創造している作品と一つになる。(中略)
つまり、同一性identity、自立性autonomy、
自我性selffoodの最高度の到達は、
同時にみずからそれ自体を超越し、
自己を超えてすすむのである。
その際、個人は
比較的無我になることができる。」

「至高経験における個人は、
普通、自分がその力の絶頂にいると
感じられるのであって、
すべてのかれの能力は、
最善かつ最高度に
発揮せられているのである。
ロジャーズはいみじくもいっている。
かれは『完全に機能するfull-functioning』のを感ずると。
かれは、他のときと比べて、
知性を感じ、認知力に優れ、
才気に富み、力強く、
好意的であることを感ずる。
かれは最善の状態にあり、
調子をかため、
最高の状態におかれている。(中略)
かれはもはや自分と闘い、
自分を抑えようとして
無駄な努力を重ねようとはしない。(中略)
普通の状態では、
われわれの能力の一部は行為に用いられ、
また一部は、この能力を抑えるために費やされる。
ところがいまや、
浪費するところがないのである。」
(前掲書)

ちなみに、
このような葛藤の消滅感などは、
ゲシュタルト療法のセッション後に
私たちが、しばしば感じる、
強烈な高揚感の、
重要な原理・構造的理由でもあるのです。

続けて、
彼の言葉を見ていくと…

「完全に機能するfull-functioningという状態を、
わずかばかり違った面から見ると、
人が最善の状態にあるときは、
労せずに容易にはたらくということである。
他日努力し、緊張し、苦闘したことがらも、
その場合、なんの努力も、骨折りも、
苦労もなしに
『おのずと生ずるcomes of itself 』のである。
それとともに、
すべてのことが『ぴったりとclicks 』と、
あるいは『整然is in the groove 』と、
あるいは『力いっぱい in overdrive 』に
おこなわれるとき、
よどみなく、易々と、労せずして、
完全にはたらく状態は、
往々優美感や洗練された外観を
呈するといっても
過言ではないのである。」

「ある人は、至高経験においては、
他の場合以上に、自分を
活動や認知の責任ある能動的、
創造的主体であると感ずるのである。
かれは、
(人に動かされたり、決定されたりする
無力で、依存的、受動的で、弱々しく、
隷属的であるよりは)
根本的に運動の主体であり、
自己決定者であると感ずる。
自分は自制して、
責任を完全にはたし、
断固とした決意と、
他の場合にみられないような
『自由な意志 free will 』でもって、
自己の運命を開拓している、
と感ずるのである。

「かれはいまや次の状態から
極めて自由な立場におかれている。
つまり、障害、抑制、
警戒心、恐怖、疑惑、
統制、遠慮、自己批判、制止である。」

「かれは自発的で、表現に富み、
天真爛漫に振舞う。
(悪意がなく、純朴で、正直、率直、
純真で、あどけなく、飾り気もなく、
開放的で、気どらない)
また自然で(単純で、滑脱、敏活で、
素直、誠実で、とり繕わず、
特定の意味からいっても素朴で、実直)
こだわりがなく、
自己を自由に表出する
(自動的で、直情的、反射的、
『本能的』で、天衣無縫、
自己意識がなく、虚心、無自覚)
のである。」

「かれは、したがって、
特定の意味からして『創造的』である。
かれの認識や行為は、
強い自信や確信に支えられて、
その本質が問題性をもった場面、
あるいは問題でない場面に対し、
『彼岸out there』の立場乃至要請から、(中略)
つくりあげてゆくことが
できるのである。(中略)
当意即妙、
無より生ずるもので、
予想できるものでなく、
新奇で斬新な、
陳腐でも通り一ぺんでもない、
教わることのない
非慣習的のものである。」

「このことはすべて、
独自性、個性、特異性の極致にある
ということができる。(中略)
至高経験の際には
ことさら純粋に異るのである。(中略)
至高経験においては、
かれらのひととなりは
一層顕著になるのである。」

「至高経験においては、
個人は最もいまここhere-nowの存在であり、
いろいろの意味からして、
過去や未来から最も自由であり、
経験に対して最も
『開かれているall there』。」

「いまや、人はより一段と
純粋に精神的なものとなり、
世界の法則のもとに生きる
世界内存在の意味は薄れるのである。
つまり、かれは相違があるかぎりでは、
非精神的な法則よりも、
精神内法則によって
決定される点が多くなるのである。」

「至高経験において、
人は動機をもたなくなる。
(あるいは欲しないようになる)
とりわけ、欠乏動機の見地から見て
そうである。
この同じ理論領域において、
最高の、最もまともな同一性identityを、
無為、無欲、無私として、換言すれば、
普通の欲求や衝動を超越したものとしてとらえても、
同様である。
かれはまさにかれである。
喜びは達せられたのであり、
喜びを求める努力は一時的な終わりを
とげているのである。」

「至高経験を伝える表現方法や伝達方法は、
詩的、神秘的、叙事詩的になりやすい。」

「すべての至高経験は、
デーヴィド・エム・レヴィの意味における
『行為の完了 completions-of-the-act 』として、
あるいはゲシタルト心理学者のいう閉鎖closureとして、
ライヒ学派の例でいえば、完全なるオーガズムの型として、
あるいはまた全体的解発、カタルシス、
カルミネーション、クライマックス、
成就、空虚、終結として、
効果的に理解できるかもしれない。」

「ある種の遊戯性は、
B価値をもっていると
わたくしは非常に強く感ずるのである。(中略)
重要なことは、それが至高経験に際して
最も多く報告されていることであり、
(人の内面からも、外界から見られるところからも)
また、報告している人以外の研究者によっても
見られることである。(中略)
このB遊戯性を述べることは非常にむずかしいが、
たしかになんらかの敵意を超えた、
宇宙的で神のような、
よいユーモアの特性をもつものである。
これは容易に、幸福の喜び、
みち溢れる陽気さ、
あるいは愉しさと呼ぶことができよう。」

「人びとは、至高経験の間およびその後で、
著しく幸福、幸運、恩寵を感ずる。
『わたくしは分不相応だ』というのが
珍しくない反応である。
至高経験は企図せられるものでも、
計画にしたがってもたらされるものでもでもない。
それらは偶然におこるものである。
われわれは
『喜びでもっておどろく surprise by joy 』
のである。
思いもよらないという不意の驚きの反応、
快よい『知ることのショック shock of recognition』は
非常に多いのである。」
(前掲書)


…………………………………………

さて、
アイデンティティの極致としての、
至高体験の姿について、
さまざまに見てみましたが、
この姿は、
個を超出する要素を持ち、
自己同一性(アイデンティティ)ということを、
考える中では、
ある意味、
両義的な要素ともなるわけです。

マズローは、
それを「逆説」と呼び、
以下のように語っています。

「同一性identityの目標とするところ
(自己実現、自立性、個性化、
ホルネイの現実自己、真実性等)は、
同時に、それ自体究極の目標であるとともに、
また、過渡的な目標、経路のならわし、
同一性identityの超越にいたる行路の一段階
であるように思われる。
このことは、
そのはたらきがそれ自体を消してゆく、
ということもできる。」

このような洞察が、
後に、マズローの研究を、
自己実現のテーマから、
自己超越のテーマへと、
移させたことがわかります。

つまり、
私たちは、
究極の自己を求めるがゆえに、
図らずも、
自己を失っていく(超え出ていく)
というプロセスを、
たどっていくことになるのです。

そして、しかし、
その結果、
自己を失う(超え出る)がゆえに、
私たちは、
再び、真の自己を発見(逢着)していく、
といったことにも、
なっていくわけなのです。

そして、その点が、
至高体験が、
私たちの自己同一性identityが持つ、
不確実感を、
克服する要素にも、
なっているわけなのです。

そして、
このあたりの事情は、
変性意識状態(ASC)をめぐる、
さまざまな体験領域においても、
同様に、
重要な問題となって来る事柄でも、
あるのです。

変性意識状態(ASC)においては、
私たちの見知った日常意識が、
さまざまに相対化されて(超え出られて)いくからです。

そのため、
心理変容と変性意識状態(ASC)を扱った、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においても、
これらの事柄は、
重要なテーマ(行きて帰りし旅)として、
焦点化されて来ることになったのでした。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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Abraham-Maslow


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「英雄の旅」とは
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「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル ジョン・C・リリーの冒険から

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
未知の階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究や、アイソレーション・タンクの開発者である、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
過去2回、検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量

今回は、第3弾として、
そのような心(意識)の階層構造の仮説として、
博士の著作『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)の中の、
「意識の振動レベル」という、
階層図式について、
取り上げてみたいと思います。

ところで、
意識の「振動レベル」とは、
リリー博士が、
南米の秘教的スクールであるアリカ研究所で、
創設者のオスカー・イチャーソから、
教示されたものです。
それを、博士が、
自己の体験と照合して、
自著の中で、
解説しているものとなります。

イチャーソ自身は、
スーフィー系、グルジェフ系の教えをもとに、
さまざまな思想をミックスさせて、
自分独自の訓練システムを編み出し、
アリカ・システムとして、
60年代に展開しはじめました。

ところで、
(ついでに記すと)
結果的に、
彼の思想の中で、
一番有名になり、
普及したものといえば、
今では、
性格タイプの分類体系として知られる、
「エニアグラム」でした。

これは、元々、
イチャーソのシステムの元では、
原分析(プロトアナリシス)と呼ばれており、
私たちの自我(エゴ)の偏向を正すために、
利用するツールでした。

「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有率でも、
触れたように、
アリカ研究所では、
自己(セルフ)の中における、
自我(エゴ)と、
本質(エッセンス)の占有率というものを、
重視したのでした。

そして、
自我(エゴ)の占有率が減れば減るほど、
その分、ノイズがなくなり、
私たちの内(外)なる、
本質(エッセンス)が輝き出る、
働くようになると考えていたようです。
これは、シャーマニズム的な見地からも、
ある意味、妥当だと思われます。

そのために、
サトリの妨げとなっている、
自我(エゴ)の歪みを正すことが、
本質(エッセンス)、つまり、
存在の肯定的状態をより得るために、
必要だったわけです。

そのために、
個人の自我(性格)の偏向を捉えるために、
原分析(プロトアナリシス)ということを、
行なっていたわけです。

この原分析(プロトアナリシス)が、
エニアグラムとして広まった理由は、
リリー博士の知り合いで、
同時期に、アリカ研究所で訓練を受けた、
(本書にも登場する)
精神科医クラウディオ・ナランホ博士が、
自分の元々の、
心理学的な性格分類研究と合わせて、
エニアグラムを、一部の人々に、
教授しはじめたことがきっかけでした。

ところで、性格分類は、
上記、訓練システムの一部のものなので、
教授した対象者にも、
決して口外しないようにと、
守秘義務の約定書などをとっていたようですが、
受講者が、勝手に流布し、
結果的に爆発的にひろまってしまったので、
ナランホ博士やイチャーソも、
状況を、追認せざるえなくなったのが、
実情のようです。

ところで、
チリ出身のナランホ博士は、
フリッツ・パールズ直弟子の、
ゲシュタルト療法家であり、
向精神性植物の研究や、
チベット密教、スーフィーの実践者としても、
知られている人物です。
ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢

さて、
話をもとに戻しますと、
「意識の振動レベル」とは、
そのオスカー・イチャーソが、
グルジェフ系のものとして、
提示している、
意識の階層モデルです。

それぞれの、
高低の階層を、
振動レベルの違いと呼んで、
数字で区分けしています。

(意識の振動レベルなどというと、
何か仰々しい感じがしますが、
あまり気にせず、
変性意識状態(ASC)の質性の違い程度に、
とらえておいて、
問題ないと思われます)

そして、
各振動レベルによる、
各意識状態があり、
私たちの通常の意識状態から、
移行する形で、
それら高次、もしくは低次とされた、
意識状態に、移っていくというわけです。

高次のレベルへの移行が、
攻殻機動隊のセリフにいう、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
状態であるわけです。

また当然、同時に、
複数の振動レベルを持つことも可能であり、
リリー博士は、
日常生活(地上生活)における、
ひとつの統合状態として、
そのようなものを目指して、
努力していくこととなります。

リリー博士は、
それらの各意識状態を、
アリカに倣って、象徴的表現を交えつつ、
以下のように記しています。

「振動レベル48」が、
ニュートラルな状態で、
より肯定的なプラスの状態と、
より否定的なマイナスの状態に、
上下対称的に、
分かれています。

①振動レベル+3
 古典的なサトリ。救世主になる。宇宙的な心との融合。神との合一。

②振動レベル+6
 仏陀になる。意識、エネルギー、光、愛の点―源。
 透視の旅。透聴の旅。頭の心的センター。

③振動レベル+12
 至福状態。キリストになる。宇宙的愛。宇宙的エネルギー。
 高められた身体的自覚。身体的意識と地球意識の最高の働き。
 胸にある感情センター。

④振動レベル+24
 専門家的サトリあるいは基本的サトリのレベル。
 必要なプログラムのすべてが生命コンピュータの無意識内にあり、
 円滑に機能している状態。下腹部の運動センター。

⑤振動レベル48
 中立的な生命コンピュータの状態。新しい観念の吸収と伝達の状態。
 肯定的で否定的でもない中立的な状態で、
 教えることや学ぶことを最大限に促進すること。
 地上。

⑥振動レベル-24
 否定的状態。苦痛。罪の意識。恐怖。
 しなければならないことを、苦痛、罪の意識、恐怖の状態ですること。

⑦振動レベル-12
 極端に否定的な身体的状態。人はまだ身体内にいるが、
 意識は委縮し、禁じられ、自覚は苦痛を感じるためにのみ存在する。

⑧振動レベル-6
 極端に否定的であるということを除けば、+6に似ている。
 煉獄に似た状況で、人は意識やエネルギーの点―源にしかすぎなくなる。

⑨振動レベル-3
 宇宙らに遍在する他の実体に融合するという点では+3に似ているが、
 それらは最悪である。自己は悪で、意味をもたない。
 これは悪の典型であり、想像しうる最深部の地獄である。
 (リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)


さて、
リリー博士は、本の中で、
過去のさまざまな変性意識状態(LSD体験等)を、
これらの各振動レベルでの体験として、
割り付けていきます。

そして、
自己の探求の足取りを、
各意識の振動レベルの、
さまざまな体験として、
整理していくのです。

そして、
アリカでの、
実際のトレーニングの中で、
意識の各振動レベルを、
上昇していく様子が、
(上部構造にシフトする様子が)
具体的な風景描写として、
描かれていくこととなります。

また、
さまざまな意識の振動レベルが、
同時的に働いていく様子も、
実際的に、
細かく描かれていくこととなるのです。

その結果、
本書における、
これらの記述は、
実際に、
さまざまな変性意識状態(ASC)を体験し、
それらをどう位置づけたらよいか、
苦慮している人々にとって、
大変参考となるものに、
なっていったのです。

…………………

さて、以上、
リリー博士による、
「意識の振動レベル」について、
概観してみましたが、
博士の実体験として、
本の中で描いている、
各種の変性意識状態(拡張された意識状態)は、
他の精神的探求の伝統に見られる、
さまざまな体系と呼応して、
大変興味深い記録とも、
なっているのです。

そして、また、
これらが、
具体的な方法論の描写を伴う、
(科学者の)実験レポートのような体裁になっている点が、
本書を資料的にも、
より貴重なものにしているともいえます。

この手の体験領域を、
記述しているものの多くは、
前提として、
任意の価値観や思想を、
はじめから含んでいるものが多く、
結果として、
探求としての中立性(明晰性)に、
曇りや歪みが、
生じてしまっているからです。

そして、実際のところ、
本書での図式は、
世界中の、
各種の風変わりな、
変性意識状態(ASC)の事例や、
意識拡張的な事例を、
分析・検討していくに際しても、
さまざまに役立っていくものでも、
あるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
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ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

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「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量 ジョン・C・リリーの冒険から

 

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究者、アイソレーション・タンクの開発者であり、
映画『アルタード・ステーツ』のモデルにもなった科学者、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

今回は、その続編として、
博士の探求事例の中の、
興味深い点をもう少し、
細かく見てみたいと思います。

ところで、リリー博士は、
純然たる科学者であり、
そもそもは、神経生理学の研究から、
意識の研究をはじめました。

私たちの「脳」や「意識」というのは、
一切の知覚・感覚を遮断しても、
(外部情報の入力なしに)
自律的に、存在するものなのだろうか、
というような切り口から、
意識の研究をはじめたわけです。

博士の当初の考え(仮説)では、
脳のソフトウェアでしかない意識などは
外部情報の入力なしには、
独立存在しないだろう、
ということだったわけです。
その実験のために作ったのが、
アイソレーション・タンクだったわけです。
そこから、
イルカの研究にもつながっていくわけです。

ところが、
さまざまな実験を繰り返す中で、
感覚情報なしにも、
意識は存在することや、
加えて、
感覚遮断した意識状態に、
興味深い現象が現れることに、
気づいていくこととなったのです。

もともと、博士は、
精神分析の訓練などは、
受けていたわけですが、
さらに、当時発見され、
精神医学の領域で使われはじめていた、
LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を用いて、
意識についての解明を、
試みることにしたわけです。

さて、
そのような博士の著作に、
『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)という、
自伝的な体裁をとった本があります。

博士自身が、
結論部分で、最終的な解答を見出してないと、
言っているように、
探求の途中経過と、素材として仮説を、
年代記風に示した著作です。

ところで、その本(や前著)の中に、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」と、
名付けられた図式があります。

人間の生命システムが、
どういうプログラミングの、
階層構造になっているかを、
示したものです。

上位にあるものが、その下位にあるものを、
プログラミングし、
制御しているという構造です。

10―未知なるもの
9 ―本質のメタプログラミング
8 ―自己のメタプログラミング
7 ―自我のメタプログラミング
6 ―(制御システムとは関係のない)メタプログラミング全般
5 ―プログラミング
4 ―脳の諸活動
3 ―物質的構造としての脳
2 ―物質的構造としての身体
1 ―(身体と脳を含む)すべての側面をもった外的現実
(リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)

「自我(エゴ)のメタプログラミング」あたりが、
通常の私たちの日常意識のレベル、
つまり、諸々のつまらないことに囚われ、
翻弄されている、普段のレベルとなっています。

「自己(セルフ)のメタプログラミング」は、
高度な気づきAwarenessの状態や、
統合の水準であり、
下位のものが統制され(妨げられることなく)、
自己の全体が、
滑らかに作動している状態とされています。

「本質(エッセンス)のメタプログラミング」は、
さらなる上部構造システムの働きです。
「本質とは、人間、個人、身体、生命コンピュータに適用される、
宇宙的法則の最高の表現である」(前掲書)
仮説として、
抽象的に置かれた(措定された)ものといえますが、
博士自身によると、
LSD実験による、体験と検証の中で、
仮定されたものとなっています。
最上位の階層が、
「未知のなるもの」となっているのは、
そのような意味合いからでしょう。

ところで、
『意識(サイクロン)の中心』において、
多くの紙数を占める、
スーフィー的スクール(アリカ研究所)の訓練体験の中では、
このような階層構造を、
上がって(上昇して)いく様子が、
さまざまに描かれています。
化学的なグラフでも示されています。

そこにおいては、
「自己(セルフ)」の中における、
「自我(エゴ)」の含有量が減っていくと、
反対に「本質(エッセンス)」の含有量が増えていくと、
描写されています。

ノイズが減り、
純粋な自発性が、
輝くように現れて来るわけです。
それは、
素晴らしく肯定的な状態、
ハイな意識状態(エクスタシィ)として、
描かれています。

一方、
「自己(セルフ)」において、
「自我(エゴ)」の含有量が増えていくと、
ノイズや落ち込みが増え、
「本質(エッセンス)」の含有量が、
無くなってしまうものとして、
描かれています。

苦痛や葛藤の多い、
ローな状態に、
なってしまうわけです。

さて、
ところで、上に見た、
含有量の構造などは、
実は、
心理療法(ゲシュタルト療法)の世界においても、
同様に、普通に見られる現象だとも、
いえるのです。

ゲシュタルト療法においても、
セッションを数多くこなす中で、
自我の分裂や葛藤が減り、
自己が、より全体性として、
働く感覚が生まれて来ると、
自己の奥底にある、
より自由で、自発的な自己(オーセンティック・セルフ)が、
生きられるようになる、
という構造です。

そして、
私たちは、
より肯定的な意識状態に、
長く留まれるようになる、
という事態(構造)です。

そして、
それはまた、
シャーマニズムにおいて言われることと、
同様の事柄でもあるのです。

シャーマンが、
自我の詰り(ノイズ)を取り去り、
自己をパイプのように
空洞にすればするほど、
未知のメディスン・パワーがそこを流れ、
働きやすくなるという構造と、
似通ったものなのです。

それは、聖なる息吹に充ちた、
パワフルな状態であるというわけです。
そのために、
シャーマンにおいては、
戦士的な空無の状態であることを、
重視することとなっているわけです。

そして、
それはまた、
元ネタの、攻殻機動隊にならって、
新約聖書を引用するとするならば、
ガラテヤ書にある、
パウロの言葉、
「最早われ生くるにあらず、
キリスト我が内に在りて生くるなり」
(生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである)
という体験領域なども、
聖霊に満たされた信徒たちと同様、
「本質」の含有量の、
極めつけに高まった状態だと、
類推することもできるわけなのです。


このように、
興味深いことに、
数々の事例から知られることは、
自己が「全体として」働けば働くほど、
やがて、そこから、
自己を超えた要素が、
「本質(エッセンス)」的な要素が、
フロー体験のように現れて来る、
ということでもあるのです。

リリー博士の、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」は、
そのように、
さまざまな視点とも響きあう、
普遍的な構造を持った図式として、
参考になるものでもあるのです。


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カスタネダと「世界を止める」

さて、別のところで、攻殻機動隊に出て来る「疑似体験の迷路」という言葉を素材に、私たちの日常的現実について考えてみました。
映画『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系

そして、私たちの日常的現実や日常意識も、疑似体験の迷路とそんなに違うものでもないということについて考察を行ないました。
加えて、そのような日常意識の中身を見抜くのに、変性意識状態(ASC)からの視線が有効であることについても見てみました。
さて、今回はそのような疑似体験の迷路としての日常意識に、介入するためのより身近な視点について考えてみたいと思います。

◆カスタネダと「世界を止める」

カルロス・カスタネダといえば、人類学者として出発し、インディアンのシャーマンに弟子入りすることで、そのサイケデリックな世界観を内側から報告する特異な作家として有名になりました。

その後、作品の語り口は、さまざまに変貌し、途中からは南米の古代的なシャーマニズムやその独特の世界観(や方法論)を伝える作家となりました。

カスタネダの師匠であったドン・ファンの実在性そのものが創作であると疑われているように、カスタネダの語っていることが、本当に伝統的なシャーマニズムのものであるか否かは分かりません(本人は、事実であると明言していますが)。

ところで、そのようなカスタネダの有名になった言葉のひとつに「世界を止める stop the world」という言葉があります。
私たちの「世界」とは、私たちの「内的なおしゃべり」「内的な対話」によって作り出されているという事柄に由来する言い回しです。

私たちは、いつもいつも「世界とは、こういうものだ」「世界とは、かくかくしかじかのものだ」と、自分自身に向かって言い聞かせることで、この「世界」を維持しているとカスタネダ(ドン・ファン)は指摘するわけです。
そして、その内的対話を止め、世界を止めるということが、真のリアリティへの道であるというわけなのです。

この内的対話は、信念体系(ビリーフ・システム)の働きとも連動して、私たちの知覚・認知する世界を保持しているのです。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

「その点に関するドン・ファンの説明はこうだった。われわれはみずからに語りかけることによって、世界にたいする自分の知覚を強化し、それをある一定レベルの効率と機能に保っておけるのである。『全人類が、内的対話によって確固たるレベルの機能と効率を保っているのだよ』いつだったか彼が私にいったことがある。『内的対話は、集合点を全人類が共有する一点へ固定しておくための鍵なのだ。その一点とは、肩甲骨の広さの、腕をいっぱいに背後へ伸ばしたところにある。内的対話とは正反対のもの、すなわち″内的沈黙″を達成することによって、実践者は集合点の固定した状態を打破することができ、知覚の驚くべき流動性を獲得することができるのだ」カスタネダ『呪術の実践』(結城山和夫訳、二見書房)

ここでは、「集合点」という知覚を編集するエネルギー・ポイントが言及されていますが、この興味深い内容については、別の機会に譲りましょう。
この集合点云々の説明を抜きにしても(また暗喩としてとらえたとしても)、ここで語られている事態の意味合いや妥当性は理解されるかと思われます。
私たちが、内的対話を続けることで、世界体験を反復的に自己産出しつづけていることは明らかなことと思われるのです。

私たちの内面を冷静に振り返ってみても、自分がいつもいつも自分の中でおしゃべりをし続けている(止められない)ことに気づかれるかと思います。
私たちは、このようなおしゃべりを止められないのです。
このような、おしゃべり自体が、その偏向的な性格によって、自動的に反復されている「疑似体験の迷路」ともいえるものなのです。

当スペースのような変性意識状態(ASC)を軸とした視点からいうと、特に現代社会では、私たちは、通常価値観の
「日常意識」の「疑似体験の迷路」の中に閉じ込められています。
現代社会では、それだけが「現実」であると、洗脳的に教え込まれているからです。

たとえば、変性意識状態(ASC)を利用して、「日常意識」を相対化することで、これらの内的対話を止めることもできるのです。
そのことで、私たちはそのようなフィルタリングに妨げられることなく、「より直接的な世界」というものを体験していくことができることにもなるのです。
その世界とは、おしゃべりに曇らされることなく、生き生きと陽光にみちたエネルギーのまばゆく流動する世界、より色鮮やかな世界であるのです。

 

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映画『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系


さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
「ゴーストの変性意識状態(ASC)」と題して、
私たちの心の持つ、
階層構造やその可能性について、
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

また、そのような、
心の階層構造の可能性についても、
別に、ジョン・C・リリー博士の事例などとともに、
考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、他にも、NLPの、
ニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)などを素材に、
私たちの持つ、
「信念体系(ビリーフ・システム)」の影響範囲について、
考えてみました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

さて、今回は、
そのような事柄と関連して、
『攻殻機動隊』の続編、
映画『イノセンス』を素材に、
心や変性意識状態(ASC)が持つ、
さまざまな可能性や能力について、
考えてみたいと思います。


さて、
映画のストーリーは、
前作の後日談となっています。

人形使いのゴーストGhostと融合して、
「上部構造にシフト」してしまった、
草薙素子(少佐)は失踪扱い、
前作で、一番身近にいて、
素子の最後の義体まで用意した、
相棒のバトーが、
今作では、主人公となっています。

そのバトーが、
ネットに遍在するかのような、
(元)少佐のゴーストと、
交流する姿を描くのが、
本作となっています。

ところで、本作ですが、
事故や殺人事件を起こす、
ガイノイド(人形)の謎を、
捜査で追っていくのが、
メインの筋書きとなっています。

さて、
そのような捜査の中で、
バトーや、相棒のトグサは、
ガイノイド製造元のロクス・ソルス社より、
(雇われた傭兵のキムより)
ゴーストハックによる捜査妨害を、
受けます。

つまり、
心Ghostを、
ハッキングされ(侵入、乗っ取られ)、
疑似体験を、
させられてしまうのです。

そのせいにより、
バトーは、
コンビニで、銃を乱射したり、
ドグサは、
フィリップ・K・ディックの小説のような、
現実だか、幻覚だか分からないような、
テープ・ループのような反復体験に、
巻き込まれていくことになるのです。

映画の中で、
バトーは、トグサに、
その体験を説明するために、
「疑似体験の迷路」
という言葉を、使いました。


◆疑似体験の迷路

さて、ところで、
映画の中では、
キムの、ゴーストハックによる、
疑似体験の注入であったため、
それが「疑似」体験であると、
いえるわけですが、
では、
この私たちの現実体験とは、
どのように、
なっているのでしょうか?

映画の中では、
疑似体験と対比的に、
物理現実という言葉が、
使われています。

物理現実であれば、
疑似体験ではないということです。

ところで、以前、
映画『マトリックス』を素材に、
考えてみたところで、
私たちの、
この日常的現実が、
マトリックスの作り出す、
幻想世界と、
さほど違っているわけではないこと、
について記しました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

私たちは、
成育過程の中で得た、
さまざまな信念体系や、
知覚的拘束の中で、
この世界を見ている(見させられている)、
というわけです。

そのように考えると、
私たちが、
「物理的現実」と呼び、
唯一の実在性を、信じたい知覚世界も、
必ずしも疑似体験ではないと、
言い切れるわけではないのです。

というよりも、
この日常的現実も、
その構成成分の多くが、
疑似体験である、
と考えた方が、良いのです。


◆信念体系と疑似体験の迷路

さて、NLPの、
ニューロロジカルレベル(神経論理レベル)
について見たところで、
その信念体系(ビリーフ・システム)が、
非常に高い階層に属しており、
私たちの現実を創り出す、
大きな要因と、
なっていることを見ました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

このモデルの妥当性は、
保留したとしても、
信念体系(ビリーフ・システム)が、
私たちの日常意識や、
日常的現実を生み出す、
決定的な要因であることは、
間違いないことです。

そのような、
信念体系のフレームの中で、
私たちは、
オートポイエーシス的に、
日常的現実を、
意識の内に、
自己産出し続けているのです。

場合によって、
人は、一生を、
疑似体験の迷路の中で、
過ごすと言ってもいいのです。

そして、
この疑似体験に気づくためには、
システム的に、
この疑似体験自体を、
相対化する要素が、
必要となって来るわけなのです。


◆守護天使(聖霊)の階層

さて、
映画の中では、
バトーが、
ゴーストハック攻撃を受けている時に、
(元)少佐、草薙素子が、
さまざまな合図を送ってくれます。

今している体験が、
疑似体験の罠であることを、
知らせてくれるのです。

コンビニにおけるシーンでは、
バトーは、
スルーしてしまったわけですが、
「キルゾーンに踏み込んでるわよ」
と、はっきりと、
メッセージをくれています。

つまり、
日常意識よりも、
高い階層にいる少佐は、
疑似体験に占拠されている日常意識を、
見抜き、透視することが、
できるわけなのです。

のちに、バトーは、
キムとの会話の中で、
「俺には、守護天使がついている」と、
発言しています。

キムは、
自分が組み上げた防壁の中に、
何者かが、
書き込みを入れているのを見て、
驚くわけです。
彼の考えでは、
そんな芸当ができる人間など、
想像できないわけです。

また、
ロクス・ソルス社艦内の、
戦闘シーンで、
ガイノイドに、ロードして、
バトーの救援に現れた、
少佐に対して、
バトーは、
「聖霊は現れ給えり」
と表現したわけです。

比喩としても、
バトーやキムよりも、
高い階層にいる(元)少佐の在り様が、
暗示されているわけです。

しかしながら、
このような上部階層の心(意識)は、
必ずしも、
守護天使や聖霊でなくとも、
私たちの心のシステム自体として、
存在していると、
考えてもよいのです。

本サイトや、拙著でも、
さまざまに記していますが、
世界中の変性意識状態(ASC)の報告は、
そのような可能性を、
示唆してもいるのです。
内容紹介 拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

それは、
何らかのきっかけをもって作動し、
私たちを、
疑似体験の迷路の外に、
連れ出してくれるのです。
その風景を、
見せてくれるのです。

そして、
私たちが、現代社会の、
閉塞したキルゾーンの中にいることを、
教えてくれるのです。

私たちは、
変性意識状態(ASC)への旅や、
その世界との往還を、
数多く繰り返し、
学習していくことで、
そのような意識の帯域(往還コース)を、
拡張していくことが、
できるのです。

そして、
これはまた、
多くのシャーマニズムの伝統が、
行なって来たことでも、
あるのです。



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「セッション(ワーク)の実際」

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「英雄の旅」とは
体験的心理療法
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ホドロフスキー氏とサイコマジック/サイコシャーマニズム

◆知らされた消息

 その昔、アレハンドロ・ホドロフスキー監督といえば、ジョン・レノンが惚れ込んだ『エル・トポ』やその後の『ホーリー・マウンテン』などのカルト・ムービーの映画監督として有名でした。

 その後は『サンタ・サングレ』など、わずかな作品の紹介はありましたが、長くその消息を耳にすることもなく、彼が活動しているのかしていないのかさえ分からない状況でもありました(昨今では、その映画をはじめ、多彩な活動が日本でも知られる状態となっており、昔日の状況を思うと少し不思議な気持ちにさせられます)。

 さて、そのように長く知られない状態があったため、自伝として突然届けられた『リアリティのダンス』(青木 健史訳/文遊社)は、ホドロフスキー氏のその間の消息を伝えてくれる貴重なドキュメントとなっていたわけです。

 そして、その内容は、『エル・トポ』以前も以後も、彼が実に濃密で精力的な活動を生涯の探求として推し進めていたことを知らせてくれるものでもあったのです。

 

◆サイコマジックとサイコシャーマニズム

 さて、その自伝的な内容ですが、シュルレアリスム(超現実主義)やアラバールのパニック演劇との関係などアート系の活動は、比較的予想がつく範囲内での内容であったわけですが、その延長・周辺でさまざまな精神的探求の活動も同時に推し進めていたというのは、驚きでもあり納得的な事柄でもありました。(『サンタ・サングレ』は心理療法的な物語でした)

 そして、本書は、(本物らしき?)カルロス・カスタネダやアリカ研究所のオスカー・イチャーソなど、その関係での人々との交流やその体験描写もとても興味深い内容となっていたのでした。

 中でも、多くの紙数を割いている、サイコマジック、サイコシャーマニズム関連の記述は、その内容の具体性からも方法論的な見地からも大変貴重なドキュメントとなっているものです。
 当スペースのように、心理療法や変性意識状態(ASC)シャーマニズムや創造性開発を方法論的なテーマにしている者にとっては特にそうであったわけです。
 ところで、彼のいうシャーマニズムとは、いわば「本物に近いシャーマニズム」です。
 通常、現代社会の中でシャーマニズムという言葉が、方法論的な概念として使われる場合(当スペースなどもそうですが)、多くは、その構造的なモデルを比喩的に呼ぶために使われているものです。
 変性意識状態(ASC)を含んだ意識の拡張範囲や可動域、潜在意識の力動性、心理的変容を描くのに、伝統的なシャーマニズムのモデルがとても有効に働くという見地からです。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 それは、必ずしも伝統社会のシャーマニズムのように、まるごとの信念体系(世界観)として使われているわけではないのです。
 そのような意味では、ホドロフスキー氏のシャーマニズムは、方法論的に、より本物のシャーマニズムにスタンスともなっているわけです。
 そこでは、肉体的な病気の治療に見られるように、精神(潜在意識の力動性)が、肉体物質の情報を書き換える力を持つことを、もしくはその区分が無い領域を前提としているものでもあるからです。
 まさに、マジック・リアリズム(魔術的現実主義)なわけです。
 そして、もし、ホドロフスキー氏の施術を事実として受け止めるならば、私たちは、物質や精神についての近代的な世界観(メインストリームでの区分)を考え直さなければならないというわけなのです。(しかし、現場的な実感からすれば、事態はまったくそのようなことでもあるのです)

 そのような意味においても、本の中では、施術のディテールを詳細に記してくれているので、その点でも非常に参考となるものになっているわけです。
 そして、その評価については、各人がさまざまな実践や実経験を通して、検証していくしかないものとなっているのです。
 これらの事象を、人々が盲信している近代的な世界観や先入観によって、ありえないこととして裁くことは無意味なことです。
 実際、筆者自身は、自分のさまざまな変性意識状態による変容は、クライアントの方に起こる不思議な変容経験からも、これらの現象は、まったく違和感なく受け取れるともいえます。また、その原理的な面にも照明が当てられており、大変ありがたく感じることでもあるのです。

◆心と信念の影響範囲

 さて、この最後の点(世界観)について、身近な例を挙げれば、以前取り上げた、NLP(神経言語プログラミング)の神経論理レベルの中における、信念(ビリーフ)などとも関係して来る事柄といえます。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

 ディルツ氏の考えた「神経論理レベル」においては、「信念」という階層が実現可能性(できる)の上に位置しています。

 このこと(世界観)は、通常、人は信念の内あることのみを実現できるということを意味しているわけです。信念体系が、人のリアリティの範囲を確定しているという原理構造です。NLPでは、この信念体験を書き換える作業を行なうというのですが、残念ながら(実際のところ)、深層レベルまでのプログラムの書き換えを実現できる威力はNLPにはありません。

 ところが、(筆者の現場実践にもとづく直観ですが)ホドロフスキー氏の施術では、それを実現できる可能性があるのです。それは、ホドロフスキー氏が「潜在意識(無意識)の力動性」とそのパワーを、感覚的に(芸術的な造形感覚で)しっかりとつかんでいるからです。 その点が、彼のサイコマジックやサイコシャーマニズムの素晴らしい点であり、尽きせぬ霊感を与えてくれる点なのです。

 ところで、ホドロフスキー氏のサイコ・マジックを原案にし、彼自身も出演した映画『Ritual(邦題ホドロフスキーのサイコマジック・ストーリー)』では、主人公が癒しのために受ける儀式(施術)に対して、恋人の男がしきりに「信じるな」と連呼します。彼の世界観では、魔女のような施術者が行なう儀式などは迷信以外の何ものでもないというところなのでしょう。そして、映画の最後は、主人公の儀式(施術)を妨害して台無しにした結果、その恋人が主人公に殺されてしまうという結末となっています(本当は、この施術の結果として主人公の苦痛と妄念は取り除かれるはずたったのです)。
 つまり、恋人の男は「信じない」ことによって、自らの命を落としたともいえるでしょう。
 では逆に、彼が信じていた世界とは果たしてどのような世界だったのでしょう。主人公や施術者が信じる世界より彩り豊かな世界だったのでしょうか…

 さて、ホドロフスキー氏の作品や活動は、この他にも非常に多岐に渡っていますが、そのどれもが、現代社会を覆う私たちの制限的な信念(リミティング・ビリーフ)を超えた、生や現実の豊かさを教えてくれるものとなっているのです。
 そのような意味において、ホドロフスキー氏の世界は、現代では数少ない本物のマジック・リアリズム(魔術的現実主義)となっているわけなのです。

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流通と集中

◆統御され、集中されたエネルギー

さて、
ネイティブ・アメリカンの、
メディスン・マン(シャーマン)は、
自分たちのことを、
しばしば、パイプに喩えます。

自分たちは、
通り道であり、
その中を通って、
異界の精霊的な力に働いてもらう、
という意味合いからです。

こちら側の世界と、
向こう側の世界とをつなぐ、
パイプ(役)というわけです。

そして、
メディスン(不思議の力)とは、
自分の力で、
何か行なうものではなく、
聖なる何ものかによって、
働いて来る力である、
ということなのです。

そして、  
その力に働いてもらうためには、
自己の心身が浄められ、
澄んでいて、
鞘のように堅固な空洞、
パイプのようでなければならない、
というわけなのです。

そのため、
彼らは、聖なるパイプを持ち、
そのことに絶えず、
思いを巡らせているわけなのです。

ところで、
このような知見は、
変性意識状態(ASC)と、
それに関係するエネルギーや、
精神集中を扱う際に、
大変、参考となる考え方なのです。


◆フォーカスとフロー体験

例えば、
特異な集中力状態である、
フロー体験においては、
私たちは、
その行為を為し、統御しているのが、
あたかも自分ではないかのような、
奇妙な感覚を持ちます。

自意識ではない、
エネルギーの流れの内に、
行動が統御されていくのです。
そして、
普段では、行なえないような、
高いレベルでのパフォーマンスが、
達成されるのです。

それは、ある意味では、
私たちの内にある、
高い階層のシステムが、
作動した結果であるとも、
いえるのかも知れません。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

「自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が
肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

また、その瞬間においては、
ひとつのベクトルのように、
目的へのフォーカスによって、
エネルギーが集中されているわけですが、
その体験の内側において、
意識は澄みきり、
まるで拡大するかのように、
行為の全存在に、
透過しているのです。

まさに、
目的に向かう中において、
パイプのように、
澄み切った空洞があり、
その堅固な通り道の中を、
強度のエネルギーが、
貫いていくかのようです。

行為の主体として重要なことは、
自意識で、
あれこれ行動操作しようとすることではなく、
パイプのような空洞として、
ある種の無心の中で、
エネルギーと情報の自発的な流れが、
自由に活動展開できる場を、
貸し与えていく、
ということなのです。

そして、その際には、
安定した、
堅固な空洞であることが、
何よりも、必要なことなのです。
場の枠組みが、
フラフラしていては、
膨大かつ強力なエネルギーを、
流すことはできないからです。

堅固なベクトル的なパイプになり、
かつ、無心のままに、
目的にフォーカスしていることが、
必要なわけです。
それが、
シャーマンにおける、
戦士的なあり様の、
ひとつの重要な側面なのです。

そのような取り組みの枠組みによって、
フロー体験的な集中力や、
それによる、
創造性豊かなアウトプットというものを、
産み出していくことができるのです。


◆夢見の技法 儀式・フォーカス・変性意識

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においては、
「夢見の技法」と題して、
フロー体験のような精神集中や、
意識の均衡状態をつくり出すことで、
私たちの内側から、
豊かな創造性を引き出す技法について、
さまざまに検討しました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

その際に、
取り組みの中において、
堅固な儀式的な構造が、
必要な旨を見ました。

それは、
さきほどまで見て来たような、
「パイプ」的な意味合いから見て、
そうなのです。

堅牢な儀式的な構造が、
私たちを、堅固なパイプに変え、
変性意識的なエネルギーや情報を、
流れやすくするからなのです。

そして、
それはまた、
芸術的な創造(創作)などに関係づけていえば、
その「形式性」が、
その儀式的な役割や、
パイプ的な役割を果たしていく、
ということでもあるのです。

前回、
ロートレアモンについて、
さまざまに見てみましたが、
彼が、並外れた形で、
心の遠い宇宙を探索できた理由も、
作品形式という堅固な儀式的な構造と、
それに支えられた変性意識状態とが、
あったからなわけでした。
ロートレアモンと変性意識状態


◆聖なるパイプの喩えとともに

さて、以上、
これまで見てきたことは、
「聖なるパイプ」の喩えとは、
シャーマンだけの特殊な問題に、
限定されるものではなく、
普段の私たちにとっても、
利用可能な、
重要なスキル・方法論であることを、
意味している、
ということなのです。

日々、このような、
聖なるパイプに思いを巡らせ、
堅牢な形式性、
儀式的構造による精神集中を、
意識していくことで、
私たちの心のエネルギーの流れは、
より、的を得た力強さと、
情報空間の拡がりを、
持っていくことに、
なるものなのです。


※気づきやシャーマニズム、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



tatanka



ロートレアモン伯爵と変性意識状態

さて、前回、
セックス・ピストルズを例にとって、
私たちにとって、可能な、
覚醒のあり様について、
考えてみました。
なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

また、以前には、
リルケが、
天使的な領域について語ることを素材に、
私たちの変性意識状態(ASC)や、
その意識拡張のあり様について、
見てみました。
リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態

今回は、
それらに関係するテーマで、
ロートレアモン伯爵(本名イジドール・デュカス)を取り上げ、
変性意識状態(ASC)や、
私たちの意識拡張の様態、
自然発生的なシャーマニズム(夢見の技法)などについて、
考えてみたいと思います。

ところで、
ロートレアモンの作品は、
(『マルドロールの歌』『ポエジー』の二作品だけですが)
19世紀後半のフランスに、
忽然と現れ、
文学の歴史の中においても、
非常に、孤絶した、
他に類例を見ない作品となっています。

南米の領事館で働く父のもとに育った子どもが、
思春期を、フランスの寄宿舎で生活した後に、
孤独な夢想のうちに記した作品でもあるので、
社会的文脈を求めるのも、無理な話なのかもしれません。
その作品は、24歳という、彼の早い死の後、
数十年経ってから、
歴史的に発見されたものなのです。

『マルドロールの歌』は、
奇妙な作品です。
孤独と無限を感じさせる宇宙性、
奇怪で美的な暗喩(メタファー)、
夢と渇望、悪と逃走、変身と旅などを主題に、
普通の文学には見当たらない、
不思議な透過性と屈曲を持つとともに、
私たちの心の、
最も深い部分に触れて来る、
天才的な作品となっているのです。

しかし、それでいながら、
その作品が、
どこか非常に遠いところからやって来た印象、
通常の私たちの心の次元を超えた拡がりを、
感じさせるような、
神秘的な性格を有するものと、
なっているのです(※注)。

そして、そのような、
ロートレアモンの作品の謎に対して、
文芸批評的なアプローチでは、
およそ不満足な結果しか得られていない、
と感じるのは、おそらく、
筆者一人だけではないと思われるのです。

しかし、
文芸作品などをあまり読まない、
普通の感性豊かな人(特に若い人)が、
『マルドロールの歌』を読んだ場合でさえ、
強い衝撃を覚えるというのは、
文学的なゲームとは関係のないところで、
この作品が持っている、
ある特殊な性質に、
人が触れるからであると考えられるのです。

そこには、
当スペースが、
テーマとしているような、
変性意識状態(ASC)や、
意識拡張の様態などに関係する、
さまざまな興味深い秘密があると、
考えられるのです。

(※注)世の中には、そのような神秘性を、
読み取れない類いの人間もいて(たとえば、カミュなど)、
ジョルジュ・バタイユも、
その不感症について、意外なものとして、
言及したりしていますが、
字義通りにしかものを読めなかったり、
暗喩的な心理(意識)領域を理解できないということの、
構造的な理由も、
ここで取り上げるテーマと、
関係している事柄ではあるのです。


◆無意識の間近さ

彼の作品は、死後に、発見される形で、
歴史の中に姿を現しましたが、
最初期に、彼を見出した人々が、
その作品を、狂気の人の書であると感じたのは、
ある意味では、正しい直観でした。
フロイトが、登場する前の時代でした。

そして、彼の作品が、
一種、精神病圏の要素を感じさせるというのは、
アウトサイダー・アートとの共通要素からいっても、
妥当であるともいえるのです。

加工されていないような、
ナマな無意識との接触感、
高電圧的で、剥き出しの直接性の感覚は、
世のアウトサイダー・アートと、
大変近い性格を持っているのです。

ところで、
哲学者のガストン・バシュラールは、
彼の作品に見られる、動物的世界との親和性について、
特筆しました。
しかし、その本質的な間近さという点だけをいうなら、
実は、植物や鉱物の世界とも、
充分すぎるほど、近い世界を持っているのです。
以前、LSDセッションにおいて、
鉱物と同一化する人の事例を取り上げました。
『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

実際、
そのようなLSDセッションにおいては、
鉱物にかぎらず、
さまざまな動物や植物と同一化し、
その圧倒的で緻密な生態を、
通常ではありえない形で、体験する事例が、
数多く存在しています。
そして、それらの報告の多くは、
『マルドロールの歌』における、
アウトサイダー・アート的な手触りと、
類似した性格を、
どこかに感じさせるものでもあるです。

また、ル・クレジオは、
ロートレアモンの言葉に、
未開部族の言語との類縁性を感じ取りました。
その言葉の持つ、原初的な性格を、
指摘したわけです。

これら、アウトサイダー・アートとの近似性や、
動物植物世界との水平的な間近さ、
原初的な世界との類縁性という特性は、
そのまま、当スペースで考える、
シャーマニズム的な要素として、とらえることも、
可能な要素なのであります。

そして、
そのように考えてみると、
ロートレアモンが活動する領域を、
それとなく、囲っていくことも、
できてくるわけなのです。

そうなってくると、
そもそも、私たちが、
ロートレアモンを読む時に真っ先に感じる、
奇妙な眩暈の感覚や、
意識の変容状態が、
何に由来するのかということも、
少し見えて来るわけなのです。

彼が、シャーマニズムと、
変性意識状態(ASC)の土地である、
南米で育ったというのも、
意味深い偶然となって来るわけです。


◆変異した時空の意識

さて、以前、
私たちが、
高度に集中した際に起こる、
特異な意識状態である、
フロー体験について、
取り上げました。
フロー体験とフロー状態について

「…これらの条件が存在する時、
つまり目標が明確で、
迅速なフィートバックがあり、
そしてスキル〔技能〕と
チャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れた
ぎりぎりのところで活動している時、
われわれの意識は変わり始める。
そこでは、
集中が焦点を結び、
散漫さは消滅し、
時の経過と自我の感覚を失う。
その代わり、
われわれは行動を
コントロールできているという感覚を得、
世界に全面的に一体化していると感じる。
われわれは、
この体験の特別な状態を
『フロー』と呼ぶことにした」

「目標が明確で、
フィートバックが適切で、
チャレンジとスキルのバランスがとれている時、
注意力は統制されていて、
十分に使われている。
心理的エネルギーに対する
全体的な要求によって、
フローにある人は完全に集中している。
意識には、
考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。
自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。
することはなんでも、
それ自体のためにする価値があるようになる。
生きていることはそれ自体を正当化するものになる。
肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、
人生はついに非の打ち所のないものになる。」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

この状態においては、
私たちの意識は、
一種の、拡張された状態に、
入っていきます。
そこにおいては、
時空の感覚に変化が起こって来ます。

時空の感覚は流動化し、
時間は速くなったり、遅くなったり、
空間は伸びたり、縮んだりします。
知覚は澄みきり、
ミクロ的な、微小な対象にさえ、
完璧で透徹した注意力が、
行き届くように感じられます。

たとえば、
山で遭難事故に陥った、或る作家は、
その危機の中で、
フロー的な意識に移行した時の状態を、
「そのときの僕なら
三〇歩離れたところから、
松の葉で蚊の目を射抜くことさえ
絶対できたはずであると、
今も確信している」
(シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳、日本教文社)
と表現しています。

ところで、
モーリス・ブランショは、
ロートレアモンの作品の持つ、
その明晰さについて、
言及しました。

しかしながら、
ロートレアモンの持つ明晰さというのは、
単なる論理的に辻褄を合せる明晰性だけではなく、
その背後に、
過度に透徹した意識状態、
フロー的な変性意識状態(ASC)が、
存在していると考えてよいのです。

それが、私たちが、
ロートレアモンを読むときに、

まずは引き込まれていく、
奇妙に歪んだ時空感覚、

夢と覚醒感がないまぜなった、
透視力的な性質の由来に、
なっていると思われるのです。

実際のところ、
フロー体験の研究においては、
創作的活動の中で、
芸術家が没入していく、
さまざまなフロー体験、
意識状態についての事例が、
各種、集められています。

たとえば、カフカなども、
創作している最中に、
シュタイナーのいう、
透視力的な状態に入るように思われると、
彼本人に話したと、
日記に、記しています。

そのように、
創作における、
フロー体験自体は、
多くの人に見られる事例であり、
決して稀なことではないのです。

ただ、それが、
『マルドロールの歌』におけるように、
作品の特別な性格として、
刻印されるということは、
稀有な事例であるのです。


◆天使的狂熱、または拡張された意識

さて、
このようにして見ると、
ロートレアモンが、
偶然的な資質であれ、
多様な意識の可動域を持ち、
さまざまな変性意識状態の諸相を、
流動的に渡っていった痕跡が、
見えて来るのです。

原初的な動植物世界から、
人間世界までの諸領域を、
また、無意識的な深層から、
日常意識までの諸領域を、
流動化した意識の可動域として、
シャーマン的に、旅している構造が、
見えて来るのです。

それが、彼の異様なまでの自由さ、
融通無碍の要因のひとつであると、
考えることもできるのです。

シャーマニズムの基本的な構造とは、
シャーマンが、脱魂(エクスタシィ)して、
魂を異界に飛ばして、
そこから、何か(情報、力)を得て、
こちらに戻って来るという、
往還の形式にあるからです。

ロートレアモンも、
偶然的・変形的なタイプであれ、
アーバン・シャーマニズムとして、
その想像力的な体験領域を通して、
変性意識の諸相を渡り、
その旅程を、作品に、
刻み込んだのだといえるでしょう。
それが、
不思議な奥行きを持つ、
文学では見たこともない、
宇宙的な空間、天使的な空間を、
生んだともいえるのです。

また、一方で、
ロートレアモン本人が、
自分の作品の持つ、天才的な性質を
理解していなかったという点も、
重要な事柄です。

彼の旅程は、
意図的に行なわれたわけではなく、
想像力的な空間を経由することで、
図らずも、変性意識状態の中に入りこみ、
前人未踏の世界(空間・状態)に行き、
その痕跡を閉じ込めることになった、
という次第なのです。

その後、彼が、
『マルドロールの歌』への否定や反動として、
『ポエジー』を書いたことは、
重要な事柄です。

これは、彼が、
後の手紙で述べているような、
善悪の扱い方だけの問題ではなく、
強度な変性意識による異界的体験への、
反動(怖れ)と考える方が、
自然なことでもあるのです。

このような振る舞いは、
精神のバランスをとるためにも、
ある面、必要なことでもあり、
事例(行動、症状)としては、
とてもありがちな事柄なのです。


◆夢見の技法

さて、以上、
話を分かりやすくするために、
いささか細部を誇張(増幅)しましたが、
ロートレアモンの作品を素材に、
創作における、
意識拡張の可能性や様態について、
考えてみました。

ここから、
私たちが学び取れることは、
何でしょうか。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』では、
「夢見の技法」と題して、
私たちが、ある種の変性意識的な、
意識の均衡状態を利用して、
創造的なアウトプットや、
意識拡張を行なう方法論について、
検討を行ないました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

当スペースでは、
ロートレアモンの作品は、
確かに特別なものではありますが、
そこに見られる、
体験領域や、探求方法は、
私たちにって、
閉ざされたものではないと、
考えているわけです。

私たちは、皆、
彼のように、
未知なる夢見の探求を行なうことが、
できると考えているわけなのです。

そのような意味合いにおいて、
彼から霊感を受け、
自分たちの守護神の一人と見なした、
超現実主義者(シュルレアリスト)たちの、
万人に開かれた創造(創作)、
という考え方は、
(その具体的な方法論には、
いささか疑問があるにせよ)
正しい直観であったと、
思われるのです。

ロートレアモンの作品には、
そのようなことを、
人に促す(信じさせる)ような、
創造性の嵐があるのです。


※夢見や創造性(創作)、
気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態


◆天使・チベット仏教・ベイトソン

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』に出てくる、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
言葉をめぐって、
グレゴリー・ベイトソンの、
学習理論
などを参照して、
さまざまにイメージを拡げて、
考察を行なってみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、その中で、
私たちの日常意識が、
「上部構造にシフトする」かのような、
状態を仮定して、
その中で起こるかもしれない、
システム的な情報の流れ(整列)や、
体験内容などについても、
考えてみました。

また、それらが、
下位構造としての、
私たちの日常意識の情報を、
書き換えてしまう可能性についても、
考えてみました。
(それが癒しや変容の体験になったりする、
ということです)

今回は、
その部分について、
もう少し見ていきたいと思います。

特に、普段の日常生活の中で、
そのような上位階層のシステムを予感させる、
何かを垣間見たり、
また、その影響を受けたりすることがあるのだろうか、
というような事柄についてです。

そのような機会を考えてみると、
それらは、多かれ少なかれ、
変性意識状態(ASC)の要素を持っているものですが、
散発的には、
存在していると思われるのです。


◆〈美〉的体験の通路

例えば、
ある種の美的な体験などが、
それに当たります。

しかしながら、
この場合の美とは、
単なる表面的な綺麗さではなく、
心と体験の奥底につき刺さり、
そこで振動を拡大させていくような種類の、
深遠な〈美〉的体験です。

そのような〈美〉的体験は、
私たちが通常、
あくせく働いている日常的現実に、
回収され尽くさない、
〈何か〉の要素があります。

それらの〈美〉は、
日常生活とは、違う次元の、
普遍的な秩序を、
感じさせたりもするのです。

変性意識状態(ASC)的で、
奥行きと拡がりをもった、
宇宙的な秩序を、
予感させるものでもあるのです。

それらは、
知覚力の拡大感、
恍惚感、
覚醒感、
本物の実在感、
といった、
あたかも「より上位の階層から」の、
情報の侵入を、
印象づけるようなものでもあるのです。

たとえば、
壮大な自然の〈美〉などは、
そのようなことを感じさせる、
普遍的な事例のひとつです。
山脈のつらなる、
雄大な峰々の風景や、
水平線に沈むこむ、
巨大な夕日の風景などは、
永遠にも似た、
その圧倒的な〈美〉の情報を、
処理しきれないために、
私たちを胸苦しくさせます。

それらは、
巨大な自然界の、
高次の階層秩序による、
莫大な情報量が、  
私たちの日常意識の許容量では、
処理しきれないほどに、
大量にやって来るためであると、
論理づけることもできるのです。


◆怖るべき天使と、バルドゥ(中有)の如来

さて、
世界の歴史的な事例を多く見ていくと、
〈美〉に関する、そのような事態が、
日常意識を圧倒するような形で、
個人を襲う可能性も想定されるのです。

たとえば、
ドイツの詩人リルケは、
その『ドゥイノの悲歌』の冒頭近くで、
歌っています。

「よし天使の列序につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、
わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。
なぜなら美は怖るべきものの始めにほかならぬのだから」
「すべての天使はおろそしい」(手塚富雄訳)」と。

彼は、ドゥイノの海岸での、
或る体験によって、
この詩を書きはじめたのです。

そして、彼は、
自作の翻訳者フレヴィチに宛てた、
有名な手紙の中で、この詩について、
大変興味深いことを
述べているのです。

「悲歌においては、
生の肯定と死の肯定とが
一つのものとなって表示されております。
その一方のもののみを
他方のものなしに認めることは、
我々がいま此処でそれを明らかにするように、
すべての無限なるものを
遂に閉め出してしまうような限界を
設けることであります。
死は、我々の方を向いておらず、
またそれを我々が照らしておらぬ
生の一面であります。
かかる二つの区切られていない
領域の中に住まっていて、
その両方のものから
限りなく養われている我々の実存を、
我々はもっとはっきりと
認識するように努力しなければなりません。
……人生の本当の姿は
その二つの領域に相亙っており、
又、もっと大きく循環する血は
その両方を流れているのです。
そこには、
こちら側もなければ、あちら側もない。
ただ、その中に『天使たち』
―我々を凌駕するものたち―の住まっている、
大きな統一があるばかりなのです」
(堀辰雄訳)

ここで語られている体験領域が、
単なる内部表象のひとつだとしても、
日常意識のものではない(それでは処理しきれない)、
ある種の圧倒的な変性意識的な世界だとは、
類推できるでしょう。

それは、
生と死をひとつと見なすような、
(当然、私たちの日常意識は、
それらを別々に見なしているわけですが)
無限なる体験領域なのです。
また、論理的に考えると、
その体験領域は、
私たちの日常意識を、
その下位の一部とするような、
上位階層の世界だと
類推することができるのです。
 (天使云々をいうのですから)

そして、また、
このような階層(体験領域)の侵入、
といった「怖るべき」圧倒的な事態が、
リルケに限らず、
世界の諸々の変性意識の事例を見ても、
さまざまに起こっていることが、
分かるのです。

例えば、以前、
『チベットの死者の書』について、
その心理学的な見方について、
検討しました。

心理学的に見た「チベットの死者の書」


そこでは、
移り変わっていく死後の空間、
各バルドゥ(中有)において、
必ず二つのタイプの如来たちが、
姿を現して来ることが、
描かれています。

ひとつは、
怖れを感じさせるような、
眩しいばかりの如来と、
もうひとつは、
より光量の少ない、
親しみを感じさせる如来です。

そして、
『チベットの死者の書』のメッセージは、
前者の怖るべき如来こそを、
自己の本性と見なせ、
というものです。

そうすれば、
輪廻から解脱できるだろう、
というものです。
そして、
後者の親しみを感じさせる如来に、
近づいていくと、
輪廻の中に、
再生してしまうというわけなのです。

この現象なども、
学習の階層構造に照らして考えると、
納得的に理解することができます。

怖るべき如来は、
上位階層からの過剰な情報であるため、
私たちには、怖るべきものに、
感じられてしまうのですが、
その「上部構造にシフトする」ことで、
無我と解脱が得られるというわけです。

一方、
親しみを感じさせる如来は、
慣れ親しんだ二次学習であるがゆえに、
自我と再生の道に、
進んでしまうというわけなのです。

つまり、
どちらの如来に、
コンタクト(接触)するかで、
上部階層へシフトできるか、
それとも、下位階層に留まる(ダブルバインド)かの、
選択になっているというわけです。


さて、ところで、
筆者自身、拙著
の中で、
さまざまな変性意識状態(ASC)の、
体験事例について記しましたが、
それらの中でも強度なタイプのものは、
どこかに畏怖の念を呼び起こすような、
光彩をもっていたのでした。
(また、実際、困難な体験でもありました)
ひょっとすると、
それらなども、どこかに、
上位階層からの情報という要素を、
持っていたからなのかもしれません。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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投影された夢の創造的活用 サイケデリック・ビートルズ・エクササイズ

◆夢の力を取り出す

さて、前回、
創造と夢見の技法ということで、
目的とするアウトプットに対して、
心身の内容(感情・感覚)を、投影することにより、
私たちの奥底にある創造過程(夢の力)が、
活発化して来る事態について、
取り上げました。
→「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

この状態を、
感覚的に理解し、意識的なスキルとするには、
逆パターンの事例から、
体感・類推するのが分かりやすいと思われます。

つまり、私たちが、
アート(音楽、映画、物語、絵画)等の、
創作物に触れた際に、
自分の内側に惹き起こされる、
感情や衝動、感覚的なイメージについて、
意識的になることです。

私たちが、なぜ、
赤の他人の作った創作物に、
強く惹かれ、
過度な思い入れを持つのかと言えば、
それは、心理学的には、
「投影」によるものです。

自分が持っているが、
普段は解離している、
大切な心理的な因子を、
その対象物に見出して、
強く惹かれるというわけです。

「見出す」といっても、
実際に、そこに、
在るわけでもないものを、
勝手に、そこに、
見出す(映し出す)だけの話です。
恋愛と同じく、
「勝手な想い」です。

また、しかし、
そうはいっても、
或る創作物が、
世の一定量の人々の、
投影の受け皿として働くには、
それなりの受け皿の要件(因子)があります。
最大公約数的な要素を、
持っていなくてはならないのです。
(これも、恋愛の場合と同じです)

それは、
創作物の、テーマの普遍性や、
そのジャンルの美的形式における、
適応性と新奇性のバランスなど、
さまざまな要素が考えられます。
このこと自体は、大変、
興味深いテーマではありますが、
別の機会に譲りましょう。

ところで、さて、さきに、
他人の創作物に投影される、
「勝手な想い」について触れました。
実は、
この「勝手な想い」の深い部分に、
棲息しているのが、
私たちの夢の力なのです。
(この「夢」の内実については、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』を、
ご覧下さい)

そして、
当スペースのアプローチでは、
私たちは、
他人の創作物に投影した想いから、
自分の夢の力を取り出さなければ、
ならないのです。

そうでないと、
「自分自身の夢の力」を展開して、
自分自身の人生を、
創造的に生きていていくことが、
できないからです。
他人の表象世界の中に、
閉じ込められて、
隷属的(不自由)になってしまうからです。

「勝手な想い」を、
自分の意識と、
つなげてあげる必要があるのです。
そのことで、
私たちの中に、
エネルギーの増幅が生まれ、
強い動機づけが生まれるのです。

そして、その際には、
狩人が、
狩った動物の皮や肉を、
余計な傷つけを避けて、
綺麗に剥ぎ取るように、
私たちも、
他人の創作物から、
自分の夢の力を、
綺麗に剥ぎ取り、
切り分けないといけないのです。


◆エクササイズ

そのためには、
自分の「体験」について、
切り分けるかのように、
書き出し、
アウトプットしていくことが、
必要です。
これが、
エクササイズです。

批評のように、
その作品について書くのではなく、
「自分は、こう感じた」
「自分の中で生じたイメージはこうだ」と、
自分の体験として、
「生きた何物か」を書き取り、
アウトプットしていくのです。

言葉は、制限が多いので、
絵や落書きなどの方が、
やりやすいでしょう。
とにかく、自由に、
書きなぐっていくのです。
色や線を置いてみるのです。

そして、その感覚を、
〈塊〉〈イメージ〉として、
外在化させていくのです。
自分自身の「夢の力」の要素として、
対象化していくのです。

そして、
心に響くものや、
惹きつけるものに対して、
数多く、そのような作業(エクササイズ)をしていくと、
段々と、自分の夢の力も、
〈実体性〉を獲得していきます。

そして、
そのように、外在化された、
自分の夢の力というものは、
大きな現実的なパワーをもって、   
人生を牽引することにもなっていくのです。
(それらを日々、
見返すことを、おすすめします)

そのため、
「勝手な想い」にこだわって
探求と追跡をすることは、
より核心的で、充実した、
夢の力の獲得に、
最終的に、
私たちを導くことにもなるのです。

それは、後から、
人生を振り返ってみた場合、
明瞭な線として、
浮かび上がって来る類いの事柄なのです。


◆サイケデリック・ビートルズの恩寵

さて、当スペースが、
変性意識状態(ASC)や、
人間の能力・意識の拡張といった、
テーマに焦点化するきっかけも、
元はと言えば、
そのような投影によって引き起こされた、
夢の力の活性化にあったのです。

ビートルズ Beatles といえば、
1960年代のポップ・ミュージックを一新し、
現在のポップ・ミュージックの祖形を創ったバンドですが、
カウンター・カルチャーの思潮と、
同時代として、同期したこともあり、
その中期の音楽は、
いわゆるサイケデリック・ロックでした。

筆者自身が、それを知ったのは、
随分と後の時代であり、
「サイケデリック Psychedelic (意識拡張的)」
という言葉さえ、
周りの誰も、説明できないような時代でした。

しかしながら、中学生の筆者は、
(何の経験値も、環境も持たないにも関わらず)
サイケデリック・ビートルズの背後にある、
〈何か〉を、心理的投影を通して、
嗅ぎつけたのでした。

それは、それまで、
人生にまったく想像していなかったような、
途方もなく眩い、
輝く生の状態(姿)でした。

ほとんど子どもであった筆者の、
日常意識の背後に、
どんな夢の力が、
鉱物的な変性意識状態(ASC)があって、
サイケデリック・ビートルズの 電撃的表象によって、
活性化し、
閃光的なイメージを成したのであろうかと、
少し不思議な気もします。

しかし、その後、
「勝手な想い」や、
その幻想的なイメージにこだわり、
さまざまな追求をしていくことで、
結果的に、
眩い変性意識状態(ASC)を数多く体験し
「サイケデリック」な実在を、
まざまざと理解することにもなったのでした。

そして、今、
その並外れた光量の、
豊穣で創造的な世界を得るための、
具体的な方法論を、
他の人々とシェアできるという僥倖を、
得ているわけなのです。

それは、元はと言えば、
サイケデリック・ビートルズが持っていた、
何らかの因子に、
子どもの筆者が、夢の力を投影し、
物事に目覚めたことがきっかけなのでした。
その不思議な共振によるものだったのです。

そして、これは、
見聞した限り、
筆者一人に起きたことではなく、
多くの人々に起こったことでもあったのです。
そして、
そのような創作物を創れるということは、
実に素晴らしいことだと思うのです。


◆「自分の」夢の力を生きる

さて、
自分の夢の力を生きることは、
人生に、眩い彩りと動機づけを、
もたらすものです。

ところで、先進国の中で、
日本人の「幸福度」が大変低い調査結果については、
以前よりさまざまな指摘がありました。

その要因のひとつに、
日本人が、「他人の(価値観による)人生」を、
生きてしまっているということが、
挙げられます。

もともと、横並び社会であり、
他人の目や、他人の承認に、
重きをおく社会ではありますが、
他人に主権を与えてしまうような生き方は、
人を無力化させるものです。

それは、
自分の人生を、
自分のコントロールの外へ、
置くことだからです。
自分から、
選択と自由を奪うものだからです。

自分で、自分の人生を、
コントロールできている時、
人は、充実した人生を、
生きているということができるのです。

パールズの、
有名な「ゲシュタルトの祈り」は、
そのことを、ぶっきらぼうなタッチで、
告げています。

「私は私のことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
私は、あなたの期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし私たちが出会えるとするならば、
それは素晴らしいことだ。
もしそうでないならば、
それは、いたしかたないことだ」

この言葉を引き受ける時、
私たちは、
より健全な現実の息吹に、
触れられていると言えるでしょう。

その上で、
自分の心の底から湧いて来る、
自分の夢の力を、
生きていくことができるのです。
それは、使命にも似た、
宇宙の深い内実に根ざした、
人生となっていくのです。


さて、今回は、
他人の創作物の中に、
投影を通して現れて来る、
夢の力について、
取り上げてみました。

自分の好きな物を取り上げて、
その夢の力を取り出すエクササイズを、
ぜひとも、
実践してみていただければと思います。
そのことからだけでも、
人生というものは、
確実に変わっていくものだからです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

別に、
「NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見」と題して、
これらの各技法が扱う、
心の領域が、地続きを成して、
つながっている様子を見ました。

今回、ここでは、広く、
人生で結果(アウトカム、アウトプット)を生み出す、
創造と具現化の技法について、
考えてみたいと思います。


◆夢の創造過程と身体感覚

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の、
「夢見の技法」の中では、
私たちを貫く創造的な夢の力を
どうやって利用すればよいかについて、
さまざまに検討しました。

そして、その際に、
メルロ=ポンティの
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉を引いて、
私たちが、
心身を、世界に投影して、
物事を、暗黙知的に把握していく事態について、
見ました。

そして、この、
対象物(目的)と、投影した身体が、
内的につながっていくという情報回路(通路)の中で、
強い夢(無意識の創造性)の力も、
引き出されて来ることについて、
見ました。

そして、
その夢の力を組織化して、
強度なアウトプット(成果物)として、
外在化・現実化していく方法について、
検討しました。
   
さて、ところで、
このような夢の力を、
活かしていく方法論というものは、
人生上、生活上の願望を、
具現化する中においても、
決定的な重要な事柄でもあるのです。

というのも、
普段においても(また正念場においても)、
私たちを真に駆動する力(渇望)とは、
夢の創造的過程の沸騰に、
よるものだからです。

そのため、
人生上の、具現化したい目的を持っていて、
それを、「絶対に達成したい」という場合には、
自分の身体感覚を、
センサー(検知器)のように使ってみて、
その目的内容を精査してみると良いのです。

その目的の姿(像)を、
身体的によく感じてみて、
(そこに心身を投影してみて)
その姿(像)と、自分の心の奥底との間に、
夢の力が流れているかどうかを、
確かめていくのです。

その目的の姿と、
夢の力の定かならぬ誘因とが、
強く惹きあうような事態を、
はっきりとした〈実在〉として、
エネルギー的に感じ取れるのであれば、
それは目的の方向性としては、
間違っていないということなのです。

もし、どこかに違和感や、
内的な不十分さを感じるのであれば、
その目的内容に、
どこかにおかしなところが、
あるということです。

その場合は、
諸々を再検討しないといけません。


◆組織化・焦点化して、身体的につかむ

さて、私たちが、
何かを創造していくに際して、
鍵となるのは、
私たちの意識過程、思考過程(拡散的・収束的)だけでなく、
その背後で渦巻き、脈動している、
夢(無意識)の創造過程となります。

それが、
私たちの人生の使命(ミッション)を、
創り出します。
人生の「違い」を生み出すのです。

そのため、
そこにおいては、
夢の力と関わる、身体感覚(身体性)の存在が、
とりわけ重要となるのです。

自分の身体感覚の投影を、
サーチライトのように使って、
対象物(目的、欲しいアウトプット)とつながることで、
私たちは、
自己の創造力の発現を、
動機づけの面でも、組成の面でも、
容易くすることができるのです。

また、以前、
NLPを有効に活かすための、
「現場の情報空間」について、
触れました。

その際も必要なのは、
現場の膨大な情報空間に、
「身体的」に、同調・同期しつつ、
統御・利用していくということなのです。
ここでも、
私たちの身体感覚が、
素地(前提)として重要となるのです。

さて、そのように、
私たちは、
自分の「身体感覚」を、
意図に利用していくことで、
無意識の夢の力を導き、組織化し、
焦点化したアウトプットを、
創り出していくことができるのです。

そのことを通して、
欲しい結果(アウトカム)を、
手に入れることができるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見

◆NLP(神経言語プログラミング)  ―内的体験の編集


さて、一見したところの、
NLP(神経言語プログラミング)の魅力は、
自分の内的状態(感覚、感情)を、
コントロールすることによって、
人生そのものを、
コントロールできるようになる、
というコンセプトにあります。

特に、
私たちの内的状態(感覚、感情)というものは、
生まれつきのものや、
過去の経験によってプログラムされた、
自分では、どうすることもできないものだと、
一般には、考えられているからです。

NLPでは、
それら私たちの内的体験に対して、
あたかも、
コンピューターのプログラムを修正するように、
書き換えてしまう、
もしくは、機械の作動を変えるように、
改変してしまう、
かのようなイメージがあり、
(どこかSF的で)
人生に新しい選択肢を、
もたらすように見えるのです。

また、
他者とのラポール(つながり、信頼)を築いたり、
影響を与えたり、
もしくは、他者の内的感覚・状態を推察したりと、
人間関係においても、
新しいコントロールを持ち込むもののように、
見えるわけです。

さて、
このことについていえば、
実際のところ、
軽微なレベルでの、
プログラム修正ということでしたら、
NLPの技法でも、
充分、有効に働きます。

感覚的な固着や、
習慣的な反復による課題でしたら、
パターンを中断し、
その状態を壊していくことで、
新しい流動性を創り出し、
それらを改変していくことができるのです。
それらは、日々、
応用・活用していける事柄です。

そのため、
意欲的に人生を変えていこうとする人には、
使っていくことが望ましいテクニックとも、
なっているのです。
それだけでも、
怠惰な人々との、
違いを創り出すことができるものです。

しかしながら、
少し層が深く、
困っている類いの心理的要素の、
プログラム修正というものは、
既存のNLPテクニックでは、
少し難しいのです。

というのも、人の心や感覚は、
元来、他からの影響によって、
変わることがないようにと、
メタ・プログラムされているものだからです。

NLPテクニックでは、
変化を引き起こす、
その深いメタ・プログラミングの層まで、
侵入することが、
なかなかできないのです。

深いメタ・プログラミングの層は、
より無意識の層、
自然成長的な層、大地性の層、
メタ・プログラマーの層であり、
表層的な意識の層とは、
タイプ(階層)が違うものだからです。

そこに「コンタクト(接触)」するのが、
難しいのです。

両者の違いは、
日常意識と、夢の世界の違いを、
考えてみると、よくわかると思います。


◆ゲシュタルト療法 ―気づき・霊感・行動

ゲシュタルト療法のアプローチは、
意識と無意識の、
両面からのアプローチです。

気づきの技法という面では、
意識的に、
感覚や感情をとらえていくのですが、
この感覚や感情に、
集中的な交流を深めていく過程で、
人は、だんだんと軽微な変性意識状態(ASC)に、
入っていくこととなるのです。
この状態が、いわば、
日常意識と夢の世界との交流を、
つくり出して(可能にして)いくのです。

強い感情の動きが起こり、
深い内的状態のプログラムが、
表層に、浮上してきます。
そこで、
それらのプログラムを、
意識(気づき)と交流させていくことで、
そのプログラムの改変を、
行なうことができるのです。

これが、
ゲシュタルト・アプローチが、
NLPテクニックでは行なえない、
深い層でのプログラム改変を、
行なえる理由なのです。

クライアントの方も、
自分の意識状態が変わり、
深いレベルの心に、
コンタクト(接触)していることは、
明瞭に体感できるのです。

その状態の中で、
新しい行動選択への可能性を、
閃光のように、気づいていくのです。
そして、
セッションにおいて、
別の新しい自己表現を、
色々と試してみることで、
自分の人生が、
その境界(限界)を拡大していく事態を、
鮮明に実感できるのです。

フリッツ・パールズは言います。

「『気づく』ことは、
クライエントに自分は感じることができるのだ、
動くことができるのだ、
考えることができるのだということを
自覚させることになる。
『気づく』ということは、
知的で意識的なことではない。
言葉や記憶による『~であった』という状態から、
まさに今しつつある経験へのシフトである。
『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる。」

「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、
行動への可能性をひらくものである。
決まりきったことや習慣は学習された機能であり、
それを変えるには
常に新しい気づきが与えられることが必要である。
何かを変えるには別の方法や考え、
ふるまいの可能性がなければ
変えようということすら考えられない。
『気づき』がなければ
新しい選択の可能性すら思い付かない。
『気づき』と『コンタクト』と『現在』は、
一つのことの違った側面であり、
自己を現実視するプロセスの違った側面である。」
(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

このような気づきが、
軽微な変性意識状態(ASC)の中で、
起こって来るのです。
(この言葉が、
ベイトソンの三次学習と響きあうのが
わかると思います)

それは、通常の日常生活では、
決して経験しないタイプの、
深い気づき(目覚め)の体験であり、
人生そのものの拡大をもたらす、
新たな経験領域の獲得となっていくのです。

ところで、
このようなゲシュタルト療法の体験の層と、
NLPの軽微な体験の層とは、
現実的には、
地続きとなっています。

そのため、
実際のセッションの中では、
これらの各領域を、
自在に行き来することにより、
自分の内的体験を編集したり、
デザインしていくことができるのです。

NLPとゲシュタルト療法を、
うまく統合的にミックスさせていくことにより、
より巧妙で、自在なアプローチを、
創り出していくことができるのです。


◆夢見の技法 ―アウトプットと世界と関わること

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』では、
「夢見の技法」と題して、
意識的なプロセスと、
無意識的な夢の湧出プロセスとを、
均衡させる創造的な気づきの技法について、
取り上げました。

いわば、日常意識と夢の世界とを、
地続きで交流・生成させて、
組織化していく技法ともいうべきものです。
そのことにより、
より拡充した現実世界の地平を、
創り出していく取り組みです。

それは、
意識の有り様であると同時に、
生命あるものが、自発的にそうであるように、
何かをアウトプット(外在化・外へ出力)させていく、
プロセスでもあります。

ところで、
拙著に詳しく記しましたが、
私たちが、
何かをアウトプットするときは、
世界の対象物に集中するとともに、
心身の無意識的な内容を投影して、
そこに、何ものかを、
生み落としていきます。

外的世界の対象物や、
それによって引き起こされる心理像から、
アウトプットの流れが自然に生まれ、
生長していくのです。

この集中的な、心理的な投影が、
自己の内側から、
一閃のように、
アウトプットするものを、
引っ張り出して来るのです。

そのため、
アウトプットすることは、
それを行なっている当人にとっても、
無意識の未知なるものと、
出遭う体験となるのです。

自分の無意識にあるものを、
本当に知っている人などいないからです。

また、
アウトプットが無意識な投影に導かれる一方で、
意識的な態度としては、
世界に関わっていく集中的な在り方です。

アウトプットすることは、
より深いコミットメントで、
世界や他者と関わる在り方ともいえるのです。

そして、ここでも、
私たちは、
日常意識と夢の世界(無意識的投影)との交錯に、
触れることになるのです。

これが、
アウトプットを経由した場合の、
夢見の技法であり、
私たちの創造力や世界体験を拡大するとともに、
新しい自己発見の機会とも、
なるものなのです。


◆NLP・ゲシュタルト・夢見

さて、
これら、NLP、ゲシュタルト療法、夢見の技法もまた、
体験領域の層においては、
地続きで、つながっているものです。

これらを有機的に連携させて、
デザイン的に組織化することで、
より新しい拡充された現実の層を、
実現しようというのが、
当スペースの、アプローチ方法と、
なっているのです。



つづき ↓

「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2」


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
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スライド3


スライド1


【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

効果的に作用するNLP(神経言語プログラミング)のフレームとは


さて、別に、
NLP自体が位置している、
大枠の、文化的、理論的な、

コンテクストについて、書きました。

それは、
NLPの可能性を引き出し、
効果を的確にするためにも、
そのような背景となる基盤や、

フレームが必要である、
という意味合いでです。
日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか

今回は、
より実技的な面に焦点を絞って、
セッションの中における、
NLPテクニックの使用について、
検討してみたいと思います。

前回、NLPとは、
「単なる心理学ツールの寄せ集めである」
としました。

そして、
NLPの各手法を
効果を出すように使うには、
そのあつかうフレームが、
とても重要となるとしました

そのことでの結論を、
さきに言うと、
まず、第一に、
それは、
セッション(ワーク)空間の
「現場性、状況性に根ざす」
ということなのです。

そこで起こっている出来事の、
膨大な情報空間に、
心身でまるごと、
感覚的に関わる中で、

NLPの技法を、
構成的に使うということなのです。

しかし、実は、
これは、表面的には、
NLPが売り物にしている要素と、
「真逆」の事柄となります。

普通、NLPは、
誰もが、簡単な手続きで、
インスタントな効果を、
発揮できるというのが、
謳い文句だからです。
現場の感覚は、
あまり重視されないわけです。

しかしながら、
その現場感覚(現場情報)への感度を欠くことが、
NLPが、
「効果が出ない」と言われる、
一番の要因を、
つくり出している点でもあるのです。

現場で流通する、
膨大な情報の中の、

さまざまな局面の中にこそ、
NLPのテクニックを、
活かすヒントも、
含まれているからです。

そのため、
ここでは、
リアルな効果の保証として、
現場性に根ざすことの必要性を、
あらためて、
確認しておきたいと思います。

その流動する情報の流れに合わせて、
NLPのフレームやテクニックを、
対象化して、

使っていくということなのです。

 

はじめにテクニックありき、

処方箋ありき

ではないのです。


その現場の枠組みの中ではじめて、
NLPテクニックも、
有効なものになっていくのです。


◆セッション現場という膨大な情報空間について

さて、普通、
NLP講座の語り口では、
通常、あたかも、
NLPの整理によって、
パールズ、エリクソン、サティア等の天才が、
解き明かされたかのように、
解説されます。

しかしながら、

よく考えてみれば分かるように、

NLPが行なったことは、
実際のところ、
その天才たちの流麗な技法の、

ごく特定の一部分を

抽出した(抜き出した)というのが、
正しい理解です。

 

彼らの暗黙知の、

ごく一部を抽出し、
明示的な方法論(ツール)にした、
ということです。
そして、素人にも、
使いやすくしたということです。

抽出された、
道具類が、
そこにあるのです。

 

天才たちの才能からすれば、
氷山の一角のようなものです。

冷静になって考えてみれば、
分かるように、
天才といわれるミルトン・エリクソンの、

(あれほど本を出している)

膨大な弟子たちが
エリクソンほどには
治癒の成果を出してないという事実は、
すぐに理解できると思います。

 

そのことで、
誰も責められていません。
それは、ごく当然のことだと、
私たちにも、思えるからです。

 

弟子たちが行なったことは、

エリクソンのやっていたことの一部を、

体系化・理論家したものしかないからです。

そして、一方、
エリクソン自身が行なっていたことといえば、

ずっと感覚的なことでした。

 

現場での膨大な情報空間を、
クライアントとの間に発生させ、交流させ、
クライアントのプログラミングに、
影響を与えていくという、
全身的で、身体的な作業でした。

そして、
弟子や研究者が行なったことは、
エリクソンが、全身で行なっていることを、
任意の要素にわけて、

ピックアックし、
ラベリングし、
その機構と働きを、記述するということでした。

しかし、そこには、当然、

明示的に取りだせない情報が、
(それもクライアントに働く重要な要素が)
膨大ににあるわけですが、
それは皆、フィルタリングされ、
落とされてしまうわけです。

喩えると、
音楽の採譜のようなことかもしれません。
楽譜(音楽的言語)にできない音楽の質性も、
世にはたくさんあります。

そして、
楽譜を見たところで、
その元の音楽が、
完璧に再現されるわけではないことは、
いうまでもありません。

NLPのテクニックも、
同じことです。
天才たちのすべての要素が、
そこに在るわけではないのです。

そのごく一部が、

そこに抜きとられていると、

考えるべきなのです。


しかし、また一方、
楽譜から、何かしらの音楽は、
再現したり、
創り出すことはできるのです。

それを、
生きた音楽にするのは、
今度は、
演奏家自身の力量(課題)です。

演奏家自身の持つ、
過去の現場(膨大な情報空間)で得た、
自身の経験値や、暗黙知、
そしてまた、イマジネーションが、
音楽を創りだすのです。

このことからも、
分かるように、
NLPを使う人は、
まずもって、

自分自身が
充分な現場感覚を持ち、
その場その場での、
膨大な情報の流れを、
つかみ取れないと意味がないのです。

そして、それは、たとえも
クライアントとしての体験としてでも、
良いのです。

ところで、
実際の多くのNLPスクールでの、
演習の風景とは、

さきの喩えを使うと、

あたかも、楽器の演奏をしたことのない人が、
楽譜を見ながら、
いきなり、一音一音、
つま弾くような事態になってるのです。

つまり、音楽(曲)になっていないのです。

 

さらにもっとひどい場合には、

そもそも、音楽を好きでもない人が、

それを行なおうとしているのです。


これでは、感覚的にも、

やってることの意味がよくわからないし、
そのNLPテクニックの本意(本質的な意味)さえ、
つかめてこないのです。

 


◆暗黙知と明示知の往還

そのため、
NLPテクニックを有効に
活かす道(方法)は、
「素人でも簡単に使えるテクニック集」という、
開催企業の宣伝文句とは、
実は逆の道なのです。

つまり、
ある程度の経験値、
現場の暗黙知をつかんでいる人が、
その現場の膨大な情報空間の中で、
この場面なら、
「あのテクニックの、

あの部分をアレンジして使うと、
面白いんじゃないか、効果的じゃないか」と、
過去の測定結果から、
使うというやり方です。

そして、その場の局面に合わせて、
自分なりに編曲を変えて、
使ってみるということなのです。

そのような場面でこそ、
NLPテクニックも、
活きて来るものなのです。

そのため、
NLPの資格を、
勢い込んで取ったものの、
使い方がよくわからず、

そのまま放置してあるという人は、
まずは、
ゲシュタルト療法などでもよいので、
まずは、自分の内的感覚やシステムを働かす、
体験セッションを、数多く経験して、

現場感覚や暗黙知を増やしていくことが、
良いのです。

 

そうすると、

自分の感覚の中で、

NLPのテクニックが、

意味していることの、

原理的な仕掛けが、

見えてくることとなります。

 

そうなると、

それらを実践的に使う道筋も、

見えてくることとなるのです。

 

セッション現場での、

多様な情報の流れも、見えて来て、
NLPテクニックを使う、
アイディアやイメージも、
湧いて来るようになるのです。

そうなると、

単に、音(テクニック)を並べるだけではなく、
実際の、自分なりの生きた音楽が、
演奏できるようになってくるのです。

 

 

気づきや変性意識状態(ASC)の、

より総合的な方法論については、拙著↓

入門ガイド、

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧下さい。

 

 

 

↓動画「変性意識状態(ASC)とは」

 

↓「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓変性意識状態への入り方はコチラ

 動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」 

 

↓より多様で、深遠な変性意識状態については、コチラ

 動画「ゲシュタルト療法 変性意識 意識拡張 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』」

宇宙への隠された通路 アレフとボルヘスの隘路

さて、以前、
諸星大二郎氏の『生物都市』や、
LSD体験セッションの中で、
鉱物的結晶に同一化する、
変性意識状態(ASC)の興味深い事例について、
見てみました。

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

ところで、
それらの体験報告は、
しはしば、古代的な宗教文献などでも語られる、
日常意識の背後にある、
遍在的で、全一的な意識の様態を、
さまざまに夢想させるものでもあります。

さて、今回は、その関連で、
アルゼンチンの作家、
ホルヘ・ルイス・ボルヘスを、
取り上げてみたいと思います。

ボルヘスの主要な傑作は、
無限的で、全一的なる宇宙を、
小さな物語の中に、
凝集するかのように結晶させた、
短編群です。

彼の作品では、
私たちの人生を形づくる、
普遍的な素材―
記憶、夢、書物、時間、想像力などを、
別様にとらえていく巧妙な仕掛けを通して、
日常的現実に、
「無限の宇宙」を侵入させる(招き入れる)かのような、
幻想的な物語が展開されていきます。

さて、その彼の小説の中に、
『アレフ』という作品があります。

『アレフ』は、
そのようなボルヘスの趣向が、
一人称の語りで、比較的、
直接的に表現されたかのような、
体裁になっています。
(彼の多くの物語は、迂回と晦渋により、
もっと間接的に、
人を巻き込んでいくような語り口です)

さて、作品に出て来る、
アレフとは、
ある架空のものを名づけた言葉ですが、
それは、食堂の地下室の片隅にある、
「宇宙のすべてが見える」
ある球体のことです。

物語は、
アレフのことを知る、ある知り合いが、
とある屋敷の地下室にある、
アレフの存在を、ボルヘスに語り、
ボルヘスがそれを、
地下室の暗闇に入って、
実際に確かめてみるという、
ストーリーとなっています。

「何よりも私を驚かしたのは、
重積や透過といった現象もないのに、
すべてが同一の点を占めていることだった。
私のこの眼が見たのは、
同時的に存在するものだった。
私がこれから書写するものは
継起的になるだろう。
言語が継起的なものだからだ。
それでも私は、
なにがしかを捉えることができるだろう」

「階段の下の方の右手に、
耐え難いほどの光を放つ、
小さな、虹色の、一個の球体を私は見た。
最初は、回転していると思った。
すぐに、その動きは、
球体の内部の目まぐるしい光景から生じる、
幻覚にすぎないことを知った。
〈アレフ〉の直径は二、三センチと思われたが、
宇宙空間が
少しも大きさを減じることなくそこに在った。
すべての物(たとえば、鏡面)が無際限の物であった。
なぜならば、私はその物を宇宙のすべての地点から、
鮮明に見ていたからだ。

私は、波のたち騒ぐ海を見た。
朝明けと夕暮れを見た。
アメリカ大陸の大群集を見た。
黒いピラミッドの中心の銀色に光る蜘蛛の巣を見た。
崩れた迷宮(これはロンドンであった)も見た。
鏡を覗くように、
間近から私の様子を窺っている無数の眼を見た。
一つとして私を映すものはなかったが、
地球上のあらゆる鏡を見た。
ソレル街のとある奥庭で、
三十年前にフレイ・ベントスの一軒の家の玄関で
眼にしたのと同じ敷石を見た。
葡萄の房、雪、タバコ、金属の鉱脈、水蒸気、
などを見た。
熱帯の砂漠の凹地や砂粒の一つ一つを見た。
インヴァネスで忘れられない一人の女を見た。
乱れた髪を、驕りたかぶった裸を見た。
乳房の癌を見た。
以前は木が植えられていたが、歩道の土の乾いた円を見た。
アドロゲーの別荘を、かのフィレモン・ホランドの手になる、
プリニウス英訳の初版本を見た。
あらゆるページのあらゆる文字を同時に見た
(子供の頃の私は、閉じた本の文字たちが、
夜のうちに、混ざり合ったり消えたりしないのが
不思議でならなかった)。
夜を、同時に昼を見た。
(中略)
あらゆる点から〈アレフ〉を見た。
〈アレフ〉に地球を見た。
ふたたび地球に〈アレフ〉を、
〈アレフ〉に地球を見た。
自分の顔と自分の内臓を見た。
君の顔を見た。
そして眩暈を覚え、泣いた。
なぜならば私の眼はあの秘密の、
推量するしかない物体を
すでに見ていたからである。
人間たちはその名をかすめたが、
誰ひとり視てはいないもの、
およそ想像を絶する、宇宙を。」
『アレフ』鼓直訳(岩波書店)

さて、
一見なんでもない日常の風景の一角に、
宇宙が、そこに含まれているような、
隠された秘密の通路が、
存在しているかもしれない、
というような夢想は
私たちの多くが、子供の頃、
なんとなく考えたのではないかと思われます。
秘教的なアイディアにおいても、
そのようなことが語られたりもします。

それらも、ある意味、
私たちの心の奥底にある
何かしらの構造を、
投影したものであると、
考えることもできるわけです。

さきに触れた、
鉱物と同一化した変性意識状態(ASC)
に見られるような、
心の基層部のひろがりとは、
ある意味、
宇宙的な性質を有しているのでは、
ないだろうか考えることもできるわけです。

そしてまた、見方を変えると、
ボルヘスに見られるような。
無限なる宇宙を、
小さな物語に閉じ込めたいという、
欲望自体が、
そのような、私たちの心の構造や渇望を、
どこかで映し出していると、考えることもできるわけです。

そして、私たちが、
ボルヘスを読む快楽とは、
彼の作品にある、
無限の宇宙を凝集したような高圧点を、
意識的に味わうところにあることを考えると、
それは、色々と示唆に富むことでもあるのです。

そして、そのような、
箱庭的ミニチュアにある、
凝集への欲望には、
無辺にひろがる宇宙的な意識と、
局所的で、場所的な日常意識との間に、
結合や振幅的往還をもたらしたいという、
私たちの渇望の現れがひそんでいると、
類推することもできるわけなのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
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 【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から

さて、今回は、
私たちの内で働いている、
心的システムの、高次の学習階層について、
考えてみたいと思います。
これらは、
変性意識状態(ASC)の中などでは、
しばしば出遭うことになる、
自己システムの隠された側面とも、
いえるものかもしれません。


◆フロー体験で働く機構

ところで、
以前、取り上げた、
フロー体験flow experienceにおいては、
私たちは、高度な集中状態の中で、
特殊な意識(心身)状態に、
入り込むこととなります。

そこにおいては、
私たちは、その行動(行為)を、
圧倒的で、没我的な集中状態で、
行なっているわけですが、
そこでは、

自分で完全にコントロールしているという、

感覚と同時に、あたかも二重写しのように、
「自分でないものの力」によって、
それらの行動が為されているかのような、
不思議な感覚を得ることになります。



その状態においては、
まるで、何かの自動化によって、
高速的に、最適な判断と選択、
迅速で的確なアクションが、
取られていくかのようです。

おそらく、
この状態においては、
ベイトソンのいう、
二次学習の機能の成果が
並外れた状態で働いているとも、
言えるのかもしれません。

また、この状態における、
閃光のようなフリキシブルな創造性からすると
三次学習の要素も、いくらか、
含まれているのかもしれません。

いずれにせよ、
非常にひろい幅の、
学習階層で、
心身の創造性が、
発揮されている状態であると、
推察されるわけです。


◆心身のメタ・プログラマー

さて、ところで、
ベイトソンの友人で、
イルカの研究者や、
アイソレーション・タンクの発明者としても、
著名な、ジョン・C・リリー博士は、
合法時代のLSDを使った、
心理・意識機能の探求者、研究者でもありました。

人間心理における作動のシステムを、
プログラミングや、
そのメタプログラミングとして記述する、
『バイオコンピュータとLSD』(リブロポート)は、
自らをLSDセッションの被験者として、
(精神分析的な知見も含め)
人の心理機能を、
システムの制御体系として、
抽象度高く表現した書物です。

また、その後の、
『意識(サイクロン)の中心』(平河出版社)においては、
前著の体系を引き継ぎつつ、
心身(意識)システムの制御における、
プログラムとメタプログラミングの階層構造を、
各種の実践体験の中で、実験(確認)していくという、
興味深い書物となっています。

そこにおいては、
私たちの日常意識(プログラム)を制御する、
高次のシステム(メタ・プログラマー)についても、
さまざまな考察がめぐらされています。

そして、
フロー的な体験や、それ以上の体験のように、
極度に潜在能力が解放された、
特殊な存在状態においては、
メタ・プログラマー自身が、
私たちの存在を制御し、
操縦していくかのような事態が、
興味深い実体験(事例)とともに、
数多く紹介されています。

そのような事例などは、
例えば、フロー体験の中で、
どのような超越的なシステムが、
私たちの内で作動しているのかを考える際の、
ヒントになるものと思われるのです。

また、その際の、
仮説としての、心の階層モデルなどは、
世界の諸伝統などとも響きあう、
共通性を持ったモデルでもあり、
そのさまざまな比較検討が、
可能なものともなっているのです。


◆「聖霊」の働く階層

ところで、以前、
映画『攻殻機動隊』と、
そのゴーストGhostの変性意識状態(ASC)について、
考えてみた際、
初期のキリスト教徒に見られた、
「聖霊体験」について、
それらを一種の変性意識状態の事例として、
取り上げてみました。

つまりは、
聖書にある、
「聖霊にみたされる」体験を、
システム的に、
意識が、
未知なる心身の「上部構造」とつながる体験として、

とらえてみる可能性について、
考えてみたわけです。

そして、
上部構造とつながるシステムな体験であるがゆえに、
情報が整列されることにより、
私たちの日常意識(下位構造のプログラム)を、
整理・改変する力、
つまりは統合(治癒)する力が、
生まれるのではないかと、
比喩的に、考えてみたわけです。

ところで、
そのように考えてみると、
この、心の階層システム的な仮説が、
先に見た、
リリー博士のいう、
「私たちのプログラム(日常意識)を、
制御するメタ・プログラマー」という仮説と、
近しい姿を取っていることに、
あらためて気づかされるわけです。

そして、実のところ、
筆者自身、
拙著『砂絵Ⅰ 現代エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

に記したように、
風変わりな変性意識状態(ASC)を、
さまざまな経験として持ったわけですが、
判然とはわからないものの、
それらの事象の背後に、
何らかのシステム的なつながりがあることは、
類推(予感)できたのでした。

そのようなことからも、
これら心的システムの、
プログラミングにまつわる領域には、
世の事例の多さを考えてみても、
探査検討すべき領域が、
まだ沢山あると感じられるのです。


◆この人生の背後にあるもの

私たちの人生には、
何らかのきっかけで、
日常意識を超える要素が、
変性意識状態の片鱗として、
やって来ることがあります。

それらは、
ひょっとしたら、
私たちの日常意識の背後で働いている、
メタ・プログラマーの、
何らかの調整作用の影響であるとも、
考えることができるのかもしれないのです。

日常生活で、
ふと舞い込む、
覚醒感や、感覚の拡張、

偶然や運として、
それらは姿を現わしているのかも、
しれないのです。

そのため、
当スペースでは
X意識状態などと呼んで、
それらに感覚的に焦点化することなども、
行なっているわけです。

それらに、
意図的に気づき、意識化していくことにより、
私たちの、
高次の学習機能も、
少しずつ高まっていくからです。
そして、おそらくは、
メタ・プログラマーの創造的な影響を、
呼び込むことも、
可能になると考えられるからなのです。



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諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

さて、諸星大二郎氏といえば、
昔はカルト作家?であり、いまや、
日本を代表する奇譚漫画家
ともいえる存在です。

その彼が、
1974年に手塚賞をとった短編、
『生物都市』は、
昭和の子どもたちの心に、
強烈な刻印を残したトラウマ漫画でした。

内容は、探査宇宙船が、
木星の衛星イオから運んできた、
謎の感染性の何かにより、
人間(生物)と金属類とが、次々と融解し、
融合していってしまうという物語です。

物語の舞台は、日本の地方都市ですが、
やがて、全世界が、抗しようもなく、
すべて溶けあってしまうだろうという事態を、
奇怪な造形と筆致で描いたものでした。

無機物質と生物が融合してしまう、
異形な映像の薄気味悪さもさることながら、
その意識や心までもが、
融解した集合体に、
飲まれていってしまうという事態が、
人間的で文化的な価値観の一切を、
洪水のように押し流してしまうかのようで、
怖ろしくも感じられたのでした。

一方、夢の世界への郷愁にも似た、
その鉱物的な世界に対する、反感と魅惑が、
両義的な感情として、心に残されたのでした。

ところで、このような、
世界が、鉱物化していってしまう物語や、
一見生物に見えない無機物質が、意識体であるという話、
惑星が、単一の意識体であるというような話は、
SF小説の世界では、
比較的、見受けられるテーマともなっています。
そこには何か、
私たちの「意識」や「文化」の曖昧さに対する、
問題提起があるようにも感じられます。

さて、一方、
シャーマニズムの伝統などに、目を向けると、
そこでは、鉱物や石などを、
私たちの同類と考え、
「長老」と見なすような世界観も、
たしかに存在しているのです。
石や鉱物たちは、
いにしえから大地に存在している、
大先輩というわけです。
 
そこには、
私たちの心の基層の空間に、
鉱物的なものとの親和性を生み出す、
何か元型のような傾向性が、
存在しているかもしれない可能性を
うかがわせるものでもあるのです。

ところで、
変性意識状態(ASC)にまつわる、
さまざまな意識の様態を見てみました。

実際、変性意識状態(ASC)における、各種の事例は、
この親和性の背後にあるものについても、
ヒントを与えてくれる場合があるのです、

スタニスラフ・グロフ博士は、
膨大かつ多様な変性意識状態(ASC)の体験を、
体系的に整理・研究していますが、
その『深層からの回帰』(青土社)には、
次のような体験報告も再録されています

これは、
あるLSD体験セッションの被験者の報告ですが、
変性意識を通して見た、
鉱物的状態についての、
大変興味深い洞察ともなっているものです。

ここで、被験者は、自分自身を、
琥珀や水晶、ダイヤモンドなどの鉱物と、
次々に、深く同一化していくという、
奇妙な体験を得ていったのでした。

「セッションのこの時点で、
時間は止まっているようだった。
突然自分が琥珀の本質と思われるものを
体験しているのだ、
という考えがひらめいた。

視界は均質な黄色っぽい明るさで輝き、
平安と静寂と永遠性を感じていた。
その超越的な性質にもかかわらず、
この状態は生命と関係しているようだった。
描写しがたいある種の有機的な性質を帯びていたのだ。
このことは、
一種の有機的なタイムカプセルである琥珀にも
同じく当てはまることに気づいた。

琥珀は、鉱物化した有機物質―
しばしば昆虫や植物といった有機体を含み、
何百万年もの間、
それらを変化しない形で保存している樹脂―なのだ。

それから体験は変化しはじめ、
私の視覚環境がどんどん透明になっていった。
自分自身を琥珀として体験するかわりに、
水晶に関連した意識状態につながっている
という感じがした。

それは大変力強い状態で、
なぜか自然のいくつかの根源的な力を
凝縮したような状態に思われた。

一瞬にして私は、
水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして
土着的な文化で重要な役割を果たすのか、
そしてシャーマンが
なぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した」

やがて、この体験は、
水晶からダイヤモンドへと移っていきます。

「私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、
完全に汚れのない光輝となった。
それがダイヤモンドの意識であることを
私は認識した。

ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、
われわれが知るすべての生命が
それに基づいている元素であることに気づいた。
ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、
意味深長で注目に値することだと思われた。

ダイヤモンドがどういうわけか
最高の宇宙コンピュータのように、
完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、
自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという
非常に抗しがたい感覚を覚えた。

ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、
たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、
白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、
その形而上的な意味を
指示しているように思われた。

チベット仏教が
ヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が
分かったような気がした
(ヴァジュラは『金剛』ないし『雷光』を意味し、
ヤーナは『乗物』を意味する)。
この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、
『金剛の意識』としか表現しようがなかった。

時間と空間を超越した純粋意識としての
宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてが
ここに存在しているように思われた。

それは完全に抽象的であったが、
あらゆる創造の形態を包含していた」
グロフ『深層からの回帰』菅靖彦、吉田豊訳(青土社)

さて、とても興味深い体験報告ですが、
例えば、精神病圏といわれるものの背後などでも、
このような元型的な力(意識)の作用が、
どこかで働いているのではないかという、
疑問を持つことも可能なわけです。

統合失調症に見られる、ある種の特徴などは、
そのような鉱物的なものとの親和性、共振性を、
強く感じさせるものでもあるからです。
また、多種多様なアウトサイダー・アートの造形などからも、
そのような質性が、感じ取られるものとなっているです。
その硬質性、透明性、反復性、無限性などは、
しばしば、原質的で、鉱物的な風景に、
私たちを、誘うものでもあるのです。

そのように考えると、
これらの傾向性は、
それほど奇異なものではなく、
私たちの精神の基層に根ざした、
何らかの表現形態であると、
考えることもできるわけです。

そして、
シャーマニズムの伝統の中にいる人たちも、
また、私たちの身近にいる、
鉱物嗜好者たちなども、
鉱物に心身を投影することを通して、
その中に、
何らかの意識の基層的な形態を、
感じ取っている可能性が、
考えられるわけです。

『生物都市』が、
私たちの中に引き起こした、
不思議なざわめきは、
そのような事柄を考えさせるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

◆サブモダリティの改変

さて、NLP(神経言語プログラミング)において、
サブモダリティの改変という技法が、
そのセッション(ワーク)で、
使われることがあります。

サブモダリティ(下位様相)とは、
モダリティ―視覚、聴覚、触覚などの、
各表出(表象)体系を構成する、
下位の構成要素ともいえます。
例えば、視覚においては、
その映像を構成する、
明度、鮮明度、カラーor白黒、サイズ、コントラスト、距離、位置、
などが、サブモダリティです。
喩えですが、テレビのツマミによって、
変化するかのような各属性、
調節が可能な要素たちです。

実際のNLPのセッション(ワーク)における使い方でいえば
クライアントの方の、
或るネガティブな体験には、
その体験内容と結びついた(フレーム化された)、
サブモダリティがあると考えます。

そのため、
フレーム化によって、
望ましくない体験と結びついた、
サブモダリティを改変することで、
望ましい状態に創り変えるのが、
サブモダリティに焦点化した技法となります。
(フレーム自体を改変するのは、
リフレーミングという技法になります)

そのように、
サブモダリティは、
私たちの経験内容を記憶し構成する、
基本的な素材となっていると、
考えられるのです。


◆ビートルズ『イン・マイ・ライフ』とサブモダリティ

さて、以前、
才能における相補性ということで、
NLPとビートルズを例に出したので、
今回も、ビートルズにまつわる個人的な事例を、
エピソードとして使ってみたいと思います。

ビートルズのアルバム、
『ラバー・ソウル Rubber Soul』の中に、
『イン・マイ・ライフ In My Life』という、
名曲があります。

ジョン・レノンが、
ヴォーカルがとっている曲で、
本人のコメントもあり、
ジョン・レノンの曲とされているものです。

筆者も、昔から、
好きな曲ではあるのですが、
どこか感覚的に、
違和感を覚えてもいたのです。

というのも、
筆者にとって、
ジョン・レノンの曲は、
曲の由来(根っこ)が、
「すみずみまで(水晶が澄みきったように)分かる」
という感覚があるからです。
しかし、
『イン・マイ・ライフ』だけは、
素晴らしい曲で、好きな曲ではあるものの、
「どこか、分からない感じ」
というのがあったからでした。

しかし、後年、
ポール・マッカートニーが、
『イン・マイ・ライフ』は、
自分が書いた曲だと、発言していることを知って、
長年の謎が氷解したのでした。
ポールは、曲の構造からしても、
自分の曲だと証明できる、
ジョンが忘れただけだ、と言っているようですが、
さもありなんという感じなのです。

さて、それでは、
筆者の中で、
何がジョンの曲で、何がポールの曲だと、
感じ分けていたのでしょうか。

それこそが、曲を聞いた時に、
筆者の中で、自然に組成される、
サブモダリティの質性(特徴)だったのです。

筆者個人にとって、    
ジョンとポールの曲は、
サブモダリティとしては、
決定的に違うものでした。
ジョンの曲の、密度や屈曲と、
ポールの曲の、のびやかさと明るさとは、
明確に違うサブモダリティなのでした。
無意識で感じ取られる、
微細な様相においてもそうなのでした。
そして、個人的には、ジョンの曲は、
感覚の近さからか「根から分かる」感じがしたのでした。
一方、ポールの曲には、
どこか、曲の由来(根っこ)が、
「分からない」感じがあったのでした。
そして、それがどこか神秘的な質性でもあったのでした。

『イン・マイ・ライフ』は、
ジョンの曲だと信じ込んでいたため、
実際に組成されるサブモダリティとの間に、
齟齬や違和感が生じていたのでした。

ところで、
音楽を聴くときには、
曲の中に、心身を投影して、
その内的体験として曲を感じ取るわけですが、
その風景として、
サブモダリティが組成されるわけです。

そして、
その曲によって組成されるサブモダリティと、
自分の元々の、内的な経験(趣味)を響き合わせて、
合う合わないとか、好き嫌いとかを、
判断している訳です。
また、「分かる」などという幻想を、
創り出しているわけなのです。

しかし、サブモダリティの、
この内的一貫性を把握しておくことは、
対象物を理解する上での、
トラッキング(追跡)・システムとしても、
重要な働きをしてくれるものなのです。
『イン・マイ・ライフ』の事例は、
そのような意味でも、
興味深い事例となったのでした。

ところで、
多くの人にとっても、
好きな趣味の中での、
各種の感覚情報の差異は、
大体、サブモダリティの一貫性として、
把握されているものなのです。


◆投影された身体と、サブモダリティの拡張

さて、
の中では、
自らの身体の投影を通して、
私たちが世界をとらえ、
構成していく様子を記しました。    

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
そのことについて見ました。

そのような身体の投影の結果として、
私たちは、自己の世界の表象を、
作っているのです。

ところで、
このような身体投影の結果として、
内的表象を作る際にも、
強度の差異は各種あるものの、
サブモダリティも、
同時に、生成・組成されているのです。

生活の中で、さまざまな事柄を、
身体の投影を通し、
物事を経験・学習する中で、
体験内容のコンテクスト化やフレーム化も生まれれば、
基礎素材としての、
サブモダリティの生成と編成も、
行なわれているわけです。

そのため、生活史の中で、
何らかの問題的なフレームが発生した場合に、
問題あるサブモダリティも生まれてしまうのです。
それが、前段で見た、
NLPのセッション(ワーク)による
サブモダリティ改変のアプローチにも、
つながるわけです。

ところで、実際のところ、
サブモダリティの質性自体は
価値中立的であり、
それ自体は、良いものでも悪いものでも、
ありません。
強烈なサブモダリティが、
問題であるということではないのです。

問題なのは、
サブモダリティと、
否定的(悪しき)体験との、
フレーム化・コンテクスト化なのです。
この関係づけを改変するのが、
リフレーミングといわれる技法です。

また逆に、芸術などでは、
強烈なサブモダリティの方が
効果としては、
有効だったりもするのです。

さて、ところで、
私たちの普段の生活における
創造的な側面に目を向けてみると、
例えば、
何か貴重で冒険的な体験をした場合などには、
私たちの身体感覚に深い刻印が刻まれ、
身体感覚が拡張したかのような実感を、
得ることになります。
また同時に、
その経験内容(領域)を表象するサブモダリティも
改変(拡張)された感じがします。
これは、サブモダリティの「創造的な側面」です。

そのため、
新しい未知の体験を得て、
身体感覚が拡張したときには、
そのサブモダリティをしっかりと
感覚と脳に定着させていくと、
その経験が、学習として深まり、
自分の中でより、再コンテクスト化、
再フレーム化がはかどります。
高次階層の学習も進みます。

一方、
積極的で能動的な身体の投影を通して、
サブモダリティが、
わずかに拡張されるような
経験を持つこともあります。

芸術における体験などが、
それです。

その際、私たちの内側では、
実際に、
身体やサブモダリティが拡張され、
改変される体験とも、
なっているのです。

実際、
芸術におけるエネルギッシュで、
積極的な取り組みの中では、
(創作ばかりでなくとも)
自分自身の既存の身体感覚や、
固定化したサブモダリティを、
流動化させ、解放させていく効果があります。

慣れていないジャンルの芸術に、
積極的、意欲的に身体を投影して、
内的に把握しようとする努力は、
私たちの持っていた、
既存のサブモダリティや内的な表象を、
柔軟にして、
解放・拡張していく訓練にもなるのです。
それは、
多くの身体訓練と、
同様の働き方をするのです。

そのように、
私たちの身体感覚とサブモダリティは、
深く同期しているというわけなのです。

それがために、
スポーツ・トレーニングにおいても、
コーチングにおいても、
ヴィジュアライゼーションや、
イメージ・トレーニングが、
実際的・実利的な効果を、
発揮するというわけなのです。
ここには、
興味深い心身の領域が、
大きくひろがっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
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気づきと変性意識の技法 基礎編
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映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

【内容の目次】

  1. 新約聖書と聖霊の暗示するもの
  2. 変性意識状態(ASC)と心理療法
  3. 聖霊 Ghost の働きとは何か
  4. グレゴリー・ベイトソンの学習理論と心の階層
  5. Ghost の変性意識状態(ASC)

別のページでは、映画『マトリックス』を素材に、私たちの日常意識と変性意識状態(ASC)の関係について取り上げてみました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

ここでは、『マトリックス』の元ネタのひとつである日本のアニメ映画『攻殻機動隊』を取り上げて、変性意識状態(ASC)私たちの心の階層構造について考えてみたいと思います。


1.新約聖書と聖霊の暗示するもの

さて、原作漫画でもそうですが、副題は Ghost in the Shell となっています。
このゴースト Ghost が今回のテーマです。

映画の中では、「Ghost 」とは、私たちの「心」を意味するものとして使われていますが、そこに幾重もの意味合いが重ねられているようです。
Ghost は、そもそも霊、幽霊を意味しています。含意としては、ポリスのアルバム・タイトルにもなったケストラーの『機械の中の幽霊 Ghost in the machine 』あたりがその由来かもしれません。というのも、私たちの「心」というものは、この科学的な世界観の中で「幽霊」のように奇妙な形で存在しているからです。

私たちの社会の中においてこの「心」の位置づけはきわめて曖昧です。
誰もがその存在を自明のものとしていますが、科学的にそれを取りだしてみせた人もいません。
脳に還元したり、神経情報だと言ってみたり、誰もがわかったつもりになっていますが、その実体がよくわかっていない「幽霊」のような存在です。

また映画の中で、重要な意味をもって引用される新約聖書の流れでいえば、Ghost は、三位一体のひとつの位格である聖霊 Holy Ghost を連想させます。
しかし、聖書の中でも、聖霊 Holy Ghost はよくわからない存在であるのです。

そして、映画のストーリーに即していえば、近未来の社会において「ゴースト」とは、他者によって Ghost ハッキング(侵入・乗っ取られる)されることにより、「疑似体験の記憶(ニセの体験)」さえ、注入(ねつ造)されてしまう曖昧な存在になっているのです。
そのような未来社会にあっては、身体(義体)の中にある自分の「心=ゴースト」の「自分らしき」クオリア(質感)さえ、もはや自分自身の存在(同一性)の確証にならないという奇妙(不安)な事実が、Ghost (幽霊)という言葉には込められているのかもしれません。

ところで、映画の中では、新約聖書のパウロ書簡、コリント人への手紙の一節が重要な意味をもって引用されています。

「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧(おぼろ)なり」

草薙素子とバトーが非番の日に船の上で、謎のハッカー「人形使い」のメッセージを聞くのです。

そして、この一節は映画のラストシーン、草薙素子がバトーとの別れ際に、さきの節の前にある言葉を引いて、現在の自分の心境(状態)を表すものともなっています。

「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」

さて、映画の中では引かれていませんが、人形使いのメッセージは実は文章の前半節であり、この節の後には次のような言葉が続いていました。

「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」

今は鏡を通して見るようにぼやけて見ているが、その時が来たら、顔を直接あわせて見ることになるだろう。
今は、不完全にしか知ることができないが、その時が来たら、すべてをあきらかに知るようになるであろうということです。

この言葉は、草薙素子の「自分らしき」Ghost をめぐる疑惑と焦燥感と、謎のハッカー「人形使い」との邂逅にまつわる背景的な雰囲気(けはい)として終始流れているものです。

そして物語は、終盤、草薙素子が、人形使いの Ghost の秘密を探るために、きわどい状況下で人形使いの義体にダイブして、図らずも人形使いの Ghost と相見えて、結果、ネットに遍在するかのような彼の Ghost との「融合」に導かれ「さらなる上部構造にシフトする」ところで、クライマックスを迎える形となっているのです。

2.変性意識状態(ASC)と心理療法

さて、この話にあるような Ghost (心)の「上部構造(上部階層)」などは、フィクション(虚構)の中でしかあり得ないように見えるかもしれません。ところが、実はそうでもないのです。それが今回の話のテーマとなります。

拙著『砂絵Ⅰ』の中でも、さまざまなタイプの変性意識状態(ASC)の体験談を書きましたが、実際のところ、歴史的な文献などを調べていくと、強度な変性意識体験においては、私たちの「日常意識」が下位の意識として感じられる上部(上位)意識らしきものの存在を予感するような報告は多数存在しているのです。むしろ、ありふれた事例ともいえるでしょう。
さきほど触れた新約聖書に出てくる「聖霊に満たされた体験」などもそのような
ケースのひとつといえるでしょう。
変性意識状態(ASC)の中でも、シャーマンの儀式LSD使用等による強度なサイケデリック体験、臨死体験などの特異なタイプの体験においては、実際そのような事柄も体験されがちになっているのです。

そのような状態においては、私たちの意識や知覚は、別種のもののように澄みきり拡大し、あたかも「かの時」に「全く知る」かのようになって、日常意識の限定された状態を、「下部構造のように」透視していくことにもなるのです。そして、私たちは「かの時」でしか知りえないかのような隠された情報にアクセスすることもできるようになるのです。

ところで、このような心(意識)の構造的な「上層と下層」を感じさせる構造は、心の活動(アクション)面で見れば、(特異な変性意識状態のような劇的な形ではなくとも)ごく普通の心理療法(ゲシュタルト療法)のセッションの中でもつねに起こっているものです。
例えば心の葛藤状態を解決するために行なうゲシュタルト療法の(エンプティ・チェアの技法を使った)セッションを例に取り上げてみましょう。
このタイプのセッション(ワーク)においては、セッションが進んでいく中で、クライアントの方は軽度な変性意識状態に入っていきます。
そして、その状態の中では、葛藤する欲求(感情)をもった自分の中の分裂した「複数の自我状態」
、外部の場所(椅子)に取り出していくということが技法的に可能になります。(催眠でいうアンカリング技法が使われます)
そして、セッション(ワーク)の中で、各自我状態)の中身を丁寧に表現したり、対話させていくことにより、各欲求状態(自我状態)の間に、感情的・情報的な交流が発生し、だんだんと二つの欲求(感情)が融合していくということが起こってのくるのです。
また、その融合に従い、2つを融合させたたような、より「統合的・拡大的な自我状態」が自然に生成してくることにもなるのです。

クライアントの方の主観的な感覚としては(また機能としても)、最初の個々の欲求(自我状態)に対して、統合的な自我は、より「上位的な自我状態」として立ち現われてくる実感があります。欲求や感情の受け皿として、より幅広い器の大きさを持っているのです。

実際のところ、統合的な自我状態というものは、最初の欲求(自我)状態を、その部分(下部)としてその内に持っているものなのです。そして、統合的な拡大した自我状態の内にあって、各欲求(自我)は葛藤状態ではなく、下位の個性や能力としてそこに正しく働いているという感覚(変化」を持つようになるのです。心の機構(メカニズム)が整列されて、正しく稼働するようになるのです。

ここには、葛藤する自我状態と統合的な自我状態との間に、ある種の上下階層的な構造が存在しているのです。

また、実際、このようなセッション(ワーク)を数多く繰り返していくと、クライアントの方の中に、心の「拡張」「余裕」が生まれてきて、以前より「泰然としている自分」「統合し拡張された自分」というものを自分の中に発見することになるのです。

昔は葛藤したり、悩んでいた同じ事柄を、今では、以前ほどは気にしていない自分(の要素)を発見するわけです。
これなども、より上位的なレベルの「統合的・拡張的な自我状態」が、自分の中に育ったためと言えます。これは後述しますが、階層の高い心の機能が学習された結果ともいえるのです。

このように身近な事例からも、心の階層構造というものを想定することができるのです。

 

3.聖霊 Ghost の働きについて

さて、映画の中では、新約聖書の言葉が、重要な意味合いを持って引用されます。

ところで、宗教的・教義的な文脈とは関係ないところで、初期のキリスト教徒たちに起こった神秘的な体験群が、つまり変性意識状態がいかなるものであったかと考えるのは興味深いテーマです。

特に、聖霊 Ghost 関する記述は、キリスト教や宗教に限定されない心の普遍的な働きを感じさせるものであるからです。私たちも、聖霊体験のようなものや異言などを持つことがあるからです。

ところで、ロシアの思想家ベルジャーエフは、精神の自由に関する興味深い論考の中で、聖霊 Ghostにまつわるさまざまな指摘を行なっています。

「四福音書、ならびに使徒の書簡を読むと、パン・プノイマティズムの印象を受ける。いたるところ、霊である、という感銘を強く受けるのである。そこでは、いわゆる聖霊という教義は、まだ出来上がっていないといっていい。そういう教義は、使徒にもまた護教者にも見出すことはできない。(中略)聖霊とは人間にとくに近いものである。それは、人間に内在している。その働きはひろく万人に及ぶものの、それ自体は不可解な深秘に充ちている。いったい、聖霊について教義を立てることができるであろうか。私の考えによれば、それは不可能といっていい」ベルジャーエフ『精神と現実』南原實訳(白水社)

「S・ブルガーコフはいみじくも言った。聖霊がある特定の人間に受肉することはない。聖霊の受肉は、いつも全世界にあまねく及ぶ、と。精神―ひいては霊と聖霊との関係をくわしく規定するのが困難なのは、まさにこのためである。聖霊は霊のなか、心のなか、精神のなかに業を行なう」(前掲書)

「聖霊の働きは、どういう現実となってあらわれるだろうか。抑圧され卑しめられた人間の実存が終わりをつげて、心が生命にみちあふれ、高揚し、エクスタスにおちいることこそ、聖霊の業のしるしである。これは、聖書に記されている聖霊の特徴でもあれば、また文化・社会生活における精神の特徴でもある。新神学者聖シメオンの言葉がある。聖霊にみたされた人間は、文字に書き記された掟を必要とせず、と」(前掲書)

聖霊の働きというものは、人形使いの Ghost のように、世界や私たちの内外にあまねくいきわたっているかのようです。

 

4.グレゴリー・ベイトソンの学習理論と心の階層

さて、ここから、Ghost にまつわる階層構造について、ある学習理論を参考に考えてみたいと思います。

ところで、学習理論においてはグレゴリー・ベイトソンの学習理論が有名なものとして知られているところです。

何かを学習する取り組みの中で、一次学習、二次学習、三次学習と、直接的な学習(一次学習)に対して、そのコンテクスト(文脈)についての学習も、上位階層の学習として発達していくという理論です。
「学習すること自体」が、(メタ的に)学習されるのです。

例えば、ひとつの外国語をマスターすると、通常、第二外国語をマスターすることは容易くなります。
「外国語を学習する」ということ自体(そのコンテクスト)がコツとして学習されたからです。
ある乗り物の運転を覚えると、他のジャンルの乗り物の操縦も容易くなるのです。整理すると、以下のような階層構造になります。

・0次(0) 学習がない
・一次(Ⅰ) 学習する
・二次(Ⅱ) 「学習する」ことを学習する
     「学習すること」についてのコンテクストを学習する↓

「行為と経験の流れが区切られ、独立したコンテクストとして括りとられる、そのくくられ方の変化。そのさいに使われるコンテクスト・マーカーの変化を伴う」ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)

・三次(Ⅲ) 「『学習する』ことを学習する」ことを学習する
 →「学習すること」についてのコンテクスト化を再編集(再コンテクスト化)する。

二次、三次の学習は、その生体の任意の情報の組織化(コンテクスト化)といえます。

通常、芸事や技芸に上達することは、大体このように推移します。二次学習のレベルが上がると、個々の技というものはグッと次元を超えてよくなります。上位の学習能力が育っていくと、下位の学習力自体も、的を得たものになり、下位の能力をハンドリングする能力自体も高まるようです。

さて、ところで、興味深いことにベイトソンは、精神医学的な研究から私たちの普段の「心」も、習慣によるそのような二次学習の結果であると洞察している点です。そして、それを変化させるのがより上位レベルの三次学習(学習Ⅲ)であるという点です。

二次学習発生の由来が、おそらく問題解決に費やされる思考プロセスの経済性であると指摘したうえで、以下のように記します。

「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、何の役に立つのかという問いに、『それによって生のシークェンスの多くを、いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』という答えを用意したわけである。『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」(前掲書)

「習慣の束縛から解放されるということが、『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、形づけ方の『型』である。要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。とすれば、Ⅲのレベルに到達し、自分の行動のコンテクストが置かれたより大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」(前掲書)


さきほど、エンプティ・チェアの技法のセッションで、何が起こるのかについて記しましたが、そのような階層的な事態が、この引用した文章と響きあっていることが分かると思います。

その事態が、心の二次学習のコンテクストを、三次学習的に書き換える作業だということが、見てとれるかと思います。セッションの中では、そのような階層構造が現れているわけです。

また、芸事の学習などにおいても、「守破離」ということが言われます。
芸を深めるプロセスにおいて、だんだんと「型」を順守していた段階を踏み破り、その「型」を離れていく段階がおとずれるというわけです。
これなども「型」を十分に習熟した挙句に、その中で育った二次学習そのものが臨界点に達し、気づき awareness の中に乗り越えられていくプロセスであると考えることもできるわけです。

5.Ghost の変性意識状態(ASC)

ところで、このような学習の階層的構造が、変性意識状態(ASC)下における Ghost (心)の気づくawareness ことを学習する中でも、どうやら育っていく可能性があるということが各種の観察からもうかがえるのです。

特殊な状態下での、気づくawarenessこそが、その二次学習的な能力も育てていくという可能性です。
高次の気づくawarenessが育っていくというわけです。

実際のところ、心理療法のセッションや、瞑想における気づきの訓練明晰夢 lucid dream の中での気づきの取り組みは、私たちの気づく能力を間違いなく高めていくものです。
その背後では、おそらく、なんらかの「高次元の学習」も育っていると思われるのです。
そして、その様相(内容)は、古今東西の瞑想や神秘主義の伝統の中で、「意識の階層」として語られている事態とそんなに違うものではないのです。

実際、日常意識と変性意識状態を数多く行き来(往還)することで、学習された「気づきの力」は、非常に奥行きと高度(深度)のある力を持ちはじめるものです。その結果として、私たちの心における自由の実感をより高めていくこととなるのです。

また、関連でいうと、しばしば、強度な変性意識状態の中では、心理的に強烈な治癒(癒し)の効果が現れることがあります。聖書に書かれている「聖霊 Ghostにみたされる」などの宗教的な神秘体験などもそうです。

これなども、階層的なシステムとして考えてみることができます。

潜在的な因子としてあった何らかの上部(高次)階層の働きが、下部(下位)階層の情報プログラムの混乱状態(感情や思考の混乱)に対して、それらの情報を整理・整列・統合させるように働いた結果であると考えることもできるわけです。

私たちの中で、「さらなる上部構造にシフトし」、それらに連なる能力を育てて(学習して)いくことにより、拡大された意識状態を得ることにより、そのような治癒や能力の拡張を期待することもできるわけなのです。

 

◆「Ghost の囁き」

さて、以上、映画『攻殻機動隊』の設定を素材に、心理療法から変性意識状態(ASC)、聖霊の働きから学習階層理論と、Ghost (心)の持つ可能性についてさまざまに検討を加えてみました。

これらは、筆者の変性意識状態(ASC)の体験等に裏付けられたものですが、また各種の伝統によって語られるものではありますが、可能性としての仮説に過ぎません。もし、何か「心」に響く点がありましたなら、ぜひ、ご自分の「 Ghost の囁き」にしたがって、この道の行方を、実際に探索・体験・確認してみていただければと思います。



【ブックガイド】
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↓動画解説「映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識」

↓動画解説『サイケデリック(意識拡張)体験とメタ・プログラミング』

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

↓動画解説 「変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際」


底打ち体験と白い夜明け デイヴ・ビクスビー

さて、俗に、
底打ち体験、底つき体験などと、
言われている体験があります。

人が、長い期間に渡り、
心の落ち込みや、
鬱から逃れられずに、
先の見えない魂の暗夜を、
悶々と過ごした果てに、
ふと、なぜか、
下降の底に、
行き当たってしまうという体験です。

底なしだと思っていた状態に、
底があったわけです。

明けない夜が、
明けたわけです。

心の下降を行ききった果てに、
底を打ち、
魂の奥底から、
何かが浮上していたことに、
気づくわけです…

さて、そのような経験は、
このような言葉が、
一般の言葉にあることから考えても、
人々の人生経験の中で、
類型的に存在していることが、
うかがえるものです。

ところで、
の中では、
心理療法などに見られる、
人の心の変容過程について、
3つのフェーズに分けて解説しました。

また、それらの変容形態が、
神話その他の、文化的な事象にも、
普遍的に見られることについて、
触れました。

このモデルの中では、
底打ち体験、底つき体験は、
魂の暗夜であるフェーズ2を抜けた後の、
フェーズ3のはじまりに、
位置しています。
その転回点が、
底打ち体験なのです。

そこで、私たちは、
旅路の果てに、
自らの心の底の、
ひそかな重層性に、
気づくことになります。
 
心を熔かすような、
暗いプロセスの果てに、
厚みのある力や、
精神の内実が、
自分の心の底に、
育っていたことに気づくのです。

運命が、その労苦の意味を、
明かして来るのです。
これまでの長い間の苦労が、
救われるのです…

さて、
ここに一枚のレコードがあります。
昔は、アシッド・フォークなどに分類されていたものですが、
デイヴ・ビクスビー Dave Bixbyが、
1969年に録音し、1000枚ばかりプレスしたものです。
アシッド・フォークの作品の多くがそうであるように、
その後、一部の人々の間で話題となり、
徐々に知られるところとなったものです。

その歌の数々は、
ビクスビーが、
ドラッグ中毒から、
抜け出ることを通して感じた恩寵が、
赤裸々かつ清冽に、
刻まれたものとなっています。

そして、
実際のところ、
この作品におけるほど、
暗黒の中から抜け出た時の、
黎明の感覚を、
見事に造形した作品も、
他にないといっていいのです。

その白い夜明けを、
「はじめての朝」の感覚を、
奇蹟的に描けた作品となっているのです。

それは才能ばかりでなく、
ビクスビー自身が、
心の切実さ(切迫)から、
その経験の意味を、
結晶させることを強く願ったからでしょう。

ところで、私たちは、
さまざまな心の変容過程をくぐり抜けても、
時と共に、雑事にまみれる中で、
その心の決定的光景を、
しばしば風化させてしまいます。

ビクスビーの歌には、
そのような私たちの心の鈍麻を、
鉱石のように磨き、
白い夜明けを思い出させる、
どこか凛冽で、不思議な力があるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



 

 

   


【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

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モビルスーツと拡張された未来的身体

さて、拙著
の中では、
意識拡張の実践である「夢見の技法」を語る際に、
私たちの心理的投影と、身体性が、
どうかかわるのかについて、
紙数を割きました。

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
私たちが、世界を、
投影した身体性を通して、
理解するその仕方について、
分析をしてみました。

そして、そのことが、
夢見の技法として、
どのように利用可能なのかについて、
考察してみました。

さて、ここでは、
そのような文脈で、
拡張された(投影的な)身体性と、
意識拡張との関係について、
考えてみたいと思います。


◆モビルスーツの身体領域

「モビルスーツ」とは、
一時代を画したアニメ作品、
『機動戦士ガンダム』の中に登場する、
戦闘用の機体(ロボット)のことです。

アニメ作品『機動戦士ガンダム』は、
初回作品と、その玩具(プラモデル)が、
一世代の熱狂を引き起こし、
シリーズ化されていったものです。

また、その作品の物語設定についても、
独特の仕掛けが、さまざまあり、
セカイ観を売り物にする、
その後のアニメ作品群の先駆けになったとも、
いえるかもしれません。

しかし、筆者が、
ここで、特にテーマとしたいのは、
「モビルスーツ」というロボット(機体)の、
拡張された身体性としての意味合いなのです。

ところで、
モビルスーツは、
それまであったアニメ作品、
『マジンガーZ』のような、
偶発的なロボットとは、趣を異にし、
未来国家の量産型の軍事兵器として登場します。

元々は、番組から玩具をつくり出す、
マーケティング上の必要性があったわけですが、
物語の設定上でも、
高度に発達した未来社会の戦争においても、
なぜ、ロボット同士の白兵戦が必要であるのかという、
納得性(設定)を形成することで、
高機能化し、進化していくモビルスーツの、
必然性をつくり出すことになったわけでした。

ところで、一方、
実際、後に、玩具としてヒットするわけですが、
モビルスーツの、
あの美的で、不思議なデザインがなければ、
時代の(その後の)熱狂を、
つくり出すこともなかったとも思われるのです。

特に、玩具商品のラインナップの大部分であった、
ジオン軍のモビルスーツの持つ異形性・新奇性、
ガウディの作品のような、曲線を多用した、
あの有機的なデザインが無ければ、
そこまでの支持は得られなかったとも類推されるわけです。

また、玩具自体について言えば、
それまでのプラモデルにあまりなかった、
関節の「可動性」を高めた点も、重要なポイントでしょう。
子どもたちは、自らの身体性を、人形に投影するので、
人形の可動性の高さは、
そのまま、子どもたちの感覚の自由度を、
高めることにもなるからです。

現在でも、フィギュア商品の、
可動域の広さが商品の売りとなるのは、
そのような意味合いだとも考えられるのです。


◆拡張する未来的身体と、意識の拡大

さて、物語の展開にしたがって、
軍事兵器としてのモビルスーツは、
次々と高機能化し、
進化していくわけですが、
興味深いことは、
その進化にともなって、
物語の終盤には、
進化したパイロット(ニュータイプ/超能力者)も、
現れて来るということです。

ストーリー的には、
偶然、特殊進化(超能力化)したパイロットに合わせて、
進化させたモビルスーツが、
作られたようにも見えます。
物語的には、
宇宙空間に出た人類が、
自然に進化していくというイメージです。

しかし、通常、
このような生物の能力進化とは、
環境と生体との相互作用の結果であり、
どちらかが原因であるとは、
一概に特定できないものなのです。

フロー体験に見られるように、
環境と、表出(表現)と、内容(生体)との、
ギリギリの極限的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

つまり、
物語の設定でいえば、
宇宙における戦争・戦闘という極限状態の中での、
拡張された表出身体(モビルスーツ)と、
内容(パイロットの知覚力・意識)との、
高度的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

モビルスーツがなければ、
ニュータイプも生まれなかった。
こう考える方が、
面白いと思います。

宇宙空間を、高速で稼働する、
機械の身体があったからこそ、
知覚能力の進化が、
加速されたというわけです。

フロー体験について分析されるように、
通常、私たちは、
挑戦的な、困難な状況の中での、
的確な(拡張された)身体活動によって、
知覚力や意識が拡張されていくわけです。

そのような事柄が、
この物語作品の中では、
一定の納得性をもって描かれたために、
一見無理やりで荒唐無稽にも見える、
ニュータイプの設定が、
表現としての強度を持ちえたのでした。
事実は、
そんなにニュータイプな事柄ではなかったのです。
むしろ、古典的(神話的)ともいえる事象だったわけです。


◆日常生活におけるモビルスーツ(拡張する先導的身体)

さて、ここで、
焦点化したい事柄は、
モビルスーツのような、
宇宙空間において、高速で稼働する、
疑似身体(拡張された)が、
ニュータイプ的能力を覚醒させ、
拡張させていったという事柄です。

新奇で、一歩先を行く表現活動(形態)が、
私たちの拡張された知覚力や意識形態を
引き出していくという点です。

そして、
この能力の特性は、決して、
SF的な事柄に限定されるものでは、
ないのです。
この日常的現実で、
普通に起こっている事柄なのです。

さて、私たちは、
身体という場で、
世界と出遭っています。

そして、この身体は、
肉体に限定されるだけでなく、
モビルスーツにように、
投影的で、創造的な活動領域全般に、
延長されているものなのです。

そのため、
私たちが、
自分の知覚力や意識を、より拡張し、
能力をより高めていきたいと考える場合には、
活動しているフィールド(場)を、
私たちの能力が、
引き出され(拡張され)やすいように、
焦点化して、
設定してしなければならないのです。

宇宙(人生)を高速で横切るかのように、
自分に課す日々の活動内容や、
人生の目標など、
自分の限界を超えるかのように、
全身全霊で取り組まざるを得ないように、
場や標的を創り、
急襲していく必要があるのです。

それには、
戦闘のような、
つねに、気づきawarenessが求められる、
強度をはらんだ持続性が必要です。

徹底的に追い求めることにより、
能力というのは、
一線を超えた力を、
発揮はじめるのです。

そして、
そのような強度の果てに、
困難や既知の自己を、
超えはじめた時に、
私たちは、
人生の新しい次元(宇宙)を、
見出しはじめることができるのです。


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在りてあれ!

さて、

真冬の寒い日々の中でさえ、
たまに気温の高い日があると、

すぐに羽虫などが涌いて来るものです。
 
また、すぐ寒くなって、
どうせ死んでしまうのに、
なぜ、そんなに慌てて、
すぐ生まれて来ようとするのか。
少し痛々しく、
また虚しい気がします。
 
そして、
ふと思うのです。
 
これらの命は、
何かをするdoingためではなく、
ただ在るBeingこと自体のために、
生まれて来ているのではないか、と。

実は、

ただ在るBeingこと自体が、
大したことであるからなのかもしれない、
とも、思うのです。
 
そのため、
宇宙の生命たちは、
わずかなスキマを見つけては、
ただ「在る」ことだけのために、
殺到するかのように、
この世に生まれて来ようとするのだと…

 

 
さて、ところで、
人は、歳をとって来ると、
かつて、ともに道を探求した仲間たちに
すでに亡くなってしまった者たちが、
だんだんと増えて来ます。
 
日々の中では、
そのように早世した誰彼を、
ふとした機会に、
思い出したりもします。
 
慌ただしくも、
あっけなく去っていった友人たちを…
 
そして、
信じられない気がします。
 
自分は、今も、
この現実を、
こんな風に感じながら、
道を探している。

しかし、
彼、彼女らが、この現実を、
もう経験していないとは、
いったいどういうことなのだろうかと。
 
若い頃、あんなに熱っぽく、
探求とその未来について語り明かしたのに、
(昨日のように思い出されます)
その彼らが、
今はもう探求していないとは、
どういうことなのだろうかと。
 
自分が、探求の末に、
ようやく小さな突破口、
真の人生のスタートに到達したと思ったら、
その時には、彼らは、
既にこの人生を終わらせ、
完結させてしまっていたとは、
どういうことなのだろうかと。

彼らは、探求の結論を、
少しでも、
得ることができたのだろうかと…

そして、

不思議な気がします。

自分の経験しているこの時間と、
彼らの何も経験していない時間…
 
もう何も経験していないとは、
どういう状態なのであろうか。
 
そして、
つくづく思います。

この「糞のような現実(世界)」でさえ、
彼らはもう何も経験していないのだと…
 
そして、
そのことを思うと、
この「薄絹」のような、
在るBeingについて、
まざまざと、
気づかされるのです。
 
自分のこの現実が、
一瞬のちまで、
存続していく保証など、
何も無いのだと。

(彼らだって、
そんなにも早く、
自らの生が終わるとは、
信じられなかったでしょう)

そして、
思うのです。

この薄氷のような、
現実の上を、
(彼らの分までも)
凝視するように、
綱渡りをするように、
仔細漏らさずに、
生きるべきではないか、と。
 
今にも終わってしまうかもしれない、
この存在を、
そんな風に色濃く味わいながら、
瞬間瞬間を、
生の意味を、
結晶させていくべきなのだ、と。

「在りてあれ!」

 

どこからか、
そんな声を、
聞くような思いがするのです。



夢見の技法Ⅳ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より




(夏の朝…)

 

 

 

 

 

夏の朝

 

嵐すぎ

 

われるよう

 

澄みきる

 

大気のあつさ

 

海べり

 

見わたす

 

真青のあつみ

 

反射する

 

目痛い

 

まぶしさ

 

砂浜の

 

鳶たちの点影

 

啼き声

 

高く

 

風ない浜の

 

照りかえす

 

陽の

 

烈しさ

 

散らばる流木に

 

歩みの足もと

 

砂のめり

 

躯のふしぶし

 

透きとおす

 

暑さのうねり

 

光はらんだ

 

目路のかなたに

 

あと刻む

 

砂のつらなり

 

陽の奥に

 

昏い喪失の

 

わずかに鎮まり

 

遠く波だつ

 

野生の

 

どよめき

 

重い

 

ひずむよう

 

あわいを

 

聴いていく

 

 

 

…………

 

岬をめぐる

 

晴れた入江

 

鳥影うごく

 

空の高さ

 

護岸工事の

 

かたい重機音

 

路面の

 

黒く艶めき

 

行きあたる

 

路地に

 

暑気の

 

とどまり

 

褪せた案内に

 

古蹟をみとめ

 

石の路を

 

登っていく

 

人いない古道の

 

樹々の繁り

 

細まる山径を

 

ながくぬけ

 

旧蹟の碑

 

ちいさな展望台に

 

たどりつく

 

 

 

見渡される

 

遥かな湾

 

照りかえす

 

かがみのよう

 

しずかな

 

 

さざなみの

 

皺のよう

 

ゆらめき

 

陽の

 

凝集する

 

反射の

 

 

褶曲する

 

湾岸のむこう

 

巨巌の

 

黒く霞み

 

浜にたどった

 

足どりを

 

さがしている

 

 

 

…………

 

雨に

 

うたれていた

 

夜じゅう

 

肌つたう

 

水滴のながれ

 

せまい窪地に

 

うずくまり

 

嵐の来

 

うちつくす

 

雨のはげしさ

 

生である

 

緊い圧搾に

 

雨のそこい

 

漂白されるよう

 

うたれていた

 

……………

 

 

 

陽の射す

 

真黒な翳らい

 

暑さむせる

 

籠りのゆらめき

 

生樹の気の

 

匂いつよさ

 

燐のふるよう

 

視像ちらつき

 

這いのびる樹々の

 

清冽ないぶきに

 

毛孔梳く

 

浄まりのささり

 

岬まく

 

高い山道を

 

登っている

 

いただき向かう

 

蔭ふかい径

 

分岐をかさね

 

みなれぬ草の実

 

見つけている

 

太古のけはいの

 

肉底くいこむ

 

生のはえぎわ

 

猛ける緑樹の

 

根をくぐり

 

草叢の奥

 

しらずに

 

藪に迷いこむ

 

昏い山蔭めぐる

 

夏草の繁茂

 

執拗にからむ

 

悪い蔓の毛ぶかさ

 

ぬかるむ土の

 

異臭の泥黒さ

 

見晴らしもとめ

 

急峻なけもの径を

 

渇くよう

 

あがっていく

 

苔むす倒木を

 

跨ぎこえ

 

巨木の交う

 

秘かな暗緑の森陰

 

ぬけていく

 

見あげる

 

高い樹冠に

 

葉蔭ひらき

 

覗く

 

濃緑の聳え

 

鬱蒼の山嶺

 

射しこむ

 

陽の

 

烈しさ

 

ささめきひしめく暑熱の

 

白昼のしずまりに

 

凝視きしみ

 

砕き

 

伐りだされる

 

青空の

 

原石

 

ないものの奥に

 

眩みの

 

一点

 

澄んでいく

 

 

 

…………

 

よせる

 

潮の泡

 

洞窟の口あらい

 

碧の窪み

 

浪のあかるさ

 

底うつる

 

礁の

 

緑青

 

 

 

(…白熱のよう……)

 

 

 

 

 

…………

 

灌木のびる

 

巌の小径

 

四肢で樹枝つかみ

 

棘だつ草藪を

 

降りていく

 

岬をめぐる

 

昼の山径

 

綿ちらす

 

背のある野の草

 

波うつ

 

羊歯の葉群れ

 

巨大な杉の樹生の

 

翳らいに

 

陰鬱な林立ぬけ

 

見おろされる

 

麓の建物

 

廃れた白い工場

 

谿かかる

 

大きな鉄橋に

 

かすかにきこえる

 

役場の

 

拡声放送

 

朽ちたバス停に

 

ふた昔前の

 

昭和の広告がある

 

灯りのない

 

コンビニ酒屋に

 

埃りをかぶる

 

土産物たち

 

草藪ぬけた

 

熱い余燼に

 

うつし身の

 

わずかに凄み

 

指先に

 

注視するよう

 

光が

 

よせている

 

……………

 

………

 

土地をはなれる

 

列車に見る

 

午後の入江

 

燦燦と

 

ひたすあかるみに

 

黒い巌々の

 

奇岩の姿

 

見つめる

 

砂浜の

 

遥かに

 

つらなり

 

澄みきる

 

大気のあつさに

 

海べり

 

見わたす

 

真青のあつみ

 

反射する

 

目痛い

 

まぶしさ

 

水平線の

 

彩り透ける

 

碧翠に

 

鉱石のよう

 

硬い

 

恍惚

 

きこえる

 

詠唱の

 

かすかな歌声

 

儀式の終わりに

 

樹々の下

 

露営をたたみ

 

雨の痕

 

濡れた敷布を

 

ぬぐっている

 

道具をしばり

 

ゴミをひろい

 

囲んだ火のあとに

 

土を戻していく

 

撒かれる

 

祈りの言葉

 

のぼっていく

 

水底の泡だち

 

いくすじもの水沫に

 

身うちの

 

さざめき

 

透きとおり

 

像をなす

 

けばだち

 

飛沫

 

過ぎさった

 

車内の音声に

 

遅れて気づく

 

担ぎあげる荷物の

 

なれた重さ

 

乗換駅に

 

山気はただよい

 

人いない階段を

 

あがっていく

 

 

 

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

夢見の技法Ⅲ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より



 

(春の蒼…)

 

 

 

 

 

春の蒼

 

くらい

 

薄墨のよう

 

朝まだき

 

雪頂く巌の

 

遠い峰々

 

あおぐ麓の

 

大気の

 

澄みきり

 

霜凍る

 

寒さの

 

きびしさ

 

肌をそばだつ

 

樹陰に

 

黒ずむ径を

 

降りていく

 

葉枝にふれる

 

かすかな

 

鳥声

 

黙だすよう

 

しずんだ樹皮の

 

かわく匂い

 

蔭にうかぶ

 

荒れた岩の

 

ひえたけはい

 

繁みかかる

 

樹々の下を

 

ぬけていく

 

遥かに見おろす

 

谿底の

 

ほそい流れ

 

不眠によせる

 

夜の潜伏を

 

まどろむよう

 

たどっていく

 

 

 

…………

 

夜の峰々に

 

浮かぶ

 

黒い稜線

 

越える峠の

 

たかい草藪に

 

忍ぶよう

 

径を

 

追っている

 

照らす

 

月明かりに

 

刻まれた

 

何者かの

 

足痕

 

澄んだ藍色の

 

流れる底

 

夜の指さきに

 

なぞられる

 

獣の

 

掻ききず

 

草叢の

 

ふかい繁みを

 

延々と

 

つけていく

 

跡をさぐり

 

糞をみとめ

 

毛のおちた

 

ぬた場を

 

たしかめていく

 

冷えた土の

 

わずかの紊れ

 

そよぐ草木の

 

夜風にきえる

 

匂い

 

痕のあるじを

 

追ううちに

 

あるじの

 

分身に

 

なっていく

 

かるい枯葉を踏む

 

急坂の小径

 

丈高い草枝の

 

その奥に

 

まじかなけはい

 

嗅ぎつけ

 

過ぎた像を

 

粘るよう

 

黒闇に

 

見凝めていく

 

湿った土くれの

 

黴の臭い

 

霜の割れる

 

かすかな繊音

 

かじる樹の芽の

 

ひろがる苦さ

 

波うち震える

 

月の光りを

 

毛深くまとい

 

地を這う何者かの

 

ひそめる

 

息づかいに

 

なっていく

 

照らされる山林の

 

奥まる胎内に

 

駆られるよう

 

攀じてゆき

 

山峡に

 

根太く

 

曝される

 

まさかりのよう

 

夜気の群れ

 

肉のからだの

 

あかるく膨らみはじめ

 

背骨をのぼる

 

樹液の

 

まばゆさ

 

狭くなる

 

いそがれる山径の

 

産道のよう

 

険しいさきに

 

ひしめき

 

凝集する

 

繁茂の

 

息ぐるしい

 

光点

 

はいりこみ

 

痕なくきえ

 

肉厚いひろがりの

 

ましろな

 

暑熱に

 

なっていく

 

 

 

………

 

…………

 

薄墨のよう

 

くらい

 

朝まだき

 

雪の峰々の

 

遠いつらなり

 

黒い麓の

 

凛冽なけはいに

 

大気の蒼の

 

かたくさえ

 

樹々の黙だしに

 

寒さの

 

きびしさ

 

仄白い

 

根方の傷に

 

夜になくした

 

痕跡

 

見つけている

 

霜のくだけた

 

水の匂い

 

枝さきの

 

つめたい葉脈に

 

生を濃くする

 

夜の疾駆を

 

透かしている

 

音なくあがる

 

たかい羽ばたき

 

森蔭に

 

肌を梳くよう

 

いぶきの

 

醒め

 

岩間に翳す

 

ちいさな花弁の

 

晴れた面ざし

 

奥処に

 

澄みきる

 

予兆の

 

葉群れ

 

径々に

 

やがてくる

 

陽のかわきを

 

嗅いでいく

 

 

 

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

夢見の技法Ⅱ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より





(雪粒の…)

 

 

 

 

 

雪粒の

 

風疾さ

 

指あたる

 

ふぶきの

 

唸り

 

捲き風の

 

肉擦るよう

 

熱うばい

 

視界を紊れる

 

粉塵の

 

ぶ厚さ

 

雪しろく

 

舗道を

 

埋まり

 

緊めるよう

 

群がる

 

埋葬の

 

冬凍土

 

降るものの

 

白と白のあわい

 

ふと吹きぬけ

 

夜の奥に

 

嘲けりのよう

 

透ける

 

光の痕

 

けぶれるさきを

 

射るよう

 

見入っていく

 

 

 

………

 

影ない

 

白い路面

 

駅むかう

 

ながい通り

 

壊れた看板の

 

転がり

 

靴ひたす

 

氷の泥濘

 

濡れた足先の

 

凍えに

 

くらい渇きが

 

澱むよう

 

沈んでいる

 

たどりついた

 

漂着の

 

下層の

 

ふき溜まり

 

垢じみた

 

労役の

 

うす汚れた

 

空無を

 

ぬけていく

 

かつて眺望した

 

境涯をはなれ

 

底辺の

 

塵のよう

 

穢土を

 

降りている

 

懐かしい様式の

 

昭和のビルの

 

つらなり

 

壁面の

 

かがみのよう

 

濡れて

 

見透かすさきに

 

知らなかった

 

夭折を

 

憶いだす

 

橋梁の下の

 

吹きこむよう

 

真黒い

 

排口

 

雪に撓まる

 

樹々のしなだれを

 

穴のよう

 

ぬけていく

 

 

 

………

 

山峡の

 

きえかけた径を

 

わけていく

 

つづく雨は

 

傾斜きつい

 

ぬかるむ古道で

 

雪となる

 

見あげる巨木の

 

高い枝々

 

風捲きあげる

 

粉塵の

 

紊れた舞い

 

濡れる樹皮に

 

ふぶきの塊まりの

 

吹きつけて

 

瞬くまに

 

樹林を覆う

 

ましろな

 

酷烈

 

埋まる小径に

 

峠の

 

ながい迂廻を

 

たどっていく

 

けぶれる視界を

 

踏みまよい

 

とだえた標を

 

さがしている

 

降りしきる

 

山路にうかぶ

 

飢餓のよう

 

息づき

 

しみる氷片の

 

もげるよう

 

水ささり

 

雪の渓流

 

白い苔の巌々に

 

胎動する

 

かすかの疼き

 

うつし身の

 

剥がれ

 

透かされ

 

裸にされ

 

肉の身の

 

奥に

 

ふと

 

羽根のよう

 

火の

 

臨在

 

生のあえぎの

 

いそがれて

 

発熱する

 

凝視の

 

脈くらむよう

 

あかるさに

 

視えない

 

陽光が

 

濃くなっていく

 

巨岩に

 

妊み

 

膨らむ

 

生の胚

 

樹林の氷柱に

 

吹きぬけるよう

 

眼ざしの

 

雫し

 

しろい小径に

 

焼けどのよう

 

靴あと

 

つけていく

 

 

 

…………

 

街道沿いの

 

公園

 

まばらに立つ

 

旧蹟の碑

 

ひとけない

 

雪の残りに

 

芝生はねる

 

寒雀

 

覆うよう

 

巨きな樹木の

 

生い繁り

 

古くに組まれた

 

敷石を

 

降りている

 

樹間の籠りに

 

湿った草木の匂い

 

濡れた石組み

 

ひろがる池に

 

とおい飛石を

 

眺めている

 

逃れた

 

生のあわい

 

散らばる

 

苔の岩たち

 

死者と生者を

 

わかつもの

 

ひえた地面の

 

冴えた昏がりに

 

冬陽の

 

かすかに燦ざめき

 

肉の身の奥を

 

不壊のよう

 

ささえる

 

しらない白日

 

かわく肌のした

 

苛々と

 

はやまり

 

覚めていく

 

発芽のよう

 

微熱を

 

注視するよう

 

あつめていく

 

 


夢見の技法Ⅰ





(蜂の音…)

 

 

 

 

 

蜂の音

 

夏野の

 

つらなり

 

点々と

 

雫する

 

花さき

 

匂い

 

すばやく宙切る

 

黒の描線

 

塗りこむ

 

大気の暑さに

 

さざめく

 

陽光

 

ちりちりと

 

ひたすあかるみの

 

燦々と

 

視覚くらみ

 

白日の奥

 

ひかりさしぬく

 

野の径に

 

暗鬱の

 

一滴

 

さまよわせている

 

首つたう

 

汗のひとすじ

 

恃んだ肉の

 

莢のようしない

 

きつい土手を

 

ぬけるよう

 

這いあがる

 

藪の根のちかく

 

斥候のよう

 

身をひそめ

 

地熱に濃くなる

 

茎のあいだに

 

草の青みを

 

見入るよう

 

嗅いでいく

 

 

 

…………

 

夏岳の麓

 

遠く見る

 

なだらかな山裾

 

古びた廃線の

 

黒い高架

 

国道をはなれ

 

雨痕かわく

 

朽ちた集落を

 

ぬけていく

 

ひとけない山蔭の

 

饐えた小径

 

枝かたい藪を

 

わけいり

 

遺棄された畑を

 

見おろしている

 

土もろい勾配に

 

延びる山径

 

樹林のさきに

 

尾根の後背が

 

息づいている

 

 

 

………

 

見渡す

 

峠のつらなり

 

とおい山峡に

 

流れる銀の

 

ひとすじ

 

緑濃い

 

急峻な岩間に

 

うねった樹根

 

指をかけ

 

高みからおしかかる

 

巨きな岩盤

 

攀じている

 

憑かれた四肢の

 

胆汁の

 

かなしみ

 

角ばった石の径に

 

損耗した

 

肉の重みを

 

擦るよう

 

運んでいく

 

頂きちかくの

 

正午の

 

しずまり

 

照りかえし

 

凝集する

 

陽のあつさ

 

とりつく岩々の

 

白いめまいのよう

 

かすみ

 

真昼のそこを

 

焦げつくよう

 

透けていく

 

けぶれる

 

塵埃

 

陽の射す

 

石のさきざき

 

岩肌に

 

飛沫する

 

火傷のよう

 

午の痕

 

高くまみえる

 

山塊の

 

見あげる

 

峻嶺に

 

巌々に

 

崖をこえ

 

凝視ふみいる

 

空の奥

 

澄みきった碧の震度に

 

知らない記憶を

 

たどっている

 

だから

 

風の

 

故意のしずまり

 

くらい囀づり

 

灌木のあいだに

 

かたい陽ざしの

 

照りかえし

 

ひらけた岩場の

 

擦過する

 

無音のふるえに

 

なっている

 

足を切る

 

低樹の小枝

 

尾根づたいに

 

斜面ゆき

 

大気の厚みに

 

腱のうずきを

 

ぬけていく

 

かれついた白昼に

 

まばゆいものの

 

不意の

 

まぢかさ

 

視つめている

 

見遥かす

 

峰々のつらなり

 

かぐろい峡谷の

 

古代の鬱然

 

躯の奥に

 

尾根むこうの

 

遠い芯

 

つながり

 

梳けるよう

 

在りかを

 

さぐっていく

 

……………

 

 

 

蜂の音

 

夏野の

 

つらなり

 

葉群れうつ

 

黒の描線

 

塗りこむ

 

大気の暑さに

 

白日の

 

蜜のよう

 

陽光

 

風ない小径に

 

樹々のあいだ

 

積乱雲のましろを

 

おっている

 

岩盤むきだす

 

昏い威容

 

いそがれる

 

径ゆきに

 

巨岩の群れの

 

野生の

 

あらがい

 

樹間の

 

群生うつり

 

ぬけていく

 

草叢ひそむ

 

青や白の

 

ちいさな花弁

 

身のうちに

 

濃くなる

 

陰画のよう

 

黒薊

 

視野をかすめる

 

またたく

 

翅音

 

しずまり

 

待機する

 

肉さやけさに

 

痛みのおく繁茂する

 

光のけはい

 

見つめていく

 

 



→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

フロー体験とフロー状態について


さて、現代の心理学の領域で「フロー flow」として知られる心理状態があります。シカゴ大学のチクセントミハイ教授がまとめた心理状態の定義です。

スポーツ選手などが競技のプレー中、最高のパフォーマンスを展開している時などに、しばしば入る心理状態「ゾーン ZONE 」などとして人口に膾炙されています。
そこでは意識が変性し、「あたかも時間が止まっているかのように」「ボールが止まっているかのように」物事が鮮明に見られるとも言われたりします。
この状態は、広くは変性意識状態(ASC)の一種と考えてよいのです。

私たちも、普段の生活の中で最高にノッていて、何か物事に集中・没頭している時に、しばしばこのような意識状態に入っていきます。チクセントミハイ教授は語ります。

「…これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィートバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を『フロー』と呼ぶことにした」M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

そして、

「目標が明確で、フィートバックが適切で、チャレンジとスキルのバランスがとれている時、注意力は統制されていて、十分に使われている。心理的エネルギーに対する全体的な要求によって、フローにある人は完全に集中している。意識には、考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。することはなんでも、それ自体のためにする価値があるようになる。生きていることはそれ自体を正当化するものになる。肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、人生はついに非の打ち所のないものになる。」(前掲書)

と言います。

さて、この心理状態には、私たちが充実した生の感覚、充実した瞬間、ひいては充実した人生を生きるための実践的なヒントが含まれています。ここではそれらを少し見ていきたいと思います。

ところで、フロー状態についての知見が興味深いのは、この状態を僥倖のように散発的で偶然に生ずるものとしてではなく、諸条件によって意図的に創り出せるものとして研究がされているということです。

これらの知見は、私たちが、実際に物事に取り組む際に、自分の最高の内的状態と最高のパフォーマンス(アウトプット)を生み出すのに、どのように要件をそろえればよいのか、意図をフォーカスすればよいのかについて、さまざまなことを教えてくれます。

チクセントミハイ教授は、これらの内的状態の属性を以下のように数え上げています。
(『フロー体験とグッドビジネス』大森弘監訳(世界思想社)より)

①目標が明確であること

この目標は、長期的な最終目標のことではありません。
今、目の前で直接かかわっているこの事態、この過程の中で何に達すべきか、何がベストなのか、その目標を知悉しているということです。この今やるべき瞬間的過程の目標です。そこにパーフェクトなコミットメントがあり、ブレが無いということです。

②迅速なフィートバック

これはこの瞬間の、自分の行為に対する直接的なフィートバックのことです。
この瞬間の一手が正鵠を得ているのか、そうでないのか、その瞬時の返答がこちらの感覚を鋭敏に目覚ましてくれるのです。そのような直接のフィードバックがあることで、私たちは瞬時に行為と戦術を修正します。そして、すぐに再アタックできます。この瞬時の繰り返しの中で、私たちの俊敏な感覚的スキルが高まっていくのです。

③機会と能力のバランス

教授は指摘します。

「フローは、スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時に起こる傾向がある」「フローはチャレンジとスキルがともに高くて互いに釣り合っているときに起こる」「よいフロー活動とは、ある程度のレベルの複雑さにチャレンジしようとする活動である」(前掲書)

自己の錬磨したスキルを前提に、それをさらにチャレンジ的に働かす時に、フロー状態は生じてくるわけです。チャレンジ的な物事を電光石火のように高速的に処理する中で、私たちは緩やかな登り坂を上がりつつ、飛躍的霊感に満たされるのです。

④集中の深化

フロー状態に入ると、集中は通常の意識状態より一次元深い状態となります。
これは、フロー状態の変性意識状態(ASC)的側面です。注意力は澄みきり、雑念は入り込む余地なく背景に消え去り、意識は眼前のその行為体験自体に深く没入した状態となるのです。


⑤重要なのは現在

その中で、行為に関わるこの瞬間(過程、時間)のみに完全に没入していきます。
雑事に対して、「脇に立つ」「外に在る」という意味でのエクスタシィ状態に入るのです。過去も未来もなくなり、ただ、この「現在のみ」が在ることになります。


⑥コントロールには問題がない

そして、この心理状態の中で、自分がその状況を「完全にコントロールしている」という感覚を持ちます。
すみずみまでに、パーフェクトな統御感が現れてくるのです。

⑦時間感覚の変化

その中で、時間の感覚自体が変わっていきます。時間は、歪み、拡縮しています。知覚力と意識が澄みきり、何時間もが瞬く間に過ぎ去ったように感じられたり、ほんの一瞬間がスローモーションのようにゆっくりと動いて見えたり、止まって見えるように感じられます。純化された別種の時間を生きているように感じられるのです。

⑧自我の喪失

その体験の中では、私たちの日常のちっぽけな自我は、背景に押しやられています。
体験の核にある不思議な〈存在〉感の圧倒的な現前が、その場のすべてを占めているように感じるのです。自分ではないものとして、その体験を体験しているように感じるのです。
それは、ある種の自己超越的な体験とも言えるかもしれません。

 

さて以上が、フロー(状態、体験)の諸属性の概略ですが、このすべての要件がそろわなくとも、私たちは人生の中で、このような充実した状態を偶然のようにしばしば体験しています。
そして、その充実の時を思い返してみると、生活の中でこのような意味深い体験の割合を、意図的に増すようにすれば、より深い創造的な人生が送れるだろうということは、容易に想像がつくと思われます。
意識拡張状態としての変性意識状態(ASC)というものを考えていくにも、とてもヒントになる部分が多いのです。

 

……………………………………………………………………………

ところで、実際的な見地から、しばしば指摘される事柄があります。

上で見たようにフロー状態を生み出すには、スキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスを調整することが重要といわれます。このことに、関係した視点です。

通常、私たちの日常生活は、多くの時間、絶好調というよりかは、「退屈(弛緩)しているか」または「ストレス(不安、圧迫)」を感じているかという状態です。
これは、フロー状態を見る観点からすると、取り組みの目標設定に問題があるのだということもいえます。
退屈(弛緩)している状態というのは、自分のスキルに対して、目標のチャレンジ度が低すぎる状態です。
一方、ストレス(不安、圧迫)を感じている時は、目標や理想、対象が自分のスキル〔技能〕に対して高すぎるといえます。だから、私たちの心は圧迫を感じるのです。

私たちが、ちょうどいい感じで充実して集中できるのは、フローの領域、つまり「スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時」です。
そのため、自分が退屈していたり、ストレスを感じている時は、自分の手前の目標を調整して、自分がよく機能する状態を、適度なチャレンジを、意図的に創り出し、設定していくことが重要となります。

そのように、日々物事に、適度なチャレンジをもって取り組むことで、私たちの心は充実と適度な緊張を持つとともに、生きるスキル〔技能〕も確実に高まっていくのです。
そして、結果的には、より「複雑で」「高度」な物事を処理できるようになり、最終的には、かなり満足度の高いフロー状態をも生み出しやすくなっていくのです。

◆ゲシュタルト療法とフロー状態

ところでフロー状態を生み出すのに、一番「基礎的な条件」が何かといえば、それは心理的なレベルで十分な心理的「統合」状態に達しているか否かという点です。
心理的なレベルで葛藤や分裂を抱えていれば、いくら上記のような条件を整えても、充分に深いフロー状態に入っていくことに限界があるからです。
ドライブする欲求(感情)がバラバラだったり、ノイズまじりだったりするからです。
逆の言い方をすると、なぜゲシュタルト療法など体験的心理療法を深めていくと、集中力が深まり、パフォーマンスが高くなるのかという理由もここからわかります。
ゲシュタルト療法などを通じて心と体が解放され、内部のノイズ(葛藤)がなくなり、癒(統合)されてくると、私たちの欲求(感情)エネルギーが、ひとつの流れに集中しやすくなるからです。
欲求(感情)に葛藤がなくなり、自分が集中したいものに容易に没頭できるようになるからです。
そして、その結果、このようなフロー体験をかなり意識的に、高頻度に生み出しやすくなってくるのです。

また、適切なゲシュタルト療法が体験された場合、習熟される変性意識状態(ASC)へ入るスキルも決定的な要素です。
変性意識状態(ASC)に入ることに慣れると、意識の流動化が高まり、フロー状態へのより的確に入ることができるようになるからです。

そのような意味においても、当スペースでは、このようなフロー状態とその体験を、人格的統合の達成度合いを見る重要な指標としても重視しているのです。
そして、当スペースの方法論を、フリー freeでフロー flowなゲシュタルト療法と謳っているわけなのです。

 

【ブックガイド】
フローに入りやすくなるための心の解放技法、ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
フロー体験や、変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態が導く広大な世界を知りたい方はより総合的な↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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コチラ

↓動画解説 フロー体験 フロー状態

↓動画解説 変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際


登山と瞑想

ここでは、

登山と瞑想との関係について、

記してみたいと思います。

 

ところで、登山を、

一種の瞑想的なものとして利用するという人は、

意外と多いと思われます。

 

本人が、

そう明確に自覚していなくとも、

頭を真っ白にして、

心身を、野生の気で、

浄化してくれるものとして、

登山体験を求める人は、

多いものです。

 

実際、

この二つには、

似ている側面があります。

 

当然、瞑想は、

方法論的にそういう状態を、

創り出していくのですが、

登山の場合にも、

同じようなプロセスが、

起こって来るというのは、

興味深い事柄です。

 

瞑想というと、

興味がない人には、

通俗的なイメージでは、

無念無想とか、

神秘的な没入とか、

何か超越的な状態に関するものとして、

映るようですが、

実際には、

これほど、

「現実的」なものもない、

というのが瞑想です。

というのも、瞑想で、私たちが直面するのは、

ただ、「自分自身である」という

事態であるからです。

 

通常、

瞑想に取り組むと、

私たちは、

いわゆる「雑念」というものに、

直面することとなります。

これが、

通俗的には、

悪いもののように、

語られることも多いです。

 

しかし、

雑念というものは、

自然な創出プロセスであり、

それが、

私たち自身であると、

言うこともできるのです。

 

また、瞑想も、

雑念をなくすこと自体を、

目的とするわけでもないのです。

それらにとらわれない、

気づきの力を醸成するのが、

その目的です。

 

雑念は、

それに、

私たちの気づきの透徹が、

妨げられなければ、

(利用できる)

無意識的な素材とも、

いえるものでもあるのです。

 

さて、

瞑想には、

各種の方法がありますが、

一番、基本的なものの一つは、

「ただ見ている」

というものです。

 

私たちは、

たち自身に起こる(感じる)事柄を、

たち自身を、

「ただ見つめている」

のです。

 

これが、通常、

私たちには、

なかなかできないことです。

 

自分自身に直面し、体験し尽くすこと。

これが、私たちには、できないことであり、

普段、手をつくして、回避していることです

私たちは、自分自身を体験することこそを、

避けたいのです。

瞑想では、そのことをしていきます。

また、登山でも、図らずも、

そのようなことが起きて来るのです。

 

さて、

「ただ見つめている」ことですが、

そのように、心を見つめていると、

大概、

雑念の湧出するパターンには、

似たような形が、

あります。

 

私たちにまつわる、

過去、現在、未来の事柄が、

(順不同ですが)順々に湧いて来るものです

 

現在、

日常で起きている、

気になることどもの、

数々。

日々の怒り、

不安、

願望、

思惑。

 

過去にあった、

諸々の事柄。

気になっている事柄。

前に気にしていた事柄。

または、

忘れていたような、

些細な出来事。

 

これから将来、

やって来る事柄。

起こるかもしれないこと。

起こってほしいこと。

ほしくないこと。

希望。

不安。

願望。

 

このような、

過去・現在・未来について、

順不同で、

ゲシュタルト療法でいう、

未完了の体験のように、

気になる事柄が、

滾々と湧いて来ては、

消えていくのです。

 

この場合、

私たちは、

これらを、

ただ見つめていて、

認めて、

受け入れ、

流していけばいいのです。

とらわれず、

惑わされず、

何かよその出来事を眺めるかのように、

ただ眺めていればいいのです。

 

それらは、

きちんと受け止めて、

見つめていると、

去っていくものです。

 

無いものに、

しようとしたり、

否定したりすると、

逆に、

反動を生み、

それらは力を持ち、

憑りつかれてしまうのです。

 

ひと通り、

過去・現在・未来のことどもが、

出尽くすと、

湧いてくるものがなくなり、

やがて、

「澄んだ静けさ」が、

やってくるのです…

 

 

……………………………………………

 

さて、

登山においても、

同じような事柄が、

起こって来るものです。
 

険しい山道を、

息を切らしながら、

歩いていると、

肉体の苦難や、

苦しさが、

過熱することにより、

下界の日常であった気になる事柄が、

心身の底から、

滾々と、湧いてくるものです。

 

このような、

大自然の中にあって、

コレか、

とがっかりするような、

日常の些末な心配事や欲求が、

心身の奥底から、

滾々と湧いてくるのです。

 

肉体の苦痛と、

大自然の生命の中であるがゆえに、

そのような都会の澱が、

あぶりだされてくるのだと、

いえるのです。

 

しかし、

汗が流れ尽きるように、

そのような想念、

過去や未来や、

現在にまつわる想念も、

やがて、

出尽くします。

 

そのうちに、

ただ自然の中を歩む、

動物のような無心の歩みを、

見出していくのです。

 

自分が、

ただ黙々と、

歩むだけの存在であることを、

見出していくのです。

 

ここにおいては、

登山における瞑想状態を、

単なる忘却の技法や、

逃避にしないために、

また、

気づきの身体技法に変えていくためには、

湧いて来る雑念を、

意識して、

ただ見つめることを、

深めることがよいことです。

 

そうすると、

自然の息吹の助けを借りて、

身体の野生のうちに、

筋肉の錬磨のうちに、

ただ見つめ、

気づいていくことの力を、

醸成することが、

できるからです。

 

野生の解放された身体と、

深められた気づきを、

結びつけていくことが、

できるからです。

 

古来の修験道や、

山岳宗教というものは、

おそらく、

そのような、

野生の気づきのあり様に、

気づいていたのでしょう。

 

そのため、

自然との交感を、

瞑想とするような技法を、

編み上げていったのだと、

考えられるのです。


※より進化した登山のヴィジョンは、

登山体験 その意識拡張と変容




※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について


さて、当サイトでは、
変性意識状態(ASC)について、
さまざまな検討を行なっていますが、
当スペース独自の用語で、
X意識状態  X states of consciousness
というものがあります。

この意識状態は、

特に、新しい意識状態を定義したものでは、
ありません。

それは、日常意識と変性意識状態の間にあり、

その肯定的で、創造的な状態が働いている状態を指して、

使われている言葉です。
 

単なる変性意識状態と呼んでしまうと、

漠然としすぎて、その働きの焦点が定まらない。

一方、 フロー体験ほど、

完璧な調和性や一貫性を持っていない。

しかしながら、その間の帯域の中に、

創造的で、拡張された意識状態というものが、

さまざまに散在しているのです。


喩えると、
日常意識とは、
人工池の上に、小舟を浮かべた状態です。
一方、強度な変性意識状態(ASC)とは、
海に溺れかけている状態です。
そして、
X意識状態とは、
海を泳いだり、
海を航海している状態といえます。

 

X意識状態とは、

変性意識状態(ASC)と日常意識とが、

部分的に連携され、交錯し、

創造的に、活かされている意識状態なのです。

 

ところで、現実的な問題として、

変性意識状態(ASC)を考える際に重要な点は

それらが、日常意識と、

一定の統合的なつながりを持ててはじめて、

生活の中で、

創造的な意味(価値)を持つということです。

 

散発的な変性意識状態は、多くの場合、

興味深い挿話以上には、

なかなかなりません。

不思議なサイケデリック体験は、

世界中で体験されているのに、

創造的なアウトプットは、わずかなわけです。

 

X意識状態(XSC)とは、

そのような意味で、

日常意識と変性意識状態とが、

情報的交流や、凝集された焦点化を、

持っている状態です。

その交流において、

学習の階層があがった状態と、

いえます。

当スペースで別に使う

「夢見」という概念がありますが、

それと近い状態ともいえます。

(夢見の技法は、より焦点化された状態を想定していますが。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照)

 

そして、これは、

両方の意識状態を、
数多く行き来(往還)する体験を持ち、
その往還する感覚を鍛え、
訓練的に習熟することで、
獲得できる状態であるのです。


その訓練の中で、
日常意識と変性意識とが、
情報的交流や交錯を持ち、
二者の間に、統制された往還が、
なされている状態が、
できてくるのです。

さて、ところで、

プロセスワーク(プロセス指向心理学)では、

極限意識状態extreme states of consciousness
と呼ばれている意識状態があります。
それは、精神病的な圏域、いわゆる狂気の状態のことです。
通常は、一元的に否定的に価値づけられる、その状態を、

extremeと呼ぶことで、
脱価値化して、中立化しようとしたのだとも類推されます。

このような中立化は、実践的に、

その意識状態をとらえるのに役立ちます。


さて、X意識状態は、
extreme states of consciousnessのように、
場合によっては、コントロールしずらい、

極端な力の流出でありつつも、
主体に、創造的な価値をもたらす状態です。
しかし、部分的には、極限意識状態の一部とも重なる、
危険をはらんでいる意識状態ともいえます。

(変性意識状態自体は、良いものでも悪いものでもありません。

創造的な事柄の中でも、犯罪の中でも働いているものです)

 

極限意識状態(extreme states)においては、
喩えると、主体が、狂気の荒波や大波に、
大部分、溺れてしまっているとするなら、
X意識状態(X states)は、
危うくであれ、均衡を維持しつつ、

その大きな波を泳いでいたり、
波に乗っている状態といえます。
操作的・統御的に、

肯定的なエクスタシィ(意識拡張)や、
創造性発現の要素を、
保持している状態です。

→参考事例「「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル」

 

エクストリーム・スポーツのスキルのように、
危険と隣りあわせで、

変性意識から極限意識の間を、
きわどく波乗りしている状態ともいえます。

そのため、エクストリーム・スポーツを、
Xスポーツと呼ぶように、

この状態を、当スペースでは、
Xステーツ(X states)と呼んで、
生活の中で現れる、この種の体験領域を、
創造的に焦点化していくことや、

そのスキルを磨くことを、

行なっているのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 

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フロー体験について

モビルスーツと拡張された未来的身体

「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

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クライストと天使的な速度

サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

 

※変性意識状態(ASC)の活用に特化したサイト、

 →「Xステーツ・テクノロジー」ご覧下さい。

 


Xステーツとエクスタシィの技法




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

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気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

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「明晰夢」の効力 夢の中で掌を見る


 
さて、

人類学者C.カスタネダの本の中に、
「夢の中で、自分の掌を見る」練習をする、
という有名な話が出てきます。
これは、シャーマニズムの訓練として、
行なうものです。

これは一見すると、
奇妙な(突拍子もない)訓練にも聞こえますが、
サイトや本で取り上げているような、
気づきの訓練や、
さまざまな変性意識状態への移行を、
数多く繰りかえしていくと、
だんだんと実際にそのようなことも、
起こる(できる)ように、
なってくるものです。

夢の中で、
それが夢だと気づきながら、
行動している夢、
いわゆる明晰夢 lucid dream の状態です。

明晰夢は、
意識と無意識とが、
他にないまじかさで、
交錯する状態であり、
心の要素(知覚や能力)や傾向性を、
試したり、検証したりする
またとない機会となるのです。

また、夢のナマな創造力に、
じかに触れられる状態であり、
私たちの心の、
未知の機構を知ることのできる、
貴重な機会となっているのです。

明晰夢は、

その慣れと習熟に従って、
私たちの心に、
深い実際的な変化を、
引き起こして来ます。

それが、古来から、
世界中の瞑想技法の中で、
この状態が、
特記されていたわけなのです。

特に、
夜の夢の中における、
気づきの力の醸成と、
昼間の生活の中における、
気づきの力の醸成とは、
表裏を成してつながっており、
その相乗的効果(質性の変化)を、
とりわけ顕著に現してきます。

私たちの世界をとらえる感覚や、
〈気づき〉のあり様が、
深い次元で、
変容して来るのです。

それは、
私たちに深い解放と流動性を、
もたらして来るものなのです。


そのため、当スペースでは、

このような明晰夢の利用を、

気づきの力の養成や、

X意識状態(XSC)につながる(育てる)取り組みとして、

重要なものに、

位置づけているのです。

 

※変性意識状態(ASC)へのより統合的な方法論は、 拙著

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧ください。



※関連記事映画
→映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系


※変性意識状態(ASC)の活用に特化したサイト、

「Xステーツ・テクノロジー」ご覧下さい。

 


↓動画「変性意識 『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」



↓動画「変性意識状態(ASC)とは」



↓動画「変性意識状態 心理学的に見た、チベットの死者の書」



↓明晰夢の入り方は エクササイズ 『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』



↓明晰夢がもたらすもの 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』 






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心理学的に見た「チベットの死者の書」

50死者の書


『チベットの死者の書』という有名な書物があります。
チベット仏教のカギュ派の埋蔵教(偽典)として知られる書物ですが、この本は変性意識状態(ASC)をはじめ、ゲシュタルト療法や体験的心理療法、深層心理学のことを考える上でとても参考(モデル)となる本です。
心理学者カール・ユングは、本書を座右の書としていたと言われていますが、筆者も各種な強度の変性意識状態(ASC)を経験した者として、本書で示されている構造や原理をさまざまなヒントとしてきました。

ここでは、その「チベットの死者の書」を、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリーらが、心理学的にリライトした『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience 』(邦訳『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 八幡書店)をもとに、その内容を色々と見ていきましょう。

◆バルドゥ(中有)と心の深層構造

まず、「死者の書」が何について書かれた経典(本)であるかというと、それは「人が死んでから、再生する(生まれ変わる)までの、49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)のことが書かれている経典(本)である」ということです。

人間が生まれ変わることが、前提となっているというわけです。ただし、この前提は、この経典(本)を読むにあたってあまり気にしなくともよい前提です。
というのも、語られている内容は、(確かに死に際して)心の底から溢れてくる現象(設定)ということになっていますが、それは、人間の心の構造に由来する普遍的な現象であると考えることができるからです。
必ずしも臨死的な状況に限定しなくとも、心の深層領域が発現している事態と解釈することができるからです。
「チベットの死者の書」に描かれている世界は、生きている私たちにも同様に存在している深層心理の世界だといえるからです。
だからこそ、この「死者の書」は、心の広大な領域を探求する人々を魅惑し、広くよく読まれていたというわけなのです。

ところで、心理学者のティモシー・リアリーたちが、この経典(本)をリライトした理由があります。
当時は、薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
の研究がはじまったばかりの時代でした。
薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
おいては、私たちの非常に深層のところにある心理的・生理的・生物的次元の事柄が、意識の表層に溢れ出してきます。
しかし、実のところ、その体験で「何が起こっているのか」あまりよくわかっていないという状況でした(現在でさえ充分にわかっていないのですから、当時の混迷ぶりは容易に想像がつきます)。
そのような状況下において、「チベットの死者の書」の内容が、正体不明のサイケデリック体験(の内容)に対して、一定の理解を与えてくれると感じられたためでした。
リアリーたちは、サイケデリック体験の内容と「死者の書」で描かれている体験とは、「同じ深層心理」の現れと理解したのでした。
そして、それも実際のサイケデリック・セッションに「役立つ」という実践的な面もあったのでした。

また別の見方をすると、リアリーらの西洋文明の視点からだと、サイケデリック体験で起こる心的現象をなかなか一貫した形で説明できなかったのですが、「チベットの死者の書」はその事態に対して、ある種堅固な世界観を与えてくれる面もあったのでした。

以上のような理由からも、この「チベットの死者の書」は、特異な臨死現象や宗教的な信念体系を語っている経典というだけのものではなく、私たちの「深層心理の世界」を理解するのに参考になるテキストとしても読むことができるということなのです。

ところで、この経典がどのような「形式」をとって書かれているかというと、たった今死んだ死者に向かって「語りかける言葉(声かけ)の形式」となっています。
その死者が、見ているだろうものを告げ、描写し、アドバイスを与えるという形式になっているのです。

「聞くがよい、○○よ。今、お前は、○○を見ているであろう」という感じです。

ところで、「死者の書」では、死んだ魂(死者)は、死んだ後に3つのバルドゥ(中有)を体験し、生まれ変わるとされています。

しかし、経典(本)の中心のメッセージは、
「さまざまな無数の心惹く像が現れてくるが、それらにとらわれることなく、本当の眩い光明を、自己の心の本性と知り、それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、解脱が達成されて、生まれ変わり(輪廻)から離脱できるであろうというのです。

そのため、死者が移行する3つのバルドゥ(中有)について、刻々と諸々の事柄が語られますが、それは、解脱できなかった者たちに対して、このバルドゥで、自己の(心の)本性ををとらえて解脱せよという意味合いの語りなのです。

◆3つのバルドゥ(中有)

さて、死者は、死んだ後に以下の3つのバルドゥを順々に体験していきます。

①チカエ・バルドゥ
→超越的な自己の世界
→法身

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

さて、この3つのバルドゥは、心理学的には、心の深層から心の表層までの3つの階層(宇宙)を表したものと見ることができます。死後の時間的遷移を「逆に」見ていくと、この構造はわかりやすくなります。

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

の世界は、再生(非解脱)に近い、最後の段階です。
その世界は、もっとも身近な私たちの自我の世界です。通常の心理学があつかっているのもこの世界です。リアリーらの死者の書では、とらわれの自我のゲームを反復してしまう世界として描かれています。サイケデリックな体験の中でも、低空飛行している段階で、日常の自我のゲームが再演されている状態です。

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

の世界は、心の深層の世界、私たちの知らない深層世界がダイナミックに滾々と湧いてくる世界です。死者の書では、膨大な数の仏(如来)たちが現れてきます。濃密な密教的な世界です。心の先験的とも、古生代ともいうべき、ユング心理学でいう「元型的な世界」です。系統樹をさかのぼるような世界かもしれません。(サイケデリック体験などでは、系統樹をさかのぼり、自分が爬虫類などに戻る体験を持つ人もいます)

①チカエ・バルドゥ
→根源的な世界
→法身

は、根源的な、超越的な自己の世界で、上の2つの較べて、空なる世界に一番近い世界です。
ある面では、心理学の範疇には入らない部分ともいえます。ただ、そのような始源的な世界(状態)を仮定することはできます。
リアリーらはこの状態を、ゲームの囚われから解放された、自由の、自然の、自発性の、創造の沸騰する世界と見ます。それでも、充分有効なとらえ方と言えます。

そして、バルドゥ(中有)の現れ方の順番でいうと、死後に一番最初に出会うのが、この「根源の光明(クリアーライト)」の世界なのです。

ところで、「死者の書」の中では、それぞれのバルドゥでは、仏(如来)=「光明」が2つずつ現れてくるとされています。
恐れを抱かせるような眩い光明の如来と、より親しみを感じさせるくすんだ光明の如来の2つのパターンです。

そして、経典は告げます。
恐れを抱かせるようなより眩い光明が、根源の光明であり、それを自己の(心の)本性と見なせと。根源の光明に共振し、同調し、同化せよ、と。そうすれば、解脱できるであろうと。
そして、親しみ深い、よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、そちらには向かうなと告げます。解脱できないからだと。
ただ、多くの人は、この後者の光明に向かってしまうようです。
そのため、解脱できずに、次のバルドゥに進んでしまうのです。

◆経過

さて、死者は、このような3つのバルドゥを経過していくのですが、ティモシー・リアリーは、サイケデリック体験における、この3つの世界の推移の仕方についておもしろい喩えを使っています。サイケデリック薬物の効き方であると同時に、心の構造について示唆の多いことです。それは、各体験領域の強さ(強度)の推移変化は、高いところから地面にボールを落とした時の「ボールの弾む高さ」(の推移変化)に似ているということです。

通常、落ちてきたボールは、最初のバウンドで高く弾み上がります。2度目のバウンドではそれより少ししか弾みません。3度目のバウンドではさらに少ししか弾みません。

つまり、サイケデリック・トリップの初発の段階が、重力(自我)から解放されて、一番遠くのチカエ・バルドゥまで行けて、次にチョエニ・バルドゥまで、次に、シパ・バルドゥまでと、段々と日常的な心理的に次元に落ちてきてしまうという喩えです。

この喩えは、私たちの心の構造や、心の習慣、可能性を考えるのにも、大変示唆の多いものです。

2つの光明の喩えといい、私たちの中には、大いなる自由に比して、慣習と怠惰に惹かれていくというおそらく何かがあるのでしょう。

 

◆変性意識(ASC)の諸次元として

さて、「チベット死者の書」の世界を、心の諸次元の構造として見てきましたが、この世界は、死の体験や薬物的なサイケデリック体験を経由しなくとも、色々な変性意識状態の中で、さまざまにあいまみえる世界です。このモデルをひとつ押さえておくことで、心理学的な見方のさまざまなヒントになっていくと思われるのです。

 

※関連記事
「サイケデリック体験とチベットの死者の書」
 この二種類の如来についての仮説は、
「リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識状態」
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

※ジョン・レノン(ビートルズ)が、LSD体験や、この本にインスパイアされて、
Tomorrow Never Knowsという曲を創ったのは有名なエピソードです。




 




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火と大地の意識 ノヴァーリス・コンプレックス

さて、

拙著『砂絵Ⅰ』において、

私たちの存在を完成させていくのに、

必要となる、

「火」と「大地性」について、

触れました。

内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』


「火」は、

神話における、

「神の火」を盗む行為などに見られるように、

人間的次元を超えたエネルギーを、

表象しています。


また、別のところでは、
鈴木大拙の「大地性」について、
触れました。
 
「大地」というものは、
私たちの存在を、

受肉し、根づかせ、
私たちを、
より実在化・実体化させるための、
半身のように、

重要な統合的要素です。
 
それなくては、
存在の成就が起こらない、
大切な要素です。
 
ここでは、

そのような、

「火」と「大地性」について、
別の象徴的な角度から見て、
私たちの存在を深化させる、
別種の方法論を、
考えてみたいと思います。
 
ところで、

フランスの哲学者、
G・バシュラールが、

批評に使う概念のひとつに、
「物質的想像力」
というものがあります。
 
彼は、

私たちの想像力には、
その基盤となるような、
存在的な基底があると、
仮定したのです。<

そして、
その傾向性を、
作家の想像的世界のタイプから、
ギリシャの四大元素に分類しました。

つまり、

火、風、水、大地です。
 
さて、

ところで、

そのようなバシュラールの著作群の中に、
「火」と「大地性」についても、
不思議な結びつきについて、
言及している作品があります。
 
『火の精神分析』(せりか書房)で

扱われている、
ノヴァーリス・コンプレックス、

というものです。
 
ノヴァーリス・コンプレックスとは、
バシュラールが、
ドイツ・ロマン派の詩人、
ノヴァーリスの作品の中に見出した、
火と大地性に関係する、
ある力動的なイメージです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリスの作品の中に現れる、
鉱物的なイメージや、
それにまつわる、

〈熱〉の性質のあり様を追いつつ、
火と大地の交わりにおける、
摩擦や、熱、性愛(愛)、
原初の火の直観、
幸福の始原など、
そこに付随する重要なテーマを、

見出していくことになるのです。


そして、

つまりは、
「青い花」とは、
実は、
赤いのである、

と結論づけたのです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリス本人の言葉を、

引きます。

「あなたは、
わたしの物語の中に、
光と影の戯れに対するわたしの反感と、
明澄で熱く

しかも
滲透的なエーテルに対する希求とを、
みてとることができましょう」と。
(『火の精神分析』前田耕作訳/せりか書房)
 
さて、

そのような、
ノヴァーリス・コンプレックスの中に、
見者であるノヴァーリスの、
大地を母体とした、
意識(透視力)拡張の技法、
それらを統合する、
再生(生成)のヴィジョンを、
見ていくことができるのです。


それは、

ノヴァーリス自身が、
許婚の死や、

それと関連した神秘的体験、
夜の彷徨の果てに
深化させていった幻視とも、
いえるものです。
 
そして、

バシュラールの指摘する、

ノヴァーリスの詩的性格、

つまり、

「そのポエジーとは、
『原初性』を追体験する努力である」(前掲書)
を読み込んでいくと、

私たちは、そこに、

ノヴァーリスの、

ある種のグノーシス的な性格をも、

読み取れるように、

思われるのです。


彼は、自分の思想を

「魔術的観念論」と、

呼んでいます。


例えば、

「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」などは、

どこかで、

ユングのグノーシス的なテクスト、
『死者への七つの語らい』における、
原初の神性プレローマと、

物質的・創造的なクレアツールとの、
交錯を思い出させたりもするのです。
 
そこにおいては、
透明に浸透する、姿なきプレローマは、
物質的なクレアツールの中でこそ、
受肉し、個となり、
物体化し、

存在を、成就することが、

できるものとなっています。
 

そして、

さらにはまた、

このような要素(象徴的属性)は、

心理学的な世界においては、

S・グロフ博士の唱える、

分娩前後マトリックス(BPM)の、

そのフェーズⅢの段階を、
思い出させる要素でもあるのです。
 
グロフ博士の、

分娩前後マトリックスとは、
ブリージング・セラピーの項で紹介したように、
私たちの心の奥に潜む、
出生の時の記憶です。
そして、
「分娩前後マトリックス(BPM)Ⅲ」とは、
胎児が産道を通って、
彼方に脱出(生誕)しようという状況であり、
「火山的エクスタシィ」が

体験されるともいう、
摩擦的な熱い状態でもあるのです。
 
そして、そこには、
ある種の覚醒感、
「明澄で熱くしかも

滲透的なエーテルに対する希求」
があるのです。
 
ところで、

グロフ博士は、
分娩前後マトリックスに関して、
その元型な内的体験の世界を、
芸術的に表現してる画家として、

H・R・ギーガーについて、
よく言及しています。
 
BPMⅢ的な側面だけを取り上げても、
ギーガーの絵画には、
ノヴァーリス・コンプレックスにみられる、
硬質性、胎内性、エロス、熱狂、火、恍惚が、
数多く描かれています。

しかし、それでいながら、
興味深いことに、

その絵画の奥には、
「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」

の幻視が、
感じ取られたりもするのです。
 
このようにして見ると、
一般的には、
一見「天使的な」ノヴァーリスと、

通俗的には、
一見「悪魔的な」ギーガーとが、
大地(胎内)の中における、
火の目覚め(意識)という点において、

ともに、

共通する要素を持つ幻視家であることも、
感じられて来るわけです。
 
そして、

このことは、
シャーマニズム的な見地からも、
また、
夢見(エクスタシィ)の技法からしても、
さまざまなヒントを、
投げかけてくれるものと

なっているわけなのです。


関連記事

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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 20160531-hrgiger03

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

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「セッション(ワーク)の実際」

 

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変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

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願望と創造性の技法

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なぜ、ゲシュタルトなのか 出会いと選択

 さて、クライアントの方に、(世界ではスタンダードなのに)日本ではまだまだマイナーなゲシュタルト療法を、私自身がどのように発見し、なぜメインの方法論にしたのかと聞かれることがあります。数ある方法論の中から、ゲシュタルト療法を選んだ理由といきさつです。
 そのような時、そこに至った経緯をいろいろとお話をするのですが、その話が、ゲシュタルト療法の特質をクライアントの方に理解いただく参考になるということがわかりましたので、ここでは、私自身が「どのようにゲシュタルト療法を発見したのか」「どこにメリットを感じたのか」また「自分の変容を起こすことになったのか」を少し書いてみたいと思います。


【内容の目次】

  1. 人生の変化/変容(突破口)を求めて
  2. 心理学・心理療法に関して
  3. 体験的心理療法―その周辺の探索とマップ(地図)
  4. 人生の基盤を拡張する方法論としてのゲシュタルト療法
  5. 「実際的・実効的」な方法論としてのゲシュタルト療法
    (1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ
    (2)変化の進捗をコントロールできる
    (3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる
    (4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ
    (5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ
    (6)知覚や意識のわかりやすい変容体験

①人生の変化/変容(突破口)を求めて

 さて、ゲシュタルト療法との出会いは、その昔、自分の能力や創造力に限界を感じて、それらを開発する効果的で明確な方法論がないかと、体験的心理療法の手法を色々と探している最中に起こりました。
 その当時、仕事面においても、ライフワーク面(創造的活動)においても、自分の能力・創造力に大きな行き詰まりを感じて、突破口を探している時期でした。会社の配置転換なども不本意で、仕事では日々人生の時間を無駄にしていると焦っている状況でした。このまま毎日、同じようなことをしていても人生に変化がない、突破口がないと感じていたのでした。
 ただ、他人や環境を当てにしていては、状況を打破できないこともわかっていました。自分で状況をなんとかするしかなかったのです。そのためにも自分の能力や創造力自体を、もう一段ブレイクスルー(飛躍)させる必要をどこかで感じていたのでした。
 また、当時は、時代の変化の時期、インターネットが急速にひろまっていく時期でもありました。社会インフラとしてのネット普及が起こり、人々のコミュニケーションの形態が変わりはじめてもいました。
 そんな中で、それまで従事していた既存の業界や事業、既存のスキルが、みな急速に陳腐化し、無価値になることも予想されました。自分が苦労して得たわずかばかりのスキルでさえ、未来の世の中ではもうなんの役にも立たなくなる。本来寄りどころとなるべき自分のスキルでさえ藻屑のように消えてしまうということが予想されたのでした。
 そのような暗い閉塞感を見通した中で、色々と考えたのでした。このさきもやってくる技術の進歩や社会環境の変化に左右されずに、人間に普遍的な価値を持つ、原理的なスキル・能力とは何だろうか? そういうものを得られないかと考えたのでした。先の見えない行き詰った状況の中で、強い焦燥感に駆られていたのでした。

 また一方で、わずかですが、体験的心理療法の経験や変性意識状態(ASC)の体験もあったので、頭で考えるだけの方法論(知識学習、資格取得など)では、本当に人生を変える方法論にはならないということもわかっていました。それらは自分の能力や創造力を根本的なレベルで開発するものではないので、本質的な飛躍を起こせないということもわかっていました。また、実利的な資格取得や知識学習は、後からでも間に合うものだったので、優先順位の後にくると考えられたのでした。何よりもさきに行なわなければならないのは、実際的な能力・創造力といった人間としての底力を開発し獲得することだったのです。

 そのため、考えたのは、能力や創造力を生み出す基盤である自分の心(感情や感覚、意識や性格)に直接的に作用し、その構造やプログラムを変える方法論でした。そのような心理学(心理療法)に近い方法こそが、自分に抜本的な変化を起こし、現状を打破できるものだろうと考えたのでした。(当時は今よりもトランスパーソナル心理学などに関する書物も多く、ヒントも多かったのでした)
 つまりは内的な変化、能力の開発や自信・確信の獲得こそが優先されたのでした。それを一秒でも早く、(年齢が少しでも若く)心の可塑性の高いうちに手に入れて、心の基盤づくりにしたいと考えたのでした。

②心理学・心理療法に関して

 ところで、後にゲシュタルト療法を発見するわけですが、そもそも心理学自体には十代の頃から関心があり、フロイトらの精神分析や精神医学の書物などは早くから読み漁っていました。自分の心を探索するヒントがあったのでしょう。大学の学部選択としても一時考えたこともありました。実際、後の大学の講義などでは、精神分析の対象関係論やメラニー・クラインについて、非常に深いレベルで語れる教授などもいて、そこではさまざまな恩恵を得ることにもなりました。
 しかし、その時にも、すでに感じとっていたのは、「解釈」を主とする心理学というものは、心の実体にあまり影響を与えられないということでした。解釈的な言語は(なるほど何かをわかったつもりにはなりますが、その実)、心の実体に対して解離した言葉(抽象)をつむぐだけであり、解離(分裂)を深めこそすれ、心に直接触れたり、心自体を変えることには役に立たないということでした。理論のお話は、実体(実在)ではなく、あくまで代替物(抽象)でしかなかったのでした。心を変えるには、もっと直接的に心に作用するような実践的(介入的・実在的)な方法論が必要だと思われたのでした。

③体験的心理療法―その周辺の探索とマップ(地図)

 そのような経緯もあり、より実効的な心理学としてさまざまな体験的心理療法の周辺を探索することになったのでした。そして、実際の体験を通じて、その方法論の世界(諸流派)の実態が、マップ(地図)のようにわかってくることになったのでした。そのあたりは下記ページでも触れているのでご参考下さい。
「ゲシュタルト療法 背景/文脈」

 ところで、体験的心理療法の中には、たしかにブリージング(呼吸)・セラピーのように非常に強力に心身に作用し、強度な変性意識状態(ASC)をつくり出すことで、人間の深層プログラミングを書き換えてしまうものがあります。たしかにその体験は、私の人生を一変させました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照

 しかし、その変容効果を、普段の仕事(日常生活)での能力として、実際的にどう活用するかというと、それは日常的な「自我の領域」と少し距離があるものでした。つまり、効果の働く領域が深層的すぎるため、日常的な自我の領域で、すぐに実用的なイマジネーションや自我の能動性に結びつくというものではないのでした(当然、心理的な癒しや解放感は巨大なものなのですが)。

 また、コーチングやNLP(神経言語プログラミング)は、体験的心理療法に較べると、心のプログラミング変更を起こす点では威力の弱いものでした。その場ではなんとなくその気にはなるのですが、心のプログラミングを書き換えるような深さ(仕組み)は持っていませんでした。私が欲していたのは、自己の限界を打破し、能力を拡張するために心理プログラミングを恒久的に書き換える方法論だったのです。

 つまり、どのような方法論も、私が当時欲していたように心の限界を掘り出し、改善し、能力・創造力を発掘するための技法としては不十分だったのでした。もっと適切なバランスをもった方法論が求められたのでした。

④人生の基盤を拡張する方法論としてのゲシュタルト療法

 そのような暗中模索・試行錯誤の中で、「ゲシュタルト療法」に出会ったのでした。ゲシュタルト療法も、心理療法の世界では有名な(古典的な)ものなので、名前や外観のイメージだけなら非常に早い時期から知っていました。しかし、何を行なうかはそれとなくわかっていても、いまひとつ「効果のイメージ」がつかなかったため後回しにしていたのでした(そんなロープレめいたことをやってもあまり効果がないと思っていたのでした)。

 しかし、機会があってそれを体験した時に、(予想とは大きく違って)これこそが自分が探していた方法論に最も近いのではないかと感じられたのでした。ここに、人生を変える鍵があるのではないかと直観したのでした。

 そのくらい、ゲシュタルト療法はその場で分かる速効的で爆発的な効果があったのでした。自分のプログラムが書き換わる変化をその場で意識的に体感できたのでした。また、(ゲシュタルト療法の中ではその状態を説明する理論を持っていませんが)その軽微な変性意識状態(ASC)に入る様にも強い感銘を受けたのでした。変性意識のせいで、普段は気づけないような深いことに気づけたり、普段は決して(恥ずかしくて)表現できないような新しい表現を開発することもできたのでした。その魔法のような意識拡張にインパクトを受けたのでした。

 そして、それは実際結果的に、当時私が感じていた人生の諸々の行き詰まり―能力や創造力、意識や感情、心の限界―に対する〈突破口〉となっていったのでした。いざ集中して取り組んでみると、それはまるで「奇蹟のような」効果を発揮し、自己の能力を根本的なレベルで解放する方法論だとわかりました。また、期せずして出てきた心の深い部分の悩みやトラウマを癒すことにもなったのでした。

 最初の一年の取り組みが終わった時、自分で振り返って「能力前年比300%」と評価し、ノートに記しました。そのくらいに爆発的な変化があったわけなのでした。また、前段で書いた、社会の環境変化に左右されずに価値を持つ普遍的なスキル・能力という側面についても、ゲシュタルト療法はそのような人間の基盤的な能力・創造性を、深く覚醒させ、利用可能なものにする方法論であることが確認されたのでした。
 (変性意識状態を経由して)心の深い底から潜在能力を引き出す技法やセッションを具体的に持っていたからでした。そして、その結果として、自分の思考力、想像力、感情の自由、統合力、集中力、心身エネルギーのすべてが解放され、バージョンアップしたことがわかったのでした。目覚ましい自己刷新が起こったのでした。

 結局、最初にゲシュタルト療法を学んだ団体(旧東京ゲシュタルト研究所)では、週1回行なう継続クラスに4年間通い(4年間毎週!)、別に月2日のトレーニング・コースは2年間履修することになりました(それにはさらに別の単発のワークショップを200時間受ける条件がありました)。それくらい熱中して入れ込んだわけです。
 その後も別団体でトレーニング・コースをさらに2年間履修したり、さまざまな団体や来日講師のワークショップに参加することを繰り返し、飽かずに探求をつづけたのでした。
(後年わかったことは、ゲシュタルト関係者の中でも、私のように集中的で膨大な時間をゲシュタルト療法に投入したという人は少なく、その点が、私のゲシュタルト体験や理解を深いものにしているという点でした。また複数の団体、多数のファシリテーターから学んだ結果、多様多彩なゲシュタルト療法のタイプを経験できたことも幸いしました。その中で、古典的なゲシュタルト療法の限界もよく理解できて、その欠点を克服した「進化型のゲシュタルト療法」を組み立てることができたからでした。その点が、複数のゲシュタルト療法(ファシリテーター)を経験しているクライアントの方々に、私のゲシュタルト療法が「深い」「変容を起す」といわれる理由にもなっていると思われるのです。ですので、ぜひ、実際に体験してみて、他のファシリテーターの方のセッションと、私のセッションの違いを実感してみていただければと思います。また、純粋にゲシュタルト療法が知りたいという場合も、なるべく数多くのファシリテーターを体験することをお勧めします。ゲシュタルト療法は、そのファシリテーターによって内容がまったく違うものになるからです。「普通のゲシュタルト療法」というものは存在しないからです)

 そしてさらに、そんな取り組みを通して(まったく予想外のことでしたが)、変性意識状態(ASC)の作用でトランスパーソナル(超個的)な体験領域も開くこともわかったのでした。これは、古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはない事態でした。しかし、ともに学ぶ仲間や先輩たちの身の上にも多く生じていたことでしたし、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーなども気づいていたことでありました。つまり、ゲシュタルト療法の心身一元論的な統合を深めていく姿勢は、最終的に、心身一元論的な状態をさらに超える超越的な領域(トランスパーソナルな本質)につながる要素も持っていたのでした。

 そのため、このゲシュタルト療法の習熟を意図的に深めることは、心の不屈の基盤づくりに役立ち、さらに自分の地力としての才能や創造力を高める能力開発としてとても役立ったのでした。


⑤「実際的・実効的」な方法論としてのゲシュタルト療法

 ところで、私自身は、ゲシュタルト療法以外にもさまざまな体験的心理療法、プロセスワーク(プロセス指向心理学)、NLP(神経言語プログラミング)、コーチング、シャーマニズム、野生の気づきの技法(訓練)、各種の瞑想技法など多岐に渡る方法論を数多く学びました。(特に、プロセスワークは10年以上に渡って、先生や仲間たちからさまざまな事柄を学びました。来日時のミンデル博士とデモンストレーションしたことも楽しい思い出です)
 それに加えて、他にも多様で深遠な変性意識状態(ASC)を数多く実体験、遍歴してきました(拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』参照)。

 しかし、人々に(他人に)、実効性の高い方法論としてお勧めする技法としては「(進化型の)ゲシュタルト療法」を選んだのでした。
 それは何故かというと、端的に「一番効く(効果的)」からでした。普通の日常生活にフォーカスし、そこで創造的な成果(アウトプット)を出していくという現実的な効果の観点(操作性)からすると、クライアントの方に変容を起し、習得(獲得)してもらう方法論としては、ゲシュタルト療法は最終的なレベルで、最強(最適)の方法論だと考えられたからでした。

 ゲシュタルト療法は、(クライアントの方のニーズに合わせて)対応できる自由度がきわめて幅広く、かつ深いものであったのでした。心の解放(流動性)と変容(統合)を進めるシンプルな原理(プロセス指向)や、意識拡張(変性意識)の方法論として、万能キーのように使えるモノだったのです。また、実践面での自由度も非常に高く、古典的・教科書なゲシュタルト療法理論を離れて、進化した他流派の理論にそって実践セッションを行なうこともできるのでした(たとえぱプロセスワーク風に)。そのため、すでに他流派で学習を深めた人にとっても、矛盾なく学んでいただけるものとなっていたのでした。

 さて、そのような紆余曲折を経て、最終的に「人生のマスター・キー」としてのゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)を「フリーゲシュタルト」として自分の方法論としてご提供することにいたったのでした。

 さて、では、ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)は、世の中の他の方法論と較べて、どのような点で、自由で効果的であるのかをいくつか挙げてみたいと思います。

(1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ

 ゲシュタルト療法は、通常のコーチングやカウンセリングと較べると、「格段に深く」心理的変容を起こし、またプログラミング修正できる方法論です。しかし、同時にその変容の度合いを、クライアントの方がセッションの中でご自分で調節できるのです。「やりたいことだけをやる」「選んでやる」ことで、変容の強弱を調節していけるのです。無理のない安全な範囲で確実にすばやく変容をつくり出すことができる方法論となっているのです。

(2)変容の進捗をコントロールできる

 また、そのように個々の変容の量を調節できるため、長い期間に渡って取り組む場合でも、自分が変容していく量を自分でコントロールできるのです。あまり急がずに(また逆に急いで)、できる範囲内で着実に変容を定着させながら、プロセスを進めていけるのです。その継続的な変容の推移を管理していけるのです。変容の航海をコントロールしていけるのです。

(3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる

 多くの心理療法は、セッションで、クライアントの方が体験した内容を教科書に合わせて、解釈することととなります。「このことにはこういう意味がある」「あなたは○○である」等々です。これがしばしば、抑圧的なものになり、統合や変容を阻害することになりがちです。

 しかし、本当のゲシュタルト療法は、そのような一義的な解釈の有効性を信じません。クライアントの方自身が、ご自分で自己の体験の意味を納得的して決めることに意味(効果)があると考えているからです。そのことで、ご自分の進化の里程標をご自身で感じとり、統合的を進めることができるのです。

(4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ

 別に「ゲシュタルト療法 背景/歴史的文脈」で触れましたが、ゲシュタルト療法は、業界でも数少ない心身一元論的なセラピーなので、心とからだを総合的にあつかっていくことができます。このことが、パワフルでエネルギーに溢れた統合状態をつくり出すことに最適なバランスを持っているのです。肉体が物理的にエネルギーを高めることも、効果をわかりやすく楽しく実感できるポイントになっています。

(5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ

 ゲシュタルト療法は、効果が心身一元論的で直接的なため、人間の積極性、能動性、自信、知覚力、集中力、想像力、思考力、心身の感度、他者とのコミュニケーション能力など、人間のもつ基盤的な能力をダイレクトを高める効果があります。そのため、日々の実際的な仕事を行なう上での基礎力全般(パフォーマンス)を高めることになるのです。さまざまな生活上の課題に対しても、的確にテーマを絞ってそこに解決をもたらす能力(問題解決力)が高まるのです。その意味で、生きる上でのとても実利的な効力を持っているといえるのです。

(6)知覚や意識のわかりやすい変容体験

フリッツ・パールズがすでに「小さなサトリ(悟り)」のような用語でも表現していたように、ゲシュタルト療法のセッションでは「鮮明な知覚拡大の体験」やアーハ体験があります。そして「風景の見え方が一変した」「物の色彩や輪郭がチカチカと鮮やかに見える」「意識が拡大した」「セッション中に不思議な映像が見える」「身体感覚が変わった」等々、数え上げられないくらい多様な感覚変容の体験があります。これは、普通の人生(日常生活)では決して体験しないものであり、セッションでのわかりやすい効果となっています。なぜ「このような現象が起こるのか」と知覚変容の原理を理解することで、自分の心理的統合や創造的なアウトプット方法に対してもわかりやすく理解が進むこととなっているのです。つまりは、感覚変容を応用利用できることとなっているのです。

 また、これは古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはないことですが、進化型のゲシュタルト療法では、セッション(ワーク)に習熟するに従い、変性意識状態(ASC)にコンタクトできるスキルも上がっていきます。これは、人間の意識を拡大し、創造力を開発するのに決定的に役立つ要素となるのです。潜在能力を自在に引き出すコツがつかめてくるからです。当スペースが〈流れる虹のマインドフルネス〉として、この部分(変性意識と創造性)を強調しているのはそのためでもあります。

 以上のような特性を持っているがゆえに、ゲシュタルト療法は、変容の方法論としては、最適なものとなっているわけなのです。特に現代社会のように、技術的・経済的・メディア的に環境変化や変動が多い時代に、自分の中から普遍的な能力や創造力を引き出す明確なスキルを持っていることは、生きる上でとても重要なことと思われるのです。
 実際のところ、現代では多くの人が、次々現れてくる技術的進歩や機器、メディアに右往左往して、終始周りに流されているような状況です。そのようなことでは、自分の中から真の創造力を引き出すことなどできないのです。そのような環境の中でブレない「自分の中心」や「自分の場所」を持っていることは、とても重要のことと思われるのです。
 実際、私がゲシュタルト療法で出会う時期を、前段で「インターネットが急速にひろまっていく時期」としましたが、その時すでに私は「この先のネット社会では、人間が身体や実存から解離した空虚な存在になるだろう」ということを直観していました。そのこともゲシュタルト療法の有効性を感じさせ、選択させる要因でもあったのです。
 そして、あれから20年が経って、現状を見てみると、予想以上に人間は劣化した存在になってしまったわけです。
 かつてフリッツ・パールズは、「私の仕事は、紙でできた人間を血の通った人間にすることだ」と言いましたが、同様に私も、「私の仕事は、スマホとネットでできた人びとを血肉(心身、存在感)を持った人びとにすることである」と言わなければならない状況になってしまったわけです。しかし、ゲシュタルト療法にはその力があることも事実なのです。

 ところで、このようなゲシュタルト療法の在り方を、私はよく登山のベースキャンプに喩えています。ベースキャンプは、日常的な生活の場よりも高い場所にあり、同時にいつでも山頂を狙える場所にあります。ゲシュタルト療法のスキルを身につけることは、自分の存在の中にこのようなベースキャンプをつくることにもなります。

 人生の中でそのようなベースキャンプ(基地)を持っておくことは、人生に新たな中心(センター)の感覚をもたらします。日々の生活でいつも創造性の高いアヴェレージ(平均点)を保っていられるのです。日常的な雑事を離れて、自分の中心(センター)にいつでも触れられる居場所が確保できるからです。そして、その気になった際は、いつでも冒険的なピーク(山頂)に行くことで、自分の限界を超え、新たな成長を獲得することができるからです。

 さて以上が、私自身が、ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)をどのように発見し、その効果の特性を見出し、「フリーゲシュタルト」として現在の主たる方法論にすえたのかの理由となります。

 ぜひ、ゲシュタルト療法や変性意識状態(ASC)を利用して、ご自身の大きな変容と進化を体験していただければと思います。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、よりディープな、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


セッションで得られる効果と成果

セッションによって、心の苦しみやとらわれがなくなり、自由と軽やかさ、自信と自己肯定感、優れた能力と創造力が得られてきます
学んだスキルによって、他の人々にさまざまなサポートを行なうことができるようになります。一生役立つ普遍的なスキルが身に付きます。


【内容の目次】


(1)獲得される能力(スキル)と成果
 ①意識的な側面
 ②感情的な側面
 ③身体的な側面
 ④能力的な面 創造力面」
(2)他者に対して使える、技法(スキル)の獲得


 

想像してみてください。

からだの中にいつも溢れるばかりのエネルギーとしっかりとした自信があり、ゆったり充実して自分の中にやすらっているご自身を。
自分自身であることをただ愉快に楽しんでいるご自身を。

一人でいる時も人の輪の中にいる時も自分の中にたしかな中心の力/価値があり、他の何ものにわずらわされることなく、自由でびのびと、本当にやりたいことに200%集中できているご自身を。

また、想像してみてください、

感覚や意識が拡大したかのように、ひろがる世界や自然との豊かなつながりを感じており、心の内側においては、肯定的な力強い感情と意欲、斬新な発想とイメージが滾々と湧いているご自身を。
また、良い思いつきやアイディアについては、軽ろやかにすぐに行動を起こしていける、パワーに満ちたご自身を。

そして、そのことでさまざまな優れたアウトプット(結果)を生み出し、また他の人々に対しても、創造性開発の支援や心の解放づくりなどさまざまなサポートができているご自身を。

そのようなご自身であったら、今どのような人生を生きられいられるでしょうか?

そして、この人生で、どのようなものを手に入れているでしょうか?


◆さまざまな変容と成果

セッション(ワーク)では、心の葛藤が解消されていき、よりパワフルで統合感、肯定感と積極性をもったご自身を体験されていきます。その結果として、いつでも、人生で優れたアウトプット(成果)を生み出せるようになります

▼ゲシュタルト療法で「生きる力」が増大していきます

◆具体的なテクニックにより、確実な効果と成果が得られます

当スペースは、ゲシュタルト療法(心理療法)をベースに使いますので、単なる考え方や動機づけが変わるというだけでなく、実際に「心の仕組み(メカニズム)」に変化が起こり、心(潜在意識)のプログラムが書き換わります。心の健康・解放(プログラム改善)が恒久的に実現されてしまうのです。それは絡まったものがほどける現象であるため、(不可逆的な変化であり)元に戻るということはありません。

そして、内的な変容と解放とともに、それをご自分の方法論(スキル・技法)として習得していただけます。
「その気になるだけの表面的な方法論はもう飽きた」という方には、実際の変化と技法を合わせて獲得いただける内容となっています。

さて、このページでは、当スペースで獲得いただける成果を大きく、
(1)ご自身の変容(心理的統合・癒し・解放・能力アップ)とアウトプット力の獲得、
(2)他の人々に対して使えるサポート技能の獲得
の2つの面に分けて解説したいと思います。

⑴は、獲得いただけるご自身の中での変容と成果
⑵は、ビジネスその他の場面で他の人びとにご提供いただけるスキル
となっています。

また、それらの効果が働く領域を、私たちの「意識的な側面」「感情的な側面」「身体的な側面」に分けて解説いたしたいと思います。


さて、当スペースの方法論は、

ゲシュタルト療法 × 変性意識状態(ASC)」

の組み合わせですので、セッション体験が深まっていくと、その効果により「3つの能力(スキル)」が核として育っていくことになります。
・心身の統合(癒し)、生きる力・エネルギーの増大
変性意識状態を利用するスキル
・対象に集中する力や心を組織化する力
です。
詳しくは、「フリー・ゲシュタルト・ワークスについて」をご参照下さい

このような能力(スキル)が育つことで、自分の底にしっかりとした中心の感覚や、とらわれのない心のパワー、優れた創造力が生まれてくることになるのです。
その結果、当スペース流れる虹のマインドフルネスと呼んでいるような並外れて軽やかで、自由で拡大した意識状態が得られるようになるのです。素晴らしいアウトプットが人生で出せるようになるのです。


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コチラ


(1)獲得される能力(スキル)と成果


セッションを体験していかれると、ご自身の内的な変容として、まずは以下のような成果が得られていきます。上の図をご覧下さい。

ここでは、効果の作用する心身の側面を、
「①意識的な側面」
「②感情的な側面」
「③身体的な側面」
の3つに分けて解説したいと思います。
これに加えてさらに4つ目の成果として、この3つの相乗効果として成長する能力(スキル)的な側面を「④能力的な面 創造力面」としてご説明いたします。

 

①感情的な側面 「楽しさと意欲、積極性が増します」

まず、第一の効果は感情面での変容となります。私たち人間は感情の生き物です。感情こそが生きるための主たるエネルギーなのです。

私たちが、エネルギーに溢れている状態とは、肯定的な感情エネルギーが速やかに溢れている状態です。感情が変わると世界の感じられ方すべてが変わっていきます。「人生とは感情に彩られた出来事である」ともいえるのです。

まず、セッションを通して、ご自分を制限しているさまざまな葛藤や心の障壁から自由になっていくことになります。
自分の中に解放と「妨げ(ノイズ)のなさ」の感覚が生まれてくるのです。
心の中の妨害や雑音がなくなり、純粋な快適さや楽しさの気持ちが増していきます。能動的なやる気や意欲がご自分の中から滾々と湧いてくるようになるのです。

モヤモヤしてバラバラだった気持ちや感情、意欲や欲求がひとつに融合・統合してくる感じがします。
力強い主体的で集中的なパワーが、ご自身の芯の部分にできてくる感じがします。
自身を底ざさえする、力強い自己肯定感が生まれてくるのです。
何があっても「大丈夫」「楽勝」「やりきれる」感覚、不屈の力が肚の底に育ってくるのです。
まるで「本来の自分自身」に戻ってくる感じがするのです。

その結果として、自分の中に、他人にわずらわされることなく自分が本当にやりたいことに全身全霊で集中できるエネルギー感覚が生まれてくることになります。
そのため、日々力に溢れ、生きる中でも冒険的で挑戦的な行動がやすやすとできるようになってくるのです。

 

②肉体的な側面 「からだがフワッと軽くなります」

ゲシュタルト療法心身一元論的アプローチですので、心の解放(癒し)と肉体の解放(癒し)が同時に起こってきます。
からだが軽くなり、エネルギーが溢れているご自分に気づかれていくことになるのです。
やすやすと行動が起こせるようになっているご自分を発見することになるのです。

この点は、「世間一般的に」少しイメージがつきにくい点と思われます。というもの私たちは、普段、肉体が自分を強く制限しているとはあまり気づいていないからです。

しかし、私たちが人生で経験してきた、心のこだわり(制限、恐れなど)というのは、緊張や抑制の癖として、肉体の奥底の残っているのです。心の制限(緊張)と肉体の制限(緊張)とは平行的に存在しているのです。トラウマなども肉体の底に過度の緊張として深く埋め込まれているのです。最近のトラウマ・セラピーが肉体を重視する所以です。

心が真の解放や潜在能力を解放するには、この肉体の深い部分を解放しなければなりません。
そして、セッションでは、この肉の奥底の緊張が、心の解放とともになくなっていきます。
肉体が弛緩し、柔らかくしなやかになります。
エネルギーが以前よりも速やかに流れだし、全身が軽く楽になります。
そして、自分を抑制するために使っていたエネルギーを好きなこと・やりたいことのために使えるようになります。
人生で使えるエネルギーの量が増大したと感じられるのです。
物事にやすやすと挑戦するパワフルなご自分をより感じられるようになるのです。

 

③意識的な側面 「意識が拡大し、方法論を理解し、使えます」

◆セルフ・プロデュース力の獲得

そして、さらに①②の「感情面」「肉体面」の変化のプロセスを、自分の中で「意識的」に「方法論的」に理解していけるいう点が、当スペースでの大きな成果となります。

知的・意識的なレベルにおいても、心の変容がどのように起きていったのかを理論的・マインドフルネス的に理解していけるのです。そして、このことの結果として、自分の意欲を高め、もっと創造力を上げるために自分に対してどのようなアプローチをとればよいのかについて、(プロデュースするように)より分っていくことになるのです。

◆変性意識状態(ASC)へのスキル獲得

また、セッション体験を通して、特殊な「変性意識状態(ASC)」に入る感覚をつかんでいくことになります。変性意識状態(ASC)とは、潜在意識とダイレクトにつながっている特殊な感覚です。そのスキルの感覚が、ご自分の中で確立されてくることになります。その結果として、心や創造性の秘められた側面をいわば「透視的に」見るスキルを身につけていくことにもなるのです。この変性意識状態(ASC)をきちんと取り扱い、習熟できるところは他にあまりありません。当スペースのきわだった特徴です。

◆意識の拡張

これらすべてのスキル獲得の特徴(実感)として、ご自分の意識がひろがった感覚を得るようにもなります。
知覚や感覚がひろがり、今まで気づかなったことにさまざまに気づけるようになります。
「身体」が拡張し、ひろがった感覚が得られてきます。

実際のところ、私たちの意識とは上で見た「感情」「肉体」の知覚と深く同化しているものなのです。
そのため、この「私」という感覚さえ「固定」「固形」のように不自由で動かない印象を与えているのです。古典的なフッサールの現象学などで考える意識とはこのようなものです。
しかし、「感情」と「肉体」がより自由になり、軽やかで流動的になると、「意識」も軽やかで流れるように自由になりはじめるのです。
また、変性意識状態(ASC)のスキルも同様に、私たちの日常意識を相対化し、流動的に溶かしていきます。
これらが、意識がひろがった実感として恒久的に実現されてくるのです。
それが、当スペースがご案内する「流れる虹のマインドフルネス」という意味合いなのです。

④能力的・創造力的な測面 「バージョン・アップした能力が得られます」

そして、以上のような「意識的・感情的・身体的変容」の結果として、よりバージョン・アップし、パワフルに全身変容したご自身を経験していくこととなるのです。
また、変性意識状態(ASC)への感覚が身につくことで、意識と無意識(潜在意識)をより密に結びつけ、発想豊かなイマジネーション(想像力)のほとばしりをより引き出すことができるようになります。

また、心が統合されていくと、以前はバラバラな方向に向いていた能力や才能も、有機的に組織化された一定の方向性を持つこととなります。
その結果、物事に集中して取り組む能力がついてくることになるのです。そのような能力を持って、創造的なアウトプットを出していく力が増大していくことになるのです。
他に気をとられることなく、目標(目的)にフォーカスして達成していく不屈の力が育ってくることなるのです。


(2)他者に対して使える、技法(スキル)の獲得


効果(成果)のもうひとつの側面は、(1)の内的達成(能力・変容)を生み出す方法論(スキル)を、ご自分の身につけることができるというです。

ご自身の変容を通して体得した方法論ですので、付け焼き刃の知識ではない、ご自身の生きたスキルとして、それらを使っていくことができるのです。

そして、それらを使って、他の人々に対して、さまざまなサポートを行なっていくことができるようになるのです。ご自身の体験を通して理解した「変容の原理」や「気づきの技法」「促進技法」「変性意識の技法」を他の人々に対しても活用できるようになるのです。

そして、人がアウトプットを創り出すサポートができるという点です。
その結果、ビジネスのさまざまな場面で、クライアントの方や他者に向けた実効的な技法としてこれらを使っていけることになるです。

各種の能力開発やコーチングやセラピーなど、さまざまな場面でご利用可能な本質的普遍的なスキルを得ることとなるのです。
このことは、ご自身の仕事や人生のパフォーマンスを、より一層多彩にワンランク上げる事業に成長させていくことにもなるのです。

以上が、セッションによって得られる成果のあらましとなります。
ぜひ実際にセッションを経験してみて、その効果や変容の実感を味わってみていただければと思います。
世の中にある通常のものとは、比較にならない本質的次元のものであることを実感いただけると思います。

◆当スペースの目指す目標

「飢えている人に魚を与えてあげれば、その人は飢えをしのげる。
しかし、魚釣りの方法を教えてあげれば、その人は一生飢えをしのぐことができる

このことわざは、その場しのぎの対応策でなく、深い根本レベルのスキルを獲得いただければ、その人はご自身で人生を違ったものに変えていくことができるということを表現したことわざとなっています。

当スペースで、獲得していただけるゲシュタルト療法変性意識状態(ASC)それを融合させた方法論などはそのような根本的・普遍的な方法論となっています。つまりは、「魚釣り」のスキルとなっているのです。
このように当スペースでは、その場かぎりの対症療法ではなく、創造的に課題を解決したり、優れたアウトプットを出すために恒久的に使える方法論をクライアントの方に獲得していただくことを基本としています。
そして、それらのスキルを使って、さらに他の人々へ創造的なサポートを行なっていただくことを目標としています。ぜひ実際にセッションを体験してみて、人生を変容させる本質的な方法論をご体験いただければと思います。
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【ブックガイド】

ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。

気づきや統合、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓動画解説『セッションの効果 意欲と創造力の増大 変性意識』

↓動画解説『得られる効果と成果「心理療法と能力開発」』


大地性と待つこと

かつて、

鈴木大拙は、

「生命はみな天をさして居る。

が、根はどうしても大地に下ろさねばならぬ。

大地にかかわりのない生命は、

本当の意味で生きて居ない」と、

記しました。

「霊性の奥の院は、

実に大地の坐に在る」と。

 

『日本的霊性』の一章、

「大地性」でのことです。

 

そして、

「人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。

人間はその力を大地に加えて、農作物の収穫につとめる。

大地は人間の力に応じてこれを助ける。

人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。

誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。

人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることができる。

大地はいつわらぬ。欺かぬ。ごまかされぬ」

とします。

 

また、

「大地はまた急がぬ、

春の次でなければ夏の来ぬことを知って居る。

蒔いた種は時節が来ないと芽を出さぬ、

葉を出さぬ、枝を張らぬ、花を咲かぬ、従って実を結ばぬ。

秩序を乱すことは大地のせぬところである。

それで人間はそこから物に序あることを学ぶ。

辛抱すべきことを教えられる。

大地は人間に取りて大教育者である。大訓練師である。

人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ」

と。

 

そして、

「大地と自分は一つのものである。

大地の底は、自分の存在の底である。

大地は自分である」 

としました。

 

 

さて、私たちは、

自己の心の成長を熱望しながらも、

自己のどうしようもならない、

「自然」というものに、

ぶつかります。

 

頭で考えるほどに、

すっきりと簡単には、

自分自身の心の底、

存在の底は、

成長してくれないのです。

それらは、

大地のように、

そこにどっしりと、

存在しています。

 

心や存在の成長は、

自然の成長であり、

物事が育成する時間が、

樹木が育っていくように、

四季のめぐりのように、

かかるからです。

それは、

動かせない自然の原理なのです。

それと、

折り合いをつけるしかないのです。

 

ところで、

ゲシュタルト療法においては、

異質な複数の自我の葛藤を、

解きほぐし

人格的な統合を、

高めることが、

通常の方法論よりは、

はるかに速やかに、

行なうことができます。

 

しかし、

それでも、

「無意識の自然の力」による、

育成の時間は、

絶対に必要なものなのです。

 

しかし、そのことが、

心の力を、

不思議なくらいに、

育てて、

高めてくれるのです。

大拙が、

耕作について語るように、

探求に、

誠を尽くした分だけ、

強靭でリアルな深みが、

かえってくるのです。

 

かつて、

ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「私は、本当に待つことを学んだ」

と、語らせました。

 

私たちは、

なかなか成長しない自分の心に、

地団太を踏みながら、

「待つしかない」のです。

 

しかし、

そのことは、

甲斐のあることなのです。

 

そのことを通して、

意識に近い面では、

待つことという、

一種の、

「忍耐の力」が、戦士的な力が、

育ちます。

同時に、

心の底において、

「何かを育てる」

という保育者的な、

女性的な感覚を、

育てることにもなるのです。

 

自分の心を、

農作物のように、

守り育てる能力を、

獲得していくことになるのです。

 

心と肉体の、

底の部分においては、

複数の響きあう異質の力が、

溶けあう中で、

極彩色の果実が、

育ってくるのです。

 

誠を尽くした分だけ、

掘り進んだ分だけ、

自己を超えていくかのような、

豊かで深い収穫が、

得られるのです。

 

ここには、

不思議なバランスが、

働いています。

 

私たちは、

そのことで、
大地の力を、 

信頼していいのです。



※野生や大地性、気づき、変性意識状態(ASC)についての、

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

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映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

昔、『マトリックス』という三部作の映画がありました。ユニークな世界観や映像表現でヒット作となった映画です。

その世界観についても問題をはらみ、多様な解釈や議論がなされましたが、ここでは、少し違う切り口で考えてみたいと思います。

ところで、この映画が示している感覚表現(表象)の世界は、変性意識状態(ASC)シャーマニズムまたサイケデリック的な状態(世界)考える者にとっては、大変興味深いメタファー(暗喩)となっているのです。

実は、映画で描かれているマトリックスの創りだす世界と、私たちの生きているこの現実世界とは、さほど事情が違っているわけではないからです(むしろ、鏡写しの世界です)。

ところで、拙著『砂絵Ⅰ』の中では、この日常的現実とは何かを考えてみたところで、「合意的現実」という考え方について取り上げてみました。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

私たちのこの現実世界も、皆の合意した集合的な信念体系(ビリーフ・システム)として存在しているという考え方です。

ところで、このような合意的現実のあり方は、単に思考や認識、認知の拘束として、私たちの世界を映し出しているだけではありません。

実際には、「知覚的な拘束力」をともなって、「この世界」を映し出してもいるのです。
そのため、私たちはなかなかこの合意的現実を相対化することが
できないのです

ところで、ゲシュタルト療法体験的心理療法を解説する中で、その前提となっている「心身一元論的」な人間のあり様を見ました。硬化した心と硬化した身体とは、相互的なフィードバックを繰り返して、生活史の中で硬化した抑圧的な世界を創りだしてしまうのです。
心身一元論的・ボディワーク的アプローチ

その多くの由来は、現代社会(やその出先機関である親、教師)の「信念体系」です。
そして、私たちは物心がつく前から、そのシステムによって、感情や肉体や知覚を狭められ、拘束された状態で社会に出されて(再生産されて)いくのです。

実際のところ、社会の私たちの知覚・感覚への洗脳は、映画におけるマトリックス(母体)による支配と、実は大差がないものなのです。
ところで、映画でもそうですが、この拘束された知覚世界の外に出るには、強度の変性意識状態(ASC)を誘発する「赤いピル」のようなものが必要(有効)です。

アップルのスティーブ・ジョブズは、自伝の中で自身のLSD体験人生の最重要事に挙げています。一方、実際問題、比喩的にいえば、多くの人は日々の中で、赤いピルを得るチャンスに出遭っても、青いピルを選んで眠りつづける人生を選んでいるのです。それほど洗脳が強いわけです。

ところで、赤いピルのような物質によらずとも、強度の変性意識状態(ASC)を誘発し、この拘束的な知覚世界を超脱していく手法は多様にあります。

体験的心理療法などもそのひとつです。LSDセラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士が、LSDセラピーからブリージング(呼吸法)・セラピーに移行したようにです。

実際、ゲシュタルト療法をはじめ、体験的心理療法の多くの手法が、強烈な変性意識(ASC)を創りだし、内側から心身を解放し、私たちの硬化した信念体系や知覚のコードを溶解する効果を持っています。

ゲシュタルト療法などの体験的心理療法的な探求を、実直かつ真摯に進めていくと、心身が深いレベルで解放され、エネルギーが流動化されていきます。身体の感受性が深いレベルで変わっていくことになります。知覚力が鋭敏になっていくのです。

変性意識(ASC)への移行や、日々の気づきの力も、ずっと流動性を高めたものになっていくのです。そして、私たちは、旧来の硬化した世界を、まったく別様に見ていることに気づくこととなるのです。

硬化した見慣れた世界は、単なる世間の信念体系、後付け的に既存の意味を再構成した「残像としての世界」にすぎず、よりリアルな世界とは、刻々にまばゆい息吹が流動するエネルギーの世界であると感覚できるようになるのです。

それは、あたかも映画の中で、主人公ネオが腕を上げていくのにつれて、マトリックスのつくり出す幻想世界よりも「より速く」知覚し、動けるようになっていくのと同じことなのです。

これらの体験についての映像表現は、流動化し、透視力化していく知覚力の変容をうまく表現しています。

シリーズ一作目の終盤で、あたりの風景やエージェントを「流動するデータ」として透視し、エージェントに立ち向かいはじめるネオの姿が描かれています。

映画のストーリーとしては、自分の力の可能性を感じはじめるネオという、覚醒的でエキサイティングなシーンでもあるのですが、実際には、たとえ特別な救世主でなくとも、私たちの誰もがこの洗脳的な表象世界を透視し、それよりも「速く動き」その支配を脱する力を持っているのです。
「信念体系」の牢獄を超えて、新しく拡張した透視的な「身体性」として、空間の中をエネルギー的にひろがりはじめるのです。

私たちに必要なのは単に信じることではなく、心身と意識を実際に解放していくこと、そして、その中で新たな知覚力を訓練・開発し、エネルギーを解放していくことなのです。

そして、それは実際できることなのです。

 

※気づきや心理統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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↓多様な変性意識状態の姿については

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コチラ

マイルス・デイヴィスの存在力・共振力

さて、

拙著『砂絵Ⅰ:現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の中では、

その人の持つ「存在」の力が、

独特の力を発揮する事柄について、

少し触れました。

 

ここでは、

そのような存在力と創造性とに

関わる事例として、

マイルス・デイヴィスを、

取り上げてみたいと思います。

 

マイルスは、著名なジャズ・ミュージシャン、

トランペット奏者ですが、

マイルスを聴く人が、不思議に思うことがあります。

 

マイルスとともに活動にした、

数多い共演者たちは、

なぜ、彼らの生涯最高の演奏を、

しばしば、マイルスとの共演で持つのだろうか?

彼らは、マイルスから、

どのような影響を受けるのだろうか?と。

 

ここに、創造性に関わる、

存在の深い力についての秘密が、

あるように思われます。

 

このことに、光を当てる、

興味深いドキュメントがあります。 

1970年のワイト島の、

ミュージック・フェスティバルの映像、

『エレクトリック・マイルス』に付けられた、

生涯の共演者たちによる、

マイルスについての無数の証言です。

 

そこには、創造性にまつわる、

さまざまなヒントが、

当事者たちから、

生々しく語り出されています。

 

「あれほどパワフルな人と同じ空間にいると、

自分のパワーも自然に出てくる」

  デイヴ・ホランド

 

「歴史を振り返っても大勢が言うと思う。

マイルスとの演奏は、

誰も、他で再現できなかった。

その時しかできなかったんだ。

変わったわけじゃない。

マイルスと一緒に演奏した時は、

彼に力を引き出されたんだ」

  デイヴ・リーブマン

 

「マイルスは素晴らしい。

ずっと自分を与え続けたんだ」

  ジャック・ディジョネット

 

「マイルスは僕らに何かをくれたんだ。

言葉では表せないものを。

マイルスと組んだ人と会って、

マイルスの話題が出ると、

思わず皆、頷くんだ。

共通する体験があるから分かるんだ。

マイルスとの仕事で得たものは、

上手く言葉にできないけれど

なんというか、

一度経験すると、忘れられない」

  ハービー・ハンコック

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

adolf-wolfli

Adolf Wolfli (1864-1930)




 

アウトサイダー・アートには、

さまざまな魅力があります。

 

その魅力を語る、決定的なロジックがないにも関わらず、

多くの人が、そこに強い魅力を感じているようでもあるので、

アウトサイダー・アートには、

私たちの精神に、独自に働きかける、

要素があるのだと思われます。

 

筆者にとって、

アウトサイダー・アートの魅力とは、

まず第一に、植物や昆虫のような、

原初の自然を予感させる、

その無尽蔵さにあります。

 

とりわけ、その夢魔のような、

尽きることない「反復性」です。

同じ作品内における形態の反復もそうですし、

同じ(ような)作品を、

何千枚何万枚も作り続ける

無尽蔵の反復エネルギーです。

一種、非人間的なエネルギー、

抑制のない徹底的なエネルギーを、

感じる点です。
 

実は、それこそ、

私たちを駆り立て、突き抜ける、

「夢見の力」の特性と考えられるからです。

 

そのため、アウトサイダー・アートの

反復性・回帰性に触れていると、

私たちは、一種、変性意識状態別種の意識を、

まざまざと感じさせられる気になります。

夢魔のような変性意識(ASC)に、

巻き込まれていくのです。

 

かつて、ハイデガーは、

ニーチェの永劫回帰の思想を、

「等しきものの永遠なる回帰」と、

呼びました。

 

ニーチェの永劫回帰の思想とは、

この今ここの出来事が、この瞬間が、

まったく変わらぬ姿で、

永遠に回帰するという、

夢魔のような、容赦ない存在肯定の思想です。

 

(そのため、ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「救済」とは、過去の「そうあった」を、

「私がそう欲した」に変えることだと語らせたのです。

私たちが、永劫回帰を生き抜くには、

変わらない、今ここを追い抜くくらいの、

肯定の強度が必要となるわけです)

 

アウトサイダー・アートの或る部分には、

「等しきものの永遠なる回帰」と似た、

生の厳粛な肯定性、無尽蔵さがあるのです。

 

さて、魅力の第二の点として、

「徹底的な直接性」という要素があります。

これは、植物的・昆虫的な無尽蔵さ、

その絶対的な肯定性とも重なりますが、

文化に飼いならされていない、

剥き出しの直接性と無尽蔵さを、

感じさせられる点です。

(なま)の沸騰の感覚です。

 

創造性の根底にある、

容赦ない〈自然〉の直接性を、

感じさせられる点です。

 

そして、上記の二つを通して、

私たちは、不思議な〈郷愁〉に導かれます。

それは、幼児の、

物心つくかつかない頃に感じていた世界のようです。

現在でも、私たちは、

このような、生の基底部の感覚を、

生の原型の姿として、

どこかに持っているような気がするのです。

 

アウトサイダー・アートの世界は、

そのようなことを、

私たちに感じさせてくれるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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「英雄の旅」とは

◆はじめに

 

「英雄の旅 Hero's journey」とは、

神話学者ジョゼフ・キャンベルが、

世界中の神話より抽出した、

英雄神話の、普遍的なパターンです。

 

「英雄の旅」は、

影響を受けた、ジョージ・ルーカスによる喧伝や、

ハリウッド式のシナリオ術のひろまりにより、

世間でも、知られるようになりました。

 

NLPやコーチングの世界では、

S・ギリガン氏と、R・ディルツ氏らのワークショップをはじめ

「英雄の旅」のモデルは、

ひろく認知を得ているといえます。

 

これらのひろまりの背後には、

この神話モデルが、

私たちの心理的能力や、

その変容のプロセスを、

わかりやすく、かつ実感的に、

表現していることが推測されます。

 

当スペースでも、

セッション場面その他で、

このモデルを、

さまざまに利用しています。


ここでは、

この神話モデルの概略を見ることで、

私たちの心の創造力や、

変容過程を理解するモデルとして、

英雄の物語が、

どのように役立つのかを、

見ていきたいと思います。

 

 

◆英雄の旅

 

さて、ところで、

英雄の旅の、物語パターンは、

私たちにも、子供の頃から、なじみ深い、

普遍的であるがゆえに、ありきたりな、

ヒーロー物語の典型です。

 

キャンベルは語ります。

 

「英雄は、あえて、

日常の世界を後にして、

超自然的で、不思議なものの住む世界へと、

足を踏み入れ、

そこで、驚異的な存在に出会い、

決定的な勝利をおさめる。

英雄は、

この神秘的な冒険で、

仲間への恩恵となる力を得て、

帰還する」

(『生きるよすがとしての神話』 飛田茂雄他訳、角川書店)

 

このことを、もう少し詳細に、

キャンベルが、語っている部分を、

少し長いですが(また少々分かりづらいですが)、

引いてみましょう。


「神話英雄は

それまでかれが生活していた

小屋や城から抜け出し、

冒険に旅立つ境界へと

誘惑されるか拉致される。

あるいはみずからすすんで

旅をはじめる。

 

そこでかれは道中を固めている

影の存在に出会う。

英雄はこの存在の力を

打ち負かすか宥めるかして、

生きながら闇の王国へ

赴くか(兄弟の争い、竜との格闘、魔法)、

敵に殺されて

死の世界に降りていく(四肢解体、磔刑)。

 

こうして英雄は

境界を越えて未知ではあるが

しかし奇妙に馴染み深い

〔超越的な〕力の支配する世界を旅するようになる。

超越的な力のあるものは

容赦なくかれをおびやかし(テスト)、

またあるものは

魔法による援助を与える(救いの手)。

神話的円環の最低部にいたると、

英雄はもっとも厳しい試練をうけ、

その対価を克ちとる。

 

勝利は

世界の母なる女神と英雄との性的な結合(聖婚)として、

父なる創造者による承認(父親との一体化)として、

みずから聖なる存在への移行(神格化)として、

あるいは逆に

―それらの力が英雄に敵意をもったままであるならば―

かれがいままさに克ちうる機会に直面した

恩恵の掠盗(花嫁の掠奪、火の盗み出し)として

あらわされうる。

 

こうした勝利こそ

本質的には意識の、

したがってまた存在の拡張(啓示、変容、自由)に

ほかならない。

 

のこされた課題は帰還することである。

超越的な力が英雄を祝福していたのであれば、

かれはいまやその庇護のもとに

(超越的な力の特使となって)出発するし、

そうでなければかれは逃亡し

追跡をうける身になる

(変身〔をしながらの〕逃走、障害〔を設けながらの〕逃走)。

帰還の境界にいたって

超越的な力はかれの背後にのこらねばならない。

 

こうして英雄は

畏怖すべき王国から再度

この世にあらわれる(帰還、復活)。

かれがもちかえった恩恵が

この世を復活させる(霊薬)」

(キャンベル『千の顔をもつ英雄』平田武靖他訳 人文書院)

 

このような、

物語の展開や道具立ては、

映画などでは、

しばしば目にするものでは、

ないでしょうか。

 

 

◆人格変容の物語

 

 さて、キャンベルは、

以下のようにも語っています。

 

「神話の英雄、シャーマン、神秘主義者、

精神分裂病患者の内面世界への旅は、

原則的には同じもので、

帰還、もしくは症状の緩和が起こると、

そうした旅は、

再生―

つまり、

自我が「二度目の誕生」を迎え、

もはや昼間の時空の座標軸に

とらわれた状態でなくなること―

として経験されます。

そして、内なる旅は、いまや、

拡張された自己の影にすぎないものとして、

自覚されるようになり、

その正しい機能は、

元型の本能体系のエネルギーを

時空の座標軸をもつ現実世界で、

有益な役割を果たすために、

使わせるというものになります」

キャンベル『生きるよすがしての神話』

(飛田茂雄他訳 一部改訳、角川書店)  

 

これも、少々わかりづらい表現ですが、

ここでは、

「英雄の旅」的なプロセスとは、

私たちの心の深層にある、

拡張された自己を、

回復するプロセスであることが、

語られています。

 

元型の本能体系のエネルギー」が、

心の深層にあるというわけです。

元型とは、ユング心理学の仮説にあるもので、

私たちの心の深層に潜む、

基底的・普遍的な、人格的な因子(動因)のことです。

 

そして、

(旅に似た、心理的統合の結果)

その因子的エネルギーを、

自覚的に、現実的な日常世界で生かせるようになることが、

この内的な変容の旅の、

成果になるというわけです。

 

そして、

その回復が達成された状態とは、

日常意識の、

昼間の時空の座標軸に

とらわれた状態でなくなること

であることが、

語られています。

 

これは、

慣習化され、限定された、

日常意識以外の、

拡張された意識状態(その内実的要素)が、

統合的に獲得されることを、

表現しているといえるでしょう。

 

上記の引用では、

比喩的・象徴的に語られていますが、

このことは、

心理学的な変容過程においては、

実際に、そのような(同様な)ことが、

起こって来るともいえます。

 

心理的変容過程(旅)の後には、

人は、かつては、絶対的に見えたような、

「日常意識」の感覚や価値観が、

ちっぽけなものとして、

相対化されてしまうものなのです。

 

つまり、それは、

上に引いた中にあるように、

「意識の、したがってまた、存在の拡張(啓示、変容、自由)」

が、達成されることだとも、

いえるのです。

 

ところで、

筆者自身、心理療法(ゲシュタルト療法体験的心理療法)、

変性意識状態(ASC)の事例に、

数多く関わる中で、

人々のさまざまな心理的変容の過程を、

見てきました。

 

そして、その際に、

この神話モデルが、

クライアントの方の実感にとって、

とても、有意義に働くのを見てきました。

 

特に、人格変容過程の中で生じて来る、

困難なプロセス、

いわゆる、夜の航海 night sea journeyの体験や、

魂の暗夜 Dark Night Of The Soulの体験を、

位置づけるのに、とても実感的に作用するのでした。

そして、その試練の過程を乗り越えるのに、

とても有効に働くのでした。

 

その意味でも、

このような神話モデルとは、

単なるおとぎ話ではなく、

私たちの人生の航海ツールとして、

実際的に活きて来るモデルなのです。

 

 

◆「英雄の旅」のプロセス

 
さて、英雄の旅のプロセスは、
そのような人格的変容の旅の、
普遍的な姿を示しているものでもあります。


キャンベルによって、

細かく区分けされている要素を、

少し単純化(アレンジ)して示すと、

以下のような形となります。

これなども、通俗的なヒーロー物語に
よく見られる共通のパターンといえます。

 

 

「出発」(召命)

旅の拒絶

助言(導き)

越境・異界参入

援助(仲間、守護者)

超越的な力(魔霊・怪物)との戦い・試練

最大の試練

聖なる結婚(融合)、真の父の承認

力(霊薬Elixir)の獲得、変容

「帰還」

 


さて、ストーリーの大枠を見てみると、

「出発-通過儀礼-帰還」の構造となっており、
はじまりと終わりを持つ、

通過儀礼的なモデルとなっています。


はじまりは、

「召命」であり、
何かの呼びかけに従う形で、
冒険が始まります。

そこには、

主人公の生い立ちに関する、

特殊な情報も含まれていたりします。

 

また、次に現れる、

旅の拒絶のテーマは、

冒険への逡巡や恐れ、

日常世界への執着など、

物語のはじめに、

よく見られるパターンです。

私たちにとって、

未知の冒険は、

みなとても恐ろしいものだからです。

 

そして、退屈な、この日常世界に、

くすぶったまま居続けるのか、

それとも、

恐ろしいけれども、未知の興奮を誘う、

冒険に出かけるのか、選択を迫られるのです。

 

中間の、

「通過儀礼」の部分は、
物語の核心である、

「超越的な力」との遭遇・戦い・試験といった、

大きな試練となっています。

 

その試練が、
英雄の主体を、死に近づけるような、

過酷な体験(冒険)であることを

示しています。

 

主体にとっては、

自分を変容・刷新させてしまう類の、

「死の体験」「再生の体験」と、

なるものです。

 

しかし、

そのような苛烈な過程の中で、

主人公は、

超越的な力(または悪の力)」の中に潜むエッセンスを、

獲得していくことになるのです。

それが、最終的には、魔法のような、

特別な力(霊薬)となるのです。

 

さて、

終わりの「帰還」は、

通過儀礼としての旅の、

成果(霊薬)を、わがものとして統合したうえで、

この世(共同体)にもたらし、

還元する過程を、示しています。

その力でもって、世界を豊かにし、

豊饒に再生させるのです。

 

このように、

英雄の旅の物語は、

「冒険譚」という形式の中で、
超人間的な経験を、

自分に取り込み、成長していく、

主体的な体験過程を、

示しているのです。

 

そのため、

英雄の旅的な映画を見ると、

私たちは、未知の根源的な力に、

拡充(充電)されたかのような、

高揚感や、核心の感覚を、覚えるのです。

 

そして、

このような経験パターンは、

娯楽的な物語だけではなく、

私たちの生活の、

さまざまな場面(事件)において、

経験されているものなのです。

 

 

◆英雄の旅とゲシュタルト療法のセッション

 

ところで、

ここで興味深いことのひとつは、

上に見たような、

英雄の旅のプロセスと、

別で見た、ゲシュタルト療法の、

セッション(ワーク)のプロセスに、

平行した構造や体験過程が、

見られることです。

 

当スペースでは、

このような洞察をもとに、

クライアントの方に、

英雄としての変容プロセスに、

気づきと体験を得てもらうよう、

セッション(ワーク)を行なっています。

 

その内容詳細は、

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

に譲りますが、

このモデルは、そのような意味でも、

実践的な価値を有しているものなのです。

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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『千の顔をもつ英雄』(人文書院)

 


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