潜在意識と変性意識を利用した自己変容で
 〈流れる虹のマインドフルネス〉へ
           
〈変性意識〉と〈深化/進化型のゲシュタルト療法〉で、
    あなたのビジネス、アート、コーチング、カウンセリング、NLPに
        真の超越的次元をもたらします

フリー・ゲシュタルト・ワークスは、
「実践的心理学」―ゲシュタルト療法―
をベースに、
・ほしい未来や状態の実現、目標/目的の達成
・卓越したパフォーマンスの発揮(発現)
・並外れたアウトプットの具現化
・自信や意欲の向上、自己肯定感のアップ
・まわりの人々(他者)への影響力の増大
・人間関係の悩みや葛藤解決、過去の囚われからの解放
・才能と独創性(天才性)の発掘/発揮
・アウェアネス(awareness 気づき)とマインドフルネスの向上
・意識と知覚の拡大、覚醒 awakeness 状態の実現
・既存の自己(世界)からの超越と変容
・自己変容と至高体験 peak-experience の達成
など、
心の能力を育て、増大するための、
セッションや方法論を、
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意識変容

「流れる虹のマインドフルネス」とは

「流れる虹のマインドフルネス」とは、ある拡張された意識状態‐存在状態のことです。
それは、意識変容や心身変容への真摯な取り組みの果てに、自然に獲得されてくるものです。
このような拡張された意識‐存在状態は、人類の歴史の中、古今東西の精神的・宗教的伝統の中では繰り返し語られてきました。決して不思議なものでもないです。
現代では、トランスパーソナル心理学などが、そのような意識状態について理論的に語るものとなっています。しかし、それを獲得するための実践的な方法論や取り組みが弱い点が課題といえます。
普段の気づき awareness の中に、虹のように透明で鮮やかな
微光が浸透しているため、当スペースでは、その状態を「流れる虹のマインドフルネス」と呼んでいるのです。

その状態でいる時、私たちは、あたかも流れるようなまばゆいエネルギーの次元とともにいるかのようです。とても微細なエネルギーのまばゆさに透過されているようです。
その微細なエネルギーは、あたかも、意識や肉体、見ている風景の背後にひろがる広大無辺な〈光〉の次元‐空間から射すよう浸透してくるかのようです。
世界の内側から微細な〈光〉がまばゆく透過してくるので、意識や肉体、あたりの風景は、不思議にも、固形物ではなくあたかも「光の粒の集まり」のように、「光の泡立ち」のように感じられたりもします。
そこでは、あらゆるものが、「固体」ではなく「流体」として、「実体」ではなく「空」として感じられるかのようです。
物理的な法則なども稀薄に感じられます。
物理的な因果や作用反作用などは当然あるのですが、それは大して重要なことではなく、この宇宙というゲームの任意の設定程度にしか感じられないのです。
それよりも、まぢかに、流れるようまばゆく渦巻く、非因果的な、膨大な可能性と自由な飛躍の力を強く感じているのです。
明晰さは一段深い透視的な明晰さとなり、事物の隠れた結びつきや微細な関連を滑らかに見通すようにもなっているのです。

自然界と現象の彩りあざやかな無限の戯れ、その美しさ、その核にある存在の〈本質〉に注意が向いているのです。

また、そこでは、「自分自身」を生きることも、あまりこだわりのない事柄になっているのです。
自分自身よりも本質的な、大きな〈光〉が内側から透過して、自分を押し流し、価値づけ、肯定し、生きてしまっているからです。「何事か」が成就されてしまっているかのようです。
あれほど長い期間、苦心惨憺、七転八倒し、物事をコントロールしながら、人生を切り拓いてきたこの主体、「自分自身」が今では大して重要なものには感じられないのです。
それは芝居の「役」のように、人生を冒険し、創造するための場所(役)として、気楽に、遊戯的に、楽しみに感じられているのです。
それは、生きていくのにとても快適な、好奇心にみちた状態でもあります。
そして、ふと気づくと、この人生の劇そのものが、光に満ちた広大無辺な次元‐空間の浸透によって救われてしまっているかのようでもあるのです…

また、その状態は、物事や事業に取り組んで、創造的なものをつくり出すことについても豊かな状態となっているのです。
広大で超意識的な空間が背後にあり、隣にある魔法の部屋から物を取り出すかのように、深い想像と夢見の中から、忽然とモノを引き出せるようにもなっているからです。
あたかもそこには、無尽蔵に豊かな創造の遊戯が、まばゆく沸騰しているかのようなのです…

さて、以上は、「流れる虹のマインドフルネス」状態のひとつであり、ある種、マズローのいう至高体験 peak-experience に近い様相のものですが(他にもさまざまな態がありますが)、これらの意識‐存在状態が、私たちをどのような自由と歓びの境地に招いているかは、容易に想像がつくかと思われます。
そして、肝心なポイントは、このような意識状態‐創造的状態は、決して偶然に、偶発的に起こるものではなく、「心身変容への体系的な取り組み」の果てに獲得されていくものであるということなのです。また、それらが恒常的な状態、意識構造になっていくということなのです。



「気づかないこと」の選択 マインドフルネスの光明その3

さて、
気づきawarenessやマインドフルネスの、
効果や効能については、
当サイトや拙著の中でも、
色々と解説を加えています。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

今回は、逆に、
「気づかないこと」
とは、
どういうことなのかについて、
少し考えてみたいと思います。

実は、
「気づかない」ということも、
私たちの心の中で
「選択している」
事態であると、
考えられるからです。

今回は、
ウィル・シュッツ Will Schutz 博士の、
言葉をもとに、
そのあたりを、
見ていきたいと思います。

ウィル・シュッツ博士は、
60年代に、エサレン研究所などで、
エンカウンター・グループを主導した、
人物として知られています。

以前、取り上げた
ジョン・C・リリー博士の、
『意識の中心』(平河出版社)においても、
フリッツ・パールズや、
アイダ・ロルフなどともに、
彼の姿が描かれています。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

今回取り上げる彼の本
『すべてはあなたが選択している』
(池田絵実訳、翔泳社)
は、60年代の狂騒が去った後の、
70年代末の本ですが、
その時点での、
彼の考えが、
色々とまとめられています。

ここに見られる、
気づきや選択、
自己責任の考え方は、
幅広く、
ある種のコーチングやセラピーなどに、
共通してみられる視点とも、
いえるものです。

ここで、彼は、
気づくこと自体が、
私たちのうちで、
(操作的に)
選択されない場合を、
描いています。

「私たちは必ずしも、
いつも気づいて  
選択しているとは限らない。
正直にいうと、
ときと場合により、
自分で選んでいるということを、
自分に知らせていないことがある。
例えば、
幼いときに、
他のみんなが
自分のことを
馬鹿にしているような気がすると、
(根本的には自分が自分のことを
無能と思っているのだが)
その気持ちに気づくことは
苦痛を伴うので、
無意識のうちに
これに気づかないことを
選んでいる可能性がある。
こうして
私は自分が馬鹿であるという気持ちを
押し殺してしまうのである」
(前掲書)

そして、
最初の、
この「気づかないことの選択」や、
「気づくことの回避」は、
次から次へ、
「気づかないことの選択」に、
つながっていきます。
そして、それが、
問題行動になったりも、
するのです。

「自分が馬鹿である
という気持ちに
直面しないですむようにとる行動は
いろいろ考えられるが、
極端に競争的な態度は
そのひとつかもしれない。
競争相手が自分より劣っていることを
証明するためには、
不正行為さえ辞さない。
しかし
ずるをしたということに
自分で気づくと、
ますます自分が嫌になるので、
そのことにも
気づかないようにしてしまう。
つまり
ずるという行為を選びつつも、
そのことに気づかないことを
選択しているのである。
さらに、
ずるをしたことで
罪悪感を感じながらも、
その罪悪感を
気づかないようにすることも
考えられる。
この罪悪感があるために、
無意識のうちに
他の人に簡単に見破られるようなずるをし、
自分に代わって
その人に不正を見破ってもらい、
自分を罰してもらうことによって
罪悪感を消化しようとする場合もある。
そういうとき
私は無意識のうちに
自分が捕まるような状況を
つくっておきながら、
つかまえた人たちに対して
激怒したりするのだ」
(前掲書)

このような、
「気づかないことの選択」
「気づきの回避」の連鎖は、
比較的、よく見られる事例と、
思われます。

個人の生活の中でも、
気づかないようにすることで、
その問題を回避することが、
できるからです。

会社組織などにおいては、
この気づきの回避が、
非常によく見られます。
「誰か、気づいた人が、
直してくれると思った」
という場合、
実が、多くの人が、
心の底では、
気づいている事柄です。

実際は、
それに気づいて、表沙汰にすると、
自分がその対処をしなければならないので、
無意識理に、
気づきを回避し、
抑圧しているだけなのです。

シュッツ博士は語ります。

「選択のうち
いくつかについては
自分で気づいているし、
いくつかについては
気づかないことを選んでいる。
私は自分が対処したくない感情、
受け入れたくない考えについては
気づかないことを選んでおり、
また
それに関連していたりしていない
普通の出来事のつながりについても
気づかないことを
選んでいる可能性がある。
この考え方によれば、
一般的に無意識と言われるものが
何を指すのかも、
少し分かりやすくなるように思える。
私は自分の無意識も選んでいる。
つまり
私が無意識でいる事柄は、
私がそれに気づかないことを
選んだからこそ
意識下に
閉じ込められているのだ」
(前掲書)

このような、
「気づかないことの選択」
「気づきの回避」
は、私たちの心の底に、
ストレスと疲れを溜めていきます。

一方では、
本当は気づいている存在があり、
一方では、
それを抑圧するものがあり、
そこに葛藤が、
生じているからです。

その事態は、
私たちを、
ストレスに押しつぶされた、
受動的な存在にし、
無力な存在にしていきます。

一方、
このようなスタンスに抗して、
ウィル・シュッツ博士は、
逆の、
選択と気づきのあり様を、
推奨します。
その公式は―

「私は自分の人生における
全てを選択しているし、
これまでもずっとそうしてきた。
私は自分の行動、
感情、考え、病気、
身体、反応、衝動、
死を選んでいる。」
(前掲書)

「気づかないことの選択」さえも、
自分の選択のうちに、
あるということです。
「気づかないことの選択」も、
自己の責任のうちにある、
とするということです。

そして、
「気づかないことの選択」さえも、
選択の中に数え入れて、
引き受けていこうという、
ある種、実存的な態度です。

このように、
自分の人生を引き受け、
感じてみると、
いかがでしょうか。

私たちが、
しばしば落ちいりがちな、
受動的な存在としての、
被害者的な、
惰性的な自己の姿が、
逆照射されてくると、
思われます。

シュッツ博士自身、
いつも、いつも、
自分のこの信条を、
受け入れられるわけではないと、
正直に告白するように、
これは、
ある種の極端な視点であり、
選択です。

しかし、
このような、
自己責任的なスタンスを持つことで、
私たちの人生の風景は、
手づかみできるような、
ずっと新鮮なものに、
変わっていくのです。

シュッツ博士も指摘するように、
このような、
実存と選択の感覚は、
60年代にあった、
ある種の思潮でもあったわけです。

博士は、
同時代にあった、
彼らの言葉を、
実際、いくつか引いています。

例えば、アリカ研究所の、
「あなたの成長に
責任があるのは
あなた自身だけである」
(前掲書)

また、エストの、
ワーナー・エアハードの、
「あなたは
あなたの宇宙における神である。
あなたが全ての始まりである。
これまで
自分が全ての始まりでない
というふりをしてきたのは、
そうすれば
そこにプレイヤーの一員として
参加できたからにすぎない。
だから
望みさえすればいつでも、
全ては自分から始まっている
ということを
思い出せるはずだ」
(前掲書)

ヴィルヘルム・ライヒの、
「あなたの解放者となれるのは、
あなた自身だけである」
(前掲書)

フリッツ・パールズの、
「ほとんどの場合、
人生の中で起こっている
様々な出来事が
存在し続けるかどうかを決めているのは、
自分自身である。」
(前掲書)

などなどです。

さて、
もう一度、さきの、
博士の言葉を見てみましょう。

「私は自分の人生における
全てを選択しているし、
これまでもずっとそうしてきた。
私は自分の行動、
感情、考え、病気、
身体、反応、衝動、
死を選んでいる。」
(前掲書)

このように、
自分の選択こそが、
自分の人生を、
今も形づくっている
最たるものであると
決めてみると、
どうでしょうか。

主体を刷新するような、
覚醒感awakenessが、
得られると思います。
心の底では、
私たちはこのような事態を、
理解しているからです。

また、
気づきawarenessや、
マインドフルネスについても、
茫洋としたムードとしてではなく、
冒険的な人生の中、
今ここの中で、
瞬間瞬間、
この生活の姿を、
決断的に選択している、
鋭い眼差しであると、
感じとれるようにも、
なっていくのです。

そのような意味において、
シュッツ博士の、
選択の考え方は、
私たちの気づきawarenessや、
マインドフルネスに、
ヒントをもたらしてくれるものと、
なっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
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気づきと変性意識の技法 基礎編
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サイケデリック体験と、チベットの死者の書

さて、以前、
心理学的に見た「チベットの死者の書」
ということで、
チベットの死者の書から類推される、
私たちの心の、
構造的モデルについて
考えてみました。
心理学的に見た「チベットの死者の書」

そして、その際、
ティモシー・リアリー博士らが記した、
『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience』
(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)
を参照としました。

ところで、
そもそも、
リアリー博士らは、
向精神性物質を用いることで現れて来る、
サイケデリック(意識拡大的)体験、
つまり、変性意識状態の諸相を理解する、
有効な、心の構造モデルとして、
または、サイケデリック体験をうまく導いてくれる、
ガイドブック(指南書)として、
「チベット死者の書」を、
持って来たわけでした。

さて、前回は、
そのような、心の「構造的側面」を、
テーマにして、
諸々を検討してみましたが、
今回は、
リアリー博士らが、把握した、
サイケデリック体験の、
「体験的側面」、
変性意識状態そのものに焦点化して、
諸々を見ていきたいと思います。

ところで、
前回の振り返りですが、
チベットの死者の書の中では、
死者は、
3つの中有、
つまりバルドゥ(バルド)と呼ばれる、
時空を経由して、
人は再生(心理的再生)してしまうとされています。

①チカエ・バルドゥ(チカイ・バルド)
②チョエニ・バルドゥ(チョエニ・バルド)
③シパ・バルドゥ(シドパ・バルド)
の3つがそれらです。

①のチカエ・バルドゥは、
もっとも空なる、
超越的な体験領域であり、
私たちは、そこで、
すべてから解放された時空、
空なる意識状態を、
達成することが、
可能とされています。

②のチョエニ・バルドゥは、
非常に深い、
深層次元の心が現れる時期であり、
そこで、私たちは、
私たちを構成する、
心自体である、
深部の元型的素材に直面すると、
されています。

③のシパ・バルドゥでは、
これは再生の時期にあたりますが、
私たちの自我に近いレベルが、
回帰して来るとされています。


では、実際に、
リアリー博士らの言葉を、
見てみましょう。

「チベット・モデルにしたがい、
われわれはサイケデリック体験を
三つの局面にわけている。
第一期(チカイ・バルド)は、
言葉、〔空間-時間〕、自己を超えた
完全な超越の時期である。
そこには、
いかなるヴィジョンも、
自己感覚も、
思考も存在しない。
あるのは、ただ、
純粋意識と
あらゆるゲームや生物学的なかかわりからの
法悦的な自由だけである。
第二の長い時期は、
自己、あるいは
外部のゲーム的現実(チョエニ・バルド)を
非常に鮮明な形か、
幻覚(カルマ的幻影)の形で
包含する。
最後の時期は(シドパ・バルド)は、
日常的なゲーム的現実や
自己への回帰に
かかわっている。
たいていの人の場合、
第二(審美的ないし幻覚的)段階が
もっとも長く続く。
新参者の場合には、
最初の光明の段階が長くつづく」
(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)

ところで、博士らは、
私たちが囚われ、落ち込む、
自我の「ゲーム」から、
離れることを、進めます。

サイケデリック体験が弱まり、
バルドゥを進むに従い、
私たちは、
自我の「ゲーム」に、
より、とらわれていってしまうと
いうわけです。

「『ゲーム』とは、
役割、規則、儀式、
目標、戦略、価値、言語、
特徴的な空間-時間の位置づけ、
特徴的な動きのパターンによって
規定されている一連の行動である。
これら九つの特徴を持たない
一切の行動は
ゲームではない。
それには、生理学的な反射、
自発的な遊び、
超越意識などが含まれる。」
(前掲書)

このような、
ゲームにとらわれることなく、
ゲームを回避し、
空なる体験-意識領域に、
同一化できた時、
私たちは、いわば、
解脱(真の解放)できるというわけなのです。

第一のチカエ・バルドゥでは、
(サイケデリック体験が一番強烈な時間では)
そのチャンスが一番あると、
されているのです。

「もし参加者が、
空(くう)の心を
ガイドが明らかにしたとたん、
その観念を見、
把握することができれば、
つまり、
意識的に死ぬ力をもち、
自我を離れる至高の瞬間に、
近づいてくるエクスタシーを認識し、
それとひとつになることができれば、
幻想のあらゆるゲームの絆は
即こなごなに砕け散る。
夢見る人は
すばらしい認識を獲得すると同時に、
リアリティに目覚めるのだ。」
(前掲書)

「解放とは、
〔心的-概念的〕な活動を欠いた
神経系である。
条件づけられた状態、
つまり、
言葉と自我のゲームに限定された心は
たえず思考の形成活動を
おこなっている。
静かで注意が行き届き、
覚醒してはいるが
活動はしていない状態にある神経系は、
仏教徒が
もっとも高い「禅定」の状態(深い瞑想状態)と
よぶものに比較することができる。
そのとき、
身体とのつながりは
依然として保たれている。
光明(クリアーライト)の意識的な自覚は、
西洋の聖者や神秘家が
啓示とよんできた法悦的な意識状態を
誘発する。
最初の徴候は、
『リアリティの光明』
の一瞥であり、
『純粋な神秘的状態としての絶対に誤らない心』
である。
これは
いかなる心の範疇のおしつけもない
エネルギー変容の自覚である。」
(前掲書) 

そして、
サイケデリック体験が一番強烈な時に、
解放や覚醒が得られない場合でも、
その次の時間帯で、
チョエニ・バルドゥ的な解放や覚醒が、
可能だともいうのです。

「最初の光明(クリアーライト)が
認識されない場合、
第二の光明を維持する可能性が
残されている。
それが失われると、
カルマ的な幻想
あるいはゲーム的リアリティの
強烈な幻覚の混合期である
チョエニ・バルドが訪れる。
ここで教訓を思い出すことが
きわめて重要である。
多大な影響や効果を
およぼしうるからである。
この時期、
微細にわたって鮮明な意識の流れは、
断続的に合理化や
解釈を試みる努力によって妨げられる。
だが、
通常のゲームを演じる自我は
効果的に機能していない。
したがって、
流れに身をまかせていれば、
まったく新しい歓喜をともなう
官能的、知的、感情的な体験をする可能性が
無限にある。
だが、その一方で、
体験に自らの意志をおしつけようとすると、
混乱や恐怖の恐ろしい待ち伏せに
遭遇することになる。」
(前掲書)

「経験を積んだ人は、
すべての知覚が
内部からやってくるという自覚を保ち、
静かに坐って、
幻影をつぎつぎに映しだす
多次元的なテレビ受像機のように
拡大した意識を
制御することができるだろう。
非常に敏感な幻覚
―視覚的、聴覚的、触覚的、臭覚的、物理的、身体的―
と絶妙な反応、
そして自己や世界への
思いやりのある洞察。
鍵はなにもしないこと、
すなわち、
周囲で起こっているすべてとの
受動的な合体である。
もし意志をおしつけたり、
心を働かせたり、
合理化したり、
解釈を求めたりしたら、
幻覚の渦にまきこまれるだろう」
(前掲書)

ところで、
リアリー博士らは、
このチョエニ・バルドゥ的な、
サイケデリック体験が、とりがちな、
体験の諸相を、
死者の書に合わせつつ、
いくつかに分類しています。

自己の内的体験に、沈潜する場合や、
外部の知覚的世界に、没入する場合など、
類型的なパターンに分けて、
解説を加えています。

①源泉あるいは創造者のヴィジョン(目を閉じ外部の刺激は無視)、
②元型的プロセスの内的な流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)
③内的な統一性の火の流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)
④外的形態の波動構造(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。知的側面)
⑤外部の一体性の振動波(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。感情的側面)
⑥「網膜のサーカス」
⑦「魔法劇場」
(前掲書)

これなども、
私たちの心や神経、
知覚を考える上で、
大変に示唆に富む指摘と、
なっているのです。

以下に、いくつか、
その描写を見てみましょう。

②の元型的プロセスの内的な流れ
(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)
については…

「第一のバルド
あるいは源のエネルギーの、
分化していない光が失われると、
明るい分化した形態の波が
意識の中にあふれだす。
人の心はこれらの形に
同一化しはじめる。
つまり、
それらにラベルを貼り、
生命プロセスについての啓示を
体験しはじめるのである。
特に被験者は、
色のついた形態、
微生物的な形、
細胞の曲芸、
渦巻く細い管の際限のない流れに
とらわれる。
大脳皮質はまったく新しくて
不思議な分子のプロセスに、
チューン・インするのだ。
抽象的デザインの
ナイアガラや生命の流れを
体験するのである。」
(前掲書)


③の内的な統一性の火の流れ
(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)
については…

「純粋なエネルギーが
その白い空の性質を失い、
強烈な感情として感じられる。
感情のゲームがおしつけられる。
信じられないほど真新しい身体感覚が
身体を貫いて脈打つ。
生命の白熱光が
動脈にそってあふれるのが
感じられる。
人は
オルガスム的な流体電気の大海、
共有された生命と
愛の無限の流れに
溶け込む。」
(前掲書)

「進化の河を
流れ下っていくあいだ、
際限のない無自己の力の感覚が
生まれる。
流れる宇宙的な帰属感の喜び。
意識は
無限の有機的レベルに
チューニングできるのだ
という驚くべき発見。
身体には
何十億という
細胞のプロセスがあり、
そのそれぞれが
独自の体験的宇宙―無限のエクスタシー―を
もっているのだ。
あなたの自我の
単純な喜び、苦痛、荷物は
一つの体験の組み合わせ、
反復的で
ほこりにまみれた組み合わせを
表している。
生物学的なエネルギーの
火の流れのなかにすべりこむと、
一連の体験的組み合わせが
つぎつぎと通りすぎていく。
あなたはもはや
自我と種族の構造に
包み込まれてはいない。」
(前掲書)


④の外的形態の波動構造
(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。知的側面)
については…

「被験者の意識は突然、
外部からの刺激に侵入される。
彼の注意は奪われるが、
古い概念的な心は働いていない。
けれども、
他の感受性は働いている。
彼は直接的な感覚を体験する。
生の『存在性』。
彼は物体ではなく、
波のパターンを見る。
『音楽』や『意味のある』音ではなく、
音響的な波を聞く。
そして、
あらゆる感覚や知覚が
波の振動にもとづいているという
突然の啓示にうたれる。
それまで
幻想のかたさをもっていた
周囲の世界が、
物理的な波動の戯れに
ほかならないという
啓示にうたれる。
テレビ画面のイメージと同様に
実質性をもたない
宇宙的なテレビ・ショーに
まきこまれているのだという
啓示をうける。
もちろん、
物質の原子構造を
われわれは知的に知っているが、
強烈な変性意識の状態以外では、
けっして体験されることはない。
物理学の教科書によって
物質の波動構造を学ぶことは一つ、
それを体験し(そのなかに入りこみ)、
古い、馴染のある粗野な、
「堅固な」物体という
幻覚的な慰めが消え去り、
通用しなくなるということは、
まったく別のことなのである。
もし
これらの超リアルなヴィジョンが
波の現象をふくんでいれば、
外部の世界はびっくりするほど
鮮明な輝きと啓示を帯びる。
現象世界が波動という
電子的イメージの形で
存在しているという体験的な洞察は、
光明の力の感覚を
生みだすことができる。
万物が意識として
体験されるのである」
(前掲書)


さて、以上、
リアリー博士らの言葉によって、
サイケデリック体験が見出す、
リアリティの変貌について、
見てみました。
いかがだったでしょうか。

ところで、当然、
このようなリアリティの諸相は、
サイケデリック体験に限らず、
その他の変性意識状態においても、
現れて来るものであります。

そのような意味においても、
このチベット・モデルや、
リアリティの質性の特性は、
私たちにとって、
変性意識状態の探索や、
意識拡大のための、
示唆に富んだ手引きと、
なっているのです。


※変性意識状態(ASC)へのより統合的な方法論は、 拙著

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧ください。

 



↓サイケデリック体験と、チベットの死者の書についても解説しています。


 



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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マインドフルネスの光明その2 無為のゲシュタルト

さて、前回、
ゲシュタルト療法に、
長く取り組む中で、
ワーク(セッション)の中で、
「しないこと」が、
重要になる側面について、
取り上げました。

「しないこと」の中で、
気づきの力を働かすことが、
ゲシュタルト療法でいう、
気づきの連続体awareness continuumを、
より深め、
自発的な心の動きを、
湧出させることについて、
触れました。

「しないことのゲシュタルト」
という姿勢が、
気づきと自由の、確保のために、
必要となって来るというわけなのです。
しないことのゲシュタルトへ マインドフルネスの光明

そして、
この「しないこと」ができるようになると、
逆に、
真に、「すること」も、
できるようになって来るのです。

そして、ここが、
重要な点でも、
あるわけなのです。

それは例えば、
次のような事柄を、
思い起こさせます。

精神分析家の、
D・ウィニコットWinnicottの概念に、
「独りでいられる能力the capacity to be alone」
というものがあります。

子どもの心理発達の中で、
母子一体の融合状態から、
子どもが、
徐々に分離成長して、
人が、自分自身になっていく過程の中で、
育って来る能力です。

親がそばにいても、
平然と、自立して、
(その存在を気にせず)
内的な意味で、
独りでいられる能力です。

それは、
最終的な成長の姿としては、
大勢の人の中にいても、
他者(他の人々)に妨げられないで、
泰然と、独りで完結した、
「自分自身でいられる」という、
自立的・独立的な能力に、
つながっていきます。

しかし、
「独りでいられる能力」が低い人、
つまり、
「独りでいられない人」とは、
大勢の人の中にいると、
他者の存在が気になって、
(他者の存在に毀損されて)
自分独りという、
完結した存在(自分自身)に、
なかなか、
なりきれないものなのです。

「独りでいられる能力」とは、
「自分自身でいられる能力」
ともいえるものなのです。

つまり、逆にいうと、
「独りでいられない人」とは、
「自分自身でいられない人」
とも言い換えられるのです。

そして、
「独りでいられない人」
においては、
本当の意味で、
「他者と出遭う」ことや、
「他者と共にいる」
という力もまた、
弱くなってしまうのです。
自分自身の存在が、
曖昧で、
自立していないからです。

つまり、
真に「独りでいられる人」のみが、
真に「共にいるwithness」ことができる人、
とも、いえるのです。

これは、
真に「しないこと」ができるようになると、
真に「すること」ができるようになることとも、
一脈通じる事態であるのです。

そして、
「何もしない」
という完全な無為が、
完璧に統合・集中された、
稲妻のような行為を生み出す、
基盤となっていくのです。

そして、
この「しないこと」を育てるためにも、
マインドフルネス瞑想は、
とても有効な方法論と、
なっていくものなのです。


◆マインドフルネス瞑想

それでは、
マインドフルネスを巷に広めた、
ジョン・カバットジン博士の言葉を、
いくつか見ていきましょう。

「私はこの“注意を集中する”ということを、
“マインドフルネス”と呼んでいます。
今では、瞑想の意味は
かなり知られてきています。
注意を集中することは、
いつもとまではいえなくても、
誰もがふだんから行っていることです。
つまり、瞑想は、
かつて考えられていたような
得体の知れないものではなく、
生活の中で
私たちがふだん体験しているものなのです。」
(『マインドフルネスストレス低減法』春木豊訳、北大路書房)

ところで、
博士は、別のところで、
マインドフルネスとは、
気づきawarenessだといっています。

このことは、
少し分かりにくいところなので、
解説しましょう。

まず、
注意力と、気づきawarenessでは、
心の中における階層が、
少し違います。
(当然、それらは地続きで重なっていますが)

そして、
注意を「集中する」状態とは、
注意力を「意図的」に働かせている状態であり、
注意力そのものより、
上位の働き(意図・能力)が、
「少し」加わっている状態なのです。

注意力を、「意図的に」操作できるのは、
注意力よりも上位の力です。

この上位の力の中に、
気づきawarenessは、
含まれているのです。

そのため、
以下のような気づきawarenessも、
可能となって来るのです。

「さて、瞑想をする時のように
自分の心の動きに注意をしていくと、
自分の心が、
現在よりも過去や未来に
思いを馳せている時間のほうが
ずっと長いことに
気がつかれると思います。
つまり、実際、
“ 今”起きていることについては、
ほんのすこししか自覚していない、
ということなのです。
そして、私たちは、
“ 今”というこの瞬間を十分に意識していないために、
多くの瞬間を
失ってしまっているのです。
この無自覚さが
あなたの心を支配し、
やることすべてに
影響を与えるのです。
私たちは、
自分のしていることや
経験していることを
十分に自覚しないまま、
多くの時を
“ 自動操縦状態”で
習慣的にすごしているのです。
いわば半眠半醒の状態に
あるようなものなのです。」
(前掲書)

ここでは、
「注意を集中する」プロセスの中で、
気づかれて来る、さまざまな状態、
「無自覚」「自動操縦状態」「半眠半醒の状態」などが、
洞察されています。

ところで、
ゲシュタルト療法においても、
今、実在する目の前の風景から離れて、
実在しない過去や未来に対して、
無益な空回りをすることが、
神経症的態度だと、
かつてより指摘していたものでした。

実在していない未来に対する、
行き場のない危惧の興奮を指して、
「不安とは、抑圧された興奮である」
と言ったのは、
フリッツ・パールズです。

まずは、その興奮に、
コンタクト(接触)して、
内容を知れという、
意味合いでです。

また、さきの文中で言われる、
「自動操縦状態」「半眠半醒」などの言葉が、
以前に見た、
G・I・グルジェフの言葉と
響きあうものであることも、
まことに納得的な事柄でもあるのです。
自己想起 self-remembering の効能

そして、
醒めた状態awakenessとは、
気づきawarenessの、
持続された状態であるわけなのです。

カバットジン博士は、
私たちの心が、
普段、ストレスに満たされた時の、
無自覚な心の状態を、
次のように描写します。

「心の中を、許容範囲以上の
不満足感や無意識が
支配するようになると、
おだやかさやリラックスした感じは、
味わえなくなります。
その代わりに、
分裂した感じや追い込まれる感じに
さいなまれるようになります。
「ああだ、こうだ」と考え、
「ああしたい、こうしたい」と
思うようになります。
ところが、えてして
こうした想念は互いに矛盾しあい、
その結果、何かを行う能力を、
大きく狂わせてしまいます。
こんなとき、
私たちは自分が何を考えているのか、
何を感じているのか、
何をしているのかが
わからなくなっているのです。
さらに悪いことに、
私たちは、
自分がわかっていない、
ということにも
気づくことができなくなっているのです。」
(前掲書)

このような時にこそ、
自己の心に対して、
気づきawarenessを持つことが、
必要となります。

そのため、
ゲシュタルト療法では、
ワーク(セッション)の空間において、
分裂した感情や自我のそれぞれに、
丁寧に気づきawarenessを当て、
それらを解きほぐし、
統合していくということを、
行なっていきます。

そして、そのためにも、
まず第一に、
自己に注意を集中することや、
気づきawarenessを働かせることが、
必要となって来るものなのです。

博士は、述べています。

「注意を集中することによって、
文字どおりあなたは目ざめていきます。
意識せずに、
機械的にものごとを見たり、
行ったりするいつものやりかたから
脱出することができるのです。
このように、
自分が何かをしている最中に、
自分がしていることを
意識できるようにするのが、
『マインドフルネス瞑想法』の本質です。
『マインドフルネス瞑想法』には、
特に変わったところも
神秘的なところもないということが
おわかりいただけたと思います。
瞑想とは、瞬間、瞬間の体験に
注意を向けるためだけに
行うものなのです。
そして瞑想によって、
自分の人生を見つめ、
瞬間の中で生きるという
新しい生き方ができるように
なっていくのです。
“ 現在”という瞬間には、
その存在を認めて尊重しさえすれば、
魔法のような特殊な力が
秘められています。
それは、
誰もがもっている
かけがえのない瞬間なのです。
私たちが知らなければならないのは、
“ 現在”という瞬間だけです。
“ 現在”という瞬間だけを
知覚し、学び、行動し、変え、
癒さなければなりません。
だからこそ、
“ 瞬間瞬間を意識する”
ということが
とても大切になってくるのです。
瞬間をより意識できるようにする方法は、
瞑想トレーニングを通じて
学んでいくことになりますが、
そこでは、
努力するということ自体が
目的なのです。
努力することによって、
あなたの体験は
より生き生きしたものになり、
人生は
より本当のものになっていくのです。」
(前掲書)<

……………………
さて、以上、
カバットジン博士の言葉を、
見てみましたが、
このように、
マインドフルネス瞑想の姿勢は、
ゲシュタルト療法の方法論と、
大変、共通したものであると、
いえるものなのです。

そして、
ある面では、
ゲシュタルト療法が、
ややもすれば、
おろそかにしてしまう、
本来的な意味での、
気づきawarenessの力を、
唯一の技法としているという点においても、
マインドフルネス瞑想は、
ゲシュタルト療法を補完するという意味で、
とても有効なアプローチと、
いえるものなのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
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映画『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系


さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
「ゴーストの変性意識状態(ASC)」と題して、
私たちの心の持つ、
階層構造やその可能性について、
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

また、そのような、
心の階層構造の可能性についても、
別に、ジョン・C・リリー博士の事例などとともに、
考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、他にも、NLPの、
ニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)などを素材に、
私たちの持つ、
「信念体系(ビリーフ・システム)」の影響範囲について、
考えてみました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

さて、今回は、
そのような事柄と関連して、
『攻殻機動隊』の続編、
映画『イノセンス』を素材に、
心や変性意識状態(ASC)が持つ、
さまざまな可能性や能力について、
考えてみたいと思います。


さて、
映画のストーリーは、
前作の後日談となっています。

人形使いのゴーストGhostと融合して、
「上部構造にシフト」してしまった、
草薙素子(少佐)は失踪扱い、
前作で、一番身近にいて、
素子の最後の義体まで用意した、
相棒のバトーが、
今作では、主人公となっています。

そのバトーが、
ネットに遍在するかのような、
(元)少佐のゴーストと、
交流する姿を描くのが、
本作となっています。

ところで、本作ですが、
事故や殺人事件を起こす、
ガイノイド(人形)の謎を、
捜査で追っていくのが、
メインの筋書きとなっています。

さて、
そのような捜査の中で、
バトーや、相棒のトグサは、
ガイノイド製造元のロクス・ソルス社より、
(雇われた傭兵のキムより)
ゴーストハックによる捜査妨害を、
受けます。

つまり、
心Ghostを、
ハッキングされ(侵入、乗っ取られ)、
疑似体験を、
させられてしまうのです。

そのせいにより、
バトーは、
コンビニで、銃を乱射したり、
ドグサは、
フィリップ・K・ディックの小説のような、
現実だか、幻覚だか分からないような、
テープ・ループのような反復体験に、
巻き込まれていくことになるのです。

映画の中で、
バトーは、トグサに、
その体験を説明するために、
「疑似体験の迷路」
という言葉を、使いました。


◆疑似体験の迷路

さて、ところで、
映画の中では、
キムの、ゴーストハックによる、
疑似体験の注入であったため、
それが「疑似」体験であると、
いえるわけですが、
では、
この私たちの現実体験とは、
どのように、
なっているのでしょうか?

映画の中では、
疑似体験と対比的に、
物理現実という言葉が、
使われています。

物理現実であれば、
疑似体験ではないということです。

ところで、以前、
映画『マトリックス』を素材に、
考えてみたところで、
私たちの、
この日常的現実が、
マトリックスの作り出す、
幻想世界と、
さほど違っているわけではないこと、
について記しました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

私たちは、
成育過程の中で得た、
さまざまな信念体系や、
知覚的拘束の中で、
この世界を見ている(見させられている)、
というわけです。

そのように考えると、
私たちが、
「物理的現実」と呼び、
唯一の実在性を、信じたい知覚世界も、
必ずしも疑似体験ではないと、
言い切れるわけではないのです。

というよりも、
この日常的現実も、
その構成成分の多くが、
疑似体験である、
と考えた方が、良いのです。


◆信念体系と疑似体験の迷路

さて、NLPの、
ニューロロジカルレベル(神経論理レベル)
について見たところで、
その信念体系(ビリーフ・システム)が、
非常に高い階層に属しており、
私たちの現実を創り出す、
大きな要因と、
なっていることを見ました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

このモデルの妥当性は、
保留したとしても、
信念体系(ビリーフ・システム)が、
私たちの日常意識や、
日常的現実を生み出す、
決定的な要因であることは、
間違いないことです。

そのような、
信念体系のフレームの中で、
私たちは、
オートポイエーシス的に、
日常的現実を、
意識の内に、
自己産出し続けているのです。

場合によって、
人は、一生を、
疑似体験の迷路の中で、
過ごすと言ってもいいのです。

そして、
この疑似体験に気づくためには、
システム的に、
この疑似体験自体を、
相対化する要素が、
必要となって来るわけなのです。


◆守護天使(聖霊)の階層

さて、
映画の中では、
バトーが、
ゴーストハック攻撃を受けている時に、
(元)少佐、草薙素子が、
さまざまな合図を送ってくれます。

今している体験が、
疑似体験の罠であることを、
知らせてくれるのです。

コンビニにおけるシーンでは、
バトーは、
スルーしてしまったわけですが、
「キルゾーンに踏み込んでるわよ」
と、はっきりと、
メッセージをくれています。

つまり、
日常意識よりも、
高い階層にいる少佐は、
疑似体験に占拠されている日常意識を、
見抜き、透視することが、
できるわけなのです。

のちに、バトーは、
キムとの会話の中で、
「俺には、守護天使がついている」と、
発言しています。

キムは、
自分が組み上げた防壁の中に、
何者かが、
書き込みを入れているのを見て、
驚くわけです。
彼の考えでは、
そんな芸当ができる人間など、
想像できないわけです。

また、
ロクス・ソルス社艦内の、
戦闘シーンで、
ガイノイドに、ロードして、
バトーの救援に現れた、
少佐に対して、
バトーは、
「聖霊は現れ給えり」
と表現したわけです。

比喩としても、
バトーやキムよりも、
高い階層にいる(元)少佐の在り様が、
暗示されているわけです。

しかしながら、
このような上部階層の心(意識)は、
必ずしも、
守護天使や聖霊でなくとも、
私たちの心のシステム自体として、
存在していると、
考えてもよいのです。

本サイトや、拙著でも、
さまざまに記していますが、
世界中の変性意識状態(ASC)の報告は、
そのような可能性を、
示唆してもいるのです。
内容紹介 拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

それは、
何らかのきっかけをもって作動し、
私たちを、
疑似体験の迷路の外に、
連れ出してくれるのです。
その風景を、
見せてくれるのです。

そして、
私たちが、現代社会の、
閉塞したキルゾーンの中にいることを、
教えてくれるのです。

私たちは、
変性意識状態(ASC)への旅や、
その世界との往還を、
数多く繰り返し、
学習していくことで、
そのような意識の帯域(往還コース)を、
拡張していくことが、
できるのです。

そして、
これはまた、
多くのシャーマニズムの伝統が、
行なって来たことでも、
あるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法




さて、当スペースでは、グレゴリー・ベイトソンの学習理論における階層性(一次学習、二次学習)をよく例に引いています。

それは、この考え方のモデルが、私たちの心の可能性やその飛躍(成長)の実践法として、とても適切なバランスを有していると考えられるからです。
それは、反復学習による学習内容の進化(構造化)を意味しており、主に、無意識的な階層性として心のなかに形成(組織化)されていくものです。
後天的・生成的なものではありますが、より根本的なレベルに近い領域での心の構造(階層・組織化)といえるものです。

ところで、そこまで、深層無意識的・構造的なレベルではなくとも、もう少し日常意識に近い無意識レベルで、表層的な自我の中においても、さまざまな階層性や構造をもって、私たちは成り立って(組織化して)いるものです。
日常的な考え方のレベルでも、私たちの人生に大きな影響が与えられるゆえんです。

そのため、そのような自我の近いレベルの情報を効果的に整える(整列させる)だけで、私たちは人生(生活)に変化を創り出していくことができるのです。

今回は、そのような方法論のひとつとしてロバート・ディルツ氏が考案し、NLP(神経言語プログラミング)でよく使われる「ニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)」を取り上げてみたいと思います。

これも、適切に使っていけば、より的確な利用法が可能となっているのです。
効果的に作用するNLPのフレームとは

日本のNLP(神経言語プログラミング)はなぜ退屈なのか

このモデルには「思想的な意図」と「エクササイズ」との二つの側面(要素)があります。

①思想的な意図

神経論理レベルは、5つの階層によって出来ている、認知と情報についての論理レベルです。

1.Identity アイデンティティ WHO誰 …私は何者か? ミッション
2.Belief 信念・価値観 WHYなぜ …私が信じているのは何か? 
3.Capability 能力 HOW いかに …私ができることは何か?
4.Behavior 行動 WHAT何を …私が行なっていることは何か?
5.Enviroment 環境 WHEN WHERE いつどこ …私は、どんな環境にあるか?

(後に、ディルツ氏は、6番目の階層としてスピリチュアリティを加えましたが、ここでは初期の版を使います)

この5つの要素によって、私たちは
「私(WHO)は、
そこ(WHERE)に
行く(WHAT)ことが、
できる(HOW)
とは信じられない(WHY)」

などと認知したりしているというわけです。(図表、参照)

ところで、このモデルは、初期NLPのメンバーの思想的な後見人でもあったベイトソンの思想に拠ったものとされています。
ベイトソンのシステム的な思想においては、万物が、精神も自然も一貫して関係づけられた情報の体系であると見なされています。

その中では、論理階梯 logical typing のように「階層づけられた情報の流れ」を通して万物が作動しています。
さて、神経論理レベルの考えでは、この5つの層は私たちの中で作動している認知的なシステムという仮説です。
私たちが、何か行動を起こしている場合は、無意識の内にこのようなシステムの階層性を持っているという仮説です。

ここでのポイントは、その制御性と一貫性です。
より高い階層のものが、下位の認知システムを制御しているというわけです。

上位の階層の認知が、限定的であれば、下位の階層の認知も、限定的です。
上位の階層の認知がひろがれば、下位の階層の認知もひろがります。

5つのレベルに、整合的な一貫した情報とエネルギーの流れがあれば、行動は的確に為されます。

 

②実践エクササイズ

実践は、通常エクササイズ形式で、スペース・ソーティング(場所の移動)を使って行なわれます。
NLP(神経言語プログラミング)のスペース・ソーティングは、ゲシュタルト療法エンプティ・チェアの技法から転用されたものです。
心理的投影の原理を利用し、さまざまなスペース(場所、クッション、椅子等)と、心理状態(自我状態)を催眠でいうアンカリングして(結び付けて)、各スペース(場所)に入るとその心理状態(自我状態)が現れるようにセッティングする(条件づける)のです。

ここでは、各階層レベルと各スペースをアンカリングして、各スペースの位置に来た時には、各レベルの内的状態(自我状態)が引き出されるようにするのです。

さて、この神経論理レベルでは、さまざまな場面での自己の内的状態を検証することができます。

・現在の自分を構成している5つの階層
・悪い状態の自分を構成している5つの階層
・欲しい状態の自分を構成している5つの階層

などです。

例えば、「欲しい状態の自分を構成している5つの階層」を例にとって、見ていきますと…

このエクササイズ全体を見守る、「メタ・ポジション」を立てた上で、最初の「環境」のスペースに入って、欲しい状態の自分を作っている「環境」要素を確認していきます。

場所・日時・見えるもの・聞こえるもの・体感覚・感情・気分などを確認していきます。
同様に、「行動」「能力」「信念」とスペースを移動しながら、より高い階層の各属性(現れてくる感覚や感情/自我状態)をチェックしていきます。

人は、ここであることに気づいていきます。
階層の高い部分に行けば行くほど、下位の階層の状態が、上位階層の影響のうちにあるということです。

と同時に、普段の私たちが、単なる思い込みによって、自分自身を制限(制御)していたことに気づきはじめるのです。(上の図表のようなイメージです)

最後の「アイデンティティ」の位置においては、さまざまな限定を脱落させた未知の自分や真のミッションに触れるかもしれません。

今度は、そこから下層のレベルに向かって戻って(降りて)いきます。

新しく確認したアイデンティティから、自分の信念や価値観、能力や行動を、検証して、環境世界をチェック・確認していきます。

おそらく、さきほど、階層を上がった時よりも、すっとひろがりと流動性をもった世界が確認されて、自分が限定的なものの見方に落ち込んでいたことが確認されると思います。

最後に、5つの階層を一貫して流れる情報やエネルギー(存在状態)を確認して、エクササイズを終えます。


さて以上、神経論理レベルを利用したエクササイズを見てみましたが、この5つの階層を検証するエクササイズの含意は、私たちが普段の生活において、身近な下位階層(環境、行動)の認知に縛られて(限定されて・引っ張られて)、真の自己を見失っているという状態に気づくということです。

欲求と情報がバラバラになっていて、統合を失っている自己の状態に気づき、それらを整列・統合させるということなのです。

また、上位の自分自身に状態的・エネルギー的につながることで、自分のミッションや価値観、信念を刷新し、新しい行動への強い動機づけになるということです。

そのため、各階層の状態の流動性を高めて、それらを整列させて、新しい自己の一貫性を戻そうというのが、このエクササイズの含意となるのです。

エクササイズ自体は、ゲシュタルト療法セッションのように、深いレベルで作用するのではありませんが、融合させて使ったりすることにより、さまざまに多様な展開も可能なものとなっているのです。
また、日々少しだけ時間をとって行なうには、自分で内的状態を整えるのに有効な技法となっているのです。

そして、最後に付け加えると、筆者がさまざまな人々と会った実感からいうと、実に多くの人々が「自分にはできない」「自分には才能がない」という勝手な思い込み(信念/ビリーフ)を持っています。
しかし、このモデルにあるように、人は信念/ビリーフの内にあることしか実現できません。
信念/ビリーフが、そのように限定されている限り、「できない」のは事実なのです。
しかし、一方「できない」と思っていたことが、何かの偶然で、仕事で無理やりやらされてできてしまった(できることに気づく)ということも多くの人が経験していることと思います。

物事は、やりはじめてしまえば、できてしまうものなのです。
「できる」という信念/ビリーフに変わった時から、人生は別の可能性に開かれはじめるのです。
神経論理レベルは、そのような原理の背後にあるものを教えてくれるものでもあるのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

動画解説 NLP「ニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)


クライストと天使的な速度

さて、当サイトでは、
たびたび、フロー体験については
取り上げています。

その体験が、
私たちが、
より拡張された心身状態へ、
移行するための、
分かりやすい類型となっているからです。

実際、そのシステム的な作動性を、
よく理解して、
意識的に、物事に取り組むこととは、
日常生活の中で、
高いパフォーマンス(アウトプット)を、
発揮するのに、
大いに、役立つものでもあるからです。

また、以前には、その関連で、
ベイトソンの学習理論を参照にしつつ、
私たちの日常意識より、
あたかも、上位階層にあるかのような、
心理(意識)システムが、
働く可能性についても、
各種の事例から考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

ある種のフロー的、かつ覚醒的な、
意識拡張の体験過程にあっては、
私たちは、
自己の内なる領域に、
高次の働き(メタ・プログラマー)を感じ取り、
その働きによって、
より拡大された現実を体験したり、
未知なる能力を発揮するかのようである、
ということなわけです。

さて、今回は、
ドイツの作家、
ハインリヒ・フォン・クライストを、
素材にして、
そのような意識拡張の可能性や、
意識進化の姿(物語、神話)について、
少し考えてみたいと思います。

ところで、
クライストの作品は、
とても不思議な作品です。

そこにおいては、
何か得体の知れないものが、
凄まじい速度で、
通過していきます。

過度に結晶したような、
硬質な文体の向こうに、
以前見た、ロートレアモンのように、
にわかに、それとはとらえがたい、
熱狂的な強度や速度、
変性意識的な何かが、
通過していくのです。

焼き尽くすように、
通過していくのです。

そして、私たちは、
それらを読み終わった後に、
その火傷を感じつつ、
「あれは何だったのだろう」
と、思いを巡らせるわけなのです。

ところで、
クライスト本人が、
どのような方法論のうちに、
そのような作品を書いていたのか、
筆者は知らないのですが、
それらが偶然そうなったわけではなく、
(明確な方法論ではないかもしれませんが)
ある種の気づきawarenessのうちにあったのだと、
教えてくれる、素晴らしい文章を、
彼は、残しているのです。

『マリオネット芝居について』
という、或る舞踏家と、
クライストらしき話者とが、
操り人形の舞踏について、
対話するという短編がそれです。

このテーマに関して、
この一編をものしたことから考えても、
クライストが、
そのテーマの重要性について、
明確に意識していたことが、
うかがえます。
これは、
意識の進化と存在を巡る、
とても核心的なテーマでもあるのです。

その物語は、
話者が、或る卓越した舞踏家を、
大衆的な芝居小屋で、
しばしば、見かけており、
そのことで以前から、
興味を持っていたわけなのですが、
機会あって、
彼本人から、
そのことについての、
興味深い智慧の話を聞かされる、
というストーリーになっています。

ところで、
話を聞く中でわかってきたことは、
舞踏家にとって、
人形の舞踏から学ぶことが、
多々あるからである、
というわけだったのです。

人間にはない、優美さが、
そこに宿っている、
ということだったのです。

「人形は絶対に気取らない、
という点が長所なのです。
―というのも気取りというのは、
ご存知のように、たましい(vis motrix)が
どこか運動の重心以外の点にきたときに、
生じるのですからね」(種村季弘訳、河出文庫)

そして、このような気取りや自意識が、
演技において、失策となることを語ります。

「『こうした失策は』とややあって彼はつけ加えた、
『私たちが認識という樹の木の実を
味わってしまったからには、
もう避けられません。
だって楽園の門は閉ざされ、
織天使は私たちの背後に
まわってしまったじゃありませんか。
私たちは世界をぐるりと経めぐる旅に出て、
裏側から、どこかしらにまた
楽園への入口が開いてはすまいかと、
この眼でさがすほかありません。』」(前掲書)

話者は、
舞踏家の意外な見解に対して、
さまざまな疑問をぶつけていくことで、
話は進みます。

「あなたがいかにたくみに
ご自分の逆説の問題を弁じられようと、
人体機構によりは
機械製の関節人形のほうに
はるかに優美が宿りやすいだなんて、
そんなことを私に信じさせようったって
そうはまいりませんよ。
答えて彼の言うには、
その点では人間は
関節人形にまるで及びもつきません。
この領分で物質と太刀打ちできるのは
神だけかもしれません。
ここには円環的世界の両端が
噛み合う点があるのです。
私はますます驚いたが、
この奇妙な主張に対してなんと言えばよいか、
言うべきことばを知らなかった。」(前掲書)

そして、舞踏家は、聖書における、
「あの人間形成の最初の時期をご存じないお方とは、
それから先の時代の、
ましてや人類最後の時代の話は
実際のところできかねますね。」(前掲書)
と、人類の未来の姿まで、匂わすのです。

そして、
話者が、直接、実感した、
過剰な自意識により優美さを失った少年の話や、
舞踏家自身の、
フェンシングで、熊にまったく勝てなかった挿話が、
振り返られた後で、
最後に語られるのです。

「『さて、すばらしき友よ』、C.氏は言った、
『これで私の申し上げることを理解するのに
必要なものはすべてお手許にそろいました。
これでおわかりですね、
有機的世界においては、
反省意識が冥く弱くなればそれだけ、
いよいよ優美がそこに燦然と
かつ圧倒的にあらわれるのです。
―けれどもそれは、
二本の直線が一点の片側で交差すると、
それが無限のなかを通過したあと
突然また反対側にあらわれる、とか、
あるいはまた凹面鏡に映った像が
無限の彼方まで遠ざかったあとで、
突然私たちのすぐ目の前にきている、
とかいうふうにしてなのです。
このように認識が
いわば無限のなかを通過してしまうと、
またしても優美が立ちあらわれて
きかねないのです。
ですから優美は、
意識がまるでないか、
それとも無限の意識があるか、
の人体の双方に、
ということは関節人形か、
神かに、
同時にもっとも純粋に
あらわれるのです。』
『とすると』
私はいささか茫然として言った、
『私たちは無垢の状態に立ち返るためには、
もう一度、認識の樹の木の実を
食べなければならないのですね?』
『さよう』と彼は答えた、
『それが、世界史の最終章なのです』」(前掲書)


…………………………………

さて、このような、
意識の様態(進化)についてのヴィジョンが、
決して神話的なものではなく、
フロー体験や、意識の階層構造への、
検討から見て、
あるレベルで、
実現可能であるということは、
本当のところなのです。

それは、
当スペースでも、
さまざまな実践的な方法論を通して、
テーマとして、
取り扱っているのなのです。
気づきと変性意識の技法 基礎編

そして、それが、
クライストの作品の持つ、
不思議に意識拡張的な速度を、
創り出している一因でも、
あるといえるのです。

そして、
さらにはまた、
そのことは、
クライストのいう、
「裏側に開いている楽園への入口」
という風に、
考えていくことも可能なのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流通と集中

◆統御され、集中されたエネルギー

さて、
ネイティブ・アメリカンの、
メディスン・マン(シャーマン)は、
自分たちのことを、
しばしば、パイプに喩えます。

自分たちは、
通り道であり、
その中を通って、
異界の精霊的な力に働いてもらう、
という意味合いからです。

こちら側の世界と、
向こう側の世界とをつなぐ、
パイプ(役)というわけです。

そして、
メディスン(不思議の力)とは、
自分の力で、
何か行なうものではなく、
聖なる何ものかによって、
働いて来る力である、
ということなのです。

そして、  
その力に働いてもらうためには、
自己の心身が浄められ、
澄んでいて、
鞘のように堅固な空洞、
パイプのようでなければならない、
というわけなのです。

そのため、
彼らは、聖なるパイプを持ち、
そのことに絶えず、
思いを巡らせているわけなのです。

ところで、
このような知見は、
変性意識状態(ASC)と、
それに関係するエネルギーや、
精神集中を扱う際に、
大変、参考となる考え方なのです。


◆フォーカスとフロー体験

例えば、
特異な集中力状態である、
フロー体験においては、
私たちは、
その行為を為し、統御しているのが、
あたかも自分ではないかのような、
奇妙な感覚を持ちます。

自意識ではない、
エネルギーの流れの内に、
行動が統御されていくのです。
そして、
普段では、行なえないような、
高いレベルでのパフォーマンスが、
達成されるのです。

それは、ある意味では、
私たちの内にある、
高い階層のシステムが、
作動した結果であるとも、
いえるのかも知れません。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

「自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が
肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

また、その瞬間においては、
ひとつのベクトルのように、
目的へのフォーカスによって、
エネルギーが集中されているわけですが、
その体験の内側において、
意識は澄みきり、
まるで拡大するかのように、
行為の全存在に、
透過しているのです。

まさに、
目的に向かう中において、
パイプのように、
澄み切った空洞があり、
その堅固な通り道の中を、
強度のエネルギーが、
貫いていくかのようです。

行為の主体として重要なことは、
自意識で、
あれこれ行動操作しようとすることではなく、
パイプのような空洞として、
ある種の無心の中で、
エネルギーと情報の自発的な流れが、
自由に活動展開できる場を、
貸し与えていく、
ということなのです。

そして、その際には、
安定した、
堅固な空洞であることが、
何よりも、必要なことなのです。
場の枠組みが、
フラフラしていては、
膨大かつ強力なエネルギーを、
流すことはできないからです。

堅固なベクトル的なパイプになり、
かつ、無心のままに、
目的にフォーカスしていることが、
必要なわけです。
それが、
シャーマンにおける、
戦士的なあり様の、
ひとつの重要な側面なのです。

そのような取り組みの枠組みによって、
フロー体験的な集中力や、
それによる、
創造性豊かなアウトプットというものを、
産み出していくことができるのです。


◆夢見の技法 儀式・フォーカス・変性意識

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においては、
「夢見の技法」と題して、
フロー体験のような精神集中や、
意識の均衡状態をつくり出すことで、
私たちの内側から、
豊かな創造性を引き出す技法について、
さまざまに検討しました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

その際に、
取り組みの中において、
堅固な儀式的な構造が、
必要な旨を見ました。

それは、
さきほどまで見て来たような、
「パイプ」的な意味合いから見て、
そうなのです。

堅牢な儀式的な構造が、
私たちを、堅固なパイプに変え、
変性意識的なエネルギーや情報を、
流れやすくするからなのです。

そして、
それはまた、
芸術的な創造(創作)などに関係づけていえば、
その「形式性」が、
その儀式的な役割や、
パイプ的な役割を果たしていく、
ということでもあるのです。

前回、
ロートレアモンについて、
さまざまに見てみましたが、
彼が、並外れた形で、
心の遠い宇宙を探索できた理由も、
作品形式という堅固な儀式的な構造と、
それに支えられた変性意識状態とが、
あったからなわけでした。
ロートレアモンと変性意識状態


◆聖なるパイプの喩えとともに

さて、以上、
これまで見てきたことは、
「聖なるパイプ」の喩えとは、
シャーマンだけの特殊な問題に、
限定されるものではなく、
普段の私たちにとっても、
利用可能な、
重要なスキル・方法論であることを、
意味している、
ということなのです。

日々、このような、
聖なるパイプに思いを巡らせ、
堅牢な形式性、
儀式的構造による精神集中を、
意識していくことで、
私たちの心のエネルギーの流れは、
より、的を得た力強さと、
情報空間の拡がりを、
持っていくことに、
なるものなのです。


※気づきやシャーマニズム、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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ロートレアモン伯爵と変性意識状態

さて、前回、
セックス・ピストルズを例にとって、
私たちにとって、可能な、
覚醒のあり様について、
考えてみました。
なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

また、以前には、
リルケが、
天使的な領域について語ることを素材に、
私たちの変性意識状態(ASC)や、
その意識拡張のあり様について、
見てみました。
リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態

今回は、
それらに関係するテーマで、
ロートレアモン伯爵(本名イジドール・デュカス)を取り上げ、
変性意識状態(ASC)や、
私たちの意識拡張の様態、
自然発生的なシャーマニズム(夢見の技法)などについて、
考えてみたいと思います。

ところで、
ロートレアモンの作品は、
(『マルドロールの歌』『ポエジー』の二作品だけですが)
19世紀後半のフランスに、
忽然と現れ、
文学の歴史の中においても、
非常に、孤絶した、
他に類例を見ない作品となっています。

南米の領事館で働く父のもとに育った子どもが、
思春期を、フランスの寄宿舎で生活した後に、
孤独な夢想のうちに記した作品でもあるので、
社会的文脈を求めるのも、無理な話なのかもしれません。
その作品は、24歳という、彼の早い死の後、
数十年経ってから、
歴史的に発見されたものなのです。

『マルドロールの歌』は、
奇妙な作品です。
孤独と無限を感じさせる宇宙性、
奇怪で美的な暗喩(メタファー)、
夢と渇望、悪と逃走、変身と旅などを主題に、
普通の文学には見当たらない、
不思議な透過性と屈曲を持つとともに、
私たちの心の、
最も深い部分に触れて来る、
天才的な作品となっているのです。

しかし、それでいながら、
その作品が、
どこか非常に遠いところからやって来た印象、
通常の私たちの心の次元を超えた拡がりを、
感じさせるような、
神秘的な性格を有するものと、
なっているのです(※注)。

そして、そのような、
ロートレアモンの作品の謎に対して、
文芸批評的なアプローチでは、
およそ不満足な結果しか得られていない、
と感じるのは、おそらく、
筆者一人だけではないと思われるのです。

しかし、
文芸作品などをあまり読まない、
普通の感性豊かな人(特に若い人)が、
『マルドロールの歌』を読んだ場合でさえ、
強い衝撃を覚えるというのは、
文学的なゲームとは関係のないところで、
この作品が持っている、
ある特殊な性質に、
人が触れるからであると考えられるのです。

そこには、
当スペースが、
テーマとしているような、
変性意識状態(ASC)や、
意識拡張の様態などに関係する、
さまざまな興味深い秘密があると、
考えられるのです。

(※注)世の中には、そのような神秘性を、
読み取れない類いの人間もいて(たとえば、カミュなど)、
ジョルジュ・バタイユも、
その不感症について、意外なものとして、
言及したりしていますが、
字義通りにしかものを読めなかったり、
暗喩的な心理(意識)領域を理解できないということの、
構造的な理由も、
ここで取り上げるテーマと、
関係している事柄ではあるのです。


◆無意識の間近さ

彼の作品は、死後に、発見される形で、
歴史の中に姿を現しましたが、
最初期に、彼を見出した人々が、
その作品を、狂気の人の書であると感じたのは、
ある意味では、正しい直観でした。
フロイトが、登場する前の時代でした。

そして、彼の作品が、
一種、精神病圏の要素を感じさせるというのは、
アウトサイダー・アートとの共通要素からいっても、
妥当であるともいえるのです。

加工されていないような、
ナマな無意識との接触感、
高電圧的で、剥き出しの直接性の感覚は、
世のアウトサイダー・アートと、
大変近い性格を持っているのです。

ところで、
哲学者のガストン・バシュラールは、
彼の作品に見られる、動物的世界との親和性について、
特筆しました。
しかし、その本質的な間近さという点だけをいうなら、
実は、植物や鉱物の世界とも、
充分すぎるほど、近い世界を持っているのです。
以前、LSDセッションにおいて、
鉱物と同一化する人の事例を取り上げました。
『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

実際、
そのようなLSDセッションにおいては、
鉱物にかぎらず、
さまざまな動物や植物と同一化し、
その圧倒的で緻密な生態を、
通常ではありえない形で、体験する事例が、
数多く存在しています。
そして、それらの報告の多くは、
『マルドロールの歌』における、
アウトサイダー・アート的な手触りと、
類似した性格を、
どこかに感じさせるものでもあるです。

また、ル・クレジオは、
ロートレアモンの言葉に、
未開部族の言語との類縁性を感じ取りました。
その言葉の持つ、原初的な性格を、
指摘したわけです。

これら、アウトサイダー・アートとの近似性や、
動物植物世界との水平的な間近さ、
原初的な世界との類縁性という特性は、
そのまま、当スペースで考える、
シャーマニズム的な要素として、とらえることも、
可能な要素なのであります。

そして、
そのように考えてみると、
ロートレアモンが活動する領域を、
それとなく、囲っていくことも、
できてくるわけなのです。

そうなってくると、
そもそも、私たちが、
ロートレアモンを読む時に真っ先に感じる、
奇妙な眩暈の感覚や、
意識の変容状態が、
何に由来するのかということも、
少し見えて来るわけなのです。

彼が、シャーマニズムと、
変性意識状態(ASC)の土地である、
南米で育ったというのも、
意味深い偶然となって来るわけです。


◆変異した時空の意識

さて、以前、
私たちが、
高度に集中した際に起こる、
特異な意識状態である、
フロー体験について、
取り上げました。
フロー体験とフロー状態について

「…これらの条件が存在する時、
つまり目標が明確で、
迅速なフィートバックがあり、
そしてスキル〔技能〕と
チャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れた
ぎりぎりのところで活動している時、
われわれの意識は変わり始める。
そこでは、
集中が焦点を結び、
散漫さは消滅し、
時の経過と自我の感覚を失う。
その代わり、
われわれは行動を
コントロールできているという感覚を得、
世界に全面的に一体化していると感じる。
われわれは、
この体験の特別な状態を
『フロー』と呼ぶことにした」

「目標が明確で、
フィートバックが適切で、
チャレンジとスキルのバランスがとれている時、
注意力は統制されていて、
十分に使われている。
心理的エネルギーに対する
全体的な要求によって、
フローにある人は完全に集中している。
意識には、
考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。
自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。
することはなんでも、
それ自体のためにする価値があるようになる。
生きていることはそれ自体を正当化するものになる。
肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、
人生はついに非の打ち所のないものになる。」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

この状態においては、
私たちの意識は、
一種の、拡張された状態に、
入っていきます。
そこにおいては、
時空の感覚に変化が起こって来ます。

時空の感覚は流動化し、
時間は速くなったり、遅くなったり、
空間は伸びたり、縮んだりします。
知覚は澄みきり、
ミクロ的な、微小な対象にさえ、
完璧で透徹した注意力が、
行き届くように感じられます。

たとえば、
山で遭難事故に陥った、或る作家は、
その危機の中で、
フロー的な意識に移行した時の状態を、
「そのときの僕なら
三〇歩離れたところから、
松の葉で蚊の目を射抜くことさえ
絶対できたはずであると、
今も確信している」
(シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳、日本教文社)
と表現しています。

ところで、
モーリス・ブランショは、
ロートレアモンの作品の持つ、
その明晰さについて、
言及しました。

しかしながら、
ロートレアモンの持つ明晰さというのは、
単なる論理的に辻褄を合せる明晰性だけではなく、
その背後に、
過度に透徹した意識状態、
フロー的な変性意識状態(ASC)が、
存在していると考えてよいのです。

それが、私たちが、
ロートレアモンを読むときに、

まずは引き込まれていく、
奇妙に歪んだ時空感覚、

夢と覚醒感がないまぜなった、
透視力的な性質の由来に、
なっていると思われるのです。

実際のところ、
フロー体験の研究においては、
創作的活動の中で、
芸術家が没入していく、
さまざまなフロー体験、
意識状態についての事例が、
各種、集められています。

たとえば、カフカなども、
創作している最中に、
シュタイナーのいう、
透視力的な状態に入るように思われると、
彼本人に話したと、
日記に、記しています。

そのように、
創作における、
フロー体験自体は、
多くの人に見られる事例であり、
決して稀なことではないのです。

ただ、それが、
『マルドロールの歌』におけるように、
作品の特別な性格として、
刻印されるということは、
稀有な事例であるのです。


◆天使的狂熱、または拡張された意識

さて、
このようにして見ると、
ロートレアモンが、
偶然的な資質であれ、
多様な意識の可動域を持ち、
さまざまな変性意識状態の諸相を、
流動的に渡っていった痕跡が、
見えて来るのです。

原初的な動植物世界から、
人間世界までの諸領域を、
また、無意識的な深層から、
日常意識までの諸領域を、
流動化した意識の可動域として、
シャーマン的に、旅している構造が、
見えて来るのです。

それが、彼の異様なまでの自由さ、
融通無碍の要因のひとつであると、
考えることもできるのです。

シャーマニズムの基本的な構造とは、
シャーマンが、脱魂(エクスタシィ)して、
魂を異界に飛ばして、
そこから、何か(情報、力)を得て、
こちらに戻って来るという、
往還の形式にあるからです。

ロートレアモンも、
偶然的・変形的なタイプであれ、
アーバン・シャーマニズムとして、
その想像力的な体験領域を通して、
変性意識の諸相を渡り、
その旅程を、作品に、
刻み込んだのだといえるでしょう。
それが、
不思議な奥行きを持つ、
文学では見たこともない、
宇宙的な空間、天使的な空間を、
生んだともいえるのです。

また、一方で、
ロートレアモン本人が、
自分の作品の持つ、天才的な性質を
理解していなかったという点も、
重要な事柄です。

彼の旅程は、
意図的に行なわれたわけではなく、
想像力的な空間を経由することで、
図らずも、変性意識状態の中に入りこみ、
前人未踏の世界(空間・状態)に行き、
その痕跡を閉じ込めることになった、
という次第なのです。

その後、彼が、
『マルドロールの歌』への否定や反動として、
『ポエジー』を書いたことは、
重要な事柄です。

これは、彼が、
後の手紙で述べているような、
善悪の扱い方だけの問題ではなく、
強度な変性意識による異界的体験への、
反動(怖れ)と考える方が、
自然なことでもあるのです。

このような振る舞いは、
精神のバランスをとるためにも、
ある面、必要なことでもあり、
事例(行動、症状)としては、
とてもありがちな事柄なのです。


◆夢見の技法

さて、以上、
話を分かりやすくするために、
いささか細部を誇張(増幅)しましたが、
ロートレアモンの作品を素材に、
創作における、
意識拡張の可能性や様態について、
考えてみました。

ここから、
私たちが学び取れることは、
何でしょうか。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』では、
「夢見の技法」と題して、
私たちが、ある種の変性意識的な、
意識の均衡状態を利用して、
創造的なアウトプットや、
意識拡張を行なう方法論について、
検討を行ないました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

当スペースでは、
ロートレアモンの作品は、
確かに特別なものではありますが、
そこに見られる、
体験領域や、探求方法は、
私たちにって、
閉ざされたものではないと、
考えているわけです。

私たちは、皆、
彼のように、
未知なる夢見の探求を行なうことが、
できると考えているわけなのです。

そのような意味合いにおいて、
彼から霊感を受け、
自分たちの守護神の一人と見なした、
超現実主義者(シュルレアリスト)たちの、
万人に開かれた創造(創作)、
という考え方は、
(その具体的な方法論には、
いささか疑問があるにせよ)
正しい直観であったと、
思われるのです。

ロートレアモンの作品には、
そのようなことを、
人に促す(信じさせる)ような、
創造性の嵐があるのです。


※夢見や創造性(創作)、
気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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知覚と感情が編成する、この世界 サブモダリティとエンプティ・チェア

スライド5



◆サブモダリティと無意識の深層感情

さて、以前、
効果的に作用するNLPの技法について、
考えてました。
効果的に作用するNLP(神経言語プログラミング)のフレームとは

今回はその関係で、
NLPのユニークな概念である、
サブモダリティ(下位・従属様相)について、
取り上げてみたいと思います。
サブモダリティについて、
以前も、少し触れました。
サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

さて、NLPで行なう、
サブモダリティを使ったワークでは、
大体、クライアントの方の、
ポジティブな状態の時のサブモダリティと、
ネガティブな状態の時のサブモダリティを、
確認(マーキング)して、
それらに対して、
操作的な変化調整を加えることで、
内的状態を変容させることを狙います。
これが、NLPの戦略です。

そのような取り組みで、
内的な状態が、
望むように、
変化するテーマはあります。
そのようなケースでは、
上記のような取り組みで、
充分なのです。

しかしながら、
心の層の深い部分で、
クライアントの方の行動や感情を、
妨害しているテーマにおいては、
サブモダリティをいじるだけで、
恒久的な問題解決や、
プログラミングの書き換えに至るケースは、
稀れとなります。

それは、なぜかというと、
知覚要素であるサブモダリティは、
感情的要素とつながっているわけですが、
その操作の際に、
その感情的要素が、深く連動・変化して、
はじめて、感情的要素も変容するからです。
そこの感情的要素から、解離すると、
効果は出て来ないのです。

しかしながら、
実際のところ、
多くのサブモダリティのワークでは、
サブモダリティは変わったものの、
「感情的要素が、着いて来ない」
という事態が生じているのです。

そのため、
クライアントの方にとっては、
「操作的」で、
「表面的な」「浅い」ワークという印象を、
残すのです。

これは、事実に合った、
正しい印象です。

しかしながら、
「感情的要素が、着いて来ない」理由は、
心自体の保守機能のためであるとも、
いえるのです。
つまり、セキュリティ機能のゆえです。

表面的な知覚の変化で、
コロコロと、心の深層が変わっていては、
危なくて、生きていけません。
そのため、これは、
心の健康さの証ともいえるのです。

つまり、
このアプローチの間違いは、
心の「階層構造」についての、
無知によるものなのです。

上手くいかない場合は、
サブモダリティで扱える知覚領域に、
その問題が、存在していないのです。


◆エンプティ・チェアの技法

サブモダリティのアプローチが、
上手く届かない無意識の情動領域に、
より届くのが、
エンプティ・チェアの技法です。
これは、
心理療法の技法であるからというよりも、
原理的には、よりシャーマニズム的な、
技法的であるからだともいえます。
この興味深いテーマについては、
また、別の機会に譲りたいと思います。

さて
エンプティ・チェアの技法においては、
クライアントの方の、
無意識的な投影を利用して、
ワークを展開させていきます。

そこにおいては、
クライアントの方の、
無意識の自律的なプロセスに従い、
外部の椅子などに、
「像」が形成され、対話が展開していきます。
エンプティ・チェアの技法

その際に、
クライアントの方が、
そこに見たり、聴いたり、感じている世界は、
サブモダリティの世界です。

しかし、重要な点は、
エンプティ・チェアの技法においては、
サブモダリティを変えることで、
内的状態を変えるのではなく、
内的状態が変化することによって、
サブモダリティが、
変化していくという点です。

この関係性や構造(作用の方向性)を
よく理解しておくことが、
必要です。

テーマの特性(構造、強弱)によって、
サブモダリティと内的状態の、
関係性や作用の方向性が、
違って来るのです。


◆無意識の領域との関わり 自律性と必然性

ところで、
NLPの内部においても、
さまざまな流派がありますが、
歴史的には、だんだんと、
知覚的な操作性より、
無意識の自律性を重視する方向性に向かった、
というのが実情ではないかと思われます。

別に、記しましたが、
NLPが創始された当初は、
新時代の熱気もあり、
グリンダー博士も、バンドラー博士も、
また、その他の協力者たちも、
まだまだ、皆、若者でありました。
私たちを縛っている無意識的な拘束を、
新しい方法論で、解放することに、
当時の、歴史的な、革命的な意義があったのです。
日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか

しかし、本人たちも、
歳を取り、経験を積むうちに、
事態は、そんなに単純ではないと、
気づくようになったわけです。
背後には、本人たち自身の、
内的なプロセスの変容もあったと類推されます。

表層で、操作的に、
変化を起こそうとするのではなく、
もっと、クライアントの方の無意識的な創造性に、
上手くコンタクト(接触)し、
それを活かすような方法論に向かったわけです。

また、一方、
当然、当初、彼らが意図したように、
無意識の内の、
悪しき必然性(プログラム)のパターンを、
中断するという視点は、
現在でも、有効な考え方です。

心のシステムは、
オートポイエーシス的な再生産機能を持っており、
たとえ、悪しきプログラムでも、
自己を再生産し続けようとするからです。

その無意識的な自律性や必然性が、
どのような内実を持ったものであるのかに、
鋭く気づいていくことが、
より重要になってくるわけです。


◆エンプティ・チェアを使いこなせない人の特徴

さて、以上のような、
構造的な把握から、
セッション現場で、
エンプティ・チェアの技法を上手く使えない人の、
特徴も分かってきます。

そのような人は、
サブモダリティを操作するように、
クライアントの方の内的状態を操作するために、
エンプティ・チェアの技法を、
使っているわけです。

そのようなアプローチでは、
エンプティ・チェアでも、
感情的要素との解離が起こり、
深い作用を実現することが、
できないのです。

クライアントの方に、
ただ、表面的に、
椅子を移ってもらっているだけです。

クライアントの方も、
なんか、よく分からない、
という印象を持つ結果となります。
仏作って魂入れずという事態なのです。

ところで、NLPには、
「ポジション・チェンジ」という、
クライアントの方に関係する人々の、
人称を移っていく手法があります。
これなども、
エンプティ・チェアの技法自体の潜在力が持つ、
シャーマニズム的な深さからすると、
少し浅薄な概念ともいえます。

ポジション・チェンジの手法においても、
「はじめからNLPのフレームありき」ではなく、
クライアントの方の中から現れる、
膨大な情報、内的プロセスへの感度を上げ、
気づきを研ぎ澄ますことで、
より的確なアプローチが、
即興的に導かれて来ることにもなるのです。


◆知覚と感情が編成する、創造的な地平

さて、以上、
サブモダリティとエンプティ・チェアの技法を素材に、
知覚と感情が編成する世界について、
さまざまに見て来ました。

当然、
人間の心(心身)は複雑であり、
単純な方法論で、
ひとつの回答や解決が得られる、
というものではありません。

さまざまな内的状態に対して、
各種のアプローチを、丁寧に試していき、
その効果を測定しながら、
セッションを進めるしかないのです。
サブモダリティにおいても、
エンプティ・チェアにおいても、
それは同様です。

そして、その際は、
はじめから物事を決めつけるのではなく、
「好奇心」を持って、
プロセスに現れ来る体験の諸相に、
戯れつつ、寄り添い、
柔軟に、事態(出来事)に、
気づいていくことが肝要です。

セッションにおいては、
開かれた姿勢から、
開かれた体験自身が、
湧出して来るのです。

そして、実際のところ、
私たちの心身の奥底からは、
驚くような創造性で、
意図しなかった形で、
未知のプロセスが、
現れて来ることもあるのです。

そこのところが、
クライアントの方にとっても、
ファシリテーターにとっても、
セッション(ワーク)が、
新しい体験領域をひらく、
新鮮な事態になっていく秘密(秘訣)なのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態


◆天使・チベット仏教・ベイトソン

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』に出てくる、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
言葉をめぐって、
グレゴリー・ベイトソンの、
学習理論
などを参照して、
さまざまにイメージを拡げて、
考察を行なってみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、その中で、
私たちの日常意識が、
「上部構造にシフトする」かのような、
状態を仮定して、
その中で起こるかもしれない、
システム的な情報の流れ(整列)や、
体験内容などについても、
考えてみました。

また、それらが、
下位構造としての、
私たちの日常意識の情報を、
書き換えてしまう可能性についても、
考えてみました。
(それが癒しや変容の体験になったりする、
ということです)

今回は、
その部分について、
もう少し見ていきたいと思います。

特に、普段の日常生活の中で、
そのような上位階層のシステムを予感させる、
何かを垣間見たり、
また、その影響を受けたりすることがあるのだろうか、
というような事柄についてです。

そのような機会を考えてみると、
それらは、多かれ少なかれ、
変性意識状態(ASC)の要素を持っているものですが、
散発的には、
存在していると思われるのです。


◆〈美〉的体験の通路

例えば、
ある種の美的な体験などが、
それに当たります。

しかしながら、
この場合の美とは、
単なる表面的な綺麗さではなく、
心と体験の奥底につき刺さり、
そこで振動を拡大させていくような種類の、
深遠な〈美〉的体験です。

そのような〈美〉的体験は、
私たちが通常、
あくせく働いている日常的現実に、
回収され尽くさない、
〈何か〉の要素があります。

それらの〈美〉は、
日常生活とは、違う次元の、
普遍的な秩序を、
感じさせたりもするのです。

変性意識状態(ASC)的で、
奥行きと拡がりをもった、
宇宙的な秩序を、
予感させるものでもあるのです。

それらは、
知覚力の拡大感、
恍惚感、
覚醒感、
本物の実在感、
といった、
あたかも「より上位の階層から」の、
情報の侵入を、
印象づけるようなものでもあるのです。

たとえば、
壮大な自然の〈美〉などは、
そのようなことを感じさせる、
普遍的な事例のひとつです。
山脈のつらなる、
雄大な峰々の風景や、
水平線に沈むこむ、
巨大な夕日の風景などは、
永遠にも似た、
その圧倒的な〈美〉の情報を、
処理しきれないために、
私たちを胸苦しくさせます。

それらは、
巨大な自然界の、
高次の階層秩序による、
莫大な情報量が、  
私たちの日常意識の許容量では、
処理しきれないほどに、
大量にやって来るためであると、
論理づけることもできるのです。


◆怖るべき天使と、バルドゥ(中有)の如来

さて、
世界の歴史的な事例を多く見ていくと、
〈美〉に関する、そのような事態が、
日常意識を圧倒するような形で、
個人を襲う可能性も想定されるのです。

たとえば、
ドイツの詩人リルケは、
その『ドゥイノの悲歌』の冒頭近くで、
歌っています。

「よし天使の列序につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、
わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。
なぜなら美は怖るべきものの始めにほかならぬのだから」
「すべての天使はおろそしい」(手塚富雄訳)」と。

彼は、ドゥイノの海岸での、
或る体験によって、
この詩を書きはじめたのです。

そして、彼は、
自作の翻訳者フレヴィチに宛てた、
有名な手紙の中で、この詩について、
大変興味深いことを
述べているのです。

「悲歌においては、
生の肯定と死の肯定とが
一つのものとなって表示されております。
その一方のもののみを
他方のものなしに認めることは、
我々がいま此処でそれを明らかにするように、
すべての無限なるものを
遂に閉め出してしまうような限界を
設けることであります。
死は、我々の方を向いておらず、
またそれを我々が照らしておらぬ
生の一面であります。
かかる二つの区切られていない
領域の中に住まっていて、
その両方のものから
限りなく養われている我々の実存を、
我々はもっとはっきりと
認識するように努力しなければなりません。
……人生の本当の姿は
その二つの領域に相亙っており、
又、もっと大きく循環する血は
その両方を流れているのです。
そこには、
こちら側もなければ、あちら側もない。
ただ、その中に『天使たち』
―我々を凌駕するものたち―の住まっている、
大きな統一があるばかりなのです」
(堀辰雄訳)

ここで語られている体験領域が、
単なる内部表象のひとつだとしても、
日常意識のものではない(それでは処理しきれない)、
ある種の圧倒的な変性意識的な世界だとは、
類推できるでしょう。

それは、
生と死をひとつと見なすような、
(当然、私たちの日常意識は、
それらを別々に見なしているわけですが)
無限なる体験領域なのです。
また、論理的に考えると、
その体験領域は、
私たちの日常意識を、
その下位の一部とするような、
上位階層の世界だと
類推することができるのです。
 (天使云々をいうのですから)

そして、また、
このような階層(体験領域)の侵入、
といった「怖るべき」圧倒的な事態が、
リルケに限らず、
世界の諸々の変性意識の事例を見ても、
さまざまに起こっていることが、
分かるのです。

例えば、以前、
『チベットの死者の書』について、
その心理学的な見方について、
検討しました。

心理学的に見た「チベットの死者の書」


そこでは、
移り変わっていく死後の空間、
各バルドゥ(中有)において、
必ず二つのタイプの如来たちが、
姿を現して来ることが、
描かれています。

ひとつは、
怖れを感じさせるような、
眩しいばかりの如来と、
もうひとつは、
より光量の少ない、
親しみを感じさせる如来です。

そして、
『チベットの死者の書』のメッセージは、
前者の怖るべき如来こそを、
自己の本性と見なせ、
というものです。

そうすれば、
輪廻から解脱できるだろう、
というものです。
そして、
後者の親しみを感じさせる如来に、
近づいていくと、
輪廻の中に、
再生してしまうというわけなのです。

この現象なども、
学習の階層構造に照らして考えると、
納得的に理解することができます。

怖るべき如来は、
上位階層からの過剰な情報であるため、
私たちには、怖るべきものに、
感じられてしまうのですが、
その「上部構造にシフトする」ことで、
無我と解脱が得られるというわけです。

一方、
親しみを感じさせる如来は、
慣れ親しんだ二次学習であるがゆえに、
自我と再生の道に、
進んでしまうというわけなのです。

つまり、
どちらの如来に、
コンタクト(接触)するかで、
上部階層へシフトできるか、
それとも、下位階層に留まる(ダブルバインド)かの、
選択になっているというわけです。


さて、ところで、
筆者自身、拙著
の中で、
さまざまな変性意識状態(ASC)の、
体験事例について記しましたが、
それらの中でも強度なタイプのものは、
どこかに畏怖の念を呼び起こすような、
光彩をもっていたのでした。
(また、実際、困難な体験でもありました)
ひょっとすると、
それらなども、どこかに、
上位階層からの情報という要素を、
持っていたからなのかもしれません。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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投影された夢の創造的活用 サイケデリック・ビートルズ・エクササイズ

◆夢の力を取り出す

さて、前回、
創造と夢見の技法ということで、
目的とするアウトプットに対して、
心身の内容(感情・感覚)を、投影することにより、
私たちの奥底にある創造過程(夢の力)が、
活発化して来る事態について、
取り上げました。
→「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

この状態を、
感覚的に理解し、意識的なスキルとするには、
逆パターンの事例から、
体感・類推するのが分かりやすいと思われます。

つまり、私たちが、
アート(音楽、映画、物語、絵画)等の、
創作物に触れた際に、
自分の内側に惹き起こされる、
感情や衝動、感覚的なイメージについて、
意識的になることです。

私たちが、なぜ、
赤の他人の作った創作物に、
強く惹かれ、
過度な思い入れを持つのかと言えば、
それは、心理学的には、
「投影」によるものです。

自分が持っているが、
普段は解離している、
大切な心理的な因子を、
その対象物に見出して、
強く惹かれるというわけです。

「見出す」といっても、
実際に、そこに、
在るわけでもないものを、
勝手に、そこに、
見出す(映し出す)だけの話です。
恋愛と同じく、
「勝手な想い」です。

また、しかし、
そうはいっても、
或る創作物が、
世の一定量の人々の、
投影の受け皿として働くには、
それなりの受け皿の要件(因子)があります。
最大公約数的な要素を、
持っていなくてはならないのです。
(これも、恋愛の場合と同じです)

それは、
創作物の、テーマの普遍性や、
そのジャンルの美的形式における、
適応性と新奇性のバランスなど、
さまざまな要素が考えられます。
このこと自体は、大変、
興味深いテーマではありますが、
別の機会に譲りましょう。

ところで、さて、さきに、
他人の創作物に投影される、
「勝手な想い」について触れました。
実は、
この「勝手な想い」の深い部分に、
棲息しているのが、
私たちの夢の力なのです。
(この「夢」の内実については、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』を、
ご覧下さい)

そして、
当スペースのアプローチでは、
私たちは、
他人の創作物に投影した想いから、
自分の夢の力を取り出さなければ、
ならないのです。

そうでないと、
「自分自身の夢の力」を展開して、
自分自身の人生を、
創造的に生きていていくことが、
できないからです。
他人の表象世界の中に、
閉じ込められて、
隷属的(不自由)になってしまうからです。

「勝手な想い」を、
自分の意識と、
つなげてあげる必要があるのです。
そのことで、
私たちの中に、
エネルギーの増幅が生まれ、
強い動機づけが生まれるのです。

そして、その際には、
狩人が、
狩った動物の皮や肉を、
余計な傷つけを避けて、
綺麗に剥ぎ取るように、
私たちも、
他人の創作物から、
自分の夢の力を、
綺麗に剥ぎ取り、
切り分けないといけないのです。


◆エクササイズ

そのためには、
自分の「体験」について、
切り分けるかのように、
書き出し、
アウトプットしていくことが、
必要です。
これが、
エクササイズです。

批評のように、
その作品について書くのではなく、
「自分は、こう感じた」
「自分の中で生じたイメージはこうだ」と、
自分の体験として、
「生きた何物か」を書き取り、
アウトプットしていくのです。

言葉は、制限が多いので、
絵や落書きなどの方が、
やりやすいでしょう。
とにかく、自由に、
書きなぐっていくのです。
色や線を置いてみるのです。

そして、その感覚を、
〈塊〉〈イメージ〉として、
外在化させていくのです。
自分自身の「夢の力」の要素として、
対象化していくのです。

そして、
心に響くものや、
惹きつけるものに対して、
数多く、そのような作業(エクササイズ)をしていくと、
段々と、自分の夢の力も、
〈実体性〉を獲得していきます。

そして、
そのように、外在化された、
自分の夢の力というものは、
大きな現実的なパワーをもって、   
人生を牽引することにもなっていくのです。
(それらを日々、
見返すことを、おすすめします)

そのため、
「勝手な想い」にこだわって
探求と追跡をすることは、
より核心的で、充実した、
夢の力の獲得に、
最終的に、
私たちを導くことにもなるのです。

それは、後から、
人生を振り返ってみた場合、
明瞭な線として、
浮かび上がって来る類いの事柄なのです。


◆サイケデリック・ビートルズの恩寵

さて、当スペースが、
変性意識状態(ASC)や、
人間の能力・意識の拡張といった、
テーマに焦点化するきっかけも、
元はと言えば、
そのような投影によって引き起こされた、
夢の力の活性化にあったのです。

ビートルズ Beatles といえば、
1960年代のポップ・ミュージックを一新し、
現在のポップ・ミュージックの祖形を創ったバンドですが、
カウンター・カルチャーの思潮と、
同時代として、同期したこともあり、
その中期の音楽は、
いわゆるサイケデリック・ロックでした。

筆者自身が、それを知ったのは、
随分と後の時代であり、
「サイケデリック Psychedelic (意識拡張的)」
という言葉さえ、
周りの誰も、説明できないような時代でした。

しかしながら、中学生の筆者は、
(何の経験値も、環境も持たないにも関わらず)
サイケデリック・ビートルズの背後にある、
〈何か〉を、心理的投影を通して、
嗅ぎつけたのでした。

それは、それまで、
人生にまったく想像していなかったような、
途方もなく眩い、
輝く生の状態(姿)でした。

ほとんど子どもであった筆者の、
日常意識の背後に、
どんな夢の力が、
鉱物的な変性意識状態(ASC)があって、
サイケデリック・ビートルズの 電撃的表象によって、
活性化し、
閃光的なイメージを成したのであろうかと、
少し不思議な気もします。

しかし、その後、
「勝手な想い」や、
その幻想的なイメージにこだわり、
さまざまな追求をしていくことで、
結果的に、
眩い変性意識状態(ASC)を数多く体験し
「サイケデリック」な実在を、
まざまざと理解することにもなったのでした。

そして、今、
その並外れた光量の、
豊穣で創造的な世界を得るための、
具体的な方法論を、
他の人々とシェアできるという僥倖を、
得ているわけなのです。

それは、元はと言えば、
サイケデリック・ビートルズが持っていた、
何らかの因子に、
子どもの筆者が、夢の力を投影し、
物事に目覚めたことがきっかけなのでした。
その不思議な共振によるものだったのです。

そして、これは、
見聞した限り、
筆者一人に起きたことではなく、
多くの人々に起こったことでもあったのです。
そして、
そのような創作物を創れるということは、
実に素晴らしいことだと思うのです。


◆「自分の」夢の力を生きる

さて、
自分の夢の力を生きることは、
人生に、眩い彩りと動機づけを、
もたらすものです。

ところで、先進国の中で、
日本人の「幸福度」が大変低い調査結果については、
以前よりさまざまな指摘がありました。

その要因のひとつに、
日本人が、「他人の(価値観による)人生」を、
生きてしまっているということが、
挙げられます。

もともと、横並び社会であり、
他人の目や、他人の承認に、
重きをおく社会ではありますが、
他人に主権を与えてしまうような生き方は、
人を無力化させるものです。

それは、
自分の人生を、
自分のコントロールの外へ、
置くことだからです。
自分から、
選択と自由を奪うものだからです。

自分で、自分の人生を、
コントロールできている時、
人は、充実した人生を、
生きているということができるのです。

パールズの、
有名な「ゲシュタルトの祈り」は、
そのことを、ぶっきらぼうなタッチで、
告げています。

「私は私のことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
私は、あなたの期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし私たちが出会えるとするならば、
それは素晴らしいことだ。
もしそうでないならば、
それは、いたしかたないことだ」

この言葉を引き受ける時、
私たちは、
より健全な現実の息吹に、
触れられていると言えるでしょう。

その上で、
自分の心の底から湧いて来る、
自分の夢の力を、
生きていくことができるのです。
それは、使命にも似た、
宇宙の深い内実に根ざした、
人生となっていくのです。


さて、今回は、
他人の創作物の中に、
投影を通して現れて来る、
夢の力について、
取り上げてみました。

自分の好きな物を取り上げて、
その夢の力を取り出すエクササイズを、
ぜひとも、
実践してみていただければと思います。
そのことからだけでも、
人生というものは、
確実に変わっていくものだからです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

別に、
「NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見」と題して、
これらの各技法が扱う、
心の領域が、地続きを成して、
つながっている様子を見ました。

今回、ここでは、広く、
人生で結果(アウトカム、アウトプット)を生み出す、
創造と具現化の技法について、
考えてみたいと思います。


◆夢の創造過程と身体感覚

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の、
「夢見の技法」の中では、
私たちを貫く創造的な夢の力を
どうやって利用すればよいかについて、
さまざまに検討しました。

そして、その際に、
メルロ=ポンティの
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉を引いて、
私たちが、
心身を、世界に投影して、
物事を、暗黙知的に把握していく事態について、
見ました。

そして、この、
対象物(目的)と、投影した身体が、
内的につながっていくという情報回路(通路)の中で、
強い夢(無意識の創造性)の力も、
引き出されて来ることについて、
見ました。

そして、
その夢の力を組織化して、
強度なアウトプット(成果物)として、
外在化・現実化していく方法について、
検討しました。
   
さて、ところで、
このような夢の力を、
活かしていく方法論というものは、
人生上、生活上の願望を、
具現化する中においても、
決定的な重要な事柄でもあるのです。

というのも、
普段においても(また正念場においても)、
私たちを真に駆動する力(渇望)とは、
夢の創造的過程の沸騰に、
よるものだからです。

そのため、
人生上の、具現化したい目的を持っていて、
それを、「絶対に達成したい」という場合には、
自分の身体感覚を、
センサー(検知器)のように使ってみて、
その目的内容を精査してみると良いのです。

その目的の姿(像)を、
身体的によく感じてみて、
(そこに心身を投影してみて)
その姿(像)と、自分の心の奥底との間に、
夢の力が流れているかどうかを、
確かめていくのです。

その目的の姿と、
夢の力の定かならぬ誘因とが、
強く惹きあうような事態を、
はっきりとした〈実在〉として、
エネルギー的に感じ取れるのであれば、
それは目的の方向性としては、
間違っていないということなのです。

もし、どこかに違和感や、
内的な不十分さを感じるのであれば、
その目的内容に、
どこかにおかしなところが、
あるということです。

その場合は、
諸々を再検討しないといけません。


◆組織化・焦点化して、身体的につかむ

さて、私たちが、
何かを創造していくに際して、
鍵となるのは、
私たちの意識過程、思考過程(拡散的・収束的)だけでなく、
その背後で渦巻き、脈動している、
夢(無意識)の創造過程となります。

それが、
私たちの人生の使命(ミッション)を、
創り出します。
人生の「違い」を生み出すのです。

そのため、
そこにおいては、
夢の力と関わる、身体感覚(身体性)の存在が、
とりわけ重要となるのです。

自分の身体感覚の投影を、
サーチライトのように使って、
対象物(目的、欲しいアウトプット)とつながることで、
私たちは、
自己の創造力の発現を、
動機づけの面でも、組成の面でも、
容易くすることができるのです。

また、以前、
NLPを有効に活かすための、
「現場の情報空間」について、
触れました。

その際も必要なのは、
現場の膨大な情報空間に、
「身体的」に、同調・同期しつつ、
統御・利用していくということなのです。
ここでも、
私たちの身体感覚が、
素地(前提)として重要となるのです。

さて、そのように、
私たちは、
自分の「身体感覚」を、
意図に利用していくことで、
無意識の夢の力を導き、組織化し、
焦点化したアウトプットを、
創り出していくことができるのです。

そのことを通して、
欲しい結果(アウトカム)を、
手に入れることができるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見

◆NLP(神経言語プログラミング)  ―内的体験の編集


さて、一見したところの、
NLP(神経言語プログラミング)の魅力は、
自分の内的状態(感覚、感情)を、
コントロールすることによって、
人生そのものを、
コントロールできるようになる、
というコンセプトにあります。

特に、
私たちの内的状態(感覚、感情)というものは、
生まれつきのものや、
過去の経験によってプログラムされた、
自分では、どうすることもできないものだと、
一般には、考えられているからです。

NLPでは、
それら私たちの内的体験に対して、
あたかも、
コンピューターのプログラムを修正するように、
書き換えてしまう、
もしくは、機械の作動を変えるように、
改変してしまう、
かのようなイメージがあり、
(どこかSF的で)
人生に新しい選択肢を、
もたらすように見えるのです。

また、
他者とのラポール(つながり、信頼)を築いたり、
影響を与えたり、
もしくは、他者の内的感覚・状態を推察したりと、
人間関係においても、
新しいコントロールを持ち込むもののように、
見えるわけです。

さて、
このことについていえば、
実際のところ、
軽微なレベルでの、
プログラム修正ということでしたら、
NLPの技法でも、
充分、有効に働きます。

感覚的な固着や、
習慣的な反復による課題でしたら、
パターンを中断し、
その状態を壊していくことで、
新しい流動性を創り出し、
それらを改変していくことができるのです。
それらは、日々、
応用・活用していける事柄です。

そのため、
意欲的に人生を変えていこうとする人には、
使っていくことが望ましいテクニックとも、
なっているのです。
それだけでも、
怠惰な人々との、
違いを創り出すことができるものです。

しかしながら、
少し層が深く、
困っている類いの心理的要素の、
プログラム修正というものは、
既存のNLPテクニックでは、
少し難しいのです。

というのも、人の心や感覚は、
元来、他からの影響によって、
変わることがないようにと、
メタ・プログラムされているものだからです。

NLPテクニックでは、
変化を引き起こす、
その深いメタ・プログラミングの層まで、
侵入することが、
なかなかできないのです。

深いメタ・プログラミングの層は、
より無意識の層、
自然成長的な層、大地性の層、
メタ・プログラマーの層であり、
表層的な意識の層とは、
タイプ(階層)が違うものだからです。

そこに「コンタクト(接触)」するのが、
難しいのです。

両者の違いは、
日常意識と、夢の世界の違いを、
考えてみると、よくわかると思います。


◆ゲシュタルト療法 ―気づき・霊感・行動

ゲシュタルト療法のアプローチは、
意識と無意識の、
両面からのアプローチです。

気づきの技法という面では、
意識的に、
感覚や感情をとらえていくのですが、
この感覚や感情に、
集中的な交流を深めていく過程で、
人は、だんだんと軽微な変性意識状態(ASC)に、
入っていくこととなるのです。
この状態が、いわば、
日常意識と夢の世界との交流を、
つくり出して(可能にして)いくのです。

強い感情の動きが起こり、
深い内的状態のプログラムが、
表層に、浮上してきます。
そこで、
それらのプログラムを、
意識(気づき)と交流させていくことで、
そのプログラムの改変を、
行なうことができるのです。

これが、
ゲシュタルト・アプローチが、
NLPテクニックでは行なえない、
深い層でのプログラム改変を、
行なえる理由なのです。

クライアントの方も、
自分の意識状態が変わり、
深いレベルの心に、
コンタクト(接触)していることは、
明瞭に体感できるのです。

その状態の中で、
新しい行動選択への可能性を、
閃光のように、気づいていくのです。
そして、
セッションにおいて、
別の新しい自己表現を、
色々と試してみることで、
自分の人生が、
その境界(限界)を拡大していく事態を、
鮮明に実感できるのです。

フリッツ・パールズは言います。

「『気づく』ことは、
クライエントに自分は感じることができるのだ、
動くことができるのだ、
考えることができるのだということを
自覚させることになる。
『気づく』ということは、
知的で意識的なことではない。
言葉や記憶による『~であった』という状態から、
まさに今しつつある経験へのシフトである。
『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる。」

「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、
行動への可能性をひらくものである。
決まりきったことや習慣は学習された機能であり、
それを変えるには
常に新しい気づきが与えられることが必要である。
何かを変えるには別の方法や考え、
ふるまいの可能性がなければ
変えようということすら考えられない。
『気づき』がなければ
新しい選択の可能性すら思い付かない。
『気づき』と『コンタクト』と『現在』は、
一つのことの違った側面であり、
自己を現実視するプロセスの違った側面である。」
(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

このような気づきが、
軽微な変性意識状態(ASC)の中で、
起こって来るのです。
(この言葉が、
ベイトソンの三次学習と響きあうのが
わかると思います)

それは、通常の日常生活では、
決して経験しないタイプの、
深い気づき(目覚め)の体験であり、
人生そのものの拡大をもたらす、
新たな経験領域の獲得となっていくのです。

ところで、
このようなゲシュタルト療法の体験の層と、
NLPの軽微な体験の層とは、
現実的には、
地続きとなっています。

そのため、
実際のセッションの中では、
これらの各領域を、
自在に行き来することにより、
自分の内的体験を編集したり、
デザインしていくことができるのです。

NLPとゲシュタルト療法を、
うまく統合的にミックスさせていくことにより、
より巧妙で、自在なアプローチを、
創り出していくことができるのです。


◆夢見の技法 ―アウトプットと世界と関わること

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』では、
「夢見の技法」と題して、
意識的なプロセスと、
無意識的な夢の湧出プロセスとを、
均衡させる創造的な気づきの技法について、
取り上げました。

いわば、日常意識と夢の世界とを、
地続きで交流・生成させて、
組織化していく技法ともいうべきものです。
そのことにより、
より拡充した現実世界の地平を、
創り出していく取り組みです。

それは、
意識の有り様であると同時に、
生命あるものが、自発的にそうであるように、
何かをアウトプット(外在化・外へ出力)させていく、
プロセスでもあります。

ところで、
拙著に詳しく記しましたが、
私たちが、
何かをアウトプットするときは、
世界の対象物に集中するとともに、
心身の無意識的な内容を投影して、
そこに、何ものかを、
生み落としていきます。

外的世界の対象物や、
それによって引き起こされる心理像から、
アウトプットの流れが自然に生まれ、
生長していくのです。

この集中的な、心理的な投影が、
自己の内側から、
一閃のように、
アウトプットするものを、
引っ張り出して来るのです。

そのため、
アウトプットすることは、
それを行なっている当人にとっても、
無意識の未知なるものと、
出遭う体験となるのです。

自分の無意識にあるものを、
本当に知っている人などいないからです。

また、
アウトプットが無意識な投影に導かれる一方で、
意識的な態度としては、
世界に関わっていく集中的な在り方です。

アウトプットすることは、
より深いコミットメントで、
世界や他者と関わる在り方ともいえるのです。

そして、ここでも、
私たちは、
日常意識と夢の世界(無意識的投影)との交錯に、
触れることになるのです。

これが、
アウトプットを経由した場合の、
夢見の技法であり、
私たちの創造力や世界体験を拡大するとともに、
新しい自己発見の機会とも、
なるものなのです。


◆NLP・ゲシュタルト・夢見

さて、
これら、NLP、ゲシュタルト療法、夢見の技法もまた、
体験領域の層においては、
地続きで、つながっているものです。

これらを有機的に連携させて、
デザイン的に組織化することで、
より新しい拡充された現実の層を、
実現しようというのが、
当スペースの、アプローチ方法と、
なっているのです。



つづき ↓

「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2」


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

大竹伸朗回顧展『全景』の記憶 無機的な痙攣する熱量

※新サイト・ページ(増補版)はコチラ↓
https://freegestalt.net/create/creativity/shinro/

…………………………………………………………



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さて、前回、
ボルヘスの作品について
内容における、その宇宙的な無限と、
形式における、硬質な掌編との、
極度な対照性が
その作品の過度なる圧力を
生み出していることについて触れました。
宇宙への隠された通路 アレフとボルヘス

その両極的な振幅の大きさが、
その効果の衝撃力を高めている、
というわけです。

そしてまた、
その作品の背景には、
宇宙的な(または鉱物的、無機的な)変性意識から、
日常意識までの広い帯域が、
強度を持って、
はらまれている可能性についても、
触れました。

さて、
そのような両極の振幅が持つ、
極度な力を、
特異な身体的な衝撃として体感できた、
稀有な出来事について、
今回は、取り上げてみたいと思います。

すでに、
10年以上も前の事柄になりますが、
大竹伸朗氏の大回顧展、
『全景』が、
東京都現代美術館で、
行なわれました。

4トントラック25台で搬入されたとされる、
2,000点もの作品群が、
美術館の全階層を占拠する、
巨大なスケールと、
大物量が投下された展示会でした。
夜の館の外には、
「宇和島駅」の文字が、
ネオンとして光っていたものでした。

そして、館内では、
天井まで届くような巨大なオブジェから、
廃物のようなガラクタ様の小品、
無数の濃厚なスクラップ・ブックまで、
大小さまざま、様式も雑多な、
膨大な作品群が、空間を埋め尽くす姿は、
あたかも、
建物空間そのものが、一つの複合した、
巨大な作品であるかのような観を呈し、
見る者に対して、
肉体的な圧倒として、
体感されたのでした。

そして、
その空間の、巨大で重厚な濃密さが、
より痛感された要因のひとつに、
その作品群の、
おびただしい雑多さもありますが、
とりわけ、
線や点における尖鋭、
極度な震えの相が、
あったのです。

というのも、
一見ジャンク品のような、
作品のひとつひとつは、
よく見ると、
その細部に、
まるで濃縮され、凝視(幻視)された、
ミニチュアのように、
非常に繊細な造形、
膨大な情報量、
激しい熱量が込められたからです。

そのミクロな先端と、
マクロな広大さとの間の、
両極の振幅。
刺すような極小な線の震えと、
膨大かつ巨大な作品的身体との間にある、
振幅の大きさが、
並外れて凝縮的なエネルギーと、
熱量を、
生み出していたのでした。

『全景』とは、
うまく名づけたもので、
廃物や夢の残骸のような異形の作品群が、
積み重なる空間は、
大袈裟にいえば、
一種のSF的な荒れ野、
どこかの惑星の風景を、
連想させるようでもあったからです。

以前、LSDの体験セッションにおいて、
鉱物群と同一化する、
変性意識状態(ASC)の事例を取り上げましたが、
これらの廃物的で、
鉱物や残骸のような作品群には、
そのような無機的な意識体とも通底するかのような、
強度に逸脱した、
過剰な生のリアリティが、
感得されたのでした。

そして、巨大な熱量の塊、
(それも、冷えた熱としての)
無機的に振動するような熱量が、
体験の記憶として、
大きな感動とともに、
筆者の肉体の底に、
刻まれたのでした。

それがために、
10年以上の歳月が経っているにも関わらず、
その時の興奮が変わらずに、
今も、神経のうちに残っているわけなのです。

そしてまた、
あのような大回顧展が、
再び開かれることを
願っているのは、
決して、筆者ひとりだけではないとも、
思われるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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 【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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宇宙への隠された通路 アレフとボルヘスの隘路

さて、以前、
諸星大二郎氏の『生物都市』や、
LSD体験セッションの中で、
鉱物的結晶に同一化する、
変性意識状態(ASC)の興味深い事例について、
見てみました。

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

ところで、
それらの体験報告は、
しはしば、古代的な宗教文献などでも語られる、
日常意識の背後にある、
遍在的で、全一的な意識の様態を、
さまざまに夢想させるものでもあります。

さて、今回は、その関連で、
アルゼンチンの作家、
ホルヘ・ルイス・ボルヘスを、
取り上げてみたいと思います。

ボルヘスの主要な傑作は、
無限的で、全一的なる宇宙を、
小さな物語の中に、
凝集するかのように結晶させた、
短編群です。

彼の作品では、
私たちの人生を形づくる、
普遍的な素材―
記憶、夢、書物、時間、想像力などを、
別様にとらえていく巧妙な仕掛けを通して、
日常的現実に、
「無限の宇宙」を侵入させる(招き入れる)かのような、
幻想的な物語が展開されていきます。

さて、その彼の小説の中に、
『アレフ』という作品があります。

『アレフ』は、
そのようなボルヘスの趣向が、
一人称の語りで、比較的、
直接的に表現されたかのような、
体裁になっています。
(彼の多くの物語は、迂回と晦渋により、
もっと間接的に、
人を巻き込んでいくような語り口です)

さて、作品に出て来る、
アレフとは、
ある架空のものを名づけた言葉ですが、
それは、食堂の地下室の片隅にある、
「宇宙のすべてが見える」
ある球体のことです。

物語は、
アレフのことを知る、ある知り合いが、
とある屋敷の地下室にある、
アレフの存在を、ボルヘスに語り、
ボルヘスがそれを、
地下室の暗闇に入って、
実際に確かめてみるという、
ストーリーとなっています。

「何よりも私を驚かしたのは、
重積や透過といった現象もないのに、
すべてが同一の点を占めていることだった。
私のこの眼が見たのは、
同時的に存在するものだった。
私がこれから書写するものは
継起的になるだろう。
言語が継起的なものだからだ。
それでも私は、
なにがしかを捉えることができるだろう」

「階段の下の方の右手に、
耐え難いほどの光を放つ、
小さな、虹色の、一個の球体を私は見た。
最初は、回転していると思った。
すぐに、その動きは、
球体の内部の目まぐるしい光景から生じる、
幻覚にすぎないことを知った。
〈アレフ〉の直径は二、三センチと思われたが、
宇宙空間が
少しも大きさを減じることなくそこに在った。
すべての物(たとえば、鏡面)が無際限の物であった。
なぜならば、私はその物を宇宙のすべての地点から、
鮮明に見ていたからだ。

私は、波のたち騒ぐ海を見た。
朝明けと夕暮れを見た。
アメリカ大陸の大群集を見た。
黒いピラミッドの中心の銀色に光る蜘蛛の巣を見た。
崩れた迷宮(これはロンドンであった)も見た。
鏡を覗くように、
間近から私の様子を窺っている無数の眼を見た。
一つとして私を映すものはなかったが、
地球上のあらゆる鏡を見た。
ソレル街のとある奥庭で、
三十年前にフレイ・ベントスの一軒の家の玄関で
眼にしたのと同じ敷石を見た。
葡萄の房、雪、タバコ、金属の鉱脈、水蒸気、
などを見た。
熱帯の砂漠の凹地や砂粒の一つ一つを見た。
インヴァネスで忘れられない一人の女を見た。
乱れた髪を、驕りたかぶった裸を見た。
乳房の癌を見た。
以前は木が植えられていたが、歩道の土の乾いた円を見た。
アドロゲーの別荘を、かのフィレモン・ホランドの手になる、
プリニウス英訳の初版本を見た。
あらゆるページのあらゆる文字を同時に見た
(子供の頃の私は、閉じた本の文字たちが、
夜のうちに、混ざり合ったり消えたりしないのが
不思議でならなかった)。
夜を、同時に昼を見た。
(中略)
あらゆる点から〈アレフ〉を見た。
〈アレフ〉に地球を見た。
ふたたび地球に〈アレフ〉を、
〈アレフ〉に地球を見た。
自分の顔と自分の内臓を見た。
君の顔を見た。
そして眩暈を覚え、泣いた。
なぜならば私の眼はあの秘密の、
推量するしかない物体を
すでに見ていたからである。
人間たちはその名をかすめたが、
誰ひとり視てはいないもの、
およそ想像を絶する、宇宙を。」
『アレフ』鼓直訳(岩波書店)

さて、
一見なんでもない日常の風景の一角に、
宇宙が、そこに含まれているような、
隠された秘密の通路が、
存在しているかもしれない、
というような夢想は
私たちの多くが、子供の頃、
なんとなく考えたのではないかと思われます。
秘教的なアイディアにおいても、
そのようなことが語られたりもします。

それらも、ある意味、
私たちの心の奥底にある
何かしらの構造を、
投影したものであると、
考えることもできるわけです。

さきに触れた、
鉱物と同一化した変性意識状態(ASC)
に見られるような、
心の基層部のひろがりとは、
ある意味、
宇宙的な性質を有しているのでは、
ないだろうか考えることもできるわけです。

そしてまた、見方を変えると、
ボルヘスに見られるような。
無限なる宇宙を、
小さな物語に閉じ込めたいという、
欲望自体が、
そのような、私たちの心の構造や渇望を、
どこかで映し出していると、考えることもできるわけです。

そして、私たちが、
ボルヘスを読む快楽とは、
彼の作品にある、
無限の宇宙を凝集したような高圧点を、
意識的に味わうところにあることを考えると、
それは、色々と示唆に富むことでもあるのです。

そして、そのような、
箱庭的ミニチュアにある、
凝集への欲望には、
無辺にひろがる宇宙的な意識と、
局所的で、場所的な日常意識との間に、
結合や振幅的往還をもたらしたいという、
私たちの渇望の現れがひそんでいると、
類推することもできるわけなのです。



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「英雄の旅」とは
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サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

◆サブモダリティの改変

さて、NLP(神経言語プログラミング)において、
サブモダリティの改変という技法が、
そのセッション(ワーク)で、
使われることがあります。

サブモダリティ(下位様相)とは、
モダリティ―視覚、聴覚、触覚などの、
各表出(表象)体系を構成する、
下位の構成要素ともいえます。
例えば、視覚においては、
その映像を構成する、
明度、鮮明度、カラーor白黒、サイズ、コントラスト、距離、位置、
などが、サブモダリティです。
喩えですが、テレビのツマミによって、
変化するかのような各属性、
調節が可能な要素たちです。

実際のNLPのセッション(ワーク)における使い方でいえば
クライアントの方の、
或るネガティブな体験には、
その体験内容と結びついた(フレーム化された)、
サブモダリティがあると考えます。

そのため、
フレーム化によって、
望ましくない体験と結びついた、
サブモダリティを改変することで、
望ましい状態に創り変えるのが、
サブモダリティに焦点化した技法となります。
(フレーム自体を改変するのは、
リフレーミングという技法になります)

そのように、
サブモダリティは、
私たちの経験内容を記憶し構成する、
基本的な素材となっていると、
考えられるのです。


◆ビートルズ『イン・マイ・ライフ』とサブモダリティ

さて、以前、
才能における相補性ということで、
NLPとビートルズを例に出したので、
今回も、ビートルズにまつわる個人的な事例を、
エピソードとして使ってみたいと思います。

ビートルズのアルバム、
『ラバー・ソウル Rubber Soul』の中に、
『イン・マイ・ライフ In My Life』という、
名曲があります。

ジョン・レノンが、
ヴォーカルがとっている曲で、
本人のコメントもあり、
ジョン・レノンの曲とされているものです。

筆者も、昔から、
好きな曲ではあるのですが、
どこか感覚的に、
違和感を覚えてもいたのです。

というのも、
筆者にとって、
ジョン・レノンの曲は、
曲の由来(根っこ)が、
「すみずみまで(水晶が澄みきったように)分かる」
という感覚があるからです。
しかし、
『イン・マイ・ライフ』だけは、
素晴らしい曲で、好きな曲ではあるものの、
「どこか、分からない感じ」
というのがあったからでした。

しかし、後年、
ポール・マッカートニーが、
『イン・マイ・ライフ』は、
自分が書いた曲だと、発言していることを知って、
長年の謎が氷解したのでした。
ポールは、曲の構造からしても、
自分の曲だと証明できる、
ジョンが忘れただけだ、と言っているようですが、
さもありなんという感じなのです。

さて、それでは、
筆者の中で、
何がジョンの曲で、何がポールの曲だと、
感じ分けていたのでしょうか。

それこそが、曲を聞いた時に、
筆者の中で、自然に組成される、
サブモダリティの質性(特徴)だったのです。

筆者個人にとって、    
ジョンとポールの曲は、
サブモダリティとしては、
決定的に違うものでした。
ジョンの曲の、密度や屈曲と、
ポールの曲の、のびやかさと明るさとは、
明確に違うサブモダリティなのでした。
無意識で感じ取られる、
微細な様相においてもそうなのでした。
そして、個人的には、ジョンの曲は、
感覚の近さからか「根から分かる」感じがしたのでした。
一方、ポールの曲には、
どこか、曲の由来(根っこ)が、
「分からない」感じがあったのでした。
そして、それがどこか神秘的な質性でもあったのでした。

『イン・マイ・ライフ』は、
ジョンの曲だと信じ込んでいたため、
実際に組成されるサブモダリティとの間に、
齟齬や違和感が生じていたのでした。

ところで、
音楽を聴くときには、
曲の中に、心身を投影して、
その内的体験として曲を感じ取るわけですが、
その風景として、
サブモダリティが組成されるわけです。

そして、
その曲によって組成されるサブモダリティと、
自分の元々の、内的な経験(趣味)を響き合わせて、
合う合わないとか、好き嫌いとかを、
判断している訳です。
また、「分かる」などという幻想を、
創り出しているわけなのです。

しかし、サブモダリティの、
この内的一貫性を把握しておくことは、
対象物を理解する上での、
トラッキング(追跡)・システムとしても、
重要な働きをしてくれるものなのです。
『イン・マイ・ライフ』の事例は、
そのような意味でも、
興味深い事例となったのでした。

ところで、
多くの人にとっても、
好きな趣味の中での、
各種の感覚情報の差異は、
大体、サブモダリティの一貫性として、
把握されているものなのです。


◆投影された身体と、サブモダリティの拡張

さて、
の中では、
自らの身体の投影を通して、
私たちが世界をとらえ、
構成していく様子を記しました。    

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
そのことについて見ました。

そのような身体の投影の結果として、
私たちは、自己の世界の表象を、
作っているのです。

ところで、
このような身体投影の結果として、
内的表象を作る際にも、
強度の差異は各種あるものの、
サブモダリティも、
同時に、生成・組成されているのです。

生活の中で、さまざまな事柄を、
身体の投影を通し、
物事を経験・学習する中で、
体験内容のコンテクスト化やフレーム化も生まれれば、
基礎素材としての、
サブモダリティの生成と編成も、
行なわれているわけです。

そのため、生活史の中で、
何らかの問題的なフレームが発生した場合に、
問題あるサブモダリティも生まれてしまうのです。
それが、前段で見た、
NLPのセッション(ワーク)による
サブモダリティ改変のアプローチにも、
つながるわけです。

ところで、実際のところ、
サブモダリティの質性自体は
価値中立的であり、
それ自体は、良いものでも悪いものでも、
ありません。
強烈なサブモダリティが、
問題であるということではないのです。

問題なのは、
サブモダリティと、
否定的(悪しき)体験との、
フレーム化・コンテクスト化なのです。
この関係づけを改変するのが、
リフレーミングといわれる技法です。

また逆に、芸術などでは、
強烈なサブモダリティの方が
効果としては、
有効だったりもするのです。

さて、ところで、
私たちの普段の生活における
創造的な側面に目を向けてみると、
例えば、
何か貴重で冒険的な体験をした場合などには、
私たちの身体感覚に深い刻印が刻まれ、
身体感覚が拡張したかのような実感を、
得ることになります。
また同時に、
その経験内容(領域)を表象するサブモダリティも
改変(拡張)された感じがします。
これは、サブモダリティの「創造的な側面」です。

そのため、
新しい未知の体験を得て、
身体感覚が拡張したときには、
そのサブモダリティをしっかりと
感覚と脳に定着させていくと、
その経験が、学習として深まり、
自分の中でより、再コンテクスト化、
再フレーム化がはかどります。
高次階層の学習も進みます。

一方、
積極的で能動的な身体の投影を通して、
サブモダリティが、
わずかに拡張されるような
経験を持つこともあります。

芸術における体験などが、
それです。

その際、私たちの内側では、
実際に、
身体やサブモダリティが拡張され、
改変される体験とも、
なっているのです。

実際、
芸術におけるエネルギッシュで、
積極的な取り組みの中では、
(創作ばかりでなくとも)
自分自身の既存の身体感覚や、
固定化したサブモダリティを、
流動化させ、解放させていく効果があります。

慣れていないジャンルの芸術に、
積極的、意欲的に身体を投影して、
内的に把握しようとする努力は、
私たちの持っていた、
既存のサブモダリティや内的な表象を、
柔軟にして、
解放・拡張していく訓練にもなるのです。
それは、
多くの身体訓練と、
同様の働き方をするのです。

そのように、
私たちの身体感覚とサブモダリティは、
深く同期しているというわけなのです。

それがために、
スポーツ・トレーニングにおいても、
コーチングにおいても、
ヴィジュアライゼーションや、
イメージ・トレーニングが、
実際的・実利的な効果を、
発揮するというわけなのです。
ここには、
興味深い心身の領域が、
大きくひろがっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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階層を超える創造の飛躍 パブロフの犬か、ベイトソンのイルカか


さて、前回、
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
を語る中で、
ベイトソンの学習理論について、
触れました。

そこでは、
学習次元の階層を超えるような、
創造的な飛躍が起こる場合があることについて、
少し記しました。

このような階層を超える学習(創造性)について、
ベイトソンは、
『精神と自然』(新思索社)の中で、
興味深い事例を挙げているので、
今回は、そのことについて、
見てみたいと思います。

或るイルカの事例です。

ある時、そのイルカショーでは、
「毎回、イルカに『新しい芸』を教えることができる」
ということを売り物にすることを考えたそうです。

つまり、毎回、そのステージ(セクション)で、
イルカが、或る「新しい芸」をやり、
「そのことを覚えた」とイルカが再現する、
という高度な芸です。
イルカ的には、一日の中で、そのステージごとに、
毎回、新しいしぐさなりを表現し、
そのことを覚えた(学習した)ことを、
人に示すということです。

ここでイルカには、
「或る特定のことことを覚えていれば、エサがもらえる」
という、よくある単純なコンテクスト(二次学習)より、
高度なことが、課せられたのです。

或る時は、覚えている芸Aをやったら、
エサがもらえた。
しかし、次に、芸Aをやっても、
エサはもらえない。
偶然、芸Bをやったら、
エサがもらえた。
しかし、それをもう一度やっても(新しい芸ではないので)、
エサはもらえない。
最初、イルカは、混乱したようです。

しかし、試行錯誤を繰り返す中で、
イルカは、ついに、
「わかった」ことを示すかのように、
嬉しそうな反応をしたそうです。

そして、次々に、
「新しい芸」を見せ出したそうです。

つまり、イルカは、
より高い階層から、
自分の置かれた「コンテクスト(文脈)」を、
理解することをできたのです。

「芸A、芸B、芸C」と、
既存の芸を、ひとつのクラス(類)と見なし、
それとは別の「新しい芸」のクラス(類)が、
自分に求められているものだと理解したのです。
「新芸X、新芸Y、新芸Z」をひとつのクラス(類)として考え、
それを行なっていくことが必要だと理解したわけです。
「芸A…」と「新芸X…」のクラス(類)の差異を理解したのです。


このゲーム全体のコンテクストを理解したのです。
それは、
今までの自分が置かれた階層を、
超えた視点からの理解です。
そこに、
イルカは、飛躍することができたのです。

一方、対照的に、
ノイローゼに陥ったパブロフの犬の、
事例が挙げられています。

その犬は、
丸と、楕円形を識別する訓練を受けたようです。
丸の時は、反応Aを行なう、
楕円形の時は、反応Bを行なう、
というようなことでしょう。

その上で、
丸か楕円形か、識別できない形態が、
提示されたようです。
すると、
犬は、明らかに混乱し、
神経症的な症状を示し出したようです。
つまり、選択肢「丸か楕円形か」の間で、
「識別できない」という、
ダブルバインド(二重拘束)に入ってしまったのです。

つまり、パブロフの犬は、
選択肢「丸か楕円形か」が、
ひとつのクラス(類)であり、
「その他のクラス(類)が、
他の選択肢としてあるかもしれない」
という可能性を、
見出せなかったのです。
そのため、既存の学習の中で、
袋小路に入って(詰んで)しまったのです。

さて、見るところ、
人間の場合も、
個人の行動や、企業の戦略においても、
多くの場合、
パブロフの犬のようにしか振る舞えない、
というのが実情ではないかと思われます。
既存の二次学習の中で、
ダブルバインドに陥ってしまうのです。

つまり、
自分が慣れ親しみ、
身についた既存の二次学習、
既存の視野(選択肢)の階層を、
超える飛躍とは、
なかなかに難しいのです。

習慣的学習ではない超習熟と、
覚醒的な気づき、
プラスアルファの要素が、
必要となります。

そしてまた、
頭で考えるだけの方法論(aboutism)では、
自分自身を構成している
二次学習のプログラムを超える(相対化する)ことは
これも大変難しいからです。
考えることは、解離的なプロセスであり、
それ自体に、物質的に働きかける方法には、
ならないからです。

当スペースが、
ゲシュタルト療法(心理療法)を、
方法論に置いている理由は、
ここにあります。

それは、
ゲシュタルト療法のセッションは、
変性意識状態(ASC)に入り込む中で、
しみついた二次学習のプログラムに、
背後から直接、
コンタクト(接触)できる方法論となっているからです。

そして、
それを、気づきawarenessのうちに、
修正することができるからです。

これが、
当スペースの、
方法論的な狙いとその特徴と、
なっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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モビルスーツと拡張された未来的身体

さて、拙著
の中では、
意識拡張の実践である「夢見の技法」を語る際に、
私たちの心理的投影と、身体性が、
どうかかわるのかについて、
紙数を割きました。

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
私たちが、世界を、
投影した身体性を通して、
理解するその仕方について、
分析をしてみました。

そして、そのことが、
夢見の技法として、
どのように利用可能なのかについて、
考察してみました。

さて、ここでは、
そのような文脈で、
拡張された(投影的な)身体性と、
意識拡張との関係について、
考えてみたいと思います。


◆モビルスーツの身体領域

「モビルスーツ」とは、
一時代を画したアニメ作品、
『機動戦士ガンダム』の中に登場する、
戦闘用の機体(ロボット)のことです。

アニメ作品『機動戦士ガンダム』は、
初回作品と、その玩具(プラモデル)が、
一世代の熱狂を引き起こし、
シリーズ化されていったものです。

また、その作品の物語設定についても、
独特の仕掛けが、さまざまあり、
セカイ観を売り物にする、
その後のアニメ作品群の先駆けになったとも、
いえるかもしれません。

しかし、筆者が、
ここで、特にテーマとしたいのは、
「モビルスーツ」というロボット(機体)の、
拡張された身体性としての意味合いなのです。

ところで、
モビルスーツは、
それまであったアニメ作品、
『マジンガーZ』のような、
偶発的なロボットとは、趣を異にし、
未来国家の量産型の軍事兵器として登場します。

元々は、番組から玩具をつくり出す、
マーケティング上の必要性があったわけですが、
物語の設定上でも、
高度に発達した未来社会の戦争においても、
なぜ、ロボット同士の白兵戦が必要であるのかという、
納得性(設定)を形成することで、
高機能化し、進化していくモビルスーツの、
必然性をつくり出すことになったわけでした。

ところで、一方、
実際、後に、玩具としてヒットするわけですが、
モビルスーツの、
あの美的で、不思議なデザインがなければ、
時代の(その後の)熱狂を、
つくり出すこともなかったとも思われるのです。

特に、玩具商品のラインナップの大部分であった、
ジオン軍のモビルスーツの持つ異形性・新奇性、
ガウディの作品のような、曲線を多用した、
あの有機的なデザインが無ければ、
そこまでの支持は得られなかったとも類推されるわけです。

また、玩具自体について言えば、
それまでのプラモデルにあまりなかった、
関節の「可動性」を高めた点も、重要なポイントでしょう。
子どもたちは、自らの身体性を、人形に投影するので、
人形の可動性の高さは、
そのまま、子どもたちの感覚の自由度を、
高めることにもなるからです。

現在でも、フィギュア商品の、
可動域の広さが商品の売りとなるのは、
そのような意味合いだとも考えられるのです。


◆拡張する未来的身体と、意識の拡大

さて、物語の展開にしたがって、
軍事兵器としてのモビルスーツは、
次々と高機能化し、
進化していくわけですが、
興味深いことは、
その進化にともなって、
物語の終盤には、
進化したパイロット(ニュータイプ/超能力者)も、
現れて来るということです。

ストーリー的には、
偶然、特殊進化(超能力化)したパイロットに合わせて、
進化させたモビルスーツが、
作られたようにも見えます。
物語的には、
宇宙空間に出た人類が、
自然に進化していくというイメージです。

しかし、通常、
このような生物の能力進化とは、
環境と生体との相互作用の結果であり、
どちらかが原因であるとは、
一概に特定できないものなのです。

フロー体験に見られるように、
環境と、表出(表現)と、内容(生体)との、
ギリギリの極限的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

つまり、
物語の設定でいえば、
宇宙における戦争・戦闘という極限状態の中での、
拡張された表出身体(モビルスーツ)と、
内容(パイロットの知覚力・意識)との、
高度的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

モビルスーツがなければ、
ニュータイプも生まれなかった。
こう考える方が、
面白いと思います。

宇宙空間を、高速で稼働する、
機械の身体があったからこそ、
知覚能力の進化が、
加速されたというわけです。

フロー体験について分析されるように、
通常、私たちは、
挑戦的な、困難な状況の中での、
的確な(拡張された)身体活動によって、
知覚力や意識が拡張されていくわけです。

そのような事柄が、
この物語作品の中では、
一定の納得性をもって描かれたために、
一見無理やりで荒唐無稽にも見える、
ニュータイプの設定が、
表現としての強度を持ちえたのでした。
事実は、
そんなにニュータイプな事柄ではなかったのです。
むしろ、古典的(神話的)ともいえる事象だったわけです。


◆日常生活におけるモビルスーツ(拡張する先導的身体)

さて、ここで、
焦点化したい事柄は、
モビルスーツのような、
宇宙空間において、高速で稼働する、
疑似身体(拡張された)が、
ニュータイプ的能力を覚醒させ、
拡張させていったという事柄です。

新奇で、一歩先を行く表現活動(形態)が、
私たちの拡張された知覚力や意識形態を
引き出していくという点です。

そして、
この能力の特性は、決して、
SF的な事柄に限定されるものでは、
ないのです。
この日常的現実で、
普通に起こっている事柄なのです。

さて、私たちは、
身体という場で、
世界と出遭っています。

そして、この身体は、
肉体に限定されるだけでなく、
モビルスーツにように、
投影的で、創造的な活動領域全般に、
延長されているものなのです。

そのため、
私たちが、
自分の知覚力や意識を、より拡張し、
能力をより高めていきたいと考える場合には、
活動しているフィールド(場)を、
私たちの能力が、
引き出され(拡張され)やすいように、
焦点化して、
設定してしなければならないのです。

宇宙(人生)を高速で横切るかのように、
自分に課す日々の活動内容や、
人生の目標など、
自分の限界を超えるかのように、
全身全霊で取り組まざるを得ないように、
場や標的を創り、
急襲していく必要があるのです。

それには、
戦闘のような、
つねに、気づきawarenessが求められる、
強度をはらんだ持続性が必要です。

徹底的に追い求めることにより、
能力というのは、
一線を超えた力を、
発揮はじめるのです。

そして、
そのような強度の果てに、
困難や既知の自己を、
超えはじめた時に、
私たちは、
人生の新しい次元(宇宙)を、
見出しはじめることができるのです。


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人生のロロ・トマシ

ロロ・トマシとは、
映画『L.A.コンフィデンシャル』の中で、
決定的な意味を持つ名前です。
(以下ネタバレあり)
 
その名は、
登場人物のエクスリー警部補が、
自分がなぜ刑事になったのかを語る、
わずかな昔語りの中で触れられます。
 
彼の刑事だった父親は、
殺されたのです。
しかし、犯人はわからず、
彼は、その犯人を、
ロロ・トマシと名付け、
罪を逃れて、ほくそ笑むやつらの、
代名詞としたのです。
 
そのような挿話が、
出世の亡者のような嫌われ者として描かれていた、
エクスリー警部補の、
人生の背景として語られるのです。
 
映画の中では、
それまでの出世をフイにしてでも、
事件の真犯人、
ロロ・トマシをとらえたいという、
渇望に駆られ出した、
(心を蘇らせはじめた)
エクスリーの姿を映し出す、
象徴的な名前となっているのです。
 
そして、彼が、
ゆくりなくも語った、
この秘密の名前が、
思いがけず、事件を解決する、
導きの糸となっていくのです。
 
というのも、
その挿話を聞かされたヴィンセンス刑事が、
意外な真犯人に殺される際に、
その名を、
ダイイング・メッセージとして呟いたことが、
(この場面のスペイシーのかすかな微笑が素晴らしい)
その後、
真犯人が誰であるかを、
エクスリーに告げる、
決定的な鍵となったからです。
 
 
さて、
私たちの人生の中には、
映画におけるような、
現実の悪党ではありませんが、
心の中に、
影のようにつきまとう、
ロロ・トマシがいます。
 
それは、
私たちを駆り立て、
苦しめ、
また、渇かせ、
まるで運命のように、
打算を超えた、
非合理的な行動をとらせていきます。
 
私たちは、
その本当の姿を、
よく知りません。
 
若い頃は、
私たちは、
おおむね誰もが多感なため、
ロロ・トマシを、
身近に感じています。
 
しかし、歳をとっていくと
俗世間の雑務にまみれて鈍麻し、
物語のはじめにあったエクスリーのように、
ロロ・トマシのことを、
忘れがちになっていきます。
また、見ないようにしていきます。
 
しかし、
それを思い出し、
その気配を感じ、
それを探しつづけることは、
実は、とても大切なことなのです。
 
ロロ・トマシの背後(向こう)にこそ、
私たちの真の人生が、
待っているからです
 
ロロ・トマシの、
黒点のような存在を感じていくことが、
事件を解決するように、
真の人生を見つける、
導きの糸となるのです。
 
そして、
ロロ・トマシを追い、
紆余曲折しながらも、
扉の向こうに
ついに、彼を追い詰めた時に、
捕らえた時に、
私たちの人生は、
あたかも何かがほどけたかのように、
明るいものに、
変わっていくのです。
 
人生の、
違う白日の中に、
入り込んだことに気づくのです。
 
人生の次の次元に、
移っていくのです。
 
そのように、
私たちの心の秘められた智慧は、
ロロ・トマシを、
正体不明の真犯人を、
登場人物として、
人生の中に、
ひそませているのです。

影の中にこそ、
苦痛の中にこそ、
悪の向こうにこそ、
人生を解く、
秘密の鍵があるのです。
 
そのため、
私たちは、
その暗いけはいを感じとり、
それが、どこから来て、
今どこにいるのかを、
問いつづけることが、
とても大切なことなのです。



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夢見の技法Ⅳ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より




(夏の朝…)

 

 

 

 

 

夏の朝

 

嵐すぎ

 

われるよう

 

澄みきる

 

大気のあつさ

 

海べり

 

見わたす

 

真青のあつみ

 

反射する

 

目痛い

 

まぶしさ

 

砂浜の

 

鳶たちの点影

 

啼き声

 

高く

 

風ない浜の

 

照りかえす

 

陽の

 

烈しさ

 

散らばる流木に

 

歩みの足もと

 

砂のめり

 

躯のふしぶし

 

透きとおす

 

暑さのうねり

 

光はらんだ

 

目路のかなたに

 

あと刻む

 

砂のつらなり

 

陽の奥に

 

昏い喪失の

 

わずかに鎮まり

 

遠く波だつ

 

野生の

 

どよめき

 

重い

 

ひずむよう

 

あわいを

 

聴いていく

 

 

 

…………

 

岬をめぐる

 

晴れた入江

 

鳥影うごく

 

空の高さ

 

護岸工事の

 

かたい重機音

 

路面の

 

黒く艶めき

 

行きあたる

 

路地に

 

暑気の

 

とどまり

 

褪せた案内に

 

古蹟をみとめ

 

石の路を

 

登っていく

 

人いない古道の

 

樹々の繁り

 

細まる山径を

 

ながくぬけ

 

旧蹟の碑

 

ちいさな展望台に

 

たどりつく

 

 

 

見渡される

 

遥かな湾

 

照りかえす

 

かがみのよう

 

しずかな

 

 

さざなみの

 

皺のよう

 

ゆらめき

 

陽の

 

凝集する

 

反射の

 

 

褶曲する

 

湾岸のむこう

 

巨巌の

 

黒く霞み

 

浜にたどった

 

足どりを

 

さがしている

 

 

 

…………

 

雨に

 

うたれていた

 

夜じゅう

 

肌つたう

 

水滴のながれ

 

せまい窪地に

 

うずくまり

 

嵐の来

 

うちつくす

 

雨のはげしさ

 

生である

 

緊い圧搾に

 

雨のそこい

 

漂白されるよう

 

うたれていた

 

……………

 

 

 

陽の射す

 

真黒な翳らい

 

暑さむせる

 

籠りのゆらめき

 

生樹の気の

 

匂いつよさ

 

燐のふるよう

 

視像ちらつき

 

這いのびる樹々の

 

清冽ないぶきに

 

毛孔梳く

 

浄まりのささり

 

岬まく

 

高い山道を

 

登っている

 

いただき向かう

 

蔭ふかい径

 

分岐をかさね

 

みなれぬ草の実

 

見つけている

 

太古のけはいの

 

肉底くいこむ

 

生のはえぎわ

 

猛ける緑樹の

 

根をくぐり

 

草叢の奥

 

しらずに

 

藪に迷いこむ

 

昏い山蔭めぐる

 

夏草の繁茂

 

執拗にからむ

 

悪い蔓の毛ぶかさ

 

ぬかるむ土の

 

異臭の泥黒さ

 

見晴らしもとめ

 

急峻なけもの径を

 

渇くよう

 

あがっていく

 

苔むす倒木を

 

跨ぎこえ

 

巨木の交う

 

秘かな暗緑の森陰

 

ぬけていく

 

見あげる

 

高い樹冠に

 

葉蔭ひらき

 

覗く

 

濃緑の聳え

 

鬱蒼の山嶺

 

射しこむ

 

陽の

 

烈しさ

 

ささめきひしめく暑熱の

 

白昼のしずまりに

 

凝視きしみ

 

砕き

 

伐りだされる

 

青空の

 

原石

 

ないものの奥に

 

眩みの

 

一点

 

澄んでいく

 

 

 

…………

 

よせる

 

潮の泡

 

洞窟の口あらい

 

碧の窪み

 

浪のあかるさ

 

底うつる

 

礁の

 

緑青

 

 

 

(…白熱のよう……)

 

 

 

 

 

…………

 

灌木のびる

 

巌の小径

 

四肢で樹枝つかみ

 

棘だつ草藪を

 

降りていく

 

岬をめぐる

 

昼の山径

 

綿ちらす

 

背のある野の草

 

波うつ

 

羊歯の葉群れ

 

巨大な杉の樹生の

 

翳らいに

 

陰鬱な林立ぬけ

 

見おろされる

 

麓の建物

 

廃れた白い工場

 

谿かかる

 

大きな鉄橋に

 

かすかにきこえる

 

役場の

 

拡声放送

 

朽ちたバス停に

 

ふた昔前の

 

昭和の広告がある

 

灯りのない

 

コンビニ酒屋に

 

埃りをかぶる

 

土産物たち

 

草藪ぬけた

 

熱い余燼に

 

うつし身の

 

わずかに凄み

 

指先に

 

注視するよう

 

光が

 

よせている

 

……………

 

………

 

土地をはなれる

 

列車に見る

 

午後の入江

 

燦燦と

 

ひたすあかるみに

 

黒い巌々の

 

奇岩の姿

 

見つめる

 

砂浜の

 

遥かに

 

つらなり

 

澄みきる

 

大気のあつさに

 

海べり

 

見わたす

 

真青のあつみ

 

反射する

 

目痛い

 

まぶしさ

 

水平線の

 

彩り透ける

 

碧翠に

 

鉱石のよう

 

硬い

 

恍惚

 

きこえる

 

詠唱の

 

かすかな歌声

 

儀式の終わりに

 

樹々の下

 

露営をたたみ

 

雨の痕

 

濡れた敷布を

 

ぬぐっている

 

道具をしばり

 

ゴミをひろい

 

囲んだ火のあとに

 

土を戻していく

 

撒かれる

 

祈りの言葉

 

のぼっていく

 

水底の泡だち

 

いくすじもの水沫に

 

身うちの

 

さざめき

 

透きとおり

 

像をなす

 

けばだち

 

飛沫

 

過ぎさった

 

車内の音声に

 

遅れて気づく

 

担ぎあげる荷物の

 

なれた重さ

 

乗換駅に

 

山気はただよい

 

人いない階段を

 

あがっていく

 

 

 

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

夢見の技法Ⅲ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より



 

(春の蒼…)

 

 

 

 

 

春の蒼

 

くらい

 

薄墨のよう

 

朝まだき

 

雪頂く巌の

 

遠い峰々

 

あおぐ麓の

 

大気の

 

澄みきり

 

霜凍る

 

寒さの

 

きびしさ

 

肌をそばだつ

 

樹陰に

 

黒ずむ径を

 

降りていく

 

葉枝にふれる

 

かすかな

 

鳥声

 

黙だすよう

 

しずんだ樹皮の

 

かわく匂い

 

蔭にうかぶ

 

荒れた岩の

 

ひえたけはい

 

繁みかかる

 

樹々の下を

 

ぬけていく

 

遥かに見おろす

 

谿底の

 

ほそい流れ

 

不眠によせる

 

夜の潜伏を

 

まどろむよう

 

たどっていく

 

 

 

…………

 

夜の峰々に

 

浮かぶ

 

黒い稜線

 

越える峠の

 

たかい草藪に

 

忍ぶよう

 

径を

 

追っている

 

照らす

 

月明かりに

 

刻まれた

 

何者かの

 

足痕

 

澄んだ藍色の

 

流れる底

 

夜の指さきに

 

なぞられる

 

獣の

 

掻ききず

 

草叢の

 

ふかい繁みを

 

延々と

 

つけていく

 

跡をさぐり

 

糞をみとめ

 

毛のおちた

 

ぬた場を

 

たしかめていく

 

冷えた土の

 

わずかの紊れ

 

そよぐ草木の

 

夜風にきえる

 

匂い

 

痕のあるじを

 

追ううちに

 

あるじの

 

分身に

 

なっていく

 

かるい枯葉を踏む

 

急坂の小径

 

丈高い草枝の

 

その奥に

 

まじかなけはい

 

嗅ぎつけ

 

過ぎた像を

 

粘るよう

 

黒闇に

 

見凝めていく

 

湿った土くれの

 

黴の臭い

 

霜の割れる

 

かすかな繊音

 

かじる樹の芽の

 

ひろがる苦さ

 

波うち震える

 

月の光りを

 

毛深くまとい

 

地を這う何者かの

 

ひそめる

 

息づかいに

 

なっていく

 

照らされる山林の

 

奥まる胎内に

 

駆られるよう

 

攀じてゆき

 

山峡に

 

根太く

 

曝される

 

まさかりのよう

 

夜気の群れ

 

肉のからだの

 

あかるく膨らみはじめ

 

背骨をのぼる

 

樹液の

 

まばゆさ

 

狭くなる

 

いそがれる山径の

 

産道のよう

 

険しいさきに

 

ひしめき

 

凝集する

 

繁茂の

 

息ぐるしい

 

光点

 

はいりこみ

 

痕なくきえ

 

肉厚いひろがりの

 

ましろな

 

暑熱に

 

なっていく

 

 

 

………

 

…………

 

薄墨のよう

 

くらい

 

朝まだき

 

雪の峰々の

 

遠いつらなり

 

黒い麓の

 

凛冽なけはいに

 

大気の蒼の

 

かたくさえ

 

樹々の黙だしに

 

寒さの

 

きびしさ

 

仄白い

 

根方の傷に

 

夜になくした

 

痕跡

 

見つけている

 

霜のくだけた

 

水の匂い

 

枝さきの

 

つめたい葉脈に

 

生を濃くする

 

夜の疾駆を

 

透かしている

 

音なくあがる

 

たかい羽ばたき

 

森蔭に

 

肌を梳くよう

 

いぶきの

 

醒め

 

岩間に翳す

 

ちいさな花弁の

 

晴れた面ざし

 

奥処に

 

澄みきる

 

予兆の

 

葉群れ

 

径々に

 

やがてくる

 

陽のかわきを

 

嗅いでいく

 

 

 

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

夢見の技法Ⅱ

→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より





(雪粒の…)

 

 

 

 

 

雪粒の

 

風疾さ

 

指あたる

 

ふぶきの

 

唸り

 

捲き風の

 

肉擦るよう

 

熱うばい

 

視界を紊れる

 

粉塵の

 

ぶ厚さ

 

雪しろく

 

舗道を

 

埋まり

 

緊めるよう

 

群がる

 

埋葬の

 

冬凍土

 

降るものの

 

白と白のあわい

 

ふと吹きぬけ

 

夜の奥に

 

嘲けりのよう

 

透ける

 

光の痕

 

けぶれるさきを

 

射るよう

 

見入っていく

 

 

 

………

 

影ない

 

白い路面

 

駅むかう

 

ながい通り

 

壊れた看板の

 

転がり

 

靴ひたす

 

氷の泥濘

 

濡れた足先の

 

凍えに

 

くらい渇きが

 

澱むよう

 

沈んでいる

 

たどりついた

 

漂着の

 

下層の

 

ふき溜まり

 

垢じみた

 

労役の

 

うす汚れた

 

空無を

 

ぬけていく

 

かつて眺望した

 

境涯をはなれ

 

底辺の

 

塵のよう

 

穢土を

 

降りている

 

懐かしい様式の

 

昭和のビルの

 

つらなり

 

壁面の

 

かがみのよう

 

濡れて

 

見透かすさきに

 

知らなかった

 

夭折を

 

憶いだす

 

橋梁の下の

 

吹きこむよう

 

真黒い

 

排口

 

雪に撓まる

 

樹々のしなだれを

 

穴のよう

 

ぬけていく

 

 

 

………

 

山峡の

 

きえかけた径を

 

わけていく

 

つづく雨は

 

傾斜きつい

 

ぬかるむ古道で

 

雪となる

 

見あげる巨木の

 

高い枝々

 

風捲きあげる

 

粉塵の

 

紊れた舞い

 

濡れる樹皮に

 

ふぶきの塊まりの

 

吹きつけて

 

瞬くまに

 

樹林を覆う

 

ましろな

 

酷烈

 

埋まる小径に

 

峠の

 

ながい迂廻を

 

たどっていく

 

けぶれる視界を

 

踏みまよい

 

とだえた標を

 

さがしている

 

降りしきる

 

山路にうかぶ

 

飢餓のよう

 

息づき

 

しみる氷片の

 

もげるよう

 

水ささり

 

雪の渓流

 

白い苔の巌々に

 

胎動する

 

かすかの疼き

 

うつし身の

 

剥がれ

 

透かされ

 

裸にされ

 

肉の身の

 

奥に

 

ふと

 

羽根のよう

 

火の

 

臨在

 

生のあえぎの

 

いそがれて

 

発熱する

 

凝視の

 

脈くらむよう

 

あかるさに

 

視えない

 

陽光が

 

濃くなっていく

 

巨岩に

 

妊み

 

膨らむ

 

生の胚

 

樹林の氷柱に

 

吹きぬけるよう

 

眼ざしの

 

雫し

 

しろい小径に

 

焼けどのよう

 

靴あと

 

つけていく

 

 

 

…………

 

街道沿いの

 

公園

 

まばらに立つ

 

旧蹟の碑

 

ひとけない

 

雪の残りに

 

芝生はねる

 

寒雀

 

覆うよう

 

巨きな樹木の

 

生い繁り

 

古くに組まれた

 

敷石を

 

降りている

 

樹間の籠りに

 

湿った草木の匂い

 

濡れた石組み

 

ひろがる池に

 

とおい飛石を

 

眺めている

 

逃れた

 

生のあわい

 

散らばる

 

苔の岩たち

 

死者と生者を

 

わかつもの

 

ひえた地面の

 

冴えた昏がりに

 

冬陽の

 

かすかに燦ざめき

 

肉の身の奥を

 

不壊のよう

 

ささえる

 

しらない白日

 

かわく肌のした

 

苛々と

 

はやまり

 

覚めていく

 

発芽のよう

 

微熱を

 

注視するよう

 

あつめていく

 

 


夢見の技法Ⅰ





(蜂の音…)

 

 

 

 

 

蜂の音

 

夏野の

 

つらなり

 

点々と

 

雫する

 

花さき

 

匂い

 

すばやく宙切る

 

黒の描線

 

塗りこむ

 

大気の暑さに

 

さざめく

 

陽光

 

ちりちりと

 

ひたすあかるみの

 

燦々と

 

視覚くらみ

 

白日の奥

 

ひかりさしぬく

 

野の径に

 

暗鬱の

 

一滴

 

さまよわせている

 

首つたう

 

汗のひとすじ

 

恃んだ肉の

 

莢のようしない

 

きつい土手を

 

ぬけるよう

 

這いあがる

 

藪の根のちかく

 

斥候のよう

 

身をひそめ

 

地熱に濃くなる

 

茎のあいだに

 

草の青みを

 

見入るよう

 

嗅いでいく

 

 

 

…………

 

夏岳の麓

 

遠く見る

 

なだらかな山裾

 

古びた廃線の

 

黒い高架

 

国道をはなれ

 

雨痕かわく

 

朽ちた集落を

 

ぬけていく

 

ひとけない山蔭の

 

饐えた小径

 

枝かたい藪を

 

わけいり

 

遺棄された畑を

 

見おろしている

 

土もろい勾配に

 

延びる山径

 

樹林のさきに

 

尾根の後背が

 

息づいている

 

 

 

………

 

見渡す

 

峠のつらなり

 

とおい山峡に

 

流れる銀の

 

ひとすじ

 

緑濃い

 

急峻な岩間に

 

うねった樹根

 

指をかけ

 

高みからおしかかる

 

巨きな岩盤

 

攀じている

 

憑かれた四肢の

 

胆汁の

 

かなしみ

 

角ばった石の径に

 

損耗した

 

肉の重みを

 

擦るよう

 

運んでいく

 

頂きちかくの

 

正午の

 

しずまり

 

照りかえし

 

凝集する

 

陽のあつさ

 

とりつく岩々の

 

白いめまいのよう

 

かすみ

 

真昼のそこを

 

焦げつくよう

 

透けていく

 

けぶれる

 

塵埃

 

陽の射す

 

石のさきざき

 

岩肌に

 

飛沫する

 

火傷のよう

 

午の痕

 

高くまみえる

 

山塊の

 

見あげる

 

峻嶺に

 

巌々に

 

崖をこえ

 

凝視ふみいる

 

空の奥

 

澄みきった碧の震度に

 

知らない記憶を

 

たどっている

 

だから

 

風の

 

故意のしずまり

 

くらい囀づり

 

灌木のあいだに

 

かたい陽ざしの

 

照りかえし

 

ひらけた岩場の

 

擦過する

 

無音のふるえに

 

なっている

 

足を切る

 

低樹の小枝

 

尾根づたいに

 

斜面ゆき

 

大気の厚みに

 

腱のうずきを

 

ぬけていく

 

かれついた白昼に

 

まばゆいものの

 

不意の

 

まぢかさ

 

視つめている

 

見遥かす

 

峰々のつらなり

 

かぐろい峡谷の

 

古代の鬱然

 

躯の奥に

 

尾根むこうの

 

遠い芯

 

つながり

 

梳けるよう

 

在りかを

 

さぐっていく

 

……………

 

 

 

蜂の音

 

夏野の

 

つらなり

 

葉群れうつ

 

黒の描線

 

塗りこむ

 

大気の暑さに

 

白日の

 

蜜のよう

 

陽光

 

風ない小径に

 

樹々のあいだ

 

積乱雲のましろを

 

おっている

 

岩盤むきだす

 

昏い威容

 

いそがれる

 

径ゆきに

 

巨岩の群れの

 

野生の

 

あらがい

 

樹間の

 

群生うつり

 

ぬけていく

 

草叢ひそむ

 

青や白の

 

ちいさな花弁

 

身のうちに

 

濃くなる

 

陰画のよう

 

黒薊

 

視野をかすめる

 

またたく

 

翅音

 

しずまり

 

待機する

 

肉さやけさに

 

痛みのおく繁茂する

 

光のけはい

 

見つめていく

 

 



→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より

変性意識と天国的な身体―臨死体験のメタファー






以前、映画『マトリックス』について語る中で、通常の私たちの意識が過ごしている世界が、認知的な〈残像〉でしかないことについて触れました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

そして、体験的心理療法のような、心身一元論的な解放が、私たちに別の世界を垣間見せてくれることについて記しました。

ここでは、(昨年2016年に16年ぶりの新譜を出した)アヴァランチーズ The Avalanches の昔のミュージック・ビデオ(PV)、楽しくも感動的な Since I Left You を素材に、私たちの中にある変性意識状態と、「天国的な身体」の存在について記してみたいと思います。

この動画は、ストーリー仕立てになっています。
冒頭のシーンは生き埋めになった炭鉱夫二人が、途方に暮れている情景です。
すると、どこからともなく、上の方から、音楽が聴こえてきます。
音の方向を掘り崩すと、そこに天井板のようなものがあり、それを上に開けると、二人の女性が彼らを迎えるように見つめているのです。

上の空間(部屋)に出てみると、そこでは、何やらダンス・オーディションのようなことが、行なわれているのです。
さきの女性のダンサーたちも、踊りはじめます。
二人はそれを見ているのですが、なぜか、片方の鉱夫(相棒)が、フラフラと惹き寄せられるように、音楽に誘われるように、そのダンスに加わっていきます。
審査員の前で、踊りはじめます。

最初のうちは、動きも硬かった相棒も、だんだんとこなれたステップを、取りはじめます。
女性たちが、手を引いてくれ、ともに踊っていきます。

まるで何かから解き放たれたかのように、彼は、徐々に華麗なステップを取りはじめるのです。
生き生きと、そして、優美に舞うかのようです。
そして、最後には、素晴らしい大団円の大回転(ジャンプ)を決めるのです。

拍手喝采です。

すると、踊らなかった相棒は、ふと、自分が色彩を欠いた白黒の姿になっていくことに気づくのです。
そして、踊っていた相棒の姿を見ると、そこには、〈光に包まれた彼の姿〉があったのです…

さて、このビデオには、最後に種明かしがあります。
老人になった、踊らなかった方の男が、回想して語ります。
自分が救出されてからは、彼(相棒)と会っていない。でも、彼がどこに行ったとしても、彼は、素晴らしい時を過ごしていると思うよと。

つまり、この動画の情景は、いわば「臨死体験 Near Death Experience 」の間の風景だったわけです。
語っている男は、目覚めてこの世に戻り、踊っていた相棒は、光の国に去っていったのです。

動画には、最初の時点で、すでに仕掛けがあります。

板の扉を開けた時点で、
Welcome to paradise, paradise, paradise と
声が聞こえているのです。

つまり、このオーディションは、そもそも彼ら自身の天国へのオーディション、だったわけです。

だから、女性たちは、不思議な明るい眼差しをして、彼らを迎えたのです。彼女たちは、天使だったのでしょうか。そして、相棒の彼は、オーディションに参加し、受かって、向こう側の世界に行ってしまったわけです。

さて、そのことが分かるとこの映像は、どのように見えてくるでしょうか。
フラフラと踊りに加わった相棒は、この世に残った男より、すでに「あの世」に近いところにいたというわけですが、これは、おそらくメタファー(暗喩)としてとらえられると思います。

フラフラと審査員の前に出た相棒の彼は、まるで、ふと何かに気づいたかのように踊りはじめます。
音楽のグルーヴに身を任せつつ、徐々にしなやかになっていきます。
最初はぎこちなかった、身のこなしもだんだんとほぐれてきて、しなやかな波動を放ちはじめます。
女性ダンサーたちや音楽と、ひとつになっていきます。
おそらく、それは、彼がそれまでの人生の中では、(さまざまな重みから)決してとれなかったであろう彼本来の軽やかなステップです。
彼はそれを取り戻していくのです。

踊る中で、彼からさまざまな「この世」的なものが脱落していきます。
彼は、自分の自由なステップ自身になっていくのです。
解き放たれていくのです。
そして、「本来の彼自身」になっていく(戻っていく)のです。

また、踊りに加われない炭鉱夫もとても重要です。
彼ら二人は、どちらも私たちの内側にいる存在(キャラクター/自我状態)だからです。
私たちの中には、つねに「踊れないと思っている自分」と、「本当は素晴らしく踊れる自分」とがいます。
通常、私たちは、勝手に自分は踊れないと思っているだけです(そのキャラクター/自我状態に同一化しています)。

しかし、そんな踊れない自分でさえ、解放された相棒の素晴らしいステップを見ていると、自分も思わず身体を揺らして、タンバリンをたたいてしまうのです。
(最後のシーンに、「天国のダンス」を忘れなかった証からか、彼のタンバリンが映っています)

そんな風に、自分の中の踊れる自分を活かしていくことが、大切なのです。

私たちは、自分の天国的な音楽に、本来の自分の音楽に、身を任せきることができれば、皆、踊れる存在なのです。
そのようなダンスを通して、私たちは本来の姿を取り戻していきます。
ごつい無骨な感じの相棒の男が、しなやかに解放されていく姿は、私たちの心を打ちます。
それは、私たちの皆が持っている本来の姿だからです。
反復される歌詞も、別のことを語っていません。

Since I left you
I found the world so new
Everyday
あなたを後にしてから、毎日毎日、世界がとても新しいことに気づいた


私たちは、思い込みの残像としての世界を離れれば、いくらでも解き放たれた新しい世界を見つけだすことができるのです。
それは、今まで、感じたこともなかったようなカラフルで、鮮やかな世界です。
映像では、向こう側の世界がカラーで、こちら側の世界が白黒になっていることにもそれは暗示されています。
(だから、最後、踊らなかった男は、白黒に戻っていくのです)

私たちは、心身を解き放っていく中で、そのように、色あざやかで、光に包まれた存在の次元(天国的身体/意識/ドリームボディ)を、自分の内に持つことができるのです。

そのような二重の存在として、この世を生きることが可能なのです。
素晴らしい時は、死後にだけあるわけではないのです。
それは、今ここにも、存在しているのです

この世でも、天国へのオーディションを軽やかに突破して、自分の本来の天国を実現することが可能なのです。
むしろ、そのこと、生きることの「意味」でしょう。

それには、相棒の彼のように、霊感に誘われるままに、自分自身のステップを踏みはじめることです。
最初は、上手くできなくてもいいのです。
音楽の流れに身を任せて、グルーヴのままに身体を動かしていくことです。
そのうち、身体の硬さもだんだんとれてきて、流れ(フロー)や波動に乗りはじめます。
身体の動きが、天国の音楽とひとつになっていきます。
自己の内側に、変性意識的な、天国的身体(意識/ドリームボディ)が生まれ、溢れてきます。

まずは、一歩一歩、生活の中で、自分本来のダンス・ステップを見つけはじめることです。
埋もれた壁の向こうから、聴こえて来る音楽に耳を澄まし、自分の本来のグルーヴや鼓動を感じとることがら、はじめることです。
そのことで、毎日毎日、世界が新しいということを、気づけるようになるのです。

 ※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓

入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

フロー体験とフロー状態について


さて、現代の心理学の領域で「フロー flow」として知られる心理状態があります。シカゴ大学のチクセントミハイ教授がまとめた心理状態の定義です。

スポーツ選手などが競技のプレー中、最高のパフォーマンスを展開している時などに、しばしば入る心理状態「ゾーン ZONE 」などとして人口に膾炙されています。
そこでは意識が変性し、「あたかも時間が止まっているかのように」「ボールが止まっているかのように」物事が鮮明に見られるとも言われたりします。
この状態は、広くは変性意識状態(ASC)の一種と考えてよいのです。

私たちも、普段の生活の中で最高にノッていて、何か物事に集中・没頭している時に、しばしばこのような意識状態に入っていきます。チクセントミハイ教授は語ります。

「…これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィートバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を『フロー』と呼ぶことにした」M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

そして、

「目標が明確で、フィートバックが適切で、チャレンジとスキルのバランスがとれている時、注意力は統制されていて、十分に使われている。心理的エネルギーに対する全体的な要求によって、フローにある人は完全に集中している。意識には、考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。することはなんでも、それ自体のためにする価値があるようになる。生きていることはそれ自体を正当化するものになる。肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、人生はついに非の打ち所のないものになる。」(前掲書)

と言います。

さて、この心理状態には、私たちが充実した生の感覚、充実した瞬間、ひいては充実した人生を生きるための実践的なヒントが含まれています。ここではそれらを少し見ていきたいと思います。

ところで、フロー状態についての知見が興味深いのは、この状態を僥倖のように散発的で偶然に生ずるものとしてではなく、諸条件によって意図的に創り出せるものとして研究がされているということです。

これらの知見は、私たちが、実際に物事に取り組む際に、自分の最高の内的状態と最高のパフォーマンス(アウトプット)を生み出すのに、どのように要件をそろえればよいのか、意図をフォーカスすればよいのかについて、さまざまなことを教えてくれます。

チクセントミハイ教授は、これらの内的状態の属性を以下のように数え上げています。
(『フロー体験とグッドビジネス』大森弘監訳(世界思想社)より)

①目標が明確であること

この目標は、長期的な最終目標のことではありません。
今、目の前で直接かかわっているこの事態、この過程の中で何に達すべきか、何がベストなのか、その目標を知悉しているということです。この今やるべき瞬間的過程の目標です。そこにパーフェクトなコミットメントがあり、ブレが無いということです。

②迅速なフィートバック

これはこの瞬間の、自分の行為に対する直接的なフィートバックのことです。
この瞬間の一手が正鵠を得ているのか、そうでないのか、その瞬時の返答がこちらの感覚を鋭敏に目覚ましてくれるのです。そのような直接のフィードバックがあることで、私たちは瞬時に行為と戦術を修正します。そして、すぐに再アタックできます。この瞬時の繰り返しの中で、私たちの俊敏な感覚的スキルが高まっていくのです。

③機会と能力のバランス

教授は指摘します。

「フローは、スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時に起こる傾向がある」「フローはチャレンジとスキルがともに高くて互いに釣り合っているときに起こる」「よいフロー活動とは、ある程度のレベルの複雑さにチャレンジしようとする活動である」(前掲書)

自己の錬磨したスキルを前提に、それをさらにチャレンジ的に働かす時に、フロー状態は生じてくるわけです。チャレンジ的な物事を電光石火のように高速的に処理する中で、私たちは緩やかな登り坂を上がりつつ、飛躍的霊感に満たされるのです。

④集中の深化

フロー状態に入ると、集中は通常の意識状態より一次元深い状態となります。
これは、フロー状態の変性意識状態(ASC)的側面です。注意力は澄みきり、雑念は入り込む余地なく背景に消え去り、意識は眼前のその行為体験自体に深く没入した状態となるのです。


⑤重要なのは現在

その中で、行為に関わるこの瞬間(過程、時間)のみに完全に没入していきます。
雑事に対して、「脇に立つ」「外に在る」という意味でのエクスタシィ状態に入るのです。過去も未来もなくなり、ただ、この「現在のみ」が在ることになります。


⑥コントロールには問題がない

そして、この心理状態の中で、自分がその状況を「完全にコントロールしている」という感覚を持ちます。
すみずみまでに、パーフェクトな統御感が現れてくるのです。

⑦時間感覚の変化

その中で、時間の感覚自体が変わっていきます。時間は、歪み、拡縮しています。知覚力と意識が澄みきり、何時間もが瞬く間に過ぎ去ったように感じられたり、ほんの一瞬間がスローモーションのようにゆっくりと動いて見えたり、止まって見えるように感じられます。純化された別種の時間を生きているように感じられるのです。

⑧自我の喪失

その体験の中では、私たちの日常のちっぽけな自我は、背景に押しやられています。
体験の核にある不思議な〈存在〉感の圧倒的な現前が、その場のすべてを占めているように感じるのです。自分ではないものとして、その体験を体験しているように感じるのです。
それは、ある種の自己超越的な体験とも言えるかもしれません。

 

さて以上が、フロー(状態、体験)の諸属性の概略ですが、このすべての要件がそろわなくとも、私たちは人生の中で、このような充実した状態を偶然のようにしばしば体験しています。
そして、その充実の時を思い返してみると、生活の中でこのような意味深い体験の割合を、意図的に増すようにすれば、より深い創造的な人生が送れるだろうということは、容易に想像がつくと思われます。
意識拡張状態としての変性意識状態(ASC)というものを考えていくにも、とてもヒントになる部分が多いのです。

 

……………………………………………………………………………

ところで、実際的な見地から、しばしば指摘される事柄があります。

上で見たようにフロー状態を生み出すには、スキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスを調整することが重要といわれます。このことに、関係した視点です。

通常、私たちの日常生活は、多くの時間、絶好調というよりかは、「退屈(弛緩)しているか」または「ストレス(不安、圧迫)」を感じているかという状態です。
これは、フロー状態を見る観点からすると、取り組みの目標設定に問題があるのだということもいえます。
退屈(弛緩)している状態というのは、自分のスキルに対して、目標のチャレンジ度が低すぎる状態です。
一方、ストレス(不安、圧迫)を感じている時は、目標や理想、対象が自分のスキル〔技能〕に対して高すぎるといえます。だから、私たちの心は圧迫を感じるのです。

私たちが、ちょうどいい感じで充実して集中できるのは、フローの領域、つまり「スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時」です。
そのため、自分が退屈していたり、ストレスを感じている時は、自分の手前の目標を調整して、自分がよく機能する状態を、適度なチャレンジを、意図的に創り出し、設定していくことが重要となります。

そのように、日々物事に、適度なチャレンジをもって取り組むことで、私たちの心は充実と適度な緊張を持つとともに、生きるスキル〔技能〕も確実に高まっていくのです。
そして、結果的には、より「複雑で」「高度」な物事を処理できるようになり、最終的には、かなり満足度の高いフロー状態をも生み出しやすくなっていくのです。

◆ゲシュタルト療法とフロー状態

ところでフロー状態を生み出すのに、一番「基礎的な条件」が何かといえば、それは心理的なレベルで十分な心理的「統合」状態に達しているか否かという点です。
心理的なレベルで葛藤や分裂を抱えていれば、いくら上記のような条件を整えても、充分に深いフロー状態に入っていくことに限界があるからです。
ドライブする欲求(感情)がバラバラだったり、ノイズまじりだったりするからです。
逆の言い方をすると、なぜゲシュタルト療法など体験的心理療法を深めていくと、集中力が深まり、パフォーマンスが高くなるのかという理由もここからわかります。
ゲシュタルト療法などを通じて心と体が解放され、内部のノイズ(葛藤)がなくなり、癒(統合)されてくると、私たちの欲求(感情)エネルギーが、ひとつの流れに集中しやすくなるからです。
欲求(感情)に葛藤がなくなり、自分が集中したいものに容易に没頭できるようになるからです。
そして、その結果、このようなフロー体験をかなり意識的に、高頻度に生み出しやすくなってくるのです。

また、適切なゲシュタルト療法が体験された場合、習熟される変性意識状態(ASC)へ入るスキルも決定的な要素です。
変性意識状態(ASC)に入ることに慣れると、意識の流動化が高まり、フロー状態へのより的確に入ることができるようになるからです。

そのような意味においても、当スペースでは、このようなフロー状態とその体験を、人格的統合の達成度合いを見る重要な指標としても重視しているのです。
そして、当スペースの方法論を、フリー freeでフロー flowなゲシュタルト療法と謳っているわけなのです。

 

【ブックガイド】
フローに入りやすくなるための心の解放技法、ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
フロー体験や、変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態が導く広大な世界を知りたい方はより総合的な↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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コチラ

↓動画解説 フロー体験 フロー状態

↓動画解説 変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際


総合サイト案内 能力拡張のマップ


 

 

当サイトは、以下の4つのパートで構成されています。 

 (全体はこちら→サイトマップ)

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

…当スペースの方法論の基礎である、

 ゲシュタルト療法について、解説しています。

 

【PART2 Standard】気づきと変性意識の技法 基礎編

…変性意識状態(ASC)をはじめ、

 ゲシュタルト療法や心理療法を補足し、拡張する、

 重要な視点を、解説しています。

 

【PART3 Advanced】気づきと変性意識の技法 上級編

→より自由な、気づきと変性意識の技法のモデルとして、

 さまざまなトピックを取り上げています。

 

【PART4】フリー・ゲシュタルト・ワークス

→当スペース関係のご紹介となります。

 

…このPART1~3の流れで、

 私たちは、能力と意識を、より高めていくこととなります。

 心 Mindの「守・破・離」の流れになります。

 この背景では、ベイトソンの学習理論なども

 参照されています。


…非日常意識を扱う、方法論的なスタンスとしては、

 「トランスパーソナル心理学」などと、

 重なっています。

 (※サイケデリック〔意識拡張〕体験とは何か。

 グロフ博士のLSD体験と時代背景 インタビュー動画↓)

 http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

 

…心理療法の技法と、変性意識状態(ASC)を、

 活用することで、他にない形で、

 私たちの心身の解放や、意識能力の拡大が、

 実現されていきます。

 自分の中に、

 トランスパーソナル(超個)な次元が、

 開いてくるのです。 

 それは、私たちに生きる意味を教えて、

 能力を大きく解放することとなります。


…ところで、よく勘違いされますが、

 トランスパーソナル(超個的)な意識と、

 個的な実存(意識)は、排除しあうものではありません。

 トランスパーソナル(超個的)な意識は、

 個的状態を透過しているのです。

 それらは併存しているのです。

 それが統合されたトランスパーソナル状態というものです。


…そのため、

 トランスパーソナル(超個的)な体験を深めれば深めるほど、

 それを統合すれば統合するほど、

 私たちは、より「個」としての在り方や充電を、

 鮮烈で豊かなものにできるのです


…その結果、優れたアウトプットの創出や、

 さまざまな豊かな成果を、

 人生で手にすることができるようになってくるのです。
 →セッションで得られる効果と成果

 

 

⑴心理的変容の見取り図

 

【前段】心理的変容の技法 見取り図

…まず、前段(イントロ)として、

 当スペースの視点によって、

 コーチング、NLP、心理療法等の各種の方法論の中で、

 ・ゲシュタルト療法(体験的心理療法)

 ・気づきawareness、

 ・変性意識状態(ASC)

 などが、マップ的に、位置づけられています。


スライド1 (3)

 

⑵セッションで得られる効果と成果

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されるとともに、

 拡張された意識状態(日常意識+変性意識)と、

 優れたアウトプットが、得られていきます。

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されます。

 (以下は、抜粋です)

 

 

▼当スペースで得られる成果

 獲得された方法論(スキル)により、

 ビジネスや日常生活で、まわりの人々をサポートしたり、

 優れたアウトプットを、引き出せるようになります。

 

⑶書籍の案内

 

気づきや統合、変性意識状態(ASC)への、

より総合的な方法論は、拙著↓

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

より詳細な

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧下さい。

 

 

↓動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」

 

※多様な変性意識状態についてはコチラ

↓動画「ゲシュタルト療法 変性意識状態 エクスタシィ(意識拡張)」

 

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

邪魔をしなければ、 音楽は自然に出てくる。



演奏についていえば、
音楽は、
はじめからそこにある。

邪魔をしなければ、
音楽は自然に出てくる。

重要なことは、
邪魔をしないこと。


           あるピアニスト




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ゲシュタルト療法早わかり

さて、
ゲシュタルト療法を
知らない多くの人と接する中で、
「ゲシュタルト療法とは、
どんなものか」
を説明する、
さまざまな機会があります。
また、それを求められます。
 
しかし、
ゲシュタルト療法は、
「個人的体験」を核とするため、
概念的な言語で、
その内容を表現するのは、
なかなか難しいのです。
 
そのため、
多くのゲシュタルト療法家が、
「ゲシュタルトは、
体験してみたいとわからない」
と言って、
説明するのを、
止めてしまうのです。
 
たしかに、
ゲシュタルト療法は、
それを構成する、
世の中の教科書的な項目を、
積み上げて解説すると、
実際のセッションがもつ感覚体験、
遊戯的な即興性や飛躍性に較べて、
死物のような姿になってしまう、
という傾向があります。
 
「ゲシュタルト」(形態)
という言葉自体が、
部分の積み上げは全体にならない
という意味での、
「固有の全体性」を
含意する言葉でもあるので、
各要素ごとの解説では、
情報が断片化してしまうのです。
 
そのトータルな、
本質(美点)が、
伝わらないということです。
 
そのため、ここでは、
ゲシュタルト療法の持つ、
本質的な視点や感覚的なイメージを、
全体像として、
さっと一筆描きのように、
描いてみたいと思います。
 
そのことで、
ゲシュタルト療法の、
全体像が伝わればと思います。
 
 
****************************
 
ゲシュタルト療法の実践を、
構成する素材を、
筆者なりに取り出してみると、
以下のような事柄になります。
これはひとつの塊を見る際の、
角度(多面性)という意味合いです。
 
①心身一元論的・全体論的アプローチ
②気づきの力の重視
③未完了な欲求(感情)への注目
④自発的な表現プロセスへの信頼

⑤変性意識状態(ASC)への移行
⑥他者との交流や、自立的感覚の重視
⑦存在論的な感覚

 

さて、

ゲシュタルト療法では、
人間を、
ひとつの生体の渇望として、
欲求の体験過程として、
とらえていきます。
生物の全身運動を感じ取るように、
心身を一貫して流れる、
欲求の全体性に、
注目するのです。

そして、
クライアントの方の中で、
その流れる欲求が、
内部において、
どのような形で、
阻害されているか、
欲求不満となっているかについて、
注目するのです。
 
また、
同じような欲求不満が、
心身や生活史の中において、
同様な形で表出されている姿を
見てとるのです。
クライアントの方が、
それらをどのように表出させているかを、
見てとるのです。
 
実際のセッションにおいては、
その欲求(欲求不満)の全体を見て、
アプローチを決めていきます。
 
セッションの一番の基本姿勢(技法)は、
クライアントの方自身に、
自分の今の欲求(快苦、不満)に、
刻々「気づいて」いってもらうことです。
今、自分の中に浮上している、
特徴的な感情や感覚に、
気づいてもらい、
焦点化することです。
 
また、
アプローチに際しては、
ファシリテーターが、
クライアントの方自身が気づいていない欲求に、
焦点化することも多くあります。
そのように介入することで、
クライアントの方の中で、
分離していた欲求への気づきが促され、
統合へのダイナミクスが、
生まれやすいからです。
 
また、
ゲシュタルト療法では
クライアントの方の欲求行動の、
速やかな実現を阻害している要因が、
過去に形成された、
欲求不満のパターンにあると見ます。
 
人間は、障害に直面し、
強い欲求不満を抱え込んだ場合に、
時として、
その欲求に関わる、
欲求不満をそのまま(未完了のまま)、
凍結させてしまうからです。
欲求行動の歪みを、
生体の中に、
プログラムしてしまうからです。
(→未完了の体験、未完了のゲシュタルト)
 
その結果、
その後の人生で、
似たような欲求行動に際して、
無意識のうちに、
阻害的なプログラムを、
発動させてしまうことになるのです。
これが、苦痛や葛藤、
能力の制限や生きづらさを、
生む要因となるのです。
 
そしてまた、
ゲシュタルト療法の視点として、
重要なことは、
欲求に関わる課題が、
喫緊のものとして生じている場合は、
クライアントの方の、
心身の表現として、
「今ここ」において、
必ず前景に現れて来ると、
考える点です。
 
生体における喫緊の欲求課題は、
図(ゲシュタルト)として、
知覚の前景に、
現れてくるという考え方です。
 
そして、これは、
クライアントの方の、
内的感覚においてもそうですし、
外面的な身体表現においても、
そうなのです。
 
そのため、
(極端なことをいえば)
クライアントの方の過去の話を、
こまごまと聴いたり、
どこか遠くに、
問題の原因を探しに行く必要も、
ないのです。
 
今ここにおいて、
クライアントの方が感じていることや、
全身で行なっていることを、
注意深く追跡していけば、
未完了の欲求不満(未完了のゲシュタルト)に
必ず行き着くと考えるのです。
 
そして、
アプローチに際しても重要なのは、
クライアントの方の中の、
何かの原因whatを捜し求めることではなく

クライアントの方が、
今ここで、
どのようにhowに行なっているかを、
注意深く見極めることなのです。
そこに、
介入と気づきの糸口があるのです。

 

クライアントの方本人にとっても、

重要なのは、

自分の中の、何か原因whatを捜し求めることではなく、
今ここで、いかにhow、無意識的な欲求パターンを、

反復しているのかに、自分で気づいていくことなのです。

そして、それを変えていくことなのです。

 

ゲシュタルト療法が、
「今ここの心理療法」と言われる所以です。

ところで、
ゲシュタルト療法においては、
そのような阻害的プログラムを解消し、
統合する手法として、
具体的・物理的な、
感情表現・身体表現を、
活用していきます。
 
そして、
それらプログラムの書き換えを、
より効果的に達成するために、
有名なエンプティ・チェアの技法などの、
実演化を利用した手法を使っていきます。
 
そのような実演を通して、
クライアントの方は、
今まで意識できていなかった、
自己の欲求(自我たち)に、
はじめて遭遇することとなります。
気づきを得ることとなります。
 
実演化という表出行為、
外在化の結果として、
クライアントの方は、
より速やかに、
エネルギーを流動化・解放させ、
気づきを得ることができるのです。
分裂や葛藤の統合を、
はかっていくことができるのです。
 
そしてまた、
(グループの場合は)
それらを、
他者との直接的な交流や表現、
相互作用などを通して、
より効果的に作用させていくのです。
 
このことにより、
クライアントの方の、
自律性と、
主体化の感覚が深められ、
ひいては、
能力感や自立感、
存在論的感覚の深化という、
実存的な側面での統合も、
はかられていくのです。
 
以上が、
ゲシュタルト療法の
全体のあらましとなります。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、ゲシュタルト療法の詳細は、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

【関連サイト】

 

ブログ「ゲシュタルトな気づき」

 


【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

 なぜ、ゲシュタルトなのか

メニュー/料金

著作紹介

お問い合わせ

意識的な生の効能

さて、今回は、

自己の限界を超えることと、

意識的な生の効能について、

書いてみましょう。

 

以前、

ゲシュタルト療法と、

アウトプットすることについて、

その関係を書きました。

ゲシュタルト療法の、

ワーク(セッション)の特徴である、

実験的な表現や、アウトプットが、

クライアントの方の、

それまでの人生の中での、

表現の境界を超え、

小さな越境となり、

自己の心理的プログラミングを、

書き換えていくことになる、

という事柄についてです。

 

さて、通常、

一般的な人生においては、

そのような限界を超えていく体験は、

自然発生的に生じます。

(そのため、必ずしも、

機会は多くないのです)

 

それらの多くは、

危機的な状況によるものです。

 

そのような場合に、

人は、事件に背中を押されるように、

行動をせざるえなくなり、

図らずも、

自分の表現の限界を超え、

心理的プログラミングも、

書き換えられることになるのです。

 

しかし、

それらは、大概、

望まれない事件的な出来事において、

生じる体験であり、

いたしかたなく、

受動的に発生する事柄です。

 

意欲的に、能動的に、

達成されるという類いの事柄では、

ありません。

 

そのような意味では、

たとえば、心理学の方法論などを使って、

自己の人格や能力、行動力を、

変化の対象にするというのは、

少し風変わりな、

「方法論的な生き方の取り組み」とも、

いえるものです。

 

そして、それは、

自らの人生を、

偶然任せではなく、

いくらか、

自らの探求的な統制のもとに

置いていこうという、

意欲の表れともいえます。

 

しかしながら、

結果的には、

このような人々は、

成長していきます。

 

日々を漫然と過ごすのではなく、

自己の成長に対する、

意識的な気づきとともに、

あるからです。

 

日々、たえず、

自己の存在と限界に気づき、

それを乗り越えようと努力する、

心の働きとともに、

あるからです。

 

そのような気づきと、

指向性自体が、

人生を濃くし、

人を成長させていくのです。

 

そのような人は、

長い時間軸で見た際に、

人生をぼんやりと過ごした人に較べて、

格段の差で、彼方の地点に、

到達してしまうものです。

 

同じ年齢の人間が、

同じだけの経験値を、

持っているわけではないのです。

その濃度は、

意識的な探求の内圧によって、

大きく変わるものです。

 

これは、

私たちの人生そのものの、

大いなる秘訣であるともいえるのです。

 

そのため、

意識的に生きるということは、

苦労多く、面倒臭いことではありますが、

また、実りについても、

大変豊かなものがあると考えてよいです。




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アディクション(中毒・嗜癖)にひそむ精神性

ここでは、
アディクション(中毒、嗜癖)の探索について、
書いてみたいと思います。

ユング派や、あの種の心理療法の考え方では、
アディクション(中毒、嗜癖)の背後には、
精神的(霊性的)なものがあるといいます。
 
クライアントの方の中において、
アディクション(中毒、嗜癖)は、
深い無意識の渇望を充たすための、
代替物として、便宜的に、
その中毒物(中毒体験)がえらばれている、
と考えるわけです。

催眠療法などでも、
中毒治療のアプローチとして、
中毒体験時(状態)で起こっていると思しき、
体験過程を仮定して、
その欲求を充たす手段を、
中毒物ではない別の代替物に転化させるように、
無意識に対して働きかけたりします。

そして、このような無意識の渇望が求める、
体験過程というものには、
私たちの日常意識の理解しがたい要素や、
精神性が、存在している場合もあるのです。
そのため、無意識は、
嗜癖物を通した変性意識状態(ASC)によって、
それらを、得ているとも考えられるのです。

以下は、そのような嗜癖の背後にある、
無意識の精神的欲求を探っていくための、
ワークです。

これは、その昔、

プロセスワークの、

マックス・シュパック博士に、
教えてもらったものとなります。


◆アディクション(中毒、嗜癖)を扱うワークの手順

①まず、自分の嗜癖である、
あるテーマ(飲酒等)を選びます。

②その対象を、
実際に、体験して(味わって)いる時の、
一連の物理的手順や感覚的プロセスを、
すべて細かく思い出します。
そして、ゆっくりと、それを実演するかのように、
再現して、その体験過程を感じてみます。
今まで、気づかなかったような細部(ディテール)に、
気づいていくことと思います。

③次に、その体験過程の中で、
自分が最も魅力に感じている要素を見つけます。
その感覚体験があるがために、
その嗜癖を求めてしまっている要素です。
どこがもっとも魅惑的な要素なのか、
言葉で表現すると同時に、
より直観的な形で、線や図形としても、
書きとめてみます。

さらに、その要素を、
身体的な動作、例えば「手の動き」にしてみます。
そして、その動きを実演して、体感してみて下さい。
その感覚要素を表すのに、ぴったりとした、
「手の動き」を見つけ出すのです。

④次に、②で行なった手順や体験過程を、
スローモーションで再生するかのように、
もう一度、再現してみます。
その体験プロセス・手順を、
細かく分けて、味わうように見ていきます。
自分の体験過程の諸相を、微分するかのように、
細かく気づいていきます。

(例)中毒が珈琲を飲むことの場合

・お湯を沸かす
・珈琲の豆の袋をひらく
・珈琲の豆をすくう
・珈琲の豆を挽く
・珈琲をむらす
・珈琲をドリップする
・お湯を注ぎ足す
・器に注ぐ
・注がれた珈琲を見る
・器を手に取る
・香りを嗅ぐ
・器に口をつける
・珈琲を飲む
等々です。

実際の手順や感覚体験は、
もっと細かく分けられるでしょう。
そのようなプロセスを、
実演しながら、感覚的な体験過程の諸相に、
気づいていって下さい。

⑤次に再演した体験過程・感覚体験のなかで、
今まであまり気に止めていなかった部分、
気づいていなかった部分、盲点のような部分、
謎めいた不思議な部分を探してみて下さい。

中毒(嗜癖)体験なので、今まで何度も、
反復している事柄ですが、
その中で、あまり気づいていなかった、
未知の部分です。

③で見た部分のように、
表面的にわかる部分ではなく、
隅に引っ込んでいたり、
遠くにあって、不鮮明な部分です。

⑥そして、その謎めいた部分、
不思議な部分というものを取り出して、

③でやったように、
言葉や線や絵を与えてみて下さい。
書き留めてみて下さい。

そしてまた、同様に、
その要素を、身体的な「手の動き」にしてみます。
それを実演してみて下さい。
その要素を表す、ぴったりとした、
「手の動き」を見つけ出して下さい。

⑦さて、嗜癖の体験過程から取り出された、
2つのタイプの「手の動き」が見つかりました。
次に、その「手の動き」を、
探求的に、実演していきます。
その背後にあるものを、探っていきます。
まず、最初の③の手の動きを、
実演してみます。

実演する中で、
手の動きが変わって来るようであれば、
それで結構です。
その本質的な要素が変わらないレベルで、
自然な変化に任せて下さい。
ダンスになるようであれば、
その動きや変化を、展開してみて下さい。

その特性・特徴を味わい、
よく実感して、それが自分にとって、
「何を意味しているのか」に気づいていって下さい。
何が魅惑で、嗜癖的に惹きつけるのかを見つけて下さい。
気づいたことがあったら、書きとめて下さい。

次に、⑥の2番目の手の動きに対しても、
同様のことを行ないます。
その中から出て来るものに気づき、
書き留めて下さい。
 
⑧さて、次に、
その2つの手の動きを交互に行ない、
この2つの要素の関係性を探っていきます。
その両方の動きの感じをよく味わいながら、
2つに共通している要素を、
探り、気づいていってみて下さい。
どこかそれらの本質に、
共通している要素がないか。
探ってみて下さい。
そして、この2つの要素が共存する、
空間・場所・状態がないか、
手に動きや体の動きを、
軸にして、探ってみて下さい。
そのようなものが、見つかったら、
書きとめておいて下さい。
それが自分とって、どんな意味があるか、
時間をとって、考えてみて下さい。

 


…………………………………………………………………

さて、
手順だけでは少しわかりにくいので、
事例として、著者の体験を記してみましょう。

十年以上前ですが、

当時は、珈琲に対して、
大きな(中毒的な?)嗜癖を持っていたので、
テーマに取り上げてみました。

さて、まず、最初の手の動きは、
刺すような、稲妻のような動きでした。

その手の動きは、刺すような、
ジグザグで素早い、ギザギザの動きでした。
それは、筆者が、
珈琲に見出している覚醒感の要素の表現でした。
その覚醒感を求めて、
珈琲を飲んでいるといっていい要素でした。

次は、2つ目の手の動きですが、
それは、筆者にとって、
思いがけないところから、
どこから取り出されました。

さきの④⑤の手順にあるように、
珈琲を体験する際の一連の手順や体験を、
気づきの欠けた(謎めいた)部分を探るために、
何度も反復し、気づきを当てていきました。

すると、ふと、
それまで、意識していなかった、
ある体験過程に、気づいたのです。
筆者は、珈琲をドリップして抽出し終わると、
「一瞬だけ」
ホッとして、安心することがあるのでした。
そして、珈琲をすぐには飲まずにいるのでした。

それは、一瞬だけのことなので、
普段、意識していなかったのですが、
スローで体験を再生してみて、
そんな体験をしていることに、
気づいたのでした。

その「一瞬だけ」ホッと安心する要素を、
手の動きにしていくと、
それは気功のような、太極拳の動きのような、
ゆったりとした静謐な動きになりました。
「まったき平和の空間」
そんな要素が、そこにはあったのでした。

そして、その2つの手の動きの要素を、
交互に織り交ぜて、響かせ合いながら、
共通する要素を探っていきました。
その自然な動きの展開に合わせて、
ヴィジョンを追っていくと、
(閃光のように)
ある感覚的なイメージに導かれました。

それは、刺すような点の感覚と、
広大に遍在する光の空間が、
まったく同時に、
同じものとして存在しているような、
不思議に抽象的な空間でした。

点の存在と、空間の遍在とが、
同時に在るような、
奇妙な空間イメージ・感覚でした。

「点はいたるところにある」
そんなメッセージがやって来ました。

点の(非)局在の中に、遍在は含まれており、
遍在空間は、点(いたるところにある)に含まれている。
というようなメッセージでした。

「ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる」
(寿岳文章訳)

そんなウィリアム・ブレイクの詩句を、

思い出しました。

それは、
「いまここで在ること」と、
「遍在して在ること」をつなぐ、
在り方を示唆するものだったのです。

また、当時、抱えていた身体症状に関連して、
無意識の深いに訴えかけて来るような、
メッセージだったのでした。
 

…………………………………………………………………

さて、このワークは、
実際的な効果も持ちました。
それは、以前、珈琲に感じていたような、
強迫的な渇望感がなくなったということです。
余裕をもって、その肯定的な体験を味わえる、
嗜好品になったのです。

つまり、珈琲は、筆者の心身(無意識)の中で、
今ここの感覚的鋭さと、
遍在性を結びつけるという直観の、
媒体物(代替物、ドラッグ)として、

存在していたのでした。

そして、
そのことに、気づきが得られたことで、
以後、珈琲は、嗜癖的な呪物から、
単なる感覚的ヒントをくれる嗜好品に、

変わったのでした。

 

 

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心理学的に見た「チベットの死者の書」

50死者の書


『チベットの死者の書』という有名な書物があります。
チベット仏教のカギュ派の埋蔵教(偽典)として知られる書物ですが、この本は変性意識状態(ASC)をはじめ、ゲシュタルト療法や体験的心理療法、深層心理学のことを考える上でとても参考(モデル)となる本です。
心理学者カール・ユングは、本書を座右の書としていたと言われていますが、筆者も各種な強度の変性意識状態(ASC)を経験した者として、本書で示されている構造や原理をさまざまなヒントとしてきました。

ここでは、その「チベットの死者の書」を、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリーらが、心理学的にリライトした『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience 』(邦訳『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 八幡書店)をもとに、その内容を色々と見ていきましょう。

◆バルドゥ(中有)と心の深層構造

まず、「死者の書」が何について書かれた経典(本)であるかというと、それは「人が死んでから、再生する(生まれ変わる)までの、49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)のことが書かれている経典(本)である」ということです。

人間が生まれ変わることが、前提となっているというわけです。ただし、この前提は、この経典(本)を読むにあたってあまり気にしなくともよい前提です。
というのも、語られている内容は、(確かに死に際して)心の底から溢れてくる現象(設定)ということになっていますが、それは、人間の心の構造に由来する普遍的な現象であると考えることができるからです。
必ずしも臨死的な状況に限定しなくとも、心の深層領域が発現している事態と解釈することができるからです。
「チベットの死者の書」に描かれている世界は、生きている私たちにも同様に存在している深層心理の世界だといえるからです。
だからこそ、この「死者の書」は、心の広大な領域を探求する人々を魅惑し、広くよく読まれていたというわけなのです。

ところで、心理学者のティモシー・リアリーたちが、この経典(本)をリライトした理由があります。
当時は、薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
の研究がはじまったばかりの時代でした。
薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
おいては、私たちの非常に深層のところにある心理的・生理的・生物的次元の事柄が、意識の表層に溢れ出してきます。
しかし、実のところ、その体験で「何が起こっているのか」あまりよくわかっていないという状況でした(現在でさえ充分にわかっていないのですから、当時の混迷ぶりは容易に想像がつきます)。
そのような状況下において、「チベットの死者の書」の内容が、正体不明のサイケデリック体験(の内容)に対して、一定の理解を与えてくれると感じられたためでした。
リアリーたちは、サイケデリック体験の内容と「死者の書」で描かれている体験とは、「同じ深層心理」の現れと理解したのでした。
そして、それも実際のサイケデリック・セッションに「役立つ」という実践的な面もあったのでした。

また別の見方をすると、リアリーらの西洋文明の視点からだと、サイケデリック体験で起こる心的現象をなかなか一貫した形で説明できなかったのですが、「チベットの死者の書」はその事態に対して、ある種堅固な世界観を与えてくれる面もあったのでした。

以上のような理由からも、この「チベットの死者の書」は、特異な臨死現象や宗教的な信念体系を語っている経典というだけのものではなく、私たちの「深層心理の世界」を理解するのに参考になるテキストとしても読むことができるということなのです。

ところで、この経典がどのような「形式」をとって書かれているかというと、たった今死んだ死者に向かって「語りかける言葉(声かけ)の形式」となっています。
その死者が、見ているだろうものを告げ、描写し、アドバイスを与えるという形式になっているのです。

「聞くがよい、○○よ。今、お前は、○○を見ているであろう」という感じです。

ところで、「死者の書」では、死んだ魂(死者)は、死んだ後に3つのバルドゥ(中有)を体験し、生まれ変わるとされています。

しかし、経典(本)の中心のメッセージは、
「さまざまな無数の心惹く像が現れてくるが、それらにとらわれることなく、本当の眩い光明を、自己の心の本性と知り、それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、解脱が達成されて、生まれ変わり(輪廻)から離脱できるであろうというのです。

そのため、死者が移行する3つのバルドゥ(中有)について、刻々と諸々の事柄が語られますが、それは、解脱できなかった者たちに対して、このバルドゥで、自己の(心の)本性ををとらえて解脱せよという意味合いの語りなのです。

◆3つのバルドゥ(中有)

さて、死者は、死んだ後に以下の3つのバルドゥを順々に体験していきます。

①チカエ・バルドゥ
→超越的な自己の世界
→法身

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

さて、この3つのバルドゥは、心理学的には、心の深層から心の表層までの3つの階層(宇宙)を表したものと見ることができます。死後の時間的遷移を「逆に」見ていくと、この構造はわかりやすくなります。

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

の世界は、再生(非解脱)に近い、最後の段階です。
その世界は、もっとも身近な私たちの自我の世界です。通常の心理学があつかっているのもこの世界です。リアリーらの死者の書では、とらわれの自我のゲームを反復してしまう世界として描かれています。サイケデリックな体験の中でも、低空飛行している段階で、日常の自我のゲームが再演されている状態です。

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

の世界は、心の深層の世界、私たちの知らない深層世界がダイナミックに滾々と湧いてくる世界です。死者の書では、膨大な数の仏(如来)たちが現れてきます。濃密な密教的な世界です。心の先験的とも、古生代ともいうべき、ユング心理学でいう「元型的な世界」です。系統樹をさかのぼるような世界かもしれません。(サイケデリック体験などでは、系統樹をさかのぼり、自分が爬虫類などに戻る体験を持つ人もいます)

①チカエ・バルドゥ
→根源的な世界
→法身

は、根源的な、超越的な自己の世界で、上の2つの較べて、空なる世界に一番近い世界です。
ある面では、心理学の範疇には入らない部分ともいえます。ただ、そのような始源的な世界(状態)を仮定することはできます。
リアリーらはこの状態を、ゲームの囚われから解放された、自由の、自然の、自発性の、創造の沸騰する世界と見ます。それでも、充分有効なとらえ方と言えます。

そして、バルドゥ(中有)の現れ方の順番でいうと、死後に一番最初に出会うのが、この「根源の光明(クリアーライト)」の世界なのです。

ところで、「死者の書」の中では、それぞれのバルドゥでは、仏(如来)=「光明」が2つずつ現れてくるとされています。
恐れを抱かせるような眩い光明の如来と、より親しみを感じさせるくすんだ光明の如来の2つのパターンです。

そして、経典は告げます。
恐れを抱かせるようなより眩い光明が、根源の光明であり、それを自己の(心の)本性と見なせと。根源の光明に共振し、同調し、同化せよ、と。そうすれば、解脱できるであろうと。
そして、親しみ深い、よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、そちらには向かうなと告げます。解脱できないからだと。
ただ、多くの人は、この後者の光明に向かってしまうようです。
そのため、解脱できずに、次のバルドゥに進んでしまうのです。

◆経過

さて、死者は、このような3つのバルドゥを経過していくのですが、ティモシー・リアリーは、サイケデリック体験における、この3つの世界の推移の仕方についておもしろい喩えを使っています。サイケデリック薬物の効き方であると同時に、心の構造について示唆の多いことです。それは、各体験領域の強さ(強度)の推移変化は、高いところから地面にボールを落とした時の「ボールの弾む高さ」(の推移変化)に似ているということです。

通常、落ちてきたボールは、最初のバウンドで高く弾み上がります。2度目のバウンドではそれより少ししか弾みません。3度目のバウンドではさらに少ししか弾みません。

つまり、サイケデリック・トリップの初発の段階が、重力(自我)から解放されて、一番遠くのチカエ・バルドゥまで行けて、次にチョエニ・バルドゥまで、次に、シパ・バルドゥまでと、段々と日常的な心理的に次元に落ちてきてしまうという喩えです。

この喩えは、私たちの心の構造や、心の習慣、可能性を考えるのにも、大変示唆の多いものです。

2つの光明の喩えといい、私たちの中には、大いなる自由に比して、慣習と怠惰に惹かれていくというおそらく何かがあるのでしょう。

 

◆変性意識(ASC)の諸次元として

さて、「チベット死者の書」の世界を、心の諸次元の構造として見てきましたが、この世界は、死の体験や薬物的なサイケデリック体験を経由しなくとも、色々な変性意識状態の中で、さまざまにあいまみえる世界です。このモデルをひとつ押さえておくことで、心理学的な見方のさまざまなヒントになっていくと思われるのです。

 

※関連記事
「サイケデリック体験とチベットの死者の書」
 この二種類の如来についての仮説は、
「リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識状態」
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

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※ジョン・レノン(ビートルズ)が、LSD体験や、この本にインスパイアされて、
Tomorrow Never Knowsという曲を創ったのは有名なエピソードです。




 




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未来からの未完了の体験

ここでは、

「未来からの未完了の体験」

ということについて、

見てみたいと思います。

 

しかし、これは変な言い方です。

 

過去の出来事によって、

未完了の欲求不満が生じ、

未完了の体験が生まれるのに、

未だ存在しない未来の体験から、

未完了の体験が生ずるとは変な話です。

当然、これは、ひとつの喩え話です。

 

ところで、よく、ゲシュタルト療法の中では、

未完了の体験がなくなったら、

どうなるのかという問いかけがあります。

 

教科書的な答えは、

過去の未完了の体験に妨害されることなく、

「今ここの、ありのままの現実を体験できる」

というものです。

 

これは、程度の問題はありますが、

実際、そのようなことが起こってきます。

セッションでの取り組みを通して、

私たちの中で、ざわめくさまざまな心的ノイズが、

消失していくに従い、

より直接的に、ダイレクトに、

「現実」を感じ取れるようになっていくのです。

 

しかし、一方、

人生経験の中では、常に、

新しい未知の事態に直面していくものなので、

そこで葛藤は生じ、

それほど酷いものではありませんが、

軽度な未完了の体験(ゲシュタルト)は、

多かれ少なかれ、

創られ続けていくのです。

 

それは、ゲシュタルト療法の、

標準仕様の姿なのです。

 

しかし、ここでは、

もっとその先にある、

心の、大きな全体性という視点から、

生じて来る、未完了のゲシュタルトについて、

考えてみたいと思います。

 

ところで、実際、長年、

ワーク(セッション)を繰り返して、

心を掘り進んでいくと、

少し毛色の変わった、

「未完了的なテーマ」らしきものが、

浮上してくるというは、

あることなのです。

 

そのテーマの性質や姿は、

単純な過去の出来事に起因するのとは

違うタイプのものです。

過去の生活史を探ってみても、

その事実の中に、

その痕跡をつかまえることはできません。

単なる未完了の事柄とは、

違った印象を受けます。

 

さて、どうやら、

私たちの秘められた心とは、

より深部に潜めている、

全体性・完全性を、

実現しよう、成就しようという、

強い欲求を持っているようなのです。

 

そのため、

過去の人生にあった、

未完了の体験を完了(無く)していくと、

今度は、さらに違ったレベルの、

心の全体性を、

実現したがりはじめるのです。

 

未来の心の全体性が、

現在の人生の中に、

押し入り、侵入して来るかのようです。

それは、心の、

ダイナミックで、

創造的な側面ともいえます。

 

拙著の中では、

このことを、

人生の中に現れて来る、

「夢の力」として、

重要な事柄として取り扱っています。

 

そのため、

当スペースでは、

未完了の体験を完了させていくと、

今度は、心は、次の、
「より大きな未完了(完全性)を、

引き寄せるだろう」とします。

 

そのことは、

徒労感を感じさせるでしょうか?

しかし、 

それは、創造的で、

エキサイティングな事柄なのです。



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 【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【第四部 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

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火と大地の意識 ノヴァーリス・コンプレックス

さて、

拙著『砂絵Ⅰ』において、

私たちの存在を完成させていくのに、

必要となる、

「火」と「大地性」について、

触れました。

内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』


「火」は、

神話における、

「神の火」を盗む行為などに見られるように、

人間的次元を超えたエネルギーを、

表象しています。


また、別のところでは、
鈴木大拙の「大地性」について、
触れました。
 
「大地」というものは、
私たちの存在を、

受肉し、根づかせ、
私たちを、
より実在化・実体化させるための、
半身のように、

重要な統合的要素です。
 
それなくては、
存在の成就が起こらない、
大切な要素です。
 
ここでは、

そのような、

「火」と「大地性」について、
別の象徴的な角度から見て、
私たちの存在を深化させる、
別種の方法論を、
考えてみたいと思います。
 
ところで、

フランスの哲学者、
G・バシュラールが、

批評に使う概念のひとつに、
「物質的想像力」
というものがあります。
 
彼は、

私たちの想像力には、
その基盤となるような、
存在的な基底があると、
仮定したのです。<

そして、
その傾向性を、
作家の想像的世界のタイプから、
ギリシャの四大元素に分類しました。

つまり、

火、風、水、大地です。
 
さて、

ところで、

そのようなバシュラールの著作群の中に、
「火」と「大地性」についても、
不思議な結びつきについて、
言及している作品があります。
 
『火の精神分析』(せりか書房)で

扱われている、
ノヴァーリス・コンプレックス、

というものです。
 
ノヴァーリス・コンプレックスとは、
バシュラールが、
ドイツ・ロマン派の詩人、
ノヴァーリスの作品の中に見出した、
火と大地性に関係する、
ある力動的なイメージです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリスの作品の中に現れる、
鉱物的なイメージや、
それにまつわる、

〈熱〉の性質のあり様を追いつつ、
火と大地の交わりにおける、
摩擦や、熱、性愛(愛)、
原初の火の直観、
幸福の始原など、
そこに付随する重要なテーマを、

見出していくことになるのです。


そして、

つまりは、
「青い花」とは、
実は、
赤いのである、

と結論づけたのです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリス本人の言葉を、

引きます。

「あなたは、
わたしの物語の中に、
光と影の戯れに対するわたしの反感と、
明澄で熱く

しかも
滲透的なエーテルに対する希求とを、
みてとることができましょう」と。
(『火の精神分析』前田耕作訳/せりか書房)
 
さて、

そのような、
ノヴァーリス・コンプレックスの中に、
見者であるノヴァーリスの、
大地を母体とした、
意識(透視力)拡張の技法、
それらを統合する、
再生(生成)のヴィジョンを、
見ていくことができるのです。


それは、

ノヴァーリス自身が、
許婚の死や、

それと関連した神秘的体験、
夜の彷徨の果てに
深化させていった幻視とも、
いえるものです。
 
そして、

バシュラールの指摘する、

ノヴァーリスの詩的性格、

つまり、

「そのポエジーとは、
『原初性』を追体験する努力である」(前掲書)
を読み込んでいくと、

私たちは、そこに、

ノヴァーリスの、

ある種のグノーシス的な性格をも、

読み取れるように、

思われるのです。


彼は、自分の思想を

「魔術的観念論」と、

呼んでいます。


例えば、

「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」などは、

どこかで、

ユングのグノーシス的なテクスト、
『死者への七つの語らい』における、
原初の神性プレローマと、

物質的・創造的なクレアツールとの、
交錯を思い出させたりもするのです。
 
そこにおいては、
透明に浸透する、姿なきプレローマは、
物質的なクレアツールの中でこそ、
受肉し、個となり、
物体化し、

存在を、成就することが、

できるものとなっています。
 

そして、

さらにはまた、

このような要素(象徴的属性)は、

心理学的な世界においては、

S・グロフ博士の唱える、

分娩前後マトリックス(BPM)の、

そのフェーズⅢの段階を、
思い出させる要素でもあるのです。
 
グロフ博士の、

分娩前後マトリックスとは、
ブリージング・セラピーの項で紹介したように、
私たちの心の奥に潜む、
出生の時の記憶です。
そして、
「分娩前後マトリックス(BPM)Ⅲ」とは、
胎児が産道を通って、
彼方に脱出(生誕)しようという状況であり、
「火山的エクスタシィ」が

体験されるともいう、
摩擦的な熱い状態でもあるのです。
 
そして、そこには、
ある種の覚醒感、
「明澄で熱くしかも

滲透的なエーテルに対する希求」
があるのです。
 
ところで、

グロフ博士は、
分娩前後マトリックスに関して、
その元型な内的体験の世界を、
芸術的に表現してる画家として、

H・R・ギーガーについて、
よく言及しています。
 
BPMⅢ的な側面だけを取り上げても、
ギーガーの絵画には、
ノヴァーリス・コンプレックスにみられる、
硬質性、胎内性、エロス、熱狂、火、恍惚が、
数多く描かれています。

しかし、それでいながら、
興味深いことに、

その絵画の奥には、
「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」

の幻視が、
感じ取られたりもするのです。
 
このようにして見ると、
一般的には、
一見「天使的な」ノヴァーリスと、

通俗的には、
一見「悪魔的な」ギーガーとが、
大地(胎内)の中における、
火の目覚め(意識)という点において、

ともに、

共通する要素を持つ幻視家であることも、
感じられて来るわけです。
 
そして、

このことは、
シャーマニズム的な見地からも、
また、
夢見(エクスタシィ)の技法からしても、
さまざまなヒントを、
投げかけてくれるものと

なっているわけなのです。


関連記事

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

 


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なぜ、ゲシュタルトなのか 出会いと選択

 さて、クライアントの方に、(世界ではスタンダードなのに)日本ではまだまだマイナーなゲシュタルト療法を、私自身がどのように発見し、なぜメインの方法論にしたのかと聞かれることがあります。数ある方法論の中から、ゲシュタルト療法を選んだ理由といきさつです。
 そのような時、そこに至った経緯をいろいろとお話をするのですが、その話が、ゲシュタルト療法の特質をクライアントの方に理解いただく参考になるということがわかりましたので、ここでは、私自身が「どのようにゲシュタルト療法を発見したのか」「どこにメリットを感じたのか」また「自分の変容を起こすことになったのか」を少し書いてみたいと思います。


【内容の目次】

  1. 人生の変化/変容(突破口)を求めて
  2. 心理学・心理療法に関して
  3. 体験的心理療法―その周辺の探索とマップ(地図)
  4. 人生の基盤を拡張する方法論としてのゲシュタルト療法
  5. 「実際的・実効的」な方法論としてのゲシュタルト療法
    (1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ
    (2)変化の進捗をコントロールできる
    (3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる
    (4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ
    (5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ
    (6)知覚や意識のわかりやすい変容体験

①人生の変化/変容(突破口)を求めて

 さて、ゲシュタルト療法との出会いは、その昔、自分の能力や創造力に限界を感じて、それらを開発する効果的で明確な方法論がないかと、体験的心理療法の手法を色々と探している最中に起こりました。
 その当時、仕事面においても、ライフワーク面(創造的活動)においても、自分の能力・創造力に大きな行き詰まりを感じて、突破口を探している時期でした。会社の配置転換なども不本意で、仕事では日々人生の時間を無駄にしていると焦っている状況でした。このまま毎日、同じようなことをしていても人生に変化がない、突破口がないと感じていたのでした。
 ただ、他人や環境を当てにしていては、状況を打破できないこともわかっていました。自分で状況をなんとかするしかなかったのです。そのためにも自分の能力や創造力自体を、もう一段ブレイクスルー(飛躍)させる必要をどこかで感じていたのでした。
 また、当時は、時代の変化の時期、インターネットが急速にひろまっていく時期でもありました。社会インフラとしてのネット普及が起こり、人々のコミュニケーションの形態が変わりはじめてもいました。
 そんな中で、それまで従事していた既存の業界や事業、既存のスキルが、みな急速に陳腐化し、無価値になることも予想されました。自分が苦労して得たわずかばかりのスキルでさえ、未来の世の中ではもうなんの役にも立たなくなる。本来寄りどころとなるべき自分のスキルでさえ藻屑のように消えてしまうということが予想されたのでした。
 そのような暗い閉塞感を見通した中で、色々と考えたのでした。このさきもやってくる技術の進歩や社会環境の変化に左右されずに、人間に普遍的な価値を持つ、原理的なスキル・能力とは何だろうか? そういうものを得られないかと考えたのでした。先の見えない行き詰った状況の中で、強い焦燥感に駆られていたのでした。

 また一方で、わずかですが、体験的心理療法の経験や変性意識状態(ASC)の体験もあったので、頭で考えるだけの方法論(知識学習、資格取得など)では、本当に人生を変える方法論にはならないということもわかっていました。それらは自分の能力や創造力を根本的なレベルで開発するものではないので、本質的な飛躍を起こせないということもわかっていました。また、実利的な資格取得や知識学習は、後からでも間に合うものだったので、優先順位の後にくると考えられたのでした。何よりもさきに行なわなければならないのは、実際的な能力・創造力といった人間としての底力を開発し獲得することだったのです。

 そのため、考えたのは、能力や創造力を生み出す基盤である自分の心(感情や感覚、意識や性格)に直接的に作用し、その構造やプログラムを変える方法論でした。そのような心理学(心理療法)に近い方法こそが、自分に抜本的な変化を起こし、現状を打破できるものだろうと考えたのでした。(当時は今よりもトランスパーソナル心理学などに関する書物も多く、ヒントも多かったのでした)
 つまりは内的な変化、能力の開発や自信・確信の獲得こそが優先されたのでした。それを一秒でも早く、(年齢が少しでも若く)心の可塑性の高いうちに手に入れて、心の基盤づくりにしたいと考えたのでした。

②心理学・心理療法に関して

 ところで、後にゲシュタルト療法を発見するわけですが、そもそも心理学自体には十代の頃から関心があり、フロイトらの精神分析や精神医学の書物などは早くから読み漁っていました。自分の心を探索するヒントがあったのでしょう。大学の学部選択としても一時考えたこともありました。実際、後の大学の講義などでは、精神分析の対象関係論やメラニー・クラインについて、非常に深いレベルで語れる教授などもいて、そこではさまざまな恩恵を得ることにもなりました。
 しかし、その時にも、すでに感じとっていたのは、「解釈」を主とする心理学というものは、心の実体にあまり影響を与えられないということでした。解釈的な言語は(なるほど何かをわかったつもりにはなりますが、その実)、心の実体に対して解離した言葉(抽象)をつむぐだけであり、解離(分裂)を深めこそすれ、心に直接触れたり、心自体を変えることには役に立たないということでした。理論のお話は、実体(実在)ではなく、あくまで代替物(抽象)でしかなかったのでした。心を変えるには、もっと直接的に心に作用するような実践的(介入的・実在的)な方法論が必要だと思われたのでした。

③体験的心理療法―その周辺の探索とマップ(地図)

 そのような経緯もあり、より実効的な心理学としてさまざまな体験的心理療法の周辺を探索することになったのでした。そして、実際の体験を通じて、その方法論の世界(諸流派)の実態が、マップ(地図)のようにわかってくることになったのでした。そのあたりは下記ページでも触れているのでご参考下さい。
「ゲシュタルト療法 背景/文脈」

 ところで、体験的心理療法の中には、たしかにブリージング(呼吸)・セラピーのように非常に強力に心身に作用し、強度な変性意識状態(ASC)をつくり出すことで、人間の深層プログラミングを書き換えてしまうものがあります。たしかにその体験は、私の人生を一変させました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照

 しかし、その変容効果を、普段の仕事(日常生活)での能力として、実際的にどう活用するかというと、それは日常的な「自我の領域」と少し距離があるものでした。つまり、効果の働く領域が深層的すぎるため、日常的な自我の領域で、すぐに実用的なイマジネーションや自我の能動性に結びつくというものではないのでした(当然、心理的な癒しや解放感は巨大なものなのですが)。

 また、コーチングやNLP(神経言語プログラミング)は、体験的心理療法に較べると、心のプログラミング変更を起こす点では威力の弱いものでした。その場ではなんとなくその気にはなるのですが、心のプログラミングを書き換えるような深さ(仕組み)は持っていませんでした。私が欲していたのは、自己の限界を打破し、能力を拡張するために心理プログラミングを恒久的に書き換える方法論だったのです。

 つまり、どのような方法論も、私が当時欲していたように心の限界を掘り出し、改善し、能力・創造力を発掘するための技法としては不十分だったのでした。もっと適切なバランスをもった方法論が求められたのでした。

④人生の基盤を拡張する方法論としてのゲシュタルト療法

 そのような暗中模索・試行錯誤の中で、「ゲシュタルト療法」に出会ったのでした。ゲシュタルト療法も、心理療法の世界では有名な(古典的な)ものなので、名前や外観のイメージだけなら非常に早い時期から知っていました。しかし、何を行なうかはそれとなくわかっていても、いまひとつ「効果のイメージ」がつかなかったため後回しにしていたのでした(そんなロープレめいたことをやってもあまり効果がないと思っていたのでした)。

 しかし、機会があってそれを体験した時に、(予想とは大きく違って)これこそが自分が探していた方法論に最も近いのではないかと感じられたのでした。ここに、人生を変える鍵があるのではないかと直観したのでした。

 そのくらい、ゲシュタルト療法はその場で分かる速効的で爆発的な効果があったのでした。自分のプログラムが書き換わる変化をその場で意識的に体感できたのでした。また、(ゲシュタルト療法の中ではその状態を説明する理論を持っていませんが)その軽微な変性意識状態(ASC)に入る様にも強い感銘を受けたのでした。変性意識のせいで、普段は気づけないような深いことに気づけたり、普段は決して(恥ずかしくて)表現できないような新しい表現を開発することもできたのでした。その魔法のような意識拡張にインパクトを受けたのでした。

 そして、それは実際結果的に、当時私が感じていた人生の諸々の行き詰まり―能力や創造力、意識や感情、心の限界―に対する〈突破口〉となっていったのでした。いざ集中して取り組んでみると、それはまるで「奇蹟のような」効果を発揮し、自己の能力を根本的なレベルで解放する方法論だとわかりました。また、期せずして出てきた心の深い部分の悩みやトラウマを癒すことにもなったのでした。

 最初の一年の取り組みが終わった時、自分で振り返って「能力前年比300%」と評価し、ノートに記しました。そのくらいに爆発的な変化があったわけなのでした。また、前段で書いた、社会の環境変化に左右されずに価値を持つ普遍的なスキル・能力という側面についても、ゲシュタルト療法はそのような人間の基盤的な能力・創造性を、深く覚醒させ、利用可能なものにする方法論であることが確認されたのでした。
 (変性意識状態を経由して)心の深い底から潜在能力を引き出す技法やセッションを具体的に持っていたからでした。そして、その結果として、自分の思考力、想像力、感情の自由、統合力、集中力、心身エネルギーのすべてが解放され、バージョンアップしたことがわかったのでした。目覚ましい自己刷新が起こったのでした。

 結局、最初にゲシュタルト療法を学んだ団体(旧東京ゲシュタルト研究所)では、週1回行なう継続クラスに4年間通い(4年間毎週!)、別に月2日のトレーニング・コースは2年間履修することになりました(それにはさらに別の単発のワークショップを200時間受ける条件がありました)。それくらい熱中して入れ込んだわけです。
 その後も別団体でトレーニング・コースをさらに2年間履修したり、さまざまな団体や来日講師のワークショップに参加することを繰り返し、飽かずに探求をつづけたのでした。
(後年わかったことは、ゲシュタルト関係者の中でも、私のように集中的で膨大な時間をゲシュタルト療法に投入したという人は少なく、その点が、私のゲシュタルト体験や理解を深いものにしているという点でした。また複数の団体、多数のファシリテーターから学んだ結果、多様多彩なゲシュタルト療法のタイプを経験できたことも幸いしました。その中で、古典的なゲシュタルト療法の限界もよく理解できて、その欠点を克服した「進化型のゲシュタルト療法」を組み立てることができたからでした。その点が、複数のゲシュタルト療法(ファシリテーター)を経験しているクライアントの方々に、私のゲシュタルト療法が「深い」「変容を起す」といわれる理由にもなっていると思われるのです。ですので、ぜひ、実際に体験してみて、他のファシリテーターの方のセッションと、私のセッションの違いを実感してみていただければと思います。また、純粋にゲシュタルト療法が知りたいという場合も、なるべく数多くのファシリテーターを体験することをお勧めします。ゲシュタルト療法は、そのファシリテーターによって内容がまったく違うものになるからです。「普通のゲシュタルト療法」というものは存在しないからです)

 そしてさらに、そんな取り組みを通して(まったく予想外のことでしたが)、変性意識状態(ASC)の作用でトランスパーソナル(超個的)な体験領域も開くこともわかったのでした。これは、古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはない事態でした。しかし、ともに学ぶ仲間や先輩たちの身の上にも多く生じていたことでしたし、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーなども気づいていたことでありました。つまり、ゲシュタルト療法の心身一元論的な統合を深めていく姿勢は、最終的に、心身一元論的な状態をさらに超える超越的な領域(トランスパーソナルな本質)につながる要素も持っていたのでした。

 そのため、このゲシュタルト療法の習熟を意図的に深めることは、心の不屈の基盤づくりに役立ち、さらに自分の地力としての才能や創造力を高める能力開発としてとても役立ったのでした。


⑤「実際的・実効的」な方法論としてのゲシュタルト療法

 ところで、私自身は、ゲシュタルト療法以外にもさまざまな体験的心理療法、プロセスワーク(プロセス指向心理学)、NLP(神経言語プログラミング)、コーチング、シャーマニズム、野生の気づきの技法(訓練)、各種の瞑想技法など多岐に渡る方法論を数多く学びました。(特に、プロセスワークは10年以上に渡って、先生や仲間たちからさまざまな事柄を学びました。来日時のミンデル博士とデモンストレーションしたことも楽しい思い出です)
 それに加えて、他にも多様で深遠な変性意識状態(ASC)を数多く実体験、遍歴してきました(拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』参照)。

 しかし、人々に(他人に)、実効性の高い方法論としてお勧めする技法としては「(進化型の)ゲシュタルト療法」を選んだのでした。
 それは何故かというと、端的に「一番効く(効果的)」からでした。普通の日常生活にフォーカスし、そこで創造的な成果(アウトプット)を出していくという現実的な効果の観点(操作性)からすると、クライアントの方に変容を起し、習得(獲得)してもらう方法論としては、ゲシュタルト療法は最終的なレベルで、最強(最適)の方法論だと考えられたからでした。

 ゲシュタルト療法は、(クライアントの方のニーズに合わせて)対応できる自由度がきわめて幅広く、かつ深いものであったのでした。心の解放(流動性)と変容(統合)を進めるシンプルな原理(プロセス指向)や、意識拡張(変性意識)の方法論として、万能キーのように使えるモノだったのです。また、実践面での自由度も非常に高く、古典的・教科書なゲシュタルト療法理論を離れて、進化した他流派の理論にそって実践セッションを行なうこともできるのでした(たとえぱプロセスワーク風に)。そのため、すでに他流派で学習を深めた人にとっても、矛盾なく学んでいただけるものとなっていたのでした。

 さて、そのような紆余曲折を経て、最終的に「人生のマスター・キー」としてのゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)を「フリーゲシュタルト」として自分の方法論としてご提供することにいたったのでした。

 さて、では、ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)は、世の中の他の方法論と較べて、どのような点で、自由で効果的であるのかをいくつか挙げてみたいと思います。

(1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ

 ゲシュタルト療法は、通常のコーチングやカウンセリングと較べると、「格段に深く」心理的変容を起こし、またプログラミング修正できる方法論です。しかし、同時にその変容の度合いを、クライアントの方がセッションの中でご自分で調節できるのです。「やりたいことだけをやる」「選んでやる」ことで、変容の強弱を調節していけるのです。無理のない安全な範囲で確実にすばやく変容をつくり出すことができる方法論となっているのです。

(2)変容の進捗をコントロールできる

 また、そのように個々の変容の量を調節できるため、長い期間に渡って取り組む場合でも、自分が変容していく量を自分でコントロールできるのです。あまり急がずに(また逆に急いで)、できる範囲内で着実に変容を定着させながら、プロセスを進めていけるのです。その継続的な変容の推移を管理していけるのです。変容の航海をコントロールしていけるのです。

(3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる

 多くの心理療法は、セッションで、クライアントの方が体験した内容を教科書に合わせて、解釈することととなります。「このことにはこういう意味がある」「あなたは○○である」等々です。これがしばしば、抑圧的なものになり、統合や変容を阻害することになりがちです。

 しかし、本当のゲシュタルト療法は、そのような一義的な解釈の有効性を信じません。クライアントの方自身が、ご自分で自己の体験の意味を納得的して決めることに意味(効果)があると考えているからです。そのことで、ご自分の進化の里程標をご自身で感じとり、統合的を進めることができるのです。

(4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ

 別に「ゲシュタルト療法 背景/歴史的文脈」で触れましたが、ゲシュタルト療法は、業界でも数少ない心身一元論的なセラピーなので、心とからだを総合的にあつかっていくことができます。このことが、パワフルでエネルギーに溢れた統合状態をつくり出すことに最適なバランスを持っているのです。肉体が物理的にエネルギーを高めることも、効果をわかりやすく楽しく実感できるポイントになっています。

(5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ

 ゲシュタルト療法は、効果が心身一元論的で直接的なため、人間の積極性、能動性、自信、知覚力、集中力、想像力、思考力、心身の感度、他者とのコミュニケーション能力など、人間のもつ基盤的な能力をダイレクトを高める効果があります。そのため、日々の実際的な仕事を行なう上での基礎力全般(パフォーマンス)を高めることになるのです。さまざまな生活上の課題に対しても、的確にテーマを絞ってそこに解決をもたらす能力(問題解決力)が高まるのです。その意味で、生きる上でのとても実利的な効力を持っているといえるのです。

(6)知覚や意識のわかりやすい変容体験

フリッツ・パールズがすでに「小さなサトリ(悟り)」のような用語でも表現していたように、ゲシュタルト療法のセッションでは「鮮明な知覚拡大の体験」やアーハ体験があります。そして「風景の見え方が一変した」「物の色彩や輪郭がチカチカと鮮やかに見える」「意識が拡大した」「セッション中に不思議な映像が見える」「身体感覚が変わった」等々、数え上げられないくらい多様な感覚変容の体験があります。これは、普通の人生(日常生活)では決して体験しないものであり、セッションでのわかりやすい効果となっています。なぜ「このような現象が起こるのか」と知覚変容の原理を理解することで、自分の心理的統合や創造的なアウトプット方法に対してもわかりやすく理解が進むこととなっているのです。つまりは、感覚変容を応用利用できることとなっているのです。

 また、これは古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはないことですが、進化型のゲシュタルト療法では、セッション(ワーク)に習熟するに従い、変性意識状態(ASC)にコンタクトできるスキルも上がっていきます。これは、人間の意識を拡大し、創造力を開発するのに決定的に役立つ要素となるのです。潜在能力を自在に引き出すコツがつかめてくるからです。当スペースが〈流れる虹のマインドフルネス〉として、この部分(変性意識と創造性)を強調しているのはそのためでもあります。

 以上のような特性を持っているがゆえに、ゲシュタルト療法は、変容の方法論としては、最適なものとなっているわけなのです。特に現代社会のように、技術的・経済的・メディア的に環境変化や変動が多い時代に、自分の中から普遍的な能力や創造力を引き出す明確なスキルを持っていることは、生きる上でとても重要なことと思われるのです。
 実際のところ、現代では多くの人が、次々現れてくる技術的進歩や機器、メディアに右往左往して、終始周りに流されているような状況です。そのようなことでは、自分の中から真の創造力を引き出すことなどできないのです。そのような環境の中でブレない「自分の中心」や「自分の場所」を持っていることは、とても重要のことと思われるのです。
 実際、私がゲシュタルト療法で出会う時期を、前段で「インターネットが急速にひろまっていく時期」としましたが、その時すでに私は「この先のネット社会では、人間が身体や実存から解離した空虚な存在になるだろう」ということを直観していました。そのこともゲシュタルト療法の有効性を感じさせ、選択させる要因でもあったのです。
 そして、あれから20年が経って、現状を見てみると、予想以上に人間は劣化した存在になってしまったわけです。
 かつてフリッツ・パールズは、「私の仕事は、紙でできた人間を血の通った人間にすることだ」と言いましたが、同様に私も、「私の仕事は、スマホとネットでできた人びとを血肉(心身、存在感)を持った人びとにすることである」と言わなければならない状況になってしまったわけです。しかし、ゲシュタルト療法にはその力があることも事実なのです。

 ところで、このようなゲシュタルト療法の在り方を、私はよく登山のベースキャンプに喩えています。ベースキャンプは、日常的な生活の場よりも高い場所にあり、同時にいつでも山頂を狙える場所にあります。ゲシュタルト療法のスキルを身につけることは、自分の存在の中にこのようなベースキャンプをつくることにもなります。

 人生の中でそのようなベースキャンプ(基地)を持っておくことは、人生に新たな中心(センター)の感覚をもたらします。日々の生活でいつも創造性の高いアヴェレージ(平均点)を保っていられるのです。日常的な雑事を離れて、自分の中心(センター)にいつでも触れられる居場所が確保できるからです。そして、その気になった際は、いつでも冒険的なピーク(山頂)に行くことで、自分の限界を超え、新たな成長を獲得することができるからです。

 さて以上が、私自身が、ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)をどのように発見し、その効果の特性を見出し、「フリーゲシュタルト」として現在の主たる方法論にすえたのかの理由となります。

 ぜひ、ゲシュタルト療法や変性意識状態(ASC)を利用して、ご自身の大きな変容と進化を体験していただければと思います。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、よりディープな、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


セッションで得られる効果と成果

セッションによって、心の苦しみやとらわれがなくなり、自由と軽やかさ、自信と自己肯定感、優れた能力と創造力が得られてきます
学んだスキルによって、他の人々にさまざまなサポートを行なうことができるようになります。一生役立つ普遍的なスキルが身に付きます。


【内容の目次】


(1)獲得される能力(スキル)と成果
 ①意識的な側面
 ②感情的な側面
 ③身体的な側面
 ④能力的な面 創造力面」
(2)他者に対して使える、技法(スキル)の獲得


 

想像してみてください。

からだの中にいつも溢れるばかりのエネルギーとしっかりとした自信があり、ゆったり充実して自分の中にやすらっているご自身を。
自分自身であることをただ愉快に楽しんでいるご自身を。

一人でいる時も人の輪の中にいる時も自分の中にたしかな中心の力/価値があり、他の何ものにわずらわされることなく、自由でびのびと、本当にやりたいことに200%集中できているご自身を。

また、想像してみてください、

感覚や意識が拡大したかのように、ひろがる世界や自然との豊かなつながりを感じており、心の内側においては、肯定的な力強い感情と意欲、斬新な発想とイメージが滾々と湧いているご自身を。
また、良い思いつきやアイディアについては、軽ろやかにすぐに行動を起こしていける、パワーに満ちたご自身を。

そして、そのことでさまざまな優れたアウトプット(結果)を生み出し、また他の人々に対しても、創造性開発の支援や心の解放づくりなどさまざまなサポートができているご自身を。

そのようなご自身であったら、今どのような人生を生きられいられるでしょうか?

そして、この人生で、どのようなものを手に入れているでしょうか?


◆さまざまな変容と成果

セッション(ワーク)では、心の葛藤が解消されていき、よりパワフルで統合感、肯定感と積極性をもったご自身を体験されていきます。その結果として、いつでも、人生で優れたアウトプット(成果)を生み出せるようになります

▼ゲシュタルト療法で「生きる力」が増大していきます

◆具体的なテクニックにより、確実な効果と成果が得られます

当スペースは、ゲシュタルト療法(心理療法)をベースに使いますので、単なる考え方や動機づけが変わるというだけでなく、実際に「心の仕組み(メカニズム)」に変化が起こり、心(潜在意識)のプログラムが書き換わります。心の健康・解放(プログラム改善)が恒久的に実現されてしまうのです。それは絡まったものがほどける現象であるため、(不可逆的な変化であり)元に戻るということはありません。

そして、内的な変容と解放とともに、それをご自分の方法論(スキル・技法)として習得していただけます。
「その気になるだけの表面的な方法論はもう飽きた」という方には、実際の変化と技法を合わせて獲得いただける内容となっています。

さて、このページでは、当スペースで獲得いただける成果を大きく、
(1)ご自身の変容(心理的統合・癒し・解放・能力アップ)とアウトプット力の獲得、
(2)他の人々に対して使えるサポート技能の獲得
の2つの面に分けて解説したいと思います。

⑴は、獲得いただけるご自身の中での変容と成果
⑵は、ビジネスその他の場面で他の人びとにご提供いただけるスキル
となっています。

また、それらの効果が働く領域を、私たちの「意識的な側面」「感情的な側面」「身体的な側面」に分けて解説いたしたいと思います。


さて、当スペースの方法論は、

ゲシュタルト療法 × 変性意識状態(ASC)」

の組み合わせですので、セッション体験が深まっていくと、その効果により「3つの能力(スキル)」が核として育っていくことになります。
・心身の統合(癒し)、生きる力・エネルギーの増大
変性意識状態を利用するスキル
・対象に集中する力や心を組織化する力
です。
詳しくは、「フリー・ゲシュタルト・ワークスについて」をご参照下さい

このような能力(スキル)が育つことで、自分の底にしっかりとした中心の感覚や、とらわれのない心のパワー、優れた創造力が生まれてくることになるのです。
その結果、当スペース流れる虹のマインドフルネスと呼んでいるような並外れて軽やかで、自由で拡大した意識状態が得られるようになるのです。素晴らしいアウトプットが人生で出せるようになるのです。


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コチラ


(1)獲得される能力(スキル)と成果


セッションを体験していかれると、ご自身の内的な変容として、まずは以下のような成果が得られていきます。上の図をご覧下さい。

ここでは、効果の作用する心身の側面を、
「①意識的な側面」
「②感情的な側面」
「③身体的な側面」
の3つに分けて解説したいと思います。
これに加えてさらに4つ目の成果として、この3つの相乗効果として成長する能力(スキル)的な側面を「④能力的な面 創造力面」としてご説明いたします。

 

①感情的な側面 「楽しさと意欲、積極性が増します」

まず、第一の効果は感情面での変容となります。私たち人間は感情の生き物です。感情こそが生きるための主たるエネルギーなのです。

私たちが、エネルギーに溢れている状態とは、肯定的な感情エネルギーが速やかに溢れている状態です。感情が変わると世界の感じられ方すべてが変わっていきます。「人生とは感情に彩られた出来事である」ともいえるのです。

まず、セッションを通して、ご自分を制限しているさまざまな葛藤や心の障壁から自由になっていくことになります。
自分の中に解放と「妨げ(ノイズ)のなさ」の感覚が生まれてくるのです。
心の中の妨害や雑音がなくなり、純粋な快適さや楽しさの気持ちが増していきます。能動的なやる気や意欲がご自分の中から滾々と湧いてくるようになるのです。

モヤモヤしてバラバラだった気持ちや感情、意欲や欲求がひとつに融合・統合してくる感じがします。
力強い主体的で集中的なパワーが、ご自身の芯の部分にできてくる感じがします。
自身を底ざさえする、力強い自己肯定感が生まれてくるのです。
何があっても「大丈夫」「楽勝」「やりきれる」感覚、不屈の力が肚の底に育ってくるのです。
まるで「本来の自分自身」に戻ってくる感じがするのです。

その結果として、自分の中に、他人にわずらわされることなく自分が本当にやりたいことに全身全霊で集中できるエネルギー感覚が生まれてくることになります。
そのため、日々力に溢れ、生きる中でも冒険的で挑戦的な行動がやすやすとできるようになってくるのです。

 

②肉体的な側面 「からだがフワッと軽くなります」

ゲシュタルト療法心身一元論的アプローチですので、心の解放(癒し)と肉体の解放(癒し)が同時に起こってきます。
からだが軽くなり、エネルギーが溢れているご自分に気づかれていくことになるのです。
やすやすと行動が起こせるようになっているご自分を発見することになるのです。

この点は、「世間一般的に」少しイメージがつきにくい点と思われます。というもの私たちは、普段、肉体が自分を強く制限しているとはあまり気づいていないからです。

しかし、私たちが人生で経験してきた、心のこだわり(制限、恐れなど)というのは、緊張や抑制の癖として、肉体の奥底の残っているのです。心の制限(緊張)と肉体の制限(緊張)とは平行的に存在しているのです。トラウマなども肉体の底に過度の緊張として深く埋め込まれているのです。最近のトラウマ・セラピーが肉体を重視する所以です。

心が真の解放や潜在能力を解放するには、この肉体の深い部分を解放しなければなりません。
そして、セッションでは、この肉の奥底の緊張が、心の解放とともになくなっていきます。
肉体が弛緩し、柔らかくしなやかになります。
エネルギーが以前よりも速やかに流れだし、全身が軽く楽になります。
そして、自分を抑制するために使っていたエネルギーを好きなこと・やりたいことのために使えるようになります。
人生で使えるエネルギーの量が増大したと感じられるのです。
物事にやすやすと挑戦するパワフルなご自分をより感じられるようになるのです。

 

③意識的な側面 「意識が拡大し、方法論を理解し、使えます」

◆セルフ・プロデュース力の獲得

そして、さらに①②の「感情面」「肉体面」の変化のプロセスを、自分の中で「意識的」に「方法論的」に理解していけるいう点が、当スペースでの大きな成果となります。

知的・意識的なレベルにおいても、心の変容がどのように起きていったのかを理論的・マインドフルネス的に理解していけるのです。そして、このことの結果として、自分の意欲を高め、もっと創造力を上げるために自分に対してどのようなアプローチをとればよいのかについて、(プロデュースするように)より分っていくことになるのです。

◆変性意識状態(ASC)へのスキル獲得

また、セッション体験を通して、特殊な「変性意識状態(ASC)」に入る感覚をつかんでいくことになります。変性意識状態(ASC)とは、潜在意識とダイレクトにつながっている特殊な感覚です。そのスキルの感覚が、ご自分の中で確立されてくることになります。その結果として、心や創造性の秘められた側面をいわば「透視的に」見るスキルを身につけていくことにもなるのです。この変性意識状態(ASC)をきちんと取り扱い、習熟できるところは他にあまりありません。当スペースのきわだった特徴です。

◆意識の拡張

これらすべてのスキル獲得の特徴(実感)として、ご自分の意識がひろがった感覚を得るようにもなります。
知覚や感覚がひろがり、今まで気づかなったことにさまざまに気づけるようになります。
「身体」が拡張し、ひろがった感覚が得られてきます。

実際のところ、私たちの意識とは上で見た「感情」「肉体」の知覚と深く同化しているものなのです。
そのため、この「私」という感覚さえ「固定」「固形」のように不自由で動かない印象を与えているのです。古典的なフッサールの現象学などで考える意識とはこのようなものです。
しかし、「感情」と「肉体」がより自由になり、軽やかで流動的になると、「意識」も軽やかで流れるように自由になりはじめるのです。
また、変性意識状態(ASC)のスキルも同様に、私たちの日常意識を相対化し、流動的に溶かしていきます。
これらが、意識がひろがった実感として恒久的に実現されてくるのです。
それが、当スペースがご案内する「流れる虹のマインドフルネス」という意味合いなのです。

④能力的・創造力的な測面 「バージョン・アップした能力が得られます」

そして、以上のような「意識的・感情的・身体的変容」の結果として、よりバージョン・アップし、パワフルに全身変容したご自身を経験していくこととなるのです。
また、変性意識状態(ASC)への感覚が身につくことで、意識と無意識(潜在意識)をより密に結びつけ、発想豊かなイマジネーション(想像力)のほとばしりをより引き出すことができるようになります。

また、心が統合されていくと、以前はバラバラな方向に向いていた能力や才能も、有機的に組織化された一定の方向性を持つこととなります。
その結果、物事に集中して取り組む能力がついてくることになるのです。そのような能力を持って、創造的なアウトプットを出していく力が増大していくことになるのです。
他に気をとられることなく、目標(目的)にフォーカスして達成していく不屈の力が育ってくることなるのです。


(2)他者に対して使える、技法(スキル)の獲得


効果(成果)のもうひとつの側面は、(1)の内的達成(能力・変容)を生み出す方法論(スキル)を、ご自分の身につけることができるというです。

ご自身の変容を通して体得した方法論ですので、付け焼き刃の知識ではない、ご自身の生きたスキルとして、それらを使っていくことができるのです。

そして、それらを使って、他の人々に対して、さまざまなサポートを行なっていくことができるようになるのです。ご自身の体験を通して理解した「変容の原理」や「気づきの技法」「促進技法」「変性意識の技法」を他の人々に対しても活用できるようになるのです。

そして、人がアウトプットを創り出すサポートができるという点です。
その結果、ビジネスのさまざまな場面で、クライアントの方や他者に向けた実効的な技法としてこれらを使っていけることになるです。

各種の能力開発やコーチングやセラピーなど、さまざまな場面でご利用可能な本質的普遍的なスキルを得ることとなるのです。
このことは、ご自身の仕事や人生のパフォーマンスを、より一層多彩にワンランク上げる事業に成長させていくことにもなるのです。

以上が、セッションによって得られる成果のあらましとなります。
ぜひ実際にセッションを経験してみて、その効果や変容の実感を味わってみていただければと思います。
世の中にある通常のものとは、比較にならない本質的次元のものであることを実感いただけると思います。

◆当スペースの目指す目標

「飢えている人に魚を与えてあげれば、その人は飢えをしのげる。
しかし、魚釣りの方法を教えてあげれば、その人は一生飢えをしのぐことができる

このことわざは、その場しのぎの対応策でなく、深い根本レベルのスキルを獲得いただければ、その人はご自身で人生を違ったものに変えていくことができるということを表現したことわざとなっています。

当スペースで、獲得していただけるゲシュタルト療法変性意識状態(ASC)それを融合させた方法論などはそのような根本的・普遍的な方法論となっています。つまりは、「魚釣り」のスキルとなっているのです。
このように当スペースでは、その場かぎりの対症療法ではなく、創造的に課題を解決したり、優れたアウトプットを出すために恒久的に使える方法論をクライアントの方に獲得していただくことを基本としています。
そして、それらのスキルを使って、さらに他の人々へ創造的なサポートを行なっていただくことを目標としています。ぜひ実際にセッションを体験してみて、人生を変容させる本質的な方法論をご体験いただければと思います。
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気づきや統合、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論は拙著↓
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↓動画解説『セッションの効果 意欲と創造力の増大 変性意識』

↓動画解説『得られる効果と成果「心理療法と能力開発」』


アウトプットとゲシュタルト療法Ⅱ

 

さて、

前回は、

ゲシュタルト療法における、

アウトプットの重視に、

ついて書きました。

 

また、それが、

日本文化の同調圧力的な、

抑圧的な世界の中では、

自立能力の育成と、

大きな可能性を持つことについて、

触れました。

 

今回は、

もう少し具体的に、

セッション(ワーク)の中において、

どのように、

表現を育てるのかについて、

書いてみたいと思います。


古典的な、

ゲシュタルト療法では、

やり残した仕事」を、

完了するために、

人生の中で、

未完了の体験となった場面を、

演劇的に再現して、

ロールプレイすることを、

書きました。

 

そして、

再現された場面の中に入っていき、

その時の情景の中に入っていき、

当時の感情になりきって、

「本当は、こう言いたかった」

のようなことを、

実際に言ってみるのです。

また、

行動をとってみるのです。

 

これは、

原理的には、

簡単に見えますが、

実際に体験してみると、

慣れないうちは、

なかなかに、

心理的抵抗が、

大きいのです。

 

芝居だとわかっていても、

想像上の空間だとわかっていても、

なかなかに、

心理的ブロックが

働きます。

動けなくなります。

 

(逆にいうと、実は、

こんな心理的な作用で、

私たちは、

普段の生活で、

動けなくなっているのです。

そのことを実感できます)


そして、

そのような、

再現場面の中で、

「あえて」

「何かを表現してみる」

「何かを言ってみる」

ということを、

やってみます。

 

「リスクを少しとって」

やってみるのです。


それは、決して、

無理に、ではありません。

自分の心が動き、

自分が、興味を持った場合に、

やってみるのです。


実際に、

やってみることは、

ほんの小さな一歩です。

 

しかし、

この一歩は、

決定的な、

「突破の一歩」

となるのです。

 

無意識は、

事実と想像とを区別しないので、

「現実の体験」として、

私たちの心理プログラミングを、

書き換えて(上書きして)しまうのです。


今まで繰り返していた
「ゲーム」を、
少し踏み出したのです。

そして、
「新しいゲーム」
をはじめたのです。

これは、
決定的なことです。

そして、

それは、

「境界を超えていく」

ことになります。

 

私たちに、

新たな自由の可能性を、

照らし出してくれます。

 

そして、

このようなセッション(ワーク)を、

なんども繰り返し、

突破することに慣れ、

表現することに慣れてくることで、

アウトプットと、

個の自立の能力、

治癒と健康の要素も、

促進されていくことと、

なるのです。

 

それは、

私たちに、

人生の、

新しい次元の啓示として、

新しい可能性を、

教えてくれることになるのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【第四部 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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アウトプットとゲシュタルト療法Ⅰ

さて、

ゲシュタルト療法を

実際に経験していくと、

おそらく、

それまでの人生で、

あまり経験してこなかったような類いの、

ある「行動」の重点・推奨に、

気づかれると思います。

 

それは、

「表現すること」

または、

「アウトプットすること」

です。

 

これは、

心理療法の技法としても、

特徴的ですし、

また

日本人の文化水準から見ても、

そのように言えるかと思います。

 

なので、

ある意味、

この点で、

ゲシュタルト療法は、

日本人にとって、

敷居が高くなる面があるのと同時に、

逆に、

爆発的な効果を持つという、

ことにもなります。

 

この点が、

ゲシュタルト療法が、

特に、

日本人に対して、

大きな可能性を持つ側面といえます。

 


普通、日本では

「個人として表現する」

とか、

「個としての表現」

というものを、

あまりしない(歓迎しない?)社会です。

 

まわりに合わせて、

自分の個としての表現を、

抑圧しがちです。

集団の中に、

個人が埋没する社会です。

それが、

推奨される社会です。


一方、

ゲシュタルト療法は、

真実の欲求や感情に根ざした、

個としての自立を、

とても重視します。

 

自分が外部から取り込み、

鵜呑みにして、

自分を抑圧している作用を、

否定します。

「ノーと言える能力」

を重視し、

育てます。

そういう面でも、

ゲシュタルト療法では、

個としての能力や、

尊厳を大切にします。

 

ゲシュタルトの祈り」は、

そのような面の、

あらわれでもあります。

 

なので

ゲシュタルト療法では、

その場が、

安全・安心である、

という枠組みがあるからですが、

セッション(ワーク)の中で、

自分の、

「なまの感情」を出したり、

「なまの表現」をすることを、

大いに奨励します。

 

好き嫌いや、

肯定否定を、

明確にうち出すことを、

推奨します。


「実験として」

という枠組みで、

「少しリスクをとって」

さまざまな自己表現することを、

試してもらいます。

そのアウトプットすることが、

個の自立能力を、

高めていくからです。

 

最初は、

おっかなびっくりで、

抵抗があった、

たどたどしい表現も、

手ごたえを感じて、

慣れてくると、

だんだんと、

自分の中心から、

感情表現できるように、

なっていきます。

表現やアウトプットすることに対する、

自信がついてきます。

より、

自発的に表現できるように、

なってきます。

 

個として、

その人らしい表現が、

行なえるように、

なっていきます。

 

それは、

前記したように、

安全な空間で、

実験として、

色々と、

ロールプレイが試せるからです。

 

そして、

身内に育った自信は、

実生活の中や、

人生の選択の中でも、

さまざまに、

役立っていきます。

 

「言うべきか、言わないべきか」の、

どちらかを選ぶ段で、

「あえて言う(表現する)」の方を、

選ぶこと、

(日本人は、たいがい、

言わない方を、選びますが)

それが、

人生の可能性を、

大きく開いていくということを、

経験として、

実体験として、

勘として、

つかんでいきます。

 

そのような、

アウトプットが、

自分の内奥の命を活かす道であるとともに、

他人の魂も覚醒させる道である、

ということに、

気づいていきます。

 

この点だけにおいても、

現代日本人に対して、

ゲシュタルト療法は、

真に必要なミッションを、

持っているとも言えるのです。


フリー・ゲシュタルト・ワークスが、

よって立つ、

大切な視点でもあります。


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ゲシュタルト療法【応用編】

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体験的心理療法

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修験道の神 山の信仰と日本の文化

山折
「仏教、特に密教のものの考え方というのは、色々な立場があるわけですけれども、一つには、仏でも菩薩でも守護神でも、これらをすぐさま具象的イメージとしてとらえる。つまり権化の思想―incarnation―というものがある。これに対して日本の神道の考え方には目に見えない神霊が遊幸し憑着するという感覚がどうも基礎になっているように思うのです。こういう遊幸し、憑着し、そして祟るといった機能を抽象して言えば憑霊―possesion―というふうに言うこともできるのではないでしょうか?」

五来
「基本的には憑霊だと思います。だから天照大神の姿は誰も見たことがない。天照大神の御杖代として遊幸するのは倭姫命ですし、天照大神が稲を食べているのは、倭姫命が食べているのです。修験道の神や仏は山伏に憑依するが、その笈の中に籠められて、いわば山伏と一体となって歩くわけです。「善光寺縁起」は、本田善光が難波から信濃へ下るとき昼は善光が如来を背負い、夜は如来が善光を背負ったなどといいます。一体化しているのです。法然の弟子の念仏房については「阿弥陀如来の使者なり」ということが言われている。そういうのは遊行者に阿弥陀如来が依り憑いているわけです。だから庶民信仰ではその人がそのまま仏なんで、これが日本人の即身成仏の考え方です。密教の三密瑜伽の即身成仏とは違うのです。この辺のところ、教条的な密教にとらわれていたら、日本の密教、とくに山岳信仰を基底にすえた日本密教はわかりません。日本人は神さまがその人に宿っているから「即身成神」、それを仏さまに転換して即身成仏なのです。少し論理が違いますわね。密教学者は五来は密教を誤解しているというかもしれないが、日本密教も日本仏教も、インドの密教、インドの仏教の誤解の上に成立したのです。三密瑜伽したら大日如来と凡夫が一つになるということは理論ですけどね。日本人は苦行の結果、精進の結果でないと三密瑜伽しないのです。それが黙って座って、印を結び、真言をとなえ三摩地に住したら、ぱっと光りを放って「八宗論大日」の絵みたいに、弘法大師が大日如来に変わったというのは子供だましのお伽話であって、面白いとは思うが、話す方も聞く方も本当と思っていない。人間にできない苦行、山籠もりをした行者に対してのみ、その人の言うことは神の言葉だ、不動明王の言葉だというような受け取り方をしているわけです。修験道は非常に原始宗教的で、マジコ・リリジャスであると同時に、シャーマニスティックですね。(…)」

山折
「そうすると、いわゆる本地垂迹曼荼羅などに出てくる法体、俗体をした神々というのは、あれはやはりそういう考え方がそのままあらわれたものということになりましょうか。人間の姿そのままで……。」

五来
「修験道の神というのは、女神である、男神である、あるいは法体であるということだけがわかっているのですね。本当は神名はわからないのです。だから十二単で表現したり衣冠束帯で表現したりする。別にその神さまには個性も何もないわけです。熊野の神さんも日吉の神さんもみな同じ顔をしているわけです。同じ服装をしています。熊野本宮の神は「熊野に座す神」という名なのです。」

五来重/山折哲雄『山の信仰と日本の文化』



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弟子に準備ができた時、 師が現れる

「弟子に準備ができた時、

師が現れる」

という言葉があります。

 

この不思議な共時性は、

実際に、働いている実感があります。

 

ただ、対人関係を、

心理学的な投影関係の中で考えると、

このことは、

案外、普通の事柄とも言えます。

 

人は、

自己の心理的な成長とともに、

自分の中に芽生えて来た、

創造的な因子を

(鏡に映すように)

外部の他者に投影するようになり、

他人の優れた美質を、

見出しやすくなるとも、

言えるからです。

つまり、

内実の成長とともに、

他者の中に、

「師」(未来の可能性の自分)、

を見出しやすくなる、

というわけです。

 
 

………………………

 

さて、私たちの中には、

「複数の自我」がありますので、

それぞれの自我に、

対照するような形で、

外部の他者に、

萌芽しつつある、

その自我要素を見出していきます。

 

私たち自身が、

自己の中に、未だ端的に感じ取れない

心(自我)の要素を、

他者の上に、見出していくのです。

 

そして、

それらの他者との交流を通して、

その要素(自我)が、

だんだんとくっきりと育っていき、

自己の重要な属性に、

なっていくのです。

 

そして、

成長の果てに、

かつては、自分が目標とした人の、

或る美質が、

自分の中にも育って来たことを見出して、

深い感慨を得ることになります。

 

ヘルマン・ヘッセの小説、

『デミアン』は、

タイトルどおり、

魔霊(demon)のような、

不思議な友人()をめぐる、

ある青春の物語です。

 

批評家のブランショも指摘するように、

この物語自体が、

話り手の白昼夢であるような、

不思議な肌触りを持った小説です。

 

描かれる出来事も、

通常の日常的現実を超えるような、

どこか夢幻的な光輝を帯びています。

 

さて、その物語は、

戦地で砲弾を浴びた、

(死に近くいる)

主人公が、自分の心の中に、

かつての卓越した友人()のような、

自己の存在の姿を、

見出すところで終わっています。

これは、

上記で見たような事柄を考えると、

納得的な結末だといえるでしょう。

 

そして、

そのようなことは、

実際にあることなのです。

大地性と待つこと

かつて、

鈴木大拙は、

「生命はみな天をさして居る。

が、根はどうしても大地に下ろさねばならぬ。

大地にかかわりのない生命は、

本当の意味で生きて居ない」と、

記しました。

「霊性の奥の院は、

実に大地の坐に在る」と。

 

『日本的霊性』の一章、

「大地性」でのことです。

 

そして、

「人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。

人間はその力を大地に加えて、農作物の収穫につとめる。

大地は人間の力に応じてこれを助ける。

人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。

誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。

人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることができる。

大地はいつわらぬ。欺かぬ。ごまかされぬ」

とします。

 

また、

「大地はまた急がぬ、

春の次でなければ夏の来ぬことを知って居る。

蒔いた種は時節が来ないと芽を出さぬ、

葉を出さぬ、枝を張らぬ、花を咲かぬ、従って実を結ばぬ。

秩序を乱すことは大地のせぬところである。

それで人間はそこから物に序あることを学ぶ。

辛抱すべきことを教えられる。

大地は人間に取りて大教育者である。大訓練師である。

人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ」

と。

 

そして、

「大地と自分は一つのものである。

大地の底は、自分の存在の底である。

大地は自分である」 

としました。

 

 

さて、私たちは、

自己の心の成長を熱望しながらも、

自己のどうしようもならない、

「自然」というものに、

ぶつかります。

 

頭で考えるほどに、

すっきりと簡単には、

自分自身の心の底、

存在の底は、

成長してくれないのです。

それらは、

大地のように、

そこにどっしりと、

存在しています。

 

心や存在の成長は、

自然の成長であり、

物事が育成する時間が、

樹木が育っていくように、

四季のめぐりのように、

かかるからです。

それは、

動かせない自然の原理なのです。

それと、

折り合いをつけるしかないのです。

 

ところで、

ゲシュタルト療法においては、

異質な複数の自我の葛藤を、

解きほぐし

人格的な統合を、

高めることが、

通常の方法論よりは、

はるかに速やかに、

行なうことができます。

 

しかし、

それでも、

「無意識の自然の力」による、

育成の時間は、

絶対に必要なものなのです。

 

しかし、そのことが、

心の力を、

不思議なくらいに、

育てて、

高めてくれるのです。

大拙が、

耕作について語るように、

探求に、

誠を尽くした分だけ、

強靭でリアルな深みが、

かえってくるのです。

 

かつて、

ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「私は、本当に待つことを学んだ」

と、語らせました。

 

私たちは、

なかなか成長しない自分の心に、

地団太を踏みながら、

「待つしかない」のです。

 

しかし、

そのことは、

甲斐のあることなのです。

 

そのことを通して、

意識に近い面では、

待つことという、

一種の、

「忍耐の力」が、戦士的な力が、

育ちます。

同時に、

心の底において、

「何かを育てる」

という保育者的な、

女性的な感覚を、

育てることにもなるのです。

 

自分の心を、

農作物のように、

守り育てる能力を、

獲得していくことになるのです。

 

心と肉体の、

底の部分においては、

複数の響きあう異質の力が、

溶けあう中で、

極彩色の果実が、

育ってくるのです。

 

誠を尽くした分だけ、

掘り進んだ分だけ、

自己を超えていくかのような、

豊かで深い収穫が、

得られるのです。

 

ここには、

不思議なバランスが、

働いています。

 

私たちは、

そのことで、
大地の力を、 

信頼していいのです。



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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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夢見の技法 コルトレーンとヘンドリックス

まったく別のところで、

似たようなエピソードに行き当たると、

その背後にある、

普遍的な共通原理について、

思いを馳せることとなります

 

伝記的なドキュメンタリー映画を見ていて、

直接的には、関係のない2人に共通している。

あるエピソードに気づいて、

興味深く感じた記憶があります。

 

「彼が、会場に着く(いる)とすぐわかるんだ。

(演奏)が聞こえたからね」

と、友人たちが語る挿話です。

 

その2人とは、

ジミ・ヘンドリックスと、

ジョン・コルトレーンです。

 

彼らは、片時も、

ライブ会場の控え室でも、

演奏をやめなかったのです。

 

コルトレーンについては、

ライブの前に、すでにライブ1本分くらい、

吹いてしまうという、

エピソードもありました。

 

同時代(60年代)を生きた、

彼らは、ともに、黒人であり、

霊感に満ちた即興演奏を旨とし、

その卓越した創造力で、

それぞれのジャンル(ロック、ジャズ)の、

変革者となった人物です。

 

彼らは、なぜ、片時も、

演奏をやめなかったのか。

 

拙著の中では、

「夢見の技法」と題して、

私たちの人生を貫く、

夢の力とその扱い方について、

取り上げています。

 

2人はなぜ、

演奏をやめなかったのか。

 

筆者は、それを、

演奏を通す中で、

彼らを貫いていく、

電流のような夢の力のせいだと、

考えています。

 

演奏を通す中で、

メッセージのように、

現れてくる、

〈何か〉をつかみ、

具現化し、完了するために、

演奏(創造)するしかなかったのです。

 

彼らが、ともに燃え尽きた者の、

印象を与えるのは、

彼らを、内側から焼いた、

高圧電流のような、

強烈な夢の力(熱)を、

私たちも感じるからです。

 

芸術において、

ある内的な意味の単位とは、

自律的な生命をもって現れ、

完了されていきます。

 

演奏なりも、

音楽の自律的生命の、

この十全な発現をもって、

意味のまとまりとして

完了されます

 

その内的なプロセスは、

ホロトロピック・ブリージングの際に見た、

「オルガスム曲線」と同様です。

 

また、ゲシュタルト療法でいえば、

現れてきた未完了な感情を、
表現し、完了するプロセスと

同様の事柄です。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

普段から、そのような、

たえず現れてくる

強度の夢の力に、

貫かれていたのでしょう。

 

それを、

完了させていくためには、

演奏し、表現し、

模索し、創造するしかなかったのでしょう。

アウトサイダー・アートについて触れたところで、

それらのある種、

非人間的な無尽蔵の力について、

書きました。

 

それは、容赦ない、 

根源的なエネルギーです。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

そのような根源的なエネルギーに、

より近く、生きていたのでしょう。

 

また、ある意味、

彼らのたえざる演奏・創造的実践が、

彼らを、その近くに生きることを、

可能にしたともいえるのでしょう。
 

彼らのエピソードは、

深い創造性と夢見の技法について

考える際に、さまざまなヒントを、

与えてくれるのです。

 


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「ワーク」とはⅤ 存在論的体験

さて、

ゲシュタルト療法の

ワークには、

さまざまな効果や魅力がありますが、

(サイトでも、多角的にご紹介しましたが)

心理療法的な枠組みをとっぱらって、

他にあまりない、エッセンス(本質)だけを、

残す(取り出す)とすると、

その最良のもののひとつは、

ある種の「存在論的体験」だと、

いうことができます。

 

「自分が、存在していることをまざまざと実感すること」

 

「自分が、存在していることの不思議さに感じ入る」

そのようなことが、

ワークの中では、

強い気づきの体験として、

起こって来るのです。

 

世界が、新らしく瑞々しく立ち現れて来る、

そのような瞬間を、

しはしば体験できるのです。

 

それだけでも、

生の感覚を喪失し、

鈍麻した社会の中では、

意味のあることなのです。

 

「世界と、生きている自分」

を、強烈に感じて、

生きる力を獲得していく。

そんなシンプルで力強い道が、

ゲシュタルト療法の取り組み中では、

得られていきます。

 

そこには、

身体的・感情的に対する、

具体的なアプローチがあるために、

知覚力や感性が動かしやすい、

という側面があります。

 

即興的、遊戯的な動き、身体技法が、

気づきの閃きとが、

ひとつになっているようなものです。

一種、動的な禅といえる面があります。

 

さて、

「生きるためのゲシュタルト」とは、

筆者が、よく使うフレーズですが、

そのように、

ゲシュタルト療法を、

身近に置いて、

生を加速する鋭利な道具(姿勢)として、

さまざまな側面で役立てることが、

長い取り組みの中では、

可能となっていくのです。

 


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魂の回復(ソウル・リトリーバル)

伝統的なシャーマニズムの世界では、

人への治癒活動として、

「魂の回復・救済(ソウル・リトリーバル)

ということを、行ないます。

 

これは、

シャーマニズムの世界観に、

人が調子悪くなることの原因のひとつに、

その人が「魂を喪った」、

という考え方があるからです。

 

そのため、シャーマンは、患者の失われた魂を連れ戻しに、

異界に行くというようなことを行ないます。

自分の魂を、異界に飛ばして、

その患者の魂を、

肉体に入れなおす

というようなことを行ないます。

 

さて、そのような、

「魂の回復(ソウル・リトリーバル)」ですが、

これだけ聞くと、近代的な世界観の人は、

違和感を持つと思います。

 

しかしながら、

その原理的・構造的な側面だけを考えると、

現代の心理療法の世界で行なっている事柄も、

さほど変わりがないともいえるのです。

 

別のところで、

人間の「複数の自我」について、

書きました。

 

人間の中の「複数の自我」が、

分裂状態になることによって、

葛藤が起こったり、

私たちの苦痛や、

生きづらさの原因に、

なっているという現象です。

 

ゲシュタルト療法の中では、

これらの「複数の自我」の間に、

エンプティ・チェアの技法などを使って、

対話と交流を起こし、

その人の、心理的な統合を、

図っていきます。

 

通常、「複数の自我」の中では、

私たちが「同一化」していて、

「これが自分()である」と、

見なしている自我(A)と、

自我(A)が拒絶していて、

「これは自分()ではない」としている、

自我(B) とに、分裂しやすいものです。

 

大概の普通の人は、

皆、この自我(B)を、

自分の自己像(セルフ・イメージ)から、

締め出しています。

その場合、自我(B)は、

影のようなものとして、

私たちにつきまといます。

 

この(B)は、ある意味では、

分身であり、喪われた魂です。

 

ゲシュタルト療法の、

セッションの中では、

この自我(B)の存在を明らかにし、
自我(A)と交流、統合を行なうような、

さまざまな試みを行なっていきます。

 

これらは、

喪われた魂の帰還とも、

魂の回復とも、

いえるプロセスなのです。

 

このように考えてみると、

現代の心理療法においても、

シャーマニズムと見かけは違うものの、

魂の回復(ソウル・リトリーバル)が、

行なわれているということが、

わかると思います。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 


サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

さて、現代の生活において、
個人の体験の中で、
「物事をインプットすること」と、
「物事をアウトプットすること」を、
較べた場合、
「インプットすること」の方が
圧倒に多いのではないでしょうか。

一般に、私たちの中では、
何かを享受して、時間を消費することの方が、
大勢を占めているのではないかと思われます。
現代は、何もせずとも、
膨大な物事や情報を与えられてしまう環境に、
なっているからです。

しかし、
このことは、私たちから、
生きる力・創造力を、
奪うことでもあります。

個(個人)が生きる能力を拡充させる、
という点で考えた場合、
アウトプットする(外に出す)ことを鍛えることこそが、
私たちの生存力、
生きるサバイバル能力を、
高めていくといえるのです。

インプット、つまり、
他からの享受ばかりをしていると、
私たちは、
自己の内にあるものを生成させていく能力や、
自らを乗り越える力を、
退化させていくこととなります。

というのも、
アウトプットする(外に出す)ことは、
自己の内部にある、
リソース(資源)やスキルを練りあげ、
他者に、価値として展開していく、
という意味合いで、つねに、
「自己の価値」や、
「自己の限界」に、
直面する作業となるからです。

そこにおいては、
自己の人生経験の中身、
スキルや能力が問われ、
独立性や自立性の程度が、
問われるわけです。
「お前は、何者であるのか?」
と問われるわけです。

そのため、
アウトプット(外に出す)の作業に取り組むことは、
自己の限界を知り、
自己を超えていこうとする、
局面に、つねに、
人を直面させることとなるのです。

ところで、
人間が、元来、自然の中で、
サバイバルして生きている時代には、
そのような局面に、
いつも直面していたわけです。

自然界は、巨大かつ過剰な存在であり、
いつも、予測不能な力で、
人間に襲いかかって来るからです。
そこにおいては、
人は、
自己超出的、自己刷新的でないと、
生き残れないということです。

現代でも、
山奥などに入っていき、
文明的な補助を失うと、
人は、自身の脆弱さを、
痛感することとなります。

そのような意味合いで、
アウトプットに軸足をおいて、
日々の生活を、
自己の限界に接して生きることは、
自己超出や創造性開発の錬磨としても、
とても重要な姿勢であるのです。

さらには、
アウトプットには、
元となる栄養素としての、
インプット(経験や技能)も必要なのですが、
上記のようなサバイバル的錬磨は、
私たちに、
必要なインプットを見つける、的確な感度(判断力)や、
世の中で流布されているマヤカシの情報を、
回避する能力を、
与えていくことにもなるのです。

そのことで、私たちは、
より本来的な野生の力を持って、
生きていくことができるのです。

 

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