元来、南米のシャーマニズムで使われてきた、
強力なサイケデリック・メディスン(薬草)です。
ここでは、それらについて、さまざまにまとめています。
https://freegestalt.net/asc/psycheshaman/mushbufo/
さて、別のセクション「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、基礎編として、変性意識状態の基本事項や、その周辺事項について記しました。
ここでは、上級編として、さらに一歩進んで、では、
「変性意識状態を充分に深めていくと、何が起こるのか」
「変性意識状態を充分に深めていくと、本当には、どのような変容が可能なのか?」
「そのような本当の変容を実現するためには、何が必要なのか?」
「そのような状態を常態化し、人生の創造力とするには、何が必要なのか?」
について書いてみたいと思います。
これは、上級編ですので、基礎編の「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」の方が、よく理解されていることが前提となっています。よく熟読して、理解を深めていただければと思います。
まず、一口に「変性意識状態」と言っても、変性意識状態(ASC)のタイプは非常に多岐にわたっています。大きく分けると、「軽度なもの」と「極度なもの」です。
変性意識は、日常意識との対比によって、定義されるものなので、別の言い方をすると、その変性意識状態に入った時に、「日常意識がどの程度残っているか」によって、「軽度なもの」と「極度なもの」を大別できるというわけです。当然、それは「どちらか」に截然と分けられるのではなく、段階やグラデーションとして、どっちにより近いかという相対的な区分となります。
軽度の変性意識とは、この日常意識が、多く残っている状態です。その場合、私たちは、日常生活の延長として、変性意識を体験します。
例えば、酒に酔っぱらっている状態があります。軽く酩酊している場合もありますが、意識が失われるほど強く酔って、翌日何も覚えていないということもあります。
しかし、そのことによって、知覚される「リアリティ(現実感)」が変わってしまうということはありません。日常生活の延長として、変性意識状態を体験しているわけです。
「夢」は、普通に眠って見ている時は、夢を見ている実感はありません。日常の現実と思って体験しています。しかし、内容的には、相当に非現実的であったり、ぶっ飛んだあり得ない内容です。しかし、夢から覚めると「夢か…」と日常意識に普通に戻ります。リアリティ(現実感)が変わることはありません。
しかし、夢の中には不思議な力を持っていて、夢から覚めた後も、強い眩暈を持って、日常意識やリアリティ(現実感)に強い影響を持つものもあります。中には、リアリティを一変させてしまうものもあります。その場合は、強い変性意識と言えるものとなります。個々のさまざまな具体的事例によって、変性意識の強度というものはあるのです。
ところで、変性意識状態の中には、そのような強い変性意識状態があります。
別に引いた哲学者ウィリアム・ジェイムズの有名な言葉を見てみましょう。
「…それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」
ジェイムズ『宗教的体験の諸相』桝田啓三郎訳(岩波書店) ※太字強調引用者
それでは(基礎編でも引用しましたが)、実際に少し、極度な変性意識状態の事例をいくつか見てみましょう。
以下は、或る精神科医が、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの中で、自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長した体験の報告となります。
「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分化と新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)
次の人物は、同じくLSDの体験セッションの中で、もはや自分や生き物でさえなく、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。
「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)
それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者)
これらは、ほんの一例ですが、サイケデリック・セッションとその研究の中では、このような不可思議な体験を数多くすることになります。
次の例は、人が死にかけた時に体験する、臨死体験(NDE)の報告事例です。この若い女性は交通事故に遭ったのです。
「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」
スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者
そして、このような極度な変性意識状態での感覚(リアリティ)と、この日常意識との「連絡をどうつけるか」が、さらにいうと「どう統合するか」が課題というわけです。
そして、それは実際のところ、そうなのです。
そして、そのような連絡や統合は可能であり、実は、長い人類の歴史の中で考察されてきたものなのです。
それを以下に見ていきたいと思います。
さて、なぜジェイムズが、引用文の最後に「それは正常意識とは全然つながりがないからである」のような言葉を吐いたのか。それはとりわけ彼が近代のアメリカ人であったからという理由があります。近代西洋世界には、それを扱う世界や方法論はほとんどなかったからです。
実際、このような実践的な事柄を検討するのに当たっては、長い歴史の中、「東洋世界」で探求されていたさまざまな思想や方法論が大変参考となるのです。
ところで、奇妙なことですが、私たち現代日本人は東洋人なのですが、近代になって、軍事的・経済的な必要性から、「西洋近代主義」「西洋科学主義」に順応することで、この東洋的思想・実践の大部分を失ってしまっています。しかし、感性の部分では、まだそのあたりを理解する能力が多少残っています。ただ一方、日本人に多い、権威主義、順応主義、同調圧力のために、そういう側面を「抑圧/排除」することにもなっているのです。
ここでは、そのような東洋的な世界観を援用することで、どのようなアプローチが可能なのか見ていきましょう。
ところで、別でも取り上げている、トランスパーソナル心理学(現在はインテグラル心理学を名乗る)のケン・ウィルバーは、現代心理療法と東洋思想を統合(インテグラル)しようと試みた理論家です。
→「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」
その際、彼が準拠しているのは「インド的なモデル」です。このモデルは、他の東洋諸国のものとほぼ同型であり、近似しているので、ここでは、それを例にとりあげて、仮説のひとつとして色々と検討してみたいと思います。
さて、上の1番目の図のような三区分を、ケン・ウィルバーは採用しているのですが、これは、インドでよく使われている区分です。
「粗大領域」「微細領域」「元因領域」と三つの次元があります。この先に、だいたい「究極/ワンネス」があります。
これは、実在領域の階層であり、物質的次元も、意識も、身体も、このような領域に分かれているということです。そして、相互に浸透しあっているということです。
私たちが、どの領域に、同一化(同調)しているかによって、体験される世界やその混合具合も違うということです。
各流派によって、細部は変わりますが、大きくは似たような区分となっています。「仏陀の三身(法身・報身・応身)」なども同系統の区分です。
図式に従えば、普通の私たち現代人が、「現実」だと信じ込んでいる世界は、すべて「粗大領域」の出来事です。
心の世界も、物理的現実も、すべて粗大領域です。
私たちの普通の日常意識は、すべて粗大領域です。
普通、私たちの大部分は皆、粗大領域だけを「現実」だと思い、粗大領域の中で一生を終えます。
しかし、ある種の変性意識状態の中では、実は、図のような「微細領域」「元因領域」を体験することがあるために、日常意識では、その実態をよくとらえることができないのです。
この日常意識を充分に解放し、溶解し、流動化し、変容させていくことで、私たちは「微細領域」等に触れたり、扱えるようになっていくのです。
(カルロス・カスタネダのいう「人間の形をなくす」という考えは、こういう領域の考え方と思われます)
まずはじめ、ここで論点としたいのは、まずは「微細(サトル)領域」です。
それは、この領域は、私たちにとっても、比較的なじみのある領域だからです。
なおかつ、まず「実際に体験されていく」のが、この領域だからです。
気功でいう〈気〉や、ヨガでいうプラーナなどが、微細領域の存在です。また、そこにある〈微細な意識〉です。その意識状態は、この私たちの粗大な意識ではありません。
東洋に限らず、世界中の宗教の中では、如来や精霊、天使たちの住んでいる次元の領域イメージとして、このような中間領域がよく語られています。
「微細(サトル)領域」それ自体も一様ではありません。非常に多様で多次元的であったりしているのです。だから、その形態や世界もさまざまなです。
しかし、この微細領域は、現在の西洋科学では検出されない領域です(チャレンジはされています)。そのため、科学的な意味では、厳密なことは何も言えません。
通俗的に安易に結び付けられる「量子論」も、粗大領域の世界なので、ここにはあてはまりません(そういう人の中にもまともな素養の人はいますが)。
そして、気功でいう〈気〉も、ヨガで身体を流れるプラーナも、科学的には検出されないエネルギーです。
体験している人には分かるけれど、計器では検知できないものとなっています。計器に引っかかるのは、「粗大領域」のものだからです。
そういう意味では、〈意識〉そのものと似てるともいえます。
しかし、真摯な探求者(修行者)の実践現場のレベルでは、これらの行を充分に修練習熟していくと、程度の差はあれ、そのエネルギーを実際に感じとれるようになっていき、傾向性や操作性もつかめるようになってきます。
ところで、(元々そのようなことを狙ったものでは全然なかったのですが)体験的心理療法や心身一元論的セラピー(ボディワーク・セラピー)では、日常生活では行なわないような、心身の深いレベルでの感情(エネルギー)をダイナミックに解放(放出/爆発)するということを繰り返していくので、通常の人々より、このようなエネルギーを体験しがちであるということが、わかってきました。その点、心身一元論的セラピーの開拓者W.ライヒが、西洋人にも関わらず、晩年に(検知されない)「オルゴン・エネルギー」について語り出したのは、象徴的な出来事ともいえるでしょう。そして、そのことが原因で「獄死」したのは、さらに二重の意味で、象徴的な出来事ともいえるのです。
実際のところ、深い心身のエネルギーが流動化し、解放されることで、知覚力が鋭敏になり、場合によって、微細なエネルギーを感知できるようになってしまうのです。
筆者の身の回りでも、体験的心理療法を熟練する中で、そういうものを感じとるようになったという人は数多くいます(筆者も最初は驚きましたが、あまりに普通に起こる現象なので、だんだんと受け入れ、慣れていきました)。
現場では「からだが開く」などと言ったりもしますが、知覚のチャンネルが開いてしまうのです。
そして、そういう「微細領域」の次元を実際に体験すると、人生はまったく違う多次元的な展望を持つようになるのです。
西洋人が、現代科学で検出されない、微細領域のエネルギーを本気で考えるようになったのは、広い意味では、西海岸の体験的心理療法の影響ともいえます。「実際にそれを感じとる人」が多く出てきてしまったからです。その結果、大学機関などでも、なんとかそのエネルギーを科学的に検出しようと奮闘したのでした。
ケン・ウィルバーは、ゲシュタルト療法のような、心身一元論的セラピーのことを、そのイメージから「ケンタウロス(半人半馬)」のセラピーと呼ぶのですが、上のような状況を次のように語ります。非常にわかりずらい文章ですが、見てみましょう。最初のところは、心身一元論的セラピー(ケンタウロスのセラピー)が、いかに剝き出しの原初的な(野生の)感覚を覚ますかの指摘です。
「自我的、文化的な図式化の被覆を取り除かれた感覚意識そのものが、覚醒時の領域に衝撃的ともいうべき鮮明さと豊かさを持ち込んでくる。さらにここまでくると、感覚意識はもはやただの“植物的”ないし“動物的”なものでも、単に“有機的”なものでもなく、より高次の微細(サトル)エネルギーや超個的な諸エネルギーの流入した一種の超感覚的意識になってくる。
この“超感覚的”意識は、多くのケンタウロス・セラピストによって報告されており(ロジャーズ、パールズほか)、ダイクマンによって論ぜられ、神秘的洞察の初期段階の一つとしても知られているものである(人がケンタウロスのレベルに上昇し、さらにそれを超越するにつれて現れる)。 (中略)
実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影(シャドウ)のより高次の統合であるばかりでなく、同時に、さらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある(スタニスラフ・グロフの研究は、これを強力に裏づけるものであることに注意)。このことは、ケンタウロスの“超感覚的”モードについても、直観、志向性、ヴィジョン・イメージといったその認識プロセスについてもいえることである。それらはすべて、超越と統合を実現したより上位の領域の前ぶれにほかならない」ケン・ウィルバー『アートマン・プロジェクト』吉福伸逸他訳 (春秋社)
(※太字強調は引用者)
ところで、普段の私たちは、「どんよりした」「鈍重な」粗大領域にいるので、微細領域を知覚することができません。知覚力のフィルターが「目詰まり」していて、微細な情報を感じとることができないからです。
微細領域を真にとらえていく(統合していく)ためには、「鈍重な」粗大領域の心身を解放し、溶解し、練り上げ、流動化させ、純化させることが、真に必要なのです。
これら、さまざまな東洋的なアプローチが、心身の変容を狙う「行」の形式をとっている理由でもあります。
ところで、ジェイムズが話題にしたような極度な変性意識状態では、このような「微細領域」を体験するということが起こってしまうのです。そのため、「正常意識とは全然つながりがない」というような感想を持ってしまうというわけなのです。普通には、それら「微細領域」のものは、「鈍重な」粗大領域の意識からでは「全然つながりがない」ものなのです。
このような「リアリティ(現実性)」に関して付言すると、例えば、ユング心理学の流れにあるプロセスワークの創始者ミンデル博士(彼はMITで量子物理学を研究していて、途中でユング派に転向した人です)は、私たちが通常、常識的に「これが現実だ」と見なしている現実に対して、「合意的現実 consensus reality 」という言葉を与えています。
「合意的現実」とは、皆が「現実」と見なしている(合意している)ことによって「現実」となっている「現実」という意味合いです。
実際は、「現実」ではなく、「幻想」であるということです。いわゆる「共同幻想」というやつです。
実は、私たちの日常の「現実感」とは、基本的にはそのようなものなのです。
例えば、日本の現代社会では、一般に「科学的であること」を「現実であること」と思い込んでいますが、それは、学校教育によって作られた「合意された任意の現実(虚構)」ということです。そこで自明に「現実」とされているものは、「現代科学という合意的現実(虚構)」、さらには「科学的であることは現実的」という「幻想/信念体系(ビリーフ・システム)」に過ぎないということです。
また、現代日本人がそう考えがちなのは、真理への考察(探求)からではなく、「まわりの皆がそう言っているから」「エライ人がそう言っているから」「親にそう教えられたから」「学校でそう教えられたから」「ネットでそう言っているから」という、ボンヤリした権威や他者への迎合傾向という国民性に過ぎません。自分で深く感じとり、考え尽くしたからではありません。
海外に、各国民性を皮肉った笑い話があります。難破する大型船から、危険な救命ボートに、飛び乗らせるためのセリフです。アメリカ人に対しては「今、飛び移れば、あなたはヒーロー(英雄)になれますよ!」、イタリア人に対しては「今、飛び移れば、あなたは女性にモテますよ!」、日本人に対しては「他の方々も、みんなそうしてますよ!」という具合です(笑)。海外ではすでに見抜かれてしまっているわけです。
また、「宗教」「信仰」などの現実を考えれば、この「合意的現実(虚構)」がよくわかるできるでしょう。その「宗教(合意的現実)」の外側の人が、法外な献金額と見なす金額でも、その「宗教(合意的現実)」の中にいる人にとっては「普通の現実」です。何もおかしいことなどないのです。
特に「同調圧力」「空気」「権威主義」「横並び主義」の強い日本社会では、そのような広義の「政治的力」が「現実観」を深く強く規定しているのです。
精神科医のR.D.レインは「経験の政治学」とも呼びましたが、「個人的な体験(経験)」でさえ、そういう「内面的なレベルの政治/抑圧」によって価値が収奪/否定されてしまっているというわけなのです。このことは、極度な変性意識状態のようなデリケートな個人的体験を考察するにあたっては特に重要な事柄です。セッション現場では、クライアントの方の中から、このような個人的な変性意識体験についての、社会的価値に関する葛藤や苦悩がよく出てきます。「こんなことをいうと、頭がおかしいと思われるかもしれませんが…」とは、よくよく聞くセリフです。筆者にとっては、何もそんなことはない内容(変性意識事例)なのですが、「合意的現実」と合わないということで、そういう感情を抱いてしまうのです。
また付言すると、このような「内面的なレベルでの政治的抑圧」が、日本人の間から、まわりとは違う、飛躍的発明が出にくい理由でもあります。
そして、総じていうと、これらの現象は、哲学者ミシェル・フーコーのいう、「近代社会の『内面化』とは、統治権力の監獄監視の『内在化』である」という現象そのままであるということです。統治権力側(主流の既得権益者)は、家庭や学校の教育を通して、個々人の中に、「罪悪感」「自責感」「自己懲罰感」として、自分たちの価値観(価値感情)を埋め込んでおけば、コスパよく、自分たちの望むように大衆心理を操作できるという仕組みです。大衆に「私は自分自身で主体的にそれを選んで行なっている」という幻想/幻覚を植えつけることができるからです。それらは、幼少期の私たちにとっては、精神分析でいうところの「取り入れ/取り込み introjection」の作業となり、人格の中の確固とした一部となるのです。
5.統合すれば超越(超脱)する トランスパーソナル(超個的)とは
さて、普段の「どんよりした」「鈍重な」粗大領域でできている私たちが、微細領域にあるものを充分つかまえるには、何が必要なのかについて見ていきたいと思います。
ところで今、「粗大領域でできている」と書きましたが、正確に原理を表現すると「粗大領域に同一化している」ということになります。
インド的・東洋的な観点においては、〈意識 consciousness〉が「粗大領域」に同一化(癒着/固着)してしまっているために、私たちは自分や世界を「粗大領域」だけのものだと思い込んでいるということになります。
ちなみに、この「意識」という言葉を、私たちが通常使っている意味での「意識」と解釈すると、少し意味が分からないでしょう。私たちが通常「意識」という時、この自分の自意識(西洋哲学でいえば現象学などが指すこの「意識」)だけを「意識」と呼んでいます。一方、インドの宗教哲学思想が指すこの「意識」とは、「ブラフマン(梵天/至高神)は、サッチダーナンダ(存在・意識・至福)である」という時に使われているような〈意識 consciousness〉です。つまり、万物に遍在していて、鉱物から植物、動物から人間、神々までに共通している「意識」を含めて、大きく〈意識 consciousness〉という言葉を使っているのです。また、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としていることでいえば、スタニスラフ・グロフ博士も同様なのです。彼がサイケデリック研究から得た結論では、〈意識 consciousness〉とはそういうものなのです。ですので、グロフ博士の本もそういう解釈で読めないと、少し意味が分からなくなっているのです。そのような点でいうと、そもそも「トランスパーソナル(超個的)」とは、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としているといえるのです。
「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、ラジオの喩えを出しましたが、「粗大領域」だけにチューニングが合っていて、他の放送局(微細領域)が聴けないという状態です。
→7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング
よりインド的に言えば、シュリ・オーロビンドなどが「排他的同一化」と呼びますが、粗大領域による〈意識〉の占有的な事態です。
「それだけが自分だと思い込んで、感じている」状態です。その他の領域が感じとれなくなっているという状態なわけです。
(このオーロビンドの言葉は、ウィルバーなども借用してよく使っています)
逆に言えば、「排他的同一化」を止めて、「排他的」ではなく、他の(微細領域の)帯域も、非排他的に、同時に同一化できると、私たちの〈意識〉は、粗大領域と微細領域を統合的に自己自身(主体)とすることができるということなのです。
実際的(実感的)には、「粗大領域(の自己/心身)」への同一化から離脱して(脱同一化して)、「微細領域(の自己/微細身)」への同一化が起こる感覚です。
「微細領域(の自己/微細身)」は、「粗大領域(の自己/心身)」の狭い時空に縛られていませんので、そうなると、自己は、溶解的に、爆発的に拡張し、「流れる虹のような時空」が現れてくるのです。チベット密教の「タンカ」などに描かれているような、(報身のいるような)無辺のまばゆいひろがりのある世界です。
多層的に〈意識〉や心身状態が拡大したという感覚になります。
そして、さらに付言すると、その先に「元因領域」というものがあります。
ここは、形なきもの、無形なものの世界(非時空)であり、「微細領域」の有形さが止滅した、無形の世界です。
もはや「私ではない誰か」が視ている、「私ではない誰か」として視ている「目撃者 witness」の世界です。
ここでは、私たちを妨げるものは、何もありません。通常の意味での「私」もいません。
ただ、無形なものの果てしないひろがりだけがあります。
(ウィルバーはここにようやく「スピリット」という言葉を当てはめています)
そして、さらにその先に、「究極/ノンデュアリティー(非二元)/ワンネス」があるというわけなのです。
視るものと視られるものの間の消滅です。二元性の消滅です。
手袋を裏返しても、それはもうひとつの手袋なのです。
そして、実は、裏も表もないのです。
オーロビンドやウィルバーがいう「統合」(多元的統合)とは、実はそのような領域を含んだ事態(垂直的統合)を指しているのです。
「流れる虹のマインドフルネス」においては、そのような多元的統合がなされてくるのです。
そのような世界(時空)体験は、偶然的体験(現象)としては、「臨死体験 Near Death Experience 」や「体外離脱体験 Out-of-body experience 」などでは非常によく報告されている状態です。
このような構造がわかると、さきに引用した臨死体験事例の意味(構造)もわかってくることとなるのです。
「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」
スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者
「究極」の世界は、俗に「ワンネス」「ノンデュアリティ―(非二元)」などと言われますが、真の主体は、「無境界」、他のものと区別がない、宇宙そのものであるという透過的浸透的事態です。また、禅では「無分別の智」と言ったりもしますが、東洋思想では、古来より「悟り」的なものとして語られていた境地とも言えるのです。
前段までの流れでいえば、統合とは、このような状態が、自我的・心身的領域と、垂直的に統合されることが、真の「統合」であるということです。
しかしながら、上に引用した「臨死体験」のように、超越的状態が、偶然的・突発的に体験されてしまった場合は、これらの強烈な体験を心理的に「統合」するのに苦慮して、その後、逆に、生きづらさを抱えてしまうという場合も多いのです。
そしてまた、伝統的な教えが、これもまたよく言うのは、そのような「悟り」「ワンネス」とはデフォルトの状態、本来は元々「はじめからある状態である」ということです。
伝統的には、「はじめから何も失われていない」とよくいうのです。
さて、では逆に、なぜ、小さな「仮面」的自我に、「排他的同一化すること」が私たちに起きるのでしょうか?
これは、「粗大領域の自我」の抑圧/分裂構造に、その由来があるのです。
感情的な葛藤や執着があると、そのものから自由になれないという事態は、直観的に理解できると思います。
諸々の粗大領域の事柄に、感情的に執着/固着/愛着しているために、私たちは、粗大領域への排他的同一化を止めることができないのです。
と言っても、普通の現代人は、皆、抑圧/分裂構造にあるのです(よほど心理療法をやった人以外は)。
私たちが、普通、この人生で悩んだり、目標にしている事柄(人間関係、金銭関係他)は、みな粗大領域の事柄です。
そして、これらは、抑圧/分裂による「心理的投影」によって起こっているのです。
そのため、まず対処すべきは、実は、微細領域ではなく、粗大領域そのものであるということなのです。
そういう意味では、これは心理療法のテーマと完全に重なるテーマでもあるのです。
これが、ウィルバーの指摘の歴史的な意味でもあるのです。
そして、実はここが一番、実践上は、重要なポイントでもあるのです。
別に、ウィルバーの「意識のスペクトル」論について記しましたので、ご参照ください。
→「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」
つまり、このモデルの構造自体は、とりたてて新しいことを言っているのではなく、伝統的なことを言っています。この図の新しさは、西洋の心理療法の方法論と結合させて語ったことです。
このモデルが示唆しているのは、現代社会を生きている「普段の私たち」というものは、「大いなる統合(宇宙的統合)」の観点から見ると、局限化された、抑圧と分裂の結果でしかないということです。
もっというと、近代社会そのものが、そのような抑圧と分裂の社会であるということなのです。
そして、これが、私たちが、粗大領域への「排他的同一化」「癒着/固着」を止められない理由ともなっているのです。
そのため、まずは、抑圧の解放と分裂の統合が必要なことなのです。
そして、「鈍重な」粗大領域を滑らかに流動化させ、排他的同一化を超脱することが、微細領域に真に触れ、真に統合するのには一番必要なことなのです。
統合が進むと、粗大領域な鈍重さを超越し、微細領域に適応した微細さや非時空的な自由さ、精妙さを手に入れることができるようになるのです。
→映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
一方、「鈍重な」粗大領域に主に同一化したままで、微細領域を体験するということも、たまに起こったりします。
ドラッグなどの体験がそれです。しかし、それらは真の解放や統合を起こしません。むしろ、分裂と葛藤を引き起こしてしまうのです。むしろ、(後述しますが)安い魔境に落ちしまうのです。
このあたりも典型的なパターンになっており、ラム・ダス(リチャード・アルパート)の『ビー・ヒア・ナウ』などがそれを典型的に語る物語となっています(ラム・ダスは、元ハーバード大学の教授で、ティモシー・リアリーらとともに、サイケデリック体験の効果を喧伝した初期のメンバーです)。
また、そのことが、大きな問題となってしまう場合もあります。
そのことの意味合いを次に見てみましょう。
6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
実践的な問題でいうと、近似したテーマが、ケン・ウィルバーによって、初期(1970年代)から指摘され、語られていました。
超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の区別というテーマです。
ウィルバーの図(絵/二次元)で見ると、「微細領域」というものは、通常の「心身領域」(粗大領域)よりも上の位置に置かれているので、それ自体が、「高レベル」「高次のもの」であるかのような印象を与えてしまいます。
しかし、「微細領域」自体は、単なる存在の領域-次元に過ぎないので、(たしかに体験すれば、当然、ケタ違いに多様で深遠な開放状態を体験できますが)それを体験したから価値があるとか、高次であるとか、それだけに価値あるとかという単純な意味でもないのです。偶然的にも、体験できるものですので。
下位レベルのものが、充分に「統合」された時に、次に「統合」されるべき領域として図示されているだけです。
さらなる「統合」の対象となった時、統合が実現された時、それは、「拡張された/より深遠な帯域」として価値を持ってくるということなのです。
そして、ケン・ウィルバーのモデルでいえば、「真の統合」とは、どれかのレベルだけに価値を持たせているというのではありません。
上から下まで(上位から下位まで)すべてのレベルがそれぞれの機能を充分に果たしている上に(左右の水平レベルで統合されている上に)、かつ、上から下まですべてのレベルが縦に「垂直統合」されている状態が、真の統合状態である、ということなのです。
その時、はじめから、上位のものは、下位の領域まで、浸透/透過していたことに気づくのです。
どこに探しに行く必要もなかったのです。
もともと、今ここまで、上位の開放は浸透/透過していたのです。
実際、「微細領域」自体は、下位レベルの「粗大領域」が統合されていなくとも、それが分裂したままでも、いくらでも体験することができます。さきのドラッグの問題がそうです。
この状態が、「前個(プレパーソナル)」の問題として現れてきます。
ただ単に、「粗大領域」が統合されていないというのなら、それは単なる心理的分裂や抑圧があるという状態に過ぎません。私たちの多くが、普通そのようにして生きています。
しかし一方、心理的分裂や抑圧を抱えたまま、「微細領域」を体験したりして、それらに過度に同一化してしまい、勘違いをしてしまうと、昔、ユングが「自我肥大」と呼んだような、病理的だったり、幼稚だったりする奇妙な心理状態になってしまうということがあります。
禅では、「魔境」として、昔からそのような修行中の落とし穴について、厳しく戒められていました。激しい修行をしていると、光が見えるとか、仏が見えるとかは普通に起こることで特別なことでも何でもない。そういうことにいちいち気をとられないで、修行を突き詰めろというわけです。そういう現象に気をとられて、勘違いしたりすること、脇道に逸れてしまうことを「魔境」と呼んだわけです。
昔の精神病院にも、「私はキリスト(神)である」「本当は、私は○○(歴史上の偉人)である」という人が沢山いたと言います。これはカルトの問題も同様です。
つまり、真にトランスパーソナル(超個)な状態の「価値」というものは、粗大領域のパーソナル(人格)の統合が充分になされた後に、実現されてくる(活かされてくる)ということです。
パーソナル(人格)の統合がなされる以前(プレ)の状態で、「微細領域」を体験しても、それを充分に自己のものとして真に統合することはできないということです。むしろ、本人に勘違いや錯覚が起きて、エゴだけが増大する「自我肥大」や、病理的・幼稚な現れ方をしてしまうということなのです。
これが、超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いということになります。
なぜ、ケン・ウィルバーが、このようなテーマに焦点化したのかというと、理論的な精度という意味合いもありますが、ご時勢として、当時(1970年代前半)のアメリカは、世の中的に「ニューエイジ思想」の黎明期だったからでした。
巷には、チャネリングや、幼稚な前個(プレパーソナル)的なものが溢れており、そういう幼稚なものと、真に超個(トランスパーソナル)的なものを、明確に峻別する必要があったからです。
そして、そのような流行が劣化して、その劣化コピー版が、さらに二周三周と周回遅れで入ってきている現代日本において、世のスピリチュアル系と言われるものの多くが、幼稚であったり自己欺瞞的であったりしているのは、そのような理由からなのです。
著名なサイキック・ヒーラーであるバーバラ・ブレナンの言葉を見てみましょう。
「ある女性の事例を挙げましょう。彼女は社会性に乏しく、自分のことも疎かになっており、スピリチュアルガイドと名乗る複数の存在を引き寄せていました。彼女は「ついにガイドが現れた!」と大喜びでセッションに来ましたが、私が見たところ、彼らはダークで形もしっかりしておらず、騙そうというネガティブな意図がありました。私は彼女の現実認識の乏しさが気がかりになり、このダークな存在たちを光に送った後で状況を説明しました。それから、心霊現象の話を抜きにした「普通の」セラピーのセッションをしました。これはとてもよい効果を生みました。彼女は心霊的な体験に没頭するよりも、実生活を充実させることが先決でした。空想に逃げず現実に意識を向けるように促すと、彼女は物質界での生活を見直すようになりました」 ブレナン『コアライトヒーリング』シカ・マッケンジー訳 (河出書房新社)
そういう意味でも、この超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いは、現代の日本では、特に重要な指標となっているのです。人格の統合以前に、そのような事柄を語っても、それは「真の深さ」を持ってないのです。それは、その人間をよく見ればわかります。そして、人々に「癒し」をもたらすどころか、「心理的な病理」を増幅・増大させることにしかなっていないということになっているのです。
7.真のコントロールに必要なもの 伝統的シャーマニズムの教え
さて、このように変性意識状態(ASC)に入って、微細領域のものを統合的に扱えるようになるためには、自分の心身(粗大領域)そのものが充分に流動化・統合・純化されていなければならない、という考え方は、実は、古今東西、世界中の伝統を見ると、シャーマニズムの伝統の中に既にあるものでした。
ネイティブ・アメリカンのメディスン・マン(シャーマン)は、しばしば「自分をパイプにすぎない」と語ります。
この世界と異界とをつなぐパイプという意味合いです。
そして、「パイプが詰まっている」と異界のエネルギーを充分に働かすことができない。「パイプが詰まりなく、カラッポ(空洞)であればあるほど」、異界のエネルギー(スピリット)は、この世界で十全に働くことができる、とします。
つまりは、この「パイプ」とは、粗大領域の心身(自分自身)のことです。
「パイプ」に「エゴ」が詰まっていると、幼稚なままの「自我(エゴ)の肥大化」が起こり、異界の高次の力が働かないばかりか、周りに害悪をまき散らす、病んだアウトプット(黒魔術)になってしまうという意味合いです。
シャーマニズムでよく強調される「浄化」の概念にはそのような意味合いがあるのです。
→「聖なるパイプの喩え(メタファー) シャーマニズムの方法 エネルギーの流動と組織化」
変性意識状態(ASC)を真にコントロールして、十全に扱えるようになるには、心身の深いレベルでの統合、自我(エゴ)の超越が必要となるというわけです。
さて、このようなシャーマニズムが教える伝統は、変性意識状態(ASC)を、いかに扱えばよいかについて、さまざまに教えてくれるものです。
「日常意識/こちら側の世界」と「変性意識/向こう側の世界」とを、十全にノイズなく行き来できる能力を獲得することであり、そのためには、まず「自己の流動化と統合」を充分に推し進めるということなのです。これは「粗大領域」と「微細領域」の間ということも含みます。
そして、このような「往還」の構造形式は、そのまま、神話学者キャンベルの唱える「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」のモデルでもあるのです。
世界中の英雄神話というものは、英雄が異界(冥府)に降りていき、怪物(モンスター)や悪霊と戦い、その結果、隠された魔法の力や栄光を獲得するという形式をとっています。
その旅路は、自分の影(シャドー/怪物)との死闘であり、そのことによる死と再生のプロセスを経ることで、英雄(私たち)は、自己の「浄化」と「統合」、新たな力の獲得や「刷新」を達成することができるのです。
これは、これまで見てきたような「真の統合」の暗喩(メタファー)ともいえるものなのです。
私たちも、変性意識状態と日常意識の、そのような「行きて帰りし旅」を繰り返し経験していくことで、変性意識への真のコントロール能力を獲得し、また創造力や拡張された意識/存在状態を得ることができるのです。
このプロセスは、ひとつの旅ですが、生きる甲斐のある旅、生に「意味」もたらす旅、行きて帰りし旅なのです。
旅から帰った時、その時に、私たちが見ている風景は、日常の風景ですが、旅の前のただの風景ではありません。
ありふれた物事が、そのまま内実の光輝(空)に飽和し、充満しているような『普通の風景』なのです。
その時、私たちの「自己」はかつてと同じ意味を持っていません。「自己」と「宇宙」と「日常」を区別(分別)するものはないのです(無極)。
それでいながら、ただの『普通の風景』なのです。
手袋のように裏返された現実は、また現実なのです。
そして、実は、表も裏もないのです。
道元のいう、
「而今の山水は、古仏の道現成なり」
「空劫以前の消息なるがゆえに而今の活計なり」
「朕兆未萌の自己なるがゆえに現成の透脱なり」
というような世界がひろがっているのです。
それは、ただの『普通の風景』なのです。
【ブックガイド】
変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
また、変性意識状態(ASC)への入り方などその詳細な概要と実践技法は入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。
また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
「流れる虹のマインドフルネス」とは、ある拡張された意識状態‐存在状態のことです。
それは、意識変容や心身変容への真摯な取り組みの果てに、自然に獲得されてくるものです。
このような拡張された意識‐存在状態は、人類の歴史の中、古今東西の精神的・宗教的伝統の中では繰り返し語られてきました。決して不思議なものでもないです。
現代では、トランスパーソナル心理学などが、そのような意識状態について理論的に語るものとなっています。しかし、それを獲得するための実践的な方法論や取り組みが弱い点が課題といえます。
普段の気づき awareness の中に、虹のように透明で鮮やかな微光が浸透しているため、当スペースでは、その状態を「流れる虹のマインドフルネス」と呼んでいるのです。
その状態でいる時、私たちは、あたかも流れるようなまばゆいエネルギーの次元とともにいるかのようです。とても微細なエネルギーのまばゆさに透過されているようです。
その微細なエネルギーは、あたかも、意識や肉体、見ている風景の背後にひろがる広大無辺な〈光〉の次元‐空間から射すよう浸透してくるかのようです。
世界の内側から微細な〈光〉がまばゆく透過してくるので、意識や肉体、あたりの風景は、不思議にも、固形物ではなくあたかも「光の粒の集まり」のように、「光の泡立ち」のように感じられたりもします。
そこでは、あらゆるものが、「固体」ではなく「流体」として、「実体」ではなく「空」として感じられるかのようです。
物理的な法則なども稀薄に感じられます。
物理的な因果や作用反作用などは当然あるのですが、それは大して重要なことではなく、この宇宙というゲームの任意の設定程度にしか感じられないのです。
それよりも、まぢかに、流れるようまばゆく渦巻く、非因果的な、膨大な可能性と自由な飛躍の力を強く感じているのです。
明晰さは一段深い透視的な明晰さとなり、事物の隠れた結びつきや微細な関連を滑らかに見通すようにもなっているのです。
自然界と現象の彩りあざやかな無限の戯れ、その美しさ、その核にある存在の〈本質〉に注意が向いているのです。
また、そこでは、「自分自身」を生きることも、あまりこだわりのない事柄になっているのです。
自分自身よりも本質的な、大きな〈光〉が内側から透過して、自分を押し流し、価値づけ、肯定し、生きてしまっているからです。「何事か」が成就されてしまっているかのようです。
あれほど長い期間、苦心惨憺、七転八倒し、物事をコントロールしながら、人生を切り拓いてきたこの主体、「自分自身」が今では大して重要なものには感じられないのです。
それは芝居の「役」のように、人生を冒険し、創造するための場所(役)として、気楽に、遊戯的に、楽しみに感じられているのです。
それは、生きていくのにとても快適な、好奇心にみちた状態でもあります。
そして、ふと気づくと、この人生の劇そのものが、光に満ちた広大無辺な次元‐空間の浸透によって救われてしまっているかのようでもあるのです…
また、その状態は、物事や事業に取り組んで、創造的なものをつくり出すことについても豊かな状態となっているのです。
広大で超意識的な空間が背後にあり、隣にある魔法の部屋から物を取り出すかのように、深い想像と夢見の中から、忽然とモノを引き出せるようにもなっているからです。
あたかもそこには、無尽蔵に豊かな創造の遊戯が、まばゆく沸騰しているかのようなのです…
さて、以上は、「流れる虹のマインドフルネス」状態のひとつであり、ある種、マズローのいう至高体験 peak-experience に近い様相のものですが(他にもさまざまな態がありますが)、これらの意識‐存在状態が、私たちをどのような自由と歓びの境地に招いているかは、容易に想像がつくかと思われます。
そして、肝心なポイントは、このような意識状態‐創造的状態は、決して偶然に、偶発的に起こるものではなく、「心身変容への体系的な取り組み」の果てに獲得されていくものであるということなのです。また、それらが恒常的な状態、意識構造になっていくということなのです。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
さて、「サイケデリック psychedelic 」という言葉は、音楽やデザインのイメージとして、その言葉がよく知られています。しかし、フワッとした印象だけで、その体験が、実際に「どのような体験内容を指しているのか」という点(質感/クオリア/実相)については、日本ではあまり一般には認知されていません。
ところで、変性意識状態(ASC)の研究も、トランスパーソナル心理学の出現も、1960年代の時代的な背景として、(合法であり、治療用でもあった向精神性物質による)サイケデリック・セラピーの手堅い研究があったからこそ、リアルで厚みのあるものになっていったという経緯(前提)があります。
◆時代の先駆け
ところで、時代に先駆けた先駆的な業績としては、英作家オルダス・ハクスリーが、「サイケデリック」という造語を考え出したハンフリー・オズモンド博士(その経緯はリンク先参照)のもとで、幻覚剤メスカリンの服用体験を記した『知覚の扉 The Doors of Perception 』という書物があります。
これはそのよう具体的なサイケデリック体験を記し、一般にその意味合いを知らしめた重要な作品となっています。
この書名『知覚の扉 The Doors of Perception 』は、これまたイギリス最重要の幻視家、W.ブレイクの詩句より来ています。
If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, Infinite.
For man has closed himself up, til he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.
もし知覚の扉が浄められたなら、すべてのものがありのままに、無限のものとして現われるだろう。
というのも、人はすべてものを、彼の洞窟の狭い隙間を通して見るまでに、自らを閉ざしてしまっているからである。
(THE MARRIAGE OF HEAVEN AND HELL より)
ハクスリー自身がこのような事態(人間の閉ざされた事態)を、そのサイケデリック体験を通して痛感したからでしょう。彼自身は、非常に「知的な」作家でした。そのような面での限界を、彼自身が強く感じたことが、彼をこのような探求に向かわせたと考えられるのです。
ちなみに、詩人ブレイク自身は、この詩句の前節で、心身二元論をまずは消し去るべき考え方であると指摘しています。そして、見かけ上の表面を溶かし、隠れた無限をあらわにする(健康かつメディカルでもある)地獄的な方法について言及しているのです。
また、この書名は、アメリカの(サイケデリック・)ロック・バンドのドアーズ The Doors の名前の元となりました。シンガーのジム・モリソンが「自分たちは、既知と未知の間にある扉(ドア)になりたい」と考えたからでした(ちなみに、ジムは歌やバンドをはじめるよりもずっと前に、LSD(治療用幻覚剤)体験の中で自分が大聴衆の前で歌っているという未来のヴィジョンを見たといわれています)。
さて、ところで、この本の中で描写されている「メスカリン」は、そもそもネイティブ・アメリカンの或る部族が儀式でつかうサボテン(ペヨーテ)に含まれている物質でした。
つまり、伝統的な社会の中では、そのような体験が、世界観の中に受け入れられているということです。
そして、この本で記されているような哲学的洞察は、「サイケデリック体験」についての、後の時代への決定的な指針となったことがうかがえるような興味深いものとなっているのです。
変性意識状態(ASC)や、トランスパーソナル心理学が、そもそも何を目指しているのかを考えるのに際しても、とてもヒントになるものであるのです。そのようなわけで、ハクスリー自身は、まだ手探りの状態にあった初期段階からエサレン研究所(後の新しい体験的心理療法の総本山)の後見人にもなったりしたわけでした。
『知覚の扉』の中で、ハクスリーは、そのメスカリン体験を記しています。
「…私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在―ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、途方もなく大きな、奇怪な誤りを犯したように思われる。だから、可哀想な男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっているこの花束のような存在は、絶対に眼にすることができなかったに相違ない。また彼は、これほど強く意味深さを付与されたバラ、アイリス、カーネーションが、彼らがそこに存在するもの、彼らが彼らであるもの以上のものでも、以下のものでもないということを知ることも、絶対にできなかったに相違ない。彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは―はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、しかし、自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる…というものであった。」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社
また、
「…私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである。バラからカーネーションへ、羽毛のような灼熱の輝きから生命をもった紫水晶の装飾模様―それがアイリスであった―へと私の眼は少しずつ渉っていった。神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった。」(前掲書)
そして、そのような体験について考察をめぐらせます。
…宗教上の言葉で“この世”と呼ばれている世界が、すなわちこの世界であり、その世界では濾過されて残った意識内容だけが言葉によって表現される世界、そしてさらにいえば、言葉によって生命を失って石化されてしまっている世界である。ほとんどの人々は、その人生のほとんどの時において、減量バルブを通して減量された意識内容で、方言にすぎない人間の言語が本当に真実のものだというお墨付けを付けたものだけしか知ることがない。減量バルブの表街道に対して、これを出し抜く一種のバイパスというべき裏街道が存在する。そしてある種の人々は、このバイパスを生まれつき持っているように思われる。」(前掲書) ※太字強調引用者
引用文の中で、ハクスリーの「減量バルブ」という言葉が出てきますが、これはフランスの重要な哲学者ベルクソンが考えているような観点、つまり、私たちの「脳」というものは、情報を濾過し、減量する性質を持つものであるという観点に拠っているものです。
私たちのこの地上での生存の都合上、余計な情報は濾過して、認知しないような機能を、脳は担っているという視点です。脳は「抑制するための装置/減量バルブ」ということです。
「バイパス」とは、そのような「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。
◆サイケデリック(意識拡張)の研究
では参考に、他の人物による、サイケデリック体験、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの報告も見てみましょう。
LSDといえば、今では、まるで「ドラッグ」のように思われていますが、元々は、精神医療の中で使用されていた治療用の幻覚剤です(当然、当時は合法です)。しかし、そもそも、この「幻覚剤」という日本語自体が、事実を歪曲した表現でもあります。通常、「幻覚」とは「現実でない」ことを意味しているからです。※「LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド lysergic acid diethylamide )」
サイケデリック・セラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士は、LSDについて、むしろ逆のことを語っています。
「それらは、他の薬物のように、薬物特有の状態を誘発するのではなく、むしろ、無意識的プロセスの特定しえない触媒もしくは増幅器として働き、人間精神エネルギー・レベルをあげることにより、その深層の内容と生得的なダイナミクスを顕在化させるのである」(グロフ『自己発見の冒険』吉福伸逸他訳 春秋社)
LSDは、深層意識そのもののリアリティ(現実性)を開示するということです。そのため、心理療法のツールとして効果を上げたのです。例えば、通常、私たちが過去のことを思い出すといっても(記憶力を振り絞っても)、幼い頃のことなどなかなか思い出せません。しかし、LSDでは、簡単にほんの幼少期の記憶まで鮮明によみがえってきます。また、乳幼児や胎児の頃の記憶まで出てくるということが普通にあったのです。
そのため、当時、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリー博士らも、LSDを精神解放のツールとして、「サイケデリック体験」用として、これを大いに喧伝したのです。
さて、そのようなLSDですが、ここでは、少し極端な事例を見てみましょう。その方が、それがもたらす「意識拡張」という意味合いがよくわかるからです。
次の例は、或る精神科医が、LSD体験セッションの中で、自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長する体験をすることになりました。
「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分かと新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)
次の事例では、被験者は、その体験セッションの中で、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。
「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)
それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」 ※太字強調引用者 グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳(青土社)
上記のセッションを指導した、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、(「自己実現」で有名な)A.マズローとともに、「トランスパーソナル心理学」立ち上げた重要人物です。そして、「サイケデリック研究」の権威です。
博士は、元々チェコで、合法だった時代の、LSDを使って、サイケデリック・セラピー(LSDセラピー)を行なっていた人でした。数千回(直接に三千回、間接に二千回)にわたるサイケデリック・セッションにたずさわり、人間の深い治癒プロセスと、〈意識 consciousness 〉の不可思議な能力を目の当たりにしていったのです。
そして、このような観察結果/研究内容が、最晩年のマズローを突き動かして、トランスパーソナル心理学設立へと駆り立てたのでした。
しかし、グロフ博士がたどり着いた結論は(本人自身がそれを受け入れがたく、長年、精神的に葛藤したと語るように)、今現在、一般に流通しているメインストリームの科学的世界観とそぐわないものとなったのです。
彼は、それらに至る経緯を語っています。
「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」(グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳、春秋社) ※太字強調引用者
新しい見方をとっていくことで、上に引用した「鉱物との同一化」やその他の無数に起こる奇妙な体験の数々を受け容れることができるようになっていったのです。「判断や説明をさしはさまず注意深く記録」していくことによってです。しかし、それらは、現在一般に信じられている科学的世界観とはそぐわないものでもあったのです。しかし、これはまた、変性意識状態(ASC)全般について言えることでもあるのです。
彼は、サイケデリック(意識拡張)・セッションでの結論を次のように語ります。
「サイケデリック体験の重要な特徴は、それは時間と空間を超越することである。それは、日常的意識状態では絶対不可欠なものと映る、微視的世界と大宇宙との間の直線的連続を無視してしまう。現れる対象は、原子や分子、単一の細胞から巨大な天体、恒星系、銀河といったものまであらゆる次元にわたる。われわれの五感で直接とらえられる「中間的次元帯」の現象も、ふつうなら顕微鏡や望遠鏡など複雑なテクノロジーを用いなければ人間の五感でとらえられない現象と、同じ経験連続体上にあるらしい。経験論的観点からいえば、小宇宙と大宇宙の区別は確実なものではない。どちらも同じ経験内に共存しうるし、たやすく入れ替わることもできる。あるLSD被験者が、自分を単一の細胞として、胎児として、銀河として経験することは可能であり、しかも、これら三つの状態は同時に、あるいはただ焦点を変えるだけで交互に起こりうるのである」
「サイケデリックな意識状態は、われわれの日常的存在を特徴づけるニュートン的な線形的時間および三次元空間に代わりうる多くの異種体験をもたらす。非日常的意識状態では、時間的遠近を問わず過去や未来の出来事が、日常的意識なら現瞬間でしか味わえないような鮮明さと複雑さともなって経験できる。サイケデリック体験の数ある様式(モード)のなかには、時間が遅くなったり、途方もなく加速したり、逆流したり、完全に超越されて存在しなくなったりする例もある。時間が循環的になったり、循環的であると同時に線型的になったり、螺旋軌道を描いて進んだり、特定の偏りや歪みのパターンを見せたりしうるのである。またしばしば、一つの次元としての時間が超越されて空間的特性を帯びることがある。過去・現在・未来が本質的に並置され、現瞬間のなかに共存するのだ。ときおり、LSDの被験者たちはさまざまなかたちの時間旅行(タイム・トラベル)も経験する。歴史的時間を遡ったり、ぐるぐる回転したり、完全に時間次元から抜け出て、歴史上のちがった時点に再突入したりといった具合だ」
「非日常意識状態についてふれておきたい最後の驚くべき特徴は、自我(エゴ)と外部の諸要素との差異、もしくはもっと一般的にいって、部分と全体との差異の超越である。LSDセッションにおいては、自己本来のアイデンティティを維持したまま、あるいはそれを喪失した状態で、自分をほかの人やほかのものとして経験することがありうる。自分を限りなく小さい独立した宇宙の一部分として経験することと、同時にその別の部分、もしくは存在全体になる経験とは相容れないものではないらしい。LSD被験者は同時にあるいは交互に、たくさんのちがったかたちのアイデンティティを経験することができる。その一方の極は、一つの物理的身体に住まう、分離し、限定され、疎外された生物に完全に同一化すること、つまりいまのこのからだをもつということだろう。こういうかたちでは、個人はほかのどんな人やものともちがうし、全体のなかの無限に小さな、究極的には無視してかまわない一部分にすぎない。もう一方の極は、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉という未分化の意識、つまり全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化である。」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者
このような結論は、その体験の中で現れてくる意識状態そのものの不可思議さもあり、「『意識』そのものがどのようなものであるのか」という大問題にも関わるので、簡単に理解しがたいものですが、精神と心を探求する者にとって、とても示唆の多いものとなっているのです。そして、ケン・ウィルバーのいう「意識のスペクトル」論などへも、現象的な意味で、重要な光を照らすものとなっているのです。
◆まとめ
さて、このセッションでは、「サイケデリック」について、ハクスリーやスタニスラフ・グロフ博士の研究について見てきました。
とても興味深く、不思議な世界ではないでしょうか?
しかし、このような世界は、必ずしもサイケデリック物質(ドラッグ)を摂らなくとも得ることができるものなのです。
実際、上のグロフ博士は、LSDの使用に法的規制がかかった後は、体験的心理療法/(呼吸法を使った)「ブリージング・セラピー」を使って、近似した効果を上げていくことになりました。
なぜなら、サイケデリック物質は、きっかけでしかなく、意識の変容した状態である変性意識状態(ASC)さえちゃんと生み出せれば、方法論はなんでも良いからです。
さらに言うと、変性意識状態(ASC)さえ、きっかけであり、私たちの本源にある「〈意識 consciousness〉の本性」そのものに深くコンタクト(接触)できれば、深い次元の体験をできるからです。
次の女性の事例は、そのブリージング・セッションの中で、「自分を鯨としてまざまざと体験する(同一化する)」という、奇妙な、サイケデリック体験と同様の体験をしていきます。
「意識がはっきりと大洋的な性質を帯びてきたという感覚が高まり、ついに、大洋の意識と表現するのが一番ふさわしいものに、自分が実際になるという感覚を覚えた。いくつかの大きな体が近くにいることに気づき、それが鯨の群れであることを悟った。
気がつくと、頭部を冷たい空気が流れるのを感じ、口の中に塩辛い海水の味がした。明らかに人間のものではない異質な感覚や気持ちが微妙に私の意識をのっとった。周囲にいる他の大型の身体との原初的なつながりから新しい巨大な身体イメージが形成されはじめ、自分が彼らの仲間のひとりになったことを悟った。腹の内部にもうひとつの生命形態を感じ、それが自分の赤ん坊であることを知った。自分が妊娠している雌鯨であることに何の疑いも持たなかった」(グロフ前掲書)
体験的心理療法は、私たちの閉ざされた知覚や心身を、心身一元論的に溶解し、知覚を流動化させていくことで、変性意識状態(ASC)や、超越的な、トランスパーソナル(超個的)な次元が体験されてくることになるからです。それは、いみじくも、幻視家W.ブレイクの語った通りです。別に、映画『マトリックス』を素材にそのことを解説してみました。
→「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界」
また、さきのハクスリーの言葉の中で、「バイパス」の話が出てきました。バイパスとは、「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。
しかし、歴史的に考えると、それらは伝統的には、シャーマニズム的な世界の中で、昔から存在していたものでもありました。「抜け道」的な意味合いとしては、文化的にはある種、トリックスター的なふるまい(回路)としても存在していたのです。
それは、部族(人類)が、必要なものとして、社会装置の中につくっていたのでした。
そして、実際のところ、そのような「バイパス(変性意識)」は多様に存在しているのです。そして、それは向精神性物質のようなものに限定されているわけでもないです。
実際のところ、古今東西、この世の中には(表向きには隠されているにしても)さまざまな方法論が、宗教や魔術、現代では体験的セラピーとして存在していて、実践されていて、バイパスのような成果を上げてきたからです。
そして、その中でも、「心身一元論的な心を変容させる技法(体験的心理療法)」は、比較的安全かつ的確に、私たちの中に、そのような「バイパス(変性意識)」を作り出していくためのものなのです。
筆者自身、十代の頃に、音楽の影響からハクスリーを読み、強い感銘を受けて、その後、意識の拡張を目指し、ゲシュタルト療法他さまざまな体験的心理療法等に取り組み、さまざまな興味深い変性意識を体験していくことになりました。その結果、実際に「知覚の扉の彼方」にある、まばゆい光明の世界にたどり着くことにもなったのです。
ですので、ハクスリーのような記述は、決して特別な事でも絵空事でもないのです。
私たちが、通常の地道な探求の果てに得られるものでもあるのです。
実際、その後のハクスリーは、アメリカのエサレン研究所 Esalen Institute という、二人の若者がつくる能力開発センターの後見人になりました。ここから、前衛的な体験的心理療法が、世界に広まっていったのです。
→『エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦』
エサレン研究所は、ワークショップ・センターであり、アカデミックな機関ではありません。そのため、当時のさまざまな先端的な人々同士が交流する場となり、新しい思想と実践的なメソッドが醸成する空間となったのでした。
有名な人々では、思想家のグレゴリー・ベイトソンやゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、トランスパーソナル心理学のスタニスラフ・グロフらが長期居住者となり、さまざまなワークショップやレクチャーを行ないました。
下記に紹介しているスタニスラフ・グロフのインタビュー動画の中でも、博士はこのエサレン研究所について、「人間ラボラトリー」「潜在能力センター」「どの研究機関や大学よりも、心理学と精神医学に貢献してきた」と語っています。
ハクスリー他の記述に「何か響くもの」を感じた方は、ぜひ、意識拡張の可能性を信じて、薬物という方法でなくとも、色々な探求の旅に出られてみることをおすすめいたします。
→実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
また、サイケデリック体験には、上記のような肯定的な面ばかりでなく、薬物中毒の問題以外にも、多くの否定面や問題もありますので、そのあたりは下記をご覧ください。この点の方が、世間的な印象かもしれません。しかし、ある面では、その「直観」は正しいのです。
→変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」 6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
→ラム・ダス(リチャード・アルパート)『ビー・ヒア・ナウ』
さきにも触れた、トランスパーソナル心理学を、A.マズローとともに立ち上げた、スタニスラフ・グロフ博士は、元々チェコで、合法だった治療用幻覚剤LSDを使って、数千回にわたるサイケデリック・セラピーを行なっていた最重要人物です。
下の彼のインタビュー動画は、サイケデリック(LSD)の登場、効果、普及の理由などを、彼自身の個人的体験として、歴史的に回顧する大変興味深いものとなっています。↓
https://www.ntticc.or.jp/ja/hive/interview-series/icc-stanislav-grof/
※インタビュー中の、「イサレム」はエサレン、「バルド界」と訳されているものは、「チベットの死者の書」でいう「バルドゥ(中有)」のことです。
付記 「サイケデリック psychedelic 」という言葉の由来
参考までに、(日本では今でも)意味が伝わりづらい「サイケデリック psychedelic 」という言葉(用語、名称)が採用され、公式に世に出された経緯(由来、語源)を下記に引用しておきます。その言葉をつくったオズモンド博士は、まだ医療用の向精神性薬物が開発される前の時代に、精神科医として、統合失調症(精神分裂症)の脳内で起こっている生化学的プロセスに興味をもった人物でした。その生化学的プロセスがわかれば、治療になると考えて、精神に作用する物質を研究しはじめたのでした。しかし、そのような物質の薬効を体験し、調べているうちに、そのような物質は、もっと能動的で、積極的、創造的な作用を心にもたらすことに気づいていったのです。
LSD体験を説明した科学論文の用語は、オズモンドにはぴんとこなかった。幻覚とか精神障害という用語は、悪い精神状態しか意味していない。ほんとうに客観性を重んじる科学であれば、たとえ異常な、あるいは正気でないような精神状態を生みだす化学薬品に対しても、価値判断はくださないのが筋なのに、精神分析の用語は病理的意味あいを反映していた。オルダス・ハックスリーも、病理学的用語は、不適切だと感じていた。このドラッグの総体的な効能を完全に包含するには、新しい名称をつくるしかない、オズモンドもハックスリーもこの点では意見が同じだった。
オズモンドはハックスリーがはじめてメスカリン体験をしたときの縁で、親友づきあいをしており、頻繁に手紙をやりとりしていた。最初ハックスリーは「ファネロシーム」ではどうかと提案した。語源は「精神」とか「魂」という意味である。オズモンドあての手紙には、つぎのような対句が書かれていた。このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
ファネロシーム半グラムをのみたまえ。これに対してオズモンドは、こう返歌を書いた。
地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
サイケデリックをひとつまみだけやりたまえこうして「サイケデリック」ということばが、つくられたのである。オズモンドは、一九五七年、このことばを精神分析学会に紹介した。ニューヨーク科学学会の会合で研究報告したとき、彼はLSDなどの幻覚剤は単なる精神障害誘発剤を「はるかにこえる」機能を持っており、したがってこれにふさわしい名称には、「精神をゆたかにし、ヴィジョンを拡大する側面をふくめる」必要があると主張した。そして、「精神障害誘発剤」のかわりに、あたりさわりのない用語を披露したが、これは意味がはっきりしなかった。文字どおりにはサイケデリックは「精神を開示する」という意味で、いわんとするところは、この種のドラッグは予測のつくできごとを開示するのではなく、意識下にかくされていたものを表面にひきだす機能を持つということである。
マーティン・A・リー他 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ』(第三書館)
関連記事
→心理学的に見た「チベットの死者の書」
→サイケデリック体験とチベットの死者の書
→実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
→拙著『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。
また、上記のような変性意識状態が導く深淵な光明(世界)を知りたい方は、事例も含んだ拙著↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
freegestalt yu@freegestaltwork無料オンライン・セミナー『ゲシュタルト療法&変性意識入門』を2023年4月29日(土) 17:30~ 開催いたします。ご興味の方はぜひお問い合わせ下さい。
2023/04/17 21:48:07
https://t.co/wjE4TXYV4n… https://t.co/bbRKDcKkxA
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
「感覚の速度」。拡張された身体は、通常の身体感覚よりも速い、感覚の速度を持ちます。拡張された身体は、夢見の身体です。
自分の〈感覚の極点〉をイメージしたり、感じたりすること。そこに夢見の力が帯電し、結晶していきます。
魔法入門。ある意味、魔法は存在します。むしろ注目すべきは、リアルな「日常性」という幻想。それはひとつのゲームに過ぎません。それ以外はすべて魔法です。
物語的身体、音楽的身体、神話的身体、そして、アニメ的身体の背後にも、普遍的な「夢見の身体」が存在していると考えられます。
変性意識状態(ASC)を扱うのもスキルとなります。スキルが上達すると、より多様で深いリアリティを得られるようになります。シャーマニズムの伝統はそのことを教えてくれます。
体験を編集すること、夢を編集すること。心理学的な方法論により、そのようなことが可能になります。
「虹の彼方へ」ではなく「虹の彼方から」。実は、そこが重要かつ困難であったりもします。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
ここで、少し、
ゲシュタルト・コーチングの
特徴について触れてみたいと思います。
まずは、
通常のコーチングの効果についてです。
コーチングの効果そのものが、
日本ではあまり理解されていないので、
そこを押さえることが第一段階です。
コーチングとは、
セッションの中で、
クライアントの方が、
自分の深い願望に気づき、
その経験を生きられるようにすると同時に、
時々に陥っている視野の狭さを脱し、
目的への新しい行動計画を構想したり、
決断したりすることを、
サポートする方法論です。
コーチングが上手く働けば、
クライアントの方は、
自分の深い願望にコミットメントしながら、
新しい人生の局面を、
切り拓いていくことが可能になります。
そのためには、
きちんと、
「自分の心に向き合う」
ことが必要であり、
それを継続的に続けていき、
現実的に行動変化を起こしていくことが、
重要な取り組みになります。
ゲシュタルト・コーチング・アプローチは、
ゲシュタルト療法という、
心理療法に由来を持つので、
通常のコーチングと較べた場合に、
「自分の心に向き合う」といった時の、
心のレベル(次元)に違いがある、
といえます。
ゲシュタルト・コーチングの視点からすると、
通常のコーチングは、
クライアントの方の、
「日常意識」のみに、
働きかけている手法といえます。
一方、ゲシュタルト・コーチングは、
クライアントの方の、
「変性意識状態(ASC)」に、
働きかけていく手法といえるのです。
通常のコーチングとその成果は、
クライアントの方の、
「日常意識」によって、
維持・推進されていくものなので、
クライアントの方の努力や
意図的なコミットメントの維持が、
とても大切な要素になってきます。
「日常意識」とは、
(顕在意識ともいえますが)
心の全体性の中では、
氷山の一角の部分であり、
心の深い部分(潜在意識)まで、
意志を伸ばすことができないからです。
そのため、
通常のコーチングは、
クライアントの方の、
意図的な努力が、充分でないと、
成果も十分について来ない、
ということになってくるのです。
その人の、
意識と意欲次第、
ということになります。
一方、
ゲシュタルト・コーチングは、
クライアントの方の変性意識状態(ASC)を利用して、
(本人の理解の上ですが)
クライアントの方の、
潜在意識にも働きかけます。
クライアントの方の、
顕在意識と潜在意識を、
交流させていきます。
その結果、
クライアントの方は、
自分の潜在能力とより交流し、
それらを統合しつつ、
それらに動機づけられながら、
創造性を引き出すことが、
できるようになっていくのです。
そのため、
より楽に、自己変容しつつ、
自分の目標(目標)に向かって、
人生を推進していくが、
できるようになっていくのです。
それが、
ゲシュタルト・コーチングの特徴、
魔法(技法)のひとつなのです。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
変性意識状態(ASC)という言葉については、
日本でも、比較的、
知られるようになってきたようです。
ネットでも、
取り上げているサイトも、
以前よりは、
増えて来たようです。
しかしながら、
自分の多くの実体験を通して、
本当の変性意識状態(ASC)を、
深く理解している人や操作している人の記述は、
ほとんど見当たりません。
多くは、
噂話でしかない、
ボンヤリとした曖昧な記述に、
とどまっています。
リアリティがないわけです。
そのため、
ただでさえ日本は、
諸外国に較べて、
この手の情報が貧しいのに、
これでは、
変性意識状態(ASC)の、
本当の意義深さが伝わらないのでは、
懸念するばかりです。
30~40年くらい前に、
トランスパーソナル心理学関係の本が、
流通していた時代は、
もう少し実感的な変性意識状態(ASC)が、
語られていたものでした。
ところで、
本当に意味深い変性意識状態の次元は、
ワンダーランドです。
そこでは、
私たちが迷信的に信じ込んでいる、
時空の観念は、
霧のように、
吹き消されていきます。
私たちは、
リアリティを再定義しなければ、
ならなくなります。
そこには、
広大な、眩いばかりの、
光明の世界も存在しています。
私たちの人生には、
隠された意味があることが、
予感されるのです。
そして、また、
錬磨され、研ぎ澄まされた、
変性意識状態(ASC)は、
大袈裟にいえば、
一種の「透視力」状態ともなります。
そして、
変性意識状態(ASC)のエッセンスを、
普段の日常意識の中で活かしていく、
スキルを高めていくと、
それは千里眼のように、
物事の多様な深層を、
透視する能力ともなってくるのです。
意識を拡大させる能力といっても、
いいかもしれません。
そのような感覚が、
変性意識状態(ASC)を磨いていくと、
生まれてくるわけです。
ゲシュタルト・コーチングでは、
変性意識状態(ASC)の扱い方を、
意図的に鍛えていくことで、
私たちの人生に、
まったく新しい可能性と視力(透視力)を、
もたらしていくことを、
目的としているのです。
それは、
私たちの創造的アウトプットにとって、
決定的に重要な意味を持つものであるのです。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
『20世紀少年』という映画がありました。
近未来を描いた漫画原作の映画ですが、
その中に、
「ともだちランド」という施設が登場します。
それは、
謎の指導者「ともだち」による、
一種の矯正施設なわけですが、
その中には、
さらにボーナス・ステージとして、
ヴァーチャル・アトラクションというものも、
存在しています。
そこで、人は、
頭に電極をつけられて、
仮想現実の世界に、
送り込まれることになるのです。
送り込まれる仮想世界とは、
不思議なことに、
謎の「ともだち」が、
子供の頃に生きて、
体験していた、
そのままの世界なのです。
そこにあるのは、
「ともだち」や、
その友人たちが経験していた、
過去の出来事の世界なのです。
そこには、
変わることなく、
かつての過去の出来事そのものが、
再現されているのです。
さて、実は、
私たちの夢の世界も、
この「ともだちランド」に、
似たところがあります。
夢の表面的な部分を取り除いて、
夢の深い部分に入っていくと、
そこには、
私たちの体験した過去の出来事が、
何ひとつ変わることなく、
存在しているのです。
そのため、
夢の世界にアプローチして、
そこに介入することは、
私たちの自分史を作っている、
過去の出来事そのものを、
書き換えることにもなっていくのです。
私たちというものは、
自分の歴史(過去経験した出来事)の上に、
成り立っているものです。
今の私たちの行動は、
過去の出来事の影響(結果)として、
存在しているのです。
そのため、
過去の出来事そのものを、
書き換えるということは、
今の私たちの基底にあるプログラムを、
書き換えることにもなるのです。
そうすると、
(未来の)私たちも、
変わってしまうことになるのです。
実際、このように、
過去を書き換えることは、
可能なのです。
それは、なにも、
夢の素材を利用しなくとも、
可能なことなのです。
そして、そのことは、
さまざまな側面で、
過去の出来事に縛られている、
私たちの人生を変える(一変させる)、
大きなきっかけに、
なっていくのです。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
あなたは、夜見た夢を、
よく覚えているでしょうか?
また、自分の見た夢を、
よく理解できているでしょうか?
夢の世界は、
私たちの「心の全体」(機能の総体、魂)が、
よく表現されているものです。
夢の世界のメッセージは、
私たちのその時の人生に対する、
レポート・アドバイス・指摘でもあるのです。
そこには、
私たちの運命を予期・暗示する、
多様な智慧が含まれています。
そのため、
伝統的な社会の多くでは、
夢のお告げを丁重に扱い、
尊重してきたのです。
しかし、
私たち現代人の多くは、
夢のメッセージを聴きとる術(スベ)を、
失ってしまっています。
このこと自体が、
私たちの「魂の喪失」を、
示しているのです。
なので、私たちが、
夢のメッセージを理解したり、
夢と交流するスキルを増していくと、
私たちは、自分の魂の広大なひろがり、
その叡智と深さを、
より理解することが、
できるようになっていきます。
その創造力の無尽蔵の秘密を、
利用できるようにもなっていきます。
映画監督デヴィッド・リンチは、
作品の中でも、よく夢を使いますし、
生活の中での夢のヒントについても、
よく言及しています。
夢をよく知り、馴染んでいる人は、
多く創造的な人々です。
ゲシュタルト・コーチング・アプローチでは、
夢を理解し、活かし、交流するスキルを磨くことで、
私たちの人生そのものの運航に、
深いレベルで介入していくことになるのです。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
変えていかなければ、
ならないわけです。
これからの日本は、
未曽有の困難が予想されます。
日本の経済、財政等は、
事実上、終焉しているので、
まさに、サバイバル的状態が、
やって来ることになります。
(最近でも、経団連会長のコメントと同期して、
大手メーカーのリストラが発表されました)
その終末の時代が来た時に、
自分の「身ひとつ」で、
創造的なアウトプット(価値)を生み出すスキルが、
身につけられているでしょうか?
ところで、私たちは、
自分の中から、
無尽蔵なアウトプットを生み出すことが、
可能です。
今世間で盲信されている価値体系を超えて、
リアルに、自分の「心」にアクセスしていけば、
いいだけです。
ここでは、連載形式で、
そのような方法論について、
記していきたいと思います。
【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
→ゲシュタルト療法【基礎編】
→ゲシュタルト療法【実践・技法編】
→ゲシュタルト療法【応用編】
→「セッション(ワーク)の実際」
【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
→変性意識状態(ASC)とは
→「英雄の旅」とは
→体験的心理療法
→NLP 普及・効果・課題
→禅と日本的霊性
→野生と自然
【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
→変性意識状態(ASC)の活用
→願望と創造性の技法
→その他のエッセイ
【PART4 当スペース関係】
→フリー・ゲシュタルトについて
→セッションで得られる効果
→なぜ、ゲシュタルトなのか
→メニュー/料金
→著作紹介
→メルマガ登録
→お問い合わせ
freegestaltworks