潜在意識と変性意識を利用した自己変容で
 〈流れる虹のマインドフルネス〉へ
           
〈変性意識〉と〈深化/進化型のゲシュタルト療法〉で、
    あなたのビジネス、アート、コーチング、カウンセリング、NLPに
        真の超越的次元をもたらします

フリー・ゲシュタルト・ワークスは、
「実践的心理学」―ゲシュタルト療法―
をベースに、
・ほしい未来や状態の実現、目標/目的の達成
・卓越したパフォーマンスの発揮(発現)
・並外れたアウトプットの具現化
・自信や意欲の向上、自己肯定感のアップ
・まわりの人々(他者)への影響力の増大
・人間関係の悩みや葛藤解決、過去の囚われからの解放
・才能と独創性(天才性)の発掘/発揮
・アウェアネス(awareness 気づき)とマインドフルネスの向上
・意識と知覚の拡大、覚醒 awakeness 状態の実現
・既存の自己(世界)からの超越と変容
・自己変容と至高体験 peak-experience の達成
など、
心の能力を育て、増大するための、
セッションや方法論を、
ご提供しているスクールです。
コーチング・スペース、
セラピー&カウンセリング・スペース、
また、能力・創造性開発の、
マインド・コンサルティング・スペース、
です。
変性意識状態(ASC)と、ゲシュタルト療法)を、
方法論として、
優れたアウトプットを生み出すための、
自由で、創造的なスキルの獲得をサポートしています。
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創造性開発

動画解説「気づきのメタ要素と創造的な自己の運用」


この動画では、
当スペースで、
スキルを学んでいくと、
どのような自己のスタイルや、
存在のスタンスが得られていくかについて、
解説しています。

メタ的な気づきのうちに、
自己を、創造的に運用していく、
そんなスタイルが、
得られていくことになります。



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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連載8 「物語の力」と変性意識状態(ASC) 頭抜けたアウトプットを出す直接的方法

さて、今回は、
「物語の力」と変性意識状態(ASC)について、
書いてみたいと思います。

「物語」とは、
映画や小説、アニメその他、
さまざまな形態で存在しています。
それは、人の体験談や噂話のような形態でも、
存在しています。

私たちが、
「物語」に惹きつけられ、
感情を動かされるのは、
私たちの心の構造が、
「物語」の中に、
投影されているからです。

心の構造の中には、
私たちの自我に関わる、
心理的次元のものもあれば、
もっと深い一種神話的な次元のものも、
あります。

いずれにせよ、
私たちは、心の奥底にあるものを、
物語に投影して、
物語の中で、
自分の魂そのものに、
出会っているのだといえます。

これは、
対人関係における心理的投影と、
大枠の構造は同じです。

私たちは、
生活の中で、
さまざまな人々に、
自分の心の内容を投影して、
彼ら・彼女らを、
見ているのです。

物語の中においても、
私たちは、
自分たちの心の中の、
さまざまな自我たちや、
夢見の創造性を投影して、
それらを体験しているわけです。

「物語」という形態(の仕掛け)によって、
それが可能になるわけです。

そのため、
「物語」をそのようにとらえていくと、
私たちの心を把握するための、
大変便利なツールになっていくのです。

そして、また、
変性意識状態(ASC)などを使って、
私たちが、
自分の心の中の探索に慣れてくると、
自分の中に、
直接、豊かな物語や舞台、
登場人物たちを、
見ていくことも、できるようになるのです。

その結果、今度はそれらを、
外の世界に、
創造的にアウトプットできるようにも、
なっていくことになるのです。

そして、新たな物語が、
紡がれていくことになるのです。

これらを総じて、
「夢見の技法」と呼ぶことも可能です。

「物語」の形態に、
意識的に習熟していくことは、
そのような効果を持つことでもあるのです。






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

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動画解説「物語の力」と変性意識状態(ASC) 


この動画では、
私たちを惹きつける
「物語の力」の<
原理と創造的な活用法を、
私たちの心理的構造や、
変性意識状態(ASC)と絡めて、
解説しています。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
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気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
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動画解説 映画『マトリックス』『攻殻機動隊』 現代的(心理学的)シャーマニズム


この動画では、
変性意識状態(ASC)を扱う技法について、
映画『マトリックス』や『攻殻機動隊』、
シャーマニズムのモデルを使いながら、
その普遍性について検討しています。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
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変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
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禅と日本的霊性
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【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

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動画解説「魔法入門 変性意識活用法 意識拡張と創造性」


この動画では、
変性意識状態(ASC)の、
基本的な構造や、
役立つ効果について、
簡単にお話しています。



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
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「セッション(ワーク)の実際」

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変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
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気づきと変性意識の技法 応用編
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動画解説『サイケデリック(意識拡張)体験とメタ・プログラミング』

この動画では、
別動画「映画『攻殻機動隊』ゴーストの変性意識」の
続編・補足編として、
私たちの意識や心の、
階層構造や可能性について、
解説しています。

ジョン・C・リリー博士の仮説モデルをもとに、
意識のプログラミングや、
メタ・プログラミングについて考えています。




スライド6



スライド9

スライド10


スライド11


スライド14



連載7 想像力と能力拡張 頭抜けたアウトプットを出す直接的方法


さて、私たちが、
自分の「能力」や「意識」を
拡張していくに際して、
そもそも、
自分の中に、
ある種のイメージを持っているか否かが、 
探求的取り組みのなかでは
意外と重要な要素に、
なってくるということがあります。  

人間が、到達しうる、 
未来の、 ありうべき状態が、 
イメージできるかということが、
重要なことになってくるのです。  

そのような事柄を、 
なんとなくでも、
イメージしている人は、 
実際、その状態にも、
到達しやすいのです。   

これは、
私たちが、そもそも、
自分のうちに在るものを投影して、
物を見ているからです。

外部にある素晴らしいものと感じるものは、
あなたのうちにある、
素晴らしい何かなのです。

そのため、
それを、よりイメージしたり、
感覚にしたがい着実に追い求めていくと、
実際にそれらに達することも、
できることになるのです。

たとえば、 
普通には、イメージしにくい、 
次のような奇妙な言葉があります。   

「…より大きな高揚状態に、
驚くほど大きな高揚状態に、
異様な高揚状態に、
今まで知られたことのない高揚状態に、
自己を越え、あらゆるものを越える高揚状態に、
奇蹟的な高揚状態になる。
その高揚状態は、(中略)充溢であり、
解放でもあり、瞑想でもあり、
解放以上のものへの渇きでもあるのだが、
しかしながら、それはまた、
われわれがしまいこんでおけないほどの、
われわれには値しないほどの、
過度に幸せな歓喜の中での、
われわれがそれを受け入れているのか
与えているのかわからないほどの、
あまりにも、あまりにも大きな……
あり余るほどの歓喜の中で、
胸が破れてしまいはせぬかと心配するほどの
高揚状態なのである」
(ミショー『荒れ騒ぐ無限』小海永二訳、青土社)   

たとえば、
このような言葉を、 
人間のありうべき状態として、
その可能性として、
 イメージできる人は、 
人生の中で、
実際に、そのような状態にも、
達しやすくなっているのです。    



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
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動画解説「総合サイト案内 フリー・ゲシュタルト・ワークス」


この動画では、
当スペース
「フリー・ゲシュタルト・ワークス」の
サイト案内や方法論について
説明しています。






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動画解説 ゲシュタルト療法 セッションの効果 意欲と創造力の増大

この動画では、
ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)の効果
について解説しています。

当スペースのゲシュタルト・アプローチでは、
以下の効果が得られます。

①意欲とエネルギーの増大 (心理的統合の成果)
➁創造力の増大 (心理的解放の成果)






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
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ゲシュタルト療法【実践・技法編】
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キース・ジャレットの覚醒と熱望 グルジェフィアンの面影


さて、前回、
G・I・グルジェフのいう、
自己想起self-rememberingを取り上げ、
気づきawarenessと、
そのあるべき姿について、
考えてみました。
気づきawarenessと自己想起self-remembering

今回は、
その続きで
気づきawarenessや、
自己想起self-remembering、
覚醒awakenessについて、
また少し見ていきたいと思います。

ところで、
グルジェフ Gurdjieff については、
ミュージシャンの中に、
信奉者が多いのですが、
特に、
ピアニストのキース・ジャレットや、
キング・クリムゾンのロバート・フリップなど、
即興演奏を重視するミュージシャンに、
その信奉者が多いことは、
注目すべきことでもあります。

実は、それは、
即興表現というものに内在した、
必然的な事態でもあるからです。

さて、
ところで、
世の優れた即興演奏の中には、
あたかも、
その演奏(音楽)が、
慣性的な時間に逆らい、
時間の流れに逆行して、
今ここの空間を切り拓き、
時空を創出するかのような印象を、
受けるものがあります。

その音楽の中で、
私たちは、
時間の水平的な流れに対して
(私たちは普段それに流されているわけですが)
あたかも、その上に立つかのように、
垂直的な在り方をするかのようにも、
感じられたりするものです。

存在(時間)を対象化する、
「存在論的な印象」を、
受けるのです。

存在論的な感覚も、
存在に対して、
あたかも、
その上位に立つかのような、
メタ的な、
垂直的な印象を与えるものだからです。

かつて、批評家の間章が、
エリック・ドルフィー Eric Dolphyに
感じ取ったのも、
おそらく、
そのような垂直的な印象だと、
考えられます。

ドルフィーの軽やかさは、
反慣性的で、
反重力的な性質のものです。

そして、これは、
自己想起self-rememberingの持つ、
覚醒感awakenessと、
即興演奏との、
ある種の親和性でも、
あるのです。

今回は、
そのような親和性を、
明確な方法論として位置づけている、
キース・ジャレットKeith Jarrettの言葉を引いて、
この内実を、
見ていきたいと思います。

その著書『インナービューズ』(山下邦彦訳、太田出版)
における、彼の言葉は、
とても示唆に富んでいます。

そこで、
ジャレットは、
気づきや覚醒、熱望(欲望)、
演奏や経験について、
大変興味深い考えや洞察を、
数々示しているのです。

そこで、
彼が語っている覚醒awakeness
というのは、
当然、自己想起self-rememberingに近い、
存在論的な状態のことを、
指していると思われます。

それは、
前回引いた、
タート博士の言葉によれば、
「ある種の透明さ」
「その瞬間の現実に、
より敏感で、
より存在しているという感じ」
としても、
表現されているようなものです。

「人々が
『感じること、見ること、聞くこと』を
初めて試みる時、
彼らは、しばしば、
ある種の微妙な透明さ―
その瞬間の現実に、
より敏感で、
より存在しているという感じ―
を体験する。
それは、
合意的意識では味わうことができず、
また、事実、
言葉では適切に述べることができない、
そういう種類の透明さである。」
(タート『覚醒のメカニズム』〔原題:waking up〕
吉田豊訳、コスモス・ライブラリー)

さて、
キース・ジャレットは語ります。

「実は、ぼく自身、
自分のことを音楽家だというふうには、
考えていない。
どういうことかって言うと、
ぼくは自分の演奏を聴いていて
ほんとうは音楽が問題なのではない
ということがよくわかるんだ。
ぼくにとって、音楽というのは、
目覚めた状態、覚醒したawake状態に
自分を置き、
その知覚、意識awareness、覚醒awakenessを
認知し続けることに
かかわったものなんだ。」

「ぼくにとって、音楽のすべての形式は、
それ自体は、なんの意味もない。
その音楽を演奏している人間が
覚醒した状態にいるからこそ
(仮面の表情の奥で覚醒しているからこそ)、
その音楽は意味を持ってくるんだ。
演奏している人間が覚醒しているなら、
その人間の演奏するあらゆる音楽が
重要になってくる。
この覚醒こそ、最も重要なものなんだ。」

「自分を覚醒した状態にするための
ひとつの方法は、
できるだけ自然のままので、
自発的な状態でいることだ。
きみが自発的な状態でいれば、
自分のくだらないアイディアと
良いアイディアの区別が
よく聞こえてくる。
なにもかも準備した状態では、
そのような経験を持つことは
けっしてないだろう。」

「ぼくにとって、“欲望(want)”というのは、
覚醒した状態、目覚めた状態にいることであり、
きれいな音を出すとか、
耳に心地よい快適な音を出すとか
ということではない。」

「ミニマリズムによって弾かれる1音と、
覚醒した状態にある誰かによって
弾かれる1音との間には、
信じられないほどの違いがある。
覚醒した状態にある人間は、
眠った状態におちいりたくない。
かれはそのひとつの音を、
可能な限りのあらゆる方法で弾いて、
覚醒した状態を
持続するよう努力するだろう。
この時彼は、聴衆から
緊張を取り除こうとしているのではない。
むしろ、緊張の存在に
気がつくようにしているのだ。」

「とにかく、
彼は音楽を聞くためにやって来たのだから、
ぼくは音楽で対処する。
『きみにはある期待がある』
これはぼくが彼に語りかけているわけ。
『きみは期待している。
しかし、その期待は
過去にもとづいているもので、
現在にもとづいたものではない。
きみがそういう期待をもっていることを
否定はしない。   
でもぼくは期待以上のものをあげよう。
きみに“ 今”をあげよう。
きみが自分の期待をのぞきこむことのできる
鏡をあげよう』」

「こういったことが、
ぼく自身、
自分のことを音楽家だというふうには、
考えていないという理由なんだ。
(たとえばトリックのようなものは)
音楽上の興味としてはあるかもしれない。
しかし、人生はまた別のものだ。
ぼくはなんとか
その中間に位置したいと思っている。
ぼくはたしかに音楽をやっているけれど、
それは音楽的理由だけのために
やっているのではない、ということなんだ。
でも、ぼくはこういうことを
教えようとしているのではない。
経験しようとしているんだ。
この経験こそが、
コミュニケーションだ。」

「自分が何を弾いているのかということも
たしかに重要だけれど、
もっと重要なことは、
『これはどこから来ているのか?』
『今、こう弾きたいという衝動は
どこから来たのか?』
ということだ。」
(前掲書)


さて、以上、
キース・ジャレットの言葉を
見てみましたが、
通常の音楽家とは、
演奏に求めている事柄が、
少し違うことが分かるかと
思われます。

また、
グルジェフについても、
決して、生半可な理解で、
言及しているのではないことも、
分かります。

そして、
このような彼の言葉が、
彼の音楽を聴くに際して、
(多くの場合そうであるように)
邪魔にならないばかりか、
かえって、
覚醒的awakenessなものにする、
という点も、
興味深いことであるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
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【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
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【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
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アイデンティティの極致としての至高体験

さて、前回、
自己実現に影響する、
至高体験peak-experienceの
さまざまな特性について、
見てみました。
「至高経験」の効能と、自己実現

今回は、
アイデンティティ(自己同一性)の、
極致として現れる、
至高体験の姿について、
見てみたいと思います。

通常、私たちは、
「自分とは、誰であるのか」と、
自己の存在/体験について、
つねに、確信と不確信の間を、
揺れ動いています。

それは、
私たちの日常意識や自我が、
構造的に持っている不十分さを、
反映しているためと、
考えられます。

しかし、
至高体験(至高経験)peak-experienceにおいては、
その構造的欠陥が、
いっとき、消し去られます。

マズローは述べています。

「人びとが至高経験におかれているとき、
最も同一性identityを経験し、
現実の自己に近づいており、
最も個有の状態である
というのがわたくしの感じなので、
これは純粋、無垢のデータを提供してくれる
とくに重要な源泉であると思われるのである。」
(『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

それらを描写する、
マズローの言葉を、
いくつかまた、
拾っていってみましょう。

「至高経験にある人は、
他の場合以上に精神の統一
(合一、全体、一体)を感ずる。
かれはまた(観察者から見ても)
いろいろのかたちで
(以下に述べるように)
一段と統合しているようにみえる。
たとえば、分離分裂が少なく、
自分に対して闘うことよりも
むしろ平和な状態にあり、
経験する自己と
観る自己との間にずれが少なく、
かれのすべての部分的機能が
たがいに巧妙に、
齟齬なく体制化せられ、
それが集中的、調和的、効率的である、など。
以下、統合および
その基礎となる条件について、
違った観点から述べてゆきたい。」

「かれが一段と純粋で
単一の存在になるにつれ、
世界と渾然一体と
深くつながることができるようになり、
以前には自己でないものとも
融合するようになる。
たとえば、愛人は、
たがいに緊密になって、
二人の人間というよりはむしろ一体となり、
我―汝の一元論は可能になり、
創造者は創造している作品と一つになる。(中略)
つまり、同一性identity、自立性autonomy、
自我性selffoodの最高度の到達は、
同時にみずからそれ自体を超越し、
自己を超えてすすむのである。
その際、個人は
比較的無我になることができる。」

「至高経験における個人は、
普通、自分がその力の絶頂にいると
感じられるのであって、
すべてのかれの能力は、
最善かつ最高度に
発揮せられているのである。
ロジャーズはいみじくもいっている。
かれは『完全に機能するfull-functioning』のを感ずると。
かれは、他のときと比べて、
知性を感じ、認知力に優れ、
才気に富み、力強く、
好意的であることを感ずる。
かれは最善の状態にあり、
調子をかため、
最高の状態におかれている。(中略)
かれはもはや自分と闘い、
自分を抑えようとして
無駄な努力を重ねようとはしない。(中略)
普通の状態では、
われわれの能力の一部は行為に用いられ、
また一部は、この能力を抑えるために費やされる。
ところがいまや、
浪費するところがないのである。」
(前掲書)

ちなみに、
このような葛藤の消滅感などは、
ゲシュタルト療法のセッション後に
私たちが、しばしば感じる、
強烈な高揚感の、
重要な原理・構造的理由でもあるのです。

続けて、
彼の言葉を見ていくと…

「完全に機能するfull-functioningという状態を、
わずかばかり違った面から見ると、
人が最善の状態にあるときは、
労せずに容易にはたらくということである。
他日努力し、緊張し、苦闘したことがらも、
その場合、なんの努力も、骨折りも、
苦労もなしに
『おのずと生ずるcomes of itself 』のである。
それとともに、
すべてのことが『ぴったりとclicks 』と、
あるいは『整然is in the groove 』と、
あるいは『力いっぱい in overdrive 』に
おこなわれるとき、
よどみなく、易々と、労せずして、
完全にはたらく状態は、
往々優美感や洗練された外観を
呈するといっても
過言ではないのである。」

「ある人は、至高経験においては、
他の場合以上に、自分を
活動や認知の責任ある能動的、
創造的主体であると感ずるのである。
かれは、
(人に動かされたり、決定されたりする
無力で、依存的、受動的で、弱々しく、
隷属的であるよりは)
根本的に運動の主体であり、
自己決定者であると感ずる。
自分は自制して、
責任を完全にはたし、
断固とした決意と、
他の場合にみられないような
『自由な意志 free will 』でもって、
自己の運命を開拓している、
と感ずるのである。

「かれはいまや次の状態から
極めて自由な立場におかれている。
つまり、障害、抑制、
警戒心、恐怖、疑惑、
統制、遠慮、自己批判、制止である。」

「かれは自発的で、表現に富み、
天真爛漫に振舞う。
(悪意がなく、純朴で、正直、率直、
純真で、あどけなく、飾り気もなく、
開放的で、気どらない)
また自然で(単純で、滑脱、敏活で、
素直、誠実で、とり繕わず、
特定の意味からいっても素朴で、実直)
こだわりがなく、
自己を自由に表出する
(自動的で、直情的、反射的、
『本能的』で、天衣無縫、
自己意識がなく、虚心、無自覚)
のである。」

「かれは、したがって、
特定の意味からして『創造的』である。
かれの認識や行為は、
強い自信や確信に支えられて、
その本質が問題性をもった場面、
あるいは問題でない場面に対し、
『彼岸out there』の立場乃至要請から、(中略)
つくりあげてゆくことが
できるのである。(中略)
当意即妙、
無より生ずるもので、
予想できるものでなく、
新奇で斬新な、
陳腐でも通り一ぺんでもない、
教わることのない
非慣習的のものである。」

「このことはすべて、
独自性、個性、特異性の極致にある
ということができる。(中略)
至高経験の際には
ことさら純粋に異るのである。(中略)
至高経験においては、
かれらのひととなりは
一層顕著になるのである。」

「至高経験においては、
個人は最もいまここhere-nowの存在であり、
いろいろの意味からして、
過去や未来から最も自由であり、
経験に対して最も
『開かれているall there』。」

「いまや、人はより一段と
純粋に精神的なものとなり、
世界の法則のもとに生きる
世界内存在の意味は薄れるのである。
つまり、かれは相違があるかぎりでは、
非精神的な法則よりも、
精神内法則によって
決定される点が多くなるのである。」

「至高経験において、
人は動機をもたなくなる。
(あるいは欲しないようになる)
とりわけ、欠乏動機の見地から見て
そうである。
この同じ理論領域において、
最高の、最もまともな同一性identityを、
無為、無欲、無私として、換言すれば、
普通の欲求や衝動を超越したものとしてとらえても、
同様である。
かれはまさにかれである。
喜びは達せられたのであり、
喜びを求める努力は一時的な終わりを
とげているのである。」

「至高経験を伝える表現方法や伝達方法は、
詩的、神秘的、叙事詩的になりやすい。」

「すべての至高経験は、
デーヴィド・エム・レヴィの意味における
『行為の完了 completions-of-the-act 』として、
あるいはゲシタルト心理学者のいう閉鎖closureとして、
ライヒ学派の例でいえば、完全なるオーガズムの型として、
あるいはまた全体的解発、カタルシス、
カルミネーション、クライマックス、
成就、空虚、終結として、
効果的に理解できるかもしれない。」

「ある種の遊戯性は、
B価値をもっていると
わたくしは非常に強く感ずるのである。(中略)
重要なことは、それが至高経験に際して
最も多く報告されていることであり、
(人の内面からも、外界から見られるところからも)
また、報告している人以外の研究者によっても
見られることである。(中略)
このB遊戯性を述べることは非常にむずかしいが、
たしかになんらかの敵意を超えた、
宇宙的で神のような、
よいユーモアの特性をもつものである。
これは容易に、幸福の喜び、
みち溢れる陽気さ、
あるいは愉しさと呼ぶことができよう。」

「人びとは、至高経験の間およびその後で、
著しく幸福、幸運、恩寵を感ずる。
『わたくしは分不相応だ』というのが
珍しくない反応である。
至高経験は企図せられるものでも、
計画にしたがってもたらされるものでもでもない。
それらは偶然におこるものである。
われわれは
『喜びでもっておどろく surprise by joy 』
のである。
思いもよらないという不意の驚きの反応、
快よい『知ることのショック shock of recognition』は
非常に多いのである。」
(前掲書)


…………………………………………

さて、
アイデンティティの極致としての、
至高体験の姿について、
さまざまに見てみましたが、
この姿は、
個を超出する要素を持ち、
自己同一性(アイデンティティ)ということを、
考える中では、
ある意味、
両義的な要素ともなるわけです。

マズローは、
それを「逆説」と呼び、
以下のように語っています。

「同一性identityの目標とするところ
(自己実現、自立性、個性化、
ホルネイの現実自己、真実性等)は、
同時に、それ自体究極の目標であるとともに、
また、過渡的な目標、経路のならわし、
同一性identityの超越にいたる行路の一段階
であるように思われる。
このことは、
そのはたらきがそれ自体を消してゆく、
ということもできる。」

このような洞察が、
後に、マズローの研究を、
自己実現のテーマから、
自己超越のテーマへと、
移させたことがわかります。

つまり、
私たちは、
究極の自己を求めるがゆえに、
図らずも、
自己を失っていく(超え出ていく)
というプロセスを、
たどっていくことになるのです。

そして、しかし、
その結果、
自己を失う(超え出る)がゆえに、
私たちは、
再び、真の自己を発見(逢着)していく、
といったことにも、
なっていくわけなのです。

そして、その点が、
至高体験が、
私たちの自己同一性identityが持つ、
不確実感を、
克服する要素にも、
なっているわけなのです。

そして、
このあたりの事情は、
変性意識状態(ASC)をめぐる、
さまざまな体験領域においても、
同様に、
重要な問題となって来る事柄でも、
あるのです。

変性意識状態(ASC)においては、
私たちの見知った日常意識が、
さまざまに相対化されて(超え出られて)いくからです。

そのため、
心理変容と変性意識状態(ASC)を扱った、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においても、
これらの事柄は、
重要なテーマ(行きて帰りし旅)として、
焦点化されて来ることになったのでした。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


Abraham-Maslow


【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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「至高体験」の効能と、自己実現


さて、前回、
いささか使い古された感のある、
マズローの自己実現self-actualization
という概念を取り上げ、
それが、
下位の欲求実現のあとにのみ、
ピラミッドの頂点のように、
現れるわけではないことについて、
見てみました。
「完全なる体験」の因子と、マズロー

今回は、
マズローの、別の有名な概念である、
至高体験peak-experience
について取り上げ、
その瞬間的な体験が、
自己実現に作用する、その構造的関係を、
見ていきたいと思います。


◆自己実現の再定義

ところで、
マズロー自身は、
通俗的なイメージにあるような、
「自己実現のモデル」が、
積み木のような静的なモデルとして、
とらえられてしまうことを、
危惧してもいました。

そして、
さまざまな形で、
人生に現れる、
至高体験(至高経験)peak-experienceの体験が、
人の自己実現を、
促進していく要素を持つことについて、
自己実現の再定義として、
記しています。

「換言すると、
だれでも何らかの至高経験においては、
自己実現する個人に見られる特徴を
多く示すのである。
つまり、しばらくの間、
かれらは自己実現者になるのである。
われわれは望むなら、
一過性の性格変化と考えてよいのであって、
情緒―認識―表現状態はまるで違う。
これらは
かれの最も幸福で感動的な瞬間であるばかりでなく、
また最高の成熟、個性化、充実の瞬間―
一言でいえば、
かれのもっとも健康な瞬間―でもある。」

「このことは、
われわれがその静的、類型学的欠陥を一掃し、
極くわずかの人びとが六〇歳になって入ることのできる
悉無律all-or-noneの神殿としないように、
自己実現を再規定することを可能にする。
われわれはこれを挿話として、
あるいは人を奮起させる事柄として、
規定することができるのである。
そこでは、人の力はとくに有効に、
また非常に快的なかたちでもって結集されるだろうし、
かれは一層統合せられ、分裂が少なく、
経験に開かれ、特異的で、
まったくのところ表現豊かで、
自発的で、完全に機能し、
創造に富み、ユーモラスで自我超越的で、
自己の低次欲求より独立する
等々になるのである。
かれはこれらの挿話において、
真に自己自身になり、
完全にかれの可能性を実現し、
かれの生命の核心に接するようになるのである。」

「われわれが
自己実現する人びとと呼んで区別するものは、
平均人よりもはるかに何度も、
又強く、完全に、
これらの挿話的事態が生ずると
みられることである。
このことは、
自己実現が悉無律的な事柄ではなく、
むしろ程度や頻度の問題であり、
したがって、適当な研究手段に乗せ得ることを
示すのである。
われわれはもはや、
大部分の時間、自己を充実できる極くわずかの被験者を
研究することに限られる必要はない。
理論的にいって、少なくとも、
自己実現の挿話としてどのような生活歴を
研究してもよいのである。」
(『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

ここでは、
至高体験(至高経験)と、
自己実現との関係、
また、至高体験が、
自己実現に作用するあり様が、
語られています。


◆マズローの狙うところ

ところで、
マズローは、今では、
自己実現や至高体験などの概念で、
知られていますが、
彼の研究の元々の来歴は、
精神分析のような、
欠乏deficiencyした欲求(動機)によってのみ、
構成される人間像というものに、
彼が違和感を感じたからでした。
そこからでは、
創造的な人間像が、
まったく描けないからでした。

人間の存在状態の、
多様な帯域を網羅するには、
観察される、
肯定的で、創造的な要素も、
加えることが必要だと考えたからでした。

そこで、彼は、
欠乏deficiencyを軸とした、
D動機 D-motivation だけで構成される人間像ではなく、
生命 being や生成 becoming の成長欲求を核とした、
B動機 B-motivationというものを、
考えていくようになったのでした。

誰の人生においても、
挿話的に現れる、
創造的で肯定的な体験領域―至高体験や、
また、それらを含む体系として
より包括的な心理学を、
構想するようになったのでした。

彼は語ります。

「これは、
『積極的心理学』あるいは
未来の『予防心理学』に関する一章であって、
完全に機能する健康な人間を取り扱い、
ただ通常の病気である人のみを
取り扱おうとするのではない。
したがって、
「平均人の精神病理学」としての心理学に
対立するものではなく、
それを超え、原理的にいって、
病気も健康も、
また、欠乏も生成も生命も
ともに含める総括的、包括的な体系の中で、
すべてその発見を具体化できるのである。
わたくしは
それを生命心理学Being-psychologyと呼んでいる。
というのは、
それが手段よりもむしろ目的に関係しているからである。
すなわち、最終経験、最終価値、最終認識、
達人people as endsというものに
関与しているためである。
ところがこんにちの心理学の研究するところは、
大抵、所有することよりも所有しないことに、
成就よりも努力に、
満足よりも欲求不満に、
喜びに達したことよりも喜びを求めることに、
そこにあることよりもそこに達しようと努めることに
おかれているのである」
(前掲書)


◆至高体験peak-experienceの諸相

さて、次に、
彼が注目し、事例を収集した、
至高体験(至高経験)peak-experienceについて、
見てみましょう。

通常訳語に使われている、
「至高」という言葉は、
何か宗教的で特別な感じがありますが、
実際は、
身近にあるハイな体験の中でも、
特にその強度が強いものといったものです。

「B愛情B-loveの経験、親としての経験、
神秘的、大洋的、自然的経験、美的認知、創造的瞬間、
治療的あるいは知的洞察、オーガズム経験、
特定の身体運動の成就などにおける
これら基本的な認識事態を、
単一の記述でもって
概括しようとこころみるものである。
これらの、
あるいはこれ以外の最高の幸福と充実の瞬間について、
わたくしは『至高経験』と呼ぼうと思う」(前掲書)

彼が、
至高体験のものとして挙げる、
さまざまな特徴を、
ひろってみましょう。

「B認識B-cognitionでは、
経験乃至対象は、
関係からもあるべき有用性からも、
便宜からも、目的から離れた全体として、
完全な一体として見られやすい。
あたかも宇宙におけるすべてであるかのように、
宇宙と同じ意味での生命のすべてであるかのように
見られるのである。
これは、
大部分の人間の認識経験である
D認識とは対照的である。」

「B認識のあるところ、
認識の対象にはもっぱら、
またすっかり傾倒される。
これは「全体的注意」
―シャハテルもまたそうみている―
と呼んでもよいかもしれない。
ここでわたくしが言おうとしていることは、
魅惑せられること、
あるいはすっかり没頭することの意味に
非常に近いのである。
このような熱中においては、
図は図ばかりになり、
地は事実上消えてしまうか、
少なくとも重視はされない。
それはまるで、当分の間、
図は他のものすべてから切り離されたようであり、
世界が忘れ去られたようでもあり、
暫くの間、認識の対象が
生命のすべてになったかのようである。」

「そのときには、かれは直ちに、
自然がそのまま、
それ自体のために存在するように見ることができ、
決して人間の目的の遊戯場としては
見ないのである」

「わたしが見出したところでは、
自己実現する人間の正常な知覚や、
平均人の時折の至高経験にあっては、
認知はどちらかといえば、
自我超越的、自己滅却的で、
無我であり得ることなのである。
それは、不動、非人格的、無欲、無私で、
求めずして超然たるものである。
自我中心的ではなく、対象中心である。
つまり認知的な経験は、
自我にもとづいているのではなく、
中心点を対象におき
その周辺に形作っていくことができるのである。
それはみずからとかけはなれ、
観察者に頼らない
なんらかの実在を見ているかのようである。
美的経験や愛情経験では、
対象に極度にまで没入し、
『集中する』ので、
まったく実際のところ、
自己は消えてしまうばかりである。」

「至高経験は自己合法性、
自己正当性の瞬間として感ぜられる。
それとともに個有の本質的価値を荷うものである。
つまり、至高経験はそれ自体目的であり、
手段の経験よりも
むしろ目的の経験と呼べるものである。
それは、非常に価値の高い経験であり、
啓発されることが大きいので、
これを正当化しようとすることさえ
その品位と価値を傷つけると
感ぜられるのである。」

「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、
すべて時間や空間について
非常に著しい混乱が見られる。
これらの瞬間には、
人は主観的に時間や空間の外に
おかれているというのが正しいであろう」

「至高経験は、
善であり、望ましいばかりで、
決して悪だとか、望ましくないものとしては
経験せられないのである。
経験は本質的に正当なものである。
経験は完全で完成したものであり、
それ以外をなんら必要としない。
経験はそれ自体充分のものである。
本質的に、必然的で不可避のものである。
それはまさにあるべく姿である。
それは畏怖と驚嘆と驚愕と卑下、
それに敬服と高揚と敬虔でもってさえ
反応させれるのである。
この経験に対する人の反応を述べるのに、
神聖ということばも時折使われている。
それは生命の意味からして
喜ばしく、『痛快なものamusing 』である。」

「至高経験においては、
現実そのものの性格をさらに明確に見ることができ、
またその本質が
より深く見透されるものだとの命題を認めたい。」

「至高経験は、
この観点から見ると、
絶対性が強く、それほど相対的ではない。
(中略)それは比較的達観し、
人の利害を超越しているというだけではない。
それらはまた、
みずからは『彼岸』にあるかのように、
人間臭を脱し、
自己の人生を超えて
永続する現実を見つめているかのように、
認知し、反応するのである。」

「至高経験は、純粋の満足、
純粋の表現、純粋の高揚
あるいは喜びと考えてよい。
だがやはり
それは『世上における』ことであるから、
フロイトの『快楽原理』と『現実性原理』の
一種の融合を示すのである。
したがって、それはさらに、
心的機能の高い水準において、
普通の二分法的考え方を
解決した一例ともいえるものである。
したがって、われわれは、
このような経験をもつ人びとには
無意識に対する親近性と開放性、
無意識を比較的おそれないことといった
ある種の『浸透性』が
共通に見出される、と考えてよい。」
(前掲書)


◆至高体験の効能

さて、上記のような、
至高体験が、
人の心理的側面に、
大きな影響を与えることは、
容易に想像することができると思います。

マズローは、
その人格変容(転換)への影響を、
以下のように記します。

「1 至高経験は、厳密な意味で、
徴候symptomsを取り除くという
治療的効果を持つことができ、
また事実もっている。
わたくしは少なくとも、
神秘的経験あるいは大洋的経験をもつ二つの報告
―ひとつは心理学者から、いま一つは人類学者から―
手にしているが、
それらは非常に深いもので、
ある種の神経症的徴候を
その後永久にとり除くほどである。
このような転換経験は、
もちろん人間の歴史においては
数多く記録せられているが、
わたくしの知るかぎりでは
決して心理学者あるいは精神医学者の
注目のまととなってはいないのである。

2 人の自分についての見解を、
健康な方向に変えることができる。

3 他人についての見解や、かれらとの関係を、
さまざまに変えることができる。

4 多少永続的に、世界観なり、その一面なり、
あるいはその部分なりを変えることができる。

5 人間を解放して、
創造性、自発性、表現力、個性を
高めることができる。

6 人は、その経験を
非常に重要で望ましい出来事として記憶し、
それを繰り返そうとする。

7 人は、たとえそれが
冴えない平凡な苦痛の多いものであったり、
不満にみちたものであったりしても、
美、興奮、正直、遊興、善、真、有意義といったものの存在が
示されている以上、
人生は一般に
価値あるものと感じられることが多いのである。」
(前掲書)


……………………………

さて、以上、
マズローの言葉を通して、
自己実現と、
それに影響する至高体験の関係を、
見てみましたが、
その構造的関連が、
理解されたかと思います。

ところで、実際、
至高体験とは、
誰においても、
起こって来るものです。
ここで挙げているような、
極端な形ではなくとも、
もっと穏やかな形で、
多様な姿で存在しています。

そして、
その可能な因子としての心理特性は、
頂点的な体験だけでなく、
日々のさまざまな感覚体験の中に、
混じりこんでいるものなのです。

私たちは、
心理的投影を通して、
ちょっと事件や生活の出来事の中に、
芸術体験やスポーツ体験の中に、
それらの萌芽を、
日々感じ取っているものでもあります。

また、心理療法やその他の、
直に心身を取り扱う実践を重ねていくと、
心身の流動化が、
段々と増していき、
至高体験なども、
より経験しやすくなっていくのです。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においては、
心身の流動化や、
変性意識状態(ASC)が、
私たちを導く、
さまざまな生の肯定的様相について、
とり扱ってみました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

そして、
実際のところ、
このような創造性が、
自己のうちに、
潜在的に在るものとして、
知っておくことは、
人生の取り組みの中で、
私たちを、
より大きな可能性の中に、
置いていくことでもあるのです。

そのような意味においても、
マズローの視点は、
現在でも、
未だ示唆の多いものと、
いえるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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ホドロフスキー氏とサイコマジック/サイコシャーマニズム

◆知らされた消息

 その昔、アレハンドロ・ホドロフスキー監督といえば、ジョン・レノンが惚れ込んだ『エル・トポ』やその後の『ホーリー・マウンテン』などのカルト・ムービーの映画監督として有名でした。

 その後は『サンタ・サングレ』など、わずかな作品の紹介はありましたが、長くその消息を耳にすることもなく、彼が活動しているのかしていないのかさえ分からない状況でもありました(昨今では、その映画をはじめ、多彩な活動が日本でも知られる状態となっており、昔日の状況を思うと少し不思議な気持ちにさせられます)。

 さて、そのように長く知られない状態があったため、自伝として突然届けられた『リアリティのダンス』(青木 健史訳/文遊社)は、ホドロフスキー氏のその間の消息を伝えてくれる貴重なドキュメントとなっていたわけです。

 そして、その内容は、『エル・トポ』以前も以後も、彼が実に濃密で精力的な活動を生涯の探求として推し進めていたことを知らせてくれるものでもあったのです。

 

◆サイコマジックとサイコシャーマニズム

 さて、その自伝的な内容ですが、シュルレアリスム(超現実主義)やアラバールのパニック演劇との関係などアート系の活動は、比較的予想がつく範囲内での内容であったわけですが、その延長・周辺でさまざまな精神的探求の活動も同時に推し進めていたというのは、驚きでもあり納得的な事柄でもありました。(『サンタ・サングレ』は心理療法的な物語でした)

 そして、本書は、(本物らしき?)カルロス・カスタネダやアリカ研究所のオスカー・イチャーソなど、その関係での人々との交流やその体験描写もとても興味深い内容となっていたのでした。

 中でも、多くの紙数を割いている、サイコマジック、サイコシャーマニズム関連の記述は、その内容の具体性からも方法論的な見地からも大変貴重なドキュメントとなっているものです。
 当スペースのように、心理療法や変性意識状態(ASC)シャーマニズムや創造性開発を方法論的なテーマにしている者にとっては特にそうであったわけです。
 ところで、彼のいうシャーマニズムとは、いわば「本物に近いシャーマニズム」です。
 通常、現代社会の中でシャーマニズムという言葉が、方法論的な概念として使われる場合(当スペースなどもそうですが)、多くは、その構造的なモデルを比喩的に呼ぶために使われているものです。
 変性意識状態(ASC)を含んだ意識の拡張範囲や可動域、潜在意識の力動性、心理的変容を描くのに、伝統的なシャーマニズムのモデルがとても有効に働くという見地からです。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 それは、必ずしも伝統社会のシャーマニズムのように、まるごとの信念体系(世界観)として使われているわけではないのです。
 そのような意味では、ホドロフスキー氏のシャーマニズムは、方法論的に、より本物のシャーマニズムにスタンスともなっているわけです。
 そこでは、肉体的な病気の治療に見られるように、精神(潜在意識の力動性)が、肉体物質の情報を書き換える力を持つことを、もしくはその区分が無い領域を前提としているものでもあるからです。
 まさに、マジック・リアリズム(魔術的現実主義)なわけです。
 そして、もし、ホドロフスキー氏の施術を事実として受け止めるならば、私たちは、物質や精神についての近代的な世界観(メインストリームでの区分)を考え直さなければならないというわけなのです。(しかし、現場的な実感からすれば、事態はまったくそのようなことでもあるのです)

 そのような意味においても、本の中では、施術のディテールを詳細に記してくれているので、その点でも非常に参考となるものになっているわけです。
 そして、その評価については、各人がさまざまな実践や実経験を通して、検証していくしかないものとなっているのです。
 これらの事象を、人々が盲信している近代的な世界観や先入観によって、ありえないこととして裁くことは無意味なことです。
 実際、筆者自身は、自分のさまざまな変性意識状態による変容は、クライアントの方に起こる不思議な変容経験からも、これらの現象は、まったく違和感なく受け取れるともいえます。また、その原理的な面にも照明が当てられており、大変ありがたく感じることでもあるのです。

◆心と信念の影響範囲

 さて、この最後の点(世界観)について、身近な例を挙げれば、以前取り上げた、NLP(神経言語プログラミング)の神経論理レベルの中における、信念(ビリーフ)などとも関係して来る事柄といえます。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

 ディルツ氏の考えた「神経論理レベル」においては、「信念」という階層が実現可能性(できる)の上に位置しています。

 このこと(世界観)は、通常、人は信念の内あることのみを実現できるということを意味しているわけです。信念体系が、人のリアリティの範囲を確定しているという原理構造です。NLPでは、この信念体験を書き換える作業を行なうというのですが、残念ながら(実際のところ)、深層レベルまでのプログラムの書き換えを実現できる威力はNLPにはありません。

 ところが、(筆者の現場実践にもとづく直観ですが)ホドロフスキー氏の施術では、それを実現できる可能性があるのです。それは、ホドロフスキー氏が「潜在意識(無意識)の力動性」とそのパワーを、感覚的に(芸術的な造形感覚で)しっかりとつかんでいるからです。 その点が、彼のサイコマジックやサイコシャーマニズムの素晴らしい点であり、尽きせぬ霊感を与えてくれる点なのです。

 ところで、ホドロフスキー氏のサイコ・マジックを原案にし、彼自身も出演した映画『Ritual(邦題ホドロフスキーのサイコマジック・ストーリー)』では、主人公が癒しのために受ける儀式(施術)に対して、恋人の男がしきりに「信じるな」と連呼します。彼の世界観では、魔女のような施術者が行なう儀式などは迷信以外の何ものでもないというところなのでしょう。そして、映画の最後は、主人公の儀式(施術)を妨害して台無しにした結果、その恋人が主人公に殺されてしまうという結末となっています(本当は、この施術の結果として主人公の苦痛と妄念は取り除かれるはずたったのです)。
 つまり、恋人の男は「信じない」ことによって、自らの命を落としたともいえるでしょう。
 では逆に、彼が信じていた世界とは果たしてどのような世界だったのでしょう。主人公や施術者が信じる世界より彩り豊かな世界だったのでしょうか…

 さて、ホドロフスキー氏の作品や活動は、この他にも非常に多岐に渡っていますが、そのどれもが、現代社会を覆う私たちの制限的な信念(リミティング・ビリーフ)を超えた、生や現実の豊かさを教えてくれるものとなっているのです。
 そのような意味において、ホドロフスキー氏の世界は、現代では数少ない本物のマジック・リアリズム(魔術的現実主義)となっているわけなのです。

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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クライストと天使的な速度

さて、当サイトでは、
たびたび、フロー体験については
取り上げています。

その体験が、
私たちが、
より拡張された心身状態へ、
移行するための、
分かりやすい類型となっているからです。

実際、そのシステム的な作動性を、
よく理解して、
意識的に、物事に取り組むこととは、
日常生活の中で、
高いパフォーマンス(アウトプット)を、
発揮するのに、
大いに、役立つものでもあるからです。

また、以前には、その関連で、
ベイトソンの学習理論を参照にしつつ、
私たちの日常意識より、
あたかも、上位階層にあるかのような、
心理(意識)システムが、
働く可能性についても、
各種の事例から考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

ある種のフロー的、かつ覚醒的な、
意識拡張の体験過程にあっては、
私たちは、
自己の内なる領域に、
高次の働き(メタ・プログラマー)を感じ取り、
その働きによって、
より拡大された現実を体験したり、
未知なる能力を発揮するかのようである、
ということなわけです。

さて、今回は、
ドイツの作家、
ハインリヒ・フォン・クライストを、
素材にして、
そのような意識拡張の可能性や、
意識進化の姿(物語、神話)について、
少し考えてみたいと思います。

ところで、
クライストの作品は、
とても不思議な作品です。

そこにおいては、
何か得体の知れないものが、
凄まじい速度で、
通過していきます。

過度に結晶したような、
硬質な文体の向こうに、
以前見た、ロートレアモンのように、
にわかに、それとはとらえがたい、
熱狂的な強度や速度、
変性意識的な何かが、
通過していくのです。

焼き尽くすように、
通過していくのです。

そして、私たちは、
それらを読み終わった後に、
その火傷を感じつつ、
「あれは何だったのだろう」
と、思いを巡らせるわけなのです。

ところで、
クライスト本人が、
どのような方法論のうちに、
そのような作品を書いていたのか、
筆者は知らないのですが、
それらが偶然そうなったわけではなく、
(明確な方法論ではないかもしれませんが)
ある種の気づきawarenessのうちにあったのだと、
教えてくれる、素晴らしい文章を、
彼は、残しているのです。

『マリオネット芝居について』
という、或る舞踏家と、
クライストらしき話者とが、
操り人形の舞踏について、
対話するという短編がそれです。

このテーマに関して、
この一編をものしたことから考えても、
クライストが、
そのテーマの重要性について、
明確に意識していたことが、
うかがえます。
これは、
意識の進化と存在を巡る、
とても核心的なテーマでもあるのです。

その物語は、
話者が、或る卓越した舞踏家を、
大衆的な芝居小屋で、
しばしば、見かけており、
そのことで以前から、
興味を持っていたわけなのですが、
機会あって、
彼本人から、
そのことについての、
興味深い智慧の話を聞かされる、
というストーリーになっています。

ところで、
話を聞く中でわかってきたことは、
舞踏家にとって、
人形の舞踏から学ぶことが、
多々あるからである、
というわけだったのです。

人間にはない、優美さが、
そこに宿っている、
ということだったのです。

「人形は絶対に気取らない、
という点が長所なのです。
―というのも気取りというのは、
ご存知のように、たましい(vis motrix)が
どこか運動の重心以外の点にきたときに、
生じるのですからね」(種村季弘訳、河出文庫)

そして、このような気取りや自意識が、
演技において、失策となることを語ります。

「『こうした失策は』とややあって彼はつけ加えた、
『私たちが認識という樹の木の実を
味わってしまったからには、
もう避けられません。
だって楽園の門は閉ざされ、
織天使は私たちの背後に
まわってしまったじゃありませんか。
私たちは世界をぐるりと経めぐる旅に出て、
裏側から、どこかしらにまた
楽園への入口が開いてはすまいかと、
この眼でさがすほかありません。』」(前掲書)

話者は、
舞踏家の意外な見解に対して、
さまざまな疑問をぶつけていくことで、
話は進みます。

「あなたがいかにたくみに
ご自分の逆説の問題を弁じられようと、
人体機構によりは
機械製の関節人形のほうに
はるかに優美が宿りやすいだなんて、
そんなことを私に信じさせようったって
そうはまいりませんよ。
答えて彼の言うには、
その点では人間は
関節人形にまるで及びもつきません。
この領分で物質と太刀打ちできるのは
神だけかもしれません。
ここには円環的世界の両端が
噛み合う点があるのです。
私はますます驚いたが、
この奇妙な主張に対してなんと言えばよいか、
言うべきことばを知らなかった。」(前掲書)

そして、舞踏家は、聖書における、
「あの人間形成の最初の時期をご存じないお方とは、
それから先の時代の、
ましてや人類最後の時代の話は
実際のところできかねますね。」(前掲書)
と、人類の未来の姿まで、匂わすのです。

そして、
話者が、直接、実感した、
過剰な自意識により優美さを失った少年の話や、
舞踏家自身の、
フェンシングで、熊にまったく勝てなかった挿話が、
振り返られた後で、
最後に語られるのです。

「『さて、すばらしき友よ』、C.氏は言った、
『これで私の申し上げることを理解するのに
必要なものはすべてお手許にそろいました。
これでおわかりですね、
有機的世界においては、
反省意識が冥く弱くなればそれだけ、
いよいよ優美がそこに燦然と
かつ圧倒的にあらわれるのです。
―けれどもそれは、
二本の直線が一点の片側で交差すると、
それが無限のなかを通過したあと
突然また反対側にあらわれる、とか、
あるいはまた凹面鏡に映った像が
無限の彼方まで遠ざかったあとで、
突然私たちのすぐ目の前にきている、
とかいうふうにしてなのです。
このように認識が
いわば無限のなかを通過してしまうと、
またしても優美が立ちあらわれて
きかねないのです。
ですから優美は、
意識がまるでないか、
それとも無限の意識があるか、
の人体の双方に、
ということは関節人形か、
神かに、
同時にもっとも純粋に
あらわれるのです。』
『とすると』
私はいささか茫然として言った、
『私たちは無垢の状態に立ち返るためには、
もう一度、認識の樹の木の実を
食べなければならないのですね?』
『さよう』と彼は答えた、
『それが、世界史の最終章なのです』」(前掲書)


…………………………………

さて、このような、
意識の様態(進化)についてのヴィジョンが、
決して神話的なものではなく、
フロー体験や、意識の階層構造への、
検討から見て、
あるレベルで、
実現可能であるということは、
本当のところなのです。

それは、
当スペースでも、
さまざまな実践的な方法論を通して、
テーマとして、
取り扱っているのなのです。
気づきと変性意識の技法 基礎編

そして、それが、
クライストの作品の持つ、
不思議に意識拡張的な速度を、
創り出している一因でも、
あるといえるのです。

そして、
さらにはまた、
そのことは、
クライストのいう、
「裏側に開いている楽園への入口」
という風に、
考えていくことも可能なのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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ロートレアモン伯爵と変性意識状態

さて、前回、
セックス・ピストルズを例にとって、
私たちにとって、可能な、
覚醒のあり様について、
考えてみました。
なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

また、以前には、
リルケが、
天使的な領域について語ることを素材に、
私たちの変性意識状態(ASC)や、
その意識拡張のあり様について、
見てみました。
リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態

今回は、
それらに関係するテーマで、
ロートレアモン伯爵(本名イジドール・デュカス)を取り上げ、
変性意識状態(ASC)や、
私たちの意識拡張の様態、
自然発生的なシャーマニズム(夢見の技法)などについて、
考えてみたいと思います。

ところで、
ロートレアモンの作品は、
(『マルドロールの歌』『ポエジー』の二作品だけですが)
19世紀後半のフランスに、
忽然と現れ、
文学の歴史の中においても、
非常に、孤絶した、
他に類例を見ない作品となっています。

南米の領事館で働く父のもとに育った子どもが、
思春期を、フランスの寄宿舎で生活した後に、
孤独な夢想のうちに記した作品でもあるので、
社会的文脈を求めるのも、無理な話なのかもしれません。
その作品は、24歳という、彼の早い死の後、
数十年経ってから、
歴史的に発見されたものなのです。

『マルドロールの歌』は、
奇妙な作品です。
孤独と無限を感じさせる宇宙性、
奇怪で美的な暗喩(メタファー)、
夢と渇望、悪と逃走、変身と旅などを主題に、
普通の文学には見当たらない、
不思議な透過性と屈曲を持つとともに、
私たちの心の、
最も深い部分に触れて来る、
天才的な作品となっているのです。

しかし、それでいながら、
その作品が、
どこか非常に遠いところからやって来た印象、
通常の私たちの心の次元を超えた拡がりを、
感じさせるような、
神秘的な性格を有するものと、
なっているのです(※注)。

そして、そのような、
ロートレアモンの作品の謎に対して、
文芸批評的なアプローチでは、
およそ不満足な結果しか得られていない、
と感じるのは、おそらく、
筆者一人だけではないと思われるのです。

しかし、
文芸作品などをあまり読まない、
普通の感性豊かな人(特に若い人)が、
『マルドロールの歌』を読んだ場合でさえ、
強い衝撃を覚えるというのは、
文学的なゲームとは関係のないところで、
この作品が持っている、
ある特殊な性質に、
人が触れるからであると考えられるのです。

そこには、
当スペースが、
テーマとしているような、
変性意識状態(ASC)や、
意識拡張の様態などに関係する、
さまざまな興味深い秘密があると、
考えられるのです。

(※注)世の中には、そのような神秘性を、
読み取れない類いの人間もいて(たとえば、カミュなど)、
ジョルジュ・バタイユも、
その不感症について、意外なものとして、
言及したりしていますが、
字義通りにしかものを読めなかったり、
暗喩的な心理(意識)領域を理解できないということの、
構造的な理由も、
ここで取り上げるテーマと、
関係している事柄ではあるのです。


◆無意識の間近さ

彼の作品は、死後に、発見される形で、
歴史の中に姿を現しましたが、
最初期に、彼を見出した人々が、
その作品を、狂気の人の書であると感じたのは、
ある意味では、正しい直観でした。
フロイトが、登場する前の時代でした。

そして、彼の作品が、
一種、精神病圏の要素を感じさせるというのは、
アウトサイダー・アートとの共通要素からいっても、
妥当であるともいえるのです。

加工されていないような、
ナマな無意識との接触感、
高電圧的で、剥き出しの直接性の感覚は、
世のアウトサイダー・アートと、
大変近い性格を持っているのです。

ところで、
哲学者のガストン・バシュラールは、
彼の作品に見られる、動物的世界との親和性について、
特筆しました。
しかし、その本質的な間近さという点だけをいうなら、
実は、植物や鉱物の世界とも、
充分すぎるほど、近い世界を持っているのです。
以前、LSDセッションにおいて、
鉱物と同一化する人の事例を取り上げました。
『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

実際、
そのようなLSDセッションにおいては、
鉱物にかぎらず、
さまざまな動物や植物と同一化し、
その圧倒的で緻密な生態を、
通常ではありえない形で、体験する事例が、
数多く存在しています。
そして、それらの報告の多くは、
『マルドロールの歌』における、
アウトサイダー・アート的な手触りと、
類似した性格を、
どこかに感じさせるものでもあるです。

また、ル・クレジオは、
ロートレアモンの言葉に、
未開部族の言語との類縁性を感じ取りました。
その言葉の持つ、原初的な性格を、
指摘したわけです。

これら、アウトサイダー・アートとの近似性や、
動物植物世界との水平的な間近さ、
原初的な世界との類縁性という特性は、
そのまま、当スペースで考える、
シャーマニズム的な要素として、とらえることも、
可能な要素なのであります。

そして、
そのように考えてみると、
ロートレアモンが活動する領域を、
それとなく、囲っていくことも、
できてくるわけなのです。

そうなってくると、
そもそも、私たちが、
ロートレアモンを読む時に真っ先に感じる、
奇妙な眩暈の感覚や、
意識の変容状態が、
何に由来するのかということも、
少し見えて来るわけなのです。

彼が、シャーマニズムと、
変性意識状態(ASC)の土地である、
南米で育ったというのも、
意味深い偶然となって来るわけです。


◆変異した時空の意識

さて、以前、
私たちが、
高度に集中した際に起こる、
特異な意識状態である、
フロー体験について、
取り上げました。
フロー体験とフロー状態について

「…これらの条件が存在する時、
つまり目標が明確で、
迅速なフィートバックがあり、
そしてスキル〔技能〕と
チャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れた
ぎりぎりのところで活動している時、
われわれの意識は変わり始める。
そこでは、
集中が焦点を結び、
散漫さは消滅し、
時の経過と自我の感覚を失う。
その代わり、
われわれは行動を
コントロールできているという感覚を得、
世界に全面的に一体化していると感じる。
われわれは、
この体験の特別な状態を
『フロー』と呼ぶことにした」

「目標が明確で、
フィートバックが適切で、
チャレンジとスキルのバランスがとれている時、
注意力は統制されていて、
十分に使われている。
心理的エネルギーに対する
全体的な要求によって、
フローにある人は完全に集中している。
意識には、
考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。
自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。
することはなんでも、
それ自体のためにする価値があるようになる。
生きていることはそれ自体を正当化するものになる。
肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、
人生はついに非の打ち所のないものになる。」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

この状態においては、
私たちの意識は、
一種の、拡張された状態に、
入っていきます。
そこにおいては、
時空の感覚に変化が起こって来ます。

時空の感覚は流動化し、
時間は速くなったり、遅くなったり、
空間は伸びたり、縮んだりします。
知覚は澄みきり、
ミクロ的な、微小な対象にさえ、
完璧で透徹した注意力が、
行き届くように感じられます。

たとえば、
山で遭難事故に陥った、或る作家は、
その危機の中で、
フロー的な意識に移行した時の状態を、
「そのときの僕なら
三〇歩離れたところから、
松の葉で蚊の目を射抜くことさえ
絶対できたはずであると、
今も確信している」
(シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳、日本教文社)
と表現しています。

ところで、
モーリス・ブランショは、
ロートレアモンの作品の持つ、
その明晰さについて、
言及しました。

しかしながら、
ロートレアモンの持つ明晰さというのは、
単なる論理的に辻褄を合せる明晰性だけではなく、
その背後に、
過度に透徹した意識状態、
フロー的な変性意識状態(ASC)が、
存在していると考えてよいのです。

それが、私たちが、
ロートレアモンを読むときに、

まずは引き込まれていく、
奇妙に歪んだ時空感覚、

夢と覚醒感がないまぜなった、
透視力的な性質の由来に、
なっていると思われるのです。

実際のところ、
フロー体験の研究においては、
創作的活動の中で、
芸術家が没入していく、
さまざまなフロー体験、
意識状態についての事例が、
各種、集められています。

たとえば、カフカなども、
創作している最中に、
シュタイナーのいう、
透視力的な状態に入るように思われると、
彼本人に話したと、
日記に、記しています。

そのように、
創作における、
フロー体験自体は、
多くの人に見られる事例であり、
決して稀なことではないのです。

ただ、それが、
『マルドロールの歌』におけるように、
作品の特別な性格として、
刻印されるということは、
稀有な事例であるのです。


◆天使的狂熱、または拡張された意識

さて、
このようにして見ると、
ロートレアモンが、
偶然的な資質であれ、
多様な意識の可動域を持ち、
さまざまな変性意識状態の諸相を、
流動的に渡っていった痕跡が、
見えて来るのです。

原初的な動植物世界から、
人間世界までの諸領域を、
また、無意識的な深層から、
日常意識までの諸領域を、
流動化した意識の可動域として、
シャーマン的に、旅している構造が、
見えて来るのです。

それが、彼の異様なまでの自由さ、
融通無碍の要因のひとつであると、
考えることもできるのです。

シャーマニズムの基本的な構造とは、
シャーマンが、脱魂(エクスタシィ)して、
魂を異界に飛ばして、
そこから、何か(情報、力)を得て、
こちらに戻って来るという、
往還の形式にあるからです。

ロートレアモンも、
偶然的・変形的なタイプであれ、
アーバン・シャーマニズムとして、
その想像力的な体験領域を通して、
変性意識の諸相を渡り、
その旅程を、作品に、
刻み込んだのだといえるでしょう。
それが、
不思議な奥行きを持つ、
文学では見たこともない、
宇宙的な空間、天使的な空間を、
生んだともいえるのです。

また、一方で、
ロートレアモン本人が、
自分の作品の持つ、天才的な性質を
理解していなかったという点も、
重要な事柄です。

彼の旅程は、
意図的に行なわれたわけではなく、
想像力的な空間を経由することで、
図らずも、変性意識状態の中に入りこみ、
前人未踏の世界(空間・状態)に行き、
その痕跡を閉じ込めることになった、
という次第なのです。

その後、彼が、
『マルドロールの歌』への否定や反動として、
『ポエジー』を書いたことは、
重要な事柄です。

これは、彼が、
後の手紙で述べているような、
善悪の扱い方だけの問題ではなく、
強度な変性意識による異界的体験への、
反動(怖れ)と考える方が、
自然なことでもあるのです。

このような振る舞いは、
精神のバランスをとるためにも、
ある面、必要なことでもあり、
事例(行動、症状)としては、
とてもありがちな事柄なのです。


◆夢見の技法

さて、以上、
話を分かりやすくするために、
いささか細部を誇張(増幅)しましたが、
ロートレアモンの作品を素材に、
創作における、
意識拡張の可能性や様態について、
考えてみました。

ここから、
私たちが学び取れることは、
何でしょうか。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』では、
「夢見の技法」と題して、
私たちが、ある種の変性意識的な、
意識の均衡状態を利用して、
創造的なアウトプットや、
意識拡張を行なう方法論について、
検討を行ないました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

当スペースでは、
ロートレアモンの作品は、
確かに特別なものではありますが、
そこに見られる、
体験領域や、探求方法は、
私たちにって、
閉ざされたものではないと、
考えているわけです。

私たちは、皆、
彼のように、
未知なる夢見の探求を行なうことが、
できると考えているわけなのです。

そのような意味合いにおいて、
彼から霊感を受け、
自分たちの守護神の一人と見なした、
超現実主義者(シュルレアリスト)たちの、
万人に開かれた創造(創作)、
という考え方は、
(その具体的な方法論には、
いささか疑問があるにせよ)
正しい直観であったと、
思われるのです。

ロートレアモンの作品には、
そのようなことを、
人に促す(信じさせる)ような、
創造性の嵐があるのです。


※夢見や創造性(創作)、
気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
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野生と自然

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なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

◆パンク・ロックという事態

さて、
セックス・ピストルズ Sex Pistols といえば、
70年代の後半、イギリスに現れた、
ロック・バンドであり、
パンク・ロックという、
音楽ムーブメントを、
創り出したバンドである、
ということになっています。

しかし、
「パンク・ロック」とは、
後づけ的に見出されたコンセプトであり、
本人たちも意図して、
それを行なったわけではなく、
さまざまな偶然的な要素の結果、
そのようなムーブメントになったということでしか、
ないのです。
(ここでは、イギリスにおける、
その現象に、焦点を当てていきます)

しかしながら、
確かに、
セックス・ピストルズというバンドの、
音楽的構造の中に、
パンク・ロックの本質的要素があったことは、
事実なのです。

そして、
これらの歴史や現象を、
仔細に検討することは、
私たちの表現や創造性を考える上で、
とても、ヒントになることが、
多いのです。


◆見出された「方法論としてのロック」

「パンク・ロック」とは、
何であったのか。
また、何であるのか。

教科書的にいえば、
当時の音楽産業という制度(システム)の中で、
飼いならされてしまった(退屈になった)ロックの、
初期衝動を回復し、
それをストレートに社会に表現した音楽、
という風になっています。

それでは、
ロックの初期衝動とは何か、
それは、
吐き出すような表現欲求である、
とされています。

では、さらに、
その本質が、何であるかと、
もう一歩進めると、
(筆者の考えでは)
それは、
自由を求めて、NOという力であり、
物事(社会であれ、何であれ)を、
否定する力である、
ということです。
より大きな自由を求めて、
隷属を切り捨てる力である、
ともいえます。

昔、ロックが、
反抗的な不良の音楽であったというのは、
そのような意味合いからです。

そして、
パンク・ロックとは、
初期衝動の回復を指向した、
意識的なロック、
「方法論としてのロック」
であるというわけなのです。

ロックが進化の果てに、
再帰的に、
自己のアイデンティティを、
再び見出した方法論が、
パンク・ロックであり、
特に、その後に続いた、
ニューウェーブなわけなのです。

ベイトソンの学習理論的に言えば、
それまでのロックは、
一次学習的に、
ただ「ロックする」
という形の音楽でした。

パンク・ロック/ニューウェーブは、
二次学習が進んで、
「ロックする」ことをロックする。
という音楽になったわけです。
自意識に目覚めた、
方法論的なロックなわけです。

当時の彼らの言葉、
「ロックは死んだ」
「ロックでなければなんでもいい」
でさえ、実は、
その文脈のうちにあったことなのです。

そして、
これ以後のロック・ミュージックの風景の中で、
このようなメタ的な批評性を、
どこかに持っていないと、
鈍感さから逃れられないという、
事態にもなっていったのです。

どんな形であれ、
普通に「ロックすること」の中に、
一抹の欺瞞が入り込むことに、
なったわけです。
しかし、このような再帰性は、
人間社会の全般にいえることでも、
あるのです。
それが、歴史の進展の中で、
ロックにも起こったというだけのことなのです。

後の、90年代初頭にあったロック、
ソニック・ユースやニルヴァーナ、
そして、オアシスでさえ、
そのような批評性の中で、
新たに、ロック的な衝動を活かす方法を、
探っていく中で、
あのようなスタイルを見出していったわけなのです。


◆セックス・ピストルズという集合体(システム)

さて、
そのようなパンク・ロックの
起爆点となったのが、
セックス・ピストルズという、
ある一つのバンドでした。

ところで、パンク・ロックを、
ただの音圧の烈しい過激なロックだと思っている人が、
ピストルズを一聴すると、
聴きやすい普通のロックなので、
意外な感じを受けるものです。

しかし、
音楽の表面的な外形だけではなく、
そこに、感覚的に刻まれている、
強度な内容を理解する人は、
そこにはらまれている壊乱的な要素(精神性)を
見出していくことにもなるわけです。
それも、並外れた、天才的な表現力で、
それが含まれていることに、
気づいていくことにもなるのです。

その点が、
彼らが、当時の歴史を変え、
その後の時代や、現在でさえ、
多くの人々を、
駆動し続けている力でも、
あるわけなのです。

ところで、
セックス・ピストルズといっても、
複数の人間から成る集合体であり、
また、重要なバンド外の関係者が多数おり、
かなり偶然的な要素によって、
ピストルズとして、
成立したものといえます。

そのことが、
これらのシステムを考える上で、
余計に、興味深い事例となっているのです。

壊乱的なバンドというコンセプトは、
マネージャーのマルコム・マクラーレンが、
メンバー集めの段階から、
すでに、企画していたものです。
音楽的な面では、
名曲を書いた、グレン・マトロックが、
その役を引き受けたといえるでしょう。
プロデュースには、
ビートルズのレコーディングも手伝ったことのある、
クリス・トーマスがいました。

そして、ヴォーカルの、
ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は、
音楽的な素養が、特にあるわけでは、
なかったのですが、
稀代のトリックスターであり、
猿回しの猿のように、
偶然、フロントに立たされたわけですが、
結果的に、
舞台を乗っ取った猿のように、
自在な動きをはじめ、
当初の予想を超えて、
その劇空間を、世間や歴史にひろげていくことにも、
なったのです。

さて、以前、ビートルズにおける、
才能の相補性について触れた際に、
作品の内における、
音楽的な要素と、精神性な要素という、
その両極の属性に触れました。
才能における相補性 NLPとビートルズ

セックス・ピストルズにおいても、
その後のソロ作品を見ると、
その役割分担と、
その性質の違いがよく分かります。

その後のグレン・マトロックは、
確かに、作曲のセンスを、
うかがわせるものがありますが、
一線を超えるような過剰な要素がなく、
どちらかというと、凡庸な作品にとどまっています。
そして、いつしか、表舞台からは、
姿を消したのです。

一方、ジョン・ライドンの、
パブリック・イメージ・リミテッド PIL は、
音楽的には、楽しめる面は少ないですが、
その初期作品においては、
ピストルがもっていた覚醒感が、
確かに、一部存在しているのです。
そして、それが、充分ではないという点が、
色々と考えさせる興味深い論点でもあるわけです。

さて、そのような極性の才能が、
ひとつの作品の中で激突することで、
作品は、その濃密な強度を高めていきます。

そして、特に、
新しい未知の精神性が、
作品の核となる場合には、
芸術的な音楽的造形とは関係ないところで、
あるメンバーの精神性(存在力・息吹)が、
特に、作品の細部に浸透して、
決定的なアレンジ要素となります。
たとえば、
ドアーズにおけるジム・モリスンの存在は、
そのような(意識拡張的な)要素であったわけです。

ピストルズにおける、
ジョン・ライドンの存在も、
そのようなものだったわけです。


◆否定する力と自己刷新 ピストルズの覚醒性

さて、前段に、
ロックの本質的な力とは、
より自由を求めて、
隷属を切り捨てる力であると、
書きました。
それが並外れて実現できている音楽は、
人を感電させ、覚醒させます。

ところで、
真に徹底的な、否定する力は、
まわりの物事だけではなく、
それらによって作られた既存の自己自身にも、
差し向けられていきます。
否定の力は、
周りを否定すると同時に、
既存の自己をも否定し、
たえず未知のものに向かって、
自己を投げ出していくかのような局面を、
創り出すことにもなっていくのです。
それは、
自己超出的な側面を、
持つことにもなるのです。

それは、
スリリングである同時に、
危うい状態です。

そして、
セックス・ピストルズの音楽には、
確かに、そのような、
ギリギリの限界的要素があるのです。

疾駆する速度感で、
ただ一人、先陣を切って、
(他のバンドは追従しただけです)
未知に直面し、
未知を切り拓いていくような、
過熱するような、
ヒリヒリした心象風景が、
その作品には刻まれているのです。

それが、彼らの作品が、
今でも、頭抜けて覚醒的な感覚を、
伝えて来る点なわけなのです。

彼らが使った、
アナーキーという言葉に、
政治的な意味合いだけではない、
生の存在論的なニュアンスを、
私たちが感じ取るのは、
そのような点にあると思われるのです。

そして、
バンドというシステムとして、
そのような、
自己否定的・自己刷新的な要素をはらんだ過剰性を、
オートポイエーシス的に、
再生産しつづけることは、
非常に、困難なことでもあります。
それを、果てまで行ったのが、
セックス・ピストルズだったといえるでしょう。
それが、短命であったというのは、
ある意味、論理的必然であるともいえるのです。


◆怒りとのコンタクト(接触)

さて、ところで、
ゲシュタルト療法においては、
さまざまな感情表現を重視しますが、
怒りの表現についても、
これを、とても重視します。

キレるのではなく、
意識とコンタクト(接触)できていて、
表現として成立している怒りは、
健全な生のエネルギーです。
生の正しい攻撃性であり、
積極性です。

抑圧され、
意識から解離した怒りが、
暴力となるのです。
このことについては、
以前にも触れました。
ザ・ポップ・グループの教え 怒り・テロ・絶望

ところで、
セックス・ピストルの音楽は、
怒りの表現に満ち満ちていますが、
それがジメジメと鬱屈するのではなく、
スカッとした爽快な表現になっているという点は、
特筆すべき点です。
これほど、解放された明るい怒りも、
他の物事には、見出せないでしょう。

方法論としての怒りに、
なっているのです。
これも、ジョン・ライドンの、
トリックスター的な性格の所以でしょう。

それは、意識して、
怒りが怒られているのです。
そのような、
気づきを持った怒りが、
重要なことなのです。
ここでも、ある種の、
感情の再帰性や、
そこからの自由が、
実現されているわけです。


◆覚醒のための方法論

さて、以上、
セックス・ピストルズをネタに、
色々と考えてみました。

実際のところ、
セックス・ピストルズの事例は、
パンク・ロックやロックという、
狭い領域の問題だけで、
済ましてしまうには、
大変、惜しい素材となっています。

そこには、
私たちが、たえず、
目覚め続けているためには、
何が必要なのかについての、
興味深いヒントが、
多く隠されているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態


◆天使・チベット仏教・ベイトソン

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』に出てくる、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
言葉をめぐって、
グレゴリー・ベイトソンの、
学習理論
などを参照して、
さまざまにイメージを拡げて、
考察を行なってみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、その中で、
私たちの日常意識が、
「上部構造にシフトする」かのような、
状態を仮定して、
その中で起こるかもしれない、
システム的な情報の流れ(整列)や、
体験内容などについても、
考えてみました。

また、それらが、
下位構造としての、
私たちの日常意識の情報を、
書き換えてしまう可能性についても、
考えてみました。
(それが癒しや変容の体験になったりする、
ということです)

今回は、
その部分について、
もう少し見ていきたいと思います。

特に、普段の日常生活の中で、
そのような上位階層のシステムを予感させる、
何かを垣間見たり、
また、その影響を受けたりすることがあるのだろうか、
というような事柄についてです。

そのような機会を考えてみると、
それらは、多かれ少なかれ、
変性意識状態(ASC)の要素を持っているものですが、
散発的には、
存在していると思われるのです。


◆〈美〉的体験の通路

例えば、
ある種の美的な体験などが、
それに当たります。

しかしながら、
この場合の美とは、
単なる表面的な綺麗さではなく、
心と体験の奥底につき刺さり、
そこで振動を拡大させていくような種類の、
深遠な〈美〉的体験です。

そのような〈美〉的体験は、
私たちが通常、
あくせく働いている日常的現実に、
回収され尽くさない、
〈何か〉の要素があります。

それらの〈美〉は、
日常生活とは、違う次元の、
普遍的な秩序を、
感じさせたりもするのです。

変性意識状態(ASC)的で、
奥行きと拡がりをもった、
宇宙的な秩序を、
予感させるものでもあるのです。

それらは、
知覚力の拡大感、
恍惚感、
覚醒感、
本物の実在感、
といった、
あたかも「より上位の階層から」の、
情報の侵入を、
印象づけるようなものでもあるのです。

たとえば、
壮大な自然の〈美〉などは、
そのようなことを感じさせる、
普遍的な事例のひとつです。
山脈のつらなる、
雄大な峰々の風景や、
水平線に沈むこむ、
巨大な夕日の風景などは、
永遠にも似た、
その圧倒的な〈美〉の情報を、
処理しきれないために、
私たちを胸苦しくさせます。

それらは、
巨大な自然界の、
高次の階層秩序による、
莫大な情報量が、  
私たちの日常意識の許容量では、
処理しきれないほどに、
大量にやって来るためであると、
論理づけることもできるのです。


◆怖るべき天使と、バルドゥ(中有)の如来

さて、
世界の歴史的な事例を多く見ていくと、
〈美〉に関する、そのような事態が、
日常意識を圧倒するような形で、
個人を襲う可能性も想定されるのです。

たとえば、
ドイツの詩人リルケは、
その『ドゥイノの悲歌』の冒頭近くで、
歌っています。

「よし天使の列序につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、
わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。
なぜなら美は怖るべきものの始めにほかならぬのだから」
「すべての天使はおろそしい」(手塚富雄訳)」と。

彼は、ドゥイノの海岸での、
或る体験によって、
この詩を書きはじめたのです。

そして、彼は、
自作の翻訳者フレヴィチに宛てた、
有名な手紙の中で、この詩について、
大変興味深いことを
述べているのです。

「悲歌においては、
生の肯定と死の肯定とが
一つのものとなって表示されております。
その一方のもののみを
他方のものなしに認めることは、
我々がいま此処でそれを明らかにするように、
すべての無限なるものを
遂に閉め出してしまうような限界を
設けることであります。
死は、我々の方を向いておらず、
またそれを我々が照らしておらぬ
生の一面であります。
かかる二つの区切られていない
領域の中に住まっていて、
その両方のものから
限りなく養われている我々の実存を、
我々はもっとはっきりと
認識するように努力しなければなりません。
……人生の本当の姿は
その二つの領域に相亙っており、
又、もっと大きく循環する血は
その両方を流れているのです。
そこには、
こちら側もなければ、あちら側もない。
ただ、その中に『天使たち』
―我々を凌駕するものたち―の住まっている、
大きな統一があるばかりなのです」
(堀辰雄訳)

ここで語られている体験領域が、
単なる内部表象のひとつだとしても、
日常意識のものではない(それでは処理しきれない)、
ある種の圧倒的な変性意識的な世界だとは、
類推できるでしょう。

それは、
生と死をひとつと見なすような、
(当然、私たちの日常意識は、
それらを別々に見なしているわけですが)
無限なる体験領域なのです。
また、論理的に考えると、
その体験領域は、
私たちの日常意識を、
その下位の一部とするような、
上位階層の世界だと
類推することができるのです。
 (天使云々をいうのですから)

そして、また、
このような階層(体験領域)の侵入、
といった「怖るべき」圧倒的な事態が、
リルケに限らず、
世界の諸々の変性意識の事例を見ても、
さまざまに起こっていることが、
分かるのです。

例えば、以前、
『チベットの死者の書』について、
その心理学的な見方について、
検討しました。

心理学的に見た「チベットの死者の書」


そこでは、
移り変わっていく死後の空間、
各バルドゥ(中有)において、
必ず二つのタイプの如来たちが、
姿を現して来ることが、
描かれています。

ひとつは、
怖れを感じさせるような、
眩しいばかりの如来と、
もうひとつは、
より光量の少ない、
親しみを感じさせる如来です。

そして、
『チベットの死者の書』のメッセージは、
前者の怖るべき如来こそを、
自己の本性と見なせ、
というものです。

そうすれば、
輪廻から解脱できるだろう、
というものです。
そして、
後者の親しみを感じさせる如来に、
近づいていくと、
輪廻の中に、
再生してしまうというわけなのです。

この現象なども、
学習の階層構造に照らして考えると、
納得的に理解することができます。

怖るべき如来は、
上位階層からの過剰な情報であるため、
私たちには、怖るべきものに、
感じられてしまうのですが、
その「上部構造にシフトする」ことで、
無我と解脱が得られるというわけです。

一方、
親しみを感じさせる如来は、
慣れ親しんだ二次学習であるがゆえに、
自我と再生の道に、
進んでしまうというわけなのです。

つまり、
どちらの如来に、
コンタクト(接触)するかで、
上部階層へシフトできるか、
それとも、下位階層に留まる(ダブルバインド)かの、
選択になっているというわけです。


さて、ところで、
筆者自身、拙著
の中で、
さまざまな変性意識状態(ASC)の、
体験事例について記しましたが、
それらの中でも強度なタイプのものは、
どこかに畏怖の念を呼び起こすような、
光彩をもっていたのでした。
(また、実際、困難な体験でもありました)
ひょっとすると、
それらなども、どこかに、
上位階層からの情報という要素を、
持っていたからなのかもしれません。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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投影された夢の創造的活用 サイケデリック・ビートルズ・エクササイズ

◆夢の力を取り出す

さて、前回、
創造と夢見の技法ということで、
目的とするアウトプットに対して、
心身の内容(感情・感覚)を、投影することにより、
私たちの奥底にある創造過程(夢の力)が、
活発化して来る事態について、
取り上げました。
→「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

この状態を、
感覚的に理解し、意識的なスキルとするには、
逆パターンの事例から、
体感・類推するのが分かりやすいと思われます。

つまり、私たちが、
アート(音楽、映画、物語、絵画)等の、
創作物に触れた際に、
自分の内側に惹き起こされる、
感情や衝動、感覚的なイメージについて、
意識的になることです。

私たちが、なぜ、
赤の他人の作った創作物に、
強く惹かれ、
過度な思い入れを持つのかと言えば、
それは、心理学的には、
「投影」によるものです。

自分が持っているが、
普段は解離している、
大切な心理的な因子を、
その対象物に見出して、
強く惹かれるというわけです。

「見出す」といっても、
実際に、そこに、
在るわけでもないものを、
勝手に、そこに、
見出す(映し出す)だけの話です。
恋愛と同じく、
「勝手な想い」です。

また、しかし、
そうはいっても、
或る創作物が、
世の一定量の人々の、
投影の受け皿として働くには、
それなりの受け皿の要件(因子)があります。
最大公約数的な要素を、
持っていなくてはならないのです。
(これも、恋愛の場合と同じです)

それは、
創作物の、テーマの普遍性や、
そのジャンルの美的形式における、
適応性と新奇性のバランスなど、
さまざまな要素が考えられます。
このこと自体は、大変、
興味深いテーマではありますが、
別の機会に譲りましょう。

ところで、さて、さきに、
他人の創作物に投影される、
「勝手な想い」について触れました。
実は、
この「勝手な想い」の深い部分に、
棲息しているのが、
私たちの夢の力なのです。
(この「夢」の内実については、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』を、
ご覧下さい)

そして、
当スペースのアプローチでは、
私たちは、
他人の創作物に投影した想いから、
自分の夢の力を取り出さなければ、
ならないのです。

そうでないと、
「自分自身の夢の力」を展開して、
自分自身の人生を、
創造的に生きていていくことが、
できないからです。
他人の表象世界の中に、
閉じ込められて、
隷属的(不自由)になってしまうからです。

「勝手な想い」を、
自分の意識と、
つなげてあげる必要があるのです。
そのことで、
私たちの中に、
エネルギーの増幅が生まれ、
強い動機づけが生まれるのです。

そして、その際には、
狩人が、
狩った動物の皮や肉を、
余計な傷つけを避けて、
綺麗に剥ぎ取るように、
私たちも、
他人の創作物から、
自分の夢の力を、
綺麗に剥ぎ取り、
切り分けないといけないのです。


◆エクササイズ

そのためには、
自分の「体験」について、
切り分けるかのように、
書き出し、
アウトプットしていくことが、
必要です。
これが、
エクササイズです。

批評のように、
その作品について書くのではなく、
「自分は、こう感じた」
「自分の中で生じたイメージはこうだ」と、
自分の体験として、
「生きた何物か」を書き取り、
アウトプットしていくのです。

言葉は、制限が多いので、
絵や落書きなどの方が、
やりやすいでしょう。
とにかく、自由に、
書きなぐっていくのです。
色や線を置いてみるのです。

そして、その感覚を、
〈塊〉〈イメージ〉として、
外在化させていくのです。
自分自身の「夢の力」の要素として、
対象化していくのです。

そして、
心に響くものや、
惹きつけるものに対して、
数多く、そのような作業(エクササイズ)をしていくと、
段々と、自分の夢の力も、
〈実体性〉を獲得していきます。

そして、
そのように、外在化された、
自分の夢の力というものは、
大きな現実的なパワーをもって、   
人生を牽引することにもなっていくのです。
(それらを日々、
見返すことを、おすすめします)

そのため、
「勝手な想い」にこだわって
探求と追跡をすることは、
より核心的で、充実した、
夢の力の獲得に、
最終的に、
私たちを導くことにもなるのです。

それは、後から、
人生を振り返ってみた場合、
明瞭な線として、
浮かび上がって来る類いの事柄なのです。


◆サイケデリック・ビートルズの恩寵

さて、当スペースが、
変性意識状態(ASC)や、
人間の能力・意識の拡張といった、
テーマに焦点化するきっかけも、
元はと言えば、
そのような投影によって引き起こされた、
夢の力の活性化にあったのです。

ビートルズ Beatles といえば、
1960年代のポップ・ミュージックを一新し、
現在のポップ・ミュージックの祖形を創ったバンドですが、
カウンター・カルチャーの思潮と、
同時代として、同期したこともあり、
その中期の音楽は、
いわゆるサイケデリック・ロックでした。

筆者自身が、それを知ったのは、
随分と後の時代であり、
「サイケデリック Psychedelic (意識拡張的)」
という言葉さえ、
周りの誰も、説明できないような時代でした。

しかしながら、中学生の筆者は、
(何の経験値も、環境も持たないにも関わらず)
サイケデリック・ビートルズの背後にある、
〈何か〉を、心理的投影を通して、
嗅ぎつけたのでした。

それは、それまで、
人生にまったく想像していなかったような、
途方もなく眩い、
輝く生の状態(姿)でした。

ほとんど子どもであった筆者の、
日常意識の背後に、
どんな夢の力が、
鉱物的な変性意識状態(ASC)があって、
サイケデリック・ビートルズの 電撃的表象によって、
活性化し、
閃光的なイメージを成したのであろうかと、
少し不思議な気もします。

しかし、その後、
「勝手な想い」や、
その幻想的なイメージにこだわり、
さまざまな追求をしていくことで、
結果的に、
眩い変性意識状態(ASC)を数多く体験し
「サイケデリック」な実在を、
まざまざと理解することにもなったのでした。

そして、今、
その並外れた光量の、
豊穣で創造的な世界を得るための、
具体的な方法論を、
他の人々とシェアできるという僥倖を、
得ているわけなのです。

それは、元はと言えば、
サイケデリック・ビートルズが持っていた、
何らかの因子に、
子どもの筆者が、夢の力を投影し、
物事に目覚めたことがきっかけなのでした。
その不思議な共振によるものだったのです。

そして、これは、
見聞した限り、
筆者一人に起きたことではなく、
多くの人々に起こったことでもあったのです。
そして、
そのような創作物を創れるということは、
実に素晴らしいことだと思うのです。


◆「自分の」夢の力を生きる

さて、
自分の夢の力を生きることは、
人生に、眩い彩りと動機づけを、
もたらすものです。

ところで、先進国の中で、
日本人の「幸福度」が大変低い調査結果については、
以前よりさまざまな指摘がありました。

その要因のひとつに、
日本人が、「他人の(価値観による)人生」を、
生きてしまっているということが、
挙げられます。

もともと、横並び社会であり、
他人の目や、他人の承認に、
重きをおく社会ではありますが、
他人に主権を与えてしまうような生き方は、
人を無力化させるものです。

それは、
自分の人生を、
自分のコントロールの外へ、
置くことだからです。
自分から、
選択と自由を奪うものだからです。

自分で、自分の人生を、
コントロールできている時、
人は、充実した人生を、
生きているということができるのです。

パールズの、
有名な「ゲシュタルトの祈り」は、
そのことを、ぶっきらぼうなタッチで、
告げています。

「私は私のことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
私は、あなたの期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし私たちが出会えるとするならば、
それは素晴らしいことだ。
もしそうでないならば、
それは、いたしかたないことだ」

この言葉を引き受ける時、
私たちは、
より健全な現実の息吹に、
触れられていると言えるでしょう。

その上で、
自分の心の底から湧いて来る、
自分の夢の力を、
生きていくことができるのです。
それは、使命にも似た、
宇宙の深い内実に根ざした、
人生となっていくのです。


さて、今回は、
他人の創作物の中に、
投影を通して現れて来る、
夢の力について、
取り上げてみました。

自分の好きな物を取り上げて、
その夢の力を取り出すエクササイズを、
ぜひとも、
実践してみていただければと思います。
そのことからだけでも、
人生というものは、
確実に変わっていくものだからです。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

別に、
「NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見」と題して、
これらの各技法が扱う、
心の領域が、地続きを成して、
つながっている様子を見ました。

今回、ここでは、広く、
人生で結果(アウトカム、アウトプット)を生み出す、
創造と具現化の技法について、
考えてみたいと思います。


◆夢の創造過程と身体感覚

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の、
「夢見の技法」の中では、
私たちを貫く創造的な夢の力を
どうやって利用すればよいかについて、
さまざまに検討しました。

そして、その際に、
メルロ=ポンティの
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉を引いて、
私たちが、
心身を、世界に投影して、
物事を、暗黙知的に把握していく事態について、
見ました。

そして、この、
対象物(目的)と、投影した身体が、
内的につながっていくという情報回路(通路)の中で、
強い夢(無意識の創造性)の力も、
引き出されて来ることについて、
見ました。

そして、
その夢の力を組織化して、
強度なアウトプット(成果物)として、
外在化・現実化していく方法について、
検討しました。
   
さて、ところで、
このような夢の力を、
活かしていく方法論というものは、
人生上、生活上の願望を、
具現化する中においても、
決定的な重要な事柄でもあるのです。

というのも、
普段においても(また正念場においても)、
私たちを真に駆動する力(渇望)とは、
夢の創造的過程の沸騰に、
よるものだからです。

そのため、
人生上の、具現化したい目的を持っていて、
それを、「絶対に達成したい」という場合には、
自分の身体感覚を、
センサー(検知器)のように使ってみて、
その目的内容を精査してみると良いのです。

その目的の姿(像)を、
身体的によく感じてみて、
(そこに心身を投影してみて)
その姿(像)と、自分の心の奥底との間に、
夢の力が流れているかどうかを、
確かめていくのです。

その目的の姿と、
夢の力の定かならぬ誘因とが、
強く惹きあうような事態を、
はっきりとした〈実在〉として、
エネルギー的に感じ取れるのであれば、
それは目的の方向性としては、
間違っていないということなのです。

もし、どこかに違和感や、
内的な不十分さを感じるのであれば、
その目的内容に、
どこかにおかしなところが、
あるということです。

その場合は、
諸々を再検討しないといけません。


◆組織化・焦点化して、身体的につかむ

さて、私たちが、
何かを創造していくに際して、
鍵となるのは、
私たちの意識過程、思考過程(拡散的・収束的)だけでなく、
その背後で渦巻き、脈動している、
夢(無意識)の創造過程となります。

それが、
私たちの人生の使命(ミッション)を、
創り出します。
人生の「違い」を生み出すのです。

そのため、
そこにおいては、
夢の力と関わる、身体感覚(身体性)の存在が、
とりわけ重要となるのです。

自分の身体感覚の投影を、
サーチライトのように使って、
対象物(目的、欲しいアウトプット)とつながることで、
私たちは、
自己の創造力の発現を、
動機づけの面でも、組成の面でも、
容易くすることができるのです。

また、以前、
NLPを有効に活かすための、
「現場の情報空間」について、
触れました。

その際も必要なのは、
現場の膨大な情報空間に、
「身体的」に、同調・同期しつつ、
統御・利用していくということなのです。
ここでも、
私たちの身体感覚が、
素地(前提)として重要となるのです。

さて、そのように、
私たちは、
自分の「身体感覚」を、
意図に利用していくことで、
無意識の夢の力を導き、組織化し、
焦点化したアウトプットを、
創り出していくことができるのです。

そのことを通して、
欲しい結果(アウトカム)を、
手に入れることができるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


スライド4

スライド1

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか

 

◆日本におけるNLPの概況

さて、NLP(神経言語プログラミング)も、
日本に本格導入されてから、
20年ほどが経ち、
良くも悪くも、普及してきたと思いますので、
少し状況の総括をしてみたいと思います。

ところで、現在、本やスクールは多くあり、
その効果を、(過剰に?)謳っている一方で、
ネットを見ても、
「怪しい」「うさんくさい」
「効果がない」
などの言葉も、散在しています。

これらの言葉は、ある意味では、
皆、正しいのですが、
前時代の、歴史的な経緯を知らない方々、
特に、若い世代の方々にとっては、
どうも基本的な情報が不足しているようなので、
「本当のところはどうなっているのか」
ということを少し整理して、
まとめておきたいと思います。

◆日本への導入(輸入企業)の問題について

まず、
「怪しい」「胡散臭い」側面ですが、
これは、その通りであり、
それは、日本における導入の経緯や、
輸入会社(企業)に関係している事柄です。

例えば、コーチングでさえ、元々は、
商業セミナー(いわゆる自己啓発セミナー)を
運営していた会社が、
自己啓発セミナーに代替する商品として、
輸入したという導入経緯があります。

そのため、
方法論自体の真偽は、
脇に置いておくとしても、
その前段階で、
一種のうさんくささや、
嘘があるわけなのです。

導入した会社が、
その方面での素養や意欲もなければ、
方法論的内容や効果よりも、
金儲けになることを、
主眼としていたからです。

しかし、コーチングも、
普通の人たちが、
徐々にやるようになって来て、
方法論的に修正を加えていくことで、
まともな方法論に、
少しずつ近づいてきたという経緯があります。

これは、
NLPにおいても、
少し似たような側面があるのです。

そのため、
NLPを学んでみたいという人は、
スクールの各団体や主催者が、
どういう出自を持っていて、
心理を扱う最低限の素地があるか、
また、
NLPの原理は何であり、
どういう適用や効果を持っているのか、
ということを、
見極めておくことをおすすめします。



◆カウンター・カルチャーとしてのNLP その出自と前提

さて、もうひとつ、
NLPが、日本でわかりにくい側面は、
オリジナルのNLPが、その出自として持っている、
カウンター・カルチャーの、
文化的な意味合いや創造的なアイディア(沸騰)が、
感覚的に理解されていないことです。

カウンター・カルチャー(対抗文化)の思潮とは、
ヒッピー云々のような、
表面的で、風俗的な流行とは関係のない事柄です。

アップルのスティーブ・ジョブズが、
サンフランシスコ禅センターに、
熱心に通ったのは、
別に遊びでも、流行のためでもありません。
感覚の深いところに根ざした直観であり、
共鳴だったのです。
そこのところが分からなければ、
ジョブズのことも理解できないのです。
また、ビートルズでさえ、決して流行で、
超越瞑想を行なったわけでも、
それで、終わったわけでもないのです。
http://www.tm-meisou.org/blog/archives/247

さて、
NLP神経言語プログラミングは、
グリンダー博士とバンドラー博士によって
パールズ、エリクソン、サティアなどを、
モデリングしてつくられたとされています。

ところで、アメリカにおける心理療法は、
日本のものとは違って、ずっと、
一般の人々の生活の近くにあるものです。
自分の精神分析医を持つことが、
ステータスだったこともある国です。
(映画などでも見かける風景です)

その流れで、60年代、
カウンター・カルチャー隆盛の時代には、
一般の、感度の高い人々が、
ゲシュタルト療法や、エンカウンター・グループ等を、
治療のためではなく、心や創造力を解放する手段として、
気楽に体験したわけです。
治療のために、ドラッグ(薬)を使うのではないのと、
同じことです。
その文脈で、エサレン研究所なども注目されたわけです。

そしてまた、その周辺には、
それらの手法を、見よう見まねで取り入れた、
カルト系や商業系の、自己啓発セミナーたち、
エストやその他が、非常に沢山あったわけです。
牧師や導師(グル)の説教や、
モチベーション・スピーカーの講話が、
巷に溢れている世界にあっては、
ごくありふれた風景だったわけです。

そして、
グリンダー博士も、バンドラー博士も、
もともとの専門領域は、言語学や数学であり、
専門の心理系ではなかったのです。

ただ、上記の背景もあり、体験的心理療法は、
必ずしも専門領域だけに閉ざされていたわけでは、
無かったのです。
(元々、バンドラー博士は、
パールズの逐語録作成などを手伝っていましたが、
その語り口は、どこか部外者的です)

そしてまた、
本当に、実際的な効果だけを求めるなら、
心理系の専門領域などというジャンル分けも、
あまり意味を持たなかったのです。

彼らが、パールズ、エリクソン、サティアと、
流派もバラバラな人々を、モデリングした背景には、
そのようなフリキシブルな前提があったわけです。
そのため、メイン・ストリームの学問を疑っていたし、
そもそも評価していなかったのです。
そのことをうかがわせる、興味深いエピソードがあります。

NLPが、一部で話題になり出した当初、
グリンダー博士とバンドラー博士らは、
家族療法で有名なMRI(Mental Research Institute)に呼び出されて、
デモンストレーションをやらされたようです。

グリンダー博士曰く、
「MRIの奴らは、度肝抜かれていた」とのことで、
その結果、MRIでは、
NLPについて、一切言及しないようにと、
緘口令が敷かれたそうです。

若き日の、悪態つきのバンドラー博士が、
どんな挑発的な言辞で、
旧弊なセンセイたちをキリキリ舞いさせたのかはわかりませんが、
その場面を想像してみると、らしいエピソードです。

ところで、
アカデミックの世界などに持ちこんだら、
NLPは潰されていただろうというのが、
グリンダー博士の見解のようです。

そして、より一般の人々に訴える方向で、
NLPを普及させる方に向かったわけです。
そもそもが、カウンター・カルチャーなので、
そこのところは、問題ではなかったのです。
そして、良くも悪くも、
普及したというのが現状なのです。

このあたりのコンテクストが、
学問的なことは、正解であると思い込んでいる、
物事を信じやすい日本人には、
分かりにくい側面でもあるのです。
 

 

◆人生戦略のツールとしてのNLP

さて、それでは、
「NLPとは何か」といえば、
それは、
「単なる心理学ツールの寄せ集めである」
ということです。

そのため、
どのようなコンテクストで利用すれば、
NLPの手法は効果を出すのか、
そこのフレームが押さえられていないと、
NLPも意味を持たないわけなのです。

そして、そのことでいうと、
NLPは、そもそも、
カウンター・カルチャーを前提としたものなので、
人間(人生)そのものを、人生の質を、
旧来の姿にない新しい形に、創り変えていくという、
オルタナティブなヴィジョンを、
背景に持っていたのです。

ところで、彼らは、
グレゴリー・ベイトソンに、
初期の本の序文を書いてもらっています。

「グリンダーとバンドラーは
我々がその時に直面していた問題に
直面したのであり、
その結果が、このシリーズである。
彼らには我々が持っていなかった
―あるいはその使い方が分からなかった―
道具がある。
彼らは言語学を、
理論の基礎に置くと同時に、
治療の道具にすることにも成功した。
彼らは精神医学の現象を
これで二重に照合して確かめることができ、
今なら私にもわかるが、
その時には残念ながら見逃していたことを
彼らはやりとげたのである」
『人間コミュニケーションの意味論』
ベイトソンによる序文、尾川丈一訳(ナカニシヤ出版)

そのベイトソンは、
人類学や精神医学の実証研究から、
私たちの、通常の「心」も、
(彼の学習理論にしたがって)
習慣による二次学習の結果であると、
洞察していました。
そして、それを変化させるのが、
より上位階層レベルの学習、
三次学習(学習Ⅲ)であると考えたわけです。
「気づきと変性意識の技法 基礎編」

ベイトソンは、
二次学習発生の由来が、おそらく、
問題解決に費やされる思考プロセスの経済性である、
と指摘したうえで、以下のように記しています。

「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、
何の役に立つのかという問いに、
『それによって生のシークェンスの多くを、
いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』
という答えを用意したわけである。
『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』
という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。
これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、
変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」
『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)

「習慣の束縛から解放されるということが、
『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。
『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。
『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、
また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、
形づけ方の『型』である。
要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。
とすれば、Ⅲのレベルに到達し、
自分の行動のコンテクストが置かれた
より大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、
『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。
経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、
そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」
(前掲書)

「習慣の束縛から解放されるということが、
『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。
『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である」
「要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである」
「これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、
変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」
というようなヴィジョンが、
カウンター・カルチャーを背景に持ち、
ベイトソンに序文をもらい、
天才肌のパールズ、エリクソン、サティアと交流し、
その方法論を抽出・再構成していった若者たちにとって、
どのような、人間(人生)の、
あるべき未来を夢想させたかという点は、
想像するだに、クリエイティブで刺激的な事態です。
そこに、NLPの原風景があるわけです。
NLPの少しSF的で、遠大な含意は、
そのような点にもあるのです。

そのため、
はじめから「NLPの手法ありき」で、
物事を考えても、イメージはひろがらないし、
あまり成果の出るものでもありません。
そのような、創造性を欠いた現状からも、
グリンダー博士は、NLPの未来には、
悲観的なようです。

そのことは、
文化的前提のない、日本においては、
なおのことなのです。
そしてまた、ここが、
日本のNLPが、
とりわけ退屈になってしまっている、
要因のひとつでもあるのです。

NLPカリキュラムの、既存の手法ありきで、
それをいっぱいいっぱいに試してみても、
あまり効果の出るものではないのです。
また、
背景のヴィジョン(フレーム)がきちんとないと、
そもそも、
NLPが作用するフレーム自体も、
生まれて来ないのです。

大きな人生の、得たい方向性(戦略)を組み立てる中で、
また、セッション現場のリアリティの中で、
どのような要素(場面、局所戦)に、
適用し、位置づけたら、
NLPが効果を生むのかを見極めていくことが、
まずは、NLPをイメージ豊かに使うコツとなるのです。

そのため、
あるいは、逆にいえば、
NLPを、あまり真剣にとらえずに、
アートやSF的なエンタメのひとつとして、
まずは自分で試してみて、
楽しんでみる位のスタンスの方が、
何かしらの人生のヒントを、
つかめるのかもしれません。

※気づきと変性意識状態(ASC)についての、
総合的な方法論は、拙著↓
入門ガイド

→内容紹介『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
また、
よりディープな内容は

内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 

↓動画「変性意識状態(ASC)とは」

 

↓動画「変性意識 映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

 

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓変性意識状態への入り方はコチラ

 動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」 

 

↓より多様で、深遠な変性意識状態については、コチラ

 動画「ゲシュタルト療法 変性意識 意識拡張 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』」

大竹伸朗回顧展『全景』の記憶 無機的な痙攣する熱量

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…………………………………………………………



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さて、前回、
ボルヘスの作品について
内容における、その宇宙的な無限と、
形式における、硬質な掌編との、
極度な対照性が
その作品の過度なる圧力を
生み出していることについて触れました。
宇宙への隠された通路 アレフとボルヘス

その両極的な振幅の大きさが、
その効果の衝撃力を高めている、
というわけです。

そしてまた、
その作品の背景には、
宇宙的な(または鉱物的、無機的な)変性意識から、
日常意識までの広い帯域が、
強度を持って、
はらまれている可能性についても、
触れました。

さて、
そのような両極の振幅が持つ、
極度な力を、
特異な身体的な衝撃として体感できた、
稀有な出来事について、
今回は、取り上げてみたいと思います。

すでに、
10年以上も前の事柄になりますが、
大竹伸朗氏の大回顧展、
『全景』が、
東京都現代美術館で、
行なわれました。

4トントラック25台で搬入されたとされる、
2,000点もの作品群が、
美術館の全階層を占拠する、
巨大なスケールと、
大物量が投下された展示会でした。
夜の館の外には、
「宇和島駅」の文字が、
ネオンとして光っていたものでした。

そして、館内では、
天井まで届くような巨大なオブジェから、
廃物のようなガラクタ様の小品、
無数の濃厚なスクラップ・ブックまで、
大小さまざま、様式も雑多な、
膨大な作品群が、空間を埋め尽くす姿は、
あたかも、
建物空間そのものが、一つの複合した、
巨大な作品であるかのような観を呈し、
見る者に対して、
肉体的な圧倒として、
体感されたのでした。

そして、
その空間の、巨大で重厚な濃密さが、
より痛感された要因のひとつに、
その作品群の、
おびただしい雑多さもありますが、
とりわけ、
線や点における尖鋭、
極度な震えの相が、
あったのです。

というのも、
一見ジャンク品のような、
作品のひとつひとつは、
よく見ると、
その細部に、
まるで濃縮され、凝視(幻視)された、
ミニチュアのように、
非常に繊細な造形、
膨大な情報量、
激しい熱量が込められたからです。

そのミクロな先端と、
マクロな広大さとの間の、
両極の振幅。
刺すような極小な線の震えと、
膨大かつ巨大な作品的身体との間にある、
振幅の大きさが、
並外れて凝縮的なエネルギーと、
熱量を、
生み出していたのでした。

『全景』とは、
うまく名づけたもので、
廃物や夢の残骸のような異形の作品群が、
積み重なる空間は、
大袈裟にいえば、
一種のSF的な荒れ野、
どこかの惑星の風景を、
連想させるようでもあったからです。

以前、LSDの体験セッションにおいて、
鉱物群と同一化する、
変性意識状態(ASC)の事例を取り上げましたが、
これらの廃物的で、
鉱物や残骸のような作品群には、
そのような無機的な意識体とも通底するかのような、
強度に逸脱した、
過剰な生のリアリティが、
感得されたのでした。

そして、巨大な熱量の塊、
(それも、冷えた熱としての)
無機的に振動するような熱量が、
体験の記憶として、
大きな感動とともに、
筆者の肉体の底に、
刻まれたのでした。

それがために、
10年以上の歳月が経っているにも関わらず、
その時の興奮が変わらずに、
今も、神経のうちに残っているわけなのです。

そしてまた、
あのような大回顧展が、
再び開かれることを
願っているのは、
決して、筆者ひとりだけではないとも、
思われるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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 【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

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宇宙への隠された通路 アレフとボルヘスの隘路

さて、以前、
諸星大二郎氏の『生物都市』や、
LSD体験セッションの中で、
鉱物的結晶に同一化する、
変性意識状態(ASC)の興味深い事例について、
見てみました。

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

ところで、
それらの体験報告は、
しはしば、古代的な宗教文献などでも語られる、
日常意識の背後にある、
遍在的で、全一的な意識の様態を、
さまざまに夢想させるものでもあります。

さて、今回は、その関連で、
アルゼンチンの作家、
ホルヘ・ルイス・ボルヘスを、
取り上げてみたいと思います。

ボルヘスの主要な傑作は、
無限的で、全一的なる宇宙を、
小さな物語の中に、
凝集するかのように結晶させた、
短編群です。

彼の作品では、
私たちの人生を形づくる、
普遍的な素材―
記憶、夢、書物、時間、想像力などを、
別様にとらえていく巧妙な仕掛けを通して、
日常的現実に、
「無限の宇宙」を侵入させる(招き入れる)かのような、
幻想的な物語が展開されていきます。

さて、その彼の小説の中に、
『アレフ』という作品があります。

『アレフ』は、
そのようなボルヘスの趣向が、
一人称の語りで、比較的、
直接的に表現されたかのような、
体裁になっています。
(彼の多くの物語は、迂回と晦渋により、
もっと間接的に、
人を巻き込んでいくような語り口です)

さて、作品に出て来る、
アレフとは、
ある架空のものを名づけた言葉ですが、
それは、食堂の地下室の片隅にある、
「宇宙のすべてが見える」
ある球体のことです。

物語は、
アレフのことを知る、ある知り合いが、
とある屋敷の地下室にある、
アレフの存在を、ボルヘスに語り、
ボルヘスがそれを、
地下室の暗闇に入って、
実際に確かめてみるという、
ストーリーとなっています。

「何よりも私を驚かしたのは、
重積や透過といった現象もないのに、
すべてが同一の点を占めていることだった。
私のこの眼が見たのは、
同時的に存在するものだった。
私がこれから書写するものは
継起的になるだろう。
言語が継起的なものだからだ。
それでも私は、
なにがしかを捉えることができるだろう」

「階段の下の方の右手に、
耐え難いほどの光を放つ、
小さな、虹色の、一個の球体を私は見た。
最初は、回転していると思った。
すぐに、その動きは、
球体の内部の目まぐるしい光景から生じる、
幻覚にすぎないことを知った。
〈アレフ〉の直径は二、三センチと思われたが、
宇宙空間が
少しも大きさを減じることなくそこに在った。
すべての物(たとえば、鏡面)が無際限の物であった。
なぜならば、私はその物を宇宙のすべての地点から、
鮮明に見ていたからだ。

私は、波のたち騒ぐ海を見た。
朝明けと夕暮れを見た。
アメリカ大陸の大群集を見た。
黒いピラミッドの中心の銀色に光る蜘蛛の巣を見た。
崩れた迷宮(これはロンドンであった)も見た。
鏡を覗くように、
間近から私の様子を窺っている無数の眼を見た。
一つとして私を映すものはなかったが、
地球上のあらゆる鏡を見た。
ソレル街のとある奥庭で、
三十年前にフレイ・ベントスの一軒の家の玄関で
眼にしたのと同じ敷石を見た。
葡萄の房、雪、タバコ、金属の鉱脈、水蒸気、
などを見た。
熱帯の砂漠の凹地や砂粒の一つ一つを見た。
インヴァネスで忘れられない一人の女を見た。
乱れた髪を、驕りたかぶった裸を見た。
乳房の癌を見た。
以前は木が植えられていたが、歩道の土の乾いた円を見た。
アドロゲーの別荘を、かのフィレモン・ホランドの手になる、
プリニウス英訳の初版本を見た。
あらゆるページのあらゆる文字を同時に見た
(子供の頃の私は、閉じた本の文字たちが、
夜のうちに、混ざり合ったり消えたりしないのが
不思議でならなかった)。
夜を、同時に昼を見た。
(中略)
あらゆる点から〈アレフ〉を見た。
〈アレフ〉に地球を見た。
ふたたび地球に〈アレフ〉を、
〈アレフ〉に地球を見た。
自分の顔と自分の内臓を見た。
君の顔を見た。
そして眩暈を覚え、泣いた。
なぜならば私の眼はあの秘密の、
推量するしかない物体を
すでに見ていたからである。
人間たちはその名をかすめたが、
誰ひとり視てはいないもの、
およそ想像を絶する、宇宙を。」
『アレフ』鼓直訳(岩波書店)

さて、
一見なんでもない日常の風景の一角に、
宇宙が、そこに含まれているような、
隠された秘密の通路が、
存在しているかもしれない、
というような夢想は
私たちの多くが、子供の頃、
なんとなく考えたのではないかと思われます。
秘教的なアイディアにおいても、
そのようなことが語られたりもします。

それらも、ある意味、
私たちの心の奥底にある
何かしらの構造を、
投影したものであると、
考えることもできるわけです。

さきに触れた、
鉱物と同一化した変性意識状態(ASC)
に見られるような、
心の基層部のひろがりとは、
ある意味、
宇宙的な性質を有しているのでは、
ないだろうか考えることもできるわけです。

そしてまた、見方を変えると、
ボルヘスに見られるような。
無限なる宇宙を、
小さな物語に閉じ込めたいという、
欲望自体が、
そのような、私たちの心の構造や渇望を、
どこかで映し出していると、考えることもできるわけです。

そして、私たちが、
ボルヘスを読む快楽とは、
彼の作品にある、
無限の宇宙を凝集したような高圧点を、
意識的に味わうところにあることを考えると、
それは、色々と示唆に富むことでもあるのです。

そして、そのような、
箱庭的ミニチュアにある、
凝集への欲望には、
無辺にひろがる宇宙的な意識と、
局所的で、場所的な日常意識との間に、
結合や振幅的往還をもたらしたいという、
私たちの渇望の現れがひそんでいると、
類推することもできるわけなのです。



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「英雄の旅」とは
体験的心理療法
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「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から

さて、今回は、
私たちの内で働いている、
心的システムの、高次の学習階層について、
考えてみたいと思います。
これらは、
変性意識状態(ASC)の中などでは、
しばしば出遭うことになる、
自己システムの隠された側面とも、
いえるものかもしれません。


◆フロー体験で働く機構

ところで、
以前、取り上げた、
フロー体験flow experienceにおいては、
私たちは、高度な集中状態の中で、
特殊な意識(心身)状態に、
入り込むこととなります。

そこにおいては、
私たちは、その行動(行為)を、
圧倒的で、没我的な集中状態で、
行なっているわけですが、
そこでは、

自分で完全にコントロールしているという、

感覚と同時に、あたかも二重写しのように、
「自分でないものの力」によって、
それらの行動が為されているかのような、
不思議な感覚を得ることになります。



その状態においては、
まるで、何かの自動化によって、
高速的に、最適な判断と選択、
迅速で的確なアクションが、
取られていくかのようです。

おそらく、
この状態においては、
ベイトソンのいう、
二次学習の機能の成果が
並外れた状態で働いているとも、
言えるのかもしれません。

また、この状態における、
閃光のようなフリキシブルな創造性からすると
三次学習の要素も、いくらか、
含まれているのかもしれません。

いずれにせよ、
非常にひろい幅の、
学習階層で、
心身の創造性が、
発揮されている状態であると、
推察されるわけです。


◆心身のメタ・プログラマー

さて、ところで、
ベイトソンの友人で、
イルカの研究者や、
アイソレーション・タンクの発明者としても、
著名な、ジョン・C・リリー博士は、
合法時代のLSDを使った、
心理・意識機能の探求者、研究者でもありました。

人間心理における作動のシステムを、
プログラミングや、
そのメタプログラミングとして記述する、
『バイオコンピュータとLSD』(リブロポート)は、
自らをLSDセッションの被験者として、
(精神分析的な知見も含め)
人の心理機能を、
システムの制御体系として、
抽象度高く表現した書物です。

また、その後の、
『意識(サイクロン)の中心』(平河出版社)においては、
前著の体系を引き継ぎつつ、
心身(意識)システムの制御における、
プログラムとメタプログラミングの階層構造を、
各種の実践体験の中で、実験(確認)していくという、
興味深い書物となっています。

そこにおいては、
私たちの日常意識(プログラム)を制御する、
高次のシステム(メタ・プログラマー)についても、
さまざまな考察がめぐらされています。

そして、
フロー的な体験や、それ以上の体験のように、
極度に潜在能力が解放された、
特殊な存在状態においては、
メタ・プログラマー自身が、
私たちの存在を制御し、
操縦していくかのような事態が、
興味深い実体験(事例)とともに、
数多く紹介されています。

そのような事例などは、
例えば、フロー体験の中で、
どのような超越的なシステムが、
私たちの内で作動しているのかを考える際の、
ヒントになるものと思われるのです。

また、その際の、
仮説としての、心の階層モデルなどは、
世界の諸伝統などとも響きあう、
共通性を持ったモデルでもあり、
そのさまざまな比較検討が、
可能なものともなっているのです。


◆「聖霊」の働く階層

ところで、以前、
映画『攻殻機動隊』と、
そのゴーストGhostの変性意識状態(ASC)について、
考えてみた際、
初期のキリスト教徒に見られた、
「聖霊体験」について、
それらを一種の変性意識状態の事例として、
取り上げてみました。

つまりは、
聖書にある、
「聖霊にみたされる」体験を、
システム的に、
意識が、
未知なる心身の「上部構造」とつながる体験として、

とらえてみる可能性について、
考えてみたわけです。

そして、
上部構造とつながるシステムな体験であるがゆえに、
情報が整列されることにより、
私たちの日常意識(下位構造のプログラム)を、
整理・改変する力、
つまりは統合(治癒)する力が、
生まれるのではないかと、
比喩的に、考えてみたわけです。

ところで、
そのように考えてみると、
この、心の階層システム的な仮説が、
先に見た、
リリー博士のいう、
「私たちのプログラム(日常意識)を、
制御するメタ・プログラマー」という仮説と、
近しい姿を取っていることに、
あらためて気づかされるわけです。

そして、実のところ、
筆者自身、
拙著『砂絵Ⅰ 現代エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

に記したように、
風変わりな変性意識状態(ASC)を、
さまざまな経験として持ったわけですが、
判然とはわからないものの、
それらの事象の背後に、
何らかのシステム的なつながりがあることは、
類推(予感)できたのでした。

そのようなことからも、
これら心的システムの、
プログラミングにまつわる領域には、
世の事例の多さを考えてみても、
探査検討すべき領域が、
まだ沢山あると感じられるのです。


◆この人生の背後にあるもの

私たちの人生には、
何らかのきっかけで、
日常意識を超える要素が、
変性意識状態の片鱗として、
やって来ることがあります。

それらは、
ひょっとしたら、
私たちの日常意識の背後で働いている、
メタ・プログラマーの、
何らかの調整作用の影響であるとも、
考えることができるのかもしれないのです。

日常生活で、
ふと舞い込む、
覚醒感や、感覚の拡張、

偶然や運として、
それらは姿を現わしているのかも、
しれないのです。

そのため、
当スペースでは
X意識状態などと呼んで、
それらに感覚的に焦点化することなども、
行なっているわけです。

それらに、
意図的に気づき、意識化していくことにより、
私たちの、
高次の学習機能も、
少しずつ高まっていくからです。
そして、おそらくは、
メタ・プログラマーの創造的な影響を、
呼び込むことも、
可能になると考えられるからなのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
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ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
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諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

さて、諸星大二郎氏といえば、
昔はカルト作家?であり、いまや、
日本を代表する奇譚漫画家
ともいえる存在です。

その彼が、
1974年に手塚賞をとった短編、
『生物都市』は、
昭和の子どもたちの心に、
強烈な刻印を残したトラウマ漫画でした。

内容は、探査宇宙船が、
木星の衛星イオから運んできた、
謎の感染性の何かにより、
人間(生物)と金属類とが、次々と融解し、
融合していってしまうという物語です。

物語の舞台は、日本の地方都市ですが、
やがて、全世界が、抗しようもなく、
すべて溶けあってしまうだろうという事態を、
奇怪な造形と筆致で描いたものでした。

無機物質と生物が融合してしまう、
異形な映像の薄気味悪さもさることながら、
その意識や心までもが、
融解した集合体に、
飲まれていってしまうという事態が、
人間的で文化的な価値観の一切を、
洪水のように押し流してしまうかのようで、
怖ろしくも感じられたのでした。

一方、夢の世界への郷愁にも似た、
その鉱物的な世界に対する、反感と魅惑が、
両義的な感情として、心に残されたのでした。

ところで、このような、
世界が、鉱物化していってしまう物語や、
一見生物に見えない無機物質が、意識体であるという話、
惑星が、単一の意識体であるというような話は、
SF小説の世界では、
比較的、見受けられるテーマともなっています。
そこには何か、
私たちの「意識」や「文化」の曖昧さに対する、
問題提起があるようにも感じられます。

さて、一方、
シャーマニズムの伝統などに、目を向けると、
そこでは、鉱物や石などを、
私たちの同類と考え、
「長老」と見なすような世界観も、
たしかに存在しているのです。
石や鉱物たちは、
いにしえから大地に存在している、
大先輩というわけです。
 
そこには、
私たちの心の基層の空間に、
鉱物的なものとの親和性を生み出す、
何か元型のような傾向性が、
存在しているかもしれない可能性を
うかがわせるものでもあるのです。

ところで、
変性意識状態(ASC)にまつわる、
さまざまな意識の様態を見てみました。

実際、変性意識状態(ASC)における、各種の事例は、
この親和性の背後にあるものについても、
ヒントを与えてくれる場合があるのです、

スタニスラフ・グロフ博士は、
膨大かつ多様な変性意識状態(ASC)の体験を、
体系的に整理・研究していますが、
その『深層からの回帰』(青土社)には、
次のような体験報告も再録されています

これは、
あるLSD体験セッションの被験者の報告ですが、
変性意識を通して見た、
鉱物的状態についての、
大変興味深い洞察ともなっているものです。

ここで、被験者は、自分自身を、
琥珀や水晶、ダイヤモンドなどの鉱物と、
次々に、深く同一化していくという、
奇妙な体験を得ていったのでした。

「セッションのこの時点で、
時間は止まっているようだった。
突然自分が琥珀の本質と思われるものを
体験しているのだ、
という考えがひらめいた。

視界は均質な黄色っぽい明るさで輝き、
平安と静寂と永遠性を感じていた。
その超越的な性質にもかかわらず、
この状態は生命と関係しているようだった。
描写しがたいある種の有機的な性質を帯びていたのだ。
このことは、
一種の有機的なタイムカプセルである琥珀にも
同じく当てはまることに気づいた。

琥珀は、鉱物化した有機物質―
しばしば昆虫や植物といった有機体を含み、
何百万年もの間、
それらを変化しない形で保存している樹脂―なのだ。

それから体験は変化しはじめ、
私の視覚環境がどんどん透明になっていった。
自分自身を琥珀として体験するかわりに、
水晶に関連した意識状態につながっている
という感じがした。

それは大変力強い状態で、
なぜか自然のいくつかの根源的な力を
凝縮したような状態に思われた。

一瞬にして私は、
水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして
土着的な文化で重要な役割を果たすのか、
そしてシャーマンが
なぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した」

やがて、この体験は、
水晶からダイヤモンドへと移っていきます。

「私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、
完全に汚れのない光輝となった。
それがダイヤモンドの意識であることを
私は認識した。

ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、
われわれが知るすべての生命が
それに基づいている元素であることに気づいた。
ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、
意味深長で注目に値することだと思われた。

ダイヤモンドがどういうわけか
最高の宇宙コンピュータのように、
完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、
自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという
非常に抗しがたい感覚を覚えた。

ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、
たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、
白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、
その形而上的な意味を
指示しているように思われた。

チベット仏教が
ヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が
分かったような気がした
(ヴァジュラは『金剛』ないし『雷光』を意味し、
ヤーナは『乗物』を意味する)。
この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、
『金剛の意識』としか表現しようがなかった。

時間と空間を超越した純粋意識としての
宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてが
ここに存在しているように思われた。

それは完全に抽象的であったが、
あらゆる創造の形態を包含していた」
グロフ『深層からの回帰』菅靖彦、吉田豊訳(青土社)

さて、とても興味深い体験報告ですが、
例えば、精神病圏といわれるものの背後などでも、
このような元型的な力(意識)の作用が、
どこかで働いているのではないかという、
疑問を持つことも可能なわけです。

統合失調症に見られる、ある種の特徴などは、
そのような鉱物的なものとの親和性、共振性を、
強く感じさせるものでもあるからです。
また、多種多様なアウトサイダー・アートの造形などからも、
そのような質性が、感じ取られるものとなっているです。
その硬質性、透明性、反復性、無限性などは、
しばしば、原質的で、鉱物的な風景に、
私たちを、誘うものでもあるのです。

そのように考えると、
これらの傾向性は、
それほど奇異なものではなく、
私たちの精神の基層に根ざした、
何らかの表現形態であると、
考えることもできるわけです。

そして、
シャーマニズムの伝統の中にいる人たちも、
また、私たちの身近にいる、
鉱物嗜好者たちなども、
鉱物に心身を投影することを通して、
その中に、
何らかの意識の基層的な形態を、
感じ取っている可能性が、
考えられるわけです。

『生物都市』が、
私たちの中に引き起こした、
不思議なざわめきは、
そのような事柄を考えさせるのです。


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サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

◆サブモダリティの改変

さて、NLP(神経言語プログラミング)において、
サブモダリティの改変という技法が、
そのセッション(ワーク)で、
使われることがあります。

サブモダリティ(下位様相)とは、
モダリティ―視覚、聴覚、触覚などの、
各表出(表象)体系を構成する、
下位の構成要素ともいえます。
例えば、視覚においては、
その映像を構成する、
明度、鮮明度、カラーor白黒、サイズ、コントラスト、距離、位置、
などが、サブモダリティです。
喩えですが、テレビのツマミによって、
変化するかのような各属性、
調節が可能な要素たちです。

実際のNLPのセッション(ワーク)における使い方でいえば
クライアントの方の、
或るネガティブな体験には、
その体験内容と結びついた(フレーム化された)、
サブモダリティがあると考えます。

そのため、
フレーム化によって、
望ましくない体験と結びついた、
サブモダリティを改変することで、
望ましい状態に創り変えるのが、
サブモダリティに焦点化した技法となります。
(フレーム自体を改変するのは、
リフレーミングという技法になります)

そのように、
サブモダリティは、
私たちの経験内容を記憶し構成する、
基本的な素材となっていると、
考えられるのです。


◆ビートルズ『イン・マイ・ライフ』とサブモダリティ

さて、以前、
才能における相補性ということで、
NLPとビートルズを例に出したので、
今回も、ビートルズにまつわる個人的な事例を、
エピソードとして使ってみたいと思います。

ビートルズのアルバム、
『ラバー・ソウル Rubber Soul』の中に、
『イン・マイ・ライフ In My Life』という、
名曲があります。

ジョン・レノンが、
ヴォーカルがとっている曲で、
本人のコメントもあり、
ジョン・レノンの曲とされているものです。

筆者も、昔から、
好きな曲ではあるのですが、
どこか感覚的に、
違和感を覚えてもいたのです。

というのも、
筆者にとって、
ジョン・レノンの曲は、
曲の由来(根っこ)が、
「すみずみまで(水晶が澄みきったように)分かる」
という感覚があるからです。
しかし、
『イン・マイ・ライフ』だけは、
素晴らしい曲で、好きな曲ではあるものの、
「どこか、分からない感じ」
というのがあったからでした。

しかし、後年、
ポール・マッカートニーが、
『イン・マイ・ライフ』は、
自分が書いた曲だと、発言していることを知って、
長年の謎が氷解したのでした。
ポールは、曲の構造からしても、
自分の曲だと証明できる、
ジョンが忘れただけだ、と言っているようですが、
さもありなんという感じなのです。

さて、それでは、
筆者の中で、
何がジョンの曲で、何がポールの曲だと、
感じ分けていたのでしょうか。

それこそが、曲を聞いた時に、
筆者の中で、自然に組成される、
サブモダリティの質性(特徴)だったのです。

筆者個人にとって、    
ジョンとポールの曲は、
サブモダリティとしては、
決定的に違うものでした。
ジョンの曲の、密度や屈曲と、
ポールの曲の、のびやかさと明るさとは、
明確に違うサブモダリティなのでした。
無意識で感じ取られる、
微細な様相においてもそうなのでした。
そして、個人的には、ジョンの曲は、
感覚の近さからか「根から分かる」感じがしたのでした。
一方、ポールの曲には、
どこか、曲の由来(根っこ)が、
「分からない」感じがあったのでした。
そして、それがどこか神秘的な質性でもあったのでした。

『イン・マイ・ライフ』は、
ジョンの曲だと信じ込んでいたため、
実際に組成されるサブモダリティとの間に、
齟齬や違和感が生じていたのでした。

ところで、
音楽を聴くときには、
曲の中に、心身を投影して、
その内的体験として曲を感じ取るわけですが、
その風景として、
サブモダリティが組成されるわけです。

そして、
その曲によって組成されるサブモダリティと、
自分の元々の、内的な経験(趣味)を響き合わせて、
合う合わないとか、好き嫌いとかを、
判断している訳です。
また、「分かる」などという幻想を、
創り出しているわけなのです。

しかし、サブモダリティの、
この内的一貫性を把握しておくことは、
対象物を理解する上での、
トラッキング(追跡)・システムとしても、
重要な働きをしてくれるものなのです。
『イン・マイ・ライフ』の事例は、
そのような意味でも、
興味深い事例となったのでした。

ところで、
多くの人にとっても、
好きな趣味の中での、
各種の感覚情報の差異は、
大体、サブモダリティの一貫性として、
把握されているものなのです。


◆投影された身体と、サブモダリティの拡張

さて、
の中では、
自らの身体の投影を通して、
私たちが世界をとらえ、
構成していく様子を記しました。    

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
そのことについて見ました。

そのような身体の投影の結果として、
私たちは、自己の世界の表象を、
作っているのです。

ところで、
このような身体投影の結果として、
内的表象を作る際にも、
強度の差異は各種あるものの、
サブモダリティも、
同時に、生成・組成されているのです。

生活の中で、さまざまな事柄を、
身体の投影を通し、
物事を経験・学習する中で、
体験内容のコンテクスト化やフレーム化も生まれれば、
基礎素材としての、
サブモダリティの生成と編成も、
行なわれているわけです。

そのため、生活史の中で、
何らかの問題的なフレームが発生した場合に、
問題あるサブモダリティも生まれてしまうのです。
それが、前段で見た、
NLPのセッション(ワーク)による
サブモダリティ改変のアプローチにも、
つながるわけです。

ところで、実際のところ、
サブモダリティの質性自体は
価値中立的であり、
それ自体は、良いものでも悪いものでも、
ありません。
強烈なサブモダリティが、
問題であるということではないのです。

問題なのは、
サブモダリティと、
否定的(悪しき)体験との、
フレーム化・コンテクスト化なのです。
この関係づけを改変するのが、
リフレーミングといわれる技法です。

また逆に、芸術などでは、
強烈なサブモダリティの方が
効果としては、
有効だったりもするのです。

さて、ところで、
私たちの普段の生活における
創造的な側面に目を向けてみると、
例えば、
何か貴重で冒険的な体験をした場合などには、
私たちの身体感覚に深い刻印が刻まれ、
身体感覚が拡張したかのような実感を、
得ることになります。
また同時に、
その経験内容(領域)を表象するサブモダリティも
改変(拡張)された感じがします。
これは、サブモダリティの「創造的な側面」です。

そのため、
新しい未知の体験を得て、
身体感覚が拡張したときには、
そのサブモダリティをしっかりと
感覚と脳に定着させていくと、
その経験が、学習として深まり、
自分の中でより、再コンテクスト化、
再フレーム化がはかどります。
高次階層の学習も進みます。

一方、
積極的で能動的な身体の投影を通して、
サブモダリティが、
わずかに拡張されるような
経験を持つこともあります。

芸術における体験などが、
それです。

その際、私たちの内側では、
実際に、
身体やサブモダリティが拡張され、
改変される体験とも、
なっているのです。

実際、
芸術におけるエネルギッシュで、
積極的な取り組みの中では、
(創作ばかりでなくとも)
自分自身の既存の身体感覚や、
固定化したサブモダリティを、
流動化させ、解放させていく効果があります。

慣れていないジャンルの芸術に、
積極的、意欲的に身体を投影して、
内的に把握しようとする努力は、
私たちの持っていた、
既存のサブモダリティや内的な表象を、
柔軟にして、
解放・拡張していく訓練にもなるのです。
それは、
多くの身体訓練と、
同様の働き方をするのです。

そのように、
私たちの身体感覚とサブモダリティは、
深く同期しているというわけなのです。

それがために、
スポーツ・トレーニングにおいても、
コーチングにおいても、
ヴィジュアライゼーションや、
イメージ・トレーニングが、
実際的・実利的な効果を、
発揮するというわけなのです。
ここには、
興味深い心身の領域が、
大きくひろがっているのです。


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階層を超える創造の飛躍 パブロフの犬か、ベイトソンのイルカか


さて、前回、
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
を語る中で、
ベイトソンの学習理論について、
触れました。

そこでは、
学習次元の階層を超えるような、
創造的な飛躍が起こる場合があることについて、
少し記しました。

このような階層を超える学習(創造性)について、
ベイトソンは、
『精神と自然』(新思索社)の中で、
興味深い事例を挙げているので、
今回は、そのことについて、
見てみたいと思います。

或るイルカの事例です。

ある時、そのイルカショーでは、
「毎回、イルカに『新しい芸』を教えることができる」
ということを売り物にすることを考えたそうです。

つまり、毎回、そのステージ(セクション)で、
イルカが、或る「新しい芸」をやり、
「そのことを覚えた」とイルカが再現する、
という高度な芸です。
イルカ的には、一日の中で、そのステージごとに、
毎回、新しいしぐさなりを表現し、
そのことを覚えた(学習した)ことを、
人に示すということです。

ここでイルカには、
「或る特定のことことを覚えていれば、エサがもらえる」
という、よくある単純なコンテクスト(二次学習)より、
高度なことが、課せられたのです。

或る時は、覚えている芸Aをやったら、
エサがもらえた。
しかし、次に、芸Aをやっても、
エサはもらえない。
偶然、芸Bをやったら、
エサがもらえた。
しかし、それをもう一度やっても(新しい芸ではないので)、
エサはもらえない。
最初、イルカは、混乱したようです。

しかし、試行錯誤を繰り返す中で、
イルカは、ついに、
「わかった」ことを示すかのように、
嬉しそうな反応をしたそうです。

そして、次々に、
「新しい芸」を見せ出したそうです。

つまり、イルカは、
より高い階層から、
自分の置かれた「コンテクスト(文脈)」を、
理解することをできたのです。

「芸A、芸B、芸C」と、
既存の芸を、ひとつのクラス(類)と見なし、
それとは別の「新しい芸」のクラス(類)が、
自分に求められているものだと理解したのです。
「新芸X、新芸Y、新芸Z」をひとつのクラス(類)として考え、
それを行なっていくことが必要だと理解したわけです。
「芸A…」と「新芸X…」のクラス(類)の差異を理解したのです。


このゲーム全体のコンテクストを理解したのです。
それは、
今までの自分が置かれた階層を、
超えた視点からの理解です。
そこに、
イルカは、飛躍することができたのです。

一方、対照的に、
ノイローゼに陥ったパブロフの犬の、
事例が挙げられています。

その犬は、
丸と、楕円形を識別する訓練を受けたようです。
丸の時は、反応Aを行なう、
楕円形の時は、反応Bを行なう、
というようなことでしょう。

その上で、
丸か楕円形か、識別できない形態が、
提示されたようです。
すると、
犬は、明らかに混乱し、
神経症的な症状を示し出したようです。
つまり、選択肢「丸か楕円形か」の間で、
「識別できない」という、
ダブルバインド(二重拘束)に入ってしまったのです。

つまり、パブロフの犬は、
選択肢「丸か楕円形か」が、
ひとつのクラス(類)であり、
「その他のクラス(類)が、
他の選択肢としてあるかもしれない」
という可能性を、
見出せなかったのです。
そのため、既存の学習の中で、
袋小路に入って(詰んで)しまったのです。

さて、見るところ、
人間の場合も、
個人の行動や、企業の戦略においても、
多くの場合、
パブロフの犬のようにしか振る舞えない、
というのが実情ではないかと思われます。
既存の二次学習の中で、
ダブルバインドに陥ってしまうのです。

つまり、
自分が慣れ親しみ、
身についた既存の二次学習、
既存の視野(選択肢)の階層を、
超える飛躍とは、
なかなかに難しいのです。

習慣的学習ではない超習熟と、
覚醒的な気づき、
プラスアルファの要素が、
必要となります。

そしてまた、
頭で考えるだけの方法論(aboutism)では、
自分自身を構成している
二次学習のプログラムを超える(相対化する)ことは
これも大変難しいからです。
考えることは、解離的なプロセスであり、
それ自体に、物質的に働きかける方法には、
ならないからです。

当スペースが、
ゲシュタルト療法(心理療法)を、
方法論に置いている理由は、
ここにあります。

それは、
ゲシュタルト療法のセッションは、
変性意識状態(ASC)に入り込む中で、
しみついた二次学習のプログラムに、
背後から直接、
コンタクト(接触)できる方法論となっているからです。

そして、
それを、気づきawarenessのうちに、
修正することができるからです。

これが、
当スペースの、
方法論的な狙いとその特徴と、
なっているのです。


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映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

【内容の目次】

  1. 新約聖書と聖霊の暗示するもの
  2. 変性意識状態(ASC)と心理療法
  3. 聖霊 Ghost の働きとは何か
  4. グレゴリー・ベイトソンの学習理論と心の階層
  5. Ghost の変性意識状態(ASC)

別のページでは、映画『マトリックス』を素材に、私たちの日常意識と変性意識状態(ASC)の関係について取り上げてみました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

ここでは、『マトリックス』の元ネタのひとつである日本のアニメ映画『攻殻機動隊』を取り上げて、変性意識状態(ASC)私たちの心の階層構造について考えてみたいと思います。


1.新約聖書と聖霊の暗示するもの

さて、原作漫画でもそうですが、副題は Ghost in the Shell となっています。
このゴースト Ghost が今回のテーマです。

映画の中では、「Ghost 」とは、私たちの「心」を意味するものとして使われていますが、そこに幾重もの意味合いが重ねられているようです。
Ghost は、そもそも霊、幽霊を意味しています。含意としては、ポリスのアルバム・タイトルにもなったケストラーの『機械の中の幽霊 Ghost in the machine 』あたりがその由来かもしれません。というのも、私たちの「心」というものは、この科学的な世界観の中で「幽霊」のように奇妙な形で存在しているからです。

私たちの社会の中においてこの「心」の位置づけはきわめて曖昧です。
誰もがその存在を自明のものとしていますが、科学的にそれを取りだしてみせた人もいません。
脳に還元したり、神経情報だと言ってみたり、誰もがわかったつもりになっていますが、その実体がよくわかっていない「幽霊」のような存在です。

また映画の中で、重要な意味をもって引用される新約聖書の流れでいえば、Ghost は、三位一体のひとつの位格である聖霊 Holy Ghost を連想させます。
しかし、聖書の中でも、聖霊 Holy Ghost はよくわからない存在であるのです。

そして、映画のストーリーに即していえば、近未来の社会において「ゴースト」とは、他者によって Ghost ハッキング(侵入・乗っ取られる)されることにより、「疑似体験の記憶(ニセの体験)」さえ、注入(ねつ造)されてしまう曖昧な存在になっているのです。
そのような未来社会にあっては、身体(義体)の中にある自分の「心=ゴースト」の「自分らしき」クオリア(質感)さえ、もはや自分自身の存在(同一性)の確証にならないという奇妙(不安)な事実が、Ghost (幽霊)という言葉には込められているのかもしれません。

ところで、映画の中では、新約聖書のパウロ書簡、コリント人への手紙の一節が重要な意味をもって引用されています。

「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧(おぼろ)なり」

草薙素子とバトーが非番の日に船の上で、謎のハッカー「人形使い」のメッセージを聞くのです。

そして、この一節は映画のラストシーン、草薙素子がバトーとの別れ際に、さきの節の前にある言葉を引いて、現在の自分の心境(状態)を表すものともなっています。

「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」

さて、映画の中では引かれていませんが、人形使いのメッセージは実は文章の前半節であり、この節の後には次のような言葉が続いていました。

「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」

今は鏡を通して見るようにぼやけて見ているが、その時が来たら、顔を直接あわせて見ることになるだろう。
今は、不完全にしか知ることができないが、その時が来たら、すべてをあきらかに知るようになるであろうということです。

この言葉は、草薙素子の「自分らしき」Ghost をめぐる疑惑と焦燥感と、謎のハッカー「人形使い」との邂逅にまつわる背景的な雰囲気(けはい)として終始流れているものです。

そして物語は、終盤、草薙素子が、人形使いの Ghost の秘密を探るために、きわどい状況下で人形使いの義体にダイブして、図らずも人形使いの Ghost と相見えて、結果、ネットに遍在するかのような彼の Ghost との「融合」に導かれ「さらなる上部構造にシフトする」ところで、クライマックスを迎える形となっているのです。

2.変性意識状態(ASC)と心理療法

さて、この話にあるような Ghost (心)の「上部構造(上部階層)」などは、フィクション(虚構)の中でしかあり得ないように見えるかもしれません。ところが、実はそうでもないのです。それが今回の話のテーマとなります。

拙著『砂絵Ⅰ』の中でも、さまざまなタイプの変性意識状態(ASC)の体験談を書きましたが、実際のところ、歴史的な文献などを調べていくと、強度な変性意識体験においては、私たちの「日常意識」が下位の意識として感じられる上部(上位)意識らしきものの存在を予感するような報告は多数存在しているのです。むしろ、ありふれた事例ともいえるでしょう。
さきほど触れた新約聖書に出てくる「聖霊に満たされた体験」などもそのような
ケースのひとつといえるでしょう。
変性意識状態(ASC)の中でも、シャーマンの儀式LSD使用等による強度なサイケデリック体験、臨死体験などの特異なタイプの体験においては、実際そのような事柄も体験されがちになっているのです。

そのような状態においては、私たちの意識や知覚は、別種のもののように澄みきり拡大し、あたかも「かの時」に「全く知る」かのようになって、日常意識の限定された状態を、「下部構造のように」透視していくことにもなるのです。そして、私たちは「かの時」でしか知りえないかのような隠された情報にアクセスすることもできるようになるのです。

ところで、このような心(意識)の構造的な「上層と下層」を感じさせる構造は、心の活動(アクション)面で見れば、(特異な変性意識状態のような劇的な形ではなくとも)ごく普通の心理療法(ゲシュタルト療法)のセッションの中でもつねに起こっているものです。
例えば心の葛藤状態を解決するために行なうゲシュタルト療法の(エンプティ・チェアの技法を使った)セッションを例に取り上げてみましょう。
このタイプのセッション(ワーク)においては、セッションが進んでいく中で、クライアントの方は軽度な変性意識状態に入っていきます。
そして、その状態の中では、葛藤する欲求(感情)をもった自分の中の分裂した「複数の自我状態」
、外部の場所(椅子)に取り出していくということが技法的に可能になります。(催眠でいうアンカリング技法が使われます)
そして、セッション(ワーク)の中で、各自我状態)の中身を丁寧に表現したり、対話させていくことにより、各欲求状態(自我状態)の間に、感情的・情報的な交流が発生し、だんだんと二つの欲求(感情)が融合していくということが起こってのくるのです。
また、その融合に従い、2つを融合させたたような、より「統合的・拡大的な自我状態」が自然に生成してくることにもなるのです。

クライアントの方の主観的な感覚としては(また機能としても)、最初の個々の欲求(自我状態)に対して、統合的な自我は、より「上位的な自我状態」として立ち現われてくる実感があります。欲求や感情の受け皿として、より幅広い器の大きさを持っているのです。

実際のところ、統合的な自我状態というものは、最初の欲求(自我)状態を、その部分(下部)としてその内に持っているものなのです。そして、統合的な拡大した自我状態の内にあって、各欲求(自我)は葛藤状態ではなく、下位の個性や能力としてそこに正しく働いているという感覚(変化」を持つようになるのです。心の機構(メカニズム)が整列されて、正しく稼働するようになるのです。

ここには、葛藤する自我状態と統合的な自我状態との間に、ある種の上下階層的な構造が存在しているのです。

また、実際、このようなセッション(ワーク)を数多く繰り返していくと、クライアントの方の中に、心の「拡張」「余裕」が生まれてきて、以前より「泰然としている自分」「統合し拡張された自分」というものを自分の中に発見することになるのです。

昔は葛藤したり、悩んでいた同じ事柄を、今では、以前ほどは気にしていない自分(の要素)を発見するわけです。
これなども、より上位的なレベルの「統合的・拡張的な自我状態」が、自分の中に育ったためと言えます。これは後述しますが、階層の高い心の機能が学習された結果ともいえるのです。

このように身近な事例からも、心の階層構造というものを想定することができるのです。

 

3.聖霊 Ghost の働きについて

さて、映画の中では、新約聖書の言葉が、重要な意味合いを持って引用されます。

ところで、宗教的・教義的な文脈とは関係ないところで、初期のキリスト教徒たちに起こった神秘的な体験群が、つまり変性意識状態がいかなるものであったかと考えるのは興味深いテーマです。

特に、聖霊 Ghost 関する記述は、キリスト教や宗教に限定されない心の普遍的な働きを感じさせるものであるからです。私たちも、聖霊体験のようなものや異言などを持つことがあるからです。

ところで、ロシアの思想家ベルジャーエフは、精神の自由に関する興味深い論考の中で、聖霊 Ghostにまつわるさまざまな指摘を行なっています。

「四福音書、ならびに使徒の書簡を読むと、パン・プノイマティズムの印象を受ける。いたるところ、霊である、という感銘を強く受けるのである。そこでは、いわゆる聖霊という教義は、まだ出来上がっていないといっていい。そういう教義は、使徒にもまた護教者にも見出すことはできない。(中略)聖霊とは人間にとくに近いものである。それは、人間に内在している。その働きはひろく万人に及ぶものの、それ自体は不可解な深秘に充ちている。いったい、聖霊について教義を立てることができるであろうか。私の考えによれば、それは不可能といっていい」ベルジャーエフ『精神と現実』南原實訳(白水社)

「S・ブルガーコフはいみじくも言った。聖霊がある特定の人間に受肉することはない。聖霊の受肉は、いつも全世界にあまねく及ぶ、と。精神―ひいては霊と聖霊との関係をくわしく規定するのが困難なのは、まさにこのためである。聖霊は霊のなか、心のなか、精神のなかに業を行なう」(前掲書)

「聖霊の働きは、どういう現実となってあらわれるだろうか。抑圧され卑しめられた人間の実存が終わりをつげて、心が生命にみちあふれ、高揚し、エクスタスにおちいることこそ、聖霊の業のしるしである。これは、聖書に記されている聖霊の特徴でもあれば、また文化・社会生活における精神の特徴でもある。新神学者聖シメオンの言葉がある。聖霊にみたされた人間は、文字に書き記された掟を必要とせず、と」(前掲書)

聖霊の働きというものは、人形使いの Ghost のように、世界や私たちの内外にあまねくいきわたっているかのようです。

 

4.グレゴリー・ベイトソンの学習理論と心の階層

さて、ここから、Ghost にまつわる階層構造について、ある学習理論を参考に考えてみたいと思います。

ところで、学習理論においてはグレゴリー・ベイトソンの学習理論が有名なものとして知られているところです。

何かを学習する取り組みの中で、一次学習、二次学習、三次学習と、直接的な学習(一次学習)に対して、そのコンテクスト(文脈)についての学習も、上位階層の学習として発達していくという理論です。
「学習すること自体」が、(メタ的に)学習されるのです。

例えば、ひとつの外国語をマスターすると、通常、第二外国語をマスターすることは容易くなります。
「外国語を学習する」ということ自体(そのコンテクスト)がコツとして学習されたからです。
ある乗り物の運転を覚えると、他のジャンルの乗り物の操縦も容易くなるのです。整理すると、以下のような階層構造になります。

・0次(0) 学習がない
・一次(Ⅰ) 学習する
・二次(Ⅱ) 「学習する」ことを学習する
     「学習すること」についてのコンテクストを学習する↓

「行為と経験の流れが区切られ、独立したコンテクストとして括りとられる、そのくくられ方の変化。そのさいに使われるコンテクスト・マーカーの変化を伴う」ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)

・三次(Ⅲ) 「『学習する』ことを学習する」ことを学習する
 →「学習すること」についてのコンテクスト化を再編集(再コンテクスト化)する。

二次、三次の学習は、その生体の任意の情報の組織化(コンテクスト化)といえます。

通常、芸事や技芸に上達することは、大体このように推移します。二次学習のレベルが上がると、個々の技というものはグッと次元を超えてよくなります。上位の学習能力が育っていくと、下位の学習力自体も、的を得たものになり、下位の能力をハンドリングする能力自体も高まるようです。

さて、ところで、興味深いことにベイトソンは、精神医学的な研究から私たちの普段の「心」も、習慣によるそのような二次学習の結果であると洞察している点です。そして、それを変化させるのがより上位レベルの三次学習(学習Ⅲ)であるという点です。

二次学習発生の由来が、おそらく問題解決に費やされる思考プロセスの経済性であると指摘したうえで、以下のように記します。

「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、何の役に立つのかという問いに、『それによって生のシークェンスの多くを、いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』という答えを用意したわけである。『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」(前掲書)

「習慣の束縛から解放されるということが、『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、形づけ方の『型』である。要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。とすれば、Ⅲのレベルに到達し、自分の行動のコンテクストが置かれたより大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」(前掲書)


さきほど、エンプティ・チェアの技法のセッションで、何が起こるのかについて記しましたが、そのような階層的な事態が、この引用した文章と響きあっていることが分かると思います。

その事態が、心の二次学習のコンテクストを、三次学習的に書き換える作業だということが、見てとれるかと思います。セッションの中では、そのような階層構造が現れているわけです。

また、芸事の学習などにおいても、「守破離」ということが言われます。
芸を深めるプロセスにおいて、だんだんと「型」を順守していた段階を踏み破り、その「型」を離れていく段階がおとずれるというわけです。
これなども「型」を十分に習熟した挙句に、その中で育った二次学習そのものが臨界点に達し、気づき awareness の中に乗り越えられていくプロセスであると考えることもできるわけです。

5.Ghost の変性意識状態(ASC)

ところで、このような学習の階層的構造が、変性意識状態(ASC)下における Ghost (心)の気づくawareness ことを学習する中でも、どうやら育っていく可能性があるということが各種の観察からもうかがえるのです。

特殊な状態下での、気づくawarenessこそが、その二次学習的な能力も育てていくという可能性です。
高次の気づくawarenessが育っていくというわけです。

実際のところ、心理療法のセッションや、瞑想における気づきの訓練明晰夢 lucid dream の中での気づきの取り組みは、私たちの気づく能力を間違いなく高めていくものです。
その背後では、おそらく、なんらかの「高次元の学習」も育っていると思われるのです。
そして、その様相(内容)は、古今東西の瞑想や神秘主義の伝統の中で、「意識の階層」として語られている事態とそんなに違うものではないのです。

実際、日常意識と変性意識状態を数多く行き来(往還)することで、学習された「気づきの力」は、非常に奥行きと高度(深度)のある力を持ちはじめるものです。その結果として、私たちの心における自由の実感をより高めていくこととなるのです。

また、関連でいうと、しばしば、強度な変性意識状態の中では、心理的に強烈な治癒(癒し)の効果が現れることがあります。聖書に書かれている「聖霊 Ghostにみたされる」などの宗教的な神秘体験などもそうです。

これなども、階層的なシステムとして考えてみることができます。

潜在的な因子としてあった何らかの上部(高次)階層の働きが、下部(下位)階層の情報プログラムの混乱状態(感情や思考の混乱)に対して、それらの情報を整理・整列・統合させるように働いた結果であると考えることもできるわけです。

私たちの中で、「さらなる上部構造にシフトし」、それらに連なる能力を育てて(学習して)いくことにより、拡大された意識状態を得ることにより、そのような治癒や能力の拡張を期待することもできるわけなのです。

 

◆「Ghost の囁き」

さて、以上、映画『攻殻機動隊』の設定を素材に、心理療法から変性意識状態(ASC)、聖霊の働きから学習階層理論と、Ghost (心)の持つ可能性についてさまざまに検討を加えてみました。

これらは、筆者の変性意識状態(ASC)の体験等に裏付けられたものですが、また各種の伝統によって語られるものではありますが、可能性としての仮説に過ぎません。もし、何か「心」に響く点がありましたなら、ぜひ、ご自分の「 Ghost の囁き」にしたがって、この道の行方を、実際に探索・体験・確認してみていただければと思います。



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↓動画解説「映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識」

↓動画解説『サイケデリック(意識拡張)体験とメタ・プログラミング』

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

↓動画解説 「変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際」


底打ち体験と白い夜明け デイヴ・ビクスビー

さて、俗に、
底打ち体験、底つき体験などと、
言われている体験があります。

人が、長い期間に渡り、
心の落ち込みや、
鬱から逃れられずに、
先の見えない魂の暗夜を、
悶々と過ごした果てに、
ふと、なぜか、
下降の底に、
行き当たってしまうという体験です。

底なしだと思っていた状態に、
底があったわけです。

明けない夜が、
明けたわけです。

心の下降を行ききった果てに、
底を打ち、
魂の奥底から、
何かが浮上していたことに、
気づくわけです…

さて、そのような経験は、
このような言葉が、
一般の言葉にあることから考えても、
人々の人生経験の中で、
類型的に存在していることが、
うかがえるものです。

ところで、
の中では、
心理療法などに見られる、
人の心の変容過程について、
3つのフェーズに分けて解説しました。

また、それらの変容形態が、
神話その他の、文化的な事象にも、
普遍的に見られることについて、
触れました。

このモデルの中では、
底打ち体験、底つき体験は、
魂の暗夜であるフェーズ2を抜けた後の、
フェーズ3のはじまりに、
位置しています。
その転回点が、
底打ち体験なのです。

そこで、私たちは、
旅路の果てに、
自らの心の底の、
ひそかな重層性に、
気づくことになります。
 
心を熔かすような、
暗いプロセスの果てに、
厚みのある力や、
精神の内実が、
自分の心の底に、
育っていたことに気づくのです。

運命が、その労苦の意味を、
明かして来るのです。
これまでの長い間の苦労が、
救われるのです…

さて、
ここに一枚のレコードがあります。
昔は、アシッド・フォークなどに分類されていたものですが、
デイヴ・ビクスビー Dave Bixbyが、
1969年に録音し、1000枚ばかりプレスしたものです。
アシッド・フォークの作品の多くがそうであるように、
その後、一部の人々の間で話題となり、
徐々に知られるところとなったものです。

その歌の数々は、
ビクスビーが、
ドラッグ中毒から、
抜け出ることを通して感じた恩寵が、
赤裸々かつ清冽に、
刻まれたものとなっています。

そして、
実際のところ、
この作品におけるほど、
暗黒の中から抜け出た時の、
黎明の感覚を、
見事に造形した作品も、
他にないといっていいのです。

その白い夜明けを、
「はじめての朝」の感覚を、
奇蹟的に描けた作品となっているのです。

それは才能ばかりでなく、
ビクスビー自身が、
心の切実さ(切迫)から、
その経験の意味を、
結晶させることを強く願ったからでしょう。

ところで、私たちは、
さまざまな心の変容過程をくぐり抜けても、
時と共に、雑事にまみれる中で、
その心の決定的光景を、
しばしば風化させてしまいます。

ビクスビーの歌には、
そのような私たちの心の鈍麻を、
鉱石のように磨き、
白い夜明けを思い出させる、
どこか凛冽で、不思議な力があるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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モビルスーツと拡張された未来的身体

さて、拙著
の中では、
意識拡張の実践である「夢見の技法」を語る際に、
私たちの心理的投影と、身体性が、
どうかかわるのかについて、
紙数を割きました。

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
私たちが、世界を、
投影した身体性を通して、
理解するその仕方について、
分析をしてみました。

そして、そのことが、
夢見の技法として、
どのように利用可能なのかについて、
考察してみました。

さて、ここでは、
そのような文脈で、
拡張された(投影的な)身体性と、
意識拡張との関係について、
考えてみたいと思います。


◆モビルスーツの身体領域

「モビルスーツ」とは、
一時代を画したアニメ作品、
『機動戦士ガンダム』の中に登場する、
戦闘用の機体(ロボット)のことです。

アニメ作品『機動戦士ガンダム』は、
初回作品と、その玩具(プラモデル)が、
一世代の熱狂を引き起こし、
シリーズ化されていったものです。

また、その作品の物語設定についても、
独特の仕掛けが、さまざまあり、
セカイ観を売り物にする、
その後のアニメ作品群の先駆けになったとも、
いえるかもしれません。

しかし、筆者が、
ここで、特にテーマとしたいのは、
「モビルスーツ」というロボット(機体)の、
拡張された身体性としての意味合いなのです。

ところで、
モビルスーツは、
それまであったアニメ作品、
『マジンガーZ』のような、
偶発的なロボットとは、趣を異にし、
未来国家の量産型の軍事兵器として登場します。

元々は、番組から玩具をつくり出す、
マーケティング上の必要性があったわけですが、
物語の設定上でも、
高度に発達した未来社会の戦争においても、
なぜ、ロボット同士の白兵戦が必要であるのかという、
納得性(設定)を形成することで、
高機能化し、進化していくモビルスーツの、
必然性をつくり出すことになったわけでした。

ところで、一方、
実際、後に、玩具としてヒットするわけですが、
モビルスーツの、
あの美的で、不思議なデザインがなければ、
時代の(その後の)熱狂を、
つくり出すこともなかったとも思われるのです。

特に、玩具商品のラインナップの大部分であった、
ジオン軍のモビルスーツの持つ異形性・新奇性、
ガウディの作品のような、曲線を多用した、
あの有機的なデザインが無ければ、
そこまでの支持は得られなかったとも類推されるわけです。

また、玩具自体について言えば、
それまでのプラモデルにあまりなかった、
関節の「可動性」を高めた点も、重要なポイントでしょう。
子どもたちは、自らの身体性を、人形に投影するので、
人形の可動性の高さは、
そのまま、子どもたちの感覚の自由度を、
高めることにもなるからです。

現在でも、フィギュア商品の、
可動域の広さが商品の売りとなるのは、
そのような意味合いだとも考えられるのです。


◆拡張する未来的身体と、意識の拡大

さて、物語の展開にしたがって、
軍事兵器としてのモビルスーツは、
次々と高機能化し、
進化していくわけですが、
興味深いことは、
その進化にともなって、
物語の終盤には、
進化したパイロット(ニュータイプ/超能力者)も、
現れて来るということです。

ストーリー的には、
偶然、特殊進化(超能力化)したパイロットに合わせて、
進化させたモビルスーツが、
作られたようにも見えます。
物語的には、
宇宙空間に出た人類が、
自然に進化していくというイメージです。

しかし、通常、
このような生物の能力進化とは、
環境と生体との相互作用の結果であり、
どちらかが原因であるとは、
一概に特定できないものなのです。

フロー体験に見られるように、
環境と、表出(表現)と、内容(生体)との、
ギリギリの極限的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

つまり、
物語の設定でいえば、
宇宙における戦争・戦闘という極限状態の中での、
拡張された表出身体(モビルスーツ)と、
内容(パイロットの知覚力・意識)との、
高度的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

モビルスーツがなければ、
ニュータイプも生まれなかった。
こう考える方が、
面白いと思います。

宇宙空間を、高速で稼働する、
機械の身体があったからこそ、
知覚能力の進化が、
加速されたというわけです。

フロー体験について分析されるように、
通常、私たちは、
挑戦的な、困難な状況の中での、
的確な(拡張された)身体活動によって、
知覚力や意識が拡張されていくわけです。

そのような事柄が、
この物語作品の中では、
一定の納得性をもって描かれたために、
一見無理やりで荒唐無稽にも見える、
ニュータイプの設定が、
表現としての強度を持ちえたのでした。
事実は、
そんなにニュータイプな事柄ではなかったのです。
むしろ、古典的(神話的)ともいえる事象だったわけです。


◆日常生活におけるモビルスーツ(拡張する先導的身体)

さて、ここで、
焦点化したい事柄は、
モビルスーツのような、
宇宙空間において、高速で稼働する、
疑似身体(拡張された)が、
ニュータイプ的能力を覚醒させ、
拡張させていったという事柄です。

新奇で、一歩先を行く表現活動(形態)が、
私たちの拡張された知覚力や意識形態を
引き出していくという点です。

そして、
この能力の特性は、決して、
SF的な事柄に限定されるものでは、
ないのです。
この日常的現実で、
普通に起こっている事柄なのです。

さて、私たちは、
身体という場で、
世界と出遭っています。

そして、この身体は、
肉体に限定されるだけでなく、
モビルスーツにように、
投影的で、創造的な活動領域全般に、
延長されているものなのです。

そのため、
私たちが、
自分の知覚力や意識を、より拡張し、
能力をより高めていきたいと考える場合には、
活動しているフィールド(場)を、
私たちの能力が、
引き出され(拡張され)やすいように、
焦点化して、
設定してしなければならないのです。

宇宙(人生)を高速で横切るかのように、
自分に課す日々の活動内容や、
人生の目標など、
自分の限界を超えるかのように、
全身全霊で取り組まざるを得ないように、
場や標的を創り、
急襲していく必要があるのです。

それには、
戦闘のような、
つねに、気づきawarenessが求められる、
強度をはらんだ持続性が必要です。

徹底的に追い求めることにより、
能力というのは、
一線を超えた力を、
発揮はじめるのです。

そして、
そのような強度の果てに、
困難や既知の自己を、
超えはじめた時に、
私たちは、
人生の新しい次元(宇宙)を、
見出しはじめることができるのです。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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才能における相補性 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ

さて、ここでは、
異質な才能の間における、
相補性や相乗性ということについて、
考えてみたいと思います。

以前、別のところで、
NLP(神経言語プログラミング)の創始者、
パンドラー氏とグリンダー氏における、
類推される役割分担について触れました。

ところで、NLPは、
優れた人の持つ「天才性(才能)」をモデリングすることや、
その再現可能性について、多くを語ります。
しかしながら、
バンドラー氏とグリンダー氏が決別した後の、
個々の(ソロの)仕事を見ると、
2人が共同で仕事をしていた時代ほどは、
創造的なことを行なっていないというのは、
とても暗示的です。
事態は、そんなに簡単な事柄ではないわけです。

これらの事例について分析することで、
私たちは、創造性の秘密について、
一段深いレベルで把握できる事柄があります。
そして、それは、
私たちの内なる性向への意識化を生み、
自己の創造性(行為)を、
一段階進化させることにもつながるのです。

 
◆NLPの場合

さて、卓越した能力を持つ対象者を、
モデリングすることを標榜するNLPですが、
そのアイディアの出どころは、おそらくは、
バンドラー氏の、優れたモノマネ的な才覚に、
由来するものと推察されます。

真似ることが、学ぶことの始まりだとは、
私たちが子どもの頃によく聞かされた言葉です。

さて、類推ですが、バンドラー氏は、
身体的、無意識的なレベルで、
対象者の内的世界に入り込み、
それを把握し、再現する能力に長けていたのだと思われます。
(初期の場合は、パールズやエリクソンが対象でした)

「サブモダリティ」のアイディアが、
バンドラー氏からもたらされたというのは、
大変示唆的です。
彼自身が、対象者を、内側から把握する際に、
そのような内的な表象世界(像)を感じ取り、調整しながら、
対象者の「見て・聞いて・感じている世界」を、
再構成していったのでしょう。
そして、そのベスト・パフォーマンスを、
盗んで(再現して)いったのでしょう。

一方、グリンダー氏は、そのような微細な情報群を、
対象化し、構造化し、記述する能力に、
長けていたのでしょう。

そして、この2人の才覚の組み合わせにより、
ブラック・ボックスのように見なされていた、
「天才(卓越した能力)」を、
盗み取り、再現可能なものにするという、
初期のNLPのアイディアが生まれたのだと思われます。

いわば、アソシエート(同一化)とディソシエート(脱同一化)を、
組み合わせた技法です。
そして、これは、原理の組み合わせであると同時に、
2人の優れた才能の組み合わせだったわけです。

そして、
この「同一化する力」と「対象化する力」の、
対極的(両極的)な力を結合させ、振幅させ、
ともに優れて発揮させたところに、
初期のNLPの創造性があったわけです。
そして、2人の決別により、
片翼飛行となり、
当初の創造的な沸騰性を、
失ってしまったわけです。

ところで、このような、
創造的要素における役割分担は、
共同創作の現場では、
つねに起こっているものです。
おおむね、無意識的になされているため、
自覚されてはいませんが。


◆ビートルズの場合

たとえば、ビートルズのような、
並外れたアーティストの場合でも、
そのような事態は起こっています。
ここでは、そのことを事例に取り上げて、
このことを少し見ていきたいと思います。

NLP同様に、
ビートルズにおいても、
グループ解散後のソロの仕事と、
グループ時代の作品に、
優劣の差があることは、
明瞭にわかります。
ビートルズという集団性が、
その天才性の要件だったわけです。

そして、ここでも、
メインのソングライター・チーム、
ジョン・レノンと、ポール・マッカートニーの間に、
おおよその役割分担が類推されるのです。

さて、彼らはともに、
美的な創造能力において非凡なものを、
持っていたわけですが、
(また共通する似た点を持つが故に、
先鋭に共振したわけですが)
その性向として、違いがありました。

2人の中では、
ジョン・レノンの方が、
より精神的で、作家的な要素を
強く持っていたといえるでしょう。

一方、ポール・マッカートニーの方が、
芸術家的で、音楽家的な要素を、
強く持っていたといえるでしょう。

そして、ジョン・レノンの持つ、
剥き出しの直接性や、トリックスター性(新奇性、悪戯性)が、
その場に留まることや、同じことを繰り返すことを、
拒否する方向を推進しました。

一方、ポール・マッカートニーの方は、
より美的で、完璧な音楽的造形の才能を持っており、
一種、非人間的(天上的)な均整や、
作品のより完全な結晶度を駆動することになったわけです。

「ビートルズのレコーディングとは、ポールの曲の録音。
余った時間で、他の人の曲を録る」とは、
ジョンのボヤキですが、
観念したイメージ通りのものを完全に仕上げたい、
(そのために何回も録り直す)
ポールの非妥協的な情熱をうかがわせます。

そして、そのような性向の二人、
ジョンの絶えず問いかけ、
突破する先鋭性、超出性と、
ポールの並外れた強度で、
完璧なものを造形する才能が、
激突し、補い合い、相乗効果を生むことで、
ビートルズの斬新で発明的なアウトプット、
時代の音楽を刷新する、
新奇で美的な造形が創り出されていったわけです。

このことは、
二人が分かれた後の
個々のソロの作品を見ることで、
より明瞭に見て取れます。

ジョンのソロ作品は、
作家的には、どれも興味深く、
卓越した表現と内容を持っていますが、
作品の結晶度としては、
内容に較べて、
どこか詰め切っていない感じ、
惜しい感じが残っています。
もっと完璧な結晶度を実現したら、
もう一段輝きを増したろう、
もっと並外れたものになったろうと、
思うものばかりです。

一方、ポールのソロ作品は、
どれも均整の取れた
美的な結晶体としては、
申し分ないのですが
どこか手馴れた職人芸と見える面があり、
物足りなさが残ります。
芸術が必要とする、
一閃のような先鋭性や、過剰性がなく、
人格的な面では、どこか凡庸な面さえ感じさせます。
ポールが、音楽的な天才に比べて、
どこか侮られがちなのは、
そのような性質にも由来するのでしょう。
一方、ジョンの方は、
その早世のせいもありますが、
(実態から少しずれた)
カリスマ(セイント)的なイメージを残したわけです。

そして、つくづく思われるのは、
ビートルズにおいては、
この二人の持ち味が、
絶妙なバランスで、融合し、激突し、
共振することで、
飛躍的で、超出的なアウトプットが
生み出されたのだということです。


さて、ところで、
私の中には、
ここで見たような対極(両極)的な能力が、
多く存在しています。
私たちの中には、
ジョンやポールがおり、
バンドラー氏やグリンダー氏がいるということです。
また、その他、多くの才能の対極的なセットが、
存在しています。

そして、私たちが、
一次元高いアウトプットを出そうと思う場合には、
このような、
自己の、内なる両極性(能力)を意識することが、
重要となるのです。

「天才性」のモデリングという意味でも、
自己の強い部分を促進・増幅し、
一方、自分の弱い部分を育成し、鍛錬することが、
必要なわけです。
これは、日々、意識して、
自分の性向に取り組むことで、
確実に変化を起こせる事柄です。

そのことで、私たちは、
自己の創造性を、
最終的には、
より心の全体性を含んだ、
精神の根源的な発現に変えることができるのです。

そして、
その結果としてのアウトプットも、
当然、より高い次元の内実を、
持つことになるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
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【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
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体験的心理療法
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禅と日本的霊性
野生と自然

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邪魔をしなければ、 音楽は自然に出てくる。



演奏についていえば、
音楽は、
はじめからそこにある。

邪魔をしなければ、
音楽は自然に出てくる。

重要なことは、
邪魔をしないこと。


           あるピアニスト




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意識的な生の効能

さて、今回は、

自己の限界を超えることと、

意識的な生の効能について、

書いてみましょう。

 

以前、

ゲシュタルト療法と、

アウトプットすることについて、

その関係を書きました。

ゲシュタルト療法の、

ワーク(セッション)の特徴である、

実験的な表現や、アウトプットが、

クライアントの方の、

それまでの人生の中での、

表現の境界を超え、

小さな越境となり、

自己の心理的プログラミングを、

書き換えていくことになる、

という事柄についてです。

 

さて、通常、

一般的な人生においては、

そのような限界を超えていく体験は、

自然発生的に生じます。

(そのため、必ずしも、

機会は多くないのです)

 

それらの多くは、

危機的な状況によるものです。

 

そのような場合に、

人は、事件に背中を押されるように、

行動をせざるえなくなり、

図らずも、

自分の表現の限界を超え、

心理的プログラミングも、

書き換えられることになるのです。

 

しかし、

それらは、大概、

望まれない事件的な出来事において、

生じる体験であり、

いたしかたなく、

受動的に発生する事柄です。

 

意欲的に、能動的に、

達成されるという類いの事柄では、

ありません。

 

そのような意味では、

たとえば、心理学の方法論などを使って、

自己の人格や能力、行動力を、

変化の対象にするというのは、

少し風変わりな、

「方法論的な生き方の取り組み」とも、

いえるものです。

 

そして、それは、

自らの人生を、

偶然任せではなく、

いくらか、

自らの探求的な統制のもとに

置いていこうという、

意欲の表れともいえます。

 

しかしながら、

結果的には、

このような人々は、

成長していきます。

 

日々を漫然と過ごすのではなく、

自己の成長に対する、

意識的な気づきとともに、

あるからです。

 

日々、たえず、

自己の存在と限界に気づき、

それを乗り越えようと努力する、

心の働きとともに、

あるからです。

 

そのような気づきと、

指向性自体が、

人生を濃くし、

人を成長させていくのです。

 

そのような人は、

長い時間軸で見た際に、

人生をぼんやりと過ごした人に較べて、

格段の差で、彼方の地点に、

到達してしまうものです。

 

同じ年齢の人間が、

同じだけの経験値を、

持っているわけではないのです。

その濃度は、

意識的な探求の内圧によって、

大きく変わるものです。

 

これは、

私たちの人生そのものの、

大いなる秘訣であるともいえるのです。

 

そのため、

意識的に生きるということは、

苦労多く、面倒臭いことではありますが、

また、実りについても、

大変豊かなものがあると考えてよいです。




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X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について


さて、当サイトでは、
変性意識状態(ASC)について、
さまざまな検討を行なっていますが、
当スペース独自の用語で、
X意識状態  X states of consciousness
というものがあります。

この意識状態は、

特に、新しい意識状態を定義したものでは、
ありません。

それは、日常意識と変性意識状態の間にあり、

その肯定的で、創造的な状態が働いている状態を指して、

使われている言葉です。
 

単なる変性意識状態と呼んでしまうと、

漠然としすぎて、その働きの焦点が定まらない。

一方、 フロー体験ほど、

完璧な調和性や一貫性を持っていない。

しかしながら、その間の帯域の中に、

創造的で、拡張された意識状態というものが、

さまざまに散在しているのです。


喩えると、
日常意識とは、
人工池の上に、小舟を浮かべた状態です。
一方、強度な変性意識状態(ASC)とは、
海に溺れかけている状態です。
そして、
X意識状態とは、
海を泳いだり、
海を航海している状態といえます。

 

X意識状態とは、

変性意識状態(ASC)と日常意識とが、

部分的に連携され、交錯し、

創造的に、活かされている意識状態なのです。

 

ところで、現実的な問題として、

変性意識状態(ASC)を考える際に重要な点は

それらが、日常意識と、

一定の統合的なつながりを持ててはじめて、

生活の中で、

創造的な意味(価値)を持つということです。

 

散発的な変性意識状態は、多くの場合、

興味深い挿話以上には、

なかなかなりません。

不思議なサイケデリック体験は、

世界中で体験されているのに、

創造的なアウトプットは、わずかなわけです。

 

X意識状態(XSC)とは、

そのような意味で、

日常意識と変性意識状態とが、

情報的交流や、凝集された焦点化を、

持っている状態です。

その交流において、

学習の階層があがった状態と、

いえます。

当スペースで別に使う

「夢見」という概念がありますが、

それと近い状態ともいえます。

(夢見の技法は、より焦点化された状態を想定していますが。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照)

 

そして、これは、

両方の意識状態を、
数多く行き来(往還)する体験を持ち、
その往還する感覚を鍛え、
訓練的に習熟することで、
獲得できる状態であるのです。


その訓練の中で、
日常意識と変性意識とが、
情報的交流や交錯を持ち、
二者の間に、統制された往還が、
なされている状態が、
できてくるのです。

さて、ところで、

プロセスワーク(プロセス指向心理学)では、

極限意識状態extreme states of consciousness
と呼ばれている意識状態があります。
それは、精神病的な圏域、いわゆる狂気の状態のことです。
通常は、一元的に否定的に価値づけられる、その状態を、

extremeと呼ぶことで、
脱価値化して、中立化しようとしたのだとも類推されます。

このような中立化は、実践的に、

その意識状態をとらえるのに役立ちます。


さて、X意識状態は、
extreme states of consciousnessのように、
場合によっては、コントロールしずらい、

極端な力の流出でありつつも、
主体に、創造的な価値をもたらす状態です。
しかし、部分的には、極限意識状態の一部とも重なる、
危険をはらんでいる意識状態ともいえます。

(変性意識状態自体は、良いものでも悪いものでもありません。

創造的な事柄の中でも、犯罪の中でも働いているものです)

 

極限意識状態(extreme states)においては、
喩えると、主体が、狂気の荒波や大波に、
大部分、溺れてしまっているとするなら、
X意識状態(X states)は、
危うくであれ、均衡を維持しつつ、

その大きな波を泳いでいたり、
波に乗っている状態といえます。
操作的・統御的に、

肯定的なエクスタシィ(意識拡張)や、
創造性発現の要素を、
保持している状態です。

→参考事例「「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル」

 

エクストリーム・スポーツのスキルのように、
危険と隣りあわせで、

変性意識から極限意識の間を、
きわどく波乗りしている状態ともいえます。

そのため、エクストリーム・スポーツを、
Xスポーツと呼ぶように、

この状態を、当スペースでは、
Xステーツ(X states)と呼んで、
生活の中で現れる、この種の体験領域を、
創造的に焦点化していくことや、

そのスキルを磨くことを、

行なっているのです。



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関連記事

フロー体験について

モビルスーツと拡張された未来的身体

「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

ロートレアモンと変性意識状態

クライストと天使的な速度

サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

 

※変性意識状態(ASC)の活用に特化したサイト、

 →「Xステーツ・テクノロジー」ご覧下さい。

 


Xステーツとエクスタシィの技法




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変性意識状態(ASC)とは

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啐啄同時と、創造の機


さて、ここでは、

「啐啄同時(啐啄同機)」について、

書いてみたいと思います。

 

啐啄同時は、禅語であり、

有名な『碧巌録』の中にある話です。

 

啐啄とは、

つつくことを意味しており、

啐啄同時とは、

雛鳥が卵から孵る場面の描写と、

なっています。

 

啐とは、

雛鳥が、内側から卵の殻をつつく合図、

啄とは、

親鳥が、(雛鳥が、卵の外に出てくるのを助けるために)

外から卵の殻をつついて割ることをです。

そして、

この啐啄は、

同時でなければならないということを、

意味しています。

 

啐がないのに、

親が、卵の殻を割ったら、

育っていない、中の雛は死んでしまいます。

また逆に、

啐があったのに、

親が、卵の殻を割らなかったとしたら、

外に出られない、中の雛は死んでしまいます。

 

そのため、

啐啄は、同時でなければならないというのです。

啄は、

早すぎても、遅すぎても、

いけないのです。

 

『碧巌録』の中では、鏡清禅師の弟子が、

禅師に、悟りを手助けしてほしいと訴える、

そんなエピソードとして語られます。

 

そしてまた、この喩え話は、

教育における、タイミングの妙としても、

よく引かれます。

 

心理療法の世界においては、

クライアントの機が熟した時に、

「ちょうどその時に」

ファシリテーターが介入しないと、

効果的な介入にはならないことの、

喩えに使われます。

遅くても、早くても、それはダメなのです。

クライアントを活かせないのです。

 

さて、以上見たような事柄は、

実は、自分(個人)の中における、

創造性を考える場合においても、

示唆を投げかけてくれるのです。

 

以前、「大地性と待つこと」として、

私たちの、自分自身の、

成長してくれない心に対して、

待つことの重要性について触れました。

 

私たちの心が「啐」として、

内側からノックして来るまで、

忍耐して、待たなければならないこともあるのです。

気が急いて、卵の殻を割ってしまったために、

中の、まだ十分の育っていない心の力が、

死んでしまうこともあるのです。

外に出るのに、

十分な保育・養成期間というものが、

あるのです。

 

また一方、逆のケースもあります。

 

「啐」として、

内側から、心の創造力がノックしているのに、

外に出してあげなくて、

中の心が、死んでしまう、

ということもあるのです。

 

以前、「アウトプットの必要性」についても書きましたが、

現代の社会は、インプットすることが通例で、

個人的体験の価値や、個の創造性の発現が、

ないがしろにされている社会です。

そのことのせいで、

個人が、無力化し、衰弱している社会です。

現代においては、この側面での問題が、

多いのでは、ないでしょうか。

 

しかし、啐が起こり、

内部の機が熟しているのに、

創造的なアウトプットをしていかないと、

殻の中の心は、死んでしまうものです。

 

このような場合、

自分で、自分に、場や機会を与えて、

高まる内部の心や創造性を、

殻の外に、解き放っていくことが、

必要です。

 

これは、現代における、

個人の無力化や閉塞感の中で、

当スペースが、

特に重視している側面でもあります。

 

啐啄同時の喩えは、

そのような心の創造性の機微を、

教えてくれてもいるのです。

 


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弟子に準備ができた時、 師が現れる

「弟子に準備ができた時、

師が現れる」

という言葉があります。

 

この不思議な共時性は、

実際に、働いている実感があります。

 

ただ、対人関係を、

心理学的な投影関係の中で考えると、

このことは、

案外、普通の事柄とも言えます。

 

人は、

自己の心理的な成長とともに、

自分の中に芽生えて来た、

創造的な因子を

(鏡に映すように)

外部の他者に投影するようになり、

他人の優れた美質を、

見出しやすくなるとも、

言えるからです。

つまり、

内実の成長とともに、

他者の中に、

「師」(未来の可能性の自分)、

を見出しやすくなる、

というわけです。

 
 

………………………

 

さて、私たちの中には、

「複数の自我」がありますので、

それぞれの自我に、

対照するような形で、

外部の他者に、

萌芽しつつある、

その自我要素を見出していきます。

 

私たち自身が、

自己の中に、未だ端的に感じ取れない

心(自我)の要素を、

他者の上に、見出していくのです。

 

そして、

それらの他者との交流を通して、

その要素(自我)が、

だんだんとくっきりと育っていき、

自己の重要な属性に、

なっていくのです。

 

そして、

成長の果てに、

かつては、自分が目標とした人の、

或る美質が、

自分の中にも育って来たことを見出して、

深い感慨を得ることになります。

 

ヘルマン・ヘッセの小説、

『デミアン』は、

タイトルどおり、

魔霊(demon)のような、

不思議な友人()をめぐる、

ある青春の物語です。

 

批評家のブランショも指摘するように、

この物語自体が、

話り手の白昼夢であるような、

不思議な肌触りを持った小説です。

 

描かれる出来事も、

通常の日常的現実を超えるような、

どこか夢幻的な光輝を帯びています。

 

さて、その物語は、

戦地で砲弾を浴びた、

(死に近くいる)

主人公が、自分の心の中に、

かつての卓越した友人()のような、

自己の存在の姿を、

見出すところで終わっています。

これは、

上記で見たような事柄を考えると、

納得的な結末だといえるでしょう。

 

そして、

そのようなことは、

実際にあることなのです。

夢見の技法 コルトレーンとヘンドリックス

まったく別のところで、

似たようなエピソードに行き当たると、

その背後にある、

普遍的な共通原理について、

思いを馳せることとなります

 

伝記的なドキュメンタリー映画を見ていて、

直接的には、関係のない2人に共通している。

あるエピソードに気づいて、

興味深く感じた記憶があります。

 

「彼が、会場に着く(いる)とすぐわかるんだ。

(演奏)が聞こえたからね」

と、友人たちが語る挿話です。

 

その2人とは、

ジミ・ヘンドリックスと、

ジョン・コルトレーンです。

 

彼らは、片時も、

ライブ会場の控え室でも、

演奏をやめなかったのです。

 

コルトレーンについては、

ライブの前に、すでにライブ1本分くらい、

吹いてしまうという、

エピソードもありました。

 

同時代(60年代)を生きた、

彼らは、ともに、黒人であり、

霊感に満ちた即興演奏を旨とし、

その卓越した創造力で、

それぞれのジャンル(ロック、ジャズ)の、

変革者となった人物です。

 

彼らは、なぜ、片時も、

演奏をやめなかったのか。

 

拙著の中では、

「夢見の技法」と題して、

私たちの人生を貫く、

夢の力とその扱い方について、

取り上げています。

 

2人はなぜ、

演奏をやめなかったのか。

 

筆者は、それを、

演奏を通す中で、

彼らを貫いていく、

電流のような夢の力のせいだと、

考えています。

 

演奏を通す中で、

メッセージのように、

現れてくる、

〈何か〉をつかみ、

具現化し、完了するために、

演奏(創造)するしかなかったのです。

 

彼らが、ともに燃え尽きた者の、

印象を与えるのは、

彼らを、内側から焼いた、

高圧電流のような、

強烈な夢の力(熱)を、

私たちも感じるからです。

 

芸術において、

ある内的な意味の単位とは、

自律的な生命をもって現れ、

完了されていきます。

 

演奏なりも、

音楽の自律的生命の、

この十全な発現をもって、

意味のまとまりとして

完了されます

 

その内的なプロセスは、

ホロトロピック・ブリージングの際に見た、

「オルガスム曲線」と同様です。

 

また、ゲシュタルト療法でいえば、

現れてきた未完了な感情を、
表現し、完了するプロセスと

同様の事柄です。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

普段から、そのような、

たえず現れてくる

強度の夢の力に、

貫かれていたのでしょう。

 

それを、

完了させていくためには、

演奏し、表現し、

模索し、創造するしかなかったのでしょう。

アウトサイダー・アートについて触れたところで、

それらのある種、

非人間的な無尽蔵の力について、

書きました。

 

それは、容赦ない、 

根源的なエネルギーです。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

そのような根源的なエネルギーに、

より近く、生きていたのでしょう。

 

また、ある意味、

彼らのたえざる演奏・創造的実践が、

彼らを、その近くに生きることを、

可能にしたともいえるのでしょう。
 

彼らのエピソードは、

深い創造性と夢見の技法について

考える際に、さまざまなヒントを、

与えてくれるのです。

 


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より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
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をご覧下さい。

 

 


 


【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

 →ゲシュタルト療法【実践・技法編】

 →ゲシュタルト療法【応用編】

 →「セッション(ワーク)の実際」

 →体験的心理療法

 →NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

 →変性意識状態(ASC)とは

 →「英雄の旅」とは

 →禅と日本的霊性

 →野生と自然

 

 【第四部 当スペース関係】

 →フリー・ゲシュタルトについて

 →セッションで得られる効果

 →メニュー/料金

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 →お問い合わせ

マイルス・デイヴィスの存在力・共振力

さて、

拙著『砂絵Ⅰ:現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の中では、

その人の持つ「存在」の力が、

独特の力を発揮する事柄について、

少し触れました。

 

ここでは、

そのような存在力と創造性とに

関わる事例として、

マイルス・デイヴィスを、

取り上げてみたいと思います。

 

マイルスは、著名なジャズ・ミュージシャン、

トランペット奏者ですが、

マイルスを聴く人が、不思議に思うことがあります。

 

マイルスとともに活動にした、

数多い共演者たちは、

なぜ、彼らの生涯最高の演奏を、

しばしば、マイルスとの共演で持つのだろうか?

彼らは、マイルスから、

どのような影響を受けるのだろうか?と。

 

ここに、創造性に関わる、

存在の深い力についての秘密が、

あるように思われます。

 

このことに、光を当てる、

興味深いドキュメントがあります。 

1970年のワイト島の、

ミュージック・フェスティバルの映像、

『エレクトリック・マイルス』に付けられた、

生涯の共演者たちによる、

マイルスについての無数の証言です。

 

そこには、創造性にまつわる、

さまざまなヒントが、

当事者たちから、

生々しく語り出されています。

 

「あれほどパワフルな人と同じ空間にいると、

自分のパワーも自然に出てくる」

  デイヴ・ホランド

 

「歴史を振り返っても大勢が言うと思う。

マイルスとの演奏は、

誰も、他で再現できなかった。

その時しかできなかったんだ。

変わったわけじゃない。

マイルスと一緒に演奏した時は、

彼に力を引き出されたんだ」

  デイヴ・リーブマン

 

「マイルスは素晴らしい。

ずっと自分を与え続けたんだ」

  ジャック・ディジョネット

 

「マイルスは僕らに何かをくれたんだ。

言葉では表せないものを。

マイルスと組んだ人と会って、

マイルスの話題が出ると、

思わず皆、頷くんだ。

共通する体験があるから分かるんだ。

マイルスとの仕事で得たものは、

上手く言葉にできないけれど

なんというか、

一度経験すると、忘れられない」

  ハービー・ハンコック

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 

 

  

 

 

 


アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

adolf-wolfli

Adolf Wolfli (1864-1930)




 

アウトサイダー・アートには、

さまざまな魅力があります。

 

その魅力を語る、決定的なロジックがないにも関わらず、

多くの人が、そこに強い魅力を感じているようでもあるので、

アウトサイダー・アートには、

私たちの精神に、独自に働きかける、

要素があるのだと思われます。

 

筆者にとって、

アウトサイダー・アートの魅力とは、

まず第一に、植物や昆虫のような、

原初の自然を予感させる、

その無尽蔵さにあります。

 

とりわけ、その夢魔のような、

尽きることない「反復性」です。

同じ作品内における形態の反復もそうですし、

同じ(ような)作品を、

何千枚何万枚も作り続ける

無尽蔵の反復エネルギーです。

一種、非人間的なエネルギー、

抑制のない徹底的なエネルギーを、

感じる点です。
 

実は、それこそ、

私たちを駆り立て、突き抜ける、

「夢見の力」の特性と考えられるからです。

 

そのため、アウトサイダー・アートの

反復性・回帰性に触れていると、

私たちは、一種、変性意識状態別種の意識を、

まざまざと感じさせられる気になります。

夢魔のような変性意識(ASC)に、

巻き込まれていくのです。

 

かつて、ハイデガーは、

ニーチェの永劫回帰の思想を、

「等しきものの永遠なる回帰」と、

呼びました。

 

ニーチェの永劫回帰の思想とは、

この今ここの出来事が、この瞬間が、

まったく変わらぬ姿で、

永遠に回帰するという、

夢魔のような、容赦ない存在肯定の思想です。

 

(そのため、ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「救済」とは、過去の「そうあった」を、

「私がそう欲した」に変えることだと語らせたのです。

私たちが、永劫回帰を生き抜くには、

変わらない、今ここを追い抜くくらいの、

肯定の強度が必要となるわけです)

 

アウトサイダー・アートの或る部分には、

「等しきものの永遠なる回帰」と似た、

生の厳粛な肯定性、無尽蔵さがあるのです。

 

さて、魅力の第二の点として、

「徹底的な直接性」という要素があります。

これは、植物的・昆虫的な無尽蔵さ、

その絶対的な肯定性とも重なりますが、

文化に飼いならされていない、

剥き出しの直接性と無尽蔵さを、

感じさせられる点です。

(なま)の沸騰の感覚です。

 

創造性の根底にある、

容赦ない〈自然〉の直接性を、

感じさせられる点です。

 

そして、上記の二つを通して、

私たちは、不思議な〈郷愁〉に導かれます。

それは、幼児の、

物心つくかつかない頃に感じていた世界のようです。

現在でも、私たちは、

このような、生の基底部の感覚を、

生の原型の姿として、

どこかに持っているような気がするのです。

 

アウトサイダー・アートの世界は、

そのようなことを、

私たちに感じさせてくれるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

さて、現代の生活において、
個人の体験の中で、
「物事をインプットすること」と、
「物事をアウトプットすること」を、
較べた場合、
「インプットすること」の方が
圧倒に多いのではないでしょうか。

一般に、私たちの中では、
何かを享受して、時間を消費することの方が、
大勢を占めているのではないかと思われます。
現代は、何もせずとも、
膨大な物事や情報を与えられてしまう環境に、
なっているからです。

しかし、
このことは、私たちから、
生きる力・創造力を、
奪うことでもあります。

個(個人)が生きる能力を拡充させる、
という点で考えた場合、
アウトプットする(外に出す)ことを鍛えることこそが、
私たちの生存力、
生きるサバイバル能力を、
高めていくといえるのです。

インプット、つまり、
他からの享受ばかりをしていると、
私たちは、
自己の内にあるものを生成させていく能力や、
自らを乗り越える力を、
退化させていくこととなります。

というのも、
アウトプットする(外に出す)ことは、
自己の内部にある、
リソース(資源)やスキルを練りあげ、
他者に、価値として展開していく、
という意味合いで、つねに、
「自己の価値」や、
「自己の限界」に、
直面する作業となるからです。

そこにおいては、
自己の人生経験の中身、
スキルや能力が問われ、
独立性や自立性の程度が、
問われるわけです。
「お前は、何者であるのか?」
と問われるわけです。

そのため、
アウトプット(外に出す)の作業に取り組むことは、
自己の限界を知り、
自己を超えていこうとする、
局面に、つねに、
人を直面させることとなるのです。

ところで、
人間が、元来、自然の中で、
サバイバルして生きている時代には、
そのような局面に、
いつも直面していたわけです。

自然界は、巨大かつ過剰な存在であり、
いつも、予測不能な力で、
人間に襲いかかって来るからです。
そこにおいては、
人は、
自己超出的、自己刷新的でないと、
生き残れないということです。

現代でも、
山奥などに入っていき、
文明的な補助を失うと、
人は、自身の脆弱さを、
痛感することとなります。

そのような意味合いで、
アウトプットに軸足をおいて、
日々の生活を、
自己の限界に接して生きることは、
自己超出や創造性開発の錬磨としても、
とても重要な姿勢であるのです。

さらには、
アウトプットには、
元となる栄養素としての、
インプット(経験や技能)も必要なのですが、
上記のようなサバイバル的錬磨は、
私たちに、
必要なインプットを見つける、的確な感度(判断力)や、
世の中で流布されているマヤカシの情報を、
回避する能力を、
与えていくことにもなるのです。

そのことで、私たちは、
より本来的な野生の力を持って、
生きていくことができるのです。

 

おもろないやん

別に、拙著の中では、
道化の持つ創造性について
触れました。

私たちの心の中にある、
トリックスターのような、
ユーモラスで、壊乱的な、

創造力の要素(作用)についてです。

 

私たちの心の中には、
退屈な物事や生活を
くつがえし、かきみだし、
笑いを浴びせかけ、
物事を、リフレッシュに刷新する、
心な元型的な作用、

創造的な要素があります。

これは、停滞しがちな、
私たちの人生を、
豊かにする重要な霊感、
視点でもあります。

ところで、

関西では、

よく「おもろいこと」を
重視します。

 

時々の人生の選択肢で、
どちらにしようか迷った時に、
多少、リスクがあっても、
心が生き生きとする、
「おもろいこと」の方を、
選択していこうとする
心性でもあります。

それは、危険を取っても、
人生を、面白がり、
冒険していこうという、
心の奥の、内発的創造性の働きです。

逆の言い方をすると、
安全で、手堅い、
昨日と同じ、

変わり映えのしない、
見慣れた人生の風景の中で、
退屈に生きていくことを、
「おもろないやん」
と、拒否する心性です。
心の反撥力でもあります。

私たちにとって
生を沈静化し、
退屈にする最大の敵とは、
慣性・惰性です。
毎日の生活習慣です。

G・I・グルジェフは、
そんな人間の変わらない、
習慣的なシステムについて、
警鐘を鳴らし続けました。

 

「もし、君たちが、明日を違ったものにしたければ、

まず今日を違ったものにしなければならない。

もし、今日が単に昨日の結果であるなら、

明日もまったく同様に、今日の結果となるだろう」 

―G・I・グルジェフ  (ウスペンスキー『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳、平川出版社)

 

昨日と同じことをやっていても、
人生は、まったく変わらないのです。

 

今日、「何か」違う、新しいことを、

行なわなければ、
「昨日のような明日」が、
続くだけなのです。

一生、
「昨日のような今日」を、

「今日のような明日」を、

生きるだけとなってしまいます。

惰性で繰り返される毎日を、
職場の仕事を、生活の細部の行ないを、

「おもろないやん」

と拒否することが必要なわけです。

 

少しだけ違った、
新しい「おもろいこと」を、
試してみること。
創造的への道を、
微細ながらも切り開いてみること。

そのことが、
私たちの人生を
少しずつ、確実に、

変えていくことになるのです。


 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 




 

マジック…

テイクを繰り返し、

「何が足たりない?」と聞くと―

(キューブリック)は、

「マジックだ」と。

トム・クルーズ





※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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ゲシュタルト療法 セッション(ワーク)の実際

【内容の目次】

セッションの構造的普遍性
セッションの流れ【要約版】
ワークとは

 ①信頼できる安全な空間(場)づくり
 ②あつかうテーマを決める
 ③リラックスして、3つの領域に気づきをひろげる。
 ④深い欲求(感情)に気づき、焦点化する。
 ⑤気づきを深め、欲求(感情)を展開する。体感を通して解決する
 ⑥現実に、より着地(統合)する
 ⑦ワークの終了


▼セッションの構造的普遍性

当スペースで行なっているセッションは、進化型(深化型)のゲシュタルト療法となります。
ゲシュタルト療法のもつ感覚的、流動的、即興的、創造的なアプローチ(ワーク)をベースに、よりクライアントの方が潜在意識の発現を体験され、自身の変容を経験していただけるように深化させた形となっています。

ところで、ゲシュタルト療法のセッションというものは、瞬間瞬間の感覚や感情、心やからだのエネルギー、気になることや快苦に丁寧に気づいていくというプロセスとともにじっくりと進んでいきます。
そのため、その展開はとてもナチュラル(自然)な、人間の生理的なプロセス、潜在意識の自律的な発現をたどっていくものとなります。
(適切で核心的なアプローチがあれば、その中でクライアントの方は変性意識状態(ASC)の中に入っていきます)

そのため、セッションの深いプロセス(体験過程)というものは、興味深いことに私たちが子供の頃からなじんでいる昔話やおとぎ話や神話のパターンと大変似かよったプロセス(構造)をたどっていくことになるのです。昔話や神話とは、人類が長い歴史的な歳月をかけて、自らの心の姿を映し出したものであり、私たちの根源的な心の構造が映し出されているものだからです。
そのパターンとは、
「主人公が、別世界(異界、変性意識状態)に冒険に行って、宝物(秘密のパワー、癒し、人生の変容)を獲得して、元の世界に戻って来る」
という形です。このような冒険物語に似たパターンをもっているのです。
この普遍的なパターンが私たちの心にとって重要であるがために、NLP(神経言語プログラミング)などでも、ジョゼフ・キャンベルの「神話モデル」が重視される理由となっているのです。
英雄の旅 (ヒーローズ・ジャーニー) とは何か

当スペースのゲシュタルト療法のセッションも、そのような神話物語の形式と似たパターンを持っています。
この神話物語との類似性は、セッションというものが人間心理の普遍的な構造に根ざした「創造と刷新(再生)のプロセス」であることを意味しているのです。
ところで、ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズが「自分はゲシュタルト療法の創始者ではなく、再発見者にすぎない」と言ったのはそのような意味合いです。とても本質的な原理によってできているのです。そのため、ゲシュタルト療法は、心理療法というだけでなく、潜在意識のさまざまな領域(可能性と創造性)を探索する上でも、とても有効な方法論となっているのです。

たとえば、ユング心理学の流れをくむプロセスワーク(プロセス指向心理学)の創始者アーノルド・ミンデルは指摘します。

「現代のゲシュタルト療法の創始者であるフリッツ・パールズは、先住文化のシャーマンがいれば間違いなく仲間として歓迎されたであろう。パールズは、自己への気づきを促すために、夢人物(ドリーム・フィギュア)や身体経験との同一化ならびに脱同一化法を用いた。そして、モレノの「サイコドラマ」から、夢見手が自分や他者を登場人物にすることによって夢の内容を実演化する方法を借用している」(ミンデル『ドリームボディ』藤見幸雄監訳、誠信書房)


それゆえに、誰においてもゲシュタルト療法の感覚を習得されていくことは、潜在的な創造力を解放する決定的なメリットにつながっていくわけなのです。
当スペースが、ゲシュタルト的アプローチを心理統合(治癒)だけに限定するのではなく、創造的なアウトプットの開発や意識の拡張といった多様な側面にフォーカスしている理由でもあるのです。

以下では、そのような(当スペースの)ゲシュタルト療法のセッションが、どのような内容を持つものかを解説いたしたいと思います。

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
おとぎ話や神話が持つ、深い意味合いは、コチラ↓
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
変性意識や気づきについての入門は、コチラ↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」




▼ワークとは

ゲシュタルト療法では、セッションの中で、ファシリテーターと自らの心理的テーマに取り組み、それを解決していく作業のことを「ワーク」と呼びます。
ゲシュタルト療法同様、米国西海岸系の体験的心理療法では、クライアントとして或るテーマに取り組むことをだいたい「ワーク work (作業)する」と言います。そのため、厳密にいうと、契約されたセッション時間の中に「ワーク」という取り組みの単位があるという構造になっています。

さて、ワークは、クライアントの方とファシリテーターとの相互のやりとりで、進行する取り組みのものとなっています。1つのワークは、大体30分~90分かけて行なわれます。

ここでは以下で、実際にゲシュタルト療法のワークでは、どのような事柄が行なわれるのかについて描いてみたいと思います。クライアントの方がどのような内的体験をされ、どのように解放や心理的統合を得るのかについてプロセスにそって描いてみたいと思います。

古典的なゲシュタルト療法はグループセラピーですので、ワークを希望するクライアントの方が挙手をして参加者皆の前で、ファシリテーターとワークを行ないます。個人セッションの場合は、クライアントの方とファシリテーターと二人で以下のようなことを行なっていきます。

◆気づき awarenessの力の重要性

ところで、ゲシュタルト療法のセッションにおいては、クライアントの方にご自分の欲求や感情に刻々と「気づいてawareness」いただき、表現してもらうということを行なっていただきます。これがセッションの核となります。

この「気づきの力」については、最近では「マインドフルネス」という言葉とともに、その本当の能力(機能)が知られるようになってきました。
「気づき」とは、単なる認知や認識とは違います。
「気づき」「マインドフルネス」の機能は、私たちの通常の日常意識や注意力に対して、メタ(上位)的な位置と働きを持っているものなのです。そして、正しく使うと私たちの心理的統合と成長を大いに促進するものなのです。
逆の言い方をすると、普段の私たちはあまり「気づきを持たない状態」で生活しているといえるのです。
ゲシュタルト療法のセッションやマインドフルネス瞑想をきちん行なうと、このことに気づかれると思います。

フリッツ・パールズは語ります。

「『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。『気づく』ということは、知的で意識的なことではない。言葉や記憶による『~であった』という状態から、まさに今しつつある経験へのシフトである。『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる。」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

そして、

「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、行動への可能性をひらくものである。決まりきったことや習慣は習された機能であり、それを変えるには常に新しい気づきが与えられることが必要である。何かを変えるには別の方法や考え、ふるまいの可能性がなければ変えようということすら考えられない。『気づき』がなければ新しい選択の可能性すら思い付かない。『気づき』と『コンタクト』と『現在』は、一つのことの違った側面であり、自己を現実視するプロセスの違った側面である。」パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

ワークを通して、クライアントの方は、マインドフルネスの静かな自己集中を行ない、このような〈気づき〉の状態をまざまざと体験していくこととなります。そして、自分が人生で刻々と新しい行動をとれる存在であることを、新しい心の解放とともにまざまざと体感していかれることになるのです。


①信頼できる安全な空間(場)づくり


さて、まずワークでは、それが行なわれる空間が大切となります。この場の空間づくりは、第一にはファシリテーターの仕事(役割)です。そのため、通常ファシリテーターからクライアントの方へその空間でのルールや取り決め事項などをさまざまな事柄を説明させていただきます
一方、クライアントの方には、そのセッション空間やファシリテーターの存在(質)信頼に足るものであるか否かを、ぜひご自分の感覚で確かめていただければと思います。さて、これらのことがなぜ重要なのでしょう?

ワークが効果的に行なわれるためには、クライアントの方にとって、その空間(ワークショップ、セッション・ルーム)が「安心できる、守られた空間」であることが必須となるからです。
それでなければ、クライアントの方は安心し、リラックスして自分自身の心の底に降りていき、深い感覚や深い感情に気づいたり、触れたりすることなどできないからです。ましてや話したり表現することなどはできないからです。

また、安心できる信頼できる空間であると、クライアントの方が感じたならば、プロセスの中で、クライアントの方はごく自然な形で意識の変容状態である変性意識状態(ASC)に入っていきことにもなるからです
そして、その状態は、自然治癒のような形でクライアントの方の潜在意識を活性化させ、癒し(統合)を行なうセラピーの大きな下支えとなっていくのです。そのためにも、信頼できる空間であるか否かというのは、とても重要な要素となっているのです。クライアントの方はこの部分については、ぜひご自分の直観や嗅覚を信じていただければと思います。


②あつかうテーマを決める


通常は、ワークのはじめに、クライアントの方が、そのセッションであつかってみたいテーマを提出します。テーマは、それがクライアントの方自身の感覚・感情を訴えるものであれば、大体のところあつかえます(簡単にあつかうべきではないテーマは別として)。

テーマはおおよそ、クライアントの方がその時気になっている生活上の課題や願望、快苦をテーマに取り上げることが多いものです。
そのように、今現在、気持ち的・生理的に前景に現れてきているテーマを切り口とすると、潜在意識からより深いアウトプット(解決策、方向性、治癒、創造性)が得られやすくなるからです。それが「ゲシュタルト」というものの性質でもあるからです。

・今、課題や障害と感じていること(感情や行動)。
・今、自分が強く望んでいる事柄
・今持っている心の迷い・葛藤・苦痛

・人生の中で達成したいテーマ
・最近(また昔から)、気になっていること
・人生の課題で答えが欲しいこと
・気になる身体症状や夢

などなどです。

いくつかテーマを用意しておいて、ワークの直前に「心の中で高まってきた事柄」があつかうのにもっとも適したテーマです。それは心自身が発しているシグナルだからです。

ところで、セッションに来た時点でも、クライアントの方自身が自分のテーマが何なのか明確になっていないケースもとても多いものです。
「とりあえず、何かやってみたくて来ました」というケースです。しかし、それで全然かまいません。

実際、ワークのとっかかりとしては、クライアントの方が、今現在、気になっていること(気持ち、出来事)を色々と話していかれる中で、ファシリテーターがその話を受けて、質問をしたり、焦点化することで、ワークのテーマを一緒になって見つけていく(提案させていただく)というパターンも多いのです。

ところで、ゲシュタルト療法のワークにおいては、以下に見るように、「今ここ」の感覚(感情)に焦点化して、そこで現れてくる欲求(感情)に丁寧に気づき、それをたどっていくことで必ず重要な(核心的な)テーマにたどり着けるという考え方(理論)があります。そのため、はじめに設定するテーマについては、あまり詰めて考えなくともいいといえるのです。


③リラックスして、3つの領域に気づきをひろげる。


さて、ここからが、セッションの本編に当たる部分です。おおよそのテーマや方向性が決められた後、クライアントの方のテーマが持つ内実を探索していく段階となります。

ところで、ワークの最中に、クライアントの方に行なっていただくこといえば、基本的には、心を静かにマインドフルネスの状態になり、ご自分の奥から湧いくる感覚や欲求(感情)の動きに、気づきを向け続けていき、それを表現してもらうということだけです。

ファシリテーターはそのシェアを受けて、その体験をさらに深めていただくための、またより深い展開を行なっていただくためのさまざまな提案を行なっていくのです。

そして、クライアントの方には、それら提案に興味が湧いた場合にのみ、また自分の心の表現としてそれが「ピッタリ来た」「興味が湧いた」「響いた」と感じられた場合に、それらを「実際に行なって」いただくのです。
また、ご自身で「よりぴったりとした表現」「別にもっとやりたいこと」が浮かんできた場合は、それを行なっていただきます。

つまり、さまざまな体験や表現を、
・より感じてみたり、
・より気づきの焦点を当ててみたり、
・より大きく表現してみたり、
していくわけです。

また、気づいて awareness いくことに関していえば、心をマインドフルネスの状態にして、「3つの領域(主に、内部領域、中間領域)」湧いてくる欲求(感情)を拾いあげ(ピックアップし)ていくことが行なっていただくことです。
3つの領域とは、別に記したように。ゲシュタルト療法が考える、注意力が向けられる3つの領域のことです。

①肉体の中の感覚世界や感情世界である内部領域
②まわりに見える外部世界を感じている外部領域
③思考や空想の行き交う中間領域 です。
→「気づきの3つの領域」

とりわけ重要なのは、①の内部領域です。そこに生きた実質や葛藤が存在しているからです。
クライアントの方には、
たえずご自分の内部・外部・中間領域で起こるさまざまな感覚や感情のシグナルに気づきを向けていただくわけです。

そのため、ワークの際中、ファシリテーターはしばしば問いかけます。

「今、何に気づいていますか?」
「今、何を感じていますか?」
「今、何を体験していますか?」

クライアントの方には、ワークの進行に合わせてさまざまな表現を行なっていきますが、常に戻ってくるのはこの地点です。この気づきの地点が、ワークのアルファ(始点)でありオメガ(終点)であるのです。

「その感じ(感情)をよく感じてください」
「その感覚(感情)をよく気づいてみてください」

このようにファシリテーターは言います。その感覚・感情・欲求により焦点化していただくためです。
その感覚の中
にこそ「答え」があるからです。その感覚とそこに在るものが「答え」を知っているからです。
今ここで自分に起きている感覚や感情にただまっすぐに気づいていくだけで、治癒(解放と統合)のプロセスは自然に活性化し、私たちの調整機能はグッと深まっていくものなのです。

自分の内的欲求(感情、快苦)に今ここで刻々気づいていること、そこにすべての出発点と答えがすでにあるのです。ゲシュタルト療法が「今ここのセラピー」といわれる所以です。

中間領域の思考や空想や連想に流されしてまうのではなく、それらに流されずに、内部領域のプロセスや外部領域の現実にただ気づいていくという支点が、変容と統合をつくっていく要であるのです。
これが、気づき awareness の力の重要性なのです。

………………………………………………………………………………

さて、ワークの具体的場面(風景)をもう少し細かく説明しますと…

ファシリテーターは要所要所で、上記のように、クライアントの方の中で起こっている欲求(感情)について問いかけと確認を行なっていきます。クライアントの方にご自分の感覚を澄ましていただき、3つの領域のさまざまな感覚チャネルの欲求(感情)に気づいていただきます。気になっていることをシェアいただきます。例えば以下のようにです。

▼肉体の感覚・欲求に気づく
→お腹のところに凝りを感じます。
→肩のところが重くなったように感じます。
→胸の中がムカムカ気持ち悪いです。

▼視覚/イメージ/ヴィジョンに気づく
→昔の学校で大勢でいる風景が見えます。
→何か黒い煙のようなイメージがそこにあります。

▼聴覚/声/言葉に気づく
→こんな言葉が思い浮かびました。
→知り合いが昔こんなことを言ってました。
→耳を刺すような音が聞こえます。

▼記憶に気づく
→こんな出来事が浮かんできました。
→こんな夢を思い出しました。

クライアントの方のシェア(報告)を受けて、ファシリテーターはさらなる感覚や感情への焦点化やその奥にものを探るためのさまざまな提案を行なっていきます。
このようなやり取りを行なう中で、クライアントの方はご自身の中の「より気になる感覚(感情)」というものを明確にしていくこととなるのです。
そのプロセスを通じて、自己の内部への潜入がどんどんと深まっていくこととなるのです。また、この過程でだんだんと軽度な変性意識状態(ASC)入っていくというこも起こってくるのです。


④深い欲求(感情)に気づき、焦点化する


さて、ゲシュタルト心理学の世界では、生体(生物の生理)にとって緊急かつ必要な欲求(感情)が、「図」となって感覚の前景に現れてくると考えています。ゲシュタルトとは何か

ワークの実際の場面でいうと、気になった欲求(感情)というものは、そこに気づきを当てるとあたかも異物を吐き出すかのようにその奥底の欲求(感情)を前面に押し出してくることとなります。そして、その奥底の欲求(感情)に気づいていくと、さらにその奥底の欲求(感情)が出てくることとなるのです。
そこで
だんだんとエネルギーが流れてくるのです。そして、このような気づきと焦点化を深める中で、その欲求(感情)の深い正体現れてくることになるのです。
そのプロセスが進む過程においては、肉体的に弛緩が起こったり、小さなアハ体験(小さなサトリ)が起こったりします。何か「わかった感じ」に触れるのです。それが、ワークを進めるサインやシグナル、道標となります。
このようなプロセスでワークは進んでいきますが、クライアントの方の欲求(感情)への探索が深まっていきますと、やがて少し強めの欲求(感情)の塊/鉱脈たどり着くこととなります。

これが、クライアントの方が、普段の日常意識ではなかなかつかまえられない核心的なテーマ(とその入口)であるのです。
テーマは、心の中でさまざまな形で存在しています。
ご自分の中にある複数の相反する欲求(感情、自我状態)が対立しているために、心にストップや制限をかける「葛藤状態」や、
過去の体験が未消化に終わっているため、心の中でストップをかけている「未完了の体験(ゲシュタルト)」「やり残した仕事 Unfinished Business」などです。

ところで、「葛藤状態」や、「未完了の体験」というものは、通常、私たちの中では、体験記憶や抑圧の重層性にしたがって、ミルフィーユのように多層状になって構成(存在)されているものです。そのため、強い感覚にたどり着いたといっても、それは入り口(表面)にたどり着いたという意味合いとなります。
そこから一皮一皮剥いて、さらにその奥底にある核心に向かっていくというのがワークのプロセスとなります。ただ、ここにおいては、クライアントの方はすでに一種の変性意識状態(ASC)に入っているため、比較的スムーズな形でそのプロセスを内奥の世界まで追跡していくことができるのです。ワークが終わった後で、まるで別世界(異界)に入って行った体験だったと振り返ることが多いのもそのためです


◆ゲシュタルト療法の介入技法の意味 (心を可視化する)

ところで、ゲシュタルト療法といえば、エンプティ・チェア(空の椅子)の技法や、身体の動きや表現を使った技法など、比較的派手な?技法がイメージされがちです。
これらの技法は、そもそも何の効果を狙ったものかといいいますと、上で見たような感覚(欲求・感情)により焦点化し、増幅(促進)するために行なうものです

通常、私たちの感情というものは、混然一体の悶々とした塊の状態にあり、その感情の内訳(明細)を、私たちは明確にはとらえられてはいません。また、ワークの最中においても、さまざまな感情がもつれつつ行き交っているので、その中にどんな感情があるのか分からないのです
この個々の感情のゲシュタルトを明確にしていくのが、プロセス展開の肝となります。
技法的な工夫によって、このゲシュタルトを明確にし「心を可視化」するというが各種の技法的介入の意味なのです。
クライアントの方の欲求(感情)を焦点化したり、切り分けたり、増幅したりするためにこれらの技法を使うのです。

【例】
「その感覚(気持ち)はどんな姿(形、色、感触、冷熱、硬軟)をしていますか?」
「その感覚はなんと言っていますか?」
「その感覚は、からだのどこにありますか?」
「からだのその部分は、なんと言っていますか?」
「からだのその部分と会話できますか?」
「たとえば、この椅子に、その○○という気持ちを取り出すことができますか?」
「ここに置いたその気持ちは、どう見えますか?」
「たとえば、○○と言ってみる(表現してみる)のはどうですか?」
「実際に、そう言ってみると、どんな気持ちがしますか?」
といったような具合です。

このようにして、欲求(感情)に、ゲシュタルト的な感覚実体を与えることにより、心のエネルギーの流動化を促し、その姿をより明確にとらえられるようになっていくのです。
また、その欲求(感情)の表現を通して、さまざまな欲求(感情)同士の対話や交流・融合を図ることもできるのです。
そのことが心理的な解決と統合に決定的に作用していくことになるのです。


⑤気づきを深め、欲求(感情)を展開する。体感を通して解決する


さて通常、クライアントの方の中で深い気づきが得られた後でもさまざまな別の欲求(感情)が残っている(待機している)ものです。
先ほど触れたように、心はミルフィーユのように幾層にも渡って、層状に構成されているものだからです。
それら表層上のものを超えて、ある程度の核心的な層(腑に落ちる層)に触れることまでを、ワークは目標とします。

ところで、人間の心は層状に積み重なって構造化されているので、或る心のテーマ(欲求・感情)が、気づきと表現を通して解放されると、自然にその下からさらなる次のテーマ(欲求・感情)が現れてくることになります。
このプロセスの繰り返しにより、心のより深くまで探索していけることとなり、日常生活では予想もできなかったようなより深い解放と変容、統合を得ることができるのです。

そして、この探索の深まり(次元)の深さが、通常のカウンセリングやコーチング、NLPなどと較べた場合の、ゲシュタルト療法の持つ圧倒的な効果の秘密でもあるのです。アーノルド・ミンデルが指摘するようにシャーマニズム的な深さでもあるのです。

◆変性意識状態(ASC)の体験とスキル

さて、古典的・教科書的なゲシュタルト療法がよく理解していないことですが、重要な要素でもある変性意識状態(ASC)について少し解説してみたいと思います。

このようにワークの中で、自己の感覚に深く没頭し沈み込んでいく過程で、クライアントの方は、軽度な変性意識状態(ASC)に入っていくこととなります。それがゆえに、普段気づけないことに色々と気づけたり、普段行なわないような表現を(あまりまわりを気にせずに)行なえるようになるのです。これは、変性意識状態(ASC)においては、日常意識の価値観や知覚が希薄になり、潜在意識からの欲求(感情)、自我状態とよりダイレクトなつながりが達成できているからです。
また、変性意識状態(ASC)自体が、クライアントの方の深部にある潜在意識の活性化と自律性を増大させ、自由な解放状態や創造的な統合状態へと運んでいくことにもなるのです。

くわえて、変性意識状態(ASC)は、クライアントの方が普段同一化している自我状態や日常意識から、クライアントの方を強く解き放つ作用も持ちます。
これがワークの中で、クライアントの方が、しばしば、超越的でトランスパーソナルな(個人性を超えた)新世界を体験する理由でもあるのです。それはしばしば、鮮やかな知覚的光明に満ちた意識拡張体験になったりもするのです。

◆体感を通した表現スキルの獲得

ところで、また、ゲシュタルト療法の特徴でもありますが、クライアントの方には、実際に感じた欲求(感情)について「心身で体感を通して」表現していただくことを行ないます。心身一元論的な理論に裏付けられたものですが、ここが重要なポイントとなります。

このような身体的アウトプット(表出・表現・外在化)の体験が、クライアントの方の心身の中で組織化され、心理的統合と表現力の決定的な力となっていくからです。
それは、頭の中(中間領域)だけではなく、実際に「物理的(内部領域・外部領域)に」表現することは、心身の神経的・脳的・物理的・エネルギー的に直接作用することになるからです。肉体動作を通して、その体感エネルギーを通して、物理的・神経的に書き換えることになるからです。
そのため要所要所で、ファシリテーターは、クライアントの方の物理的な表現を促していくこととなります。それはそれがとても決定的な統合(心身の組織化)の効力を持つためであるからなのです。

 

そして、クライアントの方は、ワークの中でこのような気づきと物理的表現、小さなアーハ体験を繰り返す中で、やがてひとつの感情的な納得、統合的な腑に落ちる段階(地点)に到達することとなります。
その地点で、ひと一区切りの創造的解決(解放と統合)がもたらされるのです。
そして、クライアントの方の気づき・ある種のサトリ・充実感と統合感・着地感とをもって、ワークは終了していくのです。
クライアントの方にとってその感覚は、自分の本当にやりたいことを葛藤や妨げなくできるように感じられる充実感、もしくは自分の欲求がひとまとまりになったような統合感、集中された「まとまり感」、主体感として感じられるものとなるのです。


⑥現実に、より着地(統合)する


ワークの最後の段階では、クライアントの方の深い部分から出てきたばかりの、まだ柔らかい新しい欲求(感情)、統合感を、日常生活で充分に活かしていけるか確認を取っていきます。
変性意識状態(ASC)の異界の中でとらえられた、その新しい欲求(感情)感覚が、日常的現実できちんと活かされるように創造的調整をとっていきます。

新しい心の要素(意欲、能力、欲求)は、過去の人生の中で理由があって抑圧されていた自我の要素となります。
そのため、その新しい自我(意欲、能力、欲求)が、既存の日常生活の中でもしっかりと自立し、新しい力を発揮できるように居場所と防具(結界)を持つことが大切となるのです。

そのため、ワークの最後の場面では時間をかけて、(変性意識状態から抜け出ていくとともに)新しく現れてきた自我状態(意欲、能力、欲求)と既存の自我状態との統合を定着させていきます。

具体的な手法としては、現実の実務的な場面のリハーサルや、(グループの場合などは)巡回対話の技法など色々ありますがここでは省略いたします。

この場面は、ワークとしては、新しい自我状態をサポートし、たくましく育てていく方向づけとして、決定的に重要な場面(局面)でもあるのです。


⑦ワークの終了


クライアントの方が、日常意識と日常感覚の中で、統合感(着地感)をしっかりと得られたと確認された段階で、ワークは終了します。ワークの空間が閉じられていきます。


さて、以上、長くはありましたが(また大枠を単純化して書きましたが)、ワークの中核的なプロセスを解説いたしました。

実際のワークは、クライアントの方のさまざまな想いや逡巡を探索しつつ、あちこちに寄せては返す波のように行きつ戻りつしながら進んでいくものです。
しかし、漂流しつつ展開するそのプロセスの背後(核心)には、クライアントの方が元来持っているパワフルで素晴らしい自律性と創造性の泉が必ず待っているものなのです。

そして、このようなワークの探索を通じて、クライアントの方の人生は、確実に変化・変容していくものであるのです。ぜひ実際のワークを体験してみていただければと思います。

変性意識状態(ASC)とは

【内容の目次】

1.はじめに 変性意識の活用

人間が持つ広大な潜在能力の開発や、心理療法における心理プログラムの改善・治癒作用など、心の構造や能力を理解し活用するのに際して「変性意識状態(ASC)」というとても有効(便利)な概念があります。

変性意識状態 Altered states of consciousnessとは、1969年にカリフォルニア大学の心理学者チャールズ・タート博士の編著により有名になった意識状態の定義ですが、この通常の合理的・論理的・理性的な「日常意識以外」のさまざまな意識状態を指した総称です。

日常意識以外のさまざまな意識状態――瞑想状態、催眠状態、宗教儀式などのトランス(入神)状態、夢、向精神性薬物(ドラッグ)によるサイケデリック(意識拡張)状態、神秘体験など――を指した言葉です。広くは、体外離脱体験(OBE)や俗に「ゾーン ZONE」としても知られるフロー体験 flow experience なども、これに含まれると考えてもよいでしょう。基本的には、それ自体では良いものでも悪いものでもない価値中立的な変異した意識状態です。

しかし、この変性意識状態(ASC)のあつかい方に慣れ、通常の日常意識と変性意識との間に、感覚的・情報的・意図的なつながりを持てるようになると、私たちの能力や世界というものは、ずっとひろがりを持った広大なものに変っていきます。
人生や世界がずっと深さと幅を持った、まばゆく豊かなものに変容していくのです。この人生に、ある意味、「本当の魔法」が存在することに気づくようにもなるのです。その能力を習得し、活用可能なものにすることで人生は一変していくことになるのです。
ここでは、そのような実践的な事柄について解説していきたいと思います。

ところで、かつてアメリカの重要な哲学者ウィリアム・ジェイムズは、その著作『宗教的体験の諸相』のよく引かれる文章の中で、以下のように記しました。

「…それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」(桝田啓三郎訳『宗教的体験の諸相』岩波書店)


さまざまな心の研究とともに、彼自身の変性意識体験より導かれた結論ですが、私たちの知る世界と変性意識状態について考える際にひとつの参考となる観点です。

以下では、この変性意識状態(ASC)がどのような特徴や構造を持つものなのか、また、どのような面で私たちの生活の役に立つのかについて見ていきたいみたいと思います。

2.「変性意識」が認知された時代背景

まずはじめに、そもそも、なぜタート博士が「変性意識状態(ASC)」を取り上げたのか、またそれが世間で注目され受け入れられたのかという、当時の時代背景と歴史的な文脈を見ておきたいと思います。
日本では、このあたりの文脈的・構造的理解が薄いので、変性意識状態(ASC)が、単なる偶発的で風変わりな娯楽的体験か、もしくは浅薄な自己啓発的・能力開発的エピソードで終わってしまうことにもなってしまっているのです。
この変性意識状態(ASC)の探求は、人類の意識変容に関わる重要な側面を持っているともいえるのです。

1969年、心理学者C.タート博士による編著が生まれた背景には、当時のアメリカ、特に西海岸で隆盛していた文化的思潮・流行との関係がありました。ヒッピー・カルチャー、カウンター・カルチャー、サイケデリック・カルチャーなど呼ばれた文化的思潮・流行です。
(ビートルズのジョン・レノンは、1967年のことを思い出して、当時はなにがなんでも「ヘイト・アシュベリー」に行かなければならないと思っていたと回顧しています。ヘイト・アシュベリーとはサイケデリック・カルチャーの爆心地でした。ちなみに、レノンはこの後、ライヒアン系のセラピー「プライマル・セラピー(原初療法)」のセッションを体験し、作風を一変させることになりました。体験的心理療法を深めた人はレノンのこの振る舞いがとてもよくわかると思います)

ところで、ヒッピー・カルチャー、カウンター・カルチャー、サイケデリック・カルチャーなどの思潮をつくり出した最大の動力源は、個々人の「(薬物による)サイケデリック体験」でした。
頭で考え出した思想や思潮ではなく、個々人が強烈な実体験(意識変容体験)を通じて、旧来の世界観とはまったく違う「別世界の体験」をしたのでした。知覚の扉が開かれる体験をしたのです。アップル社の故スティーブ・ジョブズは自らのLSD体験を、「人生でもっとも衝撃的な体験のひとつ」として自伝で回顧しています。それが後に彼をへと導くことにもなりました。

さて、そのようなサイケデリック体験をもったため、多くの人に「問い」が生まれたのでした。
「この体験はなんだろう?」
「この世界はなんだろう?」

その体験世界は、それまでの西洋の合理主義や近代主義の世界観では理解できない世界でした。そのため、「これらの意識状態」を定義して、きちんととらえ直す必要があったわけでした。
タート博士の仕事と「変性意識状態(ASC)」の概念の提示は、そのような時代の要望に応えるものだったのです。
そして、その仕事の結果、「変性意識状態(ASC)」という概念がひろく受け入れられることになったわけです。
そして、それは、サイケデリック体験だけでなく、当時、西洋社会では目新しかった「瞑想」や「ヨガ」「シャーマニズム」等、さまざまな東洋思想を理解する概念ツールともなったのでした。実際、ヨガなど、現在私たちが普段目にする東洋的実践が、普通に身の回りに見られるようになったのはこの時代以降のことです。

ではここで、「実際の変性意識状態(ASC)がどのようなものであるのか」、ひとつ具体的な(極端な)事例を見ておきましょう。イギリスの作家ハクスリーが、「サイケデリック」という造語を考えたハンフリー・オズモンド博士の元で、メスカリン(幻覚剤)を服用した時の体験談です。スティーブ・ジョブズのいう「衝撃的」という言葉の意味合いが伝わるかと思います。

「私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルトが好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社

「私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである」(前掲書)

「神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった」(前掲書)

この体験記は、当時よく読まれ(今も読まれていますが)、サイケデリック体験の指南書となりました。変性意識状態(ASC)というものの一端が(極端なものではありますが)うかがえるかと思います。

3.「 変性意識状態(ASC)」とA.マズロー

▼トランスパーソナル心理学と変性意識状態(ASC)
また、タート博士が本を出した1969年という年は「変性意識状態(ASC)」と関連で、別のとても象徴的な出来事がありました。それは、A.マズローが「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのが、1969年だということです。
A.マズローといえば「欲求の五段階説」とか「自己実現 self-actualization 」などの理論で、ビジネスの世界でもひろく知られている心理学者です。
そのマズローは、晩年「自己実現」の次にある存在状態/ステージについて考えていました。
それが「自己超越 transcendence 」というものでした。

そして、「自己超越」に関連してマズローが注目していたのが「至高体験 peak-experience 」という心理状態でした。これは、とても充実した心理/存在状態なのですが、自己実現した人々に非常に頻繁に見られ、また普通の人々においても稀に見られる特別に「肯定的な状態」として、マズローの注意を引いたのでした。それは、限界を超えるような一種の超越的な心理状態、変性意識状態(ASC)といっていいようなものなのでした。そこに、マズローは人間の心の持つ可能性を直観したのでした。
その事実が彼をして、「自己実現」を超えた「自己超越」のテーマに向かわせたと考えてよいのです。

至高経験は自己合法性、自己正当性の瞬間として感じられ、それとともに固有の本質的価値を荷なうものである。つまり、至高経験はそれ自体目的であり、手段の経験よりもむしろ目的の経験と呼べるものである。それは、非常に価値の高い経験であり、啓発されることが大きいので、これを正当化しようとすることさえその品位と価値を傷つけると感じられるのである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱が見られる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。(中略)かれらはある点で、時間が停止していると同時に非常な早さで経過していく別の世界に住んでいるかのようである」(前掲書)

「至高経験は、この観点から見ると、絶対性が強く、それほど相対的ではない。(中略)それらは比較的達観し、人の利害を超越しているというだけではない。それらはまた、みずからは『彼岸』にあるかのように、人間臭を脱し、自己の人生を超えて永続する現実を見つめているかのように、認知し反応するのである」(前掲書)

「時間や空間の外」「彼岸」「自己の人生を超えて永続する現実」などという描写を見ても、これが通常の心理状態、意識状態を超えている感覚(変性意識状態)というのが伝わるかと思います。マズローが「自己実現」を超えた「自己超越」の心理学をつくる必要性を感じた理由もよくわかるかと思われます。

その結果、1969年に、通常のパーソナル(人格、個人性)を超えた(トランス)進化した人間像を研究するために、「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのでした。
そして、とりわり象徴的なことは、マズローがこの学会を一緒に立ち上げたのが、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士というLSD研究(サイケデリック・セラピー)の大家だったということです。LSDによるサイケデリック体験では、まさに「時間や空間の外」「彼岸」「自己の人生を超えて」などの体験がごく普通に見られるからです。そのようなことを理解できる共同研究者が必要だったというわけです。
晩年のマズローが構想した進化した(超越した)人間像と、変性意識状態(ASC)とが、どのように深い関連にあるのかがよくわかるエピソードかと思われます。

4.「潜在意識」「無意識」という胡散臭さ

さて、さきほどまではとても超越的な事例を見てきましたが、変性意識状態(ASC)は、もっと私たちの生活に身近な形でもさまざまに存在しています。ここからそれらの少し実践的な事柄に移りたいと思います。ところで、変性意識状態(ASC)は、私たちの「潜在意識」や「無意識」と呼ばれるものを、実際に探求・体験するに際して有効な働きを持ちます。

ところでどうでしょうか? 世間でよくいわれるように、人間は「潜在意識」がとても重要なのだと聞いても、どこか怪しく胡散臭い感じがするのではないでしょうか? 
「言われれば、なんとなくそういう気もするけど…」とは思うものの本当にそうなのか、感覚的にピンとこないのではないでしょうか? また、確証のとれない事柄について勝手に語られているように感じられたりしないでしょうか? というのも、「潜在意識」と呼ばれているものが実際、感覚的によくつかめない、中身がよくわからないというところがあるからです。
これは、とても正しい反応だといえます。
そして実際のところ、潜在意識(無意識)の大切さについて、「理論的な話」を聞いてもあまり意味が無いことでもあるからです。

つまり、「潜在意識」や「無意識」の重要性は、「自分の感覚として」実際にそれらを体験・体感したり、その中身を感覚的にわかることによってはじめて意味が出てくるものであるからです。

さて実は、変性意識状態(ASC)は、そのような「潜在意識(無意識)」と、この日常意識をつなぐ領域(媒介領域/状態)として、私たちにとってとても価値があるものであるといえるのです。
つまり、変性意識状態(ASC)は、私たちに広大な潜在意識との意識面でのつながりをもたらし、実感的・実践的な理解をもたらすものであるというわけなのです。
そして、その状態に習熟することにより、潜在意識と深く交わり、そこから能力を引き出したり、操作する方法を得ていくことにもなるというわけなのです。

これが、私たちにとって、変性意識状態(ASC)がとても重要な価値を持つ面といえるのです。
(おおざっぱに表現すると、変性意識状態とは、日常意識と潜在意識とが部分的に融合した状態ともいえます)

5.変性意識状態(ASC)と心理療法

まずは、身近で「実利」を得られるところにある、心理療法(心理学)における変性意識状態(ASC)の効果や有効性について見ていきたいと思います。

さて、「心理療法」とは、心の悩みや苦しみなどを「取り除き」「癒す」ことが目的です。
もう少し丁寧に表現すると、「不調和を起している心(心理)のプログラム」をプログラム修正(再プログラミング)することを目的としたものです。
そして、この再プログラミングをするに際して、程度の大小はありますが、日常意識ではないこの「潜在意識」「無意識」にアクセスすることが重要となるのです。

というのも、私たちのこの「私=自意識=日常意識」というもの自体が、既存の深層プログラムによって成り立ち、そこから映し出されている表象感覚(表象結果)であり、その日常意識(自意識)からでは、(当然ながら)自分自身を作り出している基盤プログラムを書き換えることはできないからです。
「影(結果)」からでは「本体(原因)」に影響できないというわけです。
ここに、私たち人類のこの「私=主体」にまつわる本質的に「逆説的な事態」があるのです。
実例を挙げると、例えば、感情的な問題について、頭(思考)でアレコレ考えていても(一時的に気を紛らわすことはできても)、それ自体は決して解決しない(無くならない)ことを思い出してみても、それは理解できるかと思います。

つまり重要なのは、この日常意識(私=自意識)ではない、別の経路から(日常意識を迂回した道を通って)、自分を作り出している基盤システムに介入して、プログラム修正することが必要となるわけなのです。
といっても、この「私(影、結果)」がなんとかしないといけないので、とても「逆説的な事態」だとお分かりいただけるかと思います。
そしてその際に、この変性意識状態(ASC)という状態がとても有効に利用できるというわけなのです。

この「心の構造」は、催眠療法などをイメージすると分かりやすいかと思われます。催眠療法の考え方というものは、クライアントの方の日常意識に働きかけるのではなく、その意識面を回避(迂回)して、潜在意識(無意識)に直接働きかけることで、クライアントの方の心のプログラムを修正しようとする方法論だからです。
しかし、それもそんなに簡単なことではないのです。催眠療法がそんなに効果を上げる方法論でもないことを見ても、その実情がよくわかるかと思います。

また、心理療法の見方でいうと、通常、心の問題で悩まれている方は、日常意識の自意識に過度にとらわれているものです。自分の苦痛や自意識が絶対的なものに感じられて、そこに囚われてしまっているわけです。そして、苦痛にみちた感情や自意識を、日常生活の中で反復することで固定化(硬化)した悪いループにはまっているです。そのため罠にかかったように、身動きができなくなってしまっているわけです。
しかし、実はその「私=自意識」は結果の表象感覚でしかなく、それを生み出している原因ではないのです。

ところが、変性意識状態(ASC)に入ると、日常意識(私=自意識)がゆるみ、自分の苦痛や自意識が相対化されて、アプローチ可能なものに感じられてきます。苦痛が減じて、自分の強い感情や自意識があつかいやすいものに変化するのです。そのため、より楽な気持ちで、自分の深い心にアプローチできるようになるのです。

セッションにおいては、これが一番効果を発揮する面といえるかもしれません。その結果、よりスムーズに心の深層に触れて、心理的な治癒と変容を進めていくことができるようになるのです。

さて、ところで、変性意識状態(ASC)ですが、実際のところ、私たちは、この変性意識状態そのものには、とても簡単に入れるものなのです。
しかしながら、変性意識状態をつくり、自分たちの望むような形で、心のプログラムを改修(変更)することはなかなか簡単には行なえないのが実情です。
というのも、それは人間生体の運営上、セキュリティの問題(危険)がありますので、セキュリティ・システムがきっちり設けられているからです。私たちは自分の心でさえ、簡単(勝手)にはプログラム修正ができないというわけなのです。それはそれでセキュリティ上、とても良いことなのです。
そのため、適切なプログラム修正を行なうには、セキュリティ・システムを抜けていく方法や心理システムに対する深い理解も必要となってくるのです。
セッションの中で、変性意識状態に移行するゲシュタルト療法(体験的心理療法)は、そのような方法や理解を深く的確なものにしてくれるのです
→【参考】心の悩みと解決法とは はじめに

6.変性意識状態(ASC)とはⅠ 入り方

さて、ところで、変性意識状態(ASC)といっても実にさまざまなタイプがあります。日常意識からの距離によって、軽いものから極端なものまで多様なスペクトルや帯域をもっています。
実際、私たちの意識は、日常生活の中でも、ふと緩んだ時に軽度な変性意識状態に入っています。ちょっとボーとしている時。何かに没頭している時。何かに集中している時。さまざまな機会に、私たちはスルリと変性意識の状態に移行してしまっているのです。
また、人間関係(関係性 relationship)の中では、人は、容易に無意識の力に引き(惹き)こまれて、軽度な変性意識状態に移行してしまいます。恋愛や性愛関係、家族関係、組織内における関係性など、集合的(集団的)な無意識が活性化しやすいところでは、人は憑依されるように容易に変性意識状態に巻き込まれていきます。過度に閉ざされた人間関係の中で犯罪(虐待等)が起こりやすいのはそのためです。

「意識のフレーム(枠)」自体は、カメラのレンズやフレームのように無色透明なものなので、なめらかに変性意識状態に移行するものです。そのため、自分が変性意識状態に入っていても、(没入していて)それと気づかない場合の方が多いものです。主観的には、ハッとして気づきを得るまで、私たちはほとんどその違い(差異)に気づけないのです。
しかし、そのような変性意識状態に移行する中で、無意識のうちに、私たちはより冴えた直観力と鋭敏性を働かせて、優れた創造力を発揮したりもしているのです。また悪い場合には、犯罪などをおかしてしまったりもしているのです。

そのため、重要なことは、単なる偶然的に変性意識状態に入ってしまうのではなく、意図性や気づき awareness をもって変性意識状態(ASC)をさまざまにあつかえるようになるということなのです。

ところで、変性意識にはさまざまな状態があります。しかし、変性意識状態とは、それ単体ではなんら特別なものではないという言い方もできます。というのも、変性意識状態というものは、単に変った意識状態ということだけであるからです。
重要なことは、変性意識は、私たちの日常意識との関係(対比/関連/組み合わせ)の中で、初めてその特異な位置づけや強い意味合いを持つという事実です
。たとえば、ドラッグ(薬物)をやって偶然的に深い変性意識状態に入っても、その体験自体(単体)が、すぐに恒常的な意識拡張や創造力拡大には結びつくわけではないということです。ここにおいても、日常意識との関係(つながり)の中で意図性や気づき awareness をもって変性意識状態(ASC)を操作することがポイントとなってくるのです。

さて、意図的に」変性意識状態(ASC)に入る方法としては、歴史的・伝統的には、各種宗教の儀式的なトランス状態や瞑想技法、向精神薬物の使用などが昔から知られていました。
また同様に、現代の体験的心理療法においても、セッションの過程の深いリラックス状態や、内的な感覚(感情)集中を通して、より自然な形で変性意識状態に入っていくことができます。その変性意識状態の中で、日常意識(自意識)ではコンタクト(接触)できなかった深層情報にアクセスして、そのプログラムを書き換えていくということも可能になってくるのです。
それというのも、変性意識状態(ASC)の中においては、日常意識(自意識)の時とは違った形で、潜在意識にある隠された情動や感覚情報が前景に溢れ出てきて、通常ない形でまじかに視ることも可能になってくるからです。そのような多層的な情報のただ中で、より微細な層に透過的に気づくこと awareness ができるようになるからです。このような微細で多重的な意識状態(ホリスティックな気づき状態)の中でこそ、(セキュリティ・システムを抜けて)心の精妙なプログラムにコンタクトすることや変容のコントロールも可能となってくるわけなのです。

いずれにせよ、心の複雑な構造(特性/逆説)をよく理解し、意図的に変性意識状態(ASC)に入るとともに、その中で心を書き換えるスキルを得ることは、心の治癒や人間の潜在能力を開発するために計り知れない有効性を持っているのです。
また逆にいうと、体験的心理療法のスキルに習熟することは、これらの能力、つまり変性意識状態(ASC)に入ることとその中で微細な気づきを保ち、潜在能力の解放を行なうことにもつながっていくのです。そして、この点こそが、近代的な心理療法と伝統的なシャーマニズムの原理的な類似性ともなっている点であり、当スペースの方法論となっている点でもあるのです。

7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング

また、変性意識状態(ASC)の中には、さきのジェイムズの文章にもあるような、私たちの日常意識から大きく逸脱した未知の不思議な意識状態の帯域もあります。
これら
のイメージは、喩えるとラジオのチューニング(同調)のようなものです。

通常、私たちのラジオ(日常意識)というものは、喩えると、NHK放送にチューニングが合っており、その番組放送を聞いていてそれだけが現実(世界)だと思っているようなものです。
この喩えでは、NHK放送が日常意識であり、その放送番組が日常現実です。
それが何かの拍子(もしくは方法論)で、ラジオのツマミが動かされて、別の放送局(変性意識状態)にチューニングが合うと、別の放送番組(変わった現実)が聞こえてきたりするというわけです。

人類学者カルロス・カスタネダの著作の中には「集合点」と呼ばれる、知覚情報を編成するポイント(結節点)が言及されています。集合点が動くと、私たちは、「日常的な私たち」自身であることを失い、その現実も溶解して、まったく別物に変化していくのです。カスタネダのいう集合点が、厳密に何を意味しているのかは分かりませんが、比喩的にも実践的にも、そのイメージは大変ヒントになるものです。

たとえば、宗教的な修行や体験的心理療法を強力に推し進めると、やはりまれに、そのように「集合点」 が動いたかのような強烈な変性意識状態、別種のリアリティ体験をすることがあります。
それは、私たちを、未知の体験領域-空間に投げ込むことになります(場合により、心身に混乱をきたすケースもあります)。アメリカにおいては、体験的心理療法や向精神性物質によるサイケデリック〔意識拡張〕研究も盛んなため、マズローと一緒にトランスパーソナル心理学会を立ち上げた精神科医のスタニスラフ・グロフ博士などは、そのようなさまざまな変性意識体験の事例、体験領域-空間をさまざまに研究報告しています。また、その状態をサポートするシステム(スピリチュアル・エマージェンシー)について記したり、支援活動を行なっていたりするのです。
(※実際のサイケデリック〔意識拡張〕体験とは何か
LSD研究の権威グロフ博士のLSD体験と時代背景インタビュー動画↓)
http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

8.変性意識状態(ASC)の治癒効果と超越的状態

ところで、興味深いことのひとつは、深い変性意識状態自体が、心理的・身体的な深い治癒効果・統合効果を持っているという点です。
変性意識状態(ASC)が、人間の深層的なプロセスを活性化し、本来持っている深い潜在能力(治癒能力)を引き出し、人間の心身を不可逆的に解放・変容・刷新してしまうという点なのです。
深い変性意識状態が、身心のホリスティック(全体的)な機能を目覚めさせるためと考えられます。

それはおそらく、変性意識状態(ASC)というものが、私たちが普段同一化(固着)している日常意識(自意識)レベルの心理システムを解除し、私たちをより深く高い階層の潜在意識や心身統合システム、個人的自我を超えた領域に、私たちをつなげるためであると考えられるのです。
これは歴史的には、さきに触れた晩年のA・マズローなどが「
自己実現」を超えた領域として構想した「自己超越とトランスパーソナル(超個人的)な領域へのつながるテーマとなっているわけです。
これは、変性意識状態を入り口に、心身のより広大なシステム(全体性/ホールネス)に、私たちを導く興味深くかつ実践的なテーマでもあるのです。ホリスティック holistic なテーマがここにはあるわけです。
これらは広大な内容であると同時に、多様かつ多面的な要素を持ちますので、各要素については下記のそれぞれをご参考いただければと思います。
【図解】心の構造モデルと変容のポイント 見取り図
フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONEとは
サイケデリック(意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
変性意識の治癒効果
マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現
ブリージング・セラピー(呼吸法)の事例
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から
映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghost の変性意識
実際の変性意識体験の事例

現代日本社会では、正しく理解されていませんが、この変性意識状態(ASC)を、きちんとあつえるスキルを磨くことは、私たちの能力や創造力、人生にとって計り知れない益をもたらすものなのです。

9.変性意識のもたらす変容と、人生で活かす方法

さて、拙著『砂絵Ⅰ』の中にも、実際の体験事例を多数書きましたが、筆者自身、心の諸領域を探索する中でさまざまな奇妙な変性意識状態(ASC)を体験してきました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

そして、それらの経験を繰り返してわかったことは、変性意識状態(ASC)が私たちにもたらす変容作用や治癒作用、意識拡張作用は、(場合によっては)たった一回の体験で、人生を一変させてしまう強力な能力を持っているという点でした。心身の基底的なプログラムが刷新し、書き換わってしまうわけです。

さきに触れた、S.グロフ博士は、強度な変性意識を体験した多くの人々の証言を集めた結果から、その世界の見え方の変容を「あたかも、白黒テレビからカラーテレビに変わるかのようだ」と表現しています。これは実際にそのようなものなのです。

また、数々のセッションを実施した経験から言えることですが、軽度のものでも、変性意識状態(ASC)は、私たちの奥底に確実に変容をもたらしてしまうものです。これら多くの観察を踏まえると、変性意識状態(ASC)というものは、気まぐれな不調和ということではなく、私たちの自然的本性(全体性/ホールネス)が備えている「自律的・治癒的・創造的」な素晴らしい潜在能力であるともいえるのです。

そして、これも経験上言えることですが(一番重要な点でもあるのですが)、変性意識状態(ASC)の活用ポイントは、変性意識状態(ASC)と普段の日常生活の間に、きちんとした「心理的な連携や統合、往還(行き帰り)の通路をつくっていく(習熟していく)」という点なのです。

そうでないと、変性意識状態(ASC)は単なる偶然的で奇妙な(面白い)エピソードということだけで、私たちに心理的な統合をもたらすことがないからです(逆に解離と分裂をもたらすこともあるからです)。私たちの人生を豊かにする創造的パワーにはなってはいかないのです。
そのため、拙著 『砂絵Ⅰ』の中では、日常生活と変性意識との行き帰り(往還)の方法を「行きて帰りし旅」という言葉で公式化しました。これが一番重要な点でもあるからです。
そのような、行き帰りと連携の取り組み(スキル)によってこそ、変性意識状態(ASC)の特異で強力な力を、日常生活と人生の中で価値ある創造的な能力に変えることができるのです。

このようなわけで、当スペースでは、変性意識状態(ASC)をあつかうスキルを、潜在能力を引き出し解放・活用するためのスキルとして、実践面・方法論面でも重視し、多くの方々に体験してもらったり、深めてもらったりしているというわけなのです。
変性意識状態(ASC)の秘められた力を、ご自分でうまくあつかえたり活かせるようになるだけで、想像もつかなかったような形でご自身の人生を解放し、刷新させることが可能になるからです。
そのことで、クライアントの方がご自身で、自己の潜在意識や創造力を無尽蔵に引き出す真の魔法、マスター・キーを手に入れることができると考えているからなのです。

 

10.参考文献

Charles T. Tart (ed.) ; Altered states of consciousness . John Wiley & Sons Inc
W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳 (岩波書店)
A・ハックスレー『知覚の扉・天国と地獄』今村光一訳 (河出書房新社)
S・グロフ『自己発見の冒険Ⅰ』菅靖彦他訳 (春秋社)
S・グロフ『脳を超えて』菅靖彦他訳 (春秋社)
S・グロフ他『深層からの回帰』菅靖彦他訳 (青土社)
T・リアリー他『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳(八幡書房)
A.H.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳 (誠信書房)
A.H.マスロー『人間性の最高価値』上田吉一訳 (誠信書房)
J・C・リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳(平河出版社)
C・G・ユング他『黄金の華の秘密』湯浅泰雄訳 (人文書院)
R・D・レイン『経験の政治学』笠原嘉他訳 (みすず書房)
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)
S・コトラー『超人の秘密:エクストリームスポーツとフロー体験』熊谷玲美訳(早川書房)
井筒俊彦『意識と本質』(岩波書店)
吉福伸逸『無意識の探険』(TBSブリタニカ)
吉福伸逸『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版社)
菅靖彦『変性意識の舞台』(青土社)
津村喬『気功宇宙―遊泳マップ』(アニマ2001)
K・ウィルバー『意識のスペクトル』吉福伸逸他訳 (春秋社)
ロジャー・N・ウォルシュ『シャーマニズムの精神人類学』安藤治他訳(春秋社)
A・ミンデル『シャーマンズ・ボディ』藤見幸雄他訳 (コスモス・ライブラリー)
フレッド・アラン・ウルフ『聖なる量子力学9つの旅』小沢元彦訳 (徳間書店)
S・ラバージ『明晰夢』大林正博訳(春秋社)
ゲイリー・ドーア編『死を超えて生きるもの』井村宏治他訳(春秋社) 
アブラハム.H.マスロー『人間性の最高価値』上田吉一訳 (誠信書房)
マーティン・A・リー他『アシッド・ドリームズ』越智道雄訳(第三書館)

9.関連記事

フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONEとは
スポーツ選手(アスリート)が、高いパフォーマンスを発揮するゾーン ZONE に入るといわれます。その状態が、心理学の定義でいう「フロー体験」です。フロー体験は変性意識体験の一種ですが、この記事ではフローを生む条件などについてまとめています。

サイケデリック(意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
音楽ジャンルなどで知られる「サイケデリック」という言葉(オズモンド博士の造語)が、本来意味している変性意識状態はどのようなものか、ここでは事例をもとに、その内容を見ています。本来、サイケデリック体験とは、とても深遠な体験を指していたのです。

心理学的に見た「チベットの死者の書」
ティモシー・リアリー博士は、LSD体験と「チベットの死者の書」で書かれていることが近似していることに気づきました。そして、「チベットの死者の書」をリライトして、LSDセッションの導きの書とすることを思いついたのです。

実際の変性意識体験の事例
ここでは、筆者が実際に体験した変性意識を、拙著『砂絵Ⅰ』より引用しています。子宮回帰体験、人生回顧(ライフ・レビュー)体験、クンダリニー体験の事例が取り上げられています。

マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現
A.マズロー アイデンティティの極致としての至高体験
「完全なる体験」の因子とA.マズロー
「自己実現」理論で有名な心理学者マズローは、晩年、「自己実現」のさきにある「自己超越」という状態について考察をめぐらせていました。そして、自己実現した人が頻繁に、また普通の人々でもしばしば経験する「至高体験 peak-experience」という状態についても研究を深めていました。そして、「至高体験」は誰にでも起こるし、その体験が私たちを一時的に自己実現達成者にすることについて述べています。ここでは、それらについてまとめています。

気づき awareness と自己想起 self-remembering
グルジェフの自己想起 self-remembering の効能
気づき awareness とは、マインドフルネスの状態ですが、一般にはその状態がどのような心理状態・意識状態か、少しイメージがつきにくい点があります。ロシアの秘教的思想家グルジェフが、意識成長(進化)の訓練法として提唱した「自己想起 self-remembering」(これ自体も普通には難解ですが)を参照すると、気づきやマインドフルネスの状態が少し明確に焦点化されると思います。

メスナー 登山体験 その意識拡張と変容 メスナーの言葉から
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変性意識の治癒効果
変性意識状態は、それに深く入ることで、強い癒しの効果を持つ場合もあります。ここではその原理について考察しています。

関連記事2
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
明晰夢の効力 2 映画『マトリックス』の世界へ
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モビルスーツと拡張された未来的身体
有名なアニメ『機動戦士ガンダム』(1stガンダム)に登場した「ニュータイプ」のコンセプトも、変性意識状態と知覚拡張について、私たちにさまざまなヒントと方法論的な素材を与えてくれるものです。

▼変性意識状態(ASC)のさまざまな可能性について
→ 「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から
『諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について
ロートレアモン伯爵と変性意識状態
宇宙への隠された通路 アレフとボルヘス



【ブックガイド】

変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
また、変性意識状態(ASC)への入り方などその詳細な概要と実践技法は入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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フリー・ゲシュタルト・ワークスについて

とらわれなくただ楽に自由に生きる在り方… 悟り的な、ただありのままに澄みきった在り方… トランスパーソナル(超個的/超越的)に、多層的に開放された在り方…

この人生には、さまざまな素晴らしい自己実現、自己超越のかたちがあります

当スペースは、進化型のゲシュタルト療法と変性意識状態(ASC)の習得を通して、それらを実現するサポートを行なっています



【内容の目次】

  1. はじめに
  2. 当スペースの3つのポイント
  3. 次のような方にお役立ちします
  4. 3つのスキルが導くもの
    1.心理的な統合感、変容と力の増大
    2.変性意識状態(潜在意識)に関するスキル
    3.創造力(心の流動化と組織化)増大
  5. 埋もれていた才能や潜在能力の発掘
  6. フリー・ゲシュタルト・ワークスで得られるもの
  7. フリー・ゲシュタルト・ワークスの特徴

はじめに

当スペースは、 ゲシュタルト療法変性意識状態(ASC)を使って、潜在能力を解放していくさまざまなスキルをご提供しています。それらのスキルを通して―

・人生で願っている目標や目的の達成
・望んだ未来や状態の獲得
・抜きんでたアウトプット(成果)の達成
・日常での卓越したパフォーマンスの発揮
・まわりや他者への影響力を増大
・自信や意欲、自己肯定感の向上
・人間関係の悩みや心の葛藤解決
・能力と独創性(天才性)の開花
・アウェアネス(気づき)とマインドフルネスの向上
・意識拡張と意識の特殊な使い方の習得
・自己実現 self-actualization 至高体験 peak-experience の具現化

が得られる専門スクールとなっています。
 ご自身の変容を体験していただきながら、さまざまなスキルを得ていただけるのが当スペースの特徴となっています。そのための、潜在能力活用&創造性開発のマインド・コンサルティング・スペース(セラピー&カウンセリング・スペース)です。

当スペースでは、
①潜在意識とつながり、活用できる意識状態である変性意識状態(ASC)の利用と、
②心を変容させる技法である「心理療法(ゲシュタルト療法トランスパーソナル心理学)」の利用が主な方法論となっています。
(①②は技法的・実践的には一体のものです)

 そのような観点から、人間の本来の「根っこにある能力(基盤的意識)」を拡張していくのが当スペースの方法論です。このような取り組みを継続的に行なっていくことで、私たちの心の能力というものはまったく新しい自由の世界(次元)に入り込んでいくことになります。その取り組みのうちに、いつしか魔法のように変容した自己を見出すことになっていくのです。
 その事態は、あたかも海の底から浮上していって、海面に顔を出すような体験と似ています。
 当たり前だと思っていた重いまとわりと苦労をフッと抜けて、突然、どこまでも澄みきった青空のひろがり出会ってしまうのです。
 そのとき私たちは、自分がまったく〈新しい自由の次元〉にいることに気づくことになるのです。私たちのアウトプット(成果)もまったく質を変えたものになっていくことになるのです。

 人生が、飛躍的に新しい領域に入っているのです。それが当スペースが招待する流れる虹のマインドフルネスの世界なのです。ぜひ、実際に、そのような驚異にみちた世界を体験してみて下さい。


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▼さまざまなスキルが習得できます。


▼心の幅広い領域があつかえます。

▼進化型ゲシュタルト療法+変性意識で、心を変容させるスキルが習得できます

▼進化型のゲシュタルト療法で、心の基礎的なパワーがガッツリ育ちます。自己肯定感が高まります。

▼生涯役に立つ、相手(他者)に価値を生み出すスキルが身に付きます


▼最終的に、私たちの内に、青空のように開かれた超越的な領域ができてきます。〈青空の通り道〉ができてきます。

※ウィルバーの「意識のスペクトル」モデルに付記


▼意識や心身が、拡張した感覚が得られます。



当スペースの3つのポイント

当スペース方法論的は、3つのアプローチ手法を軸に持っています。

・ゲシュタルト療法(心理療法)
・変性意識状態(ASC)の活用

・コーチング的な方向づけ

 この3つの要素を有機的に統合することで、効果を最大化させる最適なセッションが可能となってます。この統合によって、心理面での変容と統合(自由、癒し)、意識拡張、創造性開発、優れたアウトプット(成果)による人生の目標達成も可能となってくるのです。それは、知覚や意識が拡張されたトランスパーソナル的要素までを含んだ目覚ましい意識状態であります。そのような新しい色鮮やかな人生をぜひ体験してみていただければと思います。



次のような方にお役立ちします

人生で具現化したい目標(願望・夢)がある方
・人間を変える普遍的な方法論(スキル)を手に入れたい方
・自分の才能・能力をより開花させたいと思われている方
・独創的なアウトプット(成果)を出したいと思われている方
・仕事の能力をもっと高めたいと思われている方
・自分の限界を超えたい、突破したいと思われている方
・自分には、もっと才能があるはずだ、と感じられている方
・もっと自信や確信を持ちたい、と思われている方
・なかなか行動を起こせないと、感じられている方
・自分をもっと変えていきたい、自己変革したいと思われている方

・自分には、才能やスキルがないと思われている方
・今のまま(仕事、会社等)では、将来に不安がある方
・解決したい心の悩み(課題)がある方
・人間関係の苦しみをなくしたい、苦手な人にうまく対処したいと思われている方
・自己肯定感を高めたい、もっと自分に自信を持ちたいと思われている方
・決断したことが実行できない、先のばしにしてしまうと感じられている方
・生きづらさを、感じられている方もっとエネルギッシュに生きたい、と感じられている方

・自分や宇宙の中の、未知の神秘的状態を探求したいと思われている方

このような気持ちを持っている方は、当スペースで人生を変えていく方法論を入手いただけるでしょう。そして、ご自分の大きな潜在能力に出会うとともに、新しい心身の能力と望むような変化を獲得していっていただけるでしょう。





◆3つのスキルが導くもの

当スペースでは、ゲシュタルト療法、変性意識、コーチングという3つのスキルと対応した能力、
・心の変容と統合 〔←ゲシュタルト療法〕
・心の流動化 〔←変性意識状態/潜在意識の活用〕
・心の方向づけ・組織化 〔←コーチング的アプローチ〕
が得られていきます。

 以下では、それらが育つことで、よりパワフルになる心の原理についてご説明したいと思います。まず、核となるのは、ゲシュタルト療法的なスキルです。それは、心の基礎力全般を高めるスキルとなります。

1.心理的な変容・統合・エネルギーの増大

 ゲシュタルト療法は心理療法ですので、セッション学習を通して、心理的制限や苦痛の消滅、心理的なパワーの増大が起こっていきます。その取り組みによって、私たちを制限し妨害する心の阻害要因がとり除かれ、心の能動的な力が育っていきます。心のストッパーやブレーキがなくなっていきます。

 その結果、(普段は気づいていなかった)バラバラになって葛藤していた感情や欲求、自我状態のあいだに心理的統合(融合)ということが起こってきます。心がまとまりを増し、方向づけられたエネルギーと意欲が生き生きと溢れてくることになります。パワーが高まります。

 深いレベルから豊かな感情の力が湧いてくることになります。生きる意欲と自己肯定感をつくり出す、力強いジェット・エンジンのような心の速度が高まってくるのです。私たちは「本来の自分」「本来の自分自身のあり様 Being 」として、生き生きと楽に生きられるようになるのです。

 そうなると、以前は、なかなか気の進まなかった事柄に対しても、(なにも気にならずに)すばやく、たやすく行動ができるようになるのです。力の増大した感覚と妨げ(妨害)のない感覚が高まり、行動に対するハードルが無くなっていることに気づきます。振り返ると、いつの間にか、新しいことにやすやすとチャレンジしている自分自身を見出すことになるのです。人生の風景が明るく一変していたのです。 

2.変性意識状態(潜在意識)に関するスキル

 セッションを通して、クライアントの方は、ご自身の心の領域を探索する能力が開発されていきます。そこにおいて、変性意識状態(ASC)という意識の変異した状態に入りこむスキルが得られていくこととなります。変性意識状態(ASC)とは簡単にいうと、日常意識と潜在意識とが融合した状態です。その変性意識を操作するスキルが感覚的に得られてくるのです。

 その結果、従来の日常意識のレベルではあまりあつかうことのできなかった、自分の潜在意識とより密接な交流を持てるようになるのです。自分の潜在能力をより身近なものとして活用できるようになっていくのです。これは、人生の中で創造力を発揮するにあたっての決定的なスキルとなります。自分の底の鉱脈から自在に宝物を取り出す能力を手に入れたということなのです。

3.創造力(心の流動化と組織化)の増大

 ところで、創造力や才能とは何でしょうか?
 その仕組みや原理はどうなっているのでしょうか?
普段、私たちは、そのことをよく突き詰めて考えないで、「自分には才能がない」「自分には創造力がない」などと勝手に言ったりします。しかし、創造性や才能がない人などは存在しないのです。
 実際のところは、創造性や才能をうまく引き出さないようにするリミッター(心理的な制限的な信念・感情・考え・ブロック)が沢山存在しているだけなのです。
 では、そもそも、創造性とは何でしょうか?
 創造性の原理は、理論的にはよく知られているように、結論的には「単なる組み合わせ」です。
 「拡散と収束」によって「多様な素材を斬新に組み合わせる力」というだけのことです。
 独創性とは、組み合わせの中に、意外で斬新さ、新しい価値と意味、論理性をつくり出し、アウトプット(物体)を具現化することことです。
 そのため、創造性には、
①「斬新な素材そのものを膨大に生みだす(産出する)こと→拡散作用
②「その素材の間に、ある見えないつながりを見出し、斬新に組み合わせる→収束作用、組織化
の両極性(対極性)が必要となるのです。

「拡散的思考」と「収束的思考」の統合が創造性です。心を開いたり閉じたり、解放したり組織化させたりすることが創造性です。
 ということは、セラピーで心理的統合・変容が起こるときと、原理的には同じなのです。

 ですので、創造性開発のために心理療法が役に立つというのが、当スペースの基本的な考えであるのです。とりわけ、自我状態のダイナミックな流動と統合の作用を持つゲシュタルト療法が最適であるというのがスペースの観点なのです。

 たとえば、実際のところで、ビジネスの場面でアイディア出しのために、「ブレイン・ストーミング(ブレスト)」などを行なった方もいられると思います。これは拡散的思考によって、素材を膨大に出すための方法論です。しかし、実際やってみると、ブレイン・ストーミングなども望むほど上手くいかなかったのではないでしょうか?
 というのも(その理由は)、そもそも私たちの心が、既存の知覚イメージ、旧弊な価値観や信念体系、心のブロックにより硬化してしまっており、自由な発想(連想)が流れにくくなっているからです。また、まわりの他者に迎合する抑圧的なシステムが内部に満ちてしまっているからです。
 つまりは、私たちの内に既存のレールの上を自動的に走るプログラムができてしまっているからです。新しい発想を否定してくる過去の体験や否定的プログラムが染み込んでしまっているからです。実際のところ、創造力のためには一番必要なのは、それら既存体験の固定化した記憶や硬化した感性を噴き飛ばし、それを溶かしていくことなのです。極端な話をすれば、1960年代ならサイケデリック物質(幻覚剤)などでも使ったかもしれません。実際、アップルの故スティーブ・ジョブズは、自身のLSD体験を人生最大の出来事ととして自伝で述懐しています。

 さて、そのような心と思考を解放する方法論として、当スペースが推奨して使っているのが、心理療法(および変性意識状態)のアプローチなわけです。
 その働きかけの結果として、心の中の、既存体験や信念体系の硬化が溶けて、知覚や意識における自由度、流動化(拡散、解放)組織化(収束、集中)の能力が高まっていくことになるのです。
 この能力の高まりとして、必然的に創造的能力の増大が起こってくるのです。つまりは、①によるイメージ・霊感・情報量の流出と、②による結合力・構成力です。この二つの両極的・対極的バランスにより、より高いレベルの独創性とアウトプットが生み出されてくることになるわけです。

◆埋もれていた才能や潜在能力の発掘

 また、このような取り組みを行なう過程(プロセス)で、今まで自分ではあまり意識されていなかった、ご自身のさまざまな「才能」「個性」について気づかれていくことにもなります。
 多くの人は、「自分に才能などない」と思い込んでいます。実は、その思い込み(否定的信念)こそが、才能を発揮させないようにしている最大の要因なのです。
 当スペースでは、意識と感覚を流動化させるプロセスを通じて、クライアントの方が、既存体験や既成概念を乗り越えて、ご自身の豊かな才能を出していけることになっているのです。


変性意識状態(ASC)と心理療法によって創造力が高まります


当スペースで得られるもの

以上のような取り組みの結果、当スペースでセッションを続けていくと次のような心理状態が手に入ってきます。

・生きることが楽になり、楽しみが増える。
・苦痛や苦しみの感情が減る。
・セルフ・イメージが上がる。
・自信と自己肯定感が高まる。
・自分の中の感情的な雑音(ノイズ)が無くなる。
・まわり(他者)に感じていたわずらわしい事柄が気にならなくなる。
・自分の能力(底力)に信頼感が生まれる。
・新しい才能が予感され発掘される。
・心に余裕ができる。
・不要なこだわりがなくなる。
・内側の感情がなめらかに流れるようになる。
・過去の不快な出来事が気にならなくなり、むしろ肯定できるようになる。
・肉体がしなやかになり、からだが軽くなる。
・肉体がエネルギーを増す。
・高速で動けるようになる。
・存在に〈中心の感覚〉が生まれる。
・肚が据わる。
・自分がまとまりを持ち、力を組織化し方向づけられるようになる。

・「今ここに」生きている感じがする。
・「今ここに」泰然と安らっている感じがする。
・集中力や瞬時に焦点化する力が増す。

・自分の才能の再編集・再構成がなされる。
・より自己一致congruenceする。
・自分の気持ちをより素直に表現できるようになる。
・他者の心とじかにコンタクトでき、交われるようになる。
・より共感的になる。
・知覚力が拡大し、五感や六感が豊かになる。
・意識が拡大・拡張する。
・超越的な感覚が生まれる。

・未知の微細な情報をわかるようになる。
・快(快楽)をより強く感じるようになる。
・フロー体験が生まれやすくなる。
・行動を起こす際のハードルが低くなる。
・瞬時に行動できるようになる。
・並外れた積極性が出る。
・貫通するようなやり抜く力がつく。
・目標(目的)を達成しやすくなる。
・ストレス耐性ができる。
・行動そのものが速度感を増す。
・冒険的なことができるようになる。
・遊び心やユーモアが増す。
・感受性が増し、自然や宇宙が美しく感じられる。
・想像やイメージが豊かになり、発想力が増す。
・愛の力が増し、開花する。
・変性意識状態(ASC)に容易に入れるようになる。
・自分の夢のメッセージが理解できるようになる。
・神秘的な出来事や体験に会いやすくなる。
・飛躍的なアイディアが出て来る。
・的確な表現力が増す。
・斬新で独創的なアウトプットが出せるようになる。
・「自分という存在」を相対化し、またその味わいがより深くなる。
・生きること自体が価値を持ち、楽しくなる。
・深い感情を生きられるようになる。
・直観力が鋭くなる。
・心が純粋さを増す。
・濃密に生きている実感を得られる。

ぜひ、このような内的状態や生きる力の充実を実感していってください。人生を変えていくさまざまな力を獲得していただけます


お客さまの声より

ミラクルな体験でした。予測だにしなかったこと。
まさに welcome to the new world でした!

(…)ワークを体験したことで、なにかこの世界に対しての核心のようなものを得ることができたと思いました。愛の雲に明晰さという光のスペクトルが限りなく広がっていく、まるで最後には荒野からその上空の雲海に舞い上がったような体験でした。これは自分にとって世界への確信的な自覚でもありました。まさに新世界。この意識経験は、世界に対しての絶対に信頼できる体験というか、これまでのそして今後の自分の人生のクサビというか、転換点になるような体験でした。

O・Hさん 男性40代

◆当フリー・ゲシュタルト・ワークスの特徴

 進化型ゲシュタルト療法 × 変性意識状態 →心理変容、創造性開発、意識拡張

 他団体と較べた場合の、当スペースの進化型ゲシュタルト療法の特徴は、単なるカウンセリング的な弛緩作用だけでなく、クライアントの方のより肯定的な自己実現、変容体験、意識拡張、創造性開発の技法として方法論を構築している点です。

 また、理論・原理・技術面でのきっちりとした方法論が存在していることです。世間によくあるカウンセリング的な曖昧な理解(ちなみに古典的なゲシュタルト療法の理論も相当曖昧なものです)で終わらないようにしている点です。さまざまな周辺の文化的知見を総合して、方法論的に再構築している点です。そのため、クライアントの方のその後の実際的使用が、理解をともなう実践的なものとなっている点です。

 また、ケン・ウィルバー的なトランスパーソナル心理学までも射程に含んだ、ゲシュタルト療法だといえる点です。クライアントの方自身が、セッション中に、そのような豊かで超越的な意識拡張的体験に入っていくことをサポートできる点です(これは筆者がもつ実体験からできる点でもあります)。

 そのような意味合いにおいて見ると、現在、日本で行なわれているゲシュタルト療法の多くは、カウンセリングの亜流的な形態となっています。過去の出来事の清算や、未完了の体験の完了といった古典的な心理カウンセリングのレベルに終始しているともいえます。
 それは、心理的苦痛・不調というマイナス・レベル(-レベル)の要素を、ゼロ・レベル(0レベル)にまで戻そうとする作業です。しかしながら、そのような見立てでは「マイナスからゼロ・レベル(-→0)」へ持ち直すことさえ満足にはできないのです。
 喩えていうと、ボールを投げて、高さ100mの地点に届かすには、高さ120mの地点に届かすくらいのエネルギー(余裕あるパワー)が実際は必要なわけです。最初から100m先を目指して投げても届きません。心も一緒です。最初からゼロ地点までの回復をいっぱいいっぱいで目指すエネルギーでは、ゼロ地点(100m)にさえ回復させることはできないのです。見立ての時点で、かえって、人間の持つ無際限な潜在能力に制限的・抑圧的な影響を与えてしまうことにもなるのです。

 また、ネガティブ(否定的・消極的)なものばかりに焦点化していても、それは本当の癒しにはならないのです。また、そのような限定的なアプローチは、長くやっているとしばしば、その場での「緩和・弛緩・カタルシス」以上の効果をもたらさないということにもなるのです。「全体的な構造」の変容を生み出さないからです。これは、古典的なゲシュタルト療法にかぎらず、多くの近代主義的な心理療法が抱えている問題でもあります。それが「効かない心理療法」をつくっている要因ともいえます。

 一方、当スペースでは、ゼロ・レベルまでの健康回復ではなく、人間の基底にある自己超越性や、本来拡張されている基盤的意識というものを中心に、その実現を考えています。なぜなら、それが私たちの存在の本性(潜在能力)であり、実際的にも大きな変容と効果を生み出すポイントでもあるからです。それはいわゆるトランスパーソナル的(超個的)な体験領域と関わる要素ですが、単なる理論(理想像)ではなく、実践的なセッションの中で確認された事実として、当スペースでは位置づけられているのです。それらは過去の多数のセッションで確認された事柄であるとともに、筆者自身の実際の変容体験から裏づけられたことでもあるのです。その点が、当スペースが、他に較べて効果を生み出しやすいセッション・スペースとなっている理由でもあるのです。そのため、他のゲシュタルト療法の団体で限界を感じた方にもご利用いただける形となっているのです。

 以上、さまざまな点が、かぎりない能力開発・創造性開発として、ゲシュタルト療法&変性意識状態(ASC)を方法論としてご提供している当スペースの特徴となります。
 ぜひ一度、お試しいただき、人生の新しい可能性を実体験してみていただければと思います。




セッション内容、料金等については
「メニュー/コース/料金」

効果と成果については
セッションで得られる効果と成果

実際に行なうセッションのイメージについては以下をご参考下さい。
「セッション(ワーク)の実際」

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【ブックガイド】

ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

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使命 Mission
フリー・ゲシュタルト・ワークスは
変性意識やゲシュタルト療法をはじめとした、
遊戯的、表現的、療法的な、変容と超越の技法を通じて、
個人が、多次元的な意識、本来的なヴィジョンや愛情、尽きない創造力を、
自由に、探求的に、自然に、十全に、
生きられるようになることを、目的としています。

       


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こんにちは 
フリー・ゲシュタルト・ワークスのサイトへようこそ!
当サイトにたどり着かれたあなたは、とても〈感度〉の高い方と思われます。また、とても〈運〉を持っている方でしょう。
当スペースでは、世間で信じられている「人生ゲーム」から抜け出し、この人生を彩り豊かに拡張していくための具体的な方法論、超越の技法、生きるアートをご提供しています。
ぜひ、サイト・コンテンツやセッションをお役立ていただければと思います。
(他にこのようなサイトもないので、ブックマークをおすすめいたします)


【内容の目次】

  1. 当スペースの方法論―ゲシュタルト療法&変性意識状態(ASC)
  2. 頭で(知的に)わかっていても、人生は変えられない
  3. 心が変わる=アウトプットが変わる=世界が変わる
  4. 【コラム】ビジネスとマインドフルネス
  5. 当スペースの方法論2 コンテンツの位置づけ
  6. ゲシュタルト療法と変性意識状態(ASC)の統合的活用法
  7. 次のような方にお役に立ちします
  8. 当スペースで得られるもの
  9. 各種案内

【1】当スペースの方法論――ゲシュタルト療法&変性意識状態(ASC)

当スペースは、かぎりない潜在能力を活かすための心理学(変性意識状態ゲシュタルト療法トランスパーソナル心理学などの各種心理療法)をベースに、

  • ほしい未来や状態の実現、目標/目的の達成
  • 卓越したパフォーマンスの発揮(発現)
  • 並外れたアウトプットの具現化
  • 自信や意欲の向上、自己肯定感のアップ
  • まわりの人々(他者)への影響力の増大
  • 人間関係の悩みや葛藤解決、過去の囚われからの解放
  • 才能と独創性(天才性)の発掘/発揮
  • アウェアネス(awareness 気づき)とマインドフルネスの向上
  • 意識と知覚の拡大、覚醒 awakeness 状態の実現
  • 既存の自己(世界)からの超越と変容
  • 自己実現と至高体験 peak-experience の達成

などが得られる専門スクールとなっています。

そのための潜在意識活用、能力&創造性開発のマインド・コンサルティング・スペース(セラピー&カウンセリング・スペース、コーチング・スペース)です。
さまざまなビジネスやアート、創造活動を行なっていられる方は、アウトプット(成果、作品)や能力発揮の中でより優れた結果が出せるようになるでしょう。

また、すでに心理カウンセリング、セラピー、コーチング、NLPその他のテクニックを実践されたり、学ばれている方にとっては、当スペースのスキルを得ることで能力アップに加えて、他社と差別化された決定的な違い(本物の技/魔法)を手に入れられるでしょう。
心理カウンセラー資格や、コーチング、NLPの資格などを色々とってみたけれど、なぜか本物の感覚が身につかないと感じられている方、付け焼き刃ではない本当の技、一線を越えた紛れもない腕の感覚(確信・自信)が欲しいと感じられている方にとっては当スペースで、本物の力を得ていただくことができます。本物の基礎能力、一生役に立つ普遍的なスキルが得られることとなるのです。
また、現在は特に何かを学ばれていないという方や、方向性を模索している方にとっても、基礎からセラピーや能力開発・創造性開発の技法を学んでいただくことができます。そして、心身の基盤からの能力向上やご自身の人生の変容、大いなる自己実現への道を得ていくことができることになっています。
そして、さらにはまた、世間がボンヤリと「悟り」だとか「覚醒」だとか呼んでいる真に拡張された意識状態(超越的な意識)に対しても、より明確なステップで接近いただけることができるようになっています。それは意識状態の変移として存在しているからです。

どのような事柄を望まれる方にとっても、他では得られない形での「ホンモノのルート」がありますので、ぜひ、ご期待いただければと思います。

▼効果と心理変容の方程式

①変性意識活用(日常意識+潜在意識の交流、超越的技法)
   +
②進化型のゲシュタルト療法
 (ゲシュタルト療法+トランスパーソナルな基底意識 awareness の利用)+プロセス指向

   =
 心身の深い癒し・深い心理的統合・大きな心理的変容
 意識・身体・能力の恒常的な拡張状態

 超越的意識の活用 (心理学的シャーマニズム)
 「流れる虹のマインドフルネス」(開放された真の存在状態)

当スペースの方法論は、
①潜在意識をより活用できる心の状態である変性意識状態(ASC)の利用、その延長にある超越の技法」
②心を変化させる実践的な「心理療法(ゲシュタルト療法、トランスパーソナル心理学など)の活用」
が基本となっています。
(変性意識状態とは簡単にいうと日常意識と潜在意識とが融解した特殊で可能性にみちた意識状態です)

 このような心理療法的技術によって、人間の根っこにある能力書き換えて、向上させてしまうことができるのです。そのことが世間一般では、なぜあまり知られていないのかというと、単に、その方法論(流派)の限界や、単に技量(腕)がないからだけということでもあります。しかし、深められた心理療法的技術によって、私たちは過去の自分から解き放たれ、能力・才能の質を(また性格そのものを)、根本的なレベルから変えることが可能なのです。なぜなら、深い潜在意識につながることで、私たち人間の心の底には「無尽蔵の潜在意識(能力)の世界」がひろがるからなのです。そのことを、当スペースは、さまざまな事例や実体験(多様な変性意識体験など)からお約束することができるのです。
【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、
『ゲシュタルト療法ガイドブック 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。
また、私たち人間の潜在意識に秘められた途方もないパワーや意識の多元性については、筆者の実体験事例も踏まえた拙著、
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
また、変性意識のより深い変容世界をまとめた、
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧いただけると幸いです。

【2】頭で(知的に)わかっていても、人生は変えられない

 ところで、世の中には、多くの成功哲学や学習法、コーチングやNLPなどがあります。しかし、そのようなことに取り組んでも、実際にはなかなか効果を出せないという事実があります。その理由は、それらの方法論が本当の意味での「心理学」(※)に足りていない部分があるためといえます。センスのいい人は、なにか「深さ」に欠けるなぁと物足りなさを感じてしまうものです。それらは、真に実存的な心(意識・思考・感情・記憶・身体の総体)の本質についての理解が足りていないからです。

 多くの方法論は、心の表面的で、日常的・思考的・言語的・意識的な部分に、フォーカスが当てられており、心の深層の部分、基盤的な感情プログラムの部分にまでリーチ(サポート、介入)が届いていかない形になっています。ところが、頭で(知的に)考えただけの理論や、その気になるだけのような動機づけ手法では、残念ながら、私たちの深い潜在意識を活性化したり、変えたり、深い意欲を引き出したりすることは不可能なのです。私たちは感情によって生きているからです。

 その結果、多くの人が、或る方法論に取り組んでも長続きせず挫折してしまいます。そして、また次の新しい方法論に飛びついてみては、また同じこと(挫折)を繰り返すという事態になってしまっているのです。そして、離れて見てみると、人生は一歩も前に進まないということになってしまっているのです。

 一番肝心なことは、物事をうまく行なえない心の状態を深く理解し、障害となっているもの(心の状態)を丁寧に取り除き(統合し)、心のプログラムの変容させながら、能力をより引き出せる状態に変えることです。それが結局は一番の早道となります。
 よくあるコーチングやNLPなどは、「底が浅いなぁ」「無理やり盛り上げようとしてるなぁ」「本当の問題を避けようとしているなぁ」と違和感を感じられている方は、すでに物事の本質に近づいていると思われます。また、通常のお話を聞いてもらうだけのカウンセリングなどに、心に働きかける要素(具体的な介入技法)がないと不足感(不満)を感じられている方にもご理解いただける事態かと思われます。
(※古典的な心理学や心理療法にも、実は問題や限界も多いのですが、ここでは一旦、脇に置いておきましょう)
【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図

▼変わるための具体的な技法=技術=方法論 思考ではない、存在 Being の技法 = 一生役に立つ技法

 そのために、当スペースではスタンダードな心理療法変性意識のアプローチを使い、クライアントの方ご自身に深い潜在能力とつながっていただく中で、心を癒したり、制限を解いたり、創造力をより解放する能力を得ていただくことを方法論としています。正統な心理療法であるゲシュタルト療法ベースの方法論であり、さらにそれを補い、超えるアプローチを当スペースは多々持っているため、人生のどんな場面においても一生役に立つ創造性開発の方法論となっているのです。

 その取り組み過程を通じて、クライアントの方の中で、潜在能力(意欲、直観力、創造力、アイディア、霊感)や、生きる力(底力)が、より引き出しやすくなってくるのです。
 そのような豊かな心(意識)の状態に慣れてくると、私たちはより進化した「意識拡大の感覚」「変性意識の感覚」がつかめてくることになってきます。自分自身を止めていたこだわりが次々と溶けていき、まるで自分自身がバージョン・アップ(パワー・アップ)したかのように、気分が楽になり、並外れた行動力や創造力も発揮されてくるのです。自分の内側からインスピレーションや発想が豊かに湧いてくる状態が得られるようになってくるのです。たとえば、アスリートの世界で知られるゾーン ZONE と呼ばれる特殊な集中状態(心理学でいうフロー体験)などもより起こりやすくなってくるのです。そして、ご自身の中に、確固たる自信や確信、核となる肚の力、頑とした存在力 Being が育ってくることになるのです。

【3】心が変わる=アウトプットが変わる=世界が変わる

 そうなってくると、実際的に、生活のさまざまな場面・領域において、並外れて頭抜けたアウトプット(成果)や、目覚ましい目標達成も行なえるようになってくるのです。さらには、そのような、ご自身のスキル(変容)をもとにして、他の人々に影響を与えたり、サポートを行なっていくことも可能となってくるのです。ご自身の中に、核となる Beingの力(存在力)が育ってきたからです。他人に本当の(真の)影響を与えられるのは、このようなBeingの力(存在力)だけです。口先だけのサポートなどでは、相手にこちらのレベルなど見抜かれてしまいますし、相手を動かすことなどできないのです。当スペースではそのような相手に伝わる、核となるBeingの力が育ってくることになるのです。それが、当スペースがご案内する〈流れる虹のマインドフルネス〉という世界(存在状態)なのです。

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コチラ

4.【コラム】ビジネスとマインドフルネス

 山口周さんの評判になった『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』(光文社新書)の中に、次のような一節があります。

「現在、多くの企業でマインドフルネスに関するトレーニングが行われていますが、これはセルフアウェアネス=自己認識の重要性が認識されてきているからです。ビジネスを率いるリーダーを育成する、というのがビジネススクールの目的ですが、では今日求められるリーダーの素養として、もっとも重要度の高いものは、なんでしょうか?コーン・フェリー・ヘイグループは、全世界で実施しているリーダーシップアセスメントの結果から、変化の激しい状況でも継続的に成果を出し続けるリーダーが共通して示すパーソナリティとして、この「セルフアウェアネス=自己認識」の能力が非常に高いということを発見しました。セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。現在、多くの教育機関・研究機関でも、セルフアウェアネスの重要性は高まっており、例えばスタンフォード・ビジネススクールでは、教授陣が構成する評議会において、「これからのビジネスリーダーの素養として、最も重要な要素とは何か」というテーマで議論したところ、満場一致で「それはセルフアウェアネスである」という結論に至っています。(中略)そしていま、世界中で最も難易度の高い問題に取り組む人たちにとって、最も重要な資質は「セルフアウェアネス」であると考えられており、この「セルフアウェアネス」を高めるためのトレーニングとして、瞑想を中心としたマインドフルネスへの取り組みが世界中で進んでいるのです」(前掲書)

 さて、「セルフアウェアネス self awareness」の概念は、日本の一般社会ではあまり馴染がありませんが、専門家の一部などでは「自己覚知」などとして、昔から知られていた概念ではありました。仕事で他者の内面に深く関わるには、前提として、自分自らが自己の内面や深層に潜むものに「あらかじめ気づきを持っていること」が必要だからです。そうでないと、相手との感情的な関係性(転移/逆転移など)に巻き込まれてしまうからです。

ちなみに、欧米社会で、ビジネス面でも、このような自分の存在(自己存在)を対象化する「気づき awareness」のテーマが現れやすいのは、appleの故スティーブ・ジョブズに典型的に見られるように、欧米では、60年代にカウンターカルチャーやサイケデリック(意識拡張)・ムーブメント禅や瞑想、先進的な心理学(ゲシュタルト療法、エンカウンター・グループ、商業セミナー)の流行があったという背景があります。そこで、多くの人々が、「気づき awareness の重要性」に気づくというチャンスを得たのでした。それは、現在のマインドフルネスの流行までの一貫した流れでもあるのです。

 このことは、「セルフアウェアネス(自己覚知)」「気づくこと」「心をあつかうこと」を避けようとしがちな日本人が、現在、世界で直面している行き詰まり状況を考える上で、とても示唆に富む事柄であるといえるのではないでしょうか? 現状を打破するために、今まで行なってきたこと(気づきの回避)が何であったのかを真摯に検証し、今までとは違う別の何かをすることが必要なことは明らかだからです。

 そのため、当スペースでは、変性意識状態(ASC)やアウェアネス、マインドフルネス、心理的変容など、特に日本で一般の認知度の低く、かつ重要度と効果の高い事柄をテーマとして取り扱っているというわけなのです。
日本のNLP(神経言語プログラミング)はなぜ退屈なのか
サイケデリック体験とチベットの死者の書
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から

 ところで、アウェアネス awarenessとは、「気づき」という意味ですが、この「気づき」というものは、自分の持っている既存の型=パターンに当てはめて、対象をとらえ整理する、通常の「思考」や「認識」とは違います。ここがまず理解されていない点でもあります。
自分自身の体験全体(自分も含めて)を、一段階高いメタ(上位)レベルから(あたかも自分の外から)一挙に全体的にとらえる作用が、気づき awarenessというものの作用です。
最近「メタ認知」という言葉が使われますが、それも単なる客観視であり、思考の延長であり、「気づき」ではありません。「気づき」とは、主客を超えたもっと飛躍的・全体的なものなのです。

 当スペースのゲシュタルト・アプローチ(進化形のゲシュタルト療法)の中では、この気づき awareness、変性意識状態(ASC)をさまざまに駆使することを通して、その結果としての心理変容を通して、そのマインドフルネス、自己覚知のスキルを確実速やかに育てていくことができるのです。

▼フリーゲシュタルト 図解ギャラリー

▼【図解】心の階層構造と、各方法論の見取り図

 ↑適用領域の大幅広さと深さが、当スペースの特徴です。

【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図

▼当スペースで獲得いただけるスキル

生涯役に立つ創造性のスキルです

メニュー/コース/料金

心の3つの力が育ちます。その結果、創造力が大きく高まります

当フリー・ゲシュタルト・ワークスについて

▼セッションで得られる効果

自信の欠落や葛藤感がなくなり、力強い意欲とエネルギーが生まれます
アイディアや発想が、イメージ豊かに流れ出します。

セッションで得られる効果と成果

心の基礎の部分がきっちり育ちます
心身のすべてで、解放と能力の向上を感じていただけます
まわりの人々に対して、さまざまな効果的なサポートができるようになります

セッションで得られる効果と成果

当スペースの方法論 その2 サイト内の区分



【5】 当スペースの方法論その2

当サイトのコンテンツは、以下のPART区分で構成されています。


【PART1 Basic】 ゲシュタルト療法
【PART2 Standard】 それ以外のコンテンツ〔気づきと変性意識の技法〕

  当スペースの実践上は、ゲシュタルト療法と変性意識状態(ASC)の技法は、統合的・融合的に存在していますが、サイトでは解説の都合上、PART1「ゲシュタルト療法」とPART2「変性意識状態(ASC)その他」と構成で解説しています。PART3はより進化したレベルでの応用展開となります。その内容は、詳しくは拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』等をご覧ください。

 PART1の「ゲシュタルト療法」によって、私たちは、通常の現代日本社会では想像できないほどのレベルで、心身の健康な解放を創り出すことができます。 心の葛藤やブレーキをなくして、開放的な気分、自信と自己肯定感、エネルギーに満ちた、とらわれのない自由な心がつくられていきます。この一種、超健康状態は、そのさきの真の自己実現 self-actualizationを準備する素晴らしい解放・統合状態となります。

▼「ゲシュタルト療法」から、その先の「トランスパーソナル的状態」へ


 トランスパーソナル心理学(最近はインテグラル理論で有名ですが)の理論家ケン・ウィルバーなども指摘するように、ゲシュタルト療法での体験が充分に深められ、心身が目覚ましく解放・統合されていくと、より進化した心身状態(超越的な意識状態)がごく自然に現れてくることになります。個人の人格的制限を超えたトランスパーソナル(超個的/超人格的)な領域の登場です。この領域に関しては、通常の科学的心理学を乗り越える、さまざまな事例が存在しています。
 トランスパーソナル(超個的/超人格的)とは聞きなれない言葉ですが、このトランスパーソナル(超個的/超人格的)という概念は、「自己実現」「欲求の五段階説」で有名な心理学者A・マズローが晩年、「自己実現」を超えた「自己超越」状態というものが、人間の成熟(統合)として存在しているという確信(検証)の元に打ち出したものでもあるのです(彼がその学会を設立しました)。

 つまりは、ウィルバーが指摘するように、ゲシュタルト療法などで心身を統合していく中で、その先の超越的な状態がだんだんと花開いてくるのです。そして、当スペースではさらに意識的に、ゲシュタルト療法と変性意識状態(ASC)を融合させることで、他の能力開発技法にはない心身の変容や潜在意識の開発が実現されてくるのです。自分の中に、狭い「今までの自分」を超える超越的な感覚、トランスパーソナル(超個)な次元が開いてくるのです。

 ところで、(しばしば勘違いされますが)トランスパーソナル(超個的)な意識は、なにか恍惚として浮世離れした状態ではありません。それは空想的なものではありません。真のトランスパーソナル(超個的)な意識と通常の個人的な実存(意識)は排除しあうものではないのです。トランスパーソナル(超個的)な意識は、個的状態を透過しているのです。それらは重層的・多層的に重なり合って統合されているのです。つまりは併存しているのです。また併存することで、両者がより強度に生き生きしているのです。それが統合されたトランスパーソナル状態というものです。そのため、トランスパーソナル(超個的)な体験を深めれば深めるほど、それを統合すれば統合するほど、普段の私たちは、より「個人」としても生き生きとし、とらわれなく自由で、豊かな生き方をできるのです。

 つまりは、喩えると、自己の中に確固とした〈青空の通り道〉のようなものができてくるようなものです。自分でいながら、自分ではない〈本質的なもの〉に透過されているような状態です。
 その結果、私たちは人生で、優れたアウトプットの創出やさまざまな豊かな成果を生み出すことができるようになるのです。

 ところで、当スペースが、技法面でのベースに使っている「ゲシュタルト療法」とは、精神分析とゲシュタルト心理学、実存主義に由来を持ち、NLP(神経言語プログラミング)などの元にもなった体験的心理療法ですが、短期間に、大きな心理的変化・改善をつくり出す大変実践的な効果を持っています。

 また加えて、ゲシュタルト療法が、心理的プログラムを書き換えられる強力な技法である理由は、テクニックによっては、「変性意識状態(ASC)」という特殊な意識状態に人を導く独特な要素を持っている点にもあるのです。
 
 この点は、各ファシリテーターのテクニックやアプローチ方法によってさまざまに変化します。また、テクニックの使い分けで、さまざまな意識状態の調整が可能になっています。実は、この点は、ゲシュタルト療法家自身でさえ、よくわかっている人はほとんどいません。そのような状態把握の概念が、古典的なゲシュタルト療法の中には存在していないからです。それが、古典的なゲシュタルト療法の限界や問題ともいえる点です。それらは歴史的には、次世代の心理療法他によって、より明確にされていくことになるのです。

 そして、この点が、当スペースのゲシュタルト療法では、癒しが治癒効果が大きく、また、トランスパーソナル心理学的側面を強く持つ側面でもあるのです。変性意識状態(ASC)を理解できているか否かによって、効果が大きく変わってくるのです。

▼「変性意識状態(ASC)」がもつ潜在能力の覚醒

 さて、そして、当スペースのセッションが大きな変容効果を持つ理由は、実は「変性意識状態(ASC)」自体が、私たちの潜在意識の巨大な治癒力と創造力を引き出すという事実ととても関係しているのです。その状態が、私たちの自然治癒力や心の自律的調整能力を働きやすくする状態でもあるからです。

 私たちは、変性意識状態を通して、潜在意識にアクセスすることで、自身の底から、本来の治癒力と創造力を引き出すことができるのです。そのことで、私たちは、日常意識では接することのできない深層意識や潜在意識、自己の隠れた才能(天才性)を引き出すことができるのです。

 これが、当スペースの方法論(ゲシュタルト療法+変性意識=トランスパーソナル的なゲシュタルト療法)の、他に類例を見ない強力な効果の秘密でもあるのです。ただ、この方法論は、ムリヤリ頭で考えだしたものではないのです。長期間にわたるクライアントの方へのセッション体験や、筆者自身の変性意識体験、変容体験からごく自然に導かれたものでもあるのです。
 そして、その変容の原理(構造)を、あらためてよく観察してみると、世界中の伝統によく見られる「シャーマニズム」の構造や、神話学でいう「英雄の旅」モデル(映画『スター・ウォーズ』の元ネタとしても有名になった)と大変似たものでもあるのです。
 ですので、これらの変容構造は、近代的な心理学に局限されるものではなく、人類が長い期間にわたって経験し、検証してきた普遍的なモデルとも言いうるものなのです。

 また、「変性意識状態(ASC)」について一言加えると、これは、世間で「スピリチュアル(霊的)」と言われる事柄や「サイキック(超能力)」言われる事柄に、安易な信仰やオカルトではない形で、一定の構造的理解をもたらすことにもなる概念でもあります。そういう側面に、興味がある方にとっても、とても有効な面があるのです。

▼普通の人生では、決して得られない体験とスキル得られます

 さて、そのような「変性意識状態(ASC)の覚醒」や「潜在意識の活性化」「気づき awareness の深い体験」は、普段の日常生活の中では、決して経験することのない体験となっています。そのため、当スペースでは、普段の日常意識レベルをあつかうだけのコーチングやカウンセリングは違う、深い心理的変容や、創造力の爆発的開花などの目覚ましい実際的効果を得ることができるのです。
 心の制限をとりはらい、本来の自分の本当にやりたいことに思いっきり集中したい、楽しみながら、自分の深いところから自発的なすぐれた創造性を発揮したい、人生の目的と願望を成就したいと思われる方にとっては、最適なスペース(スクール)となっているのです。


【7】次のような方にお役に立ちします◆

▼フリー・ゲシュタルト・ワークスは、次のような方のお役に立ちます。

・人生で具現化したい目標(願望・夢)がある方
・人間を変える普遍的な方法論(スキル)を手に入れたい方
・自分の才能(天才性)・能力をより開花させたいと思われている方
・独創的なアウトプット(成果)を出したいと思われている方
・仕事のパフォーマンス・能力をもっと高めたいと思われている方
・自分の限界を超えたい、突破したいと思われている方
・自分には、もっと才能があるはずだと感じられている方
・もっと自信や確信を持ちたいと思われている方
・自己肯定感を高めたいと思われている方
・なかなか行動を起こせないと感じられている方

・自分をもっと変えていきたい、自己変革したいと思われている方
・自分には才能やスキルがないと思われている方
・今のまま(仕事、会社等)では、将来に不安がある方
・解決したい心の悩み(課題)がある方
・人間関係の苦しみをなくしたい、苦手な人にうまく対処したいと思われている方
・決めたことが実行できない、行動を先延ばしにしてしまうと感じられている方
・生きづらさを感じられている方
・もっと爆発的に、エネルギッシュに生きたいと感じられている方
・自分や宇宙の中の、未知の神秘的状態を探求したいと思われている方

 このような気持ちを持っている方は、当スペースで、人生を変えていく能力や方法論をきっと手にしていただけるでしょう。

【8】 当スペースで得られるもの

 当スペースがベースとして使っているゲシュタルト療法は、世界中で使われている古典的・正統的な心理療法のため、現代日本の世間一般によくある「その気になるだけ」の手法とは違う、心理的変法や心理プログラミングの書き換えを確実に起こすことが可能な方法論となっています。特に、心と肉体をひとつにとらえる心身一元論的なアプローチを用いるため、その効果も、物理的で直接的、エネルギッシュで確実なものとなっています。心身の筋肉的な緊張や硬直が解かれ、肉体が深い部分から弛緩し、解放され、リラックスしていきます。脳や肉体が、明瞭に変化しリフレッシュされます。心身の奥底から、新しいエネルギーとイマジネーションがひろがりはじめるのです。そのため、当スペースで、セッションを続けていくと、心身のしなやかな解放が進み、以下のような数々の事柄(心身状態の変容)が起こってくるのです。

・生きることが楽になり、楽しみが増える。
・苦痛や苦しみの感情が減る。
・セルフ・イメージが上がる。
・自信と自己肯定感が高まる。
・自分の中の感情的な雑音(ノイズ)が無くなる。
・まわり(他者)に感じていたわずらわしい事柄が気にならなくなる。
・自分の能力(底力)に信頼感が生まれる。
・新しい才能が予感され発掘される。
・心に余裕ができる。
・不要なこだわりがなくなる。
・内側の感情がなめらかに流れるようになる。
・過去の不快な出来事が気にならなくなり、むしろ肯定できるようになる。
・肉体がしなやかになり、からだが軽くなる。
・肉体がエネルギーを増す。
・高速で動けるようになる。
・存在に〈中心の感覚〉が生まれる。
・肚が据わる。
・自分がまとまりを持ち、力を組織化し方向づけられるようになる。

・「今ここに」生きている感じがする。
・「今ここに」泰然と安らっている感じがする。
・集中力や瞬時に焦点化する力が増す。

・自分の才能の再編集・再構成がなされる。
・より自己一致congruenceする。
・自分の気持ちをより素直に表現できるようになる。
・他者の心とじかにコンタクトでき、交われるようになる。
・より共感的になる。
・知覚力が拡大し、五感や六感が豊かになる。
・意識が拡大・拡張する。
・超越的な感覚が生まれる。

・未知の微細な情報をわかるようになる。
・快(快楽)をより強く感じるようになる。
・フロー体験が生まれやすくなる。
・行動を起こす際のハードルが低くなる。
・瞬時に行動できるようになる。
・並外れた積極性が出る。
・貫通するようなやり抜く力があまり
・目標(目的)を達成しやすくなる。
・ストレス耐性ができる。
・行動そのものが速度感を増す。
・冒険的なことができるようになる。
・遊び心やユーモアが増す。
・感受性が増し、自然や宇宙が美しく感じられる。
・想像やイメージが豊かになり、発想力が増す。
・愛の力が増し、開花する。
・変性意識状態(ASC)に容易に入れるようになる。
・自分の夢のメッセージが理解できるようになる。
・神秘的な出来事や体験に会いやすくなる。
・飛躍的なアイディアが出て来る。
・的確な表現力が増す。
・斬新で独創的なアウトプットが出せるようになる。
・「自分という存在」を相対化し、またその味わいがより深くなる。
・生きること自体が価値を持ち、楽しくなる。
・深い感情を生きられるようになる。
・直観力が鋭くなる。
・心が純粋さを増す。
・濃密に生きている実感を得られる。

 このように列挙しても、あまりイメージがつかないかもしれません。しかし、実際にセッションを体験し、その「構造的な原理」を理解していくと、このような事柄が起こって来ることは当然のことだとわかってくるのです。そして、ご自身の潜在能力の途方もないひろがりに、あらためて気づかれていかれることとなるのです。
 ぜひ実際にセッションを体験して、確かめてみて下さい。

【9】各種案内

具体的な効果と成果は、
「セッションで得られる効果と成果」

▼実際のセッションなど詳しい内容につきましては、ぜひお気軽にお問い合わせ下さい。
メニュー/コース/料金
お問い合わせ

▼当サイトの全体図は、こちらから
サイト案内


【ブックガイド】

全体についてはコチラ
著作案内

①ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
Amazomページ
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』

気づきと変性意識状態(ASC)については以下の拙著をご覧下さい。
②入門ガイド
…ビギナーの方にも分かる領域から、サイケデリック(意識拡張)領域まで、広く網羅しています。内容紹介↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

Amazomページ
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

③よりディープな世界を知りたい方は
…変性意識状態(ASC)な事例からトランスパーソナル(超個的)な領域まで含めた統合的実践の決定版です。内容紹介↓
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

Amazomページ
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

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