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トランスパーソナル心理学

変性意識状態(ASC)とは何か advanced編「統合すれば超越する」

さて、別のセクション「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、基礎編として、変性意識状態の基本事項や、その周辺事項について記しました。

ここでは、上級編として、さらに一歩進んで、では、
「変性意識状態を充分に深めていくと、何が起こるのか」
「変性意識状態を充分に深めていくと、本当には、どのような変容が可能なのか?」
「そのような本当の変容を実現するためには、何が必要なのか?」
「そのような状態を常態化し、人生の創造力とするには、何が必要なのか?」
について書いてみたいと思います。

これは、上級編ですので、基礎編の「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」の方が、よく理解されていることが前提となっています。よく熟読して、理解を深めていただければと思います。



【内容の目次】

  1. 変性意識状態(ASC)の諸相
  2. 軽度な変性意識状態
  3. 極度な変性意識状態
  4. 東洋的モデル(諸相)の示唆
  5. 統合すれば超越(超脱)する 超越的次元、トランスパーソナル(超個的)とは
  6. なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
  7. 真のコントロールに必要なもの 伝統的シャーマニズムの教え
  8. 行きて帰りし旅 ―英雄の旅、而今の山水

1.変性意識状態(ASC)の諸相

まず、一口に「変性意識状態」と言っても、変性意識状態(ASC)のタイプは非常に多岐にわたっています。大きく分けると、「軽度なもの」と「極度なもの」です。
変性意識は、日常意識との対比によって、定義されるものなので、別の言い方をすると、その変性意識状態に入った時に、「日常意識がどの程度残っているか」によって、「軽度なもの」と「極度なもの」を大別できるというわけです。当然、それは「どちらか」に截然と分けられるのではなく、段階やグラデーションとして、どっちにより近いかという相対的な区分となります。

 

2.軽度な変性意識状態

軽度の変性意識とは、この日常意識が、多く残っている状態です。その場合、私たちは、日常生活の延長として、変性意識を体験します。
例えば、酒に酔っぱらっている状態があります。軽く酩酊している場合もありますが、意識が失われるほど強く酔って、翌日何も覚えていないということもあります。
しかし、そのことによって、知覚される「リアリティ(現実感)」が変わってしまうということはありません。日常生活の延長として、変性意識状態を体験しているわけです。
「夢」は、普通に眠って見ている時は、夢を見ている実感はありません。日常の現実と思って体験しています。しかし、内容的には、相当に非現実的であったり、ぶっ飛んだあり得ない内容です。しかし、夢から覚めると「夢か…」と日常意識に普通に戻ります。リアリティ(現実感)が変わることはありません。
しかし、夢の中には不思議な力を持っていて、夢から覚めた後も、強い眩暈を持って、日常意識やリアリティ(現実感)に強い影響を持つものもあります。中には、リアリティを一変させてしまうものもあります。その場合は、強い変性意識と言えるものとなります。個々のさまざまな具体的事例によって、変性意識の強度というものはあるのです。

 

3.極度な変性意識状態(ASC)

ところで、変性意識状態の中には、そのような強い変性意識状態があります。
別に引いた哲学者ウィリアム・ジェイムズの有名な言葉を見てみましょう。

「…それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」

ジェイムズ『宗教的体験の諸相』桝田啓三郎訳(岩波書店) ※太字強調引用者

それでは(基礎編でも引用しましたが)、実際に少し、極度な変性意識状態の事例をいくつか見てみましょう。
以下は、或る精神科医が、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの中で、
自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長した体験の報告となります。

「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
 卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分化と新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)

次の人物は、同じくLSDの体験セッションの中で、もはや自分や生き物でさえなく、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。

「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)

 それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
 私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
 ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者)

これらは、ほんの一例ですが、サイケデリック・セッションとその研究の中では、このような不可思議な体験を数多くすることになります。
次の例は、人が死にかけた時に体験する、臨死体験(NDE)の報告事例です。この若い女性は交通事故に遭ったのです。

「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」

スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者

そして、このような極度な変性意識状態での感覚(リアリティ)と、この日常意識との「連絡をどうつけるか」が、さらにいうと「どう統合するか」が課題というわけです。
そして、それは実際のところ、そうなのです。
そして、そのような連絡や統合は可能であり、実は、長い人類の歴史の中で考察されてきたものなのです。
それを以下に見ていきたいと思います。

 

4.東洋的モデル(諸相)の示唆

さて、なぜジェイムズが、引用文の最後に「それは正常意識とは全然つながりがないからである」のような言葉を吐いたのか。それはとりわけ彼が近代のアメリカ人であったからという理由があります。近代西洋世界には、それを扱う世界や方法論はほとんどなかったからです。
実際、このような実践的な事柄を検討するのに当たっては、長い歴史の中、「東洋世界」で探求されていたさまざまな思想や方法論が大変参考となるのです。
ところで、奇妙なことですが、私たち現代日本人は東洋人なのですが、近代になって、軍事的・経済的な必要性から、「西洋近代主義」「西洋科学主義」に順応することで、この東洋的思想・実践の大部分を失ってしまっています。しかし、感性の部分では、まだそのあたりを理解する能力が多少残っています。ただ一方、日本人に多い、権威主義、順応主義、同調圧力のために、そういう側面を「抑圧/排除」することにもなっているのです。
ここでは、そのような東洋的な世界観を援用することで、どのようなアプローチが可能なのか見ていきましょう。

ところで、別でも取り上げている、トランスパーソナル心理学(現在はインテグラル心理学を名乗る)のケン・ウィルバーは、現代心理療法と東洋思想を統合(インテグラル)しようと試みた理論家です。
「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」

その際、彼が準拠しているのは「インド的なモデル」です。このモデルは、他の東洋諸国のものとほぼ同型であり、近似しているので、ここでは、それを例にとりあげて、仮説のひとつとして色々と検討してみたいと思います。

さて、上の1番目の図のような三区分を、ケン・ウィルバーは採用しているのですが、これは、インドでよく使われている区分です。
「粗大領域」「微細領域」「元因領域」と三つの次元があります。この先に、だいたい「究極/ワンネス」があります。

これは、実在領域の階層であり、物質的次元も、意識も、身体も、このような領域に分かれているということです。そして、相互に浸透しあっているということです。
私たちが、どの領域に、同一化(同調)しているかによって、体験される世界やその混合具合も違うということです。

各流派によって、細部は変わりますが、大きくは似たような区分となっています。「仏陀の三身(法身・報身・応身)」なども同系統の区分です。
図式に従えば、普通の私たち現代人が、「現実」だと信じ込んでいる世界は、すべて「粗大領域」の出来事です。
心の世界も、物理的現実も、すべて粗大領域です。
私たちの普通の日常意識は、すべて粗大領域です。
普通、私たちの大部分は皆、粗大領域だけを「現実」だと思い、粗大領域の中で一生を終えます。

しかし、ある種の変性意識状態の中では、実は、図のような「微細領域」「元因領域」を体験することがあるために、日常意識では、その実態をよくとらえることができないのです。
この日常意識を充分に解放し、溶解し、流動化し、変容させていくことで、私たちは「微細領域」等に触れたり、扱えるようになっていくのです。
(カルロス・カスタネダのいう「人間の形をなくす」という考えは、こういう領域の考え方と思われます)

まずはじめ、ここで論点としたいのは、まずは「微細(サトル)領域」です。
それは、この領域は、私たちにとっても、比較的なじみのある領域だからです。
なおかつ、まず「実際に体験されていく」のが、この領域だからです。
気功でいう〈気〉や、ヨガでいうプラーナなどが、微細領域の存在です。また、そこにある〈微細な意識〉です。その意識状態は、この私たちの粗大な意識ではありません。
東洋に限らず、世界中の宗教の中では、如来や精霊、天使たちの住んでいる次元の領域イメージとして、このような中間領域がよく語られています。
「微細(サトル)領域」それ自体も一様ではありません。非常に多様で多次元的であったりしているのです。だから、その形態や世界もさまざまなです。

しかし、この微細領域は、現在の西洋科学では検出されない領域です(チャレンジはされています)。そのため、科学的な意味では、厳密なことは何も言えません。
通俗的に安易に結び付けられる「量子論」も、粗大領域の世界なので、ここにはあてはまりません(そういう人の中にもまともな素養の人はいますが)。

そして、気功でいう〈気〉も、ヨガで身体を流れるプラーナも、科学的には検出されないエネルギーです。
体験している人には分かるけれど、計器では検知できないものとなっています。計器に引っかかるのは、「粗大領域」のものだからです。
そういう意味では、〈意識〉そのものと似てるともいえます。

しかし、真摯な探求者(修行者)の実践現場のレベルでは、これらの行を充分に修練習熟していくと、程度の差はあれ、そのエネルギーを実際に感じとれるようになっていき、傾向性や操作性もつかめるようになってきます。

ところで、(元々そのようなことを狙ったものでは全然なかったのですが)体験的心理療法や心身一元論的セラピー(ボディワーク・セラピー)では、日常生活では行なわないような、心身の深いレベルでの感情(エネルギー)をダイナミックに解放(放出/爆発)するということを繰り返していくので、通常の人々より、このようなエネルギーを体験しがちであるということが、わかってきました。その点、心身一元論的セラピーの開拓者W.ライヒが、西洋人にも関わらず、晩年に(検知されない)「オルゴン・エネルギー」について語り出したのは、象徴的な出来事ともいえるでしょう。そして、そのことが原因で「獄死」したのは、さらに二重の意味で、象徴的な出来事ともいえるのです。

実際のところ、深い心身のエネルギーが流動化し、解放されることで、知覚力が鋭敏になり、場合によって、微細なエネルギーを感知できるようになってしまうのです。
筆者の身の回りでも、体験的心理療法を熟練する中で、そういうものを感じとるようになったという人は数多くいます(筆者も最初は驚きましたが、あまりに普通に起こる現象なので、だんだんと受け入れ、慣れていきました)。
現場では「からだが開く」などと言ったりもしますが、知覚のチャンネルが開いてしまうのです。
そして、そういう「微細領域」の次元を実際に体験すると、人生はまったく違う多次元的な展望を持つようになるのです。

西洋人が、現代科学で検出されない、微細領域のエネルギーを本気で考えるようになったのは、広い意味では、西海岸の体験的心理療法の影響ともいえます。「実際にそれを感じとる人」が多く出てきてしまったからです。その結果、大学機関などでも、なんとかそのエネルギーを科学的に検出しようと奮闘したのでした。
ケン・ウィルバーは、ゲシュタルト療法のような、心身一元論的セラピーのことを、そのイメージから「ケンタウロス(半人半馬)」のセラピーと呼ぶのですが、上のような状況を次のように語ります。非常に
わかりずらい文章ですが、見てみましょう。最初のところは、心身一元論的セラピー(ケンタウロスのセラピー)が、いかに剝き出しの原初的な(野生の)感覚を覚ますかの指摘です。

「自我的、文化的な図式化の被覆を取り除かれた感覚意識そのものが、覚醒時の領域に衝撃的ともいうべき鮮明さと豊かさを持ち込んでくる。さらにここまでくると、感覚意識はもはやただの“植物的”ないし“動物的”なものでも、単に“有機的”なものでもなく、より高次の微細(サトル)エネルギーや超個的な諸エネルギーの流入した一種の超感覚的意識になってくる。
 この“超感覚的”意識は、多くのケンタウロス・セラピストによって報告されており(ロジャーズパールズほか)、ダイクマンによって論ぜられ、神秘的洞察の初期段階の一つとしても知られているものである(人がケンタウロスのレベルに上昇し、さらにそれを超越するにつれて現れる)。 (中略)
 実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影(シャドウ)のより高次の統合であるばかりでなく、同時に、さらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある(スタニスラフ・グロフの研究は、これを強力に裏づけるものであることに注意)。このことは、ケンタウロスの“超感覚的”モードについても、直観、志向性、ヴィジョン・イメージといったその認識プロセスについてもいえることである。それらはすべて、超越と統合を実現したより上位の領域の前ぶれにほかならない

ケン・ウィルバー『アートマン・プロジェクト』吉福伸逸他訳 (春秋社)
(※太字強調は引用者)


ところで、普段の私たちは、「どんよりした」「鈍重な」粗大領域にいるので、微細領域を知覚することができません。知覚力のフィルターが「目詰まり」していて、微細な情報を感じとることができないからです。

微細領域を真にとらえていく(統合していく)ためには、「鈍重な」粗大領域の心身を解放し、溶解し、練り上げ、流動化させ、純化させることが、真に必要なのです。
これら、さまざまな東洋的なアプローチが、心身の変容を狙う「行」の形式をとっている理由でもあります。

ところで、ジェイムズが話題にしたような極度な変性意識状態では、このような「微細領域」を体験するということが起こってしまうのです。そのため、「正常意識とは全然つながりがない」というような感想を持ってしまうというわけなのです。普通には、それら「微細領域」のものは、「鈍重な」粗大領域の意識からでは「全然つながりがない」ものなのです。

このような「リアリティ(現実性)」に関して付言すると、例えば、ユング心理学の流れにあるプロセスワークの創始者ミンデル博士(彼はMITで量子物理学を研究していて、途中でユング派に転向した人です)は、私たちが通常、常識的に「これが現実だ」と見なしている現実に対して、「合意的現実 consensus reality 」という言葉を与えています。
「合意的現実」とは、皆が「現実」と見なしている(合意している)ことによって「現実」となっている「現実」という意味合いです。
実際は、「現実」ではなく、「幻想」であるということです。いわゆる「共同幻想」というやつです。
実は、私たちの日常の「現実感」とは、基本的にはそのようなものなのです。
例えば、日本の現代社会では、一般に「科学的であること」を「現実であること」と思い込んでいますが、それは、学校教育によって作られた「合意された任意の現実(虚構)」ということです。そこで自明に「現実」とされているものは、「現代科学という合意的現実(虚構)」、さらには「科学的であることは現実的」という「幻想/信念体系(ビリーフ・システム)」に過ぎないということです。
また、現代日本人がそう考えがちなのは、真理への考察(探求)からではなく、「まわりの皆がそう言っているから」「エライ人がそう言っているから」「親にそう教えられたから」「学校でそう教えられたから」「ネットでそう言っているから」という、ボンヤリした権威や他者への迎合傾向という国民性に過ぎません。自分で深く感じとり、考え尽くしたからではありません。
海外に、各国民性を皮肉った笑い話があります。難破する大型船から、危険な救命ボートに、飛び乗らせるためのセリフです。アメリカ人に対しては「今、飛び移れば、あなたはヒーロー(英雄)になれますよ!」、イタリア人に対しては「今、飛び移れば、あなたは女性にモテますよ!」、日本人に対しては「他の方々も、みんなそうしてますよ!」という具合です(笑)。海外ではすでに見抜かれてしまっているわけです。
また、「宗教」「信仰」などの現実を考えれば、この「合意的現実(虚構)」がよくわかるできるでしょう。その「宗教(合意的現実)」の外側の人が、法外な献金額と見なす金額でも、その「宗教(合意的現実)」の中にいる人にとっては「普通の現実」です。何もおかしいことなどないのです。

特に「同調圧力」「空気」「権威主義」「横並び主義」の強い日本社会では、そのような広義の「政治的力」が「現実観」を深く強く規定しているのです。
精神科医のR.D.レインは「経験の政治学」とも呼びましたが、「個人的な体験(経験)」でさえ、そういう「内面的なレベルの政治/抑圧」によって価値が収奪/否定されてしまっているというわけなのです。このことは、極度な変性意識状態のようなデリケートな個人的体験を考察するにあたっては特に重要な事柄です。セッション現場では、クライアントの方の中から、このような個人的な変性意識体験についての、社会的価値に関する葛藤や苦悩がよく出てきます。「こんなことをいうと、頭がおかしいと思われるかもしれませんが…」とは、よくよく聞くセリフです。筆者にとっては、何もそんなことはない内容(変性意識事例)なのですが、「合意的現実」と合わないということで、そういう感情を抱いてしまうのです。
また付言すると、このような「内面的なレベルでの政治的抑圧」が、日本人の間から、まわりとは違う、飛躍的発明が出にくい理由でもあります。
そして、総じていうと、これらの現象は、哲学者ミシェル・フーコーのいう、「近代社会の『内面化』とは、統治権力の監獄監視の『内在化』である」という現象そのままであるということです。統治権力側(主流の既得権益者)は、家庭や学校の教育を通して、個々人の中に、「罪悪感」「自責感」「自己懲罰感」として、自分たちの価値観(価値感情)を埋め込んでおけば、コスパよく、自分たちの望むように大衆心理を操作できるという仕組みです。大衆に「私は自分自身で主体的にそれを選んで行なっている」という幻想/幻覚を植えつけることができるからです。それらは、幼少期の私たちにとっては、精神分析でいうところの「取り入れ/取り込み introjection」の作業となり、人格の中の確固とした一部となるのです。

5.統合すれば超越(超脱)する トランスパーソナル(超個的)とは 

さて、普段の「どんよりした」「鈍重な」粗大領域でできている私たちが、微細領域にあるものを充分つかまえるには、何が必要なのかについて見ていきたいと思います。
ところで今、「粗大領域でできている」と書きましたが、正確に原理を表現すると「粗大領域に同一化している」ということになります。
インド的・東洋的な観点においては、〈意識 consciousness〉が「粗大領域」に同一化(癒着/固着)してしまっているために、私たちは自分や世界を「粗大領域」だけのものだと思い込んでいるということになります。

ちなみに、この「意識」という言葉を、私たちが通常使っている意味での「意識」と解釈すると、少し意味が分からないでしょう。私たちが通常「意識」という時、この自分の自意識(西洋哲学でいえば現象学などが指すこの「意識」)だけを「意識」と呼んでいます。一方、インドの宗教哲学思想が指すこの「意識」とは、「ブラフマン(梵天/至高神)は、サッチダーナンダ(存在・意識・至福)である」という時に使われているような〈意識 consciousness〉です。つまり、万物に遍在していて、鉱物から植物、動物から人間、神々までに共通している「意識」を含めて、大きく〈意識 consciousness〉という言葉を使っているのです。また、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としていることでいえば、スタニスラフ・グロフ博士も同様なのです。彼がサイケデリック研究から得た結論では、〈意識 consciousness〉とはそういうものなのです。ですので、グロフ博士の本もそういう解釈で読めないと、少し意味が分からなくなっているのです。そのような点でいうと、そもそも「トランスパーソナル(超個的)」とは、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としているといえるのです。

「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、ラジオの喩えを出しましたが、「粗大領域」だけにチューニングが合っていて、他の放送局(微細領域)が聴けないという状態です。
7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング

よりインド的に言えば、シュリ・オーロビンドなどが「排他的同一化」と呼びますが、粗大領域による〈意識〉の占有的な事態です。
「それだけが自分だと思い込んで、感じている」状態です。その他の領域が感じとれなくなっているという状態なわけです。
(このオーロビンドの言葉は、ウィルバーなども借用してよく使っています)

逆に言えば、「排他的同一化」を止めて、「排他的」ではなく、他の(微細領域の)帯域も、非排他的に、同時に同一化できると、私たちの〈意識〉は、粗大領域と微細領域を統合的に自己自身(主体)とすることができるということなのです。
実際的(実感的)には、「粗大領域(の自己/心身)」への同一化から離脱して(脱同一化して)、「微細領域(の自己/微細身)」への同一化が起こる感覚です。
「微細領域(の自己/微細身)」は、「粗大領域(の自己/心身)」の狭い時空に縛られていませんので、そうなると、自己は、溶解的に、爆発的に拡張し、「流れる虹のような時空」が現れてくるのです。チベット密教の「タンカ」などに描かれているような、(報身のいるような)無辺のまばゆいひろがりのある世界です。
多層的に〈意識〉や心身状態が拡大したという感覚になります。
そして、さらに付言すると、その先に「元因領域」というものがあります。
ここは、形なきもの、無形なものの世界(非時空)であり、「微細領域」の有形さが止滅した、無形の世界です。
もはや「私ではない誰か」が視ている、「私ではない誰か」として視ている「目撃者 witness」の世界です。
ここでは、私たちを妨げるものは、何もありません。通常の意味での「私」もいません。
ただ、無形なものの果てしないひろがりだけがあります。
(ウィルバーはここにようやく「スピリット」という言葉を当てはめています)
そして、さらにその先に、「究極/ノンデュアリティー(非二元)/ワンネス」があるというわけなのです。
視るものと視られるものの間の消滅です。二元性の消滅です。
手袋を裏返しても、それはもうひとつの手袋なのです。
そして、実は、裏も表もないのです。

オーロビンドやウィルバーがいう「統合」(多元的統合)とは、実はそのような領域を含んだ事態(垂直的統合)を指しているのです。
「流れる虹のマインドフルネス」においては、そのような多元的統合がなされてくるのです。
そのような世界(時空)体験は、偶然的体験(現象)としては、「臨死体験 Near Death Experience 」や「体外離脱体験 Out-of-body experience 」などでは非常によく報告されている状態です。
このような構造がわかると、さきに引用した臨死体験事例の意味(構造)もわかってくることとなるのです。

「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」

スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者

「究極」の世界は、俗に「ワンネス」「ノンデュアリティ―(非二元)」などと言われますが、真の主体は、「無境界」、他のものと区別がない、宇宙そのものであるという透過的浸透的事態です。また、禅では「無分別の智」と言ったりもしますが、東洋思想では、古来より「悟り」的なものとして語られていた境地とも言えるのです。
前段までの流れでいえば、統合とは、このような状態が、自我的・心身的領域と、垂直的に統合されることが、真の「統合」であるということです。

しかしながら、上に引用した「臨死体験」のように、超越的状態が、偶然的・突発的に体験されてしまった場合は、これらの強烈な体験を心理的に「統合」するのに苦慮して、その後、逆に、生きづらさを抱えてしまうという場合も多いのです。 

そしてまた、伝統的な教えが、これもまたよく言うのは、そのような「悟り」「ワンネス」とはデフォルトの状態、本来は元々「はじめからある状態である」ということです。
伝統的には、「はじめから何も失われていない」とよくいうのです。

さて、では逆に、なぜ、小さな「仮面」的自我に、「排他的同一化すること」が私たちに起きるのでしょうか?
これは、「粗大領域の自我」の抑圧/分裂構造に、その由来があるのです。
感情的な葛藤や執着があると、そのものから自由になれないという事態は、直観的に理解できると思います。
諸々の粗大領域の事柄に、感情的に執着/固着/愛着しているために、私たちは、粗大領域への排他的同一化を止めることができないのです。
と言っても、普通の現代人は、皆、抑圧/分裂構造にあるのです(よほど心理療法をやった人以外は)。

私たちが、普通、この人生で悩んだり、目標にしている事柄(人間関係、金銭関係他)は、みな粗大領域の事柄です。
そして、これらは、抑圧/分裂による「心理的投影」によって起こっているのです。
そのため、まず対処すべきは、実は、微細領域ではなく、粗大領域そのものであるということなのです。

そういう意味では、これは心理療法のテーマと完全に重なるテーマでもあるのです。
これが、ウィルバーの指摘の歴史的な意味でもあるのです。

そして、実はここが一番、実践上は、重要なポイントでもあるのです。

別に、ウィルバーの「意識のスペクトル」論について記しましたので、ご参照ください。
「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」

つまり、このモデルの構造自体は、とりたてて新しいことを言っているのではなく、伝統的なことを言っています。この図の新しさは、西洋の心理療法の方法論と結合させて語ったことです。
このモデルが示唆しているのは、現代社会を生きている「普段の私たち」というものは、「大いなる統合(宇宙的統合)」の観点から見ると、局限化された、抑圧と分裂の結果でしかないということです。
もっというと、近代社会そのものが、そのような抑圧と分裂の社会であるということなのです。

そして、これが、私たちが、粗大領域への「排他的同一化」「癒着/固着」を止められない理由ともなっているのです。
そのため、まずは、抑圧の解放と分裂の統合が必要なことなのです。
そして、「鈍重な」粗大領域を滑らかに流動化させ、排他的同一化を超脱することが、微細領域に真に触れ、真に統合するのには一番必要なことなのです。

統合が進むと、粗大領域な鈍重さを超越し、微細領域に適応した微細さや非時空的な自由さ、精妙さを手に入れることができるようになるのです。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

一方、「鈍重な」粗大領域に主に同一化したままで、微細領域を体験するということも、たまに起こったりします。
ドラッグなどの体験がそれです。しかし、それらは真の解放や統合を起こしません。むしろ、分裂と葛藤を引き起こしてしまうのです。むしろ、(後述しますが)安い魔境に落ちしまうのです。
このあたりも典型的なパターンになっており、ラム・ダス(リチャード・アルパート)の『ビー・ヒア・ナウ』などがそれを典型的に語る物語となっています(ラム・ダスは、元ハーバード大学の教授で、ティモシー・リアリーらとともに、サイケデリック体験の効果を喧伝した初期のメンバーです)。
また、そのことが、大きな問題となってしまう場合もあります。
そのことの意味合いを次に見てみましょう。

6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い

実践的な問題でいうと、近似したテーマが、ケン・ウィルバーによって、初期(1970年代)から指摘され、語られていました。
超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の区別というテーマです。
ウィルバーの図(絵/二次元)で見ると、「微細領域」というものは、通常の「心身領域」(粗大領域)よりも上の位置に置かれているので、それ自体が、「高レベル」「高次のもの」であるかのような印象を与えてしまいます。
しかし、「微細領域」自体は、単なる存在の領域-次元に過ぎないので、(たしかに体験すれば、当然、ケタ違いに多様で深遠な開放状態を体験できますが)それを体験したから価値があるとか、高次であるとか、それだけに価値あるとかという単純な意味でもないのです。偶然的にも、体験できるものですので。
下位レベルのものが、充分に「統合」された時に、次に「統合」されるべき領域として図示されているだけです。
さらなる「統合」の対象となった時、統合が実現された時、それは、「拡張された/より深遠な帯域」として価値を持ってくるということなのです。
そして、ケン・ウィルバーのモデルでいえば、「真の統合」とは、どれかのレベルだけに価値を持たせているというのではありません。
上から下まで(上位から下位まで)すべてのレベルがそれぞれの機能を充分に果たしている上に(左右の水平レベルで統合されている上に)、かつ、上から下まですべてのレベルが縦に「垂直統合」されている状態が、真の統合状態である、ということなのです。
その時、はじめから、上位のものは、下位の領域まで、浸透/透過していたことに気づくのです。
どこに探しに行く必要もなかったのです。
もともと、今ここまで、上位の開放は浸透/透過していたのです。

実際、「微細領域」自体は、下位レベルの「粗大領域」が統合されていなくとも、それが分裂したままでも、いくらでも体験することができます。さきのドラッグの問題がそうです。
この状態が、「前個(プレパーソナル)」の問題として現れてきます。
ただ単に、「粗大領域」が統合されていないというのなら、それは単なる心理的分裂や抑圧があるという状態に過ぎません。私たちの多くが、普通そのようにして生きています。
しかし一方、心理的分裂や抑圧を抱えたまま、「微細領域」を体験したりして、それらに過度に同一化してしまい、勘違いをしてしまうと、昔、ユングが「自我肥大」と呼んだような、病理的だったり、幼稚だったりする奇妙な心理状態になってしまうということがあります。
禅では、「魔境」として、昔からそのような修行中の落とし穴について、厳しく戒められていました。激しい修行をしていると、光が見えるとか、仏が見えるとかは普通に起こることで特別なことでも何でもない。そういうことにいちいち気をとられないで、修行を突き詰めろというわけです。そういう現象に気をとられて、勘違いしたりすること、脇道に逸れてしまうことを「魔境」と呼んだわけです。
昔の精神病院にも、「私はキリスト(神)である」「本当は、私は○○(歴史上の偉人)である」という人が沢山いたと言います。これはカルトの問題も同様です。

つまり、真にトランスパーソナル(超個)な状態の「価値」というものは、粗大領域のパーソナル(人格)の統合が充分になされた後に、実現されてくる(活かされてくる)ということです。
パーソナル(人格)の統合がなされる以前(プレ)の状態で、「微細領域」を体験しても、それを充分に自己のものとして真に統合することはできないということです。むしろ、本人に勘違いや錯覚が起きて、エゴだけが増大する「自我肥大」や、病理的・幼稚な現れ方をしてしまうということなのです。
これが、超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いということになります。

なぜ、ケン・ウィルバーが、このようなテーマに焦点化したのかというと、理論的な精度という意味合いもありますが、ご時勢として、当時(1970年代前半)のアメリカは、世の中的に「ニューエイジ思想」の黎明期だったからでした。
巷には、チャネリングや、幼稚な前個(プレパーソナル)的なものが溢れており、そういう幼稚なものと、真に超個(トランスパーソナル)的なものを、明確に峻別する必要があったからです。
そして、そのような流行が劣化して、その劣化コピー版が、さらに二周三周と周回遅れで入ってきている現代日本において、世のスピリチュアル系と言われるものの多くが、幼稚であったり自己欺瞞的であったりしているのは、そのような理由からなのです。
著名なサイキック・ヒーラーであるバーバラ・ブレナンの言葉を見てみましょう。

「ある女性の事例を挙げましょう。彼女は社会性に乏しく、自分のことも疎かになっており、スピリチュアルガイドと名乗る複数の存在を引き寄せていました。彼女は「ついにガイドが現れた!」と大喜びでセッションに来ましたが、私が見たところ、彼らはダークで形もしっかりしておらず、騙そうというネガティブな意図がありました。私は彼女の現実認識の乏しさが気がかりになり、このダークな存在たちを光に送った後で状況を説明しました。それから、心霊現象の話を抜きにした「普通の」セラピーのセッションをしました。これはとてもよい効果を生みました。彼女は心霊的な体験に没頭するよりも、実生活を充実させることが先決でした。空想に逃げず現実に意識を向けるように促すと、彼女は物質界での生活を見直すようになりました」 ブレナン『コアライトヒーリング』シカ・マッケンジー訳 (河出書房新社)

そういう意味でも、この超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いは、現代の日本では、特に重要な指標となっているのです。人格の統合以前に、そのような事柄を語っても、それは「真の深さ」を持ってないのです。それは、その人間をよく見ればわかります。そして、人々に「癒し」をもたらすどころか、「心理的な病理」を増幅・増大させることにしかなっていないということになっているのです。

7.真のコントロールに必要なもの 伝統的シャーマニズムの教え

さて、このように変性意識状態(ASC)に入って、微細領域のものを統合的に扱えるようになるためには、自分の心身(粗大領域)そのものが充分に流動化・統合・純化されていなければならない、という考え方は、実は、古今東西、世界中の伝統を見ると、シャーマニズムの伝統の中に既にあるものでした。
ネイティブ・アメリカンのメディスン・マン(シャーマン)は、しばしば「自分をパイプにすぎない」と語ります。
この世界と異界とをつなぐパイプという意味合いです。

そして、「パイプが詰まっている」と異界のエネルギーを充分に働かすことができない。「パイプが詰まりなく、カラッポ(空洞)であればあるほど」、異界のエネルギー(スピリット)は、この世界で十全に働くことができる、とします。
つまりは、この「パイプ」とは、粗大領域の心身(自分自身)のことです。
「パイプ」に「エゴ」が詰まっていると、幼稚なままの「自我(エゴ)の肥大化」が起こり、異界の高次の力が働かないばかりか、周りに害悪をまき散らす、病んだアウトプット(黒魔術)になってしまうという意味合いです。
シャーマニズムでよく強調される「浄化」の概念にはそのような意味合いがあるのです。
「聖なるパイプの喩え(メタファー) シャーマニズムの方法 エネルギーの流動と組織化」

変性意識状態(ASC)を真にコントロールして、十全に扱えるようになるには、心身の深いレベルでの統合、自我(エゴ)の超越が必要となるというわけです。

8.行きて帰りし旅 ―英雄の旅、而今の山水

さて、このようなシャーマニズムが教える伝統は、変性意識状態(ASC)を、いかに扱えばよいかについて、さまざまに教えてくれるものです。
「日常意識/こちら側の世界」と「変性意識/向こう側の世界」とを、十全にノイズなく行き来できる能力を獲得することであり、そのためには、まず「自己の流動化と統合」を充分に推し進めるということなのです。これは「粗大領域」と「微細領域」の間ということも含みます。

そして、このような「往還」の構造形式は、そのまま、神話学者キャンベルの唱える「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」のモデルでもあるのです。
世界中の英雄神話というものは、英雄が異界(冥府)に降りていき、怪物(モンスター)や悪霊と戦い、その結果、隠された魔法の力や栄光を獲得するという形式をとっています。
その旅路は、自分の影(シャドー/怪物)との死闘であり、そのことによる死と再生のプロセスを経ることで、英雄(私たち)は、自己の「浄化」と「統合」、新たな力の獲得や「刷新」を達成することができるのです。
これは、これまで見てきたような「真の統合」の暗喩(メタファー)ともいえるものなのです。

私たちも、変性意識状態と日常意識の、そのような「行きて帰りし旅」を繰り返し経験していくことで、変性意識への真のコントロール能力を獲得し、また創造力や拡張された意識/存在状態を得ることができるのです。
このプロセスは、ひとつの旅ですが、生きる甲斐のある旅、生に「意味」もたらす旅、行きて帰りし旅なのです。

旅から帰った時、その時に、私たちが見ている風景は、日常の風景ですが、旅の前のただの風景ではありません。
ありふれた物事が、そのまま内実の光輝(空)に飽和し、充満しているような『普通の風景』なのです。
その時、私たちの「自己」はかつてと同じ意味を持っていません。「自己」と「宇宙」と「日常」を区別(分別)するものはないのです(無極)。
それでいながら、ただの『普通の風景』なのです。
手袋のように裏返された現実は、また現実なのです。
そして、実は、表も裏もないのです。

道元のいう、
「而今の山水は、古仏の道現成なり」
「空劫以前の消息なるがゆえに而今の活計なり」
「朕兆未萌の自己なるがゆえに現成の透脱なり」

というような世界がひろがっているのです。
それは、ただの『普通の風景』なのです。

【ブックガイド】
変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
また、変性意識状態(ASC)への入り方などその詳細な概要と実践技法は入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



【新版】動画解説「心の構造モデルと心理変容のポイント」

ここでは、心の構造モデルと心理変容のポイントということで、私たちが持っている心がどのような構造を持っているのか、そして、それを良い方向に変えるためには、何がポイントなのかについて解説を行なっています。




サイトページ

【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図
https://freegestalt.net/psyche/transformation/

【新版】動画解説「変性意識状態(ASC)とは ―その可能性と効果の実際」

変性意識状態(ASC)は、通常の日常意識とは変異した、特異な意識状態ですが、私たちの可能性と創造性にみちた興味深い意識世界です。

その状態に入るスキルを上げることで、私たちは、内面的にも、アウトプット的にも、段違いのレベルを手にすることができます。




サイトページ

変性意識状態(ASC)とは
https://freegestalt.net/asc/basic/asc/

動画解説【図解】心の構造モデルと変容のポイント

この動画では、
当スペース、
フリー・ゲシュタルト・ワークスが採用している、
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加えて、
当スペースの方法論的な位置づけについても
解説しています。






【図解】心の構造モデルと変容のポイント 見取り図




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
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【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
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知りたい人のための自己啓発系学習ガイド コーチング、NLP、スピリチュアル系…


ここでは、よくご質問をいただく、コーチング、NLP、スピリチュアル系等について、それぞれどのような効果や適性、特徴や由来を持っているのかについてまとめてみました。

ぜひ、ご参考にしていただき、注意深く、ご自分にあった方法論を見つけていただければと思います。

 

【目次】

はじめに

①コーチング

②NLP

③スピリチュアル系

 

 

はじめに

 

このガイドマップで取り上げた方法論は、心に関わる自己啓発系の方法論として、現在、日本で、ある一定規模で広まっている方法論です。しかし、これらは、現代日本の文物のほとんどすべてがそうであるように、アメリカ由来のものとなっています。

 

1980年代以降、輸入品として、日本に持ち込まれたものとなっているわけです。そして、オリジナルの方法論自体が、(昔の日本の神仏習合がそうであったように)出自もさまざまなものをツギハギしてできた方法論でもあるのです。

 

そのため、自分の目的に合わせて、その内実を見きわめることが活用のポイントとなってきます。

 

これらは、方法論・技法の遠い起源としては、その昔、故吉福伸逸氏などが、トランスパーソナル心理学の紹介に際して、その前提とした1960年代の体験的心理療法(エンカウンター・グループ、ゲシュタルト療法、ボディワーク・セラピー)や、人間性回復運動human potential movementの諸方法論が起源となります。

 

しかし、より直接的な起源としては、それら心理療法の技法を、見よう見まねで表面的に模倣した、商業セミナー(動機付けセミナー、ブレイクスルー・セミナー等)がその起源といえます。それらが、1970年代以降、雨後のタケノコのように沢山あったわけです。NLPもそんな風土の中に生まれたのです。

 

また、1970年代以降、日本の企業研修に一部輸入され、あまりうまく機能しなかった「感受性訓練 sensitivity training」などの、グループを使うアプローチも、系統は違いますが、同じ風景の中に存在していたのです。

上記、商業セミナーなどは、1980年代以降、日本でも「自己啓発セミナー」として輸入され、一部で社会問題となりました。

 

また一方、アメリカには、元来、19世紀からエマーソンの超越主義やニューソートなど、ある種の奇妙な精神主義の流れがありました。アメリカの大地の中で、聖霊主義的な新興宗教が、芽吹きやすい土壌があったのかもしれません。そこに、神智学(オカルティズム)などヨーロッパ由来のものが習合して、「引き寄せの法則」などの思想も生まれていたわけです。これが後世の、チャネリングなどのニューエイジ系の思潮にもつながっていったわけです。

 

このようなさまざまな方法論が習合してできた自己啓発系の方法論が、1980年代以降、日本に輸入されてきたわけです。そのため、ある種、特有の「胡散臭さ」や「怪しさ」があるわけです。

よくネットでは、これらについて、「胡散臭い」「怪しい」と書かれていますが、実際、それは当たっているのです。充分に「胡散臭さくて」「怪しい」のです(笑)。

 

実際、これらは、主宰しているスクールの質によって、玉石混交となっているので、質の見きわめが重要となります。一部の商業セミナーのように、故意に人をだますところは大分減ってはいますが、本人たちの知識や技量の低さが、結果的に、クライアントの方に害をなしてしまうということもままあるからです。本人たちに自覚がない分、問題といえます。

 

そのため、これらの方法論から、真摯に何かを得たいと考えている方は、その団体やスクールのチェックと、それぞれの方法論自体が、どのような効果や限界を持っているのか、その特徴を理解しておくことが望ましいといえます。 

 

 

①コーチング

 

コーチングは、クライアントの方の目標達成や、本当にやりたいことの実現をサポートする対人技法です。

 

達成したいゴールや向かう方向性へ、エネルギーをきちんと焦点化するために、クライアントが伴走役として付けるのが、コーチです。

 

クライアントの意欲が高く、コーチとの対話が、相乗効果的に作用するとき、コーチングは大きな成果を生み出します。

 

クライアントの中に葛藤が多くも、コーチに何かをあてにするようだと、コーチングは、不完全燃焼に陥ります。

コーチングは、基本的には、カウンセリングではないからです。

 

コーチングは、クライアントの「行動」を変えるものであり、「心理構造(システム)」を変えるものではありません。

 

しかし、人間は行動習慣を変えていくと、心理習慣も変わっていきます。そこが、コーチングが効果を出せる要件です。

 

深い意欲を引き出し、意欲と目標と結び付け、エネルギーを目標に方向づけていく。その方向づけと行動を習慣化していくと、クライアントは心理習慣が変わり、成果を出していくことになります。

そのことをサポートしていくのがコーチングです。

 

コーチングは、適応範囲が決まった方法論であり、どういう場合に、コーチングが大きな効果を発揮するのかを、その要点を、よく知っておくことが、コーチングを創造的に活かすポイントとなります。

 

また、ビジネス的な数値目標を達成するのか、その人の人生の深い願いを達成するのか、クライアントの、どのような面をサポートするのかは、コースを主催する各団体によっても、フォーカスや考え方が変わってきます。

表面的には、ビジネス・コーチングと、ライフ・コーチングの区分けですが、本質的には、クライアントへの関わり方の違いになりますので、その性質の違いについても、ご自分の感覚で理解しておくことが望ましいといえます。

各団体が、何を大切にしているのか、その傾向性をつかんで、自分のやりたいタイプのコーチングを、選んでいくとよいです。

 

また、私たち自身も、人生の時々で、焦点を当てたいテーマは変わってくるので、さまざまなコーチングを、学んでおくのも悪くはありません。

 

コーチングは、クライアントの意欲や動機付けを高めるために、相手の感情的な側面に、関わる技法ではありますが、基本的には、通常の精神的健康度をもった人が、対象の方法論です。

軽度に調子の悪い人に、多少カウンセリング的に関わりますが、強い不調を持つ人は、対象としません。目標達成の効果を出すこともできないからです。

 

また、相手の日常意識を対象としており、心理療法のように、相手の深層心理や潜在意識に、直接的に介入していくようなこともしません。

あくまで、日常意識の水準で、現実的な結果に、着地することを狙った方法論です。

このあたりの範囲を確定しておかないと、クライアントも混乱するし、効果もうまく出せないので、注意が必要です。

 

この点において、扱いの範囲を明確にしておくことが、セッションを、実りあるものにするのに、重要なこととなっています。

 

 

②NLP 神経言語プログラミング

 

NLP(神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming)は、別に一章とっているので詳細はそちらに譲ります。

コチラ

 

NLP(神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming)は、リチャード・バンドラー博士と、ジョン・グリンダー博士によって、創始された能力開発技法です。バンドラー博士は、専攻は数学ですが、ゲシュタルト療法のパールズの、ワークショップ逐語録作成なども手伝っていたので、その界隈にいたのでしょう。NLPの最初の本は、ダブル・バインド理論で有名な思想家グレゴリー・ベイトソンに序文をもらっています。

 

NLPは、さまざまな体験的心理療法のある要素を抽出して作った、簡易ツールといえるものです。よく、ネットなどでは、NLPは「効果ない」「効かない」と書かれていますが、体験的心理療法ほどには、(心理構造に)変化を起こす効果はありません。

 

そういう意味ではあまり効かないのです。知覚作用に軽度な影響をもたらすのが、NLPの作用の基本だからです。使う場面(時/心理状態)を選ぶものであり、施術者の腕にもよるのです。

 

そのため、普通の人が、パッとNLPの資格をとって、習った内容単体で、すぐに何かに使えるかというと、それは少し疑問です。

心理療法を詳しく知る人(心の構造変化の仕組みを知る人)が、セッションの中で、部分的・応用的に使うならいろいろと使い道はあります。

そこでは、そのNLP技法の作用原理を見抜けていることが、ポイントとなります。しかし、一般の人には、それはナカナカ難しいことといえます。

 

応用的で、補助的ツールが、NLPの基本です。これが、あたかも、単体で万能薬のように喧伝されて売り出されているところに問題があるともいえます。

 

一方、たとえば、コーチングのセッションの中で、クライアントに、ちょっと気づきや体験を得てもらう補助的ツールとして使うというのであれば、それは効果的な使用法といえます。

 

総括すれば、すでに核になる何かを学んでいる方が、プラスアルファの参考にするというのであれば、NLPは、さまざまな面で、役に立つツール集になると思われます。

 

とりあえず、NLPの資格をとったものの、特に利用もできずに戸惑っているという人は、コーチングや体験的心理療法など、関連のものを学んでみて、別の角度からNLPを見ていくと、その使い方も見えてくるかもしれません。

 

 

③スピリチュアル系

 

「精神世界」というコーナーが、書店の棚にできて、メジャーになりはじめたのは、1980年代終盤、チャネリングのバシャール関係の本が出はじめた頃からです。
宝島社の別冊シリーズに『精神世界マップ』(1980年)があり、このワードに広まりに貢献しましたが、この本は、前記の故吉福伸逸氏が編集したものです。内容的には、トランスパーソナル心理学の前史となるような体験的心理療法やカウンター・カルチャー(反文化)の文物を多面的にとらえたものとなっています。一部、その反文化的文脈で再評価されていた神秘的思想家も含んでいますが、今現在、私たちが「精神世界」としてイメージするような、フワッとした空想的な世界とは、ほど遠いものです。濃厚で、サイケデリック(意識拡張的)、土臭い感じがします。

日本における、この「精神世界」が指す内容の変遷を知ることで、これらの方法論に対する、批評的なアプローチ法も見えてきます。

後の対談で、中沢新一氏に「なんで、精神世界なんて言葉にしたのか」と問われた吉福氏は「自分が選んだ言葉ではない」と答えていました。出版当時に、そのあたりのズレがすでに存在していたのかもしれません。そして、時代の流れの中で、ズレはどんどん大きくなっていったように思われます。

 

ところで、アメリカでは、上記のようなカウンター・カルチャーの文脈の中に、すでに有名な『奇蹟のコース』や『セス・ブック』といった初期のチャネリング作品が現れていて、議論の対象となっていたのです。

そのとらえ方についてです。

ひとつは、当然、チャネリングしたソースです。その内容が、本人たちが言うように、宇宙の意識体からやって来たのか、それとも、本人の心理的な無意識・潜在意識からやって来たものなのか、ということです。しかし、これは当然、誰にもわかるわけがありません。

もう一方、別の観点は、由来よりも、アウトプット(内容)の質を見きわめようという視点です。

たとえ、本人の無意識・潜在意識から来たものだとしても、高度な内容があれば、普通の思想や本と同じように評価できるというスタンスです。

このようなスタンスは、怪しげな本を評価するのに、公正なスタンスといえます。

どんな高次存在からのチャネリングを喧伝していても、内容的にショボければ、それまでであるということです。

実際、多くのチャネリング文献が、先行文献の劣化したコピーのような内容になっているのは興味深いことです。これは、商業セミナーが、オリジナルの体験的心理療法の、劣化したコピーであるのと似た現象でもあるからです。

また、それは、現代のニューエイジの思想が、もともとのカウンター・カルチャーの持っていた実践的方法論の劣化コピーのような姿を呈しているのと、似た風景ともいえるのです。

 

 

◆サイキックとスピリチュアル

 

ところで、日本では、スピリチュアルという言葉に、幅広い意味を持たせているので、混乱を生んでいるようにも思われます。

そこで、筆者は、よく次のような言葉の区分けを、便宜的に提案しています。

 

⑴スピリチュアル(精神性・霊性)…「日本的霊性」(鈴木大拙)等

⑵サイキック(超能力) 

 

スピリチュアル、スピリチュリティーとは、精神性、精神的な価値のことであり、何か特異な能力とは関係ありません。

サイキックは、単なる知覚的能力の拡張であり、精神性や精神的な価値とは関係がありません。

スピリチュアルとサイキックは、直接的には何の関係もないのです。

別の軸なのです。

日本では、この2つの軸が、スピリチュアルという言葉の中に入れられているので、余計な混乱が生じてしまっているようにも思われます。

 

たとえば、おそらく、マハトマ・ガンディーやマザー・テレサは、とてもスピリチュアル(霊的)な人ですが、全然、サイキックではありません。

一方、サイキック能力を持っているけど、全然、スピリチュアル(精神的)ではないという人は、山ほどいます。おそらく、そういう人の方が多いでしょう。

この2つは、直接的には関係がないのです。

  

後者の人たちが、スピリチュアルと称して、他人に確証のとれないことを吹聴して、人心を操ったり、金儲けをしようとするので、問題が起きるわけです。

昔、流行った、いわゆる「引き寄せの法則」なども、中身は、スピリチュアルなものではなく、サイキックなものです。それも、19世紀来の伝統的(魔術的)なものとなっています。

 

このような区分けをしていくことで、誤った価値づけを回避していくことができます。

(もし、自称スピリチュアルな人に、個人的なことを言われて、何か気になるようでしたら、上記、チャネリング文献のところで触れたように、その話の内容〔アウトプット〕の質が高いものであるかどうかを評価してみてください)

 

ところで、サイキック能力とは、単なる知覚力の拡張です。それがなぜ、スピリチュアルなものと混同されるかといえば、それは、情報量の問題といえます。

サイキック状態では、情報量が圧倒的(爆発的)に増えるので、総量の問題として、スピリチュアル(精神的)な情報も入り込むからです。ただ、それだけのことです。そして、その中に、スピリチュアル(精神性)なものは、砂金のようにわずかしかないのです。

 

そのため、むしろ、本来は、そうなればこそ、膨大な情報を適切に濾過(フィルタリング)する必要も生ずるのです。

この濾過をするフィルターが、本人の心理的統合(成熟)の力です。

本人の心理的統合が充分でないと、本人の未解決の感情が、そのまま、ゆがんだ形で、投影的に現れてしまうからです。

世のいわゆるスピリチュアル系が、一般的に幼稚なものが多いのは、情報統合の前提となる心理的統合(成長)がなされていないからだともいえます。

サイキック能力を有益なものにするには、前提となる心理的統合(成熟)が必要であるわけなのです。これは、トランスパーソナル心理学のウィルバーが指摘していた「前個(プレパーソナル)と超個(トランスパーソナル)の区別」ということでもあります。心理的な統合を経ていないものは、超個(トランスパーソナル)ではなく、前個(プレパーソナル)なものであるということです。

 

また、歴史的には、神通力という言葉があるように、また、キリストなどの奇蹟の事例があるように、一般に、サイキックに、スピリチュアルなイメージがついてしまっているということもあるのでしょう。

しかし、禅などでは、それらを魔境と呼んで、修行で普通に現れてくる現象であると見なして、そのような落とし穴を警戒するように促しています。

 

ところで、サイキック能力自体は、心を扱う現場では、わりと普通に現れる(ありきたりな)事柄であり、取り立てて特別な事ではありません。現代の科学で説明できないだけのことであり、それは現代科学の水準が低いというだけのことです。超長期的に見れば、必ず何らかの解明がなされるでしょう。それはそれとして、余計な価値を含まずに、研究していけばよいだけのことなのです。

 

総括すると、自分が求めているのが、精神的な価値の探求なのか、それとも、単なる知覚力の拡張なのか、よく切り分けて考えておくのが、良いと思われます。

また、学びたい対象としての流派や方法論が、スピリチュアルやサイキックについて、どのような切り分けや自覚awareness、価値観を持っているのかを、評価しておくことが良いと思われます。

 

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プロフィール

松井 雄 (まつい ゆう)

ゲシュタルト療法家/ファシリテーター。変性意識活用トレーナー。創造性開発トレーナー。

 はじめまして、こんにちは。
 私は長年に渡りゲシュタルト療法をはじめ、各種の体験的心理療法、瞑想技法、気功、シャーマニズム野生の気づきの技法NLP、コーチングなどを学び、さまざまな現場で実践してきました。また、その過程の中で心身の深い変容体験、特異な変性意識体験、さらには風変りなトランスパーソナルな(超越的)体験などをさまざまに得てきました。
 また、長年従事した企業勤務においては、各種の実務―営業活動から人事・教育研修担当、新規事業開発やネット事業、オンデマンド事業、店舗運営展開事業まで―幅広い分野の事業に携わってきました。
 そして、そのような実務経験の中で、ちゃんと焦点化されていない点ですが、今の日本社会の大きな問題として、人々のマインド面(動機づけ/関係性/自己実現)での課題や、能力開発・創造性開発メソッドの不在について、
痛感することになったのでした。現在の日本経済(ビジネス)の大きな行き詰まりが、制度や実務に関するものだけではなく、マインド面に大きく関わることは明白だとも感じられたからでした。そして、それらを解決し打開する可能性のある、さまざまな方法論(心理療法やマインドフルネス、コミュニケーション理論や組織開発等)について探求を行ない、新しい構想を練ることにもなったのでした。

 そのような結果として、ゲシュタルト療法変性意識状態(ASC)、マインドフルネスやコーチング、シャーマニズム的な方法論等を、コンビネーションで構成的に使うフリー・ゲシュタルト・ワークスを起こすことになりました。そして現在、進化型のゲシュタルト療法変性意識状態(ASC)を使い、人々の深い心身変容、潜在意識活用や成果の達成、超越的な能力開発や自己実現をサポートする活動を各種行なっています。
 現在の、のびしろのない、完全に行きづまっている(詰んでいる)現代日本においてこそ、人間の基盤的能力(生きる力)を根本から刷新し、潜在能力を解放する、超越的な心理療法の方法論が有効だと考えているわけです。
※私自身が、どのように
「ゲシュタルト療法」を発見して、学んだ数多の方法論の中から、何故ゲシュタルト療法というものを主なメソッドに選んだかの経緯については下記をご覧ください。ゲシュタルト療法の特色がご理解いただけると思います。もっとも、ゲシュタルト療法自体に、非常に多岐にわたるタイプがあり、個々の実践者(ファシリテーター)によって、アプローチがまったく異なるものですが、私自身のゲシュタルト療法の解説にもなっています。私自身のゲシュタルト療法は、さまざまなタイプのものを統合した、より一段進化(深化)させた形になっていますが。
「なぜ、ゲシュタルトなのか ゲシュタルト療法を技法として選択した理由」

 ところで、これまでさまざまな人々の深遠な「変容」をお手伝いをさせていただいた経験からも、個人的にもったさまざまなトランスパーソナル(超越的/超脱的)な経験からもお約束できることがあります。
 それは、誰の中においても開花することを待っている、並外れた魂(自己実現、超精神)の力が「存在の別の階層(別のフロア、開かずの間)」に存在しているということです。むしろ、それは私たちの存在のデフォルト、前提なのだということです。秘教的な伝統の中で、「悟り」とは、そもそものデフォルトなのだという知見と同じようなことです。

 多くの人は、この「人生デパート」の1階(1F)だけをうろつき回って、お店のすべてだと思い込んでいます。「もう、すべてのお店を見終わってしまった(あーぁ、つまんない)」と感じています。まわりの人も皆そう言っているので、自分でも、なんとなくそう信じこんでいるわけです。

 1階とは、この「日常意識」の世界です。普段のこの生活世界です。しかし実は、この人生デパートには、まだ上部の階層が沢山存在しているのです。2階3階、5階10階、さらに20階30階と続いているのです。まだ楽しいお店や興味深いお店が沢山、山ほど存在しているのです。また、その果ての最上階には、すべてを〈まばゆい空〉に吸い込んでいくような屋上も開けているのです。まさにワンダーランドです。しかし、それらは、この「日常意識」以外の世界ですので、「普段の生活」では知ることができなくなっているのです。ですので、要は、そこ(上部の階層)へ至るための通路や階段、エレベーターや非常口を見つけて、それを自分のものにするということなのです。あなただけの道が存在しているのです。
 当スペースでは、あなただけのその「秘密の通路や階段」を見つけていただくことになります。
 心の未知の可能性を信じ、探索し、人生で素晴らしい自己実現(超越)を達成していきたいという人に対しては、必ずお力になれることをお約束いたします。
それが、当スペースがご案内している「流れる虹のマインドフルネス」の世界なのです。 


 他に、心理学的シャーマニズム研究所を主宰。日本ゲシュタルト療法学会会員。東京サイコセラピー・アカデミー(旧東京ゲシュタルト研究所)トレーニングコース終了(2003年)。ゲシュタルト・ネットワーク・ジャパン ファシリテーター養成コース終了(2013年)。NLPマスタープラクティショナー(英国NLP学院。2005年)。著書に『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』『砂絵Ⅰ:現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』(デザインエッグ)『砂絵Ⅱ:天使的微熱、あるいは脱「人間」の意識変容(仮題)』(近刊予定)


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著作『砂絵Ⅰ―現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

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