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カウンター・カルチャー

知りたい人のための自己啓発系学習ガイド コーチング、NLP、スピリチュアル系…


ここでは、よくご質問をいただく、コーチング、NLP、スピリチュアル系等について、それぞれどのような効果や適性、特徴や由来を持っているのかについてまとめてみました。

ぜひ、ご参考にしていただき、注意深く、ご自分にあった方法論を見つけていただければと思います。

 

【目次】

はじめに

①コーチング

②NLP

③スピリチュアル系

 

 

はじめに

 

このガイドマップで取り上げた方法論は、心に関わる自己啓発系の方法論として、現在、日本で、ある一定規模で広まっている方法論です。しかし、これらは、現代日本の文物のほとんどすべてがそうであるように、アメリカ由来のものとなっています。

 

1980年代以降、輸入品として、日本に持ち込まれたものとなっているわけです。そして、オリジナルの方法論自体が、(昔の日本の神仏習合がそうであったように)出自もさまざまなものをツギハギしてできた方法論でもあるのです。

 

そのため、自分の目的に合わせて、その内実を見きわめることが活用のポイントとなってきます。

 

これらは、方法論・技法の遠い起源としては、その昔、故吉福伸逸氏などが、トランスパーソナル心理学の紹介に際して、その前提とした1960年代の体験的心理療法(エンカウンター・グループ、ゲシュタルト療法、ボディワーク・セラピー)や、人間性回復運動human potential movementの諸方法論が起源となります。

 

しかし、より直接的な起源としては、それら心理療法の技法を、見よう見まねで表面的に模倣した、商業セミナー(動機付けセミナー、ブレイクスルー・セミナー等)がその起源といえます。それらが、1970年代以降、雨後のタケノコのように沢山あったわけです。NLPもそんな風土の中に生まれたのです。

 

また、1970年代以降、日本の企業研修に一部輸入され、あまりうまく機能しなかった「感受性訓練 sensitivity training」などの、グループを使うアプローチも、系統は違いますが、同じ風景の中に存在していたのです。

上記、商業セミナーなどは、1980年代以降、日本でも「自己啓発セミナー」として輸入され、一部で社会問題となりました。

 

また一方、アメリカには、元来、19世紀からエマーソンの超越主義やニューソートなど、ある種の奇妙な精神主義の流れがありました。アメリカの大地の中で、聖霊主義的な新興宗教が、芽吹きやすい土壌があったのかもしれません。そこに、神智学(オカルティズム)などヨーロッパ由来のものが習合して、「引き寄せの法則」などの思想も生まれていたわけです。これが後世の、チャネリングなどのニューエイジ系の思潮にもつながっていったわけです。

 

このようなさまざまな方法論が習合してできた自己啓発系の方法論が、1980年代以降、日本に輸入されてきたわけです。そのため、ある種、特有の「胡散臭さ」や「怪しさ」があるわけです。

よくネットでは、これらについて、「胡散臭い」「怪しい」と書かれていますが、実際、それは当たっているのです。充分に「胡散臭さくて」「怪しい」のです(笑)。

 

実際、これらは、主宰しているスクールの質によって、玉石混交となっているので、質の見きわめが重要となります。一部の商業セミナーのように、故意に人をだますところは大分減ってはいますが、本人たちの知識や技量の低さが、結果的に、クライアントの方に害をなしてしまうということもままあるからです。本人たちに自覚がない分、問題といえます。

 

そのため、これらの方法論から、真摯に何かを得たいと考えている方は、その団体やスクールのチェックと、それぞれの方法論自体が、どのような効果や限界を持っているのか、その特徴を理解しておくことが望ましいといえます。 

 

 

①コーチング

 

コーチングは、クライアントの方の目標達成や、本当にやりたいことの実現をサポートする対人技法です。

 

達成したいゴールや向かう方向性へ、エネルギーをきちんと焦点化するために、クライアントが伴走役として付けるのが、コーチです。

 

クライアントの意欲が高く、コーチとの対話が、相乗効果的に作用するとき、コーチングは大きな成果を生み出します。

 

クライアントの中に葛藤が多くも、コーチに何かをあてにするようだと、コーチングは、不完全燃焼に陥ります。

コーチングは、基本的には、カウンセリングではないからです。

 

コーチングは、クライアントの「行動」を変えるものであり、「心理構造(システム)」を変えるものではありません。

 

しかし、人間は行動習慣を変えていくと、心理習慣も変わっていきます。そこが、コーチングが効果を出せる要件です。

 

深い意欲を引き出し、意欲と目標と結び付け、エネルギーを目標に方向づけていく。その方向づけと行動を習慣化していくと、クライアントは心理習慣が変わり、成果を出していくことになります。

そのことをサポートしていくのがコーチングです。

 

コーチングは、適応範囲が決まった方法論であり、どういう場合に、コーチングが大きな効果を発揮するのかを、その要点を、よく知っておくことが、コーチングを創造的に活かすポイントとなります。

 

また、ビジネス的な数値目標を達成するのか、その人の人生の深い願いを達成するのか、クライアントの、どのような面をサポートするのかは、コースを主催する各団体によっても、フォーカスや考え方が変わってきます。

表面的には、ビジネス・コーチングと、ライフ・コーチングの区分けですが、本質的には、クライアントへの関わり方の違いになりますので、その性質の違いについても、ご自分の感覚で理解しておくことが望ましいといえます。

各団体が、何を大切にしているのか、その傾向性をつかんで、自分のやりたいタイプのコーチングを、選んでいくとよいです。

 

また、私たち自身も、人生の時々で、焦点を当てたいテーマは変わってくるので、さまざまなコーチングを、学んでおくのも悪くはありません。

 

コーチングは、クライアントの意欲や動機付けを高めるために、相手の感情的な側面に、関わる技法ではありますが、基本的には、通常の精神的健康度をもった人が、対象の方法論です。

軽度に調子の悪い人に、多少カウンセリング的に関わりますが、強い不調を持つ人は、対象としません。目標達成の効果を出すこともできないからです。

 

また、相手の日常意識を対象としており、心理療法のように、相手の深層心理や潜在意識に、直接的に介入していくようなこともしません。

あくまで、日常意識の水準で、現実的な結果に、着地することを狙った方法論です。

このあたりの範囲を確定しておかないと、クライアントも混乱するし、効果もうまく出せないので、注意が必要です。

 

この点において、扱いの範囲を明確にしておくことが、セッションを、実りあるものにするのに、重要なこととなっています。

 

 

②NLP 神経言語プログラミング

 

NLP(神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming)は、別に一章とっているので詳細はそちらに譲ります。

コチラ

 

NLP(神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming)は、リチャード・バンドラー博士と、ジョン・グリンダー博士によって、創始された能力開発技法です。バンドラー博士は、専攻は数学ですが、ゲシュタルト療法のパールズの、ワークショップ逐語録作成なども手伝っていたので、その界隈にいたのでしょう。NLPの最初の本は、ダブル・バインド理論で有名な思想家グレゴリー・ベイトソンに序文をもらっています。

 

NLPは、さまざまな体験的心理療法のある要素を抽出して作った、簡易ツールといえるものです。よく、ネットなどでは、NLPは「効果ない」「効かない」と書かれていますが、体験的心理療法ほどには、(心理構造に)変化を起こす効果はありません。

 

そういう意味ではあまり効かないのです。知覚作用に軽度な影響をもたらすのが、NLPの作用の基本だからです。使う場面(時/心理状態)を選ぶものであり、施術者の腕にもよるのです。

 

そのため、普通の人が、パッとNLPの資格をとって、習った内容単体で、すぐに何かに使えるかというと、それは少し疑問です。

心理療法を詳しく知る人(心の構造変化の仕組みを知る人)が、セッションの中で、部分的・応用的に使うならいろいろと使い道はあります。

そこでは、そのNLP技法の作用原理を見抜けていることが、ポイントとなります。しかし、一般の人には、それはナカナカ難しいことといえます。

 

応用的で、補助的ツールが、NLPの基本です。これが、あたかも、単体で万能薬のように喧伝されて売り出されているところに問題があるともいえます。

 

一方、たとえば、コーチングのセッションの中で、クライアントに、ちょっと気づきや体験を得てもらう補助的ツールとして使うというのであれば、それは効果的な使用法といえます。

 

総括すれば、すでに核になる何かを学んでいる方が、プラスアルファの参考にするというのであれば、NLPは、さまざまな面で、役に立つツール集になると思われます。

 

とりあえず、NLPの資格をとったものの、特に利用もできずに戸惑っているという人は、コーチングや体験的心理療法など、関連のものを学んでみて、別の角度からNLPを見ていくと、その使い方も見えてくるかもしれません。

 

 

③スピリチュアル系

 

「精神世界」というコーナーが、書店の棚にできて、メジャーになりはじめたのは、1980年代終盤、チャネリングのバシャール関係の本が出はじめた頃からです。
宝島社の別冊シリーズに『精神世界マップ』(1980年)があり、このワードに広まりに貢献しましたが、この本は、前記の故吉福伸逸氏が編集したものです。内容的には、トランスパーソナル心理学の前史となるような体験的心理療法やカウンター・カルチャー(反文化)の文物を多面的にとらえたものとなっています。一部、その反文化的文脈で再評価されていた神秘的思想家も含んでいますが、今現在、私たちが「精神世界」としてイメージするような、フワッとした空想的な世界とは、ほど遠いものです。濃厚で、サイケデリック(意識拡張的)、土臭い感じがします。

日本における、この「精神世界」が指す内容の変遷を知ることで、これらの方法論に対する、批評的なアプローチ法も見えてきます。

後の対談で、中沢新一氏に「なんで、精神世界なんて言葉にしたのか」と問われた吉福氏は「自分が選んだ言葉ではない」と答えていました。出版当時に、そのあたりのズレがすでに存在していたのかもしれません。そして、時代の流れの中で、ズレはどんどん大きくなっていったように思われます。

 

ところで、アメリカでは、上記のようなカウンター・カルチャーの文脈の中に、すでに有名な『奇蹟のコース』や『セス・ブック』といった初期のチャネリング作品が現れていて、議論の対象となっていたのです。

そのとらえ方についてです。

ひとつは、当然、チャネリングしたソースです。その内容が、本人たちが言うように、宇宙の意識体からやって来たのか、それとも、本人の心理的な無意識・潜在意識からやって来たものなのか、ということです。しかし、これは当然、誰にもわかるわけがありません。

もう一方、別の観点は、由来よりも、アウトプット(内容)の質を見きわめようという視点です。

たとえ、本人の無意識・潜在意識から来たものだとしても、高度な内容があれば、普通の思想や本と同じように評価できるというスタンスです。

このようなスタンスは、怪しげな本を評価するのに、公正なスタンスといえます。

どんな高次存在からのチャネリングを喧伝していても、内容的にショボければ、それまでであるということです。

実際、多くのチャネリング文献が、先行文献の劣化したコピーのような内容になっているのは興味深いことです。これは、商業セミナーが、オリジナルの体験的心理療法の、劣化したコピーであるのと似た現象でもあるからです。

また、それは、現代のニューエイジの思想が、もともとのカウンター・カルチャーの持っていた実践的方法論の劣化コピーのような姿を呈しているのと、似た風景ともいえるのです。

 

 

◆サイキックとスピリチュアル

 

ところで、日本では、スピリチュアルという言葉に、幅広い意味を持たせているので、混乱を生んでいるようにも思われます。

そこで、筆者は、よく次のような言葉の区分けを、便宜的に提案しています。

 

⑴スピリチュアル(精神性・霊性)…「日本的霊性」(鈴木大拙)等

⑵サイキック(超能力) 

 

スピリチュアル、スピリチュリティーとは、精神性、精神的な価値のことであり、何か特異な能力とは関係ありません。

サイキックは、単なる知覚的能力の拡張であり、精神性や精神的な価値とは関係がありません。

スピリチュアルとサイキックは、直接的には何の関係もないのです。

別の軸なのです。

日本では、この2つの軸が、スピリチュアルという言葉の中に入れられているので、余計な混乱が生じてしまっているようにも思われます。

 

たとえば、おそらく、マハトマ・ガンディーやマザー・テレサは、とてもスピリチュアル(霊的)な人ですが、全然、サイキックではありません。

一方、サイキック能力を持っているけど、全然、スピリチュアル(精神的)ではないという人は、山ほどいます。おそらく、そういう人の方が多いでしょう。

この2つは、直接的には関係がないのです。

  

後者の人たちが、スピリチュアルと称して、他人に確証のとれないことを吹聴して、人心を操ったり、金儲けをしようとするので、問題が起きるわけです。

昔、流行った、いわゆる「引き寄せの法則」なども、中身は、スピリチュアルなものではなく、サイキックなものです。それも、19世紀来の伝統的(魔術的)なものとなっています。

 

このような区分けをしていくことで、誤った価値づけを回避していくことができます。

(もし、自称スピリチュアルな人に、個人的なことを言われて、何か気になるようでしたら、上記、チャネリング文献のところで触れたように、その話の内容〔アウトプット〕の質が高いものであるかどうかを評価してみてください)

 

ところで、サイキック能力とは、単なる知覚力の拡張です。それがなぜ、スピリチュアルなものと混同されるかといえば、それは、情報量の問題といえます。

サイキック状態では、情報量が圧倒的(爆発的)に増えるので、総量の問題として、スピリチュアル(精神的)な情報も入り込むからです。ただ、それだけのことです。そして、その中に、スピリチュアル(精神性)なものは、砂金のようにわずかしかないのです。

 

そのため、むしろ、本来は、そうなればこそ、膨大な情報を適切に濾過(フィルタリング)する必要も生ずるのです。

この濾過をするフィルターが、本人の心理的統合(成熟)の力です。

本人の心理的統合が充分でないと、本人の未解決の感情が、そのまま、ゆがんだ形で、投影的に現れてしまうからです。

世のいわゆるスピリチュアル系が、一般的に幼稚なものが多いのは、情報統合の前提となる心理的統合(成長)がなされていないからだともいえます。

サイキック能力を有益なものにするには、前提となる心理的統合(成熟)が必要であるわけなのです。これは、トランスパーソナル心理学のウィルバーが指摘していた「前個(プレパーソナル)と超個(トランスパーソナル)の区別」ということでもあります。心理的な統合を経ていないものは、超個(トランスパーソナル)ではなく、前個(プレパーソナル)なものであるということです。

 

また、歴史的には、神通力という言葉があるように、また、キリストなどの奇蹟の事例があるように、一般に、サイキックに、スピリチュアルなイメージがついてしまっているということもあるのでしょう。

しかし、禅などでは、それらを魔境と呼んで、修行で普通に現れてくる現象であると見なして、そのような落とし穴を警戒するように促しています。

 

ところで、サイキック能力自体は、心を扱う現場では、わりと普通に現れる(ありきたりな)事柄であり、取り立てて特別な事ではありません。現代の科学で説明できないだけのことであり、それは現代科学の水準が低いというだけのことです。超長期的に見れば、必ず何らかの解明がなされるでしょう。それはそれとして、余計な価値を含まずに、研究していけばよいだけのことなのです。

 

総括すると、自分が求めているのが、精神的な価値の探求なのか、それとも、単なる知覚力の拡張なのか、よく切り分けて考えておくのが、良いと思われます。

また、学びたい対象としての流派や方法論が、スピリチュアルやサイキックについて、どのような切り分けや自覚awareness、価値観を持っているのかを、評価しておくことが良いと思われます。

 

 スライド1

 

 

 

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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

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ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

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変性意識状態(ASC)とは

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【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 応用編

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サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か

さて、「サイケデリック psychedelic という言葉は、音楽やデザインのイメージとして、その言葉がよく知られています。しかし、フワッとした印象だけで、その体験が、実際に「どのような体験内容を指しているのか」という点(質感/クオリア/実相)については、日本ではあまり一般には認知されていません。

ところで、変性意識状態(ASC)の研究も、トランスパーソナル心理学の出現も、1960年代の時代的な背景として、(合法であり、治療用でもあった向精神性物質による)サイケデリック・セラピーの手堅い研究があったからこそ、リアルで厚みのあるものになっていったという経緯(前提)があります。

◆時代の先駆け

ところで、時代に先駆けた先駆的な業績としては、英作家オルダス・ハクスリーが、「サイケデリック」という造語を考え出したハンフリー・オズモンド博士(その経緯はリンク先参照)のもとで、幻覚剤メスカリンの服用体験を記した『知覚の扉 The Doors of Perception 』という書物があります。
これはそのよう具体的なサイケデリック体験を記し、一般にその意味合いを知らしめた重要な作品となっています。
この書名『知覚の扉 The Doors of Perception 』は、これまたイギリス最重要の幻視家W.ブレイクの詩句より来ています。

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, Infinite. 
For man has closed himself up, til he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.
もし知覚の扉が浄められたなら、すべてのものがありのままに、無限のものとして現われるだろう。
というのも、人はすべてものを、彼の洞窟の狭い隙間を通して見るまでに、自らを閉ざしてしまっているからである。
(THE MARRIAGE OF HEAVEN AND HELL より)

ハクスリー自身がこのような事態(人間の閉ざされた事態)を、そのサイケデリック体験を通して痛感したからでしょう。彼自身は、非常に「知的な」作家でした。そのような面での限界を、彼自身が強く感じたことが、彼をこのような探求に向かわせたと考えられるのです。
ちなみに、詩人ブレイク自身は、この詩句の前節で、心身二元論をまずは消し去るべき考え方であると指摘しています。そして、見かけ上の表面を溶かし、隠れた無限をあらわにする(健康かつメディカルでもある)地獄的な方法について言及しているのです。
また、この書名は、アメリカの(サイケデリック・)ロック・バンドのドアーズ The Doors の名前の元となりました。シンガーのジム・モリソンが「自分たちは、既知と未知の間にある扉(ドア)になりたい」と考えたからでした(ちなみに、ジムは歌やバンドをはじめるよりもずっと前に、LSD(治療用幻覚剤)体験の中で自分が大聴衆の前で歌っているという未来のヴィジョンを見たといわれています)。

さて、ところで、この本の中で描写されている「メスカリン」は、そもそもネイティブ・アメリカンの或る部族が儀式でつかうサボテン(ペヨーテ)に含まれている物質でした。
つまり、伝統的な社会の中では、そのような体験が、世界観の中に受け入れられているということです。
そして、この本で記されているような哲学的洞察は、「サイケデリック体験」についての、後の時代への決定的な指針となったことがうかがえるような興味深いものとなっているのです。
変性意識状態(ASC)や、トランスパーソナル心理学が、そもそも何を目指しているのかを考えるのに際しても、とてもヒントになるものであるのです。そのようなわけで、ハクスリー自身は、まだ手探りの状態にあった初期段階からエサレン研究所(後の新しい体験的心理療法の総本山)の後見人にもなったりしたわけでした。

『知覚の扉』の中で、ハクスリーは、そのメスカリン体験を記しています。

「…私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在―ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、途方もなく大きな、奇怪な誤りを犯したように思われる。だから、可哀想な男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっているこの花束のような存在は、絶対に眼にすることができなかったに相違ない。また彼は、これほど強く意味深さを付与されたバラ、アイリス、カーネーションが、彼らがそこに存在するもの、彼らが彼らであるもの以上のものでも、以下のものでもないということを知ることも、絶対にできなかったに相違ない。彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは―はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、しかし、自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる…というものであった。」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社

また、

「…私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである。バラからカーネーションへ、羽毛のような灼熱の輝きから生命をもった紫水晶の装飾模様―それがアイリスであった―へと私の眼は少しずつ渉っていった。神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった。」(前掲書)

そして、そのような体験について考察をめぐらせます。

…宗教上の言葉で“この世”と呼ばれている世界が、すなわちこの世界であり、その世界では濾過されて残った意識内容だけが言葉によって表現される世界、そしてさらにいえば、言葉によって生命を失って石化されてしまっている世界である。ほとんどの人々は、その人生のほとんどの時において、減量バルブを通して減量された意識内容で、方言にすぎない人間の言語が本当に真実のものだというお墨付けを付けたものだけしか知ることがない。減量バルブの表街道に対して、これを出し抜く一種のバイパスというべき裏街道が存在する。そしてある種の人々は、このバイパスを生まれつき持っているように思われる。」(前掲書) ※太字強調引用者

引用文の中で、ハクスリーの「減量バルブ」という言葉が出てきますが、これはフランスの重要な哲学者ベルクソンが考えているような観点、つまり、私たちの「脳」というものは、情報を濾過し、減量する性質を持つものであるという観点に拠っているものです。
私たちのこの地上での生存の都合上、余計な情報は濾過して、認知しないような機能を、脳は担っているという視点です。脳は「抑制するための装置/減量バルブ」ということです。
「バイパス」とは、そのような「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。


◆サイケデリック(意識拡張)の研究

では参考に、他の人物による、サイケデリック体験、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの報告も見てみましょう。
LSDといえば、今では、まるで「ドラッグ」のように思われていますが、元々は、精神医療の中で使用されていた治療用の幻覚剤です(当然、当時は合法です)。しかし、そもそも、この「幻覚剤」という日本語自体が、事実を歪曲した表現でもあります。通常、「幻覚」とは「現実でない」ことを意味しているからです。※「LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド lysergic acid diethylamide )」
サイケデリック・セラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士は、LSDについて、むしろ逆のことを語っています。

「それらは、他の薬物のように、薬物特有の状態を誘発するのではなく、むしろ、無意識的プロセスの特定しえない触媒もしくは増幅器として働き、人間精神エネルギー・レベルをあげることにより、その深層の内容と生得的なダイナミクスを顕在化させるのである」(グロフ『自己発見の冒険』吉福伸逸他訳 春秋社)

LSDは、深層意識そのもののリアリティ(現実性)を開示するということです。そのため、心理療法のツールとして効果を上げたのです。例えば、通常、私たちが過去のことを思い出すといっても(記憶力を振り絞っても)、幼い頃のことなどなかなか思い出せません。しかし、LSDでは、簡単にほんの幼少期の記憶まで鮮明によみがえってきます。また、乳幼児や胎児の頃の記憶まで出てくるということが普通にあったのです。
そのため、当時、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリー博士らも、LSDを精神解放のツールとして、「サイケデリック体験」用として、これを大いに喧伝したのです。
さて、そのようなLSDですが、ここでは、少し極端な事例を見てみましょう。その方が、それがもたらす「意識拡張」という意味合いがよくわかるからです。
次の例は、或る精神科医が、LSD体験セッションの中で、自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長する体験をすることになりました。

「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
 卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分かと新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)

の事例では、被験者は、その体験セッションの中で、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。

「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)

 それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
 私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
 ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」 ※太字強調引用者 グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳(青土社)

上記のセッションを指導した、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、(「自己実現」で有名な)A.マズローとともに、「トランスパーソナル心理学」立ち上げた重要人物です。そして、「サイケデリック研究」の権威です。
博士は、元々チェコで、合法だった時代の、LSDを使って、サイケデリック・セラピー(LSDセラピー)を行なっていた人でした。数千回(直接に三千回、間接に二千回)にわたるサイケデリック・セッションにたずさわり、人間の深い治癒プロセスと、〈意識 consciousness 〉の不可思議な能力を目の当たりにしていったのです。
そして、このような観察結果/研究内容が、最晩年のマズローを突き動かして、トランスパーソナル心理学設立へと駆り立てたのでした。
しかし、グロフ博士がたどり着いた結論は(本人自身がそれを受け入れがたく、長年、精神的に葛藤したと語るように)、今現在、一般に流通しているメインストリームの科学的世界観とそぐわないものとなったのです。
彼は、それらに至る経緯を語っています。

「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」(グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳、春秋社) ※太字強調引用者

新しい見方をとっていくことで、上に引用した「鉱物との同一化」やその他の無数に起こる奇妙な体験の数々を受け容れることができるようになっていったのです。「判断や説明をさしはさまず注意深く記録」していくことによってです。しかし、それらは、現在一般に信じられている科学的世界観とはそぐわないものでもあったのです。しかし、これはまた、変性意識状態(ASC)全般について言えることでもあるのです。
彼は、サイケデリック(意識拡張)・セッションでの結論を次のように語ります。

「サイケデリック体験の重要な特徴は、それは時間と空間を超越することである。それは、日常的意識状態では絶対不可欠なものと映る、微視的世界と大宇宙との間の直線的連続を無視してしまう。現れる対象は、原子や分子、単一の細胞から巨大な天体、恒星系、銀河といったものまであらゆる次元にわたる。われわれの五感で直接とらえられる「中間的次元帯」の現象も、ふつうなら顕微鏡や望遠鏡など複雑なテクノロジーを用いなければ人間の五感でとらえられない現象と、同じ経験連続体上にあるらしい。経験論的観点からいえば、小宇宙と大宇宙の区別は確実なものではない。どちらも同じ経験内に共存しうるし、たやすく入れ替わることもできる。あるLSD被験者が、自分を単一の細胞として、胎児として、銀河として経験することは可能であり、しかも、これら三つの状態は同時に、あるいはただ焦点を変えるだけで交互に起こりうるのである」

「サイケデリックな意識状態は、われわれの日常的存在を特徴づけるニュートン的な線形的時間および三次元空間に代わりうる多くの異種体験をもたらす。非日常的意識状態では、時間的遠近を問わず過去や未来の出来事が、日常的意識なら現瞬間でしか味わえないような鮮明さと複雑さともなって経験できる。サイケデリック体験の数ある様式(モード)のなかには、時間が遅くなったり、途方もなく加速したり、逆流したり、完全に超越されて存在しなくなったりする例もある。時間が循環的になったり、循環的であると同時に線型的になったり、螺旋軌道を描いて進んだり、特定の偏りや歪みのパターンを見せたりしうるのである。またしばしば、一つの次元としての時間が超越されて空間的特性を帯びることがある。過去・現在・未来が本質的に並置され、現瞬間のなかに共存するのだ。ときおり、LSDの被験者たちはさまざまなかたちの時間旅行(タイム・トラベル)も経験する。歴史的時間を遡ったり、ぐるぐる回転したり、完全に時間次元から抜け出て、歴史上のちがった時点に再突入したりといった具合だ」

「非日常意識状態についてふれておきたい最後の驚くべき特徴は、自我(エゴ)と外部の諸要素との差異、もしくはもっと一般的にいって、部分と全体との差異の超越である。LSDセッションにおいては、自己本来のアイデンティティを維持したまま、あるいはそれを喪失した状態で、自分をほかの人やほかのものとして経験することがありうる。自分を限りなく小さい独立した宇宙の一部分として経験することと、同時にその別の部分、もしくは存在全体になる経験とは相容れないものではないらしい。LSD被験者は同時にあるいは交互に、たくさんのちがったかたちのアイデンティティを経験することができる。その一方の極は、一つの物理的身体に住まう、分離し、限定され、疎外された生物に完全に同一化すること、つまりいまのこのからだをもつということだろう。こういうかたちでは、個人はほかのどんな人やものともちがうし、全体のなかの無限に小さな、究極的には無視してかまわない一部分にすぎない。もう一方の極は、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉という未分化の意識、つまり全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化である。」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者

このような結論は、その体験の中で現れてくる意識状態そのものの不可思議さもあり、「『意識』そのものがどのようなものであるのか」という大問題にも関わるので、簡単に理解しがたいものですが、精神と心を探求する者にとって、とても示唆の多いものとなっているのです。そして、ケン・ウィルバーのいう「意識のスペクトル」論などへも、現象的な意味で、重要な光を照らすものとなっているのです。


◆まとめ

さて、このセッションでは、「サイケデリック」について、ハクスリーやスタニスラフ・グロフ博士の研究について見てきました。
とても興味深く、不思議な世界ではないでしょうか?

しかし、このような世界は、必ずしもサイケデリック物質(ドラッグ)を摂らなくとも得ることができるものなのです。
実際、上のグロフ博士は、LSDの使用に法的規制がかかった後は、体験的心理療法/(呼吸法を使った)「ブリージング・セラピー」を使って、近似した効果を上げていくことになりました。
なぜなら、サイケデリック物質は、きっかけでしかなく、意識の変容した状態である変性意識状態(ASC)さえちゃんと生み出せれば、方法論はなんでも良いからです。
さらに言うと、変性意識状態(ASC)さえ、きっかけであり、私たちの本源にある
〈意識 consciousness〉の本性」そのものに深くコンタクト(接触)できれば、深い次元の体験をできるからです。
次の女性の事例は、そのブリージング・セッションの中で、「自分を鯨としてまざまざと体験する(同一化する)」という、奇妙な、サイケデリック体験と同様の体験をしていきます。

「意識がはっきりと大洋的な性質を帯びてきたという感覚が高まり、ついに、大洋の意識と表現するのが一番ふさわしいものに、自分が実際になるという感覚を覚えた。いくつかの大きな体が近くにいることに気づき、それが鯨の群れであることを悟った。
気がつくと、頭部を冷たい空気が流れるのを感じ、口の中に塩辛い海水の味がした。明らかに人間のものではない異質な感覚や気持ちが微妙に私の意識をのっとった。周囲にいる他の大型の身体との原初的なつながりから新しい巨大な身体イメージが形成されはじめ、自分が彼らの仲間のひとりになったことを悟った。腹の内部にもうひとつの生命形態を感じ、それが自分の赤ん坊であることを知った。自分が妊娠している雌鯨であることに何の疑いも持たなかった」(グロフ前掲書)


体験的心理療法は、私たちの閉ざされた知覚や心身を、心身一元論的に溶解し、知覚を流動化させていくことで、変性意識状態(ASC)や、超越的な、トランスパーソナル(超個的)な次元が体験されてくることになるからです。それは、いみじくも、幻視家W.ブレイクの語った通りです。別に、映画『マトリックス』を素材にそのことを解説してみました。
「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界」

また、さきのハクスリーの言葉の中で、「バイパス」の話が出てきました。バイパスとは、「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。
しかし、歴史的に考えると、それらは伝統的には、シャーマニズム的な世界の中で、昔から存在していたものでもありました。「抜け道」的な意味合いとしては、文化的にはある種、トリックスター的なふるまい(回路)としても存在していたのです。
それは、部族(人類)が、必要なものとして、社会装置の中につくっていたのでした。
そして、実際のところ、そのような「バイパス(変性意識)」は多様に存在しているのです。そして、それは向精神性物質のようなものに限定されているわけでもないです。
実際のところ、古今東西、この世の中には(表向きには隠されているにしても)さまざまな方法論が、宗教や魔術、現代では体験的セラピーとして存在していて、実践されていて、バイパスのような成果を上げてきたからです。

そして、その中でも、「心身一元論的な心を変容させる技法(体験的心理療法)」は、比較的安全かつ的確に、私たちの中に、そのような「バイパス(変性意識)」を作り出していくためのものなのです。
筆者自身、十代の頃に、音楽の影響からハクスリーを読み、強い感銘を受けて、その後、意識の拡張を目指し、ゲシュタルト療法他さまざまな体験的心理療法等に取り組み、さまざまな興味深い変性意識を体験していくことになりました。その結果、実際に「知覚の扉の彼方」にある、まばゆい光明の世界にたどり着くことにもなったのです。
ですので、ハクスリーのような記述は、決して特別な事でも絵空事でもないのです。
私たちが、通常の地道な探求の果てに得られるものでもあるのです。

実際、その後のハクスリーは、アメリカのエサレン研究所 Esalen Institute という、二人の若者がつくる能力開発センターの後見人になりました。ここから、前衛的な体験的心理療法が、世界に広まっていったのです。
『エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦』
エサレン研究所は、ワークショップ・センターであり、アカデミックな機関ではありません。そのため、当時のさまざまな先端的な人々同士が交流する場となり、新しい思想と実践的なメソッドが醸成する空間となったのでした。
有名な人々では、思想家のグレゴリー・ベイトソンゲシュタルト療法のフリッツ・パールズトランスパーソナル心理学スタニスラフ・グロフらが長期居住者となり、さまざまなワークショップやレクチャーを行ないました。
下記に紹介しているスタニスラフ・グロフのインタビュー動画の中でも、博士はこのエサレン研究所について、「人間ラボラトリー」「潜在能力センター」「どの研究機関や大学よりも、心理学と精神医学に貢献してきた」と語っています。

ハクスリー他の記述に「何か響くもの」を感じた方は、ぜひ、意識拡張の可能性を信じて、薬物という方法でなくとも、色々な探求の旅に出られてみることをおすすめいたします。
実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
また、サイケデリック体験には、上記のような肯定的な面ばかりでなく、薬物中毒の問題以外にも、多くの否定面や問題もありますので、そのあたりは下記をご覧ください。この点の方が、世間的な印象かもしれません。しかし、ある面では、その「直観」は正しいのです。
変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」 6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
→ラム・ダス(リチャード・アルパート)『ビー・ヒア・ナウ』

さきにも触れた、トランスパーソナル心理学を、A.マズローとともに立ち上げた、スタニスラフ・グロフ博士は、元々チェコで、合法だった治療用幻覚剤LSDを使って、数千回にわたるサイケデリック・セラピーを行なっていた最重要人物です。
下の彼のインタビュー動画は、サイケデリック(LSD)の登場、効果、普及の理由などを、彼自身の個人的体験として、歴史的に回顧する大変興味深いものとなっています。↓
https://www.ntticc.or.jp/ja/hive/interview-series/icc-stanislav-grof/
※インタビュー中の、「イサレム」はエサレン、「バルド界」と訳されているものは、「チベットの死者の書」でいう「バルドゥ(中有)」のことです。


付記 「サイケデリック psychedelic 」という言葉の由来
 
参考までに、(日本では今でも)意味が伝わりづらい「サイケデリック psychedelic 」という言葉(用語、名称)が採用され、公式に世に出された経緯(由来、語源)を下記に引用しておきます。その言葉をつくったオズモンド博士は、まだ医療用の向精神性薬物が開発される前の時代に、精神科医として、統合失調症(精神分裂症)の脳内で起こっている生化学的プロセスに興味をもった人物でした。その生化学的プロセスがわかれば、治療になると考えて、精神に作用する物質を研究しはじめたのでした。しかし、そのような物質の薬効を体験し、調べているうちに、そのような物質は、もっと能動的で、積極的、創造的な作用を心にもたらすことに気づいていったのです。

LSD体験を説明した科学論文の用語は、オズモンドにはぴんとこなかった。幻覚とか精神障害という用語は、悪い精神状態しか意味していない。ほんとうに客観性を重んじる科学であれば、たとえ異常な、あるいは正気でないような精神状態を生みだす化学薬品に対しても、価値判断はくださないのが筋なのに、精神分析の用語は病理的意味あいを反映していた。オルダス・ハックスリーも、病理学的用語は、不適切だと感じていた。このドラッグの総体的な効能を完全に包含するには、新しい名称をつくるしかない、オズモンドもハックスリーもこの点では意見が同じだった。
オズモンドはハックスリーがはじめてメスカリン体験をしたときの縁で、親友づきあいをしており、頻繁に手紙をやりとりしていた。最初ハックスリーは「ファネロシーム」ではどうかと提案した。語源は「精神」とか「魂」という意味である。オズモンドあての手紙には、つぎのような対句が書かれていた。

 このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
 ファネロシーム半グラムをのみたまえ。

これに対してオズモンドは、こう返歌を書いた。

 地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
 サイケデリックをひとつまみだけやりたまえ

 こうして「サイケデリック」ということばが、つくられたのである。オズモンドは、一九五七年、このことばを精神分析学会に紹介した。ニューヨーク科学学会の会合で研究報告したとき、彼はLSDなどの幻覚剤は単なる精神障害誘発剤を「はるかにこえる」機能を持っており、したがってこれにふさわしい名称には、「精神をゆたかにし、ヴィジョンを拡大する側面をふくめる」必要があると主張した。そして、「精神障害誘発剤」のかわりに、あたりさわりのない用語を披露したが、これは意味がはっきりしなかった。文字どおりにはサイケデリックは「精神を開示する」という意味で、いわんとするところは、この種のドラッグは予測のつくできごとを開示するのではなく、意識下にかくされていたものを表面にひきだす機能を持つということである。
マーティン・A・リー他 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ』(第三書館)

関連記事
心理学的に見た「チベットの死者の書」
サイケデリック体験とチベットの死者の書
実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
拙著『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、
入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、上記のような変性意識状態が導く深淵な光明(世界)を知りたい方は、事例も含んだ拙著↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓動画解説 変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際

→『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』



動画解説『サイケデリック(意識拡張)体験とメタ・プログラミング』

この動画では、
別動画「映画『攻殻機動隊』ゴーストの変性意識」の
続編・補足編として、
私たちの意識や心の、
階層構造や可能性について、
解説しています。

ジョン・C・リリー博士の仮説モデルをもとに、
意識のプログラミングや、
メタ・プログラミングについて考えています。




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過去に生きるのはやめにして、今、正しいことをしよう

以前、
日本のNLP(神経言語プログラミング)
をテーマにした際、
初期のNLPの文化的背景にあった、
カウンター・カルチャーのことについて、
少し言及しました。
「日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか」

今回は、そのような当時の、
カウンター・カルチャーの雰囲気を、
生き生きと伝える本を取り上げて、
その精神的な姿を、
少し見てみたいと思います。

その本は、
ポール・ウィリアムズが、
青年の頃、1970年に書いた、
『ダス・エナーギ』(MOKO訳、春秋社)
という本です。

著者のポール・ウィリアムズは、
すでに亡くなっていますが、
SF作家フィリップ・K・ディックの友人で、
ロック雑誌の発刊や、
主に音楽関係の執筆などをしていた人物です。

著者の回想によると、
この本は、22歳の時、
(当時多かった)コミューン生活の中で、
書かれたもののようです。
(著者曰く「突然、自らを書き始めた」と)
そして、
その内容を、
「私のなじみの仲間たちには周知のことであり、
また、深夜、ごく親しい友人や
面白い未知の来客と話しこんでいるうちに
いつのまにかゆきつく類のもの」(前掲書)と、
表現しています。

本の中では、
詩とも散文ともつかないような、
断章(フラグメント)で、
当時の彼(彼ら)が感じていた、
直観的な思想が、
霊感に充ちた速度感で、
書き留められています。

「ただひとつの罪、
それは自分を憎むこと。
それは否定的な行為。
その反対は信じること。
悪いものなんてない。
悪い、といってみるのは、
いりもしない松葉杖のようなもの、
思い切って捨ててしまうまで、
悪くない脚もなおりはしない。
なおる、とはより健康になること、
健康になる、とは溢れるエネルギーの流れを
エンジョイすることだ。
エネルギーの流れが、
僕たちをハイにする。」

「正しいとは、どんなことか?
正しいとは、正しいと感じること。
直観的な気づき。
いまこの瞬間、なにをするのが、
君にとって正しいのか、君は正確に知っている。
ほかの誰も知らず、他のなにものも関係ない。
なんなら自分を一個の装置になぞらえてみるといい。
君は人の体と人の心を
重ね合わせた存在。
君が結びつけられて
その一部になっている心の潜在意識を通じて、
君はすべての人間の意識とつながり
交流することができる。
君の潜在意識を通じて。
君は感受性豊かな計器。
肉体的、感情的、精神的な全人類の延長。
一個人である、独特な延長。」
「どんなときにも、何が正しいかがわかり、それを実行する。
それ(感じる)にはなんの努力もいらない。
そのように君は設計されている。
それが君。
ほかの誰とも同じ人間ではなく、いまこの瞬間は、
ほかのどこにも存在しない。
君は一個の装置。
テーブルが見えるか、それとも声が聞こえるか?
そしたら、なにが正しいかが感じられるはず。」

「自分の行動に責任をもち、
正しいことをする。
過去に生きるのはやめにして、
過去から学ぶことにしよう。
いま、正しいことをしよう。」(前掲書)

そして、
人生のさまざまな局面に、
フォーカスを当てて、
自由と解放を、
促していきます。

「なるがままにまかせておけば、
なにかが起こる。
恐れはいつも未知の先取り。
人のエネルギーの流れに問題が起こるのは、
たいていがリラックスできぬせい。
なるがままにすることへの恐れ。
なるがままにまかせておけば、なにかが起こる。
未知への恐れ。
理性はいう、『取り引きしたいな。
まず、なにが起こるのか教えてくれ。
そしたら、なるがままにまかせるよ』
    くそったれが!
先のことは、誰にもわからない。
絶対に。
未来―次の瞬間―は知ることができない―未知。
理性はそれを信じたがらない。
怖いから。」

「君は選ばなくてはならない。
なにも見ない(知覚しない)方がいいか、
それとも本当のあるがままの世界をみたいか?
あるがままの世界を見るのは簡単だ。
壁をとり払って、
自己防衛と先入観で身を護るのをやめ、
無力で傷つきやすく愚かな者になればいいのだ。
だが、これは難しいことでもある。
それつらく、あまりに生なましく、対応が要求され、
信じがたいほどの深い関わりあいが必要だから。
その道程の90パーセントは、
休むことのない狂気の苦しみだ。
その道を歩き通したとき、
正気の世界が待っている。」

「僕たちが全面的覚醒―自覚―に到達したとき、
この地球の生命の流れに
ふさわしい位置を発見することだろう。
地球の生命の流れの中に
自分たちの占めるべき位置を発見したとき、
僕たちは全面的に目覚めるに違いない。
もはや誰も、全生命との調和から逃れることはできない。
それは、息をしないでいることが不可能であるのと同じくらい
不可能なことだ。」(前掲書)

そして、

「みんな知りたがる、
なにをしたらいいんだ? 
われわれは地球を救おうと、ゴミを拾い集め、
人類同胞を解放し、戦争をやめさせて
至福千年をもたらそうとしている。
でも、まじめな話、いったい自分になにができるんだろう?

よろしい、まじめな話をしよう:
リアリティ(本当の実在)に到達すること。
   君自身の本当の実在に到達すること。
    君自身になれ。
途方もなくハイでリアルな存在になり、
君のヴァイブレーションですべての人々に影響を与えること。
   どんなにそれがむずかしくても、
    ほかのすべてを投げうって、
   君に考えられる最も夢のあるリアルなことを始めることだ。
君自身になれ。
君自身の本当の実在に到達せよ。

自分自身でいられる君の力を信じること。
  ほかのなにかになろうと思うな、それは実在しない。
ただ君自身でいるそのことが、世界を変える。
  なんとかしようと、あたりをうろつきまわるな。
大胆で率直で正直で精力的であればいい。
  君はなすべきことを知っている。
もし君が知らないと思うなら、まったくなにもしないでいること。
したくなるまで。
この方法に失敗はない。
純粋な受容は純粋な創造に向かう。
君自身がどんな存在かを想像し、
あとは一瞬もためらわないことだ。

君の中の強いものを取りだし、
  それを活動させる。
    解き放て。
 人がどう思おうと気にするな。
君の全筋肉を動員し、
  それを限界まで鍛えあげるんだ。
きっと驚くだろう、その心地よさに、
  そして、うまくやってのけた自分に。
純粋なエネルギーを外に放射するだけで、
―ハイにコンタクトする究極なコミュニケーション方法だ―
   君は素晴らしくなる。

     自分であれ
     自分であれ
     自分であれ! 」

              (前掲書)


…………………………………………………………………………

さて、以上、
ポール・ウィリアムズの言葉を見てみましたが、
当時のカウンター・カルチャーの雰囲気が、
よく伝わって来ると思われます。

少しナイーブすぎると、
感じられるかもしれませんが、
当時は、逆に、そのようなスタンスが、
戦略的に新しかった(有効だった)のでしょう。

これらの直観の内にある可能性を見極め、
より実効的なものとして、
精査・再構成していくことも、
現代的な課題であると思われるのです。

また、このような直観的な思想が、
60年代の後半に、
ゲシュタルト療法が普及する、
追い風にもなっていったのは、
事実であったわけです。

当時の、
クラウディオ・ナランホの言葉は、
このような思潮とも、
さまざまに響き合っていたわけです。
クラウディオ・ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢

そしてまた、現在、
ゲシュタルト療法を、
心理療法だけの枠に閉じ込めないで、
その原初の精神の息吹を思い返すためにも、
参考となるものでもあるのです。

そしてまた、
時代の風景を広く見ていくと、
前段に触れた、
NLP(神経言語プログラミング)なども、
そのような新しい時代の方法論として、
自らを構成していこうとした様子が、
より見てとれるのです。

彼らが持っていた、
過去からの囚われを一気に乗り越え、
新しい未来の創造に、
身を投じていこうという姿勢も、
そのような精神の現れであったわけなのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



 



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル ジョン・C・リリーの冒険から

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
未知の階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究や、アイソレーション・タンクの開発者である、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
過去2回、検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量

今回は、第3弾として、
そのような心(意識)の階層構造の仮説として、
博士の著作『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)の中の、
「意識の振動レベル」という、
階層図式について、
取り上げてみたいと思います。

ところで、
意識の「振動レベル」とは、
リリー博士が、
南米の秘教的スクールであるアリカ研究所で、
創設者のオスカー・イチャーソから、
教示されたものです。
それを、博士が、
自己の体験と照合して、
自著の中で、
解説しているものとなります。

イチャーソ自身は、
スーフィー系、グルジェフ系の教えをもとに、
さまざまな思想をミックスさせて、
自分独自の訓練システムを編み出し、
アリカ・システムとして、
60年代に展開しはじめました。

ところで、
(ついでに記すと)
結果的に、
彼の思想の中で、
一番有名になり、
普及したものといえば、
今では、
性格タイプの分類体系として知られる、
「エニアグラム」でした。

これは、元々、
イチャーソのシステムの元では、
原分析(プロトアナリシス)と呼ばれており、
私たちの自我(エゴ)の偏向を正すために、
利用するツールでした。

「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有率でも、
触れたように、
アリカ研究所では、
自己(セルフ)の中における、
自我(エゴ)と、
本質(エッセンス)の占有率というものを、
重視したのでした。

そして、
自我(エゴ)の占有率が減れば減るほど、
その分、ノイズがなくなり、
私たちの内(外)なる、
本質(エッセンス)が輝き出る、
働くようになると考えていたようです。
これは、シャーマニズム的な見地からも、
ある意味、妥当だと思われます。

そのために、
サトリの妨げとなっている、
自我(エゴ)の歪みを正すことが、
本質(エッセンス)、つまり、
存在の肯定的状態をより得るために、
必要だったわけです。

そのために、
個人の自我(性格)の偏向を捉えるために、
原分析(プロトアナリシス)ということを、
行なっていたわけです。

この原分析(プロトアナリシス)が、
エニアグラムとして広まった理由は、
リリー博士の知り合いで、
同時期に、アリカ研究所で訓練を受けた、
(本書にも登場する)
精神科医クラウディオ・ナランホ博士が、
自分の元々の、
心理学的な性格分類研究と合わせて、
エニアグラムを、一部の人々に、
教授しはじめたことがきっかけでした。

ところで、性格分類は、
上記、訓練システムの一部のものなので、
教授した対象者にも、
決して口外しないようにと、
守秘義務の約定書などをとっていたようですが、
受講者が、勝手に流布し、
結果的に爆発的にひろまってしまったので、
ナランホ博士やイチャーソも、
状況を、追認せざるえなくなったのが、
実情のようです。

ところで、
チリ出身のナランホ博士は、
フリッツ・パールズ直弟子の、
ゲシュタルト療法家であり、
向精神性植物の研究や、
チベット密教、スーフィーの実践者としても、
知られている人物です。
ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢

さて、
話をもとに戻しますと、
「意識の振動レベル」とは、
そのオスカー・イチャーソが、
グルジェフ系のものとして、
提示している、
意識の階層モデルです。

それぞれの、
高低の階層を、
振動レベルの違いと呼んで、
数字で区分けしています。

(意識の振動レベルなどというと、
何か仰々しい感じがしますが、
あまり気にせず、
変性意識状態(ASC)の質性の違い程度に、
とらえておいて、
問題ないと思われます)

そして、
各振動レベルによる、
各意識状態があり、
私たちの通常の意識状態から、
移行する形で、
それら高次、もしくは低次とされた、
意識状態に、移っていくというわけです。

高次のレベルへの移行が、
攻殻機動隊のセリフにいう、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
状態であるわけです。

また当然、同時に、
複数の振動レベルを持つことも可能であり、
リリー博士は、
日常生活(地上生活)における、
ひとつの統合状態として、
そのようなものを目指して、
努力していくこととなります。

リリー博士は、
それらの各意識状態を、
アリカに倣って、象徴的表現を交えつつ、
以下のように記しています。

「振動レベル48」が、
ニュートラルな状態で、
より肯定的なプラスの状態と、
より否定的なマイナスの状態に、
上下対称的に、
分かれています。

①振動レベル+3
 古典的なサトリ。救世主になる。宇宙的な心との融合。神との合一。

②振動レベル+6
 仏陀になる。意識、エネルギー、光、愛の点―源。
 透視の旅。透聴の旅。頭の心的センター。

③振動レベル+12
 至福状態。キリストになる。宇宙的愛。宇宙的エネルギー。
 高められた身体的自覚。身体的意識と地球意識の最高の働き。
 胸にある感情センター。

④振動レベル+24
 専門家的サトリあるいは基本的サトリのレベル。
 必要なプログラムのすべてが生命コンピュータの無意識内にあり、
 円滑に機能している状態。下腹部の運動センター。

⑤振動レベル48
 中立的な生命コンピュータの状態。新しい観念の吸収と伝達の状態。
 肯定的で否定的でもない中立的な状態で、
 教えることや学ぶことを最大限に促進すること。
 地上。

⑥振動レベル-24
 否定的状態。苦痛。罪の意識。恐怖。
 しなければならないことを、苦痛、罪の意識、恐怖の状態ですること。

⑦振動レベル-12
 極端に否定的な身体的状態。人はまだ身体内にいるが、
 意識は委縮し、禁じられ、自覚は苦痛を感じるためにのみ存在する。

⑧振動レベル-6
 極端に否定的であるということを除けば、+6に似ている。
 煉獄に似た状況で、人は意識やエネルギーの点―源にしかすぎなくなる。

⑨振動レベル-3
 宇宙らに遍在する他の実体に融合するという点では+3に似ているが、
 それらは最悪である。自己は悪で、意味をもたない。
 これは悪の典型であり、想像しうる最深部の地獄である。
 (リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)


さて、
リリー博士は、本の中で、
過去のさまざまな変性意識状態(LSD体験等)を、
これらの各振動レベルでの体験として、
割り付けていきます。

そして、
自己の探求の足取りを、
各意識の振動レベルの、
さまざまな体験として、
整理していくのです。

そして、
アリカでの、
実際のトレーニングの中で、
意識の各振動レベルを、
上昇していく様子が、
(上部構造にシフトする様子が)
具体的な風景描写として、
描かれていくこととなります。

また、
さまざまな意識の振動レベルが、
同時的に働いていく様子も、
実際的に、
細かく描かれていくこととなるのです。

その結果、
本書における、
これらの記述は、
実際に、
さまざまな変性意識状態(ASC)を体験し、
それらをどう位置づけたらよいか、
苦慮している人々にとって、
大変参考となるものに、
なっていったのです。

…………………

さて、以上、
リリー博士による、
「意識の振動レベル」について、
概観してみましたが、
博士の実体験として、
本の中で描いている、
各種の変性意識状態(拡張された意識状態)は、
他の精神的探求の伝統に見られる、
さまざまな体系と呼応して、
大変興味深い記録とも、
なっているのです。

そして、また、
これらが、
具体的な方法論の描写を伴う、
(科学者の)実験レポートのような体裁になっている点が、
本書を資料的にも、
より貴重なものにしているともいえます。

この手の体験領域を、
記述しているものの多くは、
前提として、
任意の価値観や思想を、
はじめから含んでいるものが多く、
結果として、
探求としての中立性(明晰性)に、
曇りや歪みが、
生じてしまっているからです。

そして、実際のところ、
本書での図式は、
世界中の、
各種の風変わりな、
変性意識状態(ASC)の事例や、
意識拡張的な事例を、
分析・検討していくに際しても、
さまざまに役立っていくものでも、
あるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量 ジョン・C・リリーの冒険から

 

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究者、アイソレーション・タンクの開発者であり、
映画『アルタード・ステーツ』のモデルにもなった科学者、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

今回は、その続編として、
博士の探求事例の中の、
興味深い点をもう少し、
細かく見てみたいと思います。

ところで、リリー博士は、
純然たる科学者であり、
そもそもは、神経生理学の研究から、
意識の研究をはじめました。

私たちの「脳」や「意識」というのは、
一切の知覚・感覚を遮断しても、
(外部情報の入力なしに)
自律的に、存在するものなのだろうか、
というような切り口から、
意識の研究をはじめたわけです。

博士の当初の考え(仮説)では、
脳のソフトウェアでしかない意識などは
外部情報の入力なしには、
独立存在しないだろう、
ということだったわけです。
その実験のために作ったのが、
アイソレーション・タンクだったわけです。
そこから、
イルカの研究にもつながっていくわけです。

ところが、
さまざまな実験を繰り返す中で、
感覚情報なしにも、
意識は存在することや、
加えて、
感覚遮断した意識状態に、
興味深い現象が現れることに、
気づいていくこととなったのです。

もともと、博士は、
精神分析の訓練などは、
受けていたわけですが、
さらに、当時発見され、
精神医学の領域で使われはじめていた、
LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を用いて、
意識についての解明を、
試みることにしたわけです。

さて、
そのような博士の著作に、
『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)という、
自伝的な体裁をとった本があります。

博士自身が、
結論部分で、最終的な解答を見出してないと、
言っているように、
探求の途中経過と、素材として仮説を、
年代記風に示した著作です。

ところで、その本(や前著)の中に、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」と、
名付けられた図式があります。

人間の生命システムが、
どういうプログラミングの、
階層構造になっているかを、
示したものです。

上位にあるものが、その下位にあるものを、
プログラミングし、
制御しているという構造です。

10―未知なるもの
9 ―本質のメタプログラミング
8 ―自己のメタプログラミング
7 ―自我のメタプログラミング
6 ―(制御システムとは関係のない)メタプログラミング全般
5 ―プログラミング
4 ―脳の諸活動
3 ―物質的構造としての脳
2 ―物質的構造としての身体
1 ―(身体と脳を含む)すべての側面をもった外的現実
(リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)

「自我(エゴ)のメタプログラミング」あたりが、
通常の私たちの日常意識のレベル、
つまり、諸々のつまらないことに囚われ、
翻弄されている、普段のレベルとなっています。

「自己(セルフ)のメタプログラミング」は、
高度な気づきAwarenessの状態や、
統合の水準であり、
下位のものが統制され(妨げられることなく)、
自己の全体が、
滑らかに作動している状態とされています。

「本質(エッセンス)のメタプログラミング」は、
さらなる上部構造システムの働きです。
「本質とは、人間、個人、身体、生命コンピュータに適用される、
宇宙的法則の最高の表現である」(前掲書)
仮説として、
抽象的に置かれた(措定された)ものといえますが、
博士自身によると、
LSD実験による、体験と検証の中で、
仮定されたものとなっています。
最上位の階層が、
「未知のなるもの」となっているのは、
そのような意味合いからでしょう。

ところで、
『意識(サイクロン)の中心』において、
多くの紙数を占める、
スーフィー的スクール(アリカ研究所)の訓練体験の中では、
このような階層構造を、
上がって(上昇して)いく様子が、
さまざまに描かれています。
化学的なグラフでも示されています。

そこにおいては、
「自己(セルフ)」の中における、
「自我(エゴ)」の含有量が減っていくと、
反対に「本質(エッセンス)」の含有量が増えていくと、
描写されています。

ノイズが減り、
純粋な自発性が、
輝くように現れて来るわけです。
それは、
素晴らしく肯定的な状態、
ハイな意識状態(エクスタシィ)として、
描かれています。

一方、
「自己(セルフ)」において、
「自我(エゴ)」の含有量が増えていくと、
ノイズや落ち込みが増え、
「本質(エッセンス)」の含有量が、
無くなってしまうものとして、
描かれています。

苦痛や葛藤の多い、
ローな状態に、
なってしまうわけです。

さて、
ところで、上に見た、
含有量の構造などは、
実は、
心理療法(ゲシュタルト療法)の世界においても、
同様に、普通に見られる現象だとも、
いえるのです。

ゲシュタルト療法においても、
セッションを数多くこなす中で、
自我の分裂や葛藤が減り、
自己が、より全体性として、
働く感覚が生まれて来ると、
自己の奥底にある、
より自由で、自発的な自己(オーセンティック・セルフ)が、
生きられるようになる、
という構造です。

そして、
私たちは、
より肯定的な意識状態に、
長く留まれるようになる、
という事態(構造)です。

そして、
それはまた、
シャーマニズムにおいて言われることと、
同様の事柄でもあるのです。

シャーマンが、
自我の詰り(ノイズ)を取り去り、
自己をパイプのように
空洞にすればするほど、
未知のメディスン・パワーがそこを流れ、
働きやすくなるという構造と、
似通ったものなのです。

それは、聖なる息吹に充ちた、
パワフルな状態であるというわけです。
そのために、
シャーマンにおいては、
戦士的な空無の状態であることを、
重視することとなっているわけです。

そして、
それはまた、
元ネタの、攻殻機動隊にならって、
新約聖書を引用するとするならば、
ガラテヤ書にある、
パウロの言葉、
「最早われ生くるにあらず、
キリスト我が内に在りて生くるなり」
(生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである)
という体験領域なども、
聖霊に満たされた信徒たちと同様、
「本質」の含有量の、
極めつけに高まった状態だと、
類推することもできるわけなのです。


このように、
興味深いことに、
数々の事例から知られることは、
自己が「全体として」働けば働くほど、
やがて、そこから、
自己を超えた要素が、
「本質(エッセンス)」的な要素が、
フロー体験のように現れて来る、
ということでもあるのです。

リリー博士の、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」は、
そのように、
さまざまな視点とも響きあう、
普遍的な構造を持った図式として、
参考になるものでもあるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
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「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
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効果的に作用するNLP(神経言語プログラミング)のフレームとは


さて、別に、
NLP自体が位置している、
大枠の、文化的、理論的な、

コンテクストについて、書きました。

それは、
NLPの可能性を引き出し、
効果を的確にするためにも、
そのような背景となる基盤や、

フレームが必要である、
という意味合いでです。
日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか

今回は、
より実技的な面に焦点を絞って、
セッションの中における、
NLPテクニックの使用について、
検討してみたいと思います。

前回、NLPとは、
「単なる心理学ツールの寄せ集めである」
としました。

そして、
NLPの各手法を
効果を出すように使うには、
そのあつかうフレームが、
とても重要となるとしました

そのことでの結論を、
さきに言うと、
まず、第一に、
それは、
セッション(ワーク)空間の
「現場性、状況性に根ざす」
ということなのです。

そこで起こっている出来事の、
膨大な情報空間に、
心身でまるごと、
感覚的に関わる中で、

NLPの技法を、
構成的に使うということなのです。

しかし、実は、
これは、表面的には、
NLPが売り物にしている要素と、
「真逆」の事柄となります。

普通、NLPは、
誰もが、簡単な手続きで、
インスタントな効果を、
発揮できるというのが、
謳い文句だからです。
現場の感覚は、
あまり重視されないわけです。

しかしながら、
その現場感覚(現場情報)への感度を欠くことが、
NLPが、
「効果が出ない」と言われる、
一番の要因を、
つくり出している点でもあるのです。

現場で流通する、
膨大な情報の中の、

さまざまな局面の中にこそ、
NLPのテクニックを、
活かすヒントも、
含まれているからです。

そのため、
ここでは、
リアルな効果の保証として、
現場性に根ざすことの必要性を、
あらためて、
確認しておきたいと思います。

その流動する情報の流れに合わせて、
NLPのフレームやテクニックを、
対象化して、

使っていくということなのです。

 

はじめにテクニックありき、

処方箋ありき

ではないのです。


その現場の枠組みの中ではじめて、
NLPテクニックも、
有効なものになっていくのです。


◆セッション現場という膨大な情報空間について

さて、普通、
NLP講座の語り口では、
通常、あたかも、
NLPの整理によって、
パールズ、エリクソン、サティア等の天才が、
解き明かされたかのように、
解説されます。

しかしながら、

よく考えてみれば分かるように、

NLPが行なったことは、
実際のところ、
その天才たちの流麗な技法の、

ごく特定の一部分を

抽出した(抜き出した)というのが、
正しい理解です。

 

彼らの暗黙知の、

ごく一部を抽出し、
明示的な方法論(ツール)にした、
ということです。
そして、素人にも、
使いやすくしたということです。

抽出された、
道具類が、
そこにあるのです。

 

天才たちの才能からすれば、
氷山の一角のようなものです。

冷静になって考えてみれば、
分かるように、
天才といわれるミルトン・エリクソンの、

(あれほど本を出している)

膨大な弟子たちが
エリクソンほどには
治癒の成果を出してないという事実は、
すぐに理解できると思います。

 

そのことで、
誰も責められていません。
それは、ごく当然のことだと、
私たちにも、思えるからです。

 

弟子たちが行なったことは、

エリクソンのやっていたことの一部を、

体系化・理論家したものしかないからです。

そして、一方、
エリクソン自身が行なっていたことといえば、

ずっと感覚的なことでした。

 

現場での膨大な情報空間を、
クライアントとの間に発生させ、交流させ、
クライアントのプログラミングに、
影響を与えていくという、
全身的で、身体的な作業でした。

そして、
弟子や研究者が行なったことは、
エリクソンが、全身で行なっていることを、
任意の要素にわけて、

ピックアックし、
ラベリングし、
その機構と働きを、記述するということでした。

しかし、そこには、当然、

明示的に取りだせない情報が、
(それもクライアントに働く重要な要素が)
膨大ににあるわけですが、
それは皆、フィルタリングされ、
落とされてしまうわけです。

喩えると、
音楽の採譜のようなことかもしれません。
楽譜(音楽的言語)にできない音楽の質性も、
世にはたくさんあります。

そして、
楽譜を見たところで、
その元の音楽が、
完璧に再現されるわけではないことは、
いうまでもありません。

NLPのテクニックも、
同じことです。
天才たちのすべての要素が、
そこに在るわけではないのです。

そのごく一部が、

そこに抜きとられていると、

考えるべきなのです。


しかし、また一方、
楽譜から、何かしらの音楽は、
再現したり、
創り出すことはできるのです。

それを、
生きた音楽にするのは、
今度は、
演奏家自身の力量(課題)です。

演奏家自身の持つ、
過去の現場(膨大な情報空間)で得た、
自身の経験値や、暗黙知、
そしてまた、イマジネーションが、
音楽を創りだすのです。

このことからも、
分かるように、
NLPを使う人は、
まずもって、

自分自身が
充分な現場感覚を持ち、
その場その場での、
膨大な情報の流れを、
つかみ取れないと意味がないのです。

そして、それは、たとえも
クライアントとしての体験としてでも、
良いのです。

ところで、
実際の多くのNLPスクールでの、
演習の風景とは、

さきの喩えを使うと、

あたかも、楽器の演奏をしたことのない人が、
楽譜を見ながら、
いきなり、一音一音、
つま弾くような事態になってるのです。

つまり、音楽(曲)になっていないのです。

 

さらにもっとひどい場合には、

そもそも、音楽を好きでもない人が、

それを行なおうとしているのです。


これでは、感覚的にも、

やってることの意味がよくわからないし、
そのNLPテクニックの本意(本質的な意味)さえ、
つかめてこないのです。

 


◆暗黙知と明示知の往還

そのため、
NLPテクニックを有効に
活かす道(方法)は、
「素人でも簡単に使えるテクニック集」という、
開催企業の宣伝文句とは、
実は逆の道なのです。

つまり、
ある程度の経験値、
現場の暗黙知をつかんでいる人が、
その現場の膨大な情報空間の中で、
この場面なら、
「あのテクニックの、

あの部分をアレンジして使うと、
面白いんじゃないか、効果的じゃないか」と、
過去の測定結果から、
使うというやり方です。

そして、その場の局面に合わせて、
自分なりに編曲を変えて、
使ってみるということなのです。

そのような場面でこそ、
NLPテクニックも、
活きて来るものなのです。

そのため、
NLPの資格を、
勢い込んで取ったものの、
使い方がよくわからず、

そのまま放置してあるという人は、
まずは、
ゲシュタルト療法などでもよいので、
まずは、自分の内的感覚やシステムを働かす、
体験セッションを、数多く経験して、

現場感覚や暗黙知を増やしていくことが、
良いのです。

 

そうすると、

自分の感覚の中で、

NLPのテクニックが、

意味していることの、

原理的な仕掛けが、

見えてくることとなります。

 

そうなると、

それらを実践的に使う道筋も、

見えてくることとなるのです。

 

セッション現場での、

多様な情報の流れも、見えて来て、
NLPテクニックを使う、
アイディアやイメージも、
湧いて来るようになるのです。

そうなると、

単に、音(テクニック)を並べるだけではなく、
実際の、自分なりの生きた音楽が、
演奏できるようになってくるのです。

 

 

気づきや変性意識状態(ASC)の、

より総合的な方法論については、拙著↓

入門ガイド、

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

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↓動画「変性意識状態(ASC)とは」

 

↓「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓変性意識状態への入り方はコチラ

 動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」 

 

↓より多様で、深遠な変性意識状態については、コチラ

 動画「ゲシュタルト療法 変性意識 意識拡張 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』」

日本のNLP(神経言語プログラミング)は、なぜ退屈なのか

 

◆日本におけるNLPの概況

さて、NLP(神経言語プログラミング)も、
日本に本格導入されてから、
20年ほどが経ち、
良くも悪くも、普及してきたと思いますので、
少し状況の総括をしてみたいと思います。

ところで、現在、本やスクールは多くあり、
その効果を、(過剰に?)謳っている一方で、
ネットを見ても、
「怪しい」「うさんくさい」
「効果がない」
などの言葉も、散在しています。

これらの言葉は、ある意味では、
皆、正しいのですが、
前時代の、歴史的な経緯を知らない方々、
特に、若い世代の方々にとっては、
どうも基本的な情報が不足しているようなので、
「本当のところはどうなっているのか」
ということを少し整理して、
まとめておきたいと思います。

◆日本への導入(輸入企業)の問題について

まず、
「怪しい」「胡散臭い」側面ですが、
これは、その通りであり、
それは、日本における導入の経緯や、
輸入会社(企業)に関係している事柄です。

例えば、コーチングでさえ、元々は、
商業セミナー(いわゆる自己啓発セミナー)を
運営していた会社が、
自己啓発セミナーに代替する商品として、
輸入したという導入経緯があります。

そのため、
方法論自体の真偽は、
脇に置いておくとしても、
その前段階で、
一種のうさんくささや、
嘘があるわけなのです。

導入した会社が、
その方面での素養や意欲もなければ、
方法論的内容や効果よりも、
金儲けになることを、
主眼としていたからです。

しかし、コーチングも、
普通の人たちが、
徐々にやるようになって来て、
方法論的に修正を加えていくことで、
まともな方法論に、
少しずつ近づいてきたという経緯があります。

これは、
NLPにおいても、
少し似たような側面があるのです。

そのため、
NLPを学んでみたいという人は、
スクールの各団体や主催者が、
どういう出自を持っていて、
心理を扱う最低限の素地があるか、
また、
NLPの原理は何であり、
どういう適用や効果を持っているのか、
ということを、
見極めておくことをおすすめします。



◆カウンター・カルチャーとしてのNLP その出自と前提

さて、もうひとつ、
NLPが、日本でわかりにくい側面は、
オリジナルのNLPが、その出自として持っている、
カウンター・カルチャーの、
文化的な意味合いや創造的なアイディア(沸騰)が、
感覚的に理解されていないことです。

カウンター・カルチャー(対抗文化)の思潮とは、
ヒッピー云々のような、
表面的で、風俗的な流行とは関係のない事柄です。

アップルのスティーブ・ジョブズが、
サンフランシスコ禅センターに、
熱心に通ったのは、
別に遊びでも、流行のためでもありません。
感覚の深いところに根ざした直観であり、
共鳴だったのです。
そこのところが分からなければ、
ジョブズのことも理解できないのです。
また、ビートルズでさえ、決して流行で、
超越瞑想を行なったわけでも、
それで、終わったわけでもないのです。
http://www.tm-meisou.org/blog/archives/247

さて、
NLP神経言語プログラミングは、
グリンダー博士とバンドラー博士によって
パールズ、エリクソン、サティアなどを、
モデリングしてつくられたとされています。

ところで、アメリカにおける心理療法は、
日本のものとは違って、ずっと、
一般の人々の生活の近くにあるものです。
自分の精神分析医を持つことが、
ステータスだったこともある国です。
(映画などでも見かける風景です)

その流れで、60年代、
カウンター・カルチャー隆盛の時代には、
一般の、感度の高い人々が、
ゲシュタルト療法や、エンカウンター・グループ等を、
治療のためではなく、心や創造力を解放する手段として、
気楽に体験したわけです。
治療のために、ドラッグ(薬)を使うのではないのと、
同じことです。
その文脈で、エサレン研究所なども注目されたわけです。

そしてまた、その周辺には、
それらの手法を、見よう見まねで取り入れた、
カルト系や商業系の、自己啓発セミナーたち、
エストやその他が、非常に沢山あったわけです。
牧師や導師(グル)の説教や、
モチベーション・スピーカーの講話が、
巷に溢れている世界にあっては、
ごくありふれた風景だったわけです。

そして、
グリンダー博士も、バンドラー博士も、
もともとの専門領域は、言語学や数学であり、
専門の心理系ではなかったのです。

ただ、上記の背景もあり、体験的心理療法は、
必ずしも専門領域だけに閉ざされていたわけでは、
無かったのです。
(元々、バンドラー博士は、
パールズの逐語録作成などを手伝っていましたが、
その語り口は、どこか部外者的です)

そしてまた、
本当に、実際的な効果だけを求めるなら、
心理系の専門領域などというジャンル分けも、
あまり意味を持たなかったのです。

彼らが、パールズ、エリクソン、サティアと、
流派もバラバラな人々を、モデリングした背景には、
そのようなフリキシブルな前提があったわけです。
そのため、メイン・ストリームの学問を疑っていたし、
そもそも評価していなかったのです。
そのことをうかがわせる、興味深いエピソードがあります。

NLPが、一部で話題になり出した当初、
グリンダー博士とバンドラー博士らは、
家族療法で有名なMRI(Mental Research Institute)に呼び出されて、
デモンストレーションをやらされたようです。

グリンダー博士曰く、
「MRIの奴らは、度肝抜かれていた」とのことで、
その結果、MRIでは、
NLPについて、一切言及しないようにと、
緘口令が敷かれたそうです。

若き日の、悪態つきのバンドラー博士が、
どんな挑発的な言辞で、
旧弊なセンセイたちをキリキリ舞いさせたのかはわかりませんが、
その場面を想像してみると、らしいエピソードです。

ところで、
アカデミックの世界などに持ちこんだら、
NLPは潰されていただろうというのが、
グリンダー博士の見解のようです。

そして、より一般の人々に訴える方向で、
NLPを普及させる方に向かったわけです。
そもそもが、カウンター・カルチャーなので、
そこのところは、問題ではなかったのです。
そして、良くも悪くも、
普及したというのが現状なのです。

このあたりのコンテクストが、
学問的なことは、正解であると思い込んでいる、
物事を信じやすい日本人には、
分かりにくい側面でもあるのです。
 

 

◆人生戦略のツールとしてのNLP

さて、それでは、
「NLPとは何か」といえば、
それは、
「単なる心理学ツールの寄せ集めである」
ということです。

そのため、
どのようなコンテクストで利用すれば、
NLPの手法は効果を出すのか、
そこのフレームが押さえられていないと、
NLPも意味を持たないわけなのです。

そして、そのことでいうと、
NLPは、そもそも、
カウンター・カルチャーを前提としたものなので、
人間(人生)そのものを、人生の質を、
旧来の姿にない新しい形に、創り変えていくという、
オルタナティブなヴィジョンを、
背景に持っていたのです。

ところで、彼らは、
グレゴリー・ベイトソンに、
初期の本の序文を書いてもらっています。

「グリンダーとバンドラーは
我々がその時に直面していた問題に
直面したのであり、
その結果が、このシリーズである。
彼らには我々が持っていなかった
―あるいはその使い方が分からなかった―
道具がある。
彼らは言語学を、
理論の基礎に置くと同時に、
治療の道具にすることにも成功した。
彼らは精神医学の現象を
これで二重に照合して確かめることができ、
今なら私にもわかるが、
その時には残念ながら見逃していたことを
彼らはやりとげたのである」
『人間コミュニケーションの意味論』
ベイトソンによる序文、尾川丈一訳(ナカニシヤ出版)

そのベイトソンは、
人類学や精神医学の実証研究から、
私たちの、通常の「心」も、
(彼の学習理論にしたがって)
習慣による二次学習の結果であると、
洞察していました。
そして、それを変化させるのが、
より上位階層レベルの学習、
三次学習(学習Ⅲ)であると考えたわけです。
「気づきと変性意識の技法 基礎編」

ベイトソンは、
二次学習発生の由来が、おそらく、
問題解決に費やされる思考プロセスの経済性である、
と指摘したうえで、以下のように記しています。

「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、
何の役に立つのかという問いに、
『それによって生のシークェンスの多くを、
いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』
という答えを用意したわけである。
『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』
という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。
これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、
変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」
『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)

「習慣の束縛から解放されるということが、
『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。
『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。
『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、
また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、
形づけ方の『型』である。
要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。
とすれば、Ⅲのレベルに到達し、
自分の行動のコンテクストが置かれた
より大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、
『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。
経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、
そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」
(前掲書)

「習慣の束縛から解放されるということが、
『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。
『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である」
「要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである」
「これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、
変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」
というようなヴィジョンが、
カウンター・カルチャーを背景に持ち、
ベイトソンに序文をもらい、
天才肌のパールズ、エリクソン、サティアと交流し、
その方法論を抽出・再構成していった若者たちにとって、
どのような、人間(人生)の、
あるべき未来を夢想させたかという点は、
想像するだに、クリエイティブで刺激的な事態です。
そこに、NLPの原風景があるわけです。
NLPの少しSF的で、遠大な含意は、
そのような点にもあるのです。

そのため、
はじめから「NLPの手法ありき」で、
物事を考えても、イメージはひろがらないし、
あまり成果の出るものでもありません。
そのような、創造性を欠いた現状からも、
グリンダー博士は、NLPの未来には、
悲観的なようです。

そのことは、
文化的前提のない、日本においては、
なおのことなのです。
そしてまた、ここが、
日本のNLPが、
とりわけ退屈になってしまっている、
要因のひとつでもあるのです。

NLPカリキュラムの、既存の手法ありきで、
それをいっぱいいっぱいに試してみても、
あまり効果の出るものではないのです。
また、
背景のヴィジョン(フレーム)がきちんとないと、
そもそも、
NLPが作用するフレーム自体も、
生まれて来ないのです。

大きな人生の、得たい方向性(戦略)を組み立てる中で、
また、セッション現場のリアリティの中で、
どのような要素(場面、局所戦)に、
適用し、位置づけたら、
NLPが効果を生むのかを見極めていくことが、
まずは、NLPをイメージ豊かに使うコツとなるのです。

そのため、
あるいは、逆にいえば、
NLPを、あまり真剣にとらえずに、
アートやSF的なエンタメのひとつとして、
まずは自分で試してみて、
楽しんでみる位のスタンスの方が、
何かしらの人生のヒントを、
つかめるのかもしれません。

※気づきと変性意識状態(ASC)についての、
総合的な方法論は、拙著↓
入門ガイド

→内容紹介『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
また、
よりディープな内容は

内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 

↓動画「変性意識状態(ASC)とは」

 

↓動画「変性意識 映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

 

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓変性意識状態への入り方はコチラ

 動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」 

 

↓より多様で、深遠な変性意識状態については、コチラ

 動画「ゲシュタルト療法 変性意識 意識拡張 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』」

総合サイト案内 能力拡張のマップ


 

 

当サイトは、以下の4つのパートで構成されています。 

 (全体はこちら→サイトマップ)

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

…当スペースの方法論の基礎である、

 ゲシュタルト療法について、解説しています。

 

【PART2 Standard】気づきと変性意識の技法 基礎編

…変性意識状態(ASC)をはじめ、

 ゲシュタルト療法や心理療法を補足し、拡張する、

 重要な視点を、解説しています。

 

【PART3 Advanced】気づきと変性意識の技法 上級編

→より自由な、気づきと変性意識の技法のモデルとして、

 さまざまなトピックを取り上げています。

 

【PART4】フリー・ゲシュタルト・ワークス

→当スペース関係のご紹介となります。

 

…このPART1~3の流れで、

 私たちは、能力と意識を、より高めていくこととなります。

 心 Mindの「守・破・離」の流れになります。

 この背景では、ベイトソンの学習理論なども

 参照されています。


…非日常意識を扱う、方法論的なスタンスとしては、

 「トランスパーソナル心理学」などと、

 重なっています。

 (※サイケデリック〔意識拡張〕体験とは何か。

 グロフ博士のLSD体験と時代背景 インタビュー動画↓)

 http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

 

…心理療法の技法と、変性意識状態(ASC)を、

 活用することで、他にない形で、

 私たちの心身の解放や、意識能力の拡大が、

 実現されていきます。

 自分の中に、

 トランスパーソナル(超個)な次元が、

 開いてくるのです。 

 それは、私たちに生きる意味を教えて、

 能力を大きく解放することとなります。


…ところで、よく勘違いされますが、

 トランスパーソナル(超個的)な意識と、

 個的な実存(意識)は、排除しあうものではありません。

 トランスパーソナル(超個的)な意識は、

 個的状態を透過しているのです。

 それらは併存しているのです。

 それが統合されたトランスパーソナル状態というものです。


…そのため、

 トランスパーソナル(超個的)な体験を深めれば深めるほど、

 それを統合すれば統合するほど、

 私たちは、より「個」としての在り方や充電を、

 鮮烈で豊かなものにできるのです


…その結果、優れたアウトプットの創出や、

 さまざまな豊かな成果を、

 人生で手にすることができるようになってくるのです。
 →セッションで得られる効果と成果

 

 

⑴心理的変容の見取り図

 

【前段】心理的変容の技法 見取り図

…まず、前段(イントロ)として、

 当スペースの視点によって、

 コーチング、NLP、心理療法等の各種の方法論の中で、

 ・ゲシュタルト療法(体験的心理療法)

 ・気づきawareness、

 ・変性意識状態(ASC)

 などが、マップ的に、位置づけられています。


スライド1 (3)

 

⑵セッションで得られる効果と成果

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されるとともに、

 拡張された意識状態(日常意識+変性意識)と、

 優れたアウトプットが、得られていきます。

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されます。

 (以下は、抜粋です)

 

 

▼当スペースで得られる成果

 獲得された方法論(スキル)により、

 ビジネスや日常生活で、まわりの人々をサポートしたり、

 優れたアウトプットを、引き出せるようになります。

 

⑶書籍の案内

 

気づきや統合、変性意識状態(ASC)への、

より総合的な方法論は、拙著↓

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

より詳細な

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧下さい。

 

 

↓動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」

 

※多様な変性意識状態についてはコチラ

↓動画「ゲシュタルト療法 変性意識状態 エクスタシィ(意識拡張)」

 

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について


さて、当サイトでは、
変性意識状態(ASC)について、
さまざまな検討を行なっていますが、
当スペース独自の用語で、
X意識状態  X states of consciousness
というものがあります。

この意識状態は、

特に、新しい意識状態を定義したものでは、
ありません。

それは、日常意識と変性意識状態の間にあり、

その肯定的で、創造的な状態が働いている状態を指して、

使われている言葉です。
 

単なる変性意識状態と呼んでしまうと、

漠然としすぎて、その働きの焦点が定まらない。

一方、 フロー体験ほど、

完璧な調和性や一貫性を持っていない。

しかしながら、その間の帯域の中に、

創造的で、拡張された意識状態というものが、

さまざまに散在しているのです。


喩えると、
日常意識とは、
人工池の上に、小舟を浮かべた状態です。
一方、強度な変性意識状態(ASC)とは、
海に溺れかけている状態です。
そして、
X意識状態とは、
海を泳いだり、
海を航海している状態といえます。

 

X意識状態とは、

変性意識状態(ASC)と日常意識とが、

部分的に連携され、交錯し、

創造的に、活かされている意識状態なのです。

 

ところで、現実的な問題として、

変性意識状態(ASC)を考える際に重要な点は

それらが、日常意識と、

一定の統合的なつながりを持ててはじめて、

生活の中で、

創造的な意味(価値)を持つということです。

 

散発的な変性意識状態は、多くの場合、

興味深い挿話以上には、

なかなかなりません。

不思議なサイケデリック体験は、

世界中で体験されているのに、

創造的なアウトプットは、わずかなわけです。

 

X意識状態(XSC)とは、

そのような意味で、

日常意識と変性意識状態とが、

情報的交流や、凝集された焦点化を、

持っている状態です。

その交流において、

学習の階層があがった状態と、

いえます。

当スペースで別に使う

「夢見」という概念がありますが、

それと近い状態ともいえます。

(夢見の技法は、より焦点化された状態を想定していますが。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照)

 

そして、これは、

両方の意識状態を、
数多く行き来(往還)する体験を持ち、
その往還する感覚を鍛え、
訓練的に習熟することで、
獲得できる状態であるのです。


その訓練の中で、
日常意識と変性意識とが、
情報的交流や交錯を持ち、
二者の間に、統制された往還が、
なされている状態が、
できてくるのです。

さて、ところで、

プロセスワーク(プロセス指向心理学)では、

極限意識状態extreme states of consciousness
と呼ばれている意識状態があります。
それは、精神病的な圏域、いわゆる狂気の状態のことです。
通常は、一元的に否定的に価値づけられる、その状態を、

extremeと呼ぶことで、
脱価値化して、中立化しようとしたのだとも類推されます。

このような中立化は、実践的に、

その意識状態をとらえるのに役立ちます。


さて、X意識状態は、
extreme states of consciousnessのように、
場合によっては、コントロールしずらい、

極端な力の流出でありつつも、
主体に、創造的な価値をもたらす状態です。
しかし、部分的には、極限意識状態の一部とも重なる、
危険をはらんでいる意識状態ともいえます。

(変性意識状態自体は、良いものでも悪いものでもありません。

創造的な事柄の中でも、犯罪の中でも働いているものです)

 

極限意識状態(extreme states)においては、
喩えると、主体が、狂気の荒波や大波に、
大部分、溺れてしまっているとするなら、
X意識状態(X states)は、
危うくであれ、均衡を維持しつつ、

その大きな波を泳いでいたり、
波に乗っている状態といえます。
操作的・統御的に、

肯定的なエクスタシィ(意識拡張)や、
創造性発現の要素を、
保持している状態です。

→参考事例「「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル」

 

エクストリーム・スポーツのスキルのように、
危険と隣りあわせで、

変性意識から極限意識の間を、
きわどく波乗りしている状態ともいえます。

そのため、エクストリーム・スポーツを、
Xスポーツと呼ぶように、

この状態を、当スペースでは、
Xステーツ(X states)と呼んで、
生活の中で現れる、この種の体験領域を、
創造的に焦点化していくことや、

そのスキルを磨くことを、

行なっているのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 

関連記事

フロー体験について

モビルスーツと拡張された未来的身体

「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

ロートレアモンと変性意識状態

クライストと天使的な速度

サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

 

※変性意識状態(ASC)の活用に特化したサイト、

 →「Xステーツ・テクノロジー」ご覧下さい。

 


Xステーツとエクスタシィの技法




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

 なぜ、ゲシュタルトなのか

メニュー/料金

著作紹介

お問い合わせ

心理学的に見た「チベットの死者の書」

50死者の書


『チベットの死者の書』という有名な書物があります。
チベット仏教のカギュ派の埋蔵教(偽典)として知られる書物ですが、この本は変性意識状態(ASC)をはじめ、ゲシュタルト療法や体験的心理療法、深層心理学のことを考える上でとても参考(モデル)となる本です。
心理学者カール・ユングは、本書を座右の書としていたと言われていますが、筆者も各種な強度の変性意識状態(ASC)を経験した者として、本書で示されている構造や原理をさまざまなヒントとしてきました。

ここでは、その「チベットの死者の書」を、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリーらが、心理学的にリライトした『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience 』(邦訳『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 八幡書店)をもとに、その内容を色々と見ていきましょう。

◆バルドゥ(中有)と心の深層構造

まず、「死者の書」が何について書かれた経典(本)であるかというと、それは「人が死んでから、再生する(生まれ変わる)までの、49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)のことが書かれている経典(本)である」ということです。

人間が生まれ変わることが、前提となっているというわけです。ただし、この前提は、この経典(本)を読むにあたってあまり気にしなくともよい前提です。
というのも、語られている内容は、(確かに死に際して)心の底から溢れてくる現象(設定)ということになっていますが、それは、人間の心の構造に由来する普遍的な現象であると考えることができるからです。
必ずしも臨死的な状況に限定しなくとも、心の深層領域が発現している事態と解釈することができるからです。
「チベットの死者の書」に描かれている世界は、生きている私たちにも同様に存在している深層心理の世界だといえるからです。
だからこそ、この「死者の書」は、心の広大な領域を探求する人々を魅惑し、広くよく読まれていたというわけなのです。

ところで、心理学者のティモシー・リアリーたちが、この経典(本)をリライトした理由があります。
当時は、薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
の研究がはじまったばかりの時代でした。
薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
おいては、私たちの非常に深層のところにある心理的・生理的・生物的次元の事柄が、意識の表層に溢れ出してきます。
しかし、実のところ、その体験で「何が起こっているのか」あまりよくわかっていないという状況でした(現在でさえ充分にわかっていないのですから、当時の混迷ぶりは容易に想像がつきます)。
そのような状況下において、「チベットの死者の書」の内容が、正体不明のサイケデリック体験(の内容)に対して、一定の理解を与えてくれると感じられたためでした。
リアリーたちは、サイケデリック体験の内容と「死者の書」で描かれている体験とは、「同じ深層心理」の現れと理解したのでした。
そして、それも実際のサイケデリック・セッションに「役立つ」という実践的な面もあったのでした。

また別の見方をすると、リアリーらの西洋文明の視点からだと、サイケデリック体験で起こる心的現象をなかなか一貫した形で説明できなかったのですが、「チベットの死者の書」はその事態に対して、ある種堅固な世界観を与えてくれる面もあったのでした。

以上のような理由からも、この「チベットの死者の書」は、特異な臨死現象や宗教的な信念体系を語っている経典というだけのものではなく、私たちの「深層心理の世界」を理解するのに参考になるテキストとしても読むことができるということなのです。

ところで、この経典がどのような「形式」をとって書かれているかというと、たった今死んだ死者に向かって「語りかける言葉(声かけ)の形式」となっています。
その死者が、見ているだろうものを告げ、描写し、アドバイスを与えるという形式になっているのです。

「聞くがよい、○○よ。今、お前は、○○を見ているであろう」という感じです。

ところで、「死者の書」では、死んだ魂(死者)は、死んだ後に3つのバルドゥ(中有)を体験し、生まれ変わるとされています。

しかし、経典(本)の中心のメッセージは、
「さまざまな無数の心惹く像が現れてくるが、それらにとらわれることなく、本当の眩い光明を、自己の心の本性と知り、それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、解脱が達成されて、生まれ変わり(輪廻)から離脱できるであろうというのです。

そのため、死者が移行する3つのバルドゥ(中有)について、刻々と諸々の事柄が語られますが、それは、解脱できなかった者たちに対して、このバルドゥで、自己の(心の)本性ををとらえて解脱せよという意味合いの語りなのです。

◆3つのバルドゥ(中有)

さて、死者は、死んだ後に以下の3つのバルドゥを順々に体験していきます。

①チカエ・バルドゥ
→超越的な自己の世界
→法身

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

さて、この3つのバルドゥは、心理学的には、心の深層から心の表層までの3つの階層(宇宙)を表したものと見ることができます。死後の時間的遷移を「逆に」見ていくと、この構造はわかりやすくなります。

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

の世界は、再生(非解脱)に近い、最後の段階です。
その世界は、もっとも身近な私たちの自我の世界です。通常の心理学があつかっているのもこの世界です。リアリーらの死者の書では、とらわれの自我のゲームを反復してしまう世界として描かれています。サイケデリックな体験の中でも、低空飛行している段階で、日常の自我のゲームが再演されている状態です。

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

の世界は、心の深層の世界、私たちの知らない深層世界がダイナミックに滾々と湧いてくる世界です。死者の書では、膨大な数の仏(如来)たちが現れてきます。濃密な密教的な世界です。心の先験的とも、古生代ともいうべき、ユング心理学でいう「元型的な世界」です。系統樹をさかのぼるような世界かもしれません。(サイケデリック体験などでは、系統樹をさかのぼり、自分が爬虫類などに戻る体験を持つ人もいます)

①チカエ・バルドゥ
→根源的な世界
→法身

は、根源的な、超越的な自己の世界で、上の2つの較べて、空なる世界に一番近い世界です。
ある面では、心理学の範疇には入らない部分ともいえます。ただ、そのような始源的な世界(状態)を仮定することはできます。
リアリーらはこの状態を、ゲームの囚われから解放された、自由の、自然の、自発性の、創造の沸騰する世界と見ます。それでも、充分有効なとらえ方と言えます。

そして、バルドゥ(中有)の現れ方の順番でいうと、死後に一番最初に出会うのが、この「根源の光明(クリアーライト)」の世界なのです。

ところで、「死者の書」の中では、それぞれのバルドゥでは、仏(如来)=「光明」が2つずつ現れてくるとされています。
恐れを抱かせるような眩い光明の如来と、より親しみを感じさせるくすんだ光明の如来の2つのパターンです。

そして、経典は告げます。
恐れを抱かせるようなより眩い光明が、根源の光明であり、それを自己の(心の)本性と見なせと。根源の光明に共振し、同調し、同化せよ、と。そうすれば、解脱できるであろうと。
そして、親しみ深い、よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、そちらには向かうなと告げます。解脱できないからだと。
ただ、多くの人は、この後者の光明に向かってしまうようです。
そのため、解脱できずに、次のバルドゥに進んでしまうのです。

◆経過

さて、死者は、このような3つのバルドゥを経過していくのですが、ティモシー・リアリーは、サイケデリック体験における、この3つの世界の推移の仕方についておもしろい喩えを使っています。サイケデリック薬物の効き方であると同時に、心の構造について示唆の多いことです。それは、各体験領域の強さ(強度)の推移変化は、高いところから地面にボールを落とした時の「ボールの弾む高さ」(の推移変化)に似ているということです。

通常、落ちてきたボールは、最初のバウンドで高く弾み上がります。2度目のバウンドではそれより少ししか弾みません。3度目のバウンドではさらに少ししか弾みません。

つまり、サイケデリック・トリップの初発の段階が、重力(自我)から解放されて、一番遠くのチカエ・バルドゥまで行けて、次にチョエニ・バルドゥまで、次に、シパ・バルドゥまでと、段々と日常的な心理的に次元に落ちてきてしまうという喩えです。

この喩えは、私たちの心の構造や、心の習慣、可能性を考えるのにも、大変示唆の多いものです。

2つの光明の喩えといい、私たちの中には、大いなる自由に比して、慣習と怠惰に惹かれていくというおそらく何かがあるのでしょう。

 

◆変性意識(ASC)の諸次元として

さて、「チベット死者の書」の世界を、心の諸次元の構造として見てきましたが、この世界は、死の体験や薬物的なサイケデリック体験を経由しなくとも、色々な変性意識状態の中で、さまざまにあいまみえる世界です。このモデルをひとつ押さえておくことで、心理学的な見方のさまざまなヒントになっていくと思われるのです。

 

※関連記事
「サイケデリック体験とチベットの死者の書」
 この二種類の如来についての仮説は、
「リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識状態」
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

※ジョン・レノン(ビートルズ)が、LSD体験や、この本にインスパイアされて、
Tomorrow Never Knowsという曲を創ったのは有名なエピソードです。




 




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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夢見の技法 コルトレーンとヘンドリックス

まったく別のところで、

似たようなエピソードに行き当たると、

その背後にある、

普遍的な共通原理について、

思いを馳せることとなります

 

伝記的なドキュメンタリー映画を見ていて、

直接的には、関係のない2人に共通している。

あるエピソードに気づいて、

興味深く感じた記憶があります。

 

「彼が、会場に着く(いる)とすぐわかるんだ。

(演奏)が聞こえたからね」

と、友人たちが語る挿話です。

 

その2人とは、

ジミ・ヘンドリックスと、

ジョン・コルトレーンです。

 

彼らは、片時も、

ライブ会場の控え室でも、

演奏をやめなかったのです。

 

コルトレーンについては、

ライブの前に、すでにライブ1本分くらい、

吹いてしまうという、

エピソードもありました。

 

同時代(60年代)を生きた、

彼らは、ともに、黒人であり、

霊感に満ちた即興演奏を旨とし、

その卓越した創造力で、

それぞれのジャンル(ロック、ジャズ)の、

変革者となった人物です。

 

彼らは、なぜ、片時も、

演奏をやめなかったのか。

 

拙著の中では、

「夢見の技法」と題して、

私たちの人生を貫く、

夢の力とその扱い方について、

取り上げています。

 

2人はなぜ、

演奏をやめなかったのか。

 

筆者は、それを、

演奏を通す中で、

彼らを貫いていく、

電流のような夢の力のせいだと、

考えています。

 

演奏を通す中で、

メッセージのように、

現れてくる、

〈何か〉をつかみ、

具現化し、完了するために、

演奏(創造)するしかなかったのです。

 

彼らが、ともに燃え尽きた者の、

印象を与えるのは、

彼らを、内側から焼いた、

高圧電流のような、

強烈な夢の力(熱)を、

私たちも感じるからです。

 

芸術において、

ある内的な意味の単位とは、

自律的な生命をもって現れ、

完了されていきます。

 

演奏なりも、

音楽の自律的生命の、

この十全な発現をもって、

意味のまとまりとして

完了されます

 

その内的なプロセスは、

ホロトロピック・ブリージングの際に見た、

「オルガスム曲線」と同様です。

 

また、ゲシュタルト療法でいえば、

現れてきた未完了な感情を、
表現し、完了するプロセスと

同様の事柄です。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

普段から、そのような、

たえず現れてくる

強度の夢の力に、

貫かれていたのでしょう。

 

それを、

完了させていくためには、

演奏し、表現し、

模索し、創造するしかなかったのでしょう。

アウトサイダー・アートについて触れたところで、

それらのある種、

非人間的な無尽蔵の力について、

書きました。

 

それは、容赦ない、 

根源的なエネルギーです。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

そのような根源的なエネルギーに、

より近く、生きていたのでしょう。

 

また、ある意味、

彼らのたえざる演奏・創造的実践が、

彼らを、その近くに生きることを、

可能にしたともいえるのでしょう。
 

彼らのエピソードは、

深い創造性と夢見の技法について

考える際に、さまざまなヒントを、

与えてくれるのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 


 


【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

 →ゲシュタルト療法【実践・技法編】

 →ゲシュタルト療法【応用編】

 →「セッション(ワーク)の実際」

 →体験的心理療法

 →NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

 →変性意識状態(ASC)とは

 →「英雄の旅」とは

 →禅と日本的霊性

 →野生と自然

 

 【第四部 当スペース関係】

 →フリー・ゲシュタルトについて

 →セッションで得られる効果

 →メニュー/料金

 →著作紹介

 →お問い合わせ

禅とゲシュタルト療法



ゲシュタルト療法に関係して触れられるエピソードのひとつに、パールズが、日本に来た際、京都で参禅をしたという話があります。そのゲシュタルト療法への影響についての例証のように語られます。

実際、パールズの自伝に、そのことへの言及があります。しかし、その記述は、パールズが元から持っていた考えへ確認(ヒント)以上の強い印象を持たなかったようにも見受けられます。

しかし、ゲシュタルト療法の中には、確かに禅と共通する点が「本質的なレベル」で存在するのです。パールズの直観力、野生的な勘の良さというべきかもしれません。

気づき awareness の力に対する洞察は、ゲシュタルト療法の効果や原理を、各種の瞑想技法との比較の中で検証する機会となります。

「『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。『気づく』ということは、知的で意識的なことではない。言葉や記憶による『~であった』という状態から、まさに今しつつある経験へのシフトである。『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

『気づき』と『コンタクト』と『現在』は、一つのことの違った側面であり、自己を現実視するプロセスの違った側面である」(前掲書)

このような気づきawarenessへの理解が、ゲシュタルト療法の核心にあるのです。


◆禅とゲシュタルト療法

さて、〈気づき〉の力の理解において、また、その実践を通した達成において、禅とゲシュタルト療法は、近いところにあるというのが、当スペースでの考えです。

ただ、それぞれの特徴や傾向がありますので、各々の利点を活かして実践することが、人格的な統合や自由を獲得するためのポイントとなると考えられます。

①ゲシュタルト療法の禅に較べての利点

ゲシュタルト療法の利点とは、体験的心理療法であるが故の、心理・感情面の取り扱い方とそのダイナミックな解放作用です。

人格における感情や対人関係のあり様を対象にして、心理的な統合を進めていくが心理療法です。そのため、ゲシュタルト療法では、感情面での解放と人格的統合を速やかに進めることができます。
また、心身一元論的な方法論でもあるため、肉体面でのエネルギーの解放が顕著な効果としてすぐに現れます。

一方、禅は、静的な集中が基本のため、気づきの力は鍛えられますが、ダイナミックな感情的解放や統合は、直接的には促進されません。場合によっては、静観的な固定化により、感情的な問題が解離され、取り残されてしまう場合もあります。感情的な進化や統合が進まないということもあります。

 

②禅のゲシュタルト療法に較べての利点

禅の利点とは、気づきへの集中と留まりです。ゲシュタルト療法は、気づきのセラピーというわりには、この点が、おろそかになりがちです。

というのも、ゲシュタルト療法では、セッション(ワーク)が、強烈な感情的なカタルシスをもたらすこともあるため、(場合によって)そのことに気が取られ過ぎて、気づき awarenessの力によって、体験を対象化したり、自己を対象化することを、おろそかにしがちになるのです。

しかし、この気づきの力が弱いと、体験を抱える統合過程が進まないということも生ずるのです。また、感情的なカタルシスばかりを求めて、セラピーに通うという本末転倒なことも起こるのです。気づきの力が経験を対象化できてこそ、深い感情的体験も人格的に統合ができるのです。

そのため、これらの要点を意識した上で、ゲシュタルト療法や禅をそれぞれ行なっていくことが、より効果的なのです。

ところで、スポーツには「クロス・トレーニング」という考え方があります。自分の専門以外の競技をすることにより、自分の専門分野では鍛えられない肉体や身体能力を鍛えるものです。そのことにより、総合的な身体能力が高まり、結果として、専門ジャンル自体の能力もグッと高まっていくのです。

同様に、禅やゲシュタルト療法を(また、その他の体験的心理療法も)、その特徴やポイントを把握して、自由に交えながら取り組んでいくことが、心の総合力や統合を高めていくには、効果的なことだと思われるのです。

禅と日本的霊性
大地性と待つこと

※気づき、野生、変性意識状態(ASC)についてのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


自己啓発セミナーとは


さて、体験的心理療法の説明をすると、人によっては、昔流行し、社会問題にもなった「自己啓発セミナー」を連想したりします。
ここでは、その関連について少しご説明してみたいと思います。

◆「自己啓発セミナー」の系列

日本で広まり、現在も、多くの系列が残っているもの(大部分)は、「ライフダイナミック社」のものです。これは、おそらく、その名のとおり、アメリカにあった「マインドダイナミックス」と「ライフスプリング」とを合わせたものでしょう。また、自己啓発セミナーを語る言葉の中に、ベトナム帰還兵用プログラム云々というものがありますが、実際のプログラムを見ても、戦争後遺症をケアできる内容などないので、おそらく作為的な作り話か、都市伝説の類いといったでしょう。また同じく、プログラムのデザインにゲシュタルト療法家が関わったという記述もありますが、ゲシュタルト療法家といっても、昨今のNLPer(NLP実践家)のように、当時はゲシュタルト療法家も雨後の筍のようにいたでしょうから、実質的にはあまり意味のない肩書きでしょう。

◆洗脳的プログラムとは ―「複数の自我状態」について

さて、自己啓発セミナーに関係して、よく「洗脳」という言葉が使われます。
(上記、ライフダイナミック社のセミナーについてのルポも『洗脳体験』という書名でした)

この洗脳については、一般的なイメージ(理解)に少しズレがあるので補足しておきたいと思います。

一般に「洗脳」というと、何もないところ(人)に、任意の(勝手な)情報を流し込んで、その人(洗脳される人/被洗脳者)をこちら(洗脳者)の意のままにプログラミングしてしまうというイメージがあります。
しかしながら、それは実態とは違います。

「洗脳的な状態」が生じるという場合、そこには洗脳される人の中に必ず「元ネタ」が必要となります。
事前に、その人(洗脳される人)の内部に、潜在的に「洗脳内容に呼応する因子(欲求、自我)」が微少であれ、あらかじめ存在していることが必要なのです。
無からの、洗脳ということは起こらないのです。
(→「複数の自我状態について」)

そして、その人(洗脳される人)のその欲求(自我)部分が、ある洗脳的な状況下で、洗脳プログラムの力を借りて急激に覚醒して、他の欲求(自我)を圧倒することにより、洗脳的な状態が現れてくるのです。

実際のところは、その欲求(自我)部分は、(洗脳にまつわる)そういったニーズを元々どこかで潜在的に持っていたのです。

私たちの中には、さまざまな欲求(自我)の潜伏とニーズがあるものです。
それ自体は、なんら問題ではありません。
分裂と気づきの欠如が問題的なのであり、そういった面が、洗脳的な他者につけ込まれるスキを与えてしまうのです。
私たちが、一定程度の統合状態を実現していたり、自己のさまざまな欲求(感情)に気づき awareness を持っていれば、被洗脳的な状態に入ること(洗脳されること)はありません。

洗脳者側は、洗脳される人々の「潜在的な欲求」を、類型的・直感的に知っており、その欲求が自分たちのプログラムに呼応し、誘導・強化されるように操作を行なっていくわけです。
また、コミットメントを深めるように、ストーリー化を行なうのです。

ところで、この洗脳に呼応する欲求(自我)は、その人(洗脳される人)の人格の全体性の中では、「部分的」なものです。
そのため、通常は、ある程度時間が経つと、心の全体性の中で、その突出した欲求(自我)部分は弱体化して、霧散していきます。洗脳は解けます。心の全体は、基本的には調整機能があるからです。
普通は、洗脳された人の人格の中で、洗脳状態は、心の全体性の中では「不自然」であるがゆえに、自然のプロセスの中で解消されていくのです。

そのため、洗脳を維持するには、ある種の「不自然な強化」が必要となります。
そのための仕掛けを、洗脳者(自己啓発セミナーの主催者)は理解しているわけです。

「勧誘活動」などはその動機付け(その自我の維持)の方法です。
多くのカルトが、この方法論を採用しています。

他者への勧誘活動とその達成感によって、その欲求(自我)部分が維持され、生き残るように主催者(洗脳者)は動機付けを行なっていきます。
そのため、その欲求(自我)部分は、自己が生き残るために、必死に他者への勧誘活動を行なうわけです。
勧誘が成功すれば、その分だけ、その欲求(自我)は生きながらえられるので、強迫的に次の勧誘に挑みます。
こうして、勧誘と動機付けのサイクルが形成されていくわけです。

◆自己啓発セミナーと体験的心理療法との違い

さて、それでは、自己啓発セミナーと、ゲシュタルト療法のような体験的心理療法の違いはどこにあるのでしょうか?

その根本的な違いは、自発性と全体的(ホリスティック)な性格の要素です。
自己啓発セミナーでは、体験的心理療法にあるような、のびやかな真の自発性や全体的(ホリスティック)な性格に到達することはできません。
本来的な意味での人格変容を起すことはできないのです。

洗脳的なセミナーの特異な効果は、参加者(洗脳される人)のセミナーに呼応する欲求(自我)が、つまりは人格の一部分(一部の自我状態)が、プログラムの力を借りて、普段のその他の自分(欲求・自我)を圧倒してしまうことにあります。
その力で、それまでにないエネルギーを生み出すのです。

しかし、借り物の枠組みによる、部分的自我の解放には、つねに操作的・恣意的な要素が残るため、その解放もニセの解放でしかないのです。
人格の全体性の中では、自発的な発露として生じた変容ではないため、その一部の自我状態は「特異に肥大化した違和感」をずっと持ち続けます。
とても、「不自然」なものなのです。
そのため、それらの解放というものは、中途半端な「部分的」「表層的な」解放にとどまざるを得ないのです。
深部から湧出した自発的で全体的(ホリスティック)な人格解放ではないのです。

それが、自己啓発セミナーが「なぜ、本当には深まらないのか」の理由です。
「変化は起こすものではなく、起こるものだ」とは、フリッツ・パールズの言葉です。
そのため、自己啓発セミナーでは、真に深いレベルでの人格的変容や、全人格的変容は起こらないのです。

しかしながら、体験的心理療法を行なう者は、自己啓発セミナーの仕組みや、それが何故相変わらず、人を惹きつけているのかを、よく理解する必要があります。
そこには、この現代社会が欠落させているシステムや、その結果として人々への(本能的な)洞察と、そこへつけ込む周到な方法論が用意されているからです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

伝統的なシャーマニズムについて

シャーマニズム」と聞くと、どのような印象を持たれるでしょうか?
「未開部族の風習」「未開社会の迷信みたいなもの」「辺境のオカルト、魔法みたいなもの」といった印象でしょうか?
それが大体の、ごく一般的な印象だと思います。

ところが、心理療法や変性意識状態(ASC)を数多く経験して、自分の心身の変容体験を数多く繰り返していくと、その「変容の構造」が、伝統社会のシャーマニズムで言っていることと「構造的に似ている」ことに多くの人が気づいていったのです。
その結果、「シャーマニズム」というものを単なるローカルな習俗ではなく、人類のもつ「普遍的な構造」として見直そうという機運が世界的に生まれました。そのようなネオ・シャーマニズム的な視点が、現在では多数あるのです。

心理療法は、心の構造を実践的にあつかう方法論なので、特に親和性が高い領域ともいえます。ここでは、そのような「シャーマニズム」と「心理療法」に共通する構造などを見ていき、シャーマニズムの伝統的な知見を現代に活かす点について考えてみたいと思います。

ところで、シャーマニズムの研究については、著名な宗教学者ミルチャ・エリアーデの浩瀚な『シャーマニズム』(筑摩書房)が知られています。副題には「古代的エクスタシー(脱魂)の技法」とあります。拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の副題もここからとられています。

 

①シャーマニズムの世界観

宗教の原形ともいうべき世界中のシャーマニズムには、似通った世界観があります。
シャーマニズムの世界観として、よく指摘されるのが3つの世界の区分です。
天上世界地下世界、この地上世界です。
「天地人」の世界です。

シャーマンとは「脱魂」、つまり魂を飛ばして、この地上世界から天上世界、地下世界を行き来する存在です。この往還を、旅 journeyといいます。

そして、その際にシャーマンを導き、天上世界や地下世界に導いてくれたり、案内してくれたりする存在が「パワー・アニマル」と呼ばれる存在です。

仲間であり、守護者であり、その世界の住人に遭わせてくれたりもします。アニマルと言われますが、必ずしも動物だけではなく、様々な存在、形姿をしている実体 entityです。

また、この3つの世界を貫くものとして、世界樹・宇宙樹が、あるとされたりします。

天上世界には、雲や虹や煙に乗って行ったり、『ジャックと豆の木』のような、樹木で行ったりします。
地下世界には、洞窟や穴倉から行ったりします。『おむすびコロリン』や『不思議の国のアリス』の世界です。

民間伝承や神話、物語には、このようにシャーマニズムの祖形がいたるところに見られます(アリスの初稿が、『地下の国のアリス』Alice’s Adventures under Groundであったというのは大変示唆的です。そして、この場合、あのウサギが、パワー・アニマルというわけです)。

通常は、同じ方法や通り道を使い、それぞれの世界に行ったり来たりします。

天上世界、地下世界に、良い悪いの価値付けはありません。ただ、私たちが得られるものの傾向性はあります。
天上世界には〈叡智〉に関わるものが多く、地下世界には〈力〉や〈癒し〉に関わるものが多いとされています。

そして、シャーマンが行なうことといえば、向こう側の世界(天上、地下、異界)に行って、その時に必要な答えやパワーをこちら側の世界に持ち帰ることです。
そして、人々のために役立てることです。
この行きて帰りし旅が、シャーマニズムの基本構造です。


②シャーマンになるプロセス

シャーマンになるには、そのプロセスに共通した要素が見られます。いわゆる「巫病」と呼ばれるプロセスです。
このようなプロセスを通して、人はシャーマンになります。

(1)「召命calling」
シャーマンになる人間は、なりたくてなるのではなく、嫌々ながらシャーマンにされるのが通例です。通常は病気になったり幻聴・幻覚を得たりと、予期せぬ事柄(呼びかけ)からシャーマンになるプロセスが始まります。
これが呼びかけられる体験であり、召命です。

(2)「異界へ旅」
その後、なんらかの実体(精霊)にさらわれるような形で、魂が異界に連れて行かれます。

(3)「解体・切断」
その世界で試練を受けて、自己の古い身体が解体されるよう体験を持ちます。(肉を全部剥ぎとられて、骨だけの存在になる等)

(4)「新しい身体の獲得」
その試練の後に、自己の身体が「再生される」というような経験を持ちます。

(5)「帰還」
この地上に帰還します。それ以後、実体(精霊)とコミュニケーションする能力を獲得し、村落共同体で役立つ人間となります。

 

③心理療法との関係

さて、当スペースでは、このようなシャーマニズムの様々なプロセス・モデルを、人間の潜在意識への探索と解放、心理学な再生(刷新)、意識の拡張(変性意識)のモデルと考えています。

一番目につきやすいところでいえば、シャーマンの行なう異界(天上世界、地下世界)への旅です。
これは、そのまま心理療法における潜在意識への旅と考えることができます。
心理療法において人は、変性意識状態(ASC)に入ることにより、自分の潜在意識の世界(異界)へと入っていき、必要なものを日常意識へと持ち帰って来るのです。

また、シャーマンにおける心身の変容プロセスは、体験的心理療法ゲシュタルト療法における心理的刷新のプロセスと大変通じる点が多いものです。
それは別に見た「英雄の旅」のモデルなども同様です。
例えば、英雄の旅をモデル化したジョゼフ・キャンベル自身が、このシャーマニズムの構造との類似性(同等性)に気づいていました。
そのため、

「神話の英雄、シャーマン、神秘主義者、精神分裂病患者の内面世界への旅は、原則的には同じもので…」
キャンベル『生きるよすがしての神話』(飛田茂雄他訳 角川書店)

と語っているわけです。

このプロセスについては、「行きて帰りし旅」として、拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』でも多くのページを割いて説明しています。

また、心理的な問題症状(苦痛など)について考えてみると、ここでも興味深い共通構造があります。
たとえば、クライアントの方にとっては、苦しい症状というものは、
なかなか消えない、憑依している「悪霊/魔物」のように感じられていることが多いものです。
しかし、セッションを深めていくと、その悪霊/魔物のような存在が、だんだんと自分を益している「パワー・アニマル」のような存在であったということに気づいていくことになるのです。
なぜなら、悪い症状というものは、実は、潜在意識がクライアント本人のために創り出しているものだからなのです。
潜在意識は、クライアントの方を変容させようとして、それらの症状を生み出しているのです。
そのようなことがわかると、悪い症状として憑りついていた存在が、忽然と消滅し(憑依が解け)、別種の精霊的な存在(高次の智恵)に姿を変えるという現れ方をすることも多い(ほとんどな)のです。
悪い霊は、良い霊に変身したのです(元の姿を現したのです)。
そのような意味でも、このシャーマニズムのイメージ(モデル)は、実感的なものとしてもとても役に立つモデルになっているのです。

そのため、当スペースでは、これらをシャーマニズム的な構造を重要なものと考え、「心理学的シャーマニズム」として、現代的エクスタシー(脱魂)の技法として位置づけているのです。

※シャーマニズムにおけるエネルギーの扱い方については
聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流動と組織化


関連記事

諸星大二郎『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
ロートレアモン伯爵と変性意識状態
→ 「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から

【ブックガイド】
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をご覧下さい。

動画解説 シャーマニズムの世界観

↓動画解説 「変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際」


 

野生と自然

 

◆自然と私たち

 

さて、

ゲシュタルト療法や、
体験的心理療法などの、
心理的な探究を長年つづけて、

心身がほぐれていくと、

意識の可動域が拡大し、
個人に限定されない、
さまざまな領域にまで、
自己の範囲が、

広がっていくこととなります。

 

そのことは、やがて、

「自然」というものに対する、

私たちの関係を変えていくことにもなるのです。

 

このことは、

人間関係(関係性)だけを突き詰めていくことによって、

しばしば行き詰ってしまう、

従来的な心理療法に対する、

別種の観点としても、意味を持って来るのです。

精神科医の加藤清は言っています。

 

「もしクライエントとセラピストとの関係、

人間の関係だけであれば、

場の基底がもうひとつ弱い。

そこに、ディープ・エコロジカルな基盤があってこそ、

出会いが成立する。

人間と人間との出会いは同時に、

自然とクライエントとセラピストの出会いでもある。

魂の出会いといってもいい」

(加藤清、上野圭一『この世とあの世の風通し』春秋社)

 
 

ところで、
心身一元論的なボディワーク・セラピー
ブリージング・セラピーなどの、

体験的心理療法の中では、

肉体という領域への、

感受性を深めていくため、
私たちが自然の生物として持っている
深層的な能力についても、
各種の気づきがひろがっていきます。

 

また、グループワークを主体とする、

体験的心理療法では、
仲間との協働で、セッションを進めるため、

私たち自身の「群れ(集団)」としての側面について、
新たな気づきの洞察が深まっていきます。

 

実際、グループ・セラピーの現場では、
しばしば、ありえないような形で、
人々の心の共振・共鳴が生じます。

それは、物理的な共振・共鳴とまったく同様です。

 

そこにおいて、私たちは、

意識や感情エネルギーの物質的的な基盤について、
深い感覚的な理解を得ていきます。


◆人間種を超えて

 

さて、このような「つながり」の感覚は、

その感受性を延長していくと、

人間共同体(家族、仲間、社会)を超えて、
自然や大地、動植物、鉱物にまで、

およんでいくこととなります。

知覚力や心が、研ぎ澄まされ、

身体として浸透していくかのようです。
これらは知的なものとしてではなく、
直接のつながりの感覚として、

得られていくのです。

 

 

◆シャーマニズム的な姿勢

 

ところで、自然とじかに交わり、
大地との交感を深めていくといえば、
伝統には、それはシャーマニズムの領域と、

重なっていくことともなります。

そのため、当スペースでは、

心理療法に基盤を置きつつも、

そのような観点から、

これらの取り組み全般を、

シャーマニズム的な姿勢であると、

見なしているのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
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関連記事
シャーマニズムについて
『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
フロー体験について
サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性



 

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
メニュー/料金
著作紹介
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変性意識状態(ASC)とは

【内容の目次】

1.はじめに 変性意識の活用

人間が持つ広大な潜在能力の開発や、心理療法における心理プログラムの改善・治癒作用など、心の構造や能力を理解し活用するのに際して「変性意識状態(ASC)」というとても有効(便利)な概念があります。

変性意識状態 Altered states of consciousnessとは、1969年にカリフォルニア大学の心理学者チャールズ・タート博士の編著により有名になった意識状態の定義ですが、この通常の合理的・論理的・理性的な「日常意識以外」のさまざまな意識状態を指した総称です。

日常意識以外のさまざまな意識状態――瞑想状態、催眠状態、宗教儀式などのトランス(入神)状態、夢、向精神性薬物(ドラッグ)によるサイケデリック(意識拡張)状態、神秘体験など――を指した言葉です。広くは、体外離脱体験(OBE)や俗に「ゾーン ZONE」としても知られるフロー体験 flow experience なども、これに含まれると考えてもよいでしょう。基本的には、それ自体では良いものでも悪いものでもない価値中立的な変異した意識状態です。

しかし、この変性意識状態(ASC)のあつかい方に慣れ、通常の日常意識と変性意識との間に、感覚的・情報的・意図的なつながりを持てるようになると、私たちの能力や世界というものは、ずっとひろがりを持った広大なものに変っていきます。
人生や世界がずっと深さと幅を持った、まばゆく豊かなものに変容していくのです。この人生に、ある意味、「本当の魔法」が存在することに気づくようにもなるのです。その能力を習得し、活用可能なものにすることで人生は一変していくことになるのです。
ここでは、そのような実践的な事柄について解説していきたいと思います。

ところで、かつてアメリカの重要な哲学者ウィリアム・ジェイムズは、その著作『宗教的体験の諸相』のよく引かれる文章の中で、以下のように記しました。

「…それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」(桝田啓三郎訳『宗教的体験の諸相』岩波書店)


さまざまな心の研究とともに、彼自身の変性意識体験より導かれた結論ですが、私たちの知る世界と変性意識状態について考える際にひとつの参考となる観点です。

以下では、この変性意識状態(ASC)がどのような特徴や構造を持つものなのか、また、どのような面で私たちの生活の役に立つのかについて見ていきたいみたいと思います。

2.「変性意識」が認知された時代背景

まずはじめに、そもそも、なぜタート博士が「変性意識状態(ASC)」を取り上げたのか、またそれが世間で注目され受け入れられたのかという、当時の時代背景と歴史的な文脈を見ておきたいと思います。
日本では、このあたりの文脈的・構造的理解が薄いので、変性意識状態(ASC)が、単なる偶発的で風変わりな娯楽的体験か、もしくは浅薄な自己啓発的・能力開発的エピソードで終わってしまうことにもなってしまっているのです。
この変性意識状態(ASC)の探求は、人類の意識変容に関わる重要な側面を持っているともいえるのです。

1969年、心理学者C.タート博士による編著が生まれた背景には、当時のアメリカ、特に西海岸で隆盛していた文化的思潮・流行との関係がありました。ヒッピー・カルチャー、カウンター・カルチャー、サイケデリック・カルチャーなど呼ばれた文化的思潮・流行です。
(ビートルズのジョン・レノンは、1967年のことを思い出して、当時はなにがなんでも「ヘイト・アシュベリー」に行かなければならないと思っていたと回顧しています。ヘイト・アシュベリーとはサイケデリック・カルチャーの爆心地でした。ちなみに、レノンはこの後、ライヒアン系のセラピー「プライマル・セラピー(原初療法)」のセッションを体験し、作風を一変させることになりました。体験的心理療法を深めた人はレノンのこの振る舞いがとてもよくわかると思います)

ところで、ヒッピー・カルチャー、カウンター・カルチャー、サイケデリック・カルチャーなどの思潮をつくり出した最大の動力源は、個々人の「(薬物による)サイケデリック体験」でした。
頭で考え出した思想や思潮ではなく、個々人が強烈な実体験(意識変容体験)を通じて、旧来の世界観とはまったく違う「別世界の体験」をしたのでした。知覚の扉が開かれる体験をしたのです。アップル社の故スティーブ・ジョブズは自らのLSD体験を、「人生でもっとも衝撃的な体験のひとつ」として自伝で回顧しています。それが後に彼をへと導くことにもなりました。

さて、そのようなサイケデリック体験をもったため、多くの人に「問い」が生まれたのでした。
「この体験はなんだろう?」
「この世界はなんだろう?」

その体験世界は、それまでの西洋の合理主義や近代主義の世界観では理解できない世界でした。そのため、「これらの意識状態」を定義して、きちんととらえ直す必要があったわけでした。
タート博士の仕事と「変性意識状態(ASC)」の概念の提示は、そのような時代の要望に応えるものだったのです。
そして、その仕事の結果、「変性意識状態(ASC)」という概念がひろく受け入れられることになったわけです。
そして、それは、サイケデリック体験だけでなく、当時、西洋社会では目新しかった「瞑想」や「ヨガ」「シャーマニズム」等、さまざまな東洋思想を理解する概念ツールともなったのでした。実際、ヨガなど、現在私たちが普段目にする東洋的実践が、普通に身の回りに見られるようになったのはこの時代以降のことです。

ではここで、「実際の変性意識状態(ASC)がどのようなものであるのか」、ひとつ具体的な(極端な)事例を見ておきましょう。イギリスの作家ハクスリーが、「サイケデリック」という造語を考えたハンフリー・オズモンド博士の元で、メスカリン(幻覚剤)を服用した時の体験談です。スティーブ・ジョブズのいう「衝撃的」という言葉の意味合いが伝わるかと思います。

「私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルトが好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社

「私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである」(前掲書)

「神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった」(前掲書)

この体験記は、当時よく読まれ(今も読まれていますが)、サイケデリック体験の指南書となりました。変性意識状態(ASC)というものの一端が(極端なものではありますが)うかがえるかと思います。

3.「 変性意識状態(ASC)」とA.マズロー

▼トランスパーソナル心理学と変性意識状態(ASC)
また、タート博士が本を出した1969年という年は「変性意識状態(ASC)」と関連で、別のとても象徴的な出来事がありました。それは、A.マズローが「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのが、1969年だということです。
A.マズローといえば「欲求の五段階説」とか「自己実現 self-actualization 」などの理論で、ビジネスの世界でもひろく知られている心理学者です。
そのマズローは、晩年「自己実現」の次にある存在状態/ステージについて考えていました。
それが「自己超越 transcendence 」というものでした。

そして、「自己超越」に関連してマズローが注目していたのが「至高体験 peak-experience 」という心理状態でした。これは、とても充実した心理/存在状態なのですが、自己実現した人々に非常に頻繁に見られ、また普通の人々においても稀に見られる特別に「肯定的な状態」として、マズローの注意を引いたのでした。それは、限界を超えるような一種の超越的な心理状態、変性意識状態(ASC)といっていいようなものなのでした。そこに、マズローは人間の心の持つ可能性を直観したのでした。
その事実が彼をして、「自己実現」を超えた「自己超越」のテーマに向かわせたと考えてよいのです。

至高経験は自己合法性、自己正当性の瞬間として感じられ、それとともに固有の本質的価値を荷なうものである。つまり、至高経験はそれ自体目的であり、手段の経験よりもむしろ目的の経験と呼べるものである。それは、非常に価値の高い経験であり、啓発されることが大きいので、これを正当化しようとすることさえその品位と価値を傷つけると感じられるのである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱が見られる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。(中略)かれらはある点で、時間が停止していると同時に非常な早さで経過していく別の世界に住んでいるかのようである」(前掲書)

「至高経験は、この観点から見ると、絶対性が強く、それほど相対的ではない。(中略)それらは比較的達観し、人の利害を超越しているというだけではない。それらはまた、みずからは『彼岸』にあるかのように、人間臭を脱し、自己の人生を超えて永続する現実を見つめているかのように、認知し反応するのである」(前掲書)

「時間や空間の外」「彼岸」「自己の人生を超えて永続する現実」などという描写を見ても、これが通常の心理状態、意識状態を超えている感覚(変性意識状態)というのが伝わるかと思います。マズローが「自己実現」を超えた「自己超越」の心理学をつくる必要性を感じた理由もよくわかるかと思われます。

その結果、1969年に、通常のパーソナル(人格、個人性)を超えた(トランス)進化した人間像を研究するために、「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのでした。
そして、とりわり象徴的なことは、マズローがこの学会を一緒に立ち上げたのが、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士というLSD研究(サイケデリック・セラピー)の大家だったということです。LSDによるサイケデリック体験では、まさに「時間や空間の外」「彼岸」「自己の人生を超えて」などの体験がごく普通に見られるからです。そのようなことを理解できる共同研究者が必要だったというわけです。
晩年のマズローが構想した進化した(超越した)人間像と、変性意識状態(ASC)とが、どのように深い関連にあるのかがよくわかるエピソードかと思われます。

4.「潜在意識」「無意識」という胡散臭さ

さて、さきほどまではとても超越的な事例を見てきましたが、変性意識状態(ASC)は、もっと私たちの生活に身近な形でもさまざまに存在しています。ここからそれらの少し実践的な事柄に移りたいと思います。ところで、変性意識状態(ASC)は、私たちの「潜在意識」や「無意識」と呼ばれるものを、実際に探求・体験するに際して有効な働きを持ちます。

ところでどうでしょうか? 世間でよくいわれるように、人間は「潜在意識」がとても重要なのだと聞いても、どこか怪しく胡散臭い感じがするのではないでしょうか? 
「言われれば、なんとなくそういう気もするけど…」とは思うものの本当にそうなのか、感覚的にピンとこないのではないでしょうか? また、確証のとれない事柄について勝手に語られているように感じられたりしないでしょうか? というのも、「潜在意識」と呼ばれているものが実際、感覚的によくつかめない、中身がよくわからないというところがあるからです。
これは、とても正しい反応だといえます。
そして実際のところ、潜在意識(無意識)の大切さについて、「理論的な話」を聞いてもあまり意味が無いことでもあるからです。

つまり、「潜在意識」や「無意識」の重要性は、「自分の感覚として」実際にそれらを体験・体感したり、その中身を感覚的にわかることによってはじめて意味が出てくるものであるからです。

さて実は、変性意識状態(ASC)は、そのような「潜在意識(無意識)」と、この日常意識をつなぐ領域(媒介領域/状態)として、私たちにとってとても価値があるものであるといえるのです。
つまり、変性意識状態(ASC)は、私たちに広大な潜在意識との意識面でのつながりをもたらし、実感的・実践的な理解をもたらすものであるというわけなのです。
そして、その状態に習熟することにより、潜在意識と深く交わり、そこから能力を引き出したり、操作する方法を得ていくことにもなるというわけなのです。

これが、私たちにとって、変性意識状態(ASC)がとても重要な価値を持つ面といえるのです。
(おおざっぱに表現すると、変性意識状態とは、日常意識と潜在意識とが部分的に融合した状態ともいえます)

5.変性意識状態(ASC)と心理療法

まずは、身近で「実利」を得られるところにある、心理療法(心理学)における変性意識状態(ASC)の効果や有効性について見ていきたいと思います。

さて、「心理療法」とは、心の悩みや苦しみなどを「取り除き」「癒す」ことが目的です。
もう少し丁寧に表現すると、「不調和を起している心(心理)のプログラム」をプログラム修正(再プログラミング)することを目的としたものです。
そして、この再プログラミングをするに際して、程度の大小はありますが、日常意識ではないこの「潜在意識」「無意識」にアクセスすることが重要となるのです。

というのも、私たちのこの「私=自意識=日常意識」というもの自体が、既存の深層プログラムによって成り立ち、そこから映し出されている表象感覚(表象結果)であり、その日常意識(自意識)からでは、(当然ながら)自分自身を作り出している基盤プログラムを書き換えることはできないからです。
「影(結果)」からでは「本体(原因)」に影響できないというわけです。
ここに、私たち人類のこの「私=主体」にまつわる本質的に「逆説的な事態」があるのです。
実例を挙げると、例えば、感情的な問題について、頭(思考)でアレコレ考えていても(一時的に気を紛らわすことはできても)、それ自体は決して解決しない(無くならない)ことを思い出してみても、それは理解できるかと思います。

つまり重要なのは、この日常意識(私=自意識)ではない、別の経路から(日常意識を迂回した道を通って)、自分を作り出している基盤システムに介入して、プログラム修正することが必要となるわけなのです。
といっても、この「私(影、結果)」がなんとかしないといけないので、とても「逆説的な事態」だとお分かりいただけるかと思います。
そしてその際に、この変性意識状態(ASC)という状態がとても有効に利用できるというわけなのです。

この「心の構造」は、催眠療法などをイメージすると分かりやすいかと思われます。催眠療法の考え方というものは、クライアントの方の日常意識に働きかけるのではなく、その意識面を回避(迂回)して、潜在意識(無意識)に直接働きかけることで、クライアントの方の心のプログラムを修正しようとする方法論だからです。
しかし、それもそんなに簡単なことではないのです。催眠療法がそんなに効果を上げる方法論でもないことを見ても、その実情がよくわかるかと思います。

また、心理療法の見方でいうと、通常、心の問題で悩まれている方は、日常意識の自意識に過度にとらわれているものです。自分の苦痛や自意識が絶対的なものに感じられて、そこに囚われてしまっているわけです。そして、苦痛にみちた感情や自意識を、日常生活の中で反復することで固定化(硬化)した悪いループにはまっているです。そのため罠にかかったように、身動きができなくなってしまっているわけです。
しかし、実はその「私=自意識」は結果の表象感覚でしかなく、それを生み出している原因ではないのです。

ところが、変性意識状態(ASC)に入ると、日常意識(私=自意識)がゆるみ、自分の苦痛や自意識が相対化されて、アプローチ可能なものに感じられてきます。苦痛が減じて、自分の強い感情や自意識があつかいやすいものに変化するのです。そのため、より楽な気持ちで、自分の深い心にアプローチできるようになるのです。

セッションにおいては、これが一番効果を発揮する面といえるかもしれません。その結果、よりスムーズに心の深層に触れて、心理的な治癒と変容を進めていくことができるようになるのです。

さて、ところで、変性意識状態(ASC)ですが、実際のところ、私たちは、この変性意識状態そのものには、とても簡単に入れるものなのです。
しかしながら、変性意識状態をつくり、自分たちの望むような形で、心のプログラムを改修(変更)することはなかなか簡単には行なえないのが実情です。
というのも、それは人間生体の運営上、セキュリティの問題(危険)がありますので、セキュリティ・システムがきっちり設けられているからです。私たちは自分の心でさえ、簡単(勝手)にはプログラム修正ができないというわけなのです。それはそれでセキュリティ上、とても良いことなのです。
そのため、適切なプログラム修正を行なうには、セキュリティ・システムを抜けていく方法や心理システムに対する深い理解も必要となってくるのです。
セッションの中で、変性意識状態に移行するゲシュタルト療法(体験的心理療法)は、そのような方法や理解を深く的確なものにしてくれるのです
→【参考】心の悩みと解決法とは はじめに

6.変性意識状態(ASC)とはⅠ 入り方

さて、ところで、変性意識状態(ASC)といっても実にさまざまなタイプがあります。日常意識からの距離によって、軽いものから極端なものまで多様なスペクトルや帯域をもっています。
実際、私たちの意識は、日常生活の中でも、ふと緩んだ時に軽度な変性意識状態に入っています。ちょっとボーとしている時。何かに没頭している時。何かに集中している時。さまざまな機会に、私たちはスルリと変性意識の状態に移行してしまっているのです。
また、人間関係(関係性 relationship)の中では、人は、容易に無意識の力に引き(惹き)こまれて、軽度な変性意識状態に移行してしまいます。恋愛や性愛関係、家族関係、組織内における関係性など、集合的(集団的)な無意識が活性化しやすいところでは、人は憑依されるように容易に変性意識状態に巻き込まれていきます。過度に閉ざされた人間関係の中で犯罪(虐待等)が起こりやすいのはそのためです。

「意識のフレーム(枠)」自体は、カメラのレンズやフレームのように無色透明なものなので、なめらかに変性意識状態に移行するものです。そのため、自分が変性意識状態に入っていても、(没入していて)それと気づかない場合の方が多いものです。主観的には、ハッとして気づきを得るまで、私たちはほとんどその違い(差異)に気づけないのです。
しかし、そのような変性意識状態に移行する中で、無意識のうちに、私たちはより冴えた直観力と鋭敏性を働かせて、優れた創造力を発揮したりもしているのです。また悪い場合には、犯罪などをおかしてしまったりもしているのです。

そのため、重要なことは、単なる偶然的に変性意識状態に入ってしまうのではなく、意図性や気づき awareness をもって変性意識状態(ASC)をさまざまにあつかえるようになるということなのです。

ところで、変性意識にはさまざまな状態があります。しかし、変性意識状態とは、それ単体ではなんら特別なものではないという言い方もできます。というのも、変性意識状態というものは、単に変った意識状態ということだけであるからです。
重要なことは、変性意識は、私たちの日常意識との関係(対比/関連/組み合わせ)の中で、初めてその特異な位置づけや強い意味合いを持つという事実です
。たとえば、ドラッグ(薬物)をやって偶然的に深い変性意識状態に入っても、その体験自体(単体)が、すぐに恒常的な意識拡張や創造力拡大には結びつくわけではないということです。ここにおいても、日常意識との関係(つながり)の中で意図性や気づき awareness をもって変性意識状態(ASC)を操作することがポイントとなってくるのです。

さて、意図的に」変性意識状態(ASC)に入る方法としては、歴史的・伝統的には、各種宗教の儀式的なトランス状態や瞑想技法、向精神薬物の使用などが昔から知られていました。
また同様に、現代の体験的心理療法においても、セッションの過程の深いリラックス状態や、内的な感覚(感情)集中を通して、より自然な形で変性意識状態に入っていくことができます。その変性意識状態の中で、日常意識(自意識)ではコンタクト(接触)できなかった深層情報にアクセスして、そのプログラムを書き換えていくということも可能になってくるのです。
それというのも、変性意識状態(ASC)の中においては、日常意識(自意識)の時とは違った形で、潜在意識にある隠された情動や感覚情報が前景に溢れ出てきて、通常ない形でまじかに視ることも可能になってくるからです。そのような多層的な情報のただ中で、より微細な層に透過的に気づくこと awareness ができるようになるからです。このような微細で多重的な意識状態(ホリスティックな気づき状態)の中でこそ、(セキュリティ・システムを抜けて)心の精妙なプログラムにコンタクトすることや変容のコントロールも可能となってくるわけなのです。

いずれにせよ、心の複雑な構造(特性/逆説)をよく理解し、意図的に変性意識状態(ASC)に入るとともに、その中で心を書き換えるスキルを得ることは、心の治癒や人間の潜在能力を開発するために計り知れない有効性を持っているのです。
また逆にいうと、体験的心理療法のスキルに習熟することは、これらの能力、つまり変性意識状態(ASC)に入ることとその中で微細な気づきを保ち、潜在能力の解放を行なうことにもつながっていくのです。そして、この点こそが、近代的な心理療法と伝統的なシャーマニズムの原理的な類似性ともなっている点であり、当スペースの方法論となっている点でもあるのです。

7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング

また、変性意識状態(ASC)の中には、さきのジェイムズの文章にもあるような、私たちの日常意識から大きく逸脱した未知の不思議な意識状態の帯域もあります。
これら
のイメージは、喩えるとラジオのチューニング(同調)のようなものです。

通常、私たちのラジオ(日常意識)というものは、喩えると、NHK放送にチューニングが合っており、その番組放送を聞いていてそれだけが現実(世界)だと思っているようなものです。
この喩えでは、NHK放送が日常意識であり、その放送番組が日常現実です。
それが何かの拍子(もしくは方法論)で、ラジオのツマミが動かされて、別の放送局(変性意識状態)にチューニングが合うと、別の放送番組(変わった現実)が聞こえてきたりするというわけです。

人類学者カルロス・カスタネダの著作の中には「集合点」と呼ばれる、知覚情報を編成するポイント(結節点)が言及されています。集合点が動くと、私たちは、「日常的な私たち」自身であることを失い、その現実も溶解して、まったく別物に変化していくのです。カスタネダのいう集合点が、厳密に何を意味しているのかは分かりませんが、比喩的にも実践的にも、そのイメージは大変ヒントになるものです。

たとえば、宗教的な修行や体験的心理療法を強力に推し進めると、やはりまれに、そのように「集合点」 が動いたかのような強烈な変性意識状態、別種のリアリティ体験をすることがあります。
それは、私たちを、未知の体験領域-空間に投げ込むことになります(場合により、心身に混乱をきたすケースもあります)。アメリカにおいては、体験的心理療法や向精神性物質によるサイケデリック〔意識拡張〕研究も盛んなため、マズローと一緒にトランスパーソナル心理学会を立ち上げた精神科医のスタニスラフ・グロフ博士などは、そのようなさまざまな変性意識体験の事例、体験領域-空間をさまざまに研究報告しています。また、その状態をサポートするシステム(スピリチュアル・エマージェンシー)について記したり、支援活動を行なっていたりするのです。
(※実際のサイケデリック〔意識拡張〕体験とは何か
LSD研究の権威グロフ博士のLSD体験と時代背景インタビュー動画↓)
http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

8.変性意識状態(ASC)の治癒効果と超越的状態

ところで、興味深いことのひとつは、深い変性意識状態自体が、心理的・身体的な深い治癒効果・統合効果を持っているという点です。
変性意識状態(ASC)が、人間の深層的なプロセスを活性化し、本来持っている深い潜在能力(治癒能力)を引き出し、人間の心身を不可逆的に解放・変容・刷新してしまうという点なのです。
深い変性意識状態が、身心のホリスティック(全体的)な機能を目覚めさせるためと考えられます。

それはおそらく、変性意識状態(ASC)というものが、私たちが普段同一化(固着)している日常意識(自意識)レベルの心理システムを解除し、私たちをより深く高い階層の潜在意識や心身統合システム、個人的自我を超えた領域に、私たちをつなげるためであると考えられるのです。
これは歴史的には、さきに触れた晩年のA・マズローなどが「
自己実現」を超えた領域として構想した「自己超越とトランスパーソナル(超個人的)な領域へのつながるテーマとなっているわけです。
これは、変性意識状態を入り口に、心身のより広大なシステム(全体性/ホールネス)に、私たちを導く興味深くかつ実践的なテーマでもあるのです。ホリスティック holistic なテーマがここにはあるわけです。
これらは広大な内容であると同時に、多様かつ多面的な要素を持ちますので、各要素については下記のそれぞれをご参考いただければと思います。
【図解】心の構造モデルと変容のポイント 見取り図
フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONEとは
サイケデリック(意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
変性意識の治癒効果
マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現
ブリージング・セラピー(呼吸法)の事例
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から
映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghost の変性意識
実際の変性意識体験の事例

現代日本社会では、正しく理解されていませんが、この変性意識状態(ASC)を、きちんとあつえるスキルを磨くことは、私たちの能力や創造力、人生にとって計り知れない益をもたらすものなのです。

9.変性意識のもたらす変容と、人生で活かす方法

さて、拙著『砂絵Ⅰ』の中にも、実際の体験事例を多数書きましたが、筆者自身、心の諸領域を探索する中でさまざまな奇妙な変性意識状態(ASC)を体験してきました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

そして、それらの経験を繰り返してわかったことは、変性意識状態(ASC)が私たちにもたらす変容作用や治癒作用、意識拡張作用は、(場合によっては)たった一回の体験で、人生を一変させてしまう強力な能力を持っているという点でした。心身の基底的なプログラムが刷新し、書き換わってしまうわけです。

さきに触れた、S.グロフ博士は、強度な変性意識を体験した多くの人々の証言を集めた結果から、その世界の見え方の変容を「あたかも、白黒テレビからカラーテレビに変わるかのようだ」と表現しています。これは実際にそのようなものなのです。

また、数々のセッションを実施した経験から言えることですが、軽度のものでも、変性意識状態(ASC)は、私たちの奥底に確実に変容をもたらしてしまうものです。これら多くの観察を踏まえると、変性意識状態(ASC)というものは、気まぐれな不調和ということではなく、私たちの自然的本性(全体性/ホールネス)が備えている「自律的・治癒的・創造的」な素晴らしい潜在能力であるともいえるのです。

そして、これも経験上言えることですが(一番重要な点でもあるのですが)、変性意識状態(ASC)の活用ポイントは、変性意識状態(ASC)と普段の日常生活の間に、きちんとした「心理的な連携や統合、往還(行き帰り)の通路をつくっていく(習熟していく)」という点なのです。

そうでないと、変性意識状態(ASC)は単なる偶然的で奇妙な(面白い)エピソードということだけで、私たちに心理的な統合をもたらすことがないからです(逆に解離と分裂をもたらすこともあるからです)。私たちの人生を豊かにする創造的パワーにはなってはいかないのです。
そのため、拙著 『砂絵Ⅰ』の中では、日常生活と変性意識との行き帰り(往還)の方法を「行きて帰りし旅」という言葉で公式化しました。これが一番重要な点でもあるからです。
そのような、行き帰りと連携の取り組み(スキル)によってこそ、変性意識状態(ASC)の特異で強力な力を、日常生活と人生の中で価値ある創造的な能力に変えることができるのです。

このようなわけで、当スペースでは、変性意識状態(ASC)をあつかうスキルを、潜在能力を引き出し解放・活用するためのスキルとして、実践面・方法論面でも重視し、多くの方々に体験してもらったり、深めてもらったりしているというわけなのです。
変性意識状態(ASC)の秘められた力を、ご自分でうまくあつかえたり活かせるようになるだけで、想像もつかなかったような形でご自身の人生を解放し、刷新させることが可能になるからです。
そのことで、クライアントの方がご自身で、自己の潜在意識や創造力を無尽蔵に引き出す真の魔法、マスター・キーを手に入れることができると考えているからなのです。

 

10.参考文献

Charles T. Tart (ed.) ; Altered states of consciousness . John Wiley & Sons Inc
W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳 (岩波書店)
A・ハックスレー『知覚の扉・天国と地獄』今村光一訳 (河出書房新社)
S・グロフ『自己発見の冒険Ⅰ』菅靖彦他訳 (春秋社)
S・グロフ『脳を超えて』菅靖彦他訳 (春秋社)
S・グロフ他『深層からの回帰』菅靖彦他訳 (青土社)
T・リアリー他『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳(八幡書房)
A.H.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳 (誠信書房)
A.H.マスロー『人間性の最高価値』上田吉一訳 (誠信書房)
J・C・リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳(平河出版社)
C・G・ユング他『黄金の華の秘密』湯浅泰雄訳 (人文書院)
R・D・レイン『経験の政治学』笠原嘉他訳 (みすず書房)
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)
S・コトラー『超人の秘密:エクストリームスポーツとフロー体験』熊谷玲美訳(早川書房)
井筒俊彦『意識と本質』(岩波書店)
吉福伸逸『無意識の探険』(TBSブリタニカ)
吉福伸逸『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版社)
菅靖彦『変性意識の舞台』(青土社)
津村喬『気功宇宙―遊泳マップ』(アニマ2001)
K・ウィルバー『意識のスペクトル』吉福伸逸他訳 (春秋社)
ロジャー・N・ウォルシュ『シャーマニズムの精神人類学』安藤治他訳(春秋社)
A・ミンデル『シャーマンズ・ボディ』藤見幸雄他訳 (コスモス・ライブラリー)
フレッド・アラン・ウルフ『聖なる量子力学9つの旅』小沢元彦訳 (徳間書店)
S・ラバージ『明晰夢』大林正博訳(春秋社)
ゲイリー・ドーア編『死を超えて生きるもの』井村宏治他訳(春秋社) 
アブラハム.H.マスロー『人間性の最高価値』上田吉一訳 (誠信書房)
マーティン・A・リー他『アシッド・ドリームズ』越智道雄訳(第三書館)

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▼変性意識状態(ASC)のさまざまな可能性について
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『諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について
ロートレアモン伯爵と変性意識状態
宇宙への隠された通路 アレフとボルヘス



【ブックガイド】

変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
また、変性意識状態(ASC)への入り方などその詳細な概要と実践技法は入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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コチラ

体験的心理療法とは はじめに

当スペースで、

「体験的心理療法」と呼んでいるものは、

主に、1960年代に、

米国西海岸を中心に広まった

心理療法のタイプの一群です。

 

当スペースの中心技法である、

ゲシュタルト療法エンカウンター・グループ

ボディワーク・セラピーや、ブリージング・セラピーなどが

代表的なものです。

また、当時の普及のメッカとしては、

エサレン研究所 Esalen Instituteなどが

知られています。

 

エサレン研究所の所長、

マイケル・マーフィーは、

その活動初期に、

エンカウンター・グループを体験し、

これは、「サイケデリック物質と同じくらい、

人を恍惚とさせるものだ」と感じたようです。

そして、これを、

「新しい、アメリカのヨガであり、

個人と宇宙とを結合する道だ」

と思ったようです。

(W・T・アンダーソン 『エスリンとアメリカの覚醒』 誠信書房)

 

そして、実際、

この地から、

心理療法の新しい潮流も、

ひろまっていったのでした。

 

「私は、以前より、開かれ自発的になりました。

自分自身をいっそう自由に表明します。

私は、より同情的、共感的で、忍耐強くなったようです。

自信が強くなりました。

私独自の方向で、宗教的になったと言えます。

私は、家族・友人・同僚と、より誠実な関係になり、

好き嫌いや真実の気持ちを、

よりあからさまに表明します。

自分の無知を認めやすくなりました。

私は以前よりずっと快活です。

また、他人を援助したいと強く思います」

(ロジャーズ『エンカウンター・グループ』畠瀬稔他訳/創元社)

 

エンカウンター・グループ体験者の言葉です。

このような、心のしなやかさや感度の獲得は、

どのような体験的心理療法を体験したとしても、

それが、充分に深められた場合には、

おおよそ、共通している要素です。

 

ゲシュタルト療法エンカウンター・グループは、

実際に表現してみることや、

人間相互のやりとりを通して、

知的な解釈ではない、

深い感覚(感情)的体験を、

直接経験していきます。

 

ボディワーク・セラピーや、

ブリージング(呼吸法)・セラピーは、

身体に直接働きかけ、

そこから出発することで、

知的に乖離しているクライアントの、

存在の深部から、

直接に作用をさせます。

その分、効き方も、

強いもの(強度の体験)になります。

そのことにより、

深部の心理プログラミングを、

書き換えていきます。

 

知的なフィルターのせいで、

袋小路に陥ってしまっている、

現代人の多くにとっては、

めざましい自然治癒を活性化させる、

有効な療法でもあるのです。

 

また、体験的心理療法は、

深部からの心身一元的な領域で、

開放を促すため、

意識の多様な領域を、

開示することにもなります。

 

変性意識状態へのアクセスにおいて、

特に、実践的で、

有効なアプローチとなっています。 

 

筆者自身、実際に、

さまざまなセッションを体験してみて、

そのめざましい効果や、

体験世界のひろがりに、

圧倒されたのでした。

また、自分が自発的に持っていた、

変性意識状態を理解する、

方法論であることを、知ったのでした。

 

 

現代の日本では、

体験的心理療法は、

あまり一般の認知がなく、

場合によっては、

自己啓発セミナーなどと混同されてしまうという、

残念な結果となっています。

 

当スペースでは、

ゲシュタルト療法の他に、

周辺領域にある、

さまざまな体験的心理療法の、

知見や技法も活かして、

心の悩みの解決や、

潜在的力の開発に、

役立てています。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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(スタニスラフ・グロフ博士のインタビュー

http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof 

クラウディオ・ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢

image


クラウディオ・ナランホ(claudio naranjo)博士は、

南米チリ出身の精神科医ですが、

フリッツ・パールズの直弟子であり、

また、スーフィズム(イスラム神秘主義)、

チベット仏教、サイケデリックスの研究家、

グルジェフ系の第四の道の探求者、

現在流布するエニアグラムの、初期の伝承者(構成者)等々、

様々な顔をもつ、興味深い精神の探索者です。

その彼が、ゲシュタルト療法伝播の初期に、

ゲシュタルト療法の基本姿勢について、

簡潔にまとめた文章があります。

「気づきの3つの領域」を意識したものです)

 

時代の中での、

ゲシュタルト療法の位置づけを感じさせる、

禅と実存主義を強調した、

魅力的な条項です。

 

 

①今に生きよ。過去や未来ではなく現在に関心をもて。

 

②ここに生きよ。目の前にないものより、

 目の前に存在するものをとり扱え。

 

③想像することをやめよ。現実を体験せよ。

 

④不必要な考えをやめよ。

 むしろ、直接、味わったり見たりせよ。

 

⑤操作したり、説明したり、正当化したり、

 審判しないで、むしろ表現せよ。

 

⑥快楽と同じように、不快さや苦痛を受け入れよ。

 

⑦自分自身のもの以外のいかなる指図や指示を

 受け入れるな。

 偶像崇拝をしてはならない。

 

⑧あなたの行動、感情、思考については、

 完全に自分で責任をとれ。

 

⑨今のまま、ありのままのあなたであることに徹せよ。

 
 
 



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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ゲシュタルト療法【基礎編】
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