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創造性開発関連

動画解説「自信がない・自己肯定感が低い・生きづらさ・心の葛藤」の構造と、創造性


この動画では、
私たちがもつ、
「自信がない・自己肯定感が低い・生きづらさ・心の葛藤」 
という気分の背後にある、
心理的構造について、解説しています。




サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か

さて、「サイケデリック psychedelic という言葉は、音楽やデザインのイメージとして、その言葉がよく知られています。しかし、フワッとした印象だけで、その体験が、実際に「どのような体験内容を指しているのか」という点(質感/クオリア/実相)については、日本ではあまり一般には認知されていません。

ところで、変性意識状態(ASC)の研究も、トランスパーソナル心理学の出現も、1960年代の時代的な背景として、(合法であり、治療用でもあった向精神性物質による)サイケデリック・セラピーの手堅い研究があったからこそ、リアルで厚みのあるものになっていったという経緯(前提)があります。

◆時代の先駆け

ところで、時代に先駆けた先駆的な業績としては、英作家オルダス・ハクスリーが、「サイケデリック」という造語を考え出したハンフリー・オズモンド博士(その経緯はリンク先参照)のもとで、幻覚剤メスカリンの服用体験を記した『知覚の扉 The Doors of Perception 』という書物があります。
これはそのよう具体的なサイケデリック体験を記し、一般にその意味合いを知らしめた重要な作品となっています。
この書名『知覚の扉 The Doors of Perception 』は、これまたイギリス最重要の幻視家W.ブレイクの詩句より来ています。

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, Infinite. 
For man has closed himself up, til he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.
もし知覚の扉が浄められたなら、すべてのものがありのままに、無限のものとして現われるだろう。
というのも、人はすべてものを、彼の洞窟の狭い隙間を通して見るまでに、自らを閉ざしてしまっているからである。
(THE MARRIAGE OF HEAVEN AND HELL より)

ハクスリー自身がこのような事態(人間の閉ざされた事態)を、そのサイケデリック体験を通して痛感したからでしょう。彼自身は、非常に「知的な」作家でした。そのような面での限界を、彼自身が強く感じたことが、彼をこのような探求に向かわせたと考えられるのです。
ちなみに、詩人ブレイク自身は、この詩句の前節で、心身二元論をまずは消し去るべき考え方であると指摘しています。そして、見かけ上の表面を溶かし、隠れた無限をあらわにする(健康かつメディカルでもある)地獄的な方法について言及しているのです。
また、この書名は、アメリカの(サイケデリック・)ロック・バンドのドアーズ The Doors の名前の元となりました。シンガーのジム・モリソンが「自分たちは、既知と未知の間にある扉(ドア)になりたい」と考えたからでした(ちなみに、ジムは歌やバンドをはじめるよりもずっと前に、LSD(治療用幻覚剤)体験の中で自分が大聴衆の前で歌っているという未来のヴィジョンを見たといわれています)。

さて、ところで、この本の中で描写されている「メスカリン」は、そもそもネイティブ・アメリカンの或る部族が儀式でつかうサボテン(ペヨーテ)に含まれている物質でした。
つまり、伝統的な社会の中では、そのような体験が、世界観の中に受け入れられているということです。
そして、この本で記されているような哲学的洞察は、「サイケデリック体験」についての、後の時代への決定的な指針となったことがうかがえるような興味深いものとなっているのです。
変性意識状態(ASC)や、トランスパーソナル心理学が、そもそも何を目指しているのかを考えるのに際しても、とてもヒントになるものであるのです。そのようなわけで、ハクスリー自身は、まだ手探りの状態にあった初期段階からエサレン研究所(後の新しい体験的心理療法の総本山)の後見人にもなったりしたわけでした。

『知覚の扉』の中で、ハクスリーは、そのメスカリン体験を記しています。

「…私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在―ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、途方もなく大きな、奇怪な誤りを犯したように思われる。だから、可哀想な男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっているこの花束のような存在は、絶対に眼にすることができなかったに相違ない。また彼は、これほど強く意味深さを付与されたバラ、アイリス、カーネーションが、彼らがそこに存在するもの、彼らが彼らであるもの以上のものでも、以下のものでもないということを知ることも、絶対にできなかったに相違ない。彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは―はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、しかし、自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる…というものであった。」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社

また、

「…私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである。バラからカーネーションへ、羽毛のような灼熱の輝きから生命をもった紫水晶の装飾模様―それがアイリスであった―へと私の眼は少しずつ渉っていった。神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった。」(前掲書)

そして、そのような体験について考察をめぐらせます。

…宗教上の言葉で“この世”と呼ばれている世界が、すなわちこの世界であり、その世界では濾過されて残った意識内容だけが言葉によって表現される世界、そしてさらにいえば、言葉によって生命を失って石化されてしまっている世界である。ほとんどの人々は、その人生のほとんどの時において、減量バルブを通して減量された意識内容で、方言にすぎない人間の言語が本当に真実のものだというお墨付けを付けたものだけしか知ることがない。減量バルブの表街道に対して、これを出し抜く一種のバイパスというべき裏街道が存在する。そしてある種の人々は、このバイパスを生まれつき持っているように思われる。」(前掲書) ※太字強調引用者

引用文の中で、ハクスリーの「減量バルブ」という言葉が出てきますが、これはフランスの重要な哲学者ベルクソンが考えているような観点、つまり、私たちの「脳」というものは、情報を濾過し、減量する性質を持つものであるという観点に拠っているものです。
私たちのこの地上での生存の都合上、余計な情報は濾過して、認知しないような機能を、脳は担っているという視点です。脳は「抑制するための装置/減量バルブ」ということです。
「バイパス」とは、そのような「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。


◆サイケデリック(意識拡張)の研究

では参考に、他の人物による、サイケデリック体験、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの報告も見てみましょう。
LSDといえば、今では、まるで「ドラッグ」のように思われていますが、元々は、精神医療の中で使用されていた治療用の幻覚剤です(当然、当時は合法です)。しかし、そもそも、この「幻覚剤」という日本語自体が、事実を歪曲した表現でもあります。通常、「幻覚」とは「現実でない」ことを意味しているからです。※「LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド lysergic acid diethylamide )」
サイケデリック・セラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士は、LSDについて、むしろ逆のことを語っています。

「それらは、他の薬物のように、薬物特有の状態を誘発するのではなく、むしろ、無意識的プロセスの特定しえない触媒もしくは増幅器として働き、人間精神エネルギー・レベルをあげることにより、その深層の内容と生得的なダイナミクスを顕在化させるのである」(グロフ『自己発見の冒険』吉福伸逸他訳 春秋社)

LSDは、深層意識そのもののリアリティ(現実性)を開示するということです。そのため、心理療法のツールとして効果を上げたのです。例えば、通常、私たちが過去のことを思い出すといっても(記憶力を振り絞っても)、幼い頃のことなどなかなか思い出せません。しかし、LSDでは、簡単にほんの幼少期の記憶まで鮮明によみがえってきます。また、乳幼児や胎児の頃の記憶まで出てくるということが普通にあったのです。
そのため、当時、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリー博士らも、LSDを精神解放のツールとして、「サイケデリック体験」用として、これを大いに喧伝したのです。
さて、そのようなLSDですが、ここでは、少し極端な事例を見てみましょう。その方が、それがもたらす「意識拡張」という意味合いがよくわかるからです。
次の例は、或る精神科医が、LSD体験セッションの中で、自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長する体験をすることになりました。

「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
 卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分かと新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)

の事例では、被験者は、その体験セッションの中で、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。

「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)

 それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
 私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
 ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」 ※太字強調引用者 グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳(青土社)

上記のセッションを指導した、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、(「自己実現」で有名な)A.マズローとともに、「トランスパーソナル心理学」立ち上げた重要人物です。そして、「サイケデリック研究」の権威です。
博士は、元々チェコで、合法だった時代の、LSDを使って、サイケデリック・セラピー(LSDセラピー)を行なっていた人でした。数千回(直接に三千回、間接に二千回)にわたるサイケデリック・セッションにたずさわり、人間の深い治癒プロセスと、〈意識 consciousness 〉の不可思議な能力を目の当たりにしていったのです。
そして、このような観察結果/研究内容が、最晩年のマズローを突き動かして、トランスパーソナル心理学設立へと駆り立てたのでした。
しかし、グロフ博士がたどり着いた結論は(本人自身がそれを受け入れがたく、長年、精神的に葛藤したと語るように)、今現在、一般に流通しているメインストリームの科学的世界観とそぐわないものとなったのです。
彼は、それらに至る経緯を語っています。

「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」(グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳、春秋社) ※太字強調引用者

新しい見方をとっていくことで、上に引用した「鉱物との同一化」やその他の無数に起こる奇妙な体験の数々を受け容れることができるようになっていったのです。「判断や説明をさしはさまず注意深く記録」していくことによってです。しかし、それらは、現在一般に信じられている科学的世界観とはそぐわないものでもあったのです。しかし、これはまた、変性意識状態(ASC)全般について言えることでもあるのです。
彼は、サイケデリック(意識拡張)・セッションでの結論を次のように語ります。

「サイケデリック体験の重要な特徴は、それは時間と空間を超越することである。それは、日常的意識状態では絶対不可欠なものと映る、微視的世界と大宇宙との間の直線的連続を無視してしまう。現れる対象は、原子や分子、単一の細胞から巨大な天体、恒星系、銀河といったものまであらゆる次元にわたる。われわれの五感で直接とらえられる「中間的次元帯」の現象も、ふつうなら顕微鏡や望遠鏡など複雑なテクノロジーを用いなければ人間の五感でとらえられない現象と、同じ経験連続体上にあるらしい。経験論的観点からいえば、小宇宙と大宇宙の区別は確実なものではない。どちらも同じ経験内に共存しうるし、たやすく入れ替わることもできる。あるLSD被験者が、自分を単一の細胞として、胎児として、銀河として経験することは可能であり、しかも、これら三つの状態は同時に、あるいはただ焦点を変えるだけで交互に起こりうるのである」

「サイケデリックな意識状態は、われわれの日常的存在を特徴づけるニュートン的な線形的時間および三次元空間に代わりうる多くの異種体験をもたらす。非日常的意識状態では、時間的遠近を問わず過去や未来の出来事が、日常的意識なら現瞬間でしか味わえないような鮮明さと複雑さともなって経験できる。サイケデリック体験の数ある様式(モード)のなかには、時間が遅くなったり、途方もなく加速したり、逆流したり、完全に超越されて存在しなくなったりする例もある。時間が循環的になったり、循環的であると同時に線型的になったり、螺旋軌道を描いて進んだり、特定の偏りや歪みのパターンを見せたりしうるのである。またしばしば、一つの次元としての時間が超越されて空間的特性を帯びることがある。過去・現在・未来が本質的に並置され、現瞬間のなかに共存するのだ。ときおり、LSDの被験者たちはさまざまなかたちの時間旅行(タイム・トラベル)も経験する。歴史的時間を遡ったり、ぐるぐる回転したり、完全に時間次元から抜け出て、歴史上のちがった時点に再突入したりといった具合だ」

「非日常意識状態についてふれておきたい最後の驚くべき特徴は、自我(エゴ)と外部の諸要素との差異、もしくはもっと一般的にいって、部分と全体との差異の超越である。LSDセッションにおいては、自己本来のアイデンティティを維持したまま、あるいはそれを喪失した状態で、自分をほかの人やほかのものとして経験することがありうる。自分を限りなく小さい独立した宇宙の一部分として経験することと、同時にその別の部分、もしくは存在全体になる経験とは相容れないものではないらしい。LSD被験者は同時にあるいは交互に、たくさんのちがったかたちのアイデンティティを経験することができる。その一方の極は、一つの物理的身体に住まう、分離し、限定され、疎外された生物に完全に同一化すること、つまりいまのこのからだをもつということだろう。こういうかたちでは、個人はほかのどんな人やものともちがうし、全体のなかの無限に小さな、究極的には無視してかまわない一部分にすぎない。もう一方の極は、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉という未分化の意識、つまり全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化である。」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者

このような結論は、その体験の中で現れてくる意識状態そのものの不可思議さもあり、「『意識』そのものがどのようなものであるのか」という大問題にも関わるので、簡単に理解しがたいものですが、精神と心を探求する者にとって、とても示唆の多いものとなっているのです。そして、ケン・ウィルバーのいう「意識のスペクトル」論などへも、現象的な意味で、重要な光を照らすものとなっているのです。


◆まとめ

さて、このセッションでは、「サイケデリック」について、ハクスリーやスタニスラフ・グロフ博士の研究について見てきました。
とても興味深く、不思議な世界ではないでしょうか?

しかし、このような世界は、必ずしもサイケデリック物質(ドラッグ)を摂らなくとも得ることができるものなのです。
実際、上のグロフ博士は、LSDの使用に法的規制がかかった後は、体験的心理療法/(呼吸法を使った)「ブリージング・セラピー」を使って、近似した効果を上げていくことになりました。
なぜなら、サイケデリック物質は、きっかけでしかなく、意識の変容した状態である変性意識状態(ASC)さえちゃんと生み出せれば、方法論はなんでも良いからです。
さらに言うと、変性意識状態(ASC)さえ、きっかけであり、私たちの本源にある
〈意識 consciousness〉の本性」そのものに深くコンタクト(接触)できれば、深い次元の体験をできるからです。
次の女性の事例は、そのブリージング・セッションの中で、「自分を鯨としてまざまざと体験する(同一化する)」という、奇妙な、サイケデリック体験と同様の体験をしていきます。

「意識がはっきりと大洋的な性質を帯びてきたという感覚が高まり、ついに、大洋の意識と表現するのが一番ふさわしいものに、自分が実際になるという感覚を覚えた。いくつかの大きな体が近くにいることに気づき、それが鯨の群れであることを悟った。
気がつくと、頭部を冷たい空気が流れるのを感じ、口の中に塩辛い海水の味がした。明らかに人間のものではない異質な感覚や気持ちが微妙に私の意識をのっとった。周囲にいる他の大型の身体との原初的なつながりから新しい巨大な身体イメージが形成されはじめ、自分が彼らの仲間のひとりになったことを悟った。腹の内部にもうひとつの生命形態を感じ、それが自分の赤ん坊であることを知った。自分が妊娠している雌鯨であることに何の疑いも持たなかった」(グロフ前掲書)


体験的心理療法は、私たちの閉ざされた知覚や心身を、心身一元論的に溶解し、知覚を流動化させていくことで、変性意識状態(ASC)や、超越的な、トランスパーソナル(超個的)な次元が体験されてくることになるからです。それは、いみじくも、幻視家W.ブレイクの語った通りです。別に、映画『マトリックス』を素材にそのことを解説してみました。
「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界」

また、さきのハクスリーの言葉の中で、「バイパス」の話が出てきました。バイパスとは、「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある豊饒な情報にアクセスする抜け道という意味合いです。
しかし、歴史的に考えると、それらは伝統的には、シャーマニズム的な世界の中で、昔から存在していたものでもありました。「抜け道」的な意味合いとしては、文化的にはある種、トリックスター的なふるまい(回路)としても存在していたのです。
それは、部族(人類)が、必要なものとして、社会装置の中につくっていたのでした。
そして、実際のところ、そのような「バイパス(変性意識)」は多様に存在しているのです。そして、それは向精神性物質のようなものに限定されているわけでもないです。
実際のところ、古今東西、この世の中には(表向きには隠されているにしても)さまざまな方法論が、宗教や魔術、現代では体験的セラピーとして存在していて、実践されていて、バイパスのような成果を上げてきたからです。

そして、その中でも、「心身一元論的な心を変容させる技法(体験的心理療法)」は、比較的安全かつ的確に、私たちの中に、そのような「バイパス(変性意識)」を作り出していくためのものなのです。
筆者自身、十代の頃に、音楽の影響からハクスリーを読み、強い感銘を受けて、その後、意識の拡張を目指し、ゲシュタルト療法他さまざまな体験的心理療法等に取り組み、さまざまな興味深い変性意識を体験していくことになりました。その結果、実際に「知覚の扉の彼方」にある、まばゆい光明の世界にたどり着くことにもなったのです。
ですので、ハクスリーのような記述は、決して特別な事でも絵空事でもないのです。
私たちが、通常の地道な探求の果てに得られるものでもあるのです。

実際、その後のハクスリーは、アメリカのエサレン研究所 Esalen Institute という、二人の若者がつくる能力開発センターの後見人になりました。ここから、前衛的な体験的心理療法が、世界に広まっていったのです。
『エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦』
エサレン研究所は、ワークショップ・センターであり、アカデミックな機関ではありません。そのため、当時のさまざまな先端的な人々同士が交流する場となり、新しい思想と実践的なメソッドが醸成する空間となったのでした。
有名な人々では、思想家のグレゴリー・ベイトソンゲシュタルト療法のフリッツ・パールズトランスパーソナル心理学スタニスラフ・グロフらが長期居住者となり、さまざまなワークショップやレクチャーを行ないました。
下記に紹介しているスタニスラフ・グロフのインタビュー動画の中でも、博士はこのエサレン研究所について、「人間ラボラトリー」「潜在能力センター」「どの研究機関や大学よりも、心理学と精神医学に貢献してきた」と語っています。

ハクスリー他の記述に「何か響くもの」を感じた方は、ぜひ、意識拡張の可能性を信じて、薬物という方法でなくとも、色々な探求の旅に出られてみることをおすすめいたします。
実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
また、サイケデリック体験には、上記のような肯定的な面ばかりでなく、薬物中毒の問題以外にも、多くの否定面や問題もありますので、そのあたりは下記をご覧ください。この点の方が、世間的な印象かもしれません。しかし、ある面では、その「直観」は正しいのです。
変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」 6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
→ラム・ダス(リチャード・アルパート)『ビー・ヒア・ナウ』

さきにも触れた、トランスパーソナル心理学を、A.マズローとともに立ち上げた、スタニスラフ・グロフ博士は、元々チェコで、合法だった治療用幻覚剤LSDを使って、数千回にわたるサイケデリック・セラピーを行なっていた最重要人物です。
下の彼のインタビュー動画は、サイケデリック(LSD)の登場、効果、普及の理由などを、彼自身の個人的体験として、歴史的に回顧する大変興味深いものとなっています。↓
https://www.ntticc.or.jp/ja/hive/interview-series/icc-stanislav-grof/
※インタビュー中の、「イサレム」はエサレン、「バルド界」と訳されているものは、「チベットの死者の書」でいう「バルドゥ(中有)」のことです。


付記 「サイケデリック psychedelic 」という言葉の由来
 
参考までに、(日本では今でも)意味が伝わりづらい「サイケデリック psychedelic 」という言葉(用語、名称)が採用され、公式に世に出された経緯(由来、語源)を下記に引用しておきます。その言葉をつくったオズモンド博士は、まだ医療用の向精神性薬物が開発される前の時代に、精神科医として、統合失調症(精神分裂症)の脳内で起こっている生化学的プロセスに興味をもった人物でした。その生化学的プロセスがわかれば、治療になると考えて、精神に作用する物質を研究しはじめたのでした。しかし、そのような物質の薬効を体験し、調べているうちに、そのような物質は、もっと能動的で、積極的、創造的な作用を心にもたらすことに気づいていったのです。

LSD体験を説明した科学論文の用語は、オズモンドにはぴんとこなかった。幻覚とか精神障害という用語は、悪い精神状態しか意味していない。ほんとうに客観性を重んじる科学であれば、たとえ異常な、あるいは正気でないような精神状態を生みだす化学薬品に対しても、価値判断はくださないのが筋なのに、精神分析の用語は病理的意味あいを反映していた。オルダス・ハックスリーも、病理学的用語は、不適切だと感じていた。このドラッグの総体的な効能を完全に包含するには、新しい名称をつくるしかない、オズモンドもハックスリーもこの点では意見が同じだった。
オズモンドはハックスリーがはじめてメスカリン体験をしたときの縁で、親友づきあいをしており、頻繁に手紙をやりとりしていた。最初ハックスリーは「ファネロシーム」ではどうかと提案した。語源は「精神」とか「魂」という意味である。オズモンドあての手紙には、つぎのような対句が書かれていた。

 このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
 ファネロシーム半グラムをのみたまえ。

これに対してオズモンドは、こう返歌を書いた。

 地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
 サイケデリックをひとつまみだけやりたまえ

 こうして「サイケデリック」ということばが、つくられたのである。オズモンドは、一九五七年、このことばを精神分析学会に紹介した。ニューヨーク科学学会の会合で研究報告したとき、彼はLSDなどの幻覚剤は単なる精神障害誘発剤を「はるかにこえる」機能を持っており、したがってこれにふさわしい名称には、「精神をゆたかにし、ヴィジョンを拡大する側面をふくめる」必要があると主張した。そして、「精神障害誘発剤」のかわりに、あたりさわりのない用語を披露したが、これは意味がはっきりしなかった。文字どおりにはサイケデリックは「精神を開示する」という意味で、いわんとするところは、この種のドラッグは予測のつくできごとを開示するのではなく、意識下にかくされていたものを表面にひきだす機能を持つということである。
マーティン・A・リー他 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ』(第三書館)

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サイケデリック体験とチベットの死者の書
実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
拙著『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、
入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、上記のような変性意識状態が導く深淵な光明(世界)を知りたい方は、事例も含んだ拙著↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓動画解説 変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際

→『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』



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他人に持つ魅惑や幻惑、憧れと、
心理的投影との関係について
お話しています。




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ゲシュタルト療法【基礎編】
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「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
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動画解説〔機動戦士ガンダム〕モビルスーツと拡張された未来的身体


この動画では、
モビルスーツとニュータイプを素材に、
身体感覚や潜在意識の拡張について
話をしています。



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夢見と変性意識状態(ASC) つぶやき語録2

夢見の像の輝き。
私たちが思春期の頃、未来を展望した際にもった夢想には、
さまざまな夢見の力が現れています。
そのため、その頃のヴィジョンや予感にこだわることは、
とても重要なことなのです。


「知覚の扉の彼方へ」。
そのようなことは可能です。
しかし、重要なことは、
彼方の世界と、
日常の今ここの世界の往還(行き帰り)を、
統御的に行なえることなのです。


私たちを「超意識」状態へと向かわせるもの。
それは、私たちの夢見の力です。


私たちが稀に持つ「超意識的状態」。
それは主観的には非日常的意識(変性意識)ですが、
心自体にとっては、
単なる全体性の体験(状態)でしかありません。


潜在意識のひろがり。
私たちの潜在意識と能力は、
広大にひろがっています。
それらは、魔法のような力を持っています。
問題なのは、
それを抑圧し、
無いことにしている日常意識や信念体系の方なのです。


魔法と物語。
物語には、私たちの心の構造が投影されています。
神話的な物語には、
魔法のような事柄が描かれます。
そのことを、
私たちの真の潜在能力が表現されていると
考えることもできるのです。


夢見の像の輝き。
私たちは、他者や物事を見る時、
自分の内側のものを相手に投影しています。
その相手がとても素晴らしい幻惑やカリスマを持っている時、
自分のどんな夢見がそこに投影されているのかを考えてみるのは、
重要なことです。


夢見と創造と変性意識状態(ASC)。
夢見と芸術。
現代では、夢見は芸術の中に、
その隠れ家をかろうじて確保しています。







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動画解説「フロー体験 flow experience」


この動画では、
一般には、ZONE体験として知られる、
チクセントミハイ博士の、
「フロー体験 flow experience」について
解説しています。




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連載8 「物語の力」と変性意識状態(ASC) 頭抜けたアウトプットを出す直接的方法

さて、今回は、
「物語の力」と変性意識状態(ASC)について、
書いてみたいと思います。

「物語」とは、
映画や小説、アニメその他、
さまざまな形態で存在しています。
それは、人の体験談や噂話のような形態でも、
存在しています。

私たちが、
「物語」に惹きつけられ、
感情を動かされるのは、
私たちの心の構造が、
「物語」の中に、
投影されているからです。

心の構造の中には、
私たちの自我に関わる、
心理的次元のものもあれば、
もっと深い一種神話的な次元のものも、
あります。

いずれにせよ、
私たちは、心の奥底にあるものを、
物語に投影して、
物語の中で、
自分の魂そのものに、
出会っているのだといえます。

これは、
対人関係における心理的投影と、
大枠の構造は同じです。

私たちは、
生活の中で、
さまざまな人々に、
自分の心の内容を投影して、
彼ら・彼女らを、
見ているのです。

物語の中においても、
私たちは、
自分たちの心の中の、
さまざまな自我たちや、
夢見の創造性を投影して、
それらを体験しているわけです。

「物語」という形態(の仕掛け)によって、
それが可能になるわけです。

そのため、
「物語」をそのようにとらえていくと、
私たちの心を把握するための、
大変便利なツールになっていくのです。

そして、また、
変性意識状態(ASC)などを使って、
私たちが、
自分の心の中の探索に慣れてくると、
自分の中に、
直接、豊かな物語や舞台、
登場人物たちを、
見ていくことも、できるようになるのです。

その結果、今度はそれらを、
外の世界に、
創造的にアウトプットできるようにも、
なっていくことになるのです。

そして、新たな物語が、
紡がれていくことになるのです。

これらを総じて、
「夢見の技法」と呼ぶことも可能です。

「物語」の形態に、
意識的に習熟していくことは、
そのような効果を持つことでもあるのです。






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動画解説「物語の力」と変性意識状態(ASC) 


この動画では、
私たちを惹きつける
「物語の力」の<
原理と創造的な活用法を、
私たちの心理的構造や、
変性意識状態(ASC)と絡めて、
解説しています。




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動画解説「魔法入門 変性意識活用法その2 現代的(心理学的)シャーマニズム」

この動画では、
変性意識状態(ASC)活用法として、
シャーマニズム・モデルを引きつつ、
変性意識をあつかうことの普遍性について
解説をしています。




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連載7 想像力と能力拡張 頭抜けたアウトプットを出す直接的方法


さて、私たちが、
自分の「能力」や「意識」を
拡張していくに際して、
そもそも、
自分の中に、
ある種のイメージを持っているか否かが、 
探求的取り組みのなかでは
意外と重要な要素に、
なってくるということがあります。  

人間が、到達しうる、 
未来の、 ありうべき状態が、 
イメージできるかということが、
重要なことになってくるのです。  

そのような事柄を、 
なんとなくでも、
イメージしている人は、 
実際、その状態にも、
到達しやすいのです。   

これは、
私たちが、そもそも、
自分のうちに在るものを投影して、
物を見ているからです。

外部にある素晴らしいものと感じるものは、
あなたのうちにある、
素晴らしい何かなのです。

そのため、
それを、よりイメージしたり、
感覚にしたがい着実に追い求めていくと、
実際にそれらに達することも、
できることになるのです。

たとえば、 
普通には、イメージしにくい、 
次のような奇妙な言葉があります。   

「…より大きな高揚状態に、
驚くほど大きな高揚状態に、
異様な高揚状態に、
今まで知られたことのない高揚状態に、
自己を越え、あらゆるものを越える高揚状態に、
奇蹟的な高揚状態になる。
その高揚状態は、(中略)充溢であり、
解放でもあり、瞑想でもあり、
解放以上のものへの渇きでもあるのだが、
しかしながら、それはまた、
われわれがしまいこんでおけないほどの、
われわれには値しないほどの、
過度に幸せな歓喜の中での、
われわれがそれを受け入れているのか
与えているのかわからないほどの、
あまりにも、あまりにも大きな……
あり余るほどの歓喜の中で、
胸が破れてしまいはせぬかと心配するほどの
高揚状態なのである」
(ミショー『荒れ騒ぐ無限』小海永二訳、青土社)   

たとえば、
このような言葉を、 
人間のありうべき状態として、
その可能性として、
 イメージできる人は、 
人生の中で、
実際に、そのような状態にも、
達しやすくなっているのです。    



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キース・ジャレットの覚醒と熱望 グルジェフィアンの面影


さて、前回、
G・I・グルジェフのいう、
自己想起self-rememberingを取り上げ、
気づきawarenessと、
そのあるべき姿について、
考えてみました。
気づきawarenessと自己想起self-remembering

今回は、
その続きで
気づきawarenessや、
自己想起self-remembering、
覚醒awakenessについて、
また少し見ていきたいと思います。

ところで、
グルジェフ Gurdjieff については、
ミュージシャンの中に、
信奉者が多いのですが、
特に、
ピアニストのキース・ジャレットや、
キング・クリムゾンのロバート・フリップなど、
即興演奏を重視するミュージシャンに、
その信奉者が多いことは、
注目すべきことでもあります。

実は、それは、
即興表現というものに内在した、
必然的な事態でもあるからです。

さて、
ところで、
世の優れた即興演奏の中には、
あたかも、
その演奏(音楽)が、
慣性的な時間に逆らい、
時間の流れに逆行して、
今ここの空間を切り拓き、
時空を創出するかのような印象を、
受けるものがあります。

その音楽の中で、
私たちは、
時間の水平的な流れに対して
(私たちは普段それに流されているわけですが)
あたかも、その上に立つかのように、
垂直的な在り方をするかのようにも、
感じられたりするものです。

存在(時間)を対象化する、
「存在論的な印象」を、
受けるのです。

存在論的な感覚も、
存在に対して、
あたかも、
その上位に立つかのような、
メタ的な、
垂直的な印象を与えるものだからです。

かつて、批評家の間章が、
エリック・ドルフィー Eric Dolphyに
感じ取ったのも、
おそらく、
そのような垂直的な印象だと、
考えられます。

ドルフィーの軽やかさは、
反慣性的で、
反重力的な性質のものです。

そして、これは、
自己想起self-rememberingの持つ、
覚醒感awakenessと、
即興演奏との、
ある種の親和性でも、
あるのです。

今回は、
そのような親和性を、
明確な方法論として位置づけている、
キース・ジャレットKeith Jarrettの言葉を引いて、
この内実を、
見ていきたいと思います。

その著書『インナービューズ』(山下邦彦訳、太田出版)
における、彼の言葉は、
とても示唆に富んでいます。

そこで、
ジャレットは、
気づきや覚醒、熱望(欲望)、
演奏や経験について、
大変興味深い考えや洞察を、
数々示しているのです。

そこで、
彼が語っている覚醒awakeness
というのは、
当然、自己想起self-rememberingに近い、
存在論的な状態のことを、
指していると思われます。

それは、
前回引いた、
タート博士の言葉によれば、
「ある種の透明さ」
「その瞬間の現実に、
より敏感で、
より存在しているという感じ」
としても、
表現されているようなものです。

「人々が
『感じること、見ること、聞くこと』を
初めて試みる時、
彼らは、しばしば、
ある種の微妙な透明さ―
その瞬間の現実に、
より敏感で、
より存在しているという感じ―
を体験する。
それは、
合意的意識では味わうことができず、
また、事実、
言葉では適切に述べることができない、
そういう種類の透明さである。」
(タート『覚醒のメカニズム』〔原題:waking up〕
吉田豊訳、コスモス・ライブラリー)

さて、
キース・ジャレットは語ります。

「実は、ぼく自身、
自分のことを音楽家だというふうには、
考えていない。
どういうことかって言うと、
ぼくは自分の演奏を聴いていて
ほんとうは音楽が問題なのではない
ということがよくわかるんだ。
ぼくにとって、音楽というのは、
目覚めた状態、覚醒したawake状態に
自分を置き、
その知覚、意識awareness、覚醒awakenessを
認知し続けることに
かかわったものなんだ。」

「ぼくにとって、音楽のすべての形式は、
それ自体は、なんの意味もない。
その音楽を演奏している人間が
覚醒した状態にいるからこそ
(仮面の表情の奥で覚醒しているからこそ)、
その音楽は意味を持ってくるんだ。
演奏している人間が覚醒しているなら、
その人間の演奏するあらゆる音楽が
重要になってくる。
この覚醒こそ、最も重要なものなんだ。」

「自分を覚醒した状態にするための
ひとつの方法は、
できるだけ自然のままので、
自発的な状態でいることだ。
きみが自発的な状態でいれば、
自分のくだらないアイディアと
良いアイディアの区別が
よく聞こえてくる。
なにもかも準備した状態では、
そのような経験を持つことは
けっしてないだろう。」

「ぼくにとって、“欲望(want)”というのは、
覚醒した状態、目覚めた状態にいることであり、
きれいな音を出すとか、
耳に心地よい快適な音を出すとか
ということではない。」

「ミニマリズムによって弾かれる1音と、
覚醒した状態にある誰かによって
弾かれる1音との間には、
信じられないほどの違いがある。
覚醒した状態にある人間は、
眠った状態におちいりたくない。
かれはそのひとつの音を、
可能な限りのあらゆる方法で弾いて、
覚醒した状態を
持続するよう努力するだろう。
この時彼は、聴衆から
緊張を取り除こうとしているのではない。
むしろ、緊張の存在に
気がつくようにしているのだ。」

「とにかく、
彼は音楽を聞くためにやって来たのだから、
ぼくは音楽で対処する。
『きみにはある期待がある』
これはぼくが彼に語りかけているわけ。
『きみは期待している。
しかし、その期待は
過去にもとづいているもので、
現在にもとづいたものではない。
きみがそういう期待をもっていることを
否定はしない。   
でもぼくは期待以上のものをあげよう。
きみに“ 今”をあげよう。
きみが自分の期待をのぞきこむことのできる
鏡をあげよう』」

「こういったことが、
ぼく自身、
自分のことを音楽家だというふうには、
考えていないという理由なんだ。
(たとえばトリックのようなものは)
音楽上の興味としてはあるかもしれない。
しかし、人生はまた別のものだ。
ぼくはなんとか
その中間に位置したいと思っている。
ぼくはたしかに音楽をやっているけれど、
それは音楽的理由だけのために
やっているのではない、ということなんだ。
でも、ぼくはこういうことを
教えようとしているのではない。
経験しようとしているんだ。
この経験こそが、
コミュニケーションだ。」

「自分が何を弾いているのかということも
たしかに重要だけれど、
もっと重要なことは、
『これはどこから来ているのか?』
『今、こう弾きたいという衝動は
どこから来たのか?』
ということだ。」
(前掲書)


さて、以上、
キース・ジャレットの言葉を
見てみましたが、
通常の音楽家とは、
演奏に求めている事柄が、
少し違うことが分かるかと
思われます。

また、
グルジェフについても、
決して、生半可な理解で、
言及しているのではないことも、
分かります。

そして、
このような彼の言葉が、
彼の音楽を聴くに際して、
(多くの場合そうであるように)
邪魔にならないばかりか、
かえって、
覚醒的awakenessなものにする、
という点も、
興味深いことであるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




 

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映画『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系


さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
「ゴーストの変性意識状態(ASC)」と題して、
私たちの心の持つ、
階層構造やその可能性について、
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

また、そのような、
心の階層構造の可能性についても、
別に、ジョン・C・リリー博士の事例などとともに、
考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、他にも、NLPの、
ニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)などを素材に、
私たちの持つ、
「信念体系(ビリーフ・システム)」の影響範囲について、
考えてみました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

さて、今回は、
そのような事柄と関連して、
『攻殻機動隊』の続編、
映画『イノセンス』を素材に、
心や変性意識状態(ASC)が持つ、
さまざまな可能性や能力について、
考えてみたいと思います。


さて、
映画のストーリーは、
前作の後日談となっています。

人形使いのゴーストGhostと融合して、
「上部構造にシフト」してしまった、
草薙素子(少佐)は失踪扱い、
前作で、一番身近にいて、
素子の最後の義体まで用意した、
相棒のバトーが、
今作では、主人公となっています。

そのバトーが、
ネットに遍在するかのような、
(元)少佐のゴーストと、
交流する姿を描くのが、
本作となっています。

ところで、本作ですが、
事故や殺人事件を起こす、
ガイノイド(人形)の謎を、
捜査で追っていくのが、
メインの筋書きとなっています。

さて、
そのような捜査の中で、
バトーや、相棒のトグサは、
ガイノイド製造元のロクス・ソルス社より、
(雇われた傭兵のキムより)
ゴーストハックによる捜査妨害を、
受けます。

つまり、
心Ghostを、
ハッキングされ(侵入、乗っ取られ)、
疑似体験を、
させられてしまうのです。

そのせいにより、
バトーは、
コンビニで、銃を乱射したり、
ドグサは、
フィリップ・K・ディックの小説のような、
現実だか、幻覚だか分からないような、
テープ・ループのような反復体験に、
巻き込まれていくことになるのです。

映画の中で、
バトーは、トグサに、
その体験を説明するために、
「疑似体験の迷路」
という言葉を、使いました。


◆疑似体験の迷路

さて、ところで、
映画の中では、
キムの、ゴーストハックによる、
疑似体験の注入であったため、
それが「疑似」体験であると、
いえるわけですが、
では、
この私たちの現実体験とは、
どのように、
なっているのでしょうか?

映画の中では、
疑似体験と対比的に、
物理現実という言葉が、
使われています。

物理現実であれば、
疑似体験ではないということです。

ところで、以前、
映画『マトリックス』を素材に、
考えてみたところで、
私たちの、
この日常的現実が、
マトリックスの作り出す、
幻想世界と、
さほど違っているわけではないこと、
について記しました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

私たちは、
成育過程の中で得た、
さまざまな信念体系や、
知覚的拘束の中で、
この世界を見ている(見させられている)、
というわけです。

そのように考えると、
私たちが、
「物理的現実」と呼び、
唯一の実在性を、信じたい知覚世界も、
必ずしも疑似体験ではないと、
言い切れるわけではないのです。

というよりも、
この日常的現実も、
その構成成分の多くが、
疑似体験である、
と考えた方が、良いのです。


◆信念体系と疑似体験の迷路

さて、NLPの、
ニューロロジカルレベル(神経論理レベル)
について見たところで、
その信念体系(ビリーフ・システム)が、
非常に高い階層に属しており、
私たちの現実を創り出す、
大きな要因と、
なっていることを見ました。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

このモデルの妥当性は、
保留したとしても、
信念体系(ビリーフ・システム)が、
私たちの日常意識や、
日常的現実を生み出す、
決定的な要因であることは、
間違いないことです。

そのような、
信念体系のフレームの中で、
私たちは、
オートポイエーシス的に、
日常的現実を、
意識の内に、
自己産出し続けているのです。

場合によって、
人は、一生を、
疑似体験の迷路の中で、
過ごすと言ってもいいのです。

そして、
この疑似体験に気づくためには、
システム的に、
この疑似体験自体を、
相対化する要素が、
必要となって来るわけなのです。


◆守護天使(聖霊)の階層

さて、
映画の中では、
バトーが、
ゴーストハック攻撃を受けている時に、
(元)少佐、草薙素子が、
さまざまな合図を送ってくれます。

今している体験が、
疑似体験の罠であることを、
知らせてくれるのです。

コンビニにおけるシーンでは、
バトーは、
スルーしてしまったわけですが、
「キルゾーンに踏み込んでるわよ」
と、はっきりと、
メッセージをくれています。

つまり、
日常意識よりも、
高い階層にいる少佐は、
疑似体験に占拠されている日常意識を、
見抜き、透視することが、
できるわけなのです。

のちに、バトーは、
キムとの会話の中で、
「俺には、守護天使がついている」と、
発言しています。

キムは、
自分が組み上げた防壁の中に、
何者かが、
書き込みを入れているのを見て、
驚くわけです。
彼の考えでは、
そんな芸当ができる人間など、
想像できないわけです。

また、
ロクス・ソルス社艦内の、
戦闘シーンで、
ガイノイドに、ロードして、
バトーの救援に現れた、
少佐に対して、
バトーは、
「聖霊は現れ給えり」
と表現したわけです。

比喩としても、
バトーやキムよりも、
高い階層にいる(元)少佐の在り様が、
暗示されているわけです。

しかしながら、
このような上部階層の心(意識)は、
必ずしも、
守護天使や聖霊でなくとも、
私たちの心のシステム自体として、
存在していると、
考えてもよいのです。

本サイトや、拙著でも、
さまざまに記していますが、
世界中の変性意識状態(ASC)の報告は、
そのような可能性を、
示唆してもいるのです。
内容紹介 拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

それは、
何らかのきっかけをもって作動し、
私たちを、
疑似体験の迷路の外に、
連れ出してくれるのです。
その風景を、
見せてくれるのです。

そして、
私たちが、現代社会の、
閉塞したキルゾーンの中にいることを、
教えてくれるのです。

私たちは、
変性意識状態(ASC)への旅や、
その世界との往還を、
数多く繰り返し、
学習していくことで、
そのような意識の帯域(往還コース)を、
拡張していくことが、
できるのです。

そして、
これはまた、
多くのシャーマニズムの伝統が、
行なって来たことでも、
あるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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ホドロフスキー氏とサイコマジック/サイコシャーマニズム

◆知らされた消息

 その昔、アレハンドロ・ホドロフスキー監督といえば、ジョン・レノンが惚れ込んだ『エル・トポ』やその後の『ホーリー・マウンテン』などのカルト・ムービーの映画監督として有名でした。

 その後は『サンタ・サングレ』など、わずかな作品の紹介はありましたが、長くその消息を耳にすることもなく、彼が活動しているのかしていないのかさえ分からない状況でもありました(昨今では、その映画をはじめ、多彩な活動が日本でも知られる状態となっており、昔日の状況を思うと少し不思議な気持ちにさせられます)。

 さて、そのように長く知られない状態があったため、自伝として突然届けられた『リアリティのダンス』(青木 健史訳/文遊社)は、ホドロフスキー氏のその間の消息を伝えてくれる貴重なドキュメントとなっていたわけです。

 そして、その内容は、『エル・トポ』以前も以後も、彼が実に濃密で精力的な活動を生涯の探求として推し進めていたことを知らせてくれるものでもあったのです。

 

◆サイコマジックとサイコシャーマニズム

 さて、その自伝的な内容ですが、シュルレアリスム(超現実主義)やアラバールのパニック演劇との関係などアート系の活動は、比較的予想がつく範囲内での内容であったわけですが、その延長・周辺でさまざまな精神的探求の活動も同時に推し進めていたというのは、驚きでもあり納得的な事柄でもありました。(『サンタ・サングレ』は心理療法的な物語でした)

 そして、本書は、(本物らしき?)カルロス・カスタネダやアリカ研究所のオスカー・イチャーソなど、その関係での人々との交流やその体験描写もとても興味深い内容となっていたのでした。

 中でも、多くの紙数を割いている、サイコマジック、サイコシャーマニズム関連の記述は、その内容の具体性からも方法論的な見地からも大変貴重なドキュメントとなっているものです。
 当スペースのように、心理療法や変性意識状態(ASC)シャーマニズムや創造性開発を方法論的なテーマにしている者にとっては特にそうであったわけです。
 ところで、彼のいうシャーマニズムとは、いわば「本物に近いシャーマニズム」です。
 通常、現代社会の中でシャーマニズムという言葉が、方法論的な概念として使われる場合(当スペースなどもそうですが)、多くは、その構造的なモデルを比喩的に呼ぶために使われているものです。
 変性意識状態(ASC)を含んだ意識の拡張範囲や可動域、潜在意識の力動性、心理的変容を描くのに、伝統的なシャーマニズムのモデルがとても有効に働くという見地からです。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 それは、必ずしも伝統社会のシャーマニズムのように、まるごとの信念体系(世界観)として使われているわけではないのです。
 そのような意味では、ホドロフスキー氏のシャーマニズムは、方法論的に、より本物のシャーマニズムにスタンスともなっているわけです。
 そこでは、肉体的な病気の治療に見られるように、精神(潜在意識の力動性)が、肉体物質の情報を書き換える力を持つことを、もしくはその区分が無い領域を前提としているものでもあるからです。
 まさに、マジック・リアリズム(魔術的現実主義)なわけです。
 そして、もし、ホドロフスキー氏の施術を事実として受け止めるならば、私たちは、物質や精神についての近代的な世界観(メインストリームでの区分)を考え直さなければならないというわけなのです。(しかし、現場的な実感からすれば、事態はまったくそのようなことでもあるのです)

 そのような意味においても、本の中では、施術のディテールを詳細に記してくれているので、その点でも非常に参考となるものになっているわけです。
 そして、その評価については、各人がさまざまな実践や実経験を通して、検証していくしかないものとなっているのです。
 これらの事象を、人々が盲信している近代的な世界観や先入観によって、ありえないこととして裁くことは無意味なことです。
 実際、筆者自身は、自分のさまざまな変性意識状態による変容は、クライアントの方に起こる不思議な変容経験からも、これらの現象は、まったく違和感なく受け取れるともいえます。また、その原理的な面にも照明が当てられており、大変ありがたく感じることでもあるのです。

◆心と信念の影響範囲

 さて、この最後の点(世界観)について、身近な例を挙げれば、以前取り上げた、NLP(神経言語プログラミング)の神経論理レベルの中における、信念(ビリーフ)などとも関係して来る事柄といえます。
NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法

 ディルツ氏の考えた「神経論理レベル」においては、「信念」という階層が実現可能性(できる)の上に位置しています。

 このこと(世界観)は、通常、人は信念の内あることのみを実現できるということを意味しているわけです。信念体系が、人のリアリティの範囲を確定しているという原理構造です。NLPでは、この信念体験を書き換える作業を行なうというのですが、残念ながら(実際のところ)、深層レベルまでのプログラムの書き換えを実現できる威力はNLPにはありません。

 ところが、(筆者の現場実践にもとづく直観ですが)ホドロフスキー氏の施術では、それを実現できる可能性があるのです。それは、ホドロフスキー氏が「潜在意識(無意識)の力動性」とそのパワーを、感覚的に(芸術的な造形感覚で)しっかりとつかんでいるからです。 その点が、彼のサイコマジックやサイコシャーマニズムの素晴らしい点であり、尽きせぬ霊感を与えてくれる点なのです。

 ところで、ホドロフスキー氏のサイコ・マジックを原案にし、彼自身も出演した映画『Ritual(邦題ホドロフスキーのサイコマジック・ストーリー)』では、主人公が癒しのために受ける儀式(施術)に対して、恋人の男がしきりに「信じるな」と連呼します。彼の世界観では、魔女のような施術者が行なう儀式などは迷信以外の何ものでもないというところなのでしょう。そして、映画の最後は、主人公の儀式(施術)を妨害して台無しにした結果、その恋人が主人公に殺されてしまうという結末となっています(本当は、この施術の結果として主人公の苦痛と妄念は取り除かれるはずたったのです)。
 つまり、恋人の男は「信じない」ことによって、自らの命を落としたともいえるでしょう。
 では逆に、彼が信じていた世界とは果たしてどのような世界だったのでしょう。主人公や施術者が信じる世界より彩り豊かな世界だったのでしょうか…

 さて、ホドロフスキー氏の作品や活動は、この他にも非常に多岐に渡っていますが、そのどれもが、現代社会を覆う私たちの制限的な信念(リミティング・ビリーフ)を超えた、生や現実の豊かさを教えてくれるものとなっているのです。
 そのような意味において、ホドロフスキー氏の世界は、現代では数少ない本物のマジック・リアリズム(魔術的現実主義)となっているわけなのです。

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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クライストと天使的な速度

さて、当サイトでは、
たびたび、フロー体験については
取り上げています。

その体験が、
私たちが、
より拡張された心身状態へ、
移行するための、
分かりやすい類型となっているからです。

実際、そのシステム的な作動性を、
よく理解して、
意識的に、物事に取り組むこととは、
日常生活の中で、
高いパフォーマンス(アウトプット)を、
発揮するのに、
大いに、役立つものでもあるからです。

また、以前には、その関連で、
ベイトソンの学習理論を参照にしつつ、
私たちの日常意識より、
あたかも、上位階層にあるかのような、
心理(意識)システムが、
働く可能性についても、
各種の事例から考えてみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

ある種のフロー的、かつ覚醒的な、
意識拡張の体験過程にあっては、
私たちは、
自己の内なる領域に、
高次の働き(メタ・プログラマー)を感じ取り、
その働きによって、
より拡大された現実を体験したり、
未知なる能力を発揮するかのようである、
ということなわけです。

さて、今回は、
ドイツの作家、
ハインリヒ・フォン・クライストを、
素材にして、
そのような意識拡張の可能性や、
意識進化の姿(物語、神話)について、
少し考えてみたいと思います。

ところで、
クライストの作品は、
とても不思議な作品です。

そこにおいては、
何か得体の知れないものが、
凄まじい速度で、
通過していきます。

過度に結晶したような、
硬質な文体の向こうに、
以前見た、ロートレアモンのように、
にわかに、それとはとらえがたい、
熱狂的な強度や速度、
変性意識的な何かが、
通過していくのです。

焼き尽くすように、
通過していくのです。

そして、私たちは、
それらを読み終わった後に、
その火傷を感じつつ、
「あれは何だったのだろう」
と、思いを巡らせるわけなのです。

ところで、
クライスト本人が、
どのような方法論のうちに、
そのような作品を書いていたのか、
筆者は知らないのですが、
それらが偶然そうなったわけではなく、
(明確な方法論ではないかもしれませんが)
ある種の気づきawarenessのうちにあったのだと、
教えてくれる、素晴らしい文章を、
彼は、残しているのです。

『マリオネット芝居について』
という、或る舞踏家と、
クライストらしき話者とが、
操り人形の舞踏について、
対話するという短編がそれです。

このテーマに関して、
この一編をものしたことから考えても、
クライストが、
そのテーマの重要性について、
明確に意識していたことが、
うかがえます。
これは、
意識の進化と存在を巡る、
とても核心的なテーマでもあるのです。

その物語は、
話者が、或る卓越した舞踏家を、
大衆的な芝居小屋で、
しばしば、見かけており、
そのことで以前から、
興味を持っていたわけなのですが、
機会あって、
彼本人から、
そのことについての、
興味深い智慧の話を聞かされる、
というストーリーになっています。

ところで、
話を聞く中でわかってきたことは、
舞踏家にとって、
人形の舞踏から学ぶことが、
多々あるからである、
というわけだったのです。

人間にはない、優美さが、
そこに宿っている、
ということだったのです。

「人形は絶対に気取らない、
という点が長所なのです。
―というのも気取りというのは、
ご存知のように、たましい(vis motrix)が
どこか運動の重心以外の点にきたときに、
生じるのですからね」(種村季弘訳、河出文庫)

そして、このような気取りや自意識が、
演技において、失策となることを語ります。

「『こうした失策は』とややあって彼はつけ加えた、
『私たちが認識という樹の木の実を
味わってしまったからには、
もう避けられません。
だって楽園の門は閉ざされ、
織天使は私たちの背後に
まわってしまったじゃありませんか。
私たちは世界をぐるりと経めぐる旅に出て、
裏側から、どこかしらにまた
楽園への入口が開いてはすまいかと、
この眼でさがすほかありません。』」(前掲書)

話者は、
舞踏家の意外な見解に対して、
さまざまな疑問をぶつけていくことで、
話は進みます。

「あなたがいかにたくみに
ご自分の逆説の問題を弁じられようと、
人体機構によりは
機械製の関節人形のほうに
はるかに優美が宿りやすいだなんて、
そんなことを私に信じさせようったって
そうはまいりませんよ。
答えて彼の言うには、
その点では人間は
関節人形にまるで及びもつきません。
この領分で物質と太刀打ちできるのは
神だけかもしれません。
ここには円環的世界の両端が
噛み合う点があるのです。
私はますます驚いたが、
この奇妙な主張に対してなんと言えばよいか、
言うべきことばを知らなかった。」(前掲書)

そして、舞踏家は、聖書における、
「あの人間形成の最初の時期をご存じないお方とは、
それから先の時代の、
ましてや人類最後の時代の話は
実際のところできかねますね。」(前掲書)
と、人類の未来の姿まで、匂わすのです。

そして、
話者が、直接、実感した、
過剰な自意識により優美さを失った少年の話や、
舞踏家自身の、
フェンシングで、熊にまったく勝てなかった挿話が、
振り返られた後で、
最後に語られるのです。

「『さて、すばらしき友よ』、C.氏は言った、
『これで私の申し上げることを理解するのに
必要なものはすべてお手許にそろいました。
これでおわかりですね、
有機的世界においては、
反省意識が冥く弱くなればそれだけ、
いよいよ優美がそこに燦然と
かつ圧倒的にあらわれるのです。
―けれどもそれは、
二本の直線が一点の片側で交差すると、
それが無限のなかを通過したあと
突然また反対側にあらわれる、とか、
あるいはまた凹面鏡に映った像が
無限の彼方まで遠ざかったあとで、
突然私たちのすぐ目の前にきている、
とかいうふうにしてなのです。
このように認識が
いわば無限のなかを通過してしまうと、
またしても優美が立ちあらわれて
きかねないのです。
ですから優美は、
意識がまるでないか、
それとも無限の意識があるか、
の人体の双方に、
ということは関節人形か、
神かに、
同時にもっとも純粋に
あらわれるのです。』
『とすると』
私はいささか茫然として言った、
『私たちは無垢の状態に立ち返るためには、
もう一度、認識の樹の木の実を
食べなければならないのですね?』
『さよう』と彼は答えた、
『それが、世界史の最終章なのです』」(前掲書)


…………………………………

さて、このような、
意識の様態(進化)についてのヴィジョンが、
決して神話的なものではなく、
フロー体験や、意識の階層構造への、
検討から見て、
あるレベルで、
実現可能であるということは、
本当のところなのです。

それは、
当スペースでも、
さまざまな実践的な方法論を通して、
テーマとして、
取り扱っているのなのです。
気づきと変性意識の技法 基礎編

そして、それが、
クライストの作品の持つ、
不思議に意識拡張的な速度を、
創り出している一因でも、
あるといえるのです。

そして、
さらにはまた、
そのことは、
クライストのいう、
「裏側に開いている楽園への入口」
という風に、
考えていくことも可能なのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
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聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流通と集中

◆統御され、集中されたエネルギー

さて、
ネイティブ・アメリカンの、
メディスン・マン(シャーマン)は、
自分たちのことを、
しばしば、パイプに喩えます。

自分たちは、
通り道であり、
その中を通って、
異界の精霊的な力に働いてもらう、
という意味合いからです。

こちら側の世界と、
向こう側の世界とをつなぐ、
パイプ(役)というわけです。

そして、
メディスン(不思議の力)とは、
自分の力で、
何か行なうものではなく、
聖なる何ものかによって、
働いて来る力である、
ということなのです。

そして、  
その力に働いてもらうためには、
自己の心身が浄められ、
澄んでいて、
鞘のように堅固な空洞、
パイプのようでなければならない、
というわけなのです。

そのため、
彼らは、聖なるパイプを持ち、
そのことに絶えず、
思いを巡らせているわけなのです。

ところで、
このような知見は、
変性意識状態(ASC)と、
それに関係するエネルギーや、
精神集中を扱う際に、
大変、参考となる考え方なのです。


◆フォーカスとフロー体験

例えば、
特異な集中力状態である、
フロー体験においては、
私たちは、
その行為を為し、統御しているのが、
あたかも自分ではないかのような、
奇妙な感覚を持ちます。

自意識ではない、
エネルギーの流れの内に、
行動が統御されていくのです。
そして、
普段では、行なえないような、
高いレベルでのパフォーマンスが、
達成されるのです。

それは、ある意味では、
私たちの内にある、
高い階層のシステムが、
作動した結果であるとも、
いえるのかも知れません。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

「自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が
肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

また、その瞬間においては、
ひとつのベクトルのように、
目的へのフォーカスによって、
エネルギーが集中されているわけですが、
その体験の内側において、
意識は澄みきり、
まるで拡大するかのように、
行為の全存在に、
透過しているのです。

まさに、
目的に向かう中において、
パイプのように、
澄み切った空洞があり、
その堅固な通り道の中を、
強度のエネルギーが、
貫いていくかのようです。

行為の主体として重要なことは、
自意識で、
あれこれ行動操作しようとすることではなく、
パイプのような空洞として、
ある種の無心の中で、
エネルギーと情報の自発的な流れが、
自由に活動展開できる場を、
貸し与えていく、
ということなのです。

そして、その際には、
安定した、
堅固な空洞であることが、
何よりも、必要なことなのです。
場の枠組みが、
フラフラしていては、
膨大かつ強力なエネルギーを、
流すことはできないからです。

堅固なベクトル的なパイプになり、
かつ、無心のままに、
目的にフォーカスしていることが、
必要なわけです。
それが、
シャーマンにおける、
戦士的なあり様の、
ひとつの重要な側面なのです。

そのような取り組みの枠組みによって、
フロー体験的な集中力や、
それによる、
創造性豊かなアウトプットというものを、
産み出していくことができるのです。


◆夢見の技法 儀式・フォーカス・変性意識

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においては、
「夢見の技法」と題して、
フロー体験のような精神集中や、
意識の均衡状態をつくり出すことで、
私たちの内側から、
豊かな創造性を引き出す技法について、
さまざまに検討しました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

その際に、
取り組みの中において、
堅固な儀式的な構造が、
必要な旨を見ました。

それは、
さきほどまで見て来たような、
「パイプ」的な意味合いから見て、
そうなのです。

堅牢な儀式的な構造が、
私たちを、堅固なパイプに変え、
変性意識的なエネルギーや情報を、
流れやすくするからなのです。

そして、
それはまた、
芸術的な創造(創作)などに関係づけていえば、
その「形式性」が、
その儀式的な役割や、
パイプ的な役割を果たしていく、
ということでもあるのです。

前回、
ロートレアモンについて、
さまざまに見てみましたが、
彼が、並外れた形で、
心の遠い宇宙を探索できた理由も、
作品形式という堅固な儀式的な構造と、
それに支えられた変性意識状態とが、
あったからなわけでした。
ロートレアモンと変性意識状態


◆聖なるパイプの喩えとともに

さて、以上、
これまで見てきたことは、
「聖なるパイプ」の喩えとは、
シャーマンだけの特殊な問題に、
限定されるものではなく、
普段の私たちにとっても、
利用可能な、
重要なスキル・方法論であることを、
意味している、
ということなのです。

日々、このような、
聖なるパイプに思いを巡らせ、
堅牢な形式性、
儀式的構造による精神集中を、
意識していくことで、
私たちの心のエネルギーの流れは、
より、的を得た力強さと、
情報空間の拡がりを、
持っていくことに、
なるものなのです。


※気づきやシャーマニズム、変性意識状態(ASC)への
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tatanka



ロートレアモン伯爵と変性意識状態

さて、前回、
セックス・ピストルズを例にとって、
私たちにとって、可能な、
覚醒のあり様について、
考えてみました。
なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

また、以前には、
リルケが、
天使的な領域について語ることを素材に、
私たちの変性意識状態(ASC)や、
その意識拡張のあり様について、
見てみました。
リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態

今回は、
それらに関係するテーマで、
ロートレアモン伯爵(本名イジドール・デュカス)を取り上げ、
変性意識状態(ASC)や、
私たちの意識拡張の様態、
自然発生的なシャーマニズム(夢見の技法)などについて、
考えてみたいと思います。

ところで、
ロートレアモンの作品は、
(『マルドロールの歌』『ポエジー』の二作品だけですが)
19世紀後半のフランスに、
忽然と現れ、
文学の歴史の中においても、
非常に、孤絶した、
他に類例を見ない作品となっています。

南米の領事館で働く父のもとに育った子どもが、
思春期を、フランスの寄宿舎で生活した後に、
孤独な夢想のうちに記した作品でもあるので、
社会的文脈を求めるのも、無理な話なのかもしれません。
その作品は、24歳という、彼の早い死の後、
数十年経ってから、
歴史的に発見されたものなのです。

『マルドロールの歌』は、
奇妙な作品です。
孤独と無限を感じさせる宇宙性、
奇怪で美的な暗喩(メタファー)、
夢と渇望、悪と逃走、変身と旅などを主題に、
普通の文学には見当たらない、
不思議な透過性と屈曲を持つとともに、
私たちの心の、
最も深い部分に触れて来る、
天才的な作品となっているのです。

しかし、それでいながら、
その作品が、
どこか非常に遠いところからやって来た印象、
通常の私たちの心の次元を超えた拡がりを、
感じさせるような、
神秘的な性格を有するものと、
なっているのです(※注)。

そして、そのような、
ロートレアモンの作品の謎に対して、
文芸批評的なアプローチでは、
およそ不満足な結果しか得られていない、
と感じるのは、おそらく、
筆者一人だけではないと思われるのです。

しかし、
文芸作品などをあまり読まない、
普通の感性豊かな人(特に若い人)が、
『マルドロールの歌』を読んだ場合でさえ、
強い衝撃を覚えるというのは、
文学的なゲームとは関係のないところで、
この作品が持っている、
ある特殊な性質に、
人が触れるからであると考えられるのです。

そこには、
当スペースが、
テーマとしているような、
変性意識状態(ASC)や、
意識拡張の様態などに関係する、
さまざまな興味深い秘密があると、
考えられるのです。

(※注)世の中には、そのような神秘性を、
読み取れない類いの人間もいて(たとえば、カミュなど)、
ジョルジュ・バタイユも、
その不感症について、意外なものとして、
言及したりしていますが、
字義通りにしかものを読めなかったり、
暗喩的な心理(意識)領域を理解できないということの、
構造的な理由も、
ここで取り上げるテーマと、
関係している事柄ではあるのです。


◆無意識の間近さ

彼の作品は、死後に、発見される形で、
歴史の中に姿を現しましたが、
最初期に、彼を見出した人々が、
その作品を、狂気の人の書であると感じたのは、
ある意味では、正しい直観でした。
フロイトが、登場する前の時代でした。

そして、彼の作品が、
一種、精神病圏の要素を感じさせるというのは、
アウトサイダー・アートとの共通要素からいっても、
妥当であるともいえるのです。

加工されていないような、
ナマな無意識との接触感、
高電圧的で、剥き出しの直接性の感覚は、
世のアウトサイダー・アートと、
大変近い性格を持っているのです。

ところで、
哲学者のガストン・バシュラールは、
彼の作品に見られる、動物的世界との親和性について、
特筆しました。
しかし、その本質的な間近さという点だけをいうなら、
実は、植物や鉱物の世界とも、
充分すぎるほど、近い世界を持っているのです。
以前、LSDセッションにおいて、
鉱物と同一化する人の事例を取り上げました。
『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

実際、
そのようなLSDセッションにおいては、
鉱物にかぎらず、
さまざまな動物や植物と同一化し、
その圧倒的で緻密な生態を、
通常ではありえない形で、体験する事例が、
数多く存在しています。
そして、それらの報告の多くは、
『マルドロールの歌』における、
アウトサイダー・アート的な手触りと、
類似した性格を、
どこかに感じさせるものでもあるです。

また、ル・クレジオは、
ロートレアモンの言葉に、
未開部族の言語との類縁性を感じ取りました。
その言葉の持つ、原初的な性格を、
指摘したわけです。

これら、アウトサイダー・アートとの近似性や、
動物植物世界との水平的な間近さ、
原初的な世界との類縁性という特性は、
そのまま、当スペースで考える、
シャーマニズム的な要素として、とらえることも、
可能な要素なのであります。

そして、
そのように考えてみると、
ロートレアモンが活動する領域を、
それとなく、囲っていくことも、
できてくるわけなのです。

そうなってくると、
そもそも、私たちが、
ロートレアモンを読む時に真っ先に感じる、
奇妙な眩暈の感覚や、
意識の変容状態が、
何に由来するのかということも、
少し見えて来るわけなのです。

彼が、シャーマニズムと、
変性意識状態(ASC)の土地である、
南米で育ったというのも、
意味深い偶然となって来るわけです。


◆変異した時空の意識

さて、以前、
私たちが、
高度に集中した際に起こる、
特異な意識状態である、
フロー体験について、
取り上げました。
フロー体験とフロー状態について

「…これらの条件が存在する時、
つまり目標が明確で、
迅速なフィートバックがあり、
そしてスキル〔技能〕と
チャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れた
ぎりぎりのところで活動している時、
われわれの意識は変わり始める。
そこでは、
集中が焦点を結び、
散漫さは消滅し、
時の経過と自我の感覚を失う。
その代わり、
われわれは行動を
コントロールできているという感覚を得、
世界に全面的に一体化していると感じる。
われわれは、
この体験の特別な状態を
『フロー』と呼ぶことにした」

「目標が明確で、
フィートバックが適切で、
チャレンジとスキルのバランスがとれている時、
注意力は統制されていて、
十分に使われている。
心理的エネルギーに対する
全体的な要求によって、
フローにある人は完全に集中している。
意識には、
考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。
自意識は消失するが、
いつもより自分が強くなったように感じる。
時間の感覚はゆがみ、
何時間もがたった一分に感じられる。
人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。
することはなんでも、
それ自体のためにする価値があるようになる。
生きていることはそれ自体を正当化するものになる。
肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、
人生はついに非の打ち所のないものになる。」
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

この状態においては、
私たちの意識は、
一種の、拡張された状態に、
入っていきます。
そこにおいては、
時空の感覚に変化が起こって来ます。

時空の感覚は流動化し、
時間は速くなったり、遅くなったり、
空間は伸びたり、縮んだりします。
知覚は澄みきり、
ミクロ的な、微小な対象にさえ、
完璧で透徹した注意力が、
行き届くように感じられます。

たとえば、
山で遭難事故に陥った、或る作家は、
その危機の中で、
フロー的な意識に移行した時の状態を、
「そのときの僕なら
三〇歩離れたところから、
松の葉で蚊の目を射抜くことさえ
絶対できたはずであると、
今も確信している」
(シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳、日本教文社)
と表現しています。

ところで、
モーリス・ブランショは、
ロートレアモンの作品の持つ、
その明晰さについて、
言及しました。

しかしながら、
ロートレアモンの持つ明晰さというのは、
単なる論理的に辻褄を合せる明晰性だけではなく、
その背後に、
過度に透徹した意識状態、
フロー的な変性意識状態(ASC)が、
存在していると考えてよいのです。

それが、私たちが、
ロートレアモンを読むときに、

まずは引き込まれていく、
奇妙に歪んだ時空感覚、

夢と覚醒感がないまぜなった、
透視力的な性質の由来に、
なっていると思われるのです。

実際のところ、
フロー体験の研究においては、
創作的活動の中で、
芸術家が没入していく、
さまざまなフロー体験、
意識状態についての事例が、
各種、集められています。

たとえば、カフカなども、
創作している最中に、
シュタイナーのいう、
透視力的な状態に入るように思われると、
彼本人に話したと、
日記に、記しています。

そのように、
創作における、
フロー体験自体は、
多くの人に見られる事例であり、
決して稀なことではないのです。

ただ、それが、
『マルドロールの歌』におけるように、
作品の特別な性格として、
刻印されるということは、
稀有な事例であるのです。


◆天使的狂熱、または拡張された意識

さて、
このようにして見ると、
ロートレアモンが、
偶然的な資質であれ、
多様な意識の可動域を持ち、
さまざまな変性意識状態の諸相を、
流動的に渡っていった痕跡が、
見えて来るのです。

原初的な動植物世界から、
人間世界までの諸領域を、
また、無意識的な深層から、
日常意識までの諸領域を、
流動化した意識の可動域として、
シャーマン的に、旅している構造が、
見えて来るのです。

それが、彼の異様なまでの自由さ、
融通無碍の要因のひとつであると、
考えることもできるのです。

シャーマニズムの基本的な構造とは、
シャーマンが、脱魂(エクスタシィ)して、
魂を異界に飛ばして、
そこから、何か(情報、力)を得て、
こちらに戻って来るという、
往還の形式にあるからです。

ロートレアモンも、
偶然的・変形的なタイプであれ、
アーバン・シャーマニズムとして、
その想像力的な体験領域を通して、
変性意識の諸相を渡り、
その旅程を、作品に、
刻み込んだのだといえるでしょう。
それが、
不思議な奥行きを持つ、
文学では見たこともない、
宇宙的な空間、天使的な空間を、
生んだともいえるのです。

また、一方で、
ロートレアモン本人が、
自分の作品の持つ、天才的な性質を
理解していなかったという点も、
重要な事柄です。

彼の旅程は、
意図的に行なわれたわけではなく、
想像力的な空間を経由することで、
図らずも、変性意識状態の中に入りこみ、
前人未踏の世界(空間・状態)に行き、
その痕跡を閉じ込めることになった、
という次第なのです。

その後、彼が、
『マルドロールの歌』への否定や反動として、
『ポエジー』を書いたことは、
重要な事柄です。

これは、彼が、
後の手紙で述べているような、
善悪の扱い方だけの問題ではなく、
強度な変性意識による異界的体験への、
反動(怖れ)と考える方が、
自然なことでもあるのです。

このような振る舞いは、
精神のバランスをとるためにも、
ある面、必要なことでもあり、
事例(行動、症状)としては、
とてもありがちな事柄なのです。


◆夢見の技法

さて、以上、
話を分かりやすくするために、
いささか細部を誇張(増幅)しましたが、
ロートレアモンの作品を素材に、
創作における、
意識拡張の可能性や様態について、
考えてみました。

ここから、
私たちが学び取れることは、
何でしょうか。

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』では、
「夢見の技法」と題して、
私たちが、ある種の変性意識的な、
意識の均衡状態を利用して、
創造的なアウトプットや、
意識拡張を行なう方法論について、
検討を行ないました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

当スペースでは、
ロートレアモンの作品は、
確かに特別なものではありますが、
そこに見られる、
体験領域や、探求方法は、
私たちにって、
閉ざされたものではないと、
考えているわけです。

私たちは、皆、
彼のように、
未知なる夢見の探求を行なうことが、
できると考えているわけなのです。

そのような意味合いにおいて、
彼から霊感を受け、
自分たちの守護神の一人と見なした、
超現実主義者(シュルレアリスト)たちの、
万人に開かれた創造(創作)、
という考え方は、
(その具体的な方法論には、
いささか疑問があるにせよ)
正しい直観であったと、
思われるのです。

ロートレアモンの作品には、
そのようなことを、
人に促す(信じさせる)ような、
創造性の嵐があるのです。


※夢見や創造性(創作)、
気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

◆パンク・ロックという事態

さて、
セックス・ピストルズ Sex Pistols といえば、
70年代の後半、イギリスに現れた、
ロック・バンドであり、
パンク・ロックという、
音楽ムーブメントを、
創り出したバンドである、
ということになっています。

しかし、
「パンク・ロック」とは、
後づけ的に見出されたコンセプトであり、
本人たちも意図して、
それを行なったわけではなく、
さまざまな偶然的な要素の結果、
そのようなムーブメントになったということでしか、
ないのです。
(ここでは、イギリスにおける、
その現象に、焦点を当てていきます)

しかしながら、
確かに、
セックス・ピストルズというバンドの、
音楽的構造の中に、
パンク・ロックの本質的要素があったことは、
事実なのです。

そして、
これらの歴史や現象を、
仔細に検討することは、
私たちの表現や創造性を考える上で、
とても、ヒントになることが、
多いのです。


◆見出された「方法論としてのロック」

「パンク・ロック」とは、
何であったのか。
また、何であるのか。

教科書的にいえば、
当時の音楽産業という制度(システム)の中で、
飼いならされてしまった(退屈になった)ロックの、
初期衝動を回復し、
それをストレートに社会に表現した音楽、
という風になっています。

それでは、
ロックの初期衝動とは何か、
それは、
吐き出すような表現欲求である、
とされています。

では、さらに、
その本質が、何であるかと、
もう一歩進めると、
(筆者の考えでは)
それは、
自由を求めて、NOという力であり、
物事(社会であれ、何であれ)を、
否定する力である、
ということです。
より大きな自由を求めて、
隷属を切り捨てる力である、
ともいえます。

昔、ロックが、
反抗的な不良の音楽であったというのは、
そのような意味合いからです。

そして、
パンク・ロックとは、
初期衝動の回復を指向した、
意識的なロック、
「方法論としてのロック」
であるというわけなのです。

ロックが進化の果てに、
再帰的に、
自己のアイデンティティを、
再び見出した方法論が、
パンク・ロックであり、
特に、その後に続いた、
ニューウェーブなわけなのです。

ベイトソンの学習理論的に言えば、
それまでのロックは、
一次学習的に、
ただ「ロックする」
という形の音楽でした。

パンク・ロック/ニューウェーブは、
二次学習が進んで、
「ロックする」ことをロックする。
という音楽になったわけです。
自意識に目覚めた、
方法論的なロックなわけです。

当時の彼らの言葉、
「ロックは死んだ」
「ロックでなければなんでもいい」
でさえ、実は、
その文脈のうちにあったことなのです。

そして、
これ以後のロック・ミュージックの風景の中で、
このようなメタ的な批評性を、
どこかに持っていないと、
鈍感さから逃れられないという、
事態にもなっていったのです。

どんな形であれ、
普通に「ロックすること」の中に、
一抹の欺瞞が入り込むことに、
なったわけです。
しかし、このような再帰性は、
人間社会の全般にいえることでも、
あるのです。
それが、歴史の進展の中で、
ロックにも起こったというだけのことなのです。

後の、90年代初頭にあったロック、
ソニック・ユースやニルヴァーナ、
そして、オアシスでさえ、
そのような批評性の中で、
新たに、ロック的な衝動を活かす方法を、
探っていく中で、
あのようなスタイルを見出していったわけなのです。


◆セックス・ピストルズという集合体(システム)

さて、
そのようなパンク・ロックの
起爆点となったのが、
セックス・ピストルズという、
ある一つのバンドでした。

ところで、パンク・ロックを、
ただの音圧の烈しい過激なロックだと思っている人が、
ピストルズを一聴すると、
聴きやすい普通のロックなので、
意外な感じを受けるものです。

しかし、
音楽の表面的な外形だけではなく、
そこに、感覚的に刻まれている、
強度な内容を理解する人は、
そこにはらまれている壊乱的な要素(精神性)を
見出していくことにもなるわけです。
それも、並外れた、天才的な表現力で、
それが含まれていることに、
気づいていくことにもなるのです。

その点が、
彼らが、当時の歴史を変え、
その後の時代や、現在でさえ、
多くの人々を、
駆動し続けている力でも、
あるわけなのです。

ところで、
セックス・ピストルズといっても、
複数の人間から成る集合体であり、
また、重要なバンド外の関係者が多数おり、
かなり偶然的な要素によって、
ピストルズとして、
成立したものといえます。

そのことが、
これらのシステムを考える上で、
余計に、興味深い事例となっているのです。

壊乱的なバンドというコンセプトは、
マネージャーのマルコム・マクラーレンが、
メンバー集めの段階から、
すでに、企画していたものです。
音楽的な面では、
名曲を書いた、グレン・マトロックが、
その役を引き受けたといえるでしょう。
プロデュースには、
ビートルズのレコーディングも手伝ったことのある、
クリス・トーマスがいました。

そして、ヴォーカルの、
ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は、
音楽的な素養が、特にあるわけでは、
なかったのですが、
稀代のトリックスターであり、
猿回しの猿のように、
偶然、フロントに立たされたわけですが、
結果的に、
舞台を乗っ取った猿のように、
自在な動きをはじめ、
当初の予想を超えて、
その劇空間を、世間や歴史にひろげていくことにも、
なったのです。

さて、以前、ビートルズにおける、
才能の相補性について触れた際に、
作品の内における、
音楽的な要素と、精神性な要素という、
その両極の属性に触れました。
才能における相補性 NLPとビートルズ

セックス・ピストルズにおいても、
その後のソロ作品を見ると、
その役割分担と、
その性質の違いがよく分かります。

その後のグレン・マトロックは、
確かに、作曲のセンスを、
うかがわせるものがありますが、
一線を超えるような過剰な要素がなく、
どちらかというと、凡庸な作品にとどまっています。
そして、いつしか、表舞台からは、
姿を消したのです。

一方、ジョン・ライドンの、
パブリック・イメージ・リミテッド PIL は、
音楽的には、楽しめる面は少ないですが、
その初期作品においては、
ピストルがもっていた覚醒感が、
確かに、一部存在しているのです。
そして、それが、充分ではないという点が、
色々と考えさせる興味深い論点でもあるわけです。

さて、そのような極性の才能が、
ひとつの作品の中で激突することで、
作品は、その濃密な強度を高めていきます。

そして、特に、
新しい未知の精神性が、
作品の核となる場合には、
芸術的な音楽的造形とは関係ないところで、
あるメンバーの精神性(存在力・息吹)が、
特に、作品の細部に浸透して、
決定的なアレンジ要素となります。
たとえば、
ドアーズにおけるジム・モリスンの存在は、
そのような(意識拡張的な)要素であったわけです。

ピストルズにおける、
ジョン・ライドンの存在も、
そのようなものだったわけです。


◆否定する力と自己刷新 ピストルズの覚醒性

さて、前段に、
ロックの本質的な力とは、
より自由を求めて、
隷属を切り捨てる力であると、
書きました。
それが並外れて実現できている音楽は、
人を感電させ、覚醒させます。

ところで、
真に徹底的な、否定する力は、
まわりの物事だけではなく、
それらによって作られた既存の自己自身にも、
差し向けられていきます。
否定の力は、
周りを否定すると同時に、
既存の自己をも否定し、
たえず未知のものに向かって、
自己を投げ出していくかのような局面を、
創り出すことにもなっていくのです。
それは、
自己超出的な側面を、
持つことにもなるのです。

それは、
スリリングである同時に、
危うい状態です。

そして、
セックス・ピストルズの音楽には、
確かに、そのような、
ギリギリの限界的要素があるのです。

疾駆する速度感で、
ただ一人、先陣を切って、
(他のバンドは追従しただけです)
未知に直面し、
未知を切り拓いていくような、
過熱するような、
ヒリヒリした心象風景が、
その作品には刻まれているのです。

それが、彼らの作品が、
今でも、頭抜けて覚醒的な感覚を、
伝えて来る点なわけなのです。

彼らが使った、
アナーキーという言葉に、
政治的な意味合いだけではない、
生の存在論的なニュアンスを、
私たちが感じ取るのは、
そのような点にあると思われるのです。

そして、
バンドというシステムとして、
そのような、
自己否定的・自己刷新的な要素をはらんだ過剰性を、
オートポイエーシス的に、
再生産しつづけることは、
非常に、困難なことでもあります。
それを、果てまで行ったのが、
セックス・ピストルズだったといえるでしょう。
それが、短命であったというのは、
ある意味、論理的必然であるともいえるのです。


◆怒りとのコンタクト(接触)

さて、ところで、
ゲシュタルト療法においては、
さまざまな感情表現を重視しますが、
怒りの表現についても、
これを、とても重視します。

キレるのではなく、
意識とコンタクト(接触)できていて、
表現として成立している怒りは、
健全な生のエネルギーです。
生の正しい攻撃性であり、
積極性です。

抑圧され、
意識から解離した怒りが、
暴力となるのです。
このことについては、
以前にも触れました。
ザ・ポップ・グループの教え 怒り・テロ・絶望

ところで、
セックス・ピストルの音楽は、
怒りの表現に満ち満ちていますが、
それがジメジメと鬱屈するのではなく、
スカッとした爽快な表現になっているという点は、
特筆すべき点です。
これほど、解放された明るい怒りも、
他の物事には、見出せないでしょう。

方法論としての怒りに、
なっているのです。
これも、ジョン・ライドンの、
トリックスター的な性格の所以でしょう。

それは、意識して、
怒りが怒られているのです。
そのような、
気づきを持った怒りが、
重要なことなのです。
ここでも、ある種の、
感情の再帰性や、
そこからの自由が、
実現されているわけです。


◆覚醒のための方法論

さて、以上、
セックス・ピストルズをネタに、
色々と考えてみました。

実際のところ、
セックス・ピストルズの事例は、
パンク・ロックやロックという、
狭い領域の問題だけで、
済ましてしまうには、
大変、惜しい素材となっています。

そこには、
私たちが、たえず、
目覚め続けているためには、
何が必要なのかについての、
興味深いヒントが、
多く隠されているのです。


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リルケの怖るべき天使 〈美〉と変性意識状態


◆天使・チベット仏教・ベイトソン

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』に出てくる、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
言葉をめぐって、
グレゴリー・ベイトソンの、
学習理論
などを参照して、
さまざまにイメージを拡げて、
考察を行なってみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

そして、その中で、
私たちの日常意識が、
「上部構造にシフトする」かのような、
状態を仮定して、
その中で起こるかもしれない、
システム的な情報の流れ(整列)や、
体験内容などについても、
考えてみました。

また、それらが、
下位構造としての、
私たちの日常意識の情報を、
書き換えてしまう可能性についても、
考えてみました。
(それが癒しや変容の体験になったりする、
ということです)

今回は、
その部分について、
もう少し見ていきたいと思います。

特に、普段の日常生活の中で、
そのような上位階層のシステムを予感させる、
何かを垣間見たり、
また、その影響を受けたりすることがあるのだろうか、
というような事柄についてです。

そのような機会を考えてみると、
それらは、多かれ少なかれ、
変性意識状態(ASC)の要素を持っているものですが、
散発的には、
存在していると思われるのです。


◆〈美〉的体験の通路

例えば、
ある種の美的な体験などが、
それに当たります。

しかしながら、
この場合の美とは、
単なる表面的な綺麗さではなく、
心と体験の奥底につき刺さり、
そこで振動を拡大させていくような種類の、
深遠な〈美〉的体験です。

そのような〈美〉的体験は、
私たちが通常、
あくせく働いている日常的現実に、
回収され尽くさない、
〈何か〉の要素があります。

それらの〈美〉は、
日常生活とは、違う次元の、
普遍的な秩序を、
感じさせたりもするのです。

変性意識状態(ASC)的で、
奥行きと拡がりをもった、
宇宙的な秩序を、
予感させるものでもあるのです。

それらは、
知覚力の拡大感、
恍惚感、
覚醒感、
本物の実在感、
といった、
あたかも「より上位の階層から」の、
情報の侵入を、
印象づけるようなものでもあるのです。

たとえば、
壮大な自然の〈美〉などは、
そのようなことを感じさせる、
普遍的な事例のひとつです。
山脈のつらなる、
雄大な峰々の風景や、
水平線に沈むこむ、
巨大な夕日の風景などは、
永遠にも似た、
その圧倒的な〈美〉の情報を、
処理しきれないために、
私たちを胸苦しくさせます。

それらは、
巨大な自然界の、
高次の階層秩序による、
莫大な情報量が、  
私たちの日常意識の許容量では、
処理しきれないほどに、
大量にやって来るためであると、
論理づけることもできるのです。


◆怖るべき天使と、バルドゥ(中有)の如来

さて、
世界の歴史的な事例を多く見ていくと、
〈美〉に関する、そのような事態が、
日常意識を圧倒するような形で、
個人を襲う可能性も想定されるのです。

たとえば、
ドイツの詩人リルケは、
その『ドゥイノの悲歌』の冒頭近くで、
歌っています。

「よし天使の列序につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、
わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。
なぜなら美は怖るべきものの始めにほかならぬのだから」
「すべての天使はおろそしい」(手塚富雄訳)」と。

彼は、ドゥイノの海岸での、
或る体験によって、
この詩を書きはじめたのです。

そして、彼は、
自作の翻訳者フレヴィチに宛てた、
有名な手紙の中で、この詩について、
大変興味深いことを
述べているのです。

「悲歌においては、
生の肯定と死の肯定とが
一つのものとなって表示されております。
その一方のもののみを
他方のものなしに認めることは、
我々がいま此処でそれを明らかにするように、
すべての無限なるものを
遂に閉め出してしまうような限界を
設けることであります。
死は、我々の方を向いておらず、
またそれを我々が照らしておらぬ
生の一面であります。
かかる二つの区切られていない
領域の中に住まっていて、
その両方のものから
限りなく養われている我々の実存を、
我々はもっとはっきりと
認識するように努力しなければなりません。
……人生の本当の姿は
その二つの領域に相亙っており、
又、もっと大きく循環する血は
その両方を流れているのです。
そこには、
こちら側もなければ、あちら側もない。
ただ、その中に『天使たち』
―我々を凌駕するものたち―の住まっている、
大きな統一があるばかりなのです」
(堀辰雄訳)

ここで語られている体験領域が、
単なる内部表象のひとつだとしても、
日常意識のものではない(それでは処理しきれない)、
ある種の圧倒的な変性意識的な世界だとは、
類推できるでしょう。

それは、
生と死をひとつと見なすような、
(当然、私たちの日常意識は、
それらを別々に見なしているわけですが)
無限なる体験領域なのです。
また、論理的に考えると、
その体験領域は、
私たちの日常意識を、
その下位の一部とするような、
上位階層の世界だと
類推することができるのです。
 (天使云々をいうのですから)

そして、また、
このような階層(体験領域)の侵入、
といった「怖るべき」圧倒的な事態が、
リルケに限らず、
世界の諸々の変性意識の事例を見ても、
さまざまに起こっていることが、
分かるのです。

例えば、以前、
『チベットの死者の書』について、
その心理学的な見方について、
検討しました。

心理学的に見た「チベットの死者の書」


そこでは、
移り変わっていく死後の空間、
各バルドゥ(中有)において、
必ず二つのタイプの如来たちが、
姿を現して来ることが、
描かれています。

ひとつは、
怖れを感じさせるような、
眩しいばかりの如来と、
もうひとつは、
より光量の少ない、
親しみを感じさせる如来です。

そして、
『チベットの死者の書』のメッセージは、
前者の怖るべき如来こそを、
自己の本性と見なせ、
というものです。

そうすれば、
輪廻から解脱できるだろう、
というものです。
そして、
後者の親しみを感じさせる如来に、
近づいていくと、
輪廻の中に、
再生してしまうというわけなのです。

この現象なども、
学習の階層構造に照らして考えると、
納得的に理解することができます。

怖るべき如来は、
上位階層からの過剰な情報であるため、
私たちには、怖るべきものに、
感じられてしまうのですが、
その「上部構造にシフトする」ことで、
無我と解脱が得られるというわけです。

一方、
親しみを感じさせる如来は、
慣れ親しんだ二次学習であるがゆえに、
自我と再生の道に、
進んでしまうというわけなのです。

つまり、
どちらの如来に、
コンタクト(接触)するかで、
上部階層へシフトできるか、
それとも、下位階層に留まる(ダブルバインド)かの、
選択になっているというわけです。


さて、ところで、
筆者自身、拙著
の中で、
さまざまな変性意識状態(ASC)の、
体験事例について記しましたが、
それらの中でも強度なタイプのものは、
どこかに畏怖の念を呼び起こすような、
光彩をもっていたのでした。
(また、実際、困難な体験でもありました)
ひょっとすると、
それらなども、どこかに、
上位階層からの情報という要素を、
持っていたからなのかもしれません。


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投影された夢の創造的活用 サイケデリック・ビートルズ・エクササイズ

◆夢の力を取り出す

さて、前回、
創造と夢見の技法ということで、
目的とするアウトプットに対して、
心身の内容(感情・感覚)を、投影することにより、
私たちの奥底にある創造過程(夢の力)が、
活発化して来る事態について、
取り上げました。
→「創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

この状態を、
感覚的に理解し、意識的なスキルとするには、
逆パターンの事例から、
体感・類推するのが分かりやすいと思われます。

つまり、私たちが、
アート(音楽、映画、物語、絵画)等の、
創作物に触れた際に、
自分の内側に惹き起こされる、
感情や衝動、感覚的なイメージについて、
意識的になることです。

私たちが、なぜ、
赤の他人の作った創作物に、
強く惹かれ、
過度な思い入れを持つのかと言えば、
それは、心理学的には、
「投影」によるものです。

自分が持っているが、
普段は解離している、
大切な心理的な因子を、
その対象物に見出して、
強く惹かれるというわけです。

「見出す」といっても、
実際に、そこに、
在るわけでもないものを、
勝手に、そこに、
見出す(映し出す)だけの話です。
恋愛と同じく、
「勝手な想い」です。

また、しかし、
そうはいっても、
或る創作物が、
世の一定量の人々の、
投影の受け皿として働くには、
それなりの受け皿の要件(因子)があります。
最大公約数的な要素を、
持っていなくてはならないのです。
(これも、恋愛の場合と同じです)

それは、
創作物の、テーマの普遍性や、
そのジャンルの美的形式における、
適応性と新奇性のバランスなど、
さまざまな要素が考えられます。
このこと自体は、大変、
興味深いテーマではありますが、
別の機会に譲りましょう。

ところで、さて、さきに、
他人の創作物に投影される、
「勝手な想い」について触れました。
実は、
この「勝手な想い」の深い部分に、
棲息しているのが、
私たちの夢の力なのです。
(この「夢」の内実については、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』を、
ご覧下さい)

そして、
当スペースのアプローチでは、
私たちは、
他人の創作物に投影した想いから、
自分の夢の力を取り出さなければ、
ならないのです。

そうでないと、
「自分自身の夢の力」を展開して、
自分自身の人生を、
創造的に生きていていくことが、
できないからです。
他人の表象世界の中に、
閉じ込められて、
隷属的(不自由)になってしまうからです。

「勝手な想い」を、
自分の意識と、
つなげてあげる必要があるのです。
そのことで、
私たちの中に、
エネルギーの増幅が生まれ、
強い動機づけが生まれるのです。

そして、その際には、
狩人が、
狩った動物の皮や肉を、
余計な傷つけを避けて、
綺麗に剥ぎ取るように、
私たちも、
他人の創作物から、
自分の夢の力を、
綺麗に剥ぎ取り、
切り分けないといけないのです。


◆エクササイズ

そのためには、
自分の「体験」について、
切り分けるかのように、
書き出し、
アウトプットしていくことが、
必要です。
これが、
エクササイズです。

批評のように、
その作品について書くのではなく、
「自分は、こう感じた」
「自分の中で生じたイメージはこうだ」と、
自分の体験として、
「生きた何物か」を書き取り、
アウトプットしていくのです。

言葉は、制限が多いので、
絵や落書きなどの方が、
やりやすいでしょう。
とにかく、自由に、
書きなぐっていくのです。
色や線を置いてみるのです。

そして、その感覚を、
〈塊〉〈イメージ〉として、
外在化させていくのです。
自分自身の「夢の力」の要素として、
対象化していくのです。

そして、
心に響くものや、
惹きつけるものに対して、
数多く、そのような作業(エクササイズ)をしていくと、
段々と、自分の夢の力も、
〈実体性〉を獲得していきます。

そして、
そのように、外在化された、
自分の夢の力というものは、
大きな現実的なパワーをもって、   
人生を牽引することにもなっていくのです。
(それらを日々、
見返すことを、おすすめします)

そのため、
「勝手な想い」にこだわって
探求と追跡をすることは、
より核心的で、充実した、
夢の力の獲得に、
最終的に、
私たちを導くことにもなるのです。

それは、後から、
人生を振り返ってみた場合、
明瞭な線として、
浮かび上がって来る類いの事柄なのです。


◆サイケデリック・ビートルズの恩寵

さて、当スペースが、
変性意識状態(ASC)や、
人間の能力・意識の拡張といった、
テーマに焦点化するきっかけも、
元はと言えば、
そのような投影によって引き起こされた、
夢の力の活性化にあったのです。

ビートルズ Beatles といえば、
1960年代のポップ・ミュージックを一新し、
現在のポップ・ミュージックの祖形を創ったバンドですが、
カウンター・カルチャーの思潮と、
同時代として、同期したこともあり、
その中期の音楽は、
いわゆるサイケデリック・ロックでした。

筆者自身が、それを知ったのは、
随分と後の時代であり、
「サイケデリック Psychedelic (意識拡張的)」
という言葉さえ、
周りの誰も、説明できないような時代でした。

しかしながら、中学生の筆者は、
(何の経験値も、環境も持たないにも関わらず)
サイケデリック・ビートルズの背後にある、
〈何か〉を、心理的投影を通して、
嗅ぎつけたのでした。

それは、それまで、
人生にまったく想像していなかったような、
途方もなく眩い、
輝く生の状態(姿)でした。

ほとんど子どもであった筆者の、
日常意識の背後に、
どんな夢の力が、
鉱物的な変性意識状態(ASC)があって、
サイケデリック・ビートルズの 電撃的表象によって、
活性化し、
閃光的なイメージを成したのであろうかと、
少し不思議な気もします。

しかし、その後、
「勝手な想い」や、
その幻想的なイメージにこだわり、
さまざまな追求をしていくことで、
結果的に、
眩い変性意識状態(ASC)を数多く体験し
「サイケデリック」な実在を、
まざまざと理解することにもなったのでした。

そして、今、
その並外れた光量の、
豊穣で創造的な世界を得るための、
具体的な方法論を、
他の人々とシェアできるという僥倖を、
得ているわけなのです。

それは、元はと言えば、
サイケデリック・ビートルズが持っていた、
何らかの因子に、
子どもの筆者が、夢の力を投影し、
物事に目覚めたことがきっかけなのでした。
その不思議な共振によるものだったのです。

そして、これは、
見聞した限り、
筆者一人に起きたことではなく、
多くの人々に起こったことでもあったのです。
そして、
そのような創作物を創れるということは、
実に素晴らしいことだと思うのです。


◆「自分の」夢の力を生きる

さて、
自分の夢の力を生きることは、
人生に、眩い彩りと動機づけを、
もたらすものです。

ところで、先進国の中で、
日本人の「幸福度」が大変低い調査結果については、
以前よりさまざまな指摘がありました。

その要因のひとつに、
日本人が、「他人の(価値観による)人生」を、
生きてしまっているということが、
挙げられます。

もともと、横並び社会であり、
他人の目や、他人の承認に、
重きをおく社会ではありますが、
他人に主権を与えてしまうような生き方は、
人を無力化させるものです。

それは、
自分の人生を、
自分のコントロールの外へ、
置くことだからです。
自分から、
選択と自由を奪うものだからです。

自分で、自分の人生を、
コントロールできている時、
人は、充実した人生を、
生きているということができるのです。

パールズの、
有名な「ゲシュタルトの祈り」は、
そのことを、ぶっきらぼうなタッチで、
告げています。

「私は私のことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
私は、あなたの期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし私たちが出会えるとするならば、
それは素晴らしいことだ。
もしそうでないならば、
それは、いたしかたないことだ」

この言葉を引き受ける時、
私たちは、
より健全な現実の息吹に、
触れられていると言えるでしょう。

その上で、
自分の心の底から湧いて来る、
自分の夢の力を、
生きていくことができるのです。
それは、使命にも似た、
宇宙の深い内実に根ざした、
人生となっていくのです。


さて、今回は、
他人の創作物の中に、
投影を通して現れて来る、
夢の力について、
取り上げてみました。

自分の好きな物を取り上げて、
その夢の力を取り出すエクササイズを、
ぜひとも、
実践してみていただければと思います。
そのことからだけでも、
人生というものは、
確実に変わっていくものだからです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。






【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

創造と夢見の技法 NLP・ゲシュタルト・夢見 その2

別に、
「NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト・夢見」と題して、
これらの各技法が扱う、
心の領域が、地続きを成して、
つながっている様子を見ました。

今回、ここでは、広く、
人生で結果(アウトカム、アウトプット)を生み出す、
創造と具現化の技法について、
考えてみたいと思います。


◆夢の創造過程と身体感覚

さて、
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の、
「夢見の技法」の中では、
私たちを貫く創造的な夢の力を
どうやって利用すればよいかについて、
さまざまに検討しました。

そして、その際に、
メルロ=ポンティの
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉を引いて、
私たちが、
心身を、世界に投影して、
物事を、暗黙知的に把握していく事態について、
見ました。

そして、この、
対象物(目的)と、投影した身体が、
内的につながっていくという情報回路(通路)の中で、
強い夢(無意識の創造性)の力も、
引き出されて来ることについて、
見ました。

そして、
その夢の力を組織化して、
強度なアウトプット(成果物)として、
外在化・現実化していく方法について、
検討しました。
   
さて、ところで、
このような夢の力を、
活かしていく方法論というものは、
人生上、生活上の願望を、
具現化する中においても、
決定的な重要な事柄でもあるのです。

というのも、
普段においても(また正念場においても)、
私たちを真に駆動する力(渇望)とは、
夢の創造的過程の沸騰に、
よるものだからです。

そのため、
人生上の、具現化したい目的を持っていて、
それを、「絶対に達成したい」という場合には、
自分の身体感覚を、
センサー(検知器)のように使ってみて、
その目的内容を精査してみると良いのです。

その目的の姿(像)を、
身体的によく感じてみて、
(そこに心身を投影してみて)
その姿(像)と、自分の心の奥底との間に、
夢の力が流れているかどうかを、
確かめていくのです。

その目的の姿と、
夢の力の定かならぬ誘因とが、
強く惹きあうような事態を、
はっきりとした〈実在〉として、
エネルギー的に感じ取れるのであれば、
それは目的の方向性としては、
間違っていないということなのです。

もし、どこかに違和感や、
内的な不十分さを感じるのであれば、
その目的内容に、
どこかにおかしなところが、
あるということです。

その場合は、
諸々を再検討しないといけません。


◆組織化・焦点化して、身体的につかむ

さて、私たちが、
何かを創造していくに際して、
鍵となるのは、
私たちの意識過程、思考過程(拡散的・収束的)だけでなく、
その背後で渦巻き、脈動している、
夢(無意識)の創造過程となります。

それが、
私たちの人生の使命(ミッション)を、
創り出します。
人生の「違い」を生み出すのです。

そのため、
そこにおいては、
夢の力と関わる、身体感覚(身体性)の存在が、
とりわけ重要となるのです。

自分の身体感覚の投影を、
サーチライトのように使って、
対象物(目的、欲しいアウトプット)とつながることで、
私たちは、
自己の創造力の発現を、
動機づけの面でも、組成の面でも、
容易くすることができるのです。

また、以前、
NLPを有効に活かすための、
「現場の情報空間」について、
触れました。

その際も必要なのは、
現場の膨大な情報空間に、
「身体的」に、同調・同期しつつ、
統御・利用していくということなのです。
ここでも、
私たちの身体感覚が、
素地(前提)として重要となるのです。

さて、そのように、
私たちは、
自分の「身体感覚」を、
意図に利用していくことで、
無意識の夢の力を導き、組織化し、
焦点化したアウトプットを、
創り出していくことができるのです。

そのことを通して、
欲しい結果(アウトカム)を、
手に入れることができるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


スライド4

スライド1

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

◆サブモダリティの改変

さて、NLP(神経言語プログラミング)において、
サブモダリティの改変という技法が、
そのセッション(ワーク)で、
使われることがあります。

サブモダリティ(下位様相)とは、
モダリティ―視覚、聴覚、触覚などの、
各表出(表象)体系を構成する、
下位の構成要素ともいえます。
例えば、視覚においては、
その映像を構成する、
明度、鮮明度、カラーor白黒、サイズ、コントラスト、距離、位置、
などが、サブモダリティです。
喩えですが、テレビのツマミによって、
変化するかのような各属性、
調節が可能な要素たちです。

実際のNLPのセッション(ワーク)における使い方でいえば
クライアントの方の、
或るネガティブな体験には、
その体験内容と結びついた(フレーム化された)、
サブモダリティがあると考えます。

そのため、
フレーム化によって、
望ましくない体験と結びついた、
サブモダリティを改変することで、
望ましい状態に創り変えるのが、
サブモダリティに焦点化した技法となります。
(フレーム自体を改変するのは、
リフレーミングという技法になります)

そのように、
サブモダリティは、
私たちの経験内容を記憶し構成する、
基本的な素材となっていると、
考えられるのです。


◆ビートルズ『イン・マイ・ライフ』とサブモダリティ

さて、以前、
才能における相補性ということで、
NLPとビートルズを例に出したので、
今回も、ビートルズにまつわる個人的な事例を、
エピソードとして使ってみたいと思います。

ビートルズのアルバム、
『ラバー・ソウル Rubber Soul』の中に、
『イン・マイ・ライフ In My Life』という、
名曲があります。

ジョン・レノンが、
ヴォーカルがとっている曲で、
本人のコメントもあり、
ジョン・レノンの曲とされているものです。

筆者も、昔から、
好きな曲ではあるのですが、
どこか感覚的に、
違和感を覚えてもいたのです。

というのも、
筆者にとって、
ジョン・レノンの曲は、
曲の由来(根っこ)が、
「すみずみまで(水晶が澄みきったように)分かる」
という感覚があるからです。
しかし、
『イン・マイ・ライフ』だけは、
素晴らしい曲で、好きな曲ではあるものの、
「どこか、分からない感じ」
というのがあったからでした。

しかし、後年、
ポール・マッカートニーが、
『イン・マイ・ライフ』は、
自分が書いた曲だと、発言していることを知って、
長年の謎が氷解したのでした。
ポールは、曲の構造からしても、
自分の曲だと証明できる、
ジョンが忘れただけだ、と言っているようですが、
さもありなんという感じなのです。

さて、それでは、
筆者の中で、
何がジョンの曲で、何がポールの曲だと、
感じ分けていたのでしょうか。

それこそが、曲を聞いた時に、
筆者の中で、自然に組成される、
サブモダリティの質性(特徴)だったのです。

筆者個人にとって、    
ジョンとポールの曲は、
サブモダリティとしては、
決定的に違うものでした。
ジョンの曲の、密度や屈曲と、
ポールの曲の、のびやかさと明るさとは、
明確に違うサブモダリティなのでした。
無意識で感じ取られる、
微細な様相においてもそうなのでした。
そして、個人的には、ジョンの曲は、
感覚の近さからか「根から分かる」感じがしたのでした。
一方、ポールの曲には、
どこか、曲の由来(根っこ)が、
「分からない」感じがあったのでした。
そして、それがどこか神秘的な質性でもあったのでした。

『イン・マイ・ライフ』は、
ジョンの曲だと信じ込んでいたため、
実際に組成されるサブモダリティとの間に、
齟齬や違和感が生じていたのでした。

ところで、
音楽を聴くときには、
曲の中に、心身を投影して、
その内的体験として曲を感じ取るわけですが、
その風景として、
サブモダリティが組成されるわけです。

そして、
その曲によって組成されるサブモダリティと、
自分の元々の、内的な経験(趣味)を響き合わせて、
合う合わないとか、好き嫌いとかを、
判断している訳です。
また、「分かる」などという幻想を、
創り出しているわけなのです。

しかし、サブモダリティの、
この内的一貫性を把握しておくことは、
対象物を理解する上での、
トラッキング(追跡)・システムとしても、
重要な働きをしてくれるものなのです。
『イン・マイ・ライフ』の事例は、
そのような意味でも、
興味深い事例となったのでした。

ところで、
多くの人にとっても、
好きな趣味の中での、
各種の感覚情報の差異は、
大体、サブモダリティの一貫性として、
把握されているものなのです。


◆投影された身体と、サブモダリティの拡張

さて、
の中では、
自らの身体の投影を通して、
私たちが世界をとらえ、
構成していく様子を記しました。    

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
そのことについて見ました。

そのような身体の投影の結果として、
私たちは、自己の世界の表象を、
作っているのです。

ところで、
このような身体投影の結果として、
内的表象を作る際にも、
強度の差異は各種あるものの、
サブモダリティも、
同時に、生成・組成されているのです。

生活の中で、さまざまな事柄を、
身体の投影を通し、
物事を経験・学習する中で、
体験内容のコンテクスト化やフレーム化も生まれれば、
基礎素材としての、
サブモダリティの生成と編成も、
行なわれているわけです。

そのため、生活史の中で、
何らかの問題的なフレームが発生した場合に、
問題あるサブモダリティも生まれてしまうのです。
それが、前段で見た、
NLPのセッション(ワーク)による
サブモダリティ改変のアプローチにも、
つながるわけです。

ところで、実際のところ、
サブモダリティの質性自体は
価値中立的であり、
それ自体は、良いものでも悪いものでも、
ありません。
強烈なサブモダリティが、
問題であるということではないのです。

問題なのは、
サブモダリティと、
否定的(悪しき)体験との、
フレーム化・コンテクスト化なのです。
この関係づけを改変するのが、
リフレーミングといわれる技法です。

また逆に、芸術などでは、
強烈なサブモダリティの方が
効果としては、
有効だったりもするのです。

さて、ところで、
私たちの普段の生活における
創造的な側面に目を向けてみると、
例えば、
何か貴重で冒険的な体験をした場合などには、
私たちの身体感覚に深い刻印が刻まれ、
身体感覚が拡張したかのような実感を、
得ることになります。
また同時に、
その経験内容(領域)を表象するサブモダリティも
改変(拡張)された感じがします。
これは、サブモダリティの「創造的な側面」です。

そのため、
新しい未知の体験を得て、
身体感覚が拡張したときには、
そのサブモダリティをしっかりと
感覚と脳に定着させていくと、
その経験が、学習として深まり、
自分の中でより、再コンテクスト化、
再フレーム化がはかどります。
高次階層の学習も進みます。

一方、
積極的で能動的な身体の投影を通して、
サブモダリティが、
わずかに拡張されるような
経験を持つこともあります。

芸術における体験などが、
それです。

その際、私たちの内側では、
実際に、
身体やサブモダリティが拡張され、
改変される体験とも、
なっているのです。

実際、
芸術におけるエネルギッシュで、
積極的な取り組みの中では、
(創作ばかりでなくとも)
自分自身の既存の身体感覚や、
固定化したサブモダリティを、
流動化させ、解放させていく効果があります。

慣れていないジャンルの芸術に、
積極的、意欲的に身体を投影して、
内的に把握しようとする努力は、
私たちの持っていた、
既存のサブモダリティや内的な表象を、
柔軟にして、
解放・拡張していく訓練にもなるのです。
それは、
多くの身体訓練と、
同様の働き方をするのです。

そのように、
私たちの身体感覚とサブモダリティは、
深く同期しているというわけなのです。

それがために、
スポーツ・トレーニングにおいても、
コーチングにおいても、
ヴィジュアライゼーションや、
イメージ・トレーニングが、
実際的・実利的な効果を、
発揮するというわけなのです。
ここには、
興味深い心身の領域が、
大きくひろがっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。




【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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階層を超える創造の飛躍 パブロフの犬か、ベイトソンのイルカか


さて、前回、
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
を語る中で、
ベイトソンの学習理論について、
触れました。

そこでは、
学習次元の階層を超えるような、
創造的な飛躍が起こる場合があることについて、
少し記しました。

このような階層を超える学習(創造性)について、
ベイトソンは、
『精神と自然』(新思索社)の中で、
興味深い事例を挙げているので、
今回は、そのことについて、
見てみたいと思います。

或るイルカの事例です。

ある時、そのイルカショーでは、
「毎回、イルカに『新しい芸』を教えることができる」
ということを売り物にすることを考えたそうです。

つまり、毎回、そのステージ(セクション)で、
イルカが、或る「新しい芸」をやり、
「そのことを覚えた」とイルカが再現する、
という高度な芸です。
イルカ的には、一日の中で、そのステージごとに、
毎回、新しいしぐさなりを表現し、
そのことを覚えた(学習した)ことを、
人に示すということです。

ここでイルカには、
「或る特定のことことを覚えていれば、エサがもらえる」
という、よくある単純なコンテクスト(二次学習)より、
高度なことが、課せられたのです。

或る時は、覚えている芸Aをやったら、
エサがもらえた。
しかし、次に、芸Aをやっても、
エサはもらえない。
偶然、芸Bをやったら、
エサがもらえた。
しかし、それをもう一度やっても(新しい芸ではないので)、
エサはもらえない。
最初、イルカは、混乱したようです。

しかし、試行錯誤を繰り返す中で、
イルカは、ついに、
「わかった」ことを示すかのように、
嬉しそうな反応をしたそうです。

そして、次々に、
「新しい芸」を見せ出したそうです。

つまり、イルカは、
より高い階層から、
自分の置かれた「コンテクスト(文脈)」を、
理解することをできたのです。

「芸A、芸B、芸C」と、
既存の芸を、ひとつのクラス(類)と見なし、
それとは別の「新しい芸」のクラス(類)が、
自分に求められているものだと理解したのです。
「新芸X、新芸Y、新芸Z」をひとつのクラス(類)として考え、
それを行なっていくことが必要だと理解したわけです。
「芸A…」と「新芸X…」のクラス(類)の差異を理解したのです。


このゲーム全体のコンテクストを理解したのです。
それは、
今までの自分が置かれた階層を、
超えた視点からの理解です。
そこに、
イルカは、飛躍することができたのです。

一方、対照的に、
ノイローゼに陥ったパブロフの犬の、
事例が挙げられています。

その犬は、
丸と、楕円形を識別する訓練を受けたようです。
丸の時は、反応Aを行なう、
楕円形の時は、反応Bを行なう、
というようなことでしょう。

その上で、
丸か楕円形か、識別できない形態が、
提示されたようです。
すると、
犬は、明らかに混乱し、
神経症的な症状を示し出したようです。
つまり、選択肢「丸か楕円形か」の間で、
「識別できない」という、
ダブルバインド(二重拘束)に入ってしまったのです。

つまり、パブロフの犬は、
選択肢「丸か楕円形か」が、
ひとつのクラス(類)であり、
「その他のクラス(類)が、
他の選択肢としてあるかもしれない」
という可能性を、
見出せなかったのです。
そのため、既存の学習の中で、
袋小路に入って(詰んで)しまったのです。

さて、見るところ、
人間の場合も、
個人の行動や、企業の戦略においても、
多くの場合、
パブロフの犬のようにしか振る舞えない、
というのが実情ではないかと思われます。
既存の二次学習の中で、
ダブルバインドに陥ってしまうのです。

つまり、
自分が慣れ親しみ、
身についた既存の二次学習、
既存の視野(選択肢)の階層を、
超える飛躍とは、
なかなかに難しいのです。

習慣的学習ではない超習熟と、
覚醒的な気づき、
プラスアルファの要素が、
必要となります。

そしてまた、
頭で考えるだけの方法論(aboutism)では、
自分自身を構成している
二次学習のプログラムを超える(相対化する)ことは
これも大変難しいからです。
考えることは、解離的なプロセスであり、
それ自体に、物質的に働きかける方法には、
ならないからです。

当スペースが、
ゲシュタルト療法(心理療法)を、
方法論に置いている理由は、
ここにあります。

それは、
ゲシュタルト療法のセッションは、
変性意識状態(ASC)に入り込む中で、
しみついた二次学習のプログラムに、
背後から直接、
コンタクト(接触)できる方法論となっているからです。

そして、
それを、気づきawarenessのうちに、
修正することができるからです。

これが、
当スペースの、
方法論的な狙いとその特徴と、
なっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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底打ち体験と白い夜明け デイヴ・ビクスビー

さて、俗に、
底打ち体験、底つき体験などと、
言われている体験があります。

人が、長い期間に渡り、
心の落ち込みや、
鬱から逃れられずに、
先の見えない魂の暗夜を、
悶々と過ごした果てに、
ふと、なぜか、
下降の底に、
行き当たってしまうという体験です。

底なしだと思っていた状態に、
底があったわけです。

明けない夜が、
明けたわけです。

心の下降を行ききった果てに、
底を打ち、
魂の奥底から、
何かが浮上していたことに、
気づくわけです…

さて、そのような経験は、
このような言葉が、
一般の言葉にあることから考えても、
人々の人生経験の中で、
類型的に存在していることが、
うかがえるものです。

ところで、
の中では、
心理療法などに見られる、
人の心の変容過程について、
3つのフェーズに分けて解説しました。

また、それらの変容形態が、
神話その他の、文化的な事象にも、
普遍的に見られることについて、
触れました。

このモデルの中では、
底打ち体験、底つき体験は、
魂の暗夜であるフェーズ2を抜けた後の、
フェーズ3のはじまりに、
位置しています。
その転回点が、
底打ち体験なのです。

そこで、私たちは、
旅路の果てに、
自らの心の底の、
ひそかな重層性に、
気づくことになります。
 
心を熔かすような、
暗いプロセスの果てに、
厚みのある力や、
精神の内実が、
自分の心の底に、
育っていたことに気づくのです。

運命が、その労苦の意味を、
明かして来るのです。
これまでの長い間の苦労が、
救われるのです…

さて、
ここに一枚のレコードがあります。
昔は、アシッド・フォークなどに分類されていたものですが、
デイヴ・ビクスビー Dave Bixbyが、
1969年に録音し、1000枚ばかりプレスしたものです。
アシッド・フォークの作品の多くがそうであるように、
その後、一部の人々の間で話題となり、
徐々に知られるところとなったものです。

その歌の数々は、
ビクスビーが、
ドラッグ中毒から、
抜け出ることを通して感じた恩寵が、
赤裸々かつ清冽に、
刻まれたものとなっています。

そして、
実際のところ、
この作品におけるほど、
暗黒の中から抜け出た時の、
黎明の感覚を、
見事に造形した作品も、
他にないといっていいのです。

その白い夜明けを、
「はじめての朝」の感覚を、
奇蹟的に描けた作品となっているのです。

それは才能ばかりでなく、
ビクスビー自身が、
心の切実さ(切迫)から、
その経験の意味を、
結晶させることを強く願ったからでしょう。

ところで、私たちは、
さまざまな心の変容過程をくぐり抜けても、
時と共に、雑事にまみれる中で、
その心の決定的光景を、
しばしば風化させてしまいます。

ビクスビーの歌には、
そのような私たちの心の鈍麻を、
鉱石のように磨き、
白い夜明けを思い出させる、
どこか凛冽で、不思議な力があるのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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モビルスーツと拡張された未来的身体

さて、拙著
の中では、
意識拡張の実践である「夢見の技法」を語る際に、
私たちの心理的投影と、身体性が、
どうかかわるのかについて、
紙数を割きました。

メルロ=ポンティのいう、
「画家は、
その身体を世界に貸すことによって、
世界を絵に変える」
『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)
という言葉などを素材に、
私たちが、世界を、
投影した身体性を通して、
理解するその仕方について、
分析をしてみました。

そして、そのことが、
夢見の技法として、
どのように利用可能なのかについて、
考察してみました。

さて、ここでは、
そのような文脈で、
拡張された(投影的な)身体性と、
意識拡張との関係について、
考えてみたいと思います。


◆モビルスーツの身体領域

「モビルスーツ」とは、
一時代を画したアニメ作品、
『機動戦士ガンダム』の中に登場する、
戦闘用の機体(ロボット)のことです。

アニメ作品『機動戦士ガンダム』は、
初回作品と、その玩具(プラモデル)が、
一世代の熱狂を引き起こし、
シリーズ化されていったものです。

また、その作品の物語設定についても、
独特の仕掛けが、さまざまあり、
セカイ観を売り物にする、
その後のアニメ作品群の先駆けになったとも、
いえるかもしれません。

しかし、筆者が、
ここで、特にテーマとしたいのは、
「モビルスーツ」というロボット(機体)の、
拡張された身体性としての意味合いなのです。

ところで、
モビルスーツは、
それまであったアニメ作品、
『マジンガーZ』のような、
偶発的なロボットとは、趣を異にし、
未来国家の量産型の軍事兵器として登場します。

元々は、番組から玩具をつくり出す、
マーケティング上の必要性があったわけですが、
物語の設定上でも、
高度に発達した未来社会の戦争においても、
なぜ、ロボット同士の白兵戦が必要であるのかという、
納得性(設定)を形成することで、
高機能化し、進化していくモビルスーツの、
必然性をつくり出すことになったわけでした。

ところで、一方、
実際、後に、玩具としてヒットするわけですが、
モビルスーツの、
あの美的で、不思議なデザインがなければ、
時代の(その後の)熱狂を、
つくり出すこともなかったとも思われるのです。

特に、玩具商品のラインナップの大部分であった、
ジオン軍のモビルスーツの持つ異形性・新奇性、
ガウディの作品のような、曲線を多用した、
あの有機的なデザインが無ければ、
そこまでの支持は得られなかったとも類推されるわけです。

また、玩具自体について言えば、
それまでのプラモデルにあまりなかった、
関節の「可動性」を高めた点も、重要なポイントでしょう。
子どもたちは、自らの身体性を、人形に投影するので、
人形の可動性の高さは、
そのまま、子どもたちの感覚の自由度を、
高めることにもなるからです。

現在でも、フィギュア商品の、
可動域の広さが商品の売りとなるのは、
そのような意味合いだとも考えられるのです。


◆拡張する未来的身体と、意識の拡大

さて、物語の展開にしたがって、
軍事兵器としてのモビルスーツは、
次々と高機能化し、
進化していくわけですが、
興味深いことは、
その進化にともなって、
物語の終盤には、
進化したパイロット(ニュータイプ/超能力者)も、
現れて来るということです。

ストーリー的には、
偶然、特殊進化(超能力化)したパイロットに合わせて、
進化させたモビルスーツが、
作られたようにも見えます。
物語的には、
宇宙空間に出た人類が、
自然に進化していくというイメージです。

しかし、通常、
このような生物の能力進化とは、
環境と生体との相互作用の結果であり、
どちらかが原因であるとは、
一概に特定できないものなのです。

フロー体験に見られるように、
環境と、表出(表現)と、内容(生体)との、
ギリギリの極限的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

つまり、
物語の設定でいえば、
宇宙における戦争・戦闘という極限状態の中での、
拡張された表出身体(モビルスーツ)と、
内容(パイロットの知覚力・意識)との、
高度的な相互フィードバックの中で、
生成して来るものなのです。

モビルスーツがなければ、
ニュータイプも生まれなかった。
こう考える方が、
面白いと思います。

宇宙空間を、高速で稼働する、
機械の身体があったからこそ、
知覚能力の進化が、
加速されたというわけです。

フロー体験について分析されるように、
通常、私たちは、
挑戦的な、困難な状況の中での、
的確な(拡張された)身体活動によって、
知覚力や意識が拡張されていくわけです。

そのような事柄が、
この物語作品の中では、
一定の納得性をもって描かれたために、
一見無理やりで荒唐無稽にも見える、
ニュータイプの設定が、
表現としての強度を持ちえたのでした。
事実は、
そんなにニュータイプな事柄ではなかったのです。
むしろ、古典的(神話的)ともいえる事象だったわけです。


◆日常生活におけるモビルスーツ(拡張する先導的身体)

さて、ここで、
焦点化したい事柄は、
モビルスーツのような、
宇宙空間において、高速で稼働する、
疑似身体(拡張された)が、
ニュータイプ的能力を覚醒させ、
拡張させていったという事柄です。

新奇で、一歩先を行く表現活動(形態)が、
私たちの拡張された知覚力や意識形態を
引き出していくという点です。

そして、
この能力の特性は、決して、
SF的な事柄に限定されるものでは、
ないのです。
この日常的現実で、
普通に起こっている事柄なのです。

さて、私たちは、
身体という場で、
世界と出遭っています。

そして、この身体は、
肉体に限定されるだけでなく、
モビルスーツにように、
投影的で、創造的な活動領域全般に、
延長されているものなのです。

そのため、
私たちが、
自分の知覚力や意識を、より拡張し、
能力をより高めていきたいと考える場合には、
活動しているフィールド(場)を、
私たちの能力が、
引き出され(拡張され)やすいように、
焦点化して、
設定してしなければならないのです。

宇宙(人生)を高速で横切るかのように、
自分に課す日々の活動内容や、
人生の目標など、
自分の限界を超えるかのように、
全身全霊で取り組まざるを得ないように、
場や標的を創り、
急襲していく必要があるのです。

それには、
戦闘のような、
つねに、気づきawarenessが求められる、
強度をはらんだ持続性が必要です。

徹底的に追い求めることにより、
能力というのは、
一線を超えた力を、
発揮はじめるのです。

そして、
そのような強度の果てに、
困難や既知の自己を、
超えはじめた時に、
私たちは、
人生の新しい次元(宇宙)を、
見出しはじめることができるのです。


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在りてあれ!

さて、

真冬の寒い日々の中でさえ、
たまに気温の高い日があると、

すぐに羽虫などが涌いて来るものです。
 
また、すぐ寒くなって、
どうせ死んでしまうのに、
なぜ、そんなに慌てて、
すぐ生まれて来ようとするのか。
少し痛々しく、
また虚しい気がします。
 
そして、
ふと思うのです。
 
これらの命は、
何かをするdoingためではなく、
ただ在るBeingこと自体のために、
生まれて来ているのではないか、と。

実は、

ただ在るBeingこと自体が、
大したことであるからなのかもしれない、
とも、思うのです。
 
そのため、
宇宙の生命たちは、
わずかなスキマを見つけては、
ただ「在る」ことだけのために、
殺到するかのように、
この世に生まれて来ようとするのだと…

 

 
さて、ところで、
人は、歳をとって来ると、
かつて、ともに道を探求した仲間たちに
すでに亡くなってしまった者たちが、
だんだんと増えて来ます。
 
日々の中では、
そのように早世した誰彼を、
ふとした機会に、
思い出したりもします。
 
慌ただしくも、
あっけなく去っていった友人たちを…
 
そして、
信じられない気がします。
 
自分は、今も、
この現実を、
こんな風に感じながら、
道を探している。

しかし、
彼、彼女らが、この現実を、
もう経験していないとは、
いったいどういうことなのだろうかと。
 
若い頃、あんなに熱っぽく、
探求とその未来について語り明かしたのに、
(昨日のように思い出されます)
その彼らが、
今はもう探求していないとは、
どういうことなのだろうかと。
 
自分が、探求の末に、
ようやく小さな突破口、
真の人生のスタートに到達したと思ったら、
その時には、彼らは、
既にこの人生を終わらせ、
完結させてしまっていたとは、
どういうことなのだろうかと。

彼らは、探求の結論を、
少しでも、
得ることができたのだろうかと…

そして、

不思議な気がします。

自分の経験しているこの時間と、
彼らの何も経験していない時間…
 
もう何も経験していないとは、
どういう状態なのであろうか。
 
そして、
つくづく思います。

この「糞のような現実(世界)」でさえ、
彼らはもう何も経験していないのだと…
 
そして、
そのことを思うと、
この「薄絹」のような、
在るBeingについて、
まざまざと、
気づかされるのです。
 
自分のこの現実が、
一瞬のちまで、
存続していく保証など、
何も無いのだと。

(彼らだって、
そんなにも早く、
自らの生が終わるとは、
信じられなかったでしょう)

そして、
思うのです。

この薄氷のような、
現実の上を、
(彼らの分までも)
凝視するように、
綱渡りをするように、
仔細漏らさずに、
生きるべきではないか、と。
 
今にも終わってしまうかもしれない、
この存在を、
そんな風に色濃く味わいながら、
瞬間瞬間を、
生の意味を、
結晶させていくべきなのだ、と。

「在りてあれ!」

 

どこからか、
そんな声を、
聞くような思いがするのです。



才能における相補性 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ

さて、ここでは、
異質な才能の間における、
相補性や相乗性ということについて、
考えてみたいと思います。

以前、別のところで、
NLP(神経言語プログラミング)の創始者、
パンドラー氏とグリンダー氏における、
類推される役割分担について触れました。

ところで、NLPは、
優れた人の持つ「天才性(才能)」をモデリングすることや、
その再現可能性について、多くを語ります。
しかしながら、
バンドラー氏とグリンダー氏が決別した後の、
個々の(ソロの)仕事を見ると、
2人が共同で仕事をしていた時代ほどは、
創造的なことを行なっていないというのは、
とても暗示的です。
事態は、そんなに簡単な事柄ではないわけです。

これらの事例について分析することで、
私たちは、創造性の秘密について、
一段深いレベルで把握できる事柄があります。
そして、それは、
私たちの内なる性向への意識化を生み、
自己の創造性(行為)を、
一段階進化させることにもつながるのです。

 
◆NLPの場合

さて、卓越した能力を持つ対象者を、
モデリングすることを標榜するNLPですが、
そのアイディアの出どころは、おそらくは、
バンドラー氏の、優れたモノマネ的な才覚に、
由来するものと推察されます。

真似ることが、学ぶことの始まりだとは、
私たちが子どもの頃によく聞かされた言葉です。

さて、類推ですが、バンドラー氏は、
身体的、無意識的なレベルで、
対象者の内的世界に入り込み、
それを把握し、再現する能力に長けていたのだと思われます。
(初期の場合は、パールズやエリクソンが対象でした)

「サブモダリティ」のアイディアが、
バンドラー氏からもたらされたというのは、
大変示唆的です。
彼自身が、対象者を、内側から把握する際に、
そのような内的な表象世界(像)を感じ取り、調整しながら、
対象者の「見て・聞いて・感じている世界」を、
再構成していったのでしょう。
そして、そのベスト・パフォーマンスを、
盗んで(再現して)いったのでしょう。

一方、グリンダー氏は、そのような微細な情報群を、
対象化し、構造化し、記述する能力に、
長けていたのでしょう。

そして、この2人の才覚の組み合わせにより、
ブラック・ボックスのように見なされていた、
「天才(卓越した能力)」を、
盗み取り、再現可能なものにするという、
初期のNLPのアイディアが生まれたのだと思われます。

いわば、アソシエート(同一化)とディソシエート(脱同一化)を、
組み合わせた技法です。
そして、これは、原理の組み合わせであると同時に、
2人の優れた才能の組み合わせだったわけです。

そして、
この「同一化する力」と「対象化する力」の、
対極的(両極的)な力を結合させ、振幅させ、
ともに優れて発揮させたところに、
初期のNLPの創造性があったわけです。
そして、2人の決別により、
片翼飛行となり、
当初の創造的な沸騰性を、
失ってしまったわけです。

ところで、このような、
創造的要素における役割分担は、
共同創作の現場では、
つねに起こっているものです。
おおむね、無意識的になされているため、
自覚されてはいませんが。


◆ビートルズの場合

たとえば、ビートルズのような、
並外れたアーティストの場合でも、
そのような事態は起こっています。
ここでは、そのことを事例に取り上げて、
このことを少し見ていきたいと思います。

NLP同様に、
ビートルズにおいても、
グループ解散後のソロの仕事と、
グループ時代の作品に、
優劣の差があることは、
明瞭にわかります。
ビートルズという集団性が、
その天才性の要件だったわけです。

そして、ここでも、
メインのソングライター・チーム、
ジョン・レノンと、ポール・マッカートニーの間に、
おおよその役割分担が類推されるのです。

さて、彼らはともに、
美的な創造能力において非凡なものを、
持っていたわけですが、
(また共通する似た点を持つが故に、
先鋭に共振したわけですが)
その性向として、違いがありました。

2人の中では、
ジョン・レノンの方が、
より精神的で、作家的な要素を
強く持っていたといえるでしょう。

一方、ポール・マッカートニーの方が、
芸術家的で、音楽家的な要素を、
強く持っていたといえるでしょう。

そして、ジョン・レノンの持つ、
剥き出しの直接性や、トリックスター性(新奇性、悪戯性)が、
その場に留まることや、同じことを繰り返すことを、
拒否する方向を推進しました。

一方、ポール・マッカートニーの方は、
より美的で、完璧な音楽的造形の才能を持っており、
一種、非人間的(天上的)な均整や、
作品のより完全な結晶度を駆動することになったわけです。

「ビートルズのレコーディングとは、ポールの曲の録音。
余った時間で、他の人の曲を録る」とは、
ジョンのボヤキですが、
観念したイメージ通りのものを完全に仕上げたい、
(そのために何回も録り直す)
ポールの非妥協的な情熱をうかがわせます。

そして、そのような性向の二人、
ジョンの絶えず問いかけ、
突破する先鋭性、超出性と、
ポールの並外れた強度で、
完璧なものを造形する才能が、
激突し、補い合い、相乗効果を生むことで、
ビートルズの斬新で発明的なアウトプット、
時代の音楽を刷新する、
新奇で美的な造形が創り出されていったわけです。

このことは、
二人が分かれた後の
個々のソロの作品を見ることで、
より明瞭に見て取れます。

ジョンのソロ作品は、
作家的には、どれも興味深く、
卓越した表現と内容を持っていますが、
作品の結晶度としては、
内容に較べて、
どこか詰め切っていない感じ、
惜しい感じが残っています。
もっと完璧な結晶度を実現したら、
もう一段輝きを増したろう、
もっと並外れたものになったろうと、
思うものばかりです。

一方、ポールのソロ作品は、
どれも均整の取れた
美的な結晶体としては、
申し分ないのですが
どこか手馴れた職人芸と見える面があり、
物足りなさが残ります。
芸術が必要とする、
一閃のような先鋭性や、過剰性がなく、
人格的な面では、どこか凡庸な面さえ感じさせます。
ポールが、音楽的な天才に比べて、
どこか侮られがちなのは、
そのような性質にも由来するのでしょう。
一方、ジョンの方は、
その早世のせいもありますが、
(実態から少しずれた)
カリスマ(セイント)的なイメージを残したわけです。

そして、つくづく思われるのは、
ビートルズにおいては、
この二人の持ち味が、
絶妙なバランスで、融合し、激突し、
共振することで、
飛躍的で、超出的なアウトプットが
生み出されたのだということです。


さて、ところで、
私の中には、
ここで見たような対極(両極)的な能力が、
多く存在しています。
私たちの中には、
ジョンやポールがおり、
バンドラー氏やグリンダー氏がいるということです。
また、その他、多くの才能の対極的なセットが、
存在しています。

そして、私たちが、
一次元高いアウトプットを出そうと思う場合には、
このような、
自己の、内なる両極性(能力)を意識することが、
重要となるのです。

「天才性」のモデリングという意味でも、
自己の強い部分を促進・増幅し、
一方、自分の弱い部分を育成し、鍛錬することが、
必要なわけです。
これは、日々、意識して、
自分の性向に取り組むことで、
確実に変化を起こせる事柄です。

そのことで、私たちは、
自己の創造性を、
最終的には、
より心の全体性を含んだ、
精神の根源的な発現に変えることができるのです。

そして、
その結果としてのアウトプットも、
当然、より高い次元の内実を、
持つことになるのです。


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邪魔をしなければ、 音楽は自然に出てくる。



演奏についていえば、
音楽は、
はじめからそこにある。

邪魔をしなければ、
音楽は自然に出てくる。

重要なことは、
邪魔をしないこと。


           あるピアニスト




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意識的な生の効能

さて、今回は、

自己の限界を超えることと、

意識的な生の効能について、

書いてみましょう。

 

以前、

ゲシュタルト療法と、

アウトプットすることについて、

その関係を書きました。

ゲシュタルト療法の、

ワーク(セッション)の特徴である、

実験的な表現や、アウトプットが、

クライアントの方の、

それまでの人生の中での、

表現の境界を超え、

小さな越境となり、

自己の心理的プログラミングを、

書き換えていくことになる、

という事柄についてです。

 

さて、通常、

一般的な人生においては、

そのような限界を超えていく体験は、

自然発生的に生じます。

(そのため、必ずしも、

機会は多くないのです)

 

それらの多くは、

危機的な状況によるものです。

 

そのような場合に、

人は、事件に背中を押されるように、

行動をせざるえなくなり、

図らずも、

自分の表現の限界を超え、

心理的プログラミングも、

書き換えられることになるのです。

 

しかし、

それらは、大概、

望まれない事件的な出来事において、

生じる体験であり、

いたしかたなく、

受動的に発生する事柄です。

 

意欲的に、能動的に、

達成されるという類いの事柄では、

ありません。

 

そのような意味では、

たとえば、心理学の方法論などを使って、

自己の人格や能力、行動力を、

変化の対象にするというのは、

少し風変わりな、

「方法論的な生き方の取り組み」とも、

いえるものです。

 

そして、それは、

自らの人生を、

偶然任せではなく、

いくらか、

自らの探求的な統制のもとに

置いていこうという、

意欲の表れともいえます。

 

しかしながら、

結果的には、

このような人々は、

成長していきます。

 

日々を漫然と過ごすのではなく、

自己の成長に対する、

意識的な気づきとともに、

あるからです。

 

日々、たえず、

自己の存在と限界に気づき、

それを乗り越えようと努力する、

心の働きとともに、

あるからです。

 

そのような気づきと、

指向性自体が、

人生を濃くし、

人を成長させていくのです。

 

そのような人は、

長い時間軸で見た際に、

人生をぼんやりと過ごした人に較べて、

格段の差で、彼方の地点に、

到達してしまうものです。

 

同じ年齢の人間が、

同じだけの経験値を、

持っているわけではないのです。

その濃度は、

意識的な探求の内圧によって、

大きく変わるものです。

 

これは、

私たちの人生そのものの、

大いなる秘訣であるともいえるのです。

 

そのため、

意識的に生きるということは、

苦労多く、面倒臭いことではありますが、

また、実りについても、

大変豊かなものがあると考えてよいです。




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未来からの未完了の体験

ここでは、

「未来からの未完了の体験」

ということについて、

見てみたいと思います。

 

しかし、これは変な言い方です。

 

過去の出来事によって、

未完了の欲求不満が生じ、

未完了の体験が生まれるのに、

未だ存在しない未来の体験から、

未完了の体験が生ずるとは変な話です。

当然、これは、ひとつの喩え話です。

 

ところで、よく、ゲシュタルト療法の中では、

未完了の体験がなくなったら、

どうなるのかという問いかけがあります。

 

教科書的な答えは、

過去の未完了の体験に妨害されることなく、

「今ここの、ありのままの現実を体験できる」

というものです。

 

これは、程度の問題はありますが、

実際、そのようなことが起こってきます。

セッションでの取り組みを通して、

私たちの中で、ざわめくさまざまな心的ノイズが、

消失していくに従い、

より直接的に、ダイレクトに、

「現実」を感じ取れるようになっていくのです。

 

しかし、一方、

人生経験の中では、常に、

新しい未知の事態に直面していくものなので、

そこで葛藤は生じ、

それほど酷いものではありませんが、

軽度な未完了の体験(ゲシュタルト)は、

多かれ少なかれ、

創られ続けていくのです。

 

それは、ゲシュタルト療法の、

標準仕様の姿なのです。

 

しかし、ここでは、

もっとその先にある、

心の、大きな全体性という視点から、

生じて来る、未完了のゲシュタルトについて、

考えてみたいと思います。

 

ところで、実際、長年、

ワーク(セッション)を繰り返して、

心を掘り進んでいくと、

少し毛色の変わった、

「未完了的なテーマ」らしきものが、

浮上してくるというは、

あることなのです。

 

そのテーマの性質や姿は、

単純な過去の出来事に起因するのとは

違うタイプのものです。

過去の生活史を探ってみても、

その事実の中に、

その痕跡をつかまえることはできません。

単なる未完了の事柄とは、

違った印象を受けます。

 

さて、どうやら、

私たちの秘められた心とは、

より深部に潜めている、

全体性・完全性を、

実現しよう、成就しようという、

強い欲求を持っているようなのです。

 

そのため、

過去の人生にあった、

未完了の体験を完了(無く)していくと、

今度は、さらに違ったレベルの、

心の全体性を、

実現したがりはじめるのです。

 

未来の心の全体性が、

現在の人生の中に、

押し入り、侵入して来るかのようです。

それは、心の、

ダイナミックで、

創造的な側面ともいえます。

 

拙著の中では、

このことを、

人生の中に現れて来る、

「夢の力」として、

重要な事柄として取り扱っています。

 

そのため、

当スペースでは、

未完了の体験を完了させていくと、

今度は、心は、次の、
「より大きな未完了(完全性)を、

引き寄せるだろう」とします。

 

そのことは、

徒労感を感じさせるでしょうか?

しかし、 

それは、創造的で、

エキサイティングな事柄なのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 

 

 【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【第四部 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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火と大地の意識 ノヴァーリス・コンプレックス

さて、

拙著『砂絵Ⅰ』において、

私たちの存在を完成させていくのに、

必要となる、

「火」と「大地性」について、

触れました。

内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』


「火」は、

神話における、

「神の火」を盗む行為などに見られるように、

人間的次元を超えたエネルギーを、

表象しています。


また、別のところでは、
鈴木大拙の「大地性」について、
触れました。
 
「大地」というものは、
私たちの存在を、

受肉し、根づかせ、
私たちを、
より実在化・実体化させるための、
半身のように、

重要な統合的要素です。
 
それなくては、
存在の成就が起こらない、
大切な要素です。
 
ここでは、

そのような、

「火」と「大地性」について、
別の象徴的な角度から見て、
私たちの存在を深化させる、
別種の方法論を、
考えてみたいと思います。
 
ところで、

フランスの哲学者、
G・バシュラールが、

批評に使う概念のひとつに、
「物質的想像力」
というものがあります。
 
彼は、

私たちの想像力には、
その基盤となるような、
存在的な基底があると、
仮定したのです。<

そして、
その傾向性を、
作家の想像的世界のタイプから、
ギリシャの四大元素に分類しました。

つまり、

火、風、水、大地です。
 
さて、

ところで、

そのようなバシュラールの著作群の中に、
「火」と「大地性」についても、
不思議な結びつきについて、
言及している作品があります。
 
『火の精神分析』(せりか書房)で

扱われている、
ノヴァーリス・コンプレックス、

というものです。
 
ノヴァーリス・コンプレックスとは、
バシュラールが、
ドイツ・ロマン派の詩人、
ノヴァーリスの作品の中に見出した、
火と大地性に関係する、
ある力動的なイメージです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリスの作品の中に現れる、
鉱物的なイメージや、
それにまつわる、

〈熱〉の性質のあり様を追いつつ、
火と大地の交わりにおける、
摩擦や、熱、性愛(愛)、
原初の火の直観、
幸福の始原など、
そこに付随する重要なテーマを、

見出していくことになるのです。


そして、

つまりは、
「青い花」とは、
実は、
赤いのである、

と結論づけたのです。
 
バシュラールは、
ノヴァーリス本人の言葉を、

引きます。

「あなたは、
わたしの物語の中に、
光と影の戯れに対するわたしの反感と、
明澄で熱く

しかも
滲透的なエーテルに対する希求とを、
みてとることができましょう」と。
(『火の精神分析』前田耕作訳/せりか書房)
 
さて、

そのような、
ノヴァーリス・コンプレックスの中に、
見者であるノヴァーリスの、
大地を母体とした、
意識(透視力)拡張の技法、
それらを統合する、
再生(生成)のヴィジョンを、
見ていくことができるのです。


それは、

ノヴァーリス自身が、
許婚の死や、

それと関連した神秘的体験、
夜の彷徨の果てに
深化させていった幻視とも、
いえるものです。
 
そして、

バシュラールの指摘する、

ノヴァーリスの詩的性格、

つまり、

「そのポエジーとは、
『原初性』を追体験する努力である」(前掲書)
を読み込んでいくと、

私たちは、そこに、

ノヴァーリスの、

ある種のグノーシス的な性格をも、

読み取れるように、

思われるのです。


彼は、自分の思想を

「魔術的観念論」と、

呼んでいます。


例えば、

「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」などは、

どこかで、

ユングのグノーシス的なテクスト、
『死者への七つの語らい』における、
原初の神性プレローマと、

物質的・創造的なクレアツールとの、
交錯を思い出させたりもするのです。
 
そこにおいては、
透明に浸透する、姿なきプレローマは、
物質的なクレアツールの中でこそ、
受肉し、個となり、
物体化し、

存在を、成就することが、

できるものとなっています。
 

そして、

さらにはまた、

このような要素(象徴的属性)は、

心理学的な世界においては、

S・グロフ博士の唱える、

分娩前後マトリックス(BPM)の、

そのフェーズⅢの段階を、
思い出させる要素でもあるのです。
 
グロフ博士の、

分娩前後マトリックスとは、
ブリージング・セラピーの項で紹介したように、
私たちの心の奥に潜む、
出生の時の記憶です。
そして、
「分娩前後マトリックス(BPM)Ⅲ」とは、
胎児が産道を通って、
彼方に脱出(生誕)しようという状況であり、
「火山的エクスタシィ」が

体験されるともいう、
摩擦的な熱い状態でもあるのです。
 
そして、そこには、
ある種の覚醒感、
「明澄で熱くしかも

滲透的なエーテルに対する希求」
があるのです。
 
ところで、

グロフ博士は、
分娩前後マトリックスに関して、
その元型な内的体験の世界を、
芸術的に表現してる画家として、

H・R・ギーガーについて、
よく言及しています。
 
BPMⅢ的な側面だけを取り上げても、
ギーガーの絵画には、
ノヴァーリス・コンプレックスにみられる、
硬質性、胎内性、エロス、熱狂、火、恍惚が、
数多く描かれています。

しかし、それでいながら、
興味深いことに、

その絵画の奥には、
「明澄で熱くしかも
滲透的なエーテルに対する希求」

の幻視が、
感じ取られたりもするのです。
 
このようにして見ると、
一般的には、
一見「天使的な」ノヴァーリスと、

通俗的には、
一見「悪魔的な」ギーガーとが、
大地(胎内)の中における、
火の目覚め(意識)という点において、

ともに、

共通する要素を持つ幻視家であることも、
感じられて来るわけです。
 
そして、

このことは、
シャーマニズム的な見地からも、
また、
夢見(エクスタシィ)の技法からしても、
さまざまなヒントを、
投げかけてくれるものと

なっているわけなのです。


関連記事

『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

 なぜ、ゲシュタルトなのか

メニュー/料金

著作紹介

お問い合わせ

 


アウトプットとゲシュタルト療法Ⅱ

 

さて、

前回は、

ゲシュタルト療法における、

アウトプットの重視に、

ついて書きました。

 

また、それが、

日本文化の同調圧力的な、

抑圧的な世界の中では、

自立能力の育成と、

大きな可能性を持つことについて、

触れました。

 

今回は、

もう少し具体的に、

セッション(ワーク)の中において、

どのように、

表現を育てるのかについて、

書いてみたいと思います。


古典的な、

ゲシュタルト療法では、

やり残した仕事」を、

完了するために、

人生の中で、

未完了の体験となった場面を、

演劇的に再現して、

ロールプレイすることを、

書きました。

 

そして、

再現された場面の中に入っていき、

その時の情景の中に入っていき、

当時の感情になりきって、

「本当は、こう言いたかった」

のようなことを、

実際に言ってみるのです。

また、

行動をとってみるのです。

 

これは、

原理的には、

簡単に見えますが、

実際に体験してみると、

慣れないうちは、

なかなかに、

心理的抵抗が、

大きいのです。

 

芝居だとわかっていても、

想像上の空間だとわかっていても、

なかなかに、

心理的ブロックが

働きます。

動けなくなります。

 

(逆にいうと、実は、

こんな心理的な作用で、

私たちは、

普段の生活で、

動けなくなっているのです。

そのことを実感できます)


そして、

そのような、

再現場面の中で、

「あえて」

「何かを表現してみる」

「何かを言ってみる」

ということを、

やってみます。

 

「リスクを少しとって」

やってみるのです。


それは、決して、

無理に、ではありません。

自分の心が動き、

自分が、興味を持った場合に、

やってみるのです。


実際に、

やってみることは、

ほんの小さな一歩です。

 

しかし、

この一歩は、

決定的な、

「突破の一歩」

となるのです。

 

無意識は、

事実と想像とを区別しないので、

「現実の体験」として、

私たちの心理プログラミングを、

書き換えて(上書きして)しまうのです。


今まで繰り返していた
「ゲーム」を、
少し踏み出したのです。

そして、
「新しいゲーム」
をはじめたのです。

これは、
決定的なことです。

そして、

それは、

「境界を超えていく」

ことになります。

 

私たちに、

新たな自由の可能性を、

照らし出してくれます。

 

そして、

このようなセッション(ワーク)を、

なんども繰り返し、

突破することに慣れ、

表現することに慣れてくることで、

アウトプットと、

個の自立の能力、

治癒と健康の要素も、

促進されていくことと、

なるのです。

 

それは、

私たちに、

人生の、

新しい次元の啓示として、

新しい可能性を、

教えてくれることになるのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

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アウトプットとゲシュタルト療法Ⅰ

さて、

ゲシュタルト療法を

実際に経験していくと、

おそらく、

それまでの人生で、

あまり経験してこなかったような類いの、

ある「行動」の重点・推奨に、

気づかれると思います。

 

それは、

「表現すること」

または、

「アウトプットすること」

です。

 

これは、

心理療法の技法としても、

特徴的ですし、

また

日本人の文化水準から見ても、

そのように言えるかと思います。

 

なので、

ある意味、

この点で、

ゲシュタルト療法は、

日本人にとって、

敷居が高くなる面があるのと同時に、

逆に、

爆発的な効果を持つという、

ことにもなります。

 

この点が、

ゲシュタルト療法が、

特に、

日本人に対して、

大きな可能性を持つ側面といえます。

 


普通、日本では

「個人として表現する」

とか、

「個としての表現」

というものを、

あまりしない(歓迎しない?)社会です。

 

まわりに合わせて、

自分の個としての表現を、

抑圧しがちです。

集団の中に、

個人が埋没する社会です。

それが、

推奨される社会です。


一方、

ゲシュタルト療法は、

真実の欲求や感情に根ざした、

個としての自立を、

とても重視します。

 

自分が外部から取り込み、

鵜呑みにして、

自分を抑圧している作用を、

否定します。

「ノーと言える能力」

を重視し、

育てます。

そういう面でも、

ゲシュタルト療法では、

個としての能力や、

尊厳を大切にします。

 

ゲシュタルトの祈り」は、

そのような面の、

あらわれでもあります。

 

なので

ゲシュタルト療法では、

その場が、

安全・安心である、

という枠組みがあるからですが、

セッション(ワーク)の中で、

自分の、

「なまの感情」を出したり、

「なまの表現」をすることを、

大いに奨励します。

 

好き嫌いや、

肯定否定を、

明確にうち出すことを、

推奨します。


「実験として」

という枠組みで、

「少しリスクをとって」

さまざまな自己表現することを、

試してもらいます。

そのアウトプットすることが、

個の自立能力を、

高めていくからです。

 

最初は、

おっかなびっくりで、

抵抗があった、

たどたどしい表現も、

手ごたえを感じて、

慣れてくると、

だんだんと、

自分の中心から、

感情表現できるように、

なっていきます。

表現やアウトプットすることに対する、

自信がついてきます。

より、

自発的に表現できるように、

なってきます。

 

個として、

その人らしい表現が、

行なえるように、

なっていきます。

 

それは、

前記したように、

安全な空間で、

実験として、

色々と、

ロールプレイが試せるからです。

 

そして、

身内に育った自信は、

実生活の中や、

人生の選択の中でも、

さまざまに、

役立っていきます。

 

「言うべきか、言わないべきか」の、

どちらかを選ぶ段で、

「あえて言う(表現する)」の方を、

選ぶこと、

(日本人は、たいがい、

言わない方を、選びますが)

それが、

人生の可能性を、

大きく開いていくということを、

経験として、

実体験として、

勘として、

つかんでいきます。

 

そのような、

アウトプットが、

自分の内奥の命を活かす道であるとともに、

他人の魂も覚醒させる道である、

ということに、

気づいていきます。

 

この点だけにおいても、

現代日本人に対して、

ゲシュタルト療法は、

真に必要なミッションを、

持っているとも言えるのです。


フリー・ゲシュタルト・ワークスが、

よって立つ、

大切な視点でもあります。


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啐啄同時と、創造の機


さて、ここでは、

「啐啄同時(啐啄同機)」について、

書いてみたいと思います。

 

啐啄同時は、禅語であり、

有名な『碧巌録』の中にある話です。

 

啐啄とは、

つつくことを意味しており、

啐啄同時とは、

雛鳥が卵から孵る場面の描写と、

なっています。

 

啐とは、

雛鳥が、内側から卵の殻をつつく合図、

啄とは、

親鳥が、(雛鳥が、卵の外に出てくるのを助けるために)

外から卵の殻をつついて割ることをです。

そして、

この啐啄は、

同時でなければならないということを、

意味しています。

 

啐がないのに、

親が、卵の殻を割ったら、

育っていない、中の雛は死んでしまいます。

また逆に、

啐があったのに、

親が、卵の殻を割らなかったとしたら、

外に出られない、中の雛は死んでしまいます。

 

そのため、

啐啄は、同時でなければならないというのです。

啄は、

早すぎても、遅すぎても、

いけないのです。

 

『碧巌録』の中では、鏡清禅師の弟子が、

禅師に、悟りを手助けしてほしいと訴える、

そんなエピソードとして語られます。

 

そしてまた、この喩え話は、

教育における、タイミングの妙としても、

よく引かれます。

 

心理療法の世界においては、

クライアントの機が熟した時に、

「ちょうどその時に」

ファシリテーターが介入しないと、

効果的な介入にはならないことの、

喩えに使われます。

遅くても、早くても、それはダメなのです。

クライアントを活かせないのです。

 

さて、以上見たような事柄は、

実は、自分(個人)の中における、

創造性を考える場合においても、

示唆を投げかけてくれるのです。

 

以前、「大地性と待つこと」として、

私たちの、自分自身の、

成長してくれない心に対して、

待つことの重要性について触れました。

 

私たちの心が「啐」として、

内側からノックして来るまで、

忍耐して、待たなければならないこともあるのです。

気が急いて、卵の殻を割ってしまったために、

中の、まだ十分の育っていない心の力が、

死んでしまうこともあるのです。

外に出るのに、

十分な保育・養成期間というものが、

あるのです。

 

また一方、逆のケースもあります。

 

「啐」として、

内側から、心の創造力がノックしているのに、

外に出してあげなくて、

中の心が、死んでしまう、

ということもあるのです。

 

以前、「アウトプットの必要性」についても書きましたが、

現代の社会は、インプットすることが通例で、

個人的体験の価値や、個の創造性の発現が、

ないがしろにされている社会です。

そのことのせいで、

個人が、無力化し、衰弱している社会です。

現代においては、この側面での問題が、

多いのでは、ないでしょうか。

 

しかし、啐が起こり、

内部の機が熟しているのに、

創造的なアウトプットをしていかないと、

殻の中の心は、死んでしまうものです。

 

このような場合、

自分で、自分に、場や機会を与えて、

高まる内部の心や創造性を、

殻の外に、解き放っていくことが、

必要です。

 

これは、現代における、

個人の無力化や閉塞感の中で、

当スペースが、

特に重視している側面でもあります。

 

啐啄同時の喩えは、

そのような心の創造性の機微を、

教えてくれてもいるのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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弟子に準備ができた時、 師が現れる

「弟子に準備ができた時、

師が現れる」

という言葉があります。

 

この不思議な共時性は、

実際に、働いている実感があります。

 

ただ、対人関係を、

心理学的な投影関係の中で考えると、

このことは、

案外、普通の事柄とも言えます。

 

人は、

自己の心理的な成長とともに、

自分の中に芽生えて来た、

創造的な因子を

(鏡に映すように)

外部の他者に投影するようになり、

他人の優れた美質を、

見出しやすくなるとも、

言えるからです。

つまり、

内実の成長とともに、

他者の中に、

「師」(未来の可能性の自分)、

を見出しやすくなる、

というわけです。

 
 

………………………

 

さて、私たちの中には、

「複数の自我」がありますので、

それぞれの自我に、

対照するような形で、

外部の他者に、

萌芽しつつある、

その自我要素を見出していきます。

 

私たち自身が、

自己の中に、未だ端的に感じ取れない

心(自我)の要素を、

他者の上に、見出していくのです。

 

そして、

それらの他者との交流を通して、

その要素(自我)が、

だんだんとくっきりと育っていき、

自己の重要な属性に、

なっていくのです。

 

そして、

成長の果てに、

かつては、自分が目標とした人の、

或る美質が、

自分の中にも育って来たことを見出して、

深い感慨を得ることになります。

 

ヘルマン・ヘッセの小説、

『デミアン』は、

タイトルどおり、

魔霊(demon)のような、

不思議な友人()をめぐる、

ある青春の物語です。

 

批評家のブランショも指摘するように、

この物語自体が、

話り手の白昼夢であるような、

不思議な肌触りを持った小説です。

 

描かれる出来事も、

通常の日常的現実を超えるような、

どこか夢幻的な光輝を帯びています。

 

さて、その物語は、

戦地で砲弾を浴びた、

(死に近くいる)

主人公が、自分の心の中に、

かつての卓越した友人()のような、

自己の存在の姿を、

見出すところで終わっています。

これは、

上記で見たような事柄を考えると、

納得的な結末だといえるでしょう。

 

そして、

そのようなことは、

実際にあることなのです。

ザ・ポップ・グループの教え 怒り・テロ・絶望


さて、ここでは、
先日(2015.3.1)、来日した、
イギリス、ブリストル出身のバンド、
ザ・ポップ・グループTHE POP GROUPについて、
書いてみたいと思います。

彼らは、
1970年代末のロック音楽シーン、
パンク、ニューウェーブの流行の中にあって、
音楽面での創造性と
アクティブな姿勢とが、
群を抜いていたバンドでした。

初期に関わりをもった、
ストラングラーズのメンバーが、
当時のポップ・グループは、
物凄いハードロックをやっていたと、
語っていたので、
おそらくそんなところから、
出発したのでしょう。

そこから、バンドの成長とともに、
ダブ、ファンク、フリージャズを、
急速に同化しつつ変態し、
飛躍的に先鋭化していったものと、
思われます。

そのような探求の果てにつくられた、
セカンド・アルバム、
For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?
は、一種の極限的な音楽であり、
ロックという形式を、

乗り越えてしまっていると同時に、
さまざまなフリー・ミュージックの中にあってさえ
強度、濃密さ、創造性において、
類い稀な作品となったのです。

そのような創造的な共同体が、
人間のグループとして、
長期的に維持継続できるわけもなく、
歴史的には、
瞬く間に、消えたのでした。

さて、そんな彼らも、歳月とともに、
長年のわだかまりも解けたのか、
グループを、再結成することになったのです。

しかし、実際のところ、
再結成などしても、
老醜をさらすのが、世の通例なので、
傑作を創った、伝説のバンドのままで、
いてほしかったというのが、
本音のところでもありました。

しかし、
単独来日するとなれば、
これもまた、一応、歴史の目撃者として、
見ておかなければしょうがないということで、
まったく気乗りのしないままに、
ライブ会場に、おもむいたのでした。

しかし、
実際に見た、ポップ・グループは、
予想を大きく裏切り、
まったく錆びついていなかったのでした。

むしろ、歳に反して、
その精神の生きた尖鋭さが、
明瞭に感じとれる類いの、
ものだったのでした。

もちろん、音楽に、
往時の肉体的テンションを、
求めるべくもありません。
しかし、
その切れ味の鮮度は、
こちらの感覚を、
充分に刺激させるものだったのです。
なによりも、歳をとっても鈍っていない、
その尖鋭さに、感心したのでした。

音楽的には、かつてからあった
時間感覚の良さが、
細部に健在であり、
力強さを感じさせました。

しかし、
歳とった彼らを、
なおも鈍らせないものとは、
なによりも、その音楽的身体と一体化した、
精神的な姿勢だったのでしょう。
そのことが、
明瞭に伝わってきたのでした。

ヴォーカルのマーク・スチュワートは、
かつて、インタビューで、
もっとも伝えたいことは
「怒りだ」と答えていました。

たしかに、
昔のセカンド・アルバムには、
怒りの、烈火のような、
火のような感覚が、
充ちていました。

それは、一種、
神話的(不動明王的)といってもいいような
精神的な火の感覚でした。
(仏教には、憤怒尊という、
仏の一群がいます)

マーク・スチュワートは、
バンドの精神的な側面を、
体現する人物ですが、
その怒りの表現は、彼らを錆びつかせない
エッジを研ぎつづける触媒でも、
あったわけです。


◆気づきをもった、怒りの効能

さて、ゲシュタルト療法が、
心理療法の中では、
怒りの表現を、
大切にするのは、
特徴的な点です。

ゲシュタルト療法では、
気づきとコンタクトした、怒りの表現を、
とても大事なことと考えているのです。

セッション(ワーク)の中でも、
自分の中にある怒りに気づき、
ごまかさないで、それにコンタクトし、
表現できる能力を、重視します。

きちんとコンタクトされ、
統御された表現を得ている、
怒りのエネルギーは、
パワーと健康さの証です。

抑圧され、排除された怒り、
表現されない怒りにこそ、
ゆがみが、病が、
蔓延するのです。

表現することを奪われた怒り、
抑圧(弾圧)された怒りは、
解離を起こし、暴力となります。

たとえば、テロとは、
怒りの表現ではありません。
怒りの存在(尊厳)や、
表現を奪われた果てに現れた、
絶望の表現です。

健康な怒りの表現においては、
それを行なう「主体」があります。
テロの絶望においては、
主体が、すでに毀損(破壊)されています。
だから、自爆的なテロもなくならないのです。
そのような、コントロールを失った絶望は、
世界にきりなくあるからです。

さて、世に蔓延する、
低劣なものに対する、
正しい怒りの感覚や、
怒りの表現は、

正義の賦活剤、
精神的覚醒の賦活剤、
人間の創造的運動の触媒になります。

精神を、錆びつかせないままにする、
尖鋭さとなります。

その歴史的偉業と較べれば、
ずいぶんと小さなライブハウスで、
ザ・ポップ・グループは、
そのことを、教えてくれたのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


 

 



 



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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マイルス・デイヴィスの存在力・共振力

さて、

拙著『砂絵Ⅰ:現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』の中では、

その人の持つ「存在」の力が、

独特の力を発揮する事柄について、

少し触れました。

 

ここでは、

そのような存在力と創造性とに

関わる事例として、

マイルス・デイヴィスを、

取り上げてみたいと思います。

 

マイルスは、著名なジャズ・ミュージシャン、

トランペット奏者ですが、

マイルスを聴く人が、不思議に思うことがあります。

 

マイルスとともに活動にした、

数多い共演者たちは、

なぜ、彼らの生涯最高の演奏を、

しばしば、マイルスとの共演で持つのだろうか?

彼らは、マイルスから、

どのような影響を受けるのだろうか?と。

 

ここに、創造性に関わる、

存在の深い力についての秘密が、

あるように思われます。

 

このことに、光を当てる、

興味深いドキュメントがあります。 

1970年のワイト島の、

ミュージック・フェスティバルの映像、

『エレクトリック・マイルス』に付けられた、

生涯の共演者たちによる、

マイルスについての無数の証言です。

 

そこには、創造性にまつわる、

さまざまなヒントが、

当事者たちから、

生々しく語り出されています。

 

「あれほどパワフルな人と同じ空間にいると、

自分のパワーも自然に出てくる」

  デイヴ・ホランド

 

「歴史を振り返っても大勢が言うと思う。

マイルスとの演奏は、

誰も、他で再現できなかった。

その時しかできなかったんだ。

変わったわけじゃない。

マイルスと一緒に演奏した時は、

彼に力を引き出されたんだ」

  デイヴ・リーブマン

 

「マイルスは素晴らしい。

ずっと自分を与え続けたんだ」

  ジャック・ディジョネット

 

「マイルスは僕らに何かをくれたんだ。

言葉では表せないものを。

マイルスと組んだ人と会って、

マイルスの話題が出ると、

思わず皆、頷くんだ。

共通する体験があるから分かるんだ。

マイルスとの仕事で得たものは、

上手く言葉にできないけれど

なんというか、

一度経験すると、忘れられない」

  ハービー・ハンコック

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 

 

  

 

 

 


アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

adolf-wolfli

Adolf Wolfli (1864-1930)




 

アウトサイダー・アートには、

さまざまな魅力があります。

 

その魅力を語る、決定的なロジックがないにも関わらず、

多くの人が、そこに強い魅力を感じているようでもあるので、

アウトサイダー・アートには、

私たちの精神に、独自に働きかける、

要素があるのだと思われます。

 

筆者にとって、

アウトサイダー・アートの魅力とは、

まず第一に、植物や昆虫のような、

原初の自然を予感させる、

その無尽蔵さにあります。

 

とりわけ、その夢魔のような、

尽きることない「反復性」です。

同じ作品内における形態の反復もそうですし、

同じ(ような)作品を、

何千枚何万枚も作り続ける

無尽蔵の反復エネルギーです。

一種、非人間的なエネルギー、

抑制のない徹底的なエネルギーを、

感じる点です。
 

実は、それこそ、

私たちを駆り立て、突き抜ける、

「夢見の力」の特性と考えられるからです。

 

そのため、アウトサイダー・アートの

反復性・回帰性に触れていると、

私たちは、一種、変性意識状態別種の意識を、

まざまざと感じさせられる気になります。

夢魔のような変性意識(ASC)に、

巻き込まれていくのです。

 

かつて、ハイデガーは、

ニーチェの永劫回帰の思想を、

「等しきものの永遠なる回帰」と、

呼びました。

 

ニーチェの永劫回帰の思想とは、

この今ここの出来事が、この瞬間が、

まったく変わらぬ姿で、

永遠に回帰するという、

夢魔のような、容赦ない存在肯定の思想です。

 

(そのため、ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「救済」とは、過去の「そうあった」を、

「私がそう欲した」に変えることだと語らせたのです。

私たちが、永劫回帰を生き抜くには、

変わらない、今ここを追い抜くくらいの、

肯定の強度が必要となるわけです)

 

アウトサイダー・アートの或る部分には、

「等しきものの永遠なる回帰」と似た、

生の厳粛な肯定性、無尽蔵さがあるのです。

 

さて、魅力の第二の点として、

「徹底的な直接性」という要素があります。

これは、植物的・昆虫的な無尽蔵さ、

その絶対的な肯定性とも重なりますが、

文化に飼いならされていない、

剥き出しの直接性と無尽蔵さを、

感じさせられる点です。

(なま)の沸騰の感覚です。

 

創造性の根底にある、

容赦ない〈自然〉の直接性を、

感じさせられる点です。

 

そして、上記の二つを通して、

私たちは、不思議な〈郷愁〉に導かれます。

それは、幼児の、

物心つくかつかない頃に感じていた世界のようです。

現在でも、私たちは、

このような、生の基底部の感覚を、

生の原型の姿として、

どこかに持っているような気がするのです。

 

アウトサイダー・アートの世界は、

そのようなことを、

私たちに感じさせてくれるのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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サバイバル的な限界の超出 アウトプットの必要と創造性

さて、現代の生活において、
個人の体験の中で、
「物事をインプットすること」と、
「物事をアウトプットすること」を、
較べた場合、
「インプットすること」の方が
圧倒に多いのではないでしょうか。

一般に、私たちの中では、
何かを享受して、時間を消費することの方が、
大勢を占めているのではないかと思われます。
現代は、何もせずとも、
膨大な物事や情報を与えられてしまう環境に、
なっているからです。

しかし、
このことは、私たちから、
生きる力・創造力を、
奪うことでもあります。

個(個人)が生きる能力を拡充させる、
という点で考えた場合、
アウトプットする(外に出す)ことを鍛えることこそが、
私たちの生存力、
生きるサバイバル能力を、
高めていくといえるのです。

インプット、つまり、
他からの享受ばかりをしていると、
私たちは、
自己の内にあるものを生成させていく能力や、
自らを乗り越える力を、
退化させていくこととなります。

というのも、
アウトプットする(外に出す)ことは、
自己の内部にある、
リソース(資源)やスキルを練りあげ、
他者に、価値として展開していく、
という意味合いで、つねに、
「自己の価値」や、
「自己の限界」に、
直面する作業となるからです。

そこにおいては、
自己の人生経験の中身、
スキルや能力が問われ、
独立性や自立性の程度が、
問われるわけです。
「お前は、何者であるのか?」
と問われるわけです。

そのため、
アウトプット(外に出す)の作業に取り組むことは、
自己の限界を知り、
自己を超えていこうとする、
局面に、つねに、
人を直面させることとなるのです。

ところで、
人間が、元来、自然の中で、
サバイバルして生きている時代には、
そのような局面に、
いつも直面していたわけです。

自然界は、巨大かつ過剰な存在であり、
いつも、予測不能な力で、
人間に襲いかかって来るからです。
そこにおいては、
人は、
自己超出的、自己刷新的でないと、
生き残れないということです。

現代でも、
山奥などに入っていき、
文明的な補助を失うと、
人は、自身の脆弱さを、
痛感することとなります。

そのような意味合いで、
アウトプットに軸足をおいて、
日々の生活を、
自己の限界に接して生きることは、
自己超出や創造性開発の錬磨としても、
とても重要な姿勢であるのです。

さらには、
アウトプットには、
元となる栄養素としての、
インプット(経験や技能)も必要なのですが、
上記のようなサバイバル的錬磨は、
私たちに、
必要なインプットを見つける、的確な感度(判断力)や、
世の中で流布されているマヤカシの情報を、
回避する能力を、
与えていくことにもなるのです。

そのことで、私たちは、
より本来的な野生の力を持って、
生きていくことができるのです。

 

おもろないやん

別に、拙著の中では、
道化の持つ創造性について
触れました。

私たちの心の中にある、
トリックスターのような、
ユーモラスで、壊乱的な、

創造力の要素(作用)についてです。

 

私たちの心の中には、
退屈な物事や生活を
くつがえし、かきみだし、
笑いを浴びせかけ、
物事を、リフレッシュに刷新する、
心な元型的な作用、

創造的な要素があります。

これは、停滞しがちな、
私たちの人生を、
豊かにする重要な霊感、
視点でもあります。

ところで、

関西では、

よく「おもろいこと」を
重視します。

 

時々の人生の選択肢で、
どちらにしようか迷った時に、
多少、リスクがあっても、
心が生き生きとする、
「おもろいこと」の方を、
選択していこうとする
心性でもあります。

それは、危険を取っても、
人生を、面白がり、
冒険していこうという、
心の奥の、内発的創造性の働きです。

逆の言い方をすると、
安全で、手堅い、
昨日と同じ、

変わり映えのしない、
見慣れた人生の風景の中で、
退屈に生きていくことを、
「おもろないやん」
と、拒否する心性です。
心の反撥力でもあります。

私たちにとって
生を沈静化し、
退屈にする最大の敵とは、
慣性・惰性です。
毎日の生活習慣です。

G・I・グルジェフは、
そんな人間の変わらない、
習慣的なシステムについて、
警鐘を鳴らし続けました。

 

「もし、君たちが、明日を違ったものにしたければ、

まず今日を違ったものにしなければならない。

もし、今日が単に昨日の結果であるなら、

明日もまったく同様に、今日の結果となるだろう」 

―G・I・グルジェフ  (ウスペンスキー『奇蹟を求めて』(浅井雅志訳、平川出版社)

 

昨日と同じことをやっていても、
人生は、まったく変わらないのです。

 

今日、「何か」違う、新しいことを、

行なわなければ、
「昨日のような明日」が、
続くだけなのです。

一生、
「昨日のような今日」を、

「今日のような明日」を、

生きるだけとなってしまいます。

惰性で繰り返される毎日を、
職場の仕事を、生活の細部の行ないを、

「おもろないやん」

と拒否することが必要なわけです。

 

少しだけ違った、
新しい「おもろいこと」を、
試してみること。
創造的への道を、
微細ながらも切り開いてみること。

そのことが、
私たちの人生を
少しずつ、確実に、

変えていくことになるのです。


 

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日常生活のクラウニング

 

・自分の好きなことを見つける

 

・自分を受容し、尊重し、楽しむ

 

・他者とより創造的に協力しあう。

 

・寛容な精神を生み出す。

 

・自分のペース、リズム、タイミングを発見する。

 

・自分をもっと効果的に表現する。

 

・深い層の高次の自己に自分を明け渡す。

 

・遊ぶ能力を快復する。

 

・古いパターンを破る。

 

・心の制約から自由になる。

 

・他人とものを尊重する。

 

・現在の瞬間のすみずみに注意を向ける。

 

・あらゆる状況下で、自発的で建設的な行動をする能力を高める。

 

・ストレスをなくす。

 

・自己の内なる能力に自信を持つ。

 

・新しいコミュニケーションの形を実験する。

 

・共感をもちながら自分と他者を笑う。

 

・心を開放する。

 

 

リッキー・リビングストン

(吉福伸逸訳)



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リスク・テイカー 危険をとっていく者

危険をとって生きている者は、

どんなことを、

その感覚のうちに、

知っているのでしょう。

 

通常、私たちは、「合意的現実」の中で、

その因果律の中で、

予測可能な現実を、

選んで生きています。

その場合、

私たちの見る未来は、

想定可能な未来でしかないでしょう。

 

しかし、

ギャンブラーのような、

リスク・テイカーは、

想定可能、予測可能ものの向こうに、

身を投げ出して、

冒険していくことを好みます。

 

おそらく、

その感覚と経験のなかで、

私たちが想定するもの以上の

ものを見ているのでしょう。

それは、

賭けと危険の感覚の中で鍛えられた、

野生の感覚、透視力と言えるでしょう。



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