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トランスパーソナル心理学

変性意識状態(ASC)とは何か advanced編「統合すれば超越する」

さて、別のセクション「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、基礎編として、変性意識状態の基本事項や、その周辺事項について記しました。

ここでは、上級編として、さらに一歩進んで、では、
「変性意識状態を充分に深めていくと、何が起こるのか」
「変性意識状態を充分に深めていくと、本当には、どのような変容が可能なのか?」
「そのような本当の変容を実現するためには、何が必要なのか?」
「そのような状態を常態化し、人生の創造力とするには、何が必要なのか?」
について書いてみたいと思います。

これは、上級編ですので、基礎編の「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」の方が、よく理解されていることが前提となっています。よく熟読して、理解を深めていただければと思います。



【内容の目次】

  1. 変性意識状態(ASC)の諸相
  2. 軽度な変性意識状態
  3. 極度な変性意識状態
  4. 東洋的モデル(諸相)の示唆
  5. 統合すれば超越(超脱)する 超越的次元、トランスパーソナル(超個的)とは
  6. なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
  7. 真のコントロールに必要なもの 伝統的シャーマニズムの教え
  8. 行きて帰りし旅 ―英雄の旅、而今の山水

1.変性意識状態(ASC)の諸相

まず、一口に「変性意識状態」と言っても、変性意識状態(ASC)のタイプは非常に多岐にわたっています。大きく分けると、「軽度なもの」と「極度なもの」です。
変性意識は、日常意識との対比によって、定義されるものなので、別の言い方をすると、その変性意識状態に入った時に、「日常意識がどの程度残っているか」によって、「軽度なもの」と「極度なもの」を大別できるというわけです。当然、それは「どちらか」に截然と分けられるのではなく、段階やグラデーションとして、どっちにより近いかという相対的な区分となります。

 

2.軽度な変性意識状態

軽度の変性意識とは、この日常意識が、多く残っている状態です。その場合、私たちは、日常生活の延長として、変性意識を体験します。
例えば、酒に酔っぱらっている状態があります。軽く酩酊している場合もありますが、意識が失われるほど強く酔って、翌日何も覚えていないということもあります。
しかし、そのことによって、知覚される「リアリティ(現実感)」が変わってしまうということはありません。日常生活の延長として、変性意識状態を体験しているわけです。
「夢」は、普通に眠って見ている時は、夢を見ている実感はありません。日常の現実と思って体験しています。しかし、内容的には、相当に非現実的であったり、ぶっ飛んだあり得ない内容です。しかし、夢から覚めると「夢か…」と日常意識に普通に戻ります。リアリティ(現実感)が変わることはありません。
しかし、夢の中には不思議な力を持っていて、夢から覚めた後も、強い眩暈を持って、日常意識やリアリティ(現実感)に強い影響を持つものもあります。中には、リアリティを一変させてしまうものもあります。その場合は、強い変性意識と言えるものとなります。個々のさまざまな具体的事例によって、変性意識の強度というものはあるのです。

 

3.極度な変性意識状態(ASC)

ところで、変性意識状態の中には、そのような強い変性意識状態があります。
別に引いた哲学者ウィリアム・ジェイムズの有名な言葉を見てみましょう。

「…それは、私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」

ジェイムズ『宗教的体験の諸相』桝田啓三郎訳(岩波書店) ※太字強調引用者

それでは(基礎編でも引用しましたが)、実際に少し、極度な変性意識状態の事例をいくつか見てみましょう。
以下は、或る精神科医が、治療用幻覚剤LSDの体験セッションの中で、
自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長した体験の報告となります。

「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
 卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分化と新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)

次の人物は、同じくLSDの体験セッションの中で、もはや自分や生き物でさえなく、「自分を、鉱物の意識状態と同一化していく」という非常に奇妙な体験をしていきます。

「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)

 それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
 私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
 ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者)

これらは、ほんの一例ですが、サイケデリック・セッションとその研究の中では、このような不可思議な体験を数多くすることになります。
次の例は、人が死にかけた時に体験する、臨死体験(NDE)の報告事例です。この若い女性は交通事故に遭ったのです。

「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」

スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者

そして、このような極度な変性意識状態での感覚(リアリティ)と、この日常意識との「連絡をどうつけるか」が、さらにいうと「どう統合するか」が課題というわけです。
そして、それは実際のところ、そうなのです。
そして、そのような連絡や統合は可能であり、実は、長い人類の歴史の中で考察されてきたものなのです。
それを以下に見ていきたいと思います。

 

4.東洋的モデル(諸相)の示唆

さて、なぜジェイムズが、引用文の最後に「それは正常意識とは全然つながりがないからである」のような言葉を吐いたのか。それはとりわけ彼が近代のアメリカ人であったからという理由があります。近代西洋世界には、それを扱う世界や方法論はほとんどなかったからです。
実際、このような実践的な事柄を検討するのに当たっては、長い歴史の中、「東洋世界」で探求されていたさまざまな思想や方法論が大変参考となるのです。
ところで、奇妙なことですが、私たち現代日本人は東洋人なのですが、近代になって、軍事的・経済的な必要性から、「西洋近代主義」「西洋科学主義」に順応することで、この東洋的思想・実践の大部分を失ってしまっています。しかし、感性の部分では、まだそのあたりを理解する能力が多少残っています。ただ一方、日本人に多い、権威主義、順応主義、同調圧力のために、そういう側面を「抑圧/排除」することにもなっているのです。
ここでは、そのような東洋的な世界観を援用することで、どのようなアプローチが可能なのか見ていきましょう。

ところで、別でも取り上げている、トランスパーソナル心理学(現在はインテグラル心理学を名乗る)のケン・ウィルバーは、現代心理療法と東洋思想を統合(インテグラル)しようと試みた理論家です。
「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」

その際、彼が準拠しているのは「インド的なモデル」です。このモデルは、他の東洋諸国のものとほぼ同型であり、近似しているので、ここでは、それを例にとりあげて、仮説のひとつとして色々と検討してみたいと思います。

さて、上の1番目の図のような三区分を、ケン・ウィルバーは採用しているのですが、これは、インドでよく使われている区分です。
「粗大領域」「微細領域」「元因領域」と三つの次元があります。この先に、だいたい「究極/ワンネス」があります。

これは、実在領域の階層であり、物質的次元も、意識も、身体も、このような領域に分かれているということです。そして、相互に浸透しあっているということです。
私たちが、どの領域に、同一化(同調)しているかによって、体験される世界やその混合具合も違うということです。

各流派によって、細部は変わりますが、大きくは似たような区分となっています。「仏陀の三身(法身・報身・応身)」なども同系統の区分です。
図式に従えば、普通の私たち現代人が、「現実」だと信じ込んでいる世界は、すべて「粗大領域」の出来事です。
心の世界も、物理的現実も、すべて粗大領域です。
私たちの普通の日常意識は、すべて粗大領域です。
普通、私たちの大部分は皆、粗大領域だけを「現実」だと思い、粗大領域の中で一生を終えます。

しかし、ある種の変性意識状態の中では、実は、図のような「微細領域」「元因領域」を体験することがあるために、日常意識では、その実態をよくとらえることができないのです。
この日常意識を充分に解放し、溶解し、流動化し、変容させていくことで、私たちは「微細領域」等に触れたり、扱えるようになっていくのです。
(カルロス・カスタネダのいう「人間の形をなくす」という考えは、こういう領域の考え方と思われます)

まずはじめ、ここで論点としたいのは、まずは「微細(サトル)領域」です。
それは、この領域は、私たちにとっても、比較的なじみのある領域だからです。
なおかつ、まず「実際に体験されていく」のが、この領域だからです。
気功でいう〈気〉や、ヨガでいうプラーナなどが、微細領域の存在です。また、そこにある〈微細な意識〉です。その意識状態は、この私たちの粗大な意識ではありません。
東洋に限らず、世界中の宗教の中では、如来や精霊、天使たちの住んでいる次元の領域イメージとして、このような中間領域がよく語られています。
「微細(サトル)領域」それ自体も一様ではありません。非常に多様で多次元的であったりしているのです。だから、その形態や世界もさまざまなです。

しかし、この微細領域は、現在の西洋科学では検出されない領域です(チャレンジはされています)。そのため、科学的な意味では、厳密なことは何も言えません。
通俗的に安易に結び付けられる「量子論」も、粗大領域の世界なので、ここにはあてはまりません(そういう人の中にもまともな素養の人はいますが)。

そして、気功でいう〈気〉も、ヨガで身体を流れるプラーナも、科学的には検出されないエネルギーです。
体験している人には分かるけれど、計器では検知できないものとなっています。計器に引っかかるのは、「粗大領域」のものだからです。
そういう意味では、〈意識〉そのものと似てるともいえます。

しかし、真摯な探求者(修行者)の実践現場のレベルでは、これらの行を充分に修練習熟していくと、程度の差はあれ、そのエネルギーを実際に感じとれるようになっていき、傾向性や操作性もつかめるようになってきます。

ところで、(元々そのようなことを狙ったものでは全然なかったのですが)体験的心理療法や心身一元論的セラピー(ボディワーク・セラピー)では、日常生活では行なわないような、心身の深いレベルでの感情(エネルギー)をダイナミックに解放(放出/爆発)するということを繰り返していくので、通常の人々より、このようなエネルギーを体験しがちであるということが、わかってきました。その点、心身一元論的セラピーの開拓者W.ライヒが、西洋人にも関わらず、晩年に(検知されない)「オルゴン・エネルギー」について語り出したのは、象徴的な出来事ともいえるでしょう。そして、そのことが原因で「獄死」したのは、さらに二重の意味で、象徴的な出来事ともいえるのです。

実際のところ、深い心身のエネルギーが流動化し、解放されることで、知覚力が鋭敏になり、場合によって、微細なエネルギーを感知できるようになってしまうのです。
筆者の身の回りでも、体験的心理療法を熟練する中で、そういうものを感じとるようになったという人は数多くいます(筆者も最初は驚きましたが、あまりに普通に起こる現象なので、だんだんと受け入れ、慣れていきました)。
現場では「からだが開く」などと言ったりもしますが、知覚のチャンネルが開いてしまうのです。
そして、そういう「微細領域」の次元を実際に体験すると、人生はまったく違う多次元的な展望を持つようになるのです。

西洋人が、現代科学で検出されない、微細領域のエネルギーを本気で考えるようになったのは、広い意味では、西海岸の体験的心理療法の影響ともいえます。「実際にそれを感じとる人」が多く出てきてしまったからです。その結果、大学機関などでも、なんとかそのエネルギーを科学的に検出しようと奮闘したのでした。
ケン・ウィルバーは、ゲシュタルト療法のような、心身一元論的セラピーのことを、そのイメージから「ケンタウロス(半人半馬)」のセラピーと呼ぶのですが、上のような状況を次のように語ります。非常に
わかりずらい文章ですが、見てみましょう。最初のところは、心身一元論的セラピー(ケンタウロスのセラピー)が、いかに剝き出しの原初的な(野生の)感覚を覚ますかの指摘です。

「自我的、文化的な図式化の被覆を取り除かれた感覚意識そのものが、覚醒時の領域に衝撃的ともいうべき鮮明さと豊かさを持ち込んでくる。さらにここまでくると、感覚意識はもはやただの“植物的”ないし“動物的”なものでも、単に“有機的”なものでもなく、より高次の微細(サトル)エネルギーや超個的な諸エネルギーの流入した一種の超感覚的意識になってくる。
 この“超感覚的”意識は、多くのケンタウロス・セラピストによって報告されており(ロジャーズパールズほか)、ダイクマンによって論ぜられ、神秘的洞察の初期段階の一つとしても知られているものである(人がケンタウロスのレベルに上昇し、さらにそれを超越するにつれて現れる)。 (中略)
 実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影(シャドウ)のより高次の統合であるばかりでなく、同時に、さらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある(スタニスラフ・グロフの研究は、これを強力に裏づけるものであることに注意)。このことは、ケンタウロスの“超感覚的”モードについても、直観、志向性、ヴィジョン・イメージといったその認識プロセスについてもいえることである。それらはすべて、超越と統合を実現したより上位の領域の前ぶれにほかならない

ケン・ウィルバー『アートマン・プロジェクト』吉福伸逸他訳 (春秋社)
(※太字強調は引用者)


ところで、普段の私たちは、「どんよりした」「鈍重な」粗大領域にいるので、微細領域を知覚することができません。知覚力のフィルターが「目詰まり」していて、微細な情報を感じとることができないからです。

微細領域を真にとらえていく(統合していく)ためには、「鈍重な」粗大領域の心身を解放し、溶解し、練り上げ、流動化させ、純化させることが、真に必要なのです。
これら、さまざまな東洋的なアプローチが、心身の変容を狙う「行」の形式をとっている理由でもあります。

ところで、ジェイムズが話題にしたような極度な変性意識状態では、このような「微細領域」を体験するということが起こってしまうのです。そのため、「正常意識とは全然つながりがない」というような感想を持ってしまうというわけなのです。普通には、それら「微細領域」のものは、「鈍重な」粗大領域の意識からでは「全然つながりがない」ものなのです。

このような「リアリティ(現実性)」に関して付言すると、例えば、ユング心理学の流れにあるプロセスワークの創始者ミンデル博士(彼はMITで量子物理学を研究していて、途中でユング派に転向した人です)は、私たちが通常、常識的に「これが現実だ」と見なしている現実に対して、「合意的現実 consensus reality 」という言葉を与えています。
「合意的現実」とは、皆が「現実」と見なしている(合意している)ことによって「現実」となっている「現実」という意味合いです。
実際は、「現実」ではなく、「幻想」であるということです。いわゆる「共同幻想」というやつです。
実は、私たちの日常の「現実感」とは、基本的にはそのようなものなのです。
例えば、日本の現代社会では、一般に「科学的であること」を「現実であること」と思い込んでいますが、それは、学校教育によって作られた「合意された任意の現実(虚構)」ということです。そこで自明に「現実」とされているものは、「現代科学という合意的現実(虚構)」、さらには「科学的であることは現実的」という「幻想/信念体系(ビリーフ・システム)」に過ぎないということです。
また、現代日本人がそう考えがちなのは、真理への考察(探求)からではなく、「まわりの皆がそう言っているから」「エライ人がそう言っているから」「親にそう教えられたから」「学校でそう教えられたから」「ネットでそう言っているから」という、ボンヤリした権威や他者への迎合傾向という国民性に過ぎません。自分で深く感じとり、考え尽くしたからではありません。
海外に、各国民性を皮肉った笑い話があります。難破する大型船から、危険な救命ボートに、飛び乗らせるためのセリフです。アメリカ人に対しては「今、飛び移れば、あなたはヒーロー(英雄)になれますよ!」、イタリア人に対しては「今、飛び移れば、あなたは女性にモテますよ!」、日本人に対しては「他の方々も、みんなそうしてますよ!」という具合です(笑)。海外ではすでに見抜かれてしまっているわけです。
また、「宗教」「信仰」などの現実を考えれば、この「合意的現実(虚構)」がよくわかるできるでしょう。その「宗教(合意的現実)」の外側の人が、法外な献金額と見なす金額でも、その「宗教(合意的現実)」の中にいる人にとっては「普通の現実」です。何もおかしいことなどないのです。

特に「同調圧力」「空気」「権威主義」「横並び主義」の強い日本社会では、そのような広義の「政治的力」が「現実観」を深く強く規定しているのです。
精神科医のR.D.レインは「経験の政治学」とも呼びましたが、「個人的な体験(経験)」でさえ、そういう「内面的なレベルの政治/抑圧」によって価値が収奪/否定されてしまっているというわけなのです。このことは、極度な変性意識状態のようなデリケートな個人的体験を考察するにあたっては特に重要な事柄です。セッション現場では、クライアントの方の中から、このような個人的な変性意識体験についての、社会的価値に関する葛藤や苦悩がよく出てきます。「こんなことをいうと、頭がおかしいと思われるかもしれませんが…」とは、よくよく聞くセリフです。筆者にとっては、何もそんなことはない内容(変性意識事例)なのですが、「合意的現実」と合わないということで、そういう感情を抱いてしまうのです。
また付言すると、このような「内面的なレベルでの政治的抑圧」が、日本人の間から、まわりとは違う、飛躍的発明が出にくい理由でもあります。
そして、総じていうと、これらの現象は、哲学者ミシェル・フーコーのいう、「近代社会の『内面化』とは、統治権力の監獄監視の『内在化』である」という現象そのままであるということです。統治権力側(主流の既得権益者)は、家庭や学校の教育を通して、個々人の中に、「罪悪感」「自責感」「自己懲罰感」として、自分たちの価値観(価値感情)を埋め込んでおけば、コスパよく、自分たちの望むように大衆心理を操作できるという仕組みです。大衆に「私は自分自身で主体的にそれを選んで行なっている」という幻想/幻覚を植えつけることができるからです。それらは、幼少期の私たちにとっては、精神分析でいうところの「取り入れ/取り込み introjection」の作業となり、人格の中の確固とした一部となるのです。

5.統合すれば超越(超脱)する トランスパーソナル(超個的)とは 

さて、普段の「どんよりした」「鈍重な」粗大領域でできている私たちが、微細領域にあるものを充分つかまえるには、何が必要なのかについて見ていきたいと思います。
ところで今、「粗大領域でできている」と書きましたが、正確に原理を表現すると「粗大領域に同一化している」ということになります。
インド的・東洋的な観点においては、〈意識 consciousness〉が「粗大領域」に同一化(癒着/固着)してしまっているために、私たちは自分や世界を「粗大領域」だけのものだと思い込んでいるということになります。

ちなみに、この「意識」という言葉を、私たちが通常使っている意味での「意識」と解釈すると、少し意味が分からないでしょう。私たちが通常「意識」という時、この自分の自意識(西洋哲学でいえば現象学などが指すこの「意識」)だけを「意識」と呼んでいます。一方、インドの宗教哲学思想が指すこの「意識」とは、「ブラフマン(梵天/至高神)は、サッチダーナンダ(存在・意識・至福)である」という時に使われているような〈意識 consciousness〉です。つまり、万物に遍在していて、鉱物から植物、動物から人間、神々までに共通している「意識」を含めて、大きく〈意識 consciousness〉という言葉を使っているのです。また、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としていることでいえば、スタニスラフ・グロフ博士も同様なのです。彼がサイケデリック研究から得た結論では、〈意識 consciousness〉とはそういうものなのです。ですので、グロフ博士の本もそういう解釈で読めないと、少し意味が分からなくなっているのです。そのような点でいうと、そもそも「トランスパーソナル(超個的)」とは、このような〈意識 consciousness〉の存在を前提としているといえるのです。

「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」では、ラジオの喩えを出しましたが、「粗大領域」だけにチューニングが合っていて、他の放送局(微細領域)が聴けないという状態です。
7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング

よりインド的に言えば、シュリ・オーロビンドなどが「排他的同一化」と呼びますが、粗大領域による〈意識〉の占有的な事態です。
「それだけが自分だと思い込んで、感じている」状態です。その他の領域が感じとれなくなっているという状態なわけです。
(このオーロビンドの言葉は、ウィルバーなども借用してよく使っています)

逆に言えば、「排他的同一化」を止めて、「排他的」ではなく、他の(微細領域の)帯域も、非排他的に、同時に同一化できると、私たちの〈意識〉は、粗大領域と微細領域を統合的に自己自身(主体)とすることができるということなのです。
実際的(実感的)には、「粗大領域(の自己/心身)」への同一化から離脱して(脱同一化して)、「微細領域(の自己/微細身)」への同一化が起こる感覚です。
「微細領域(の自己/微細身)」は、「粗大領域(の自己/心身)」の狭い時空に縛られていませんので、そうなると、自己は、溶解的に、爆発的に拡張し、「流れる虹のような時空」が現れてくるのです。チベット密教の「タンカ」などに描かれているような、(報身のいるような)無辺のまばゆいひろがりのある世界です。
多層的に〈意識〉や心身状態が拡大したという感覚になります。
そして、さらに付言すると、その先に「元因領域」というものがあります。
ここは、形なきもの、無形なものの世界(非時空)であり、「微細領域」の有形さが止滅した、無形の世界です。
もはや「私ではない誰か」が視ている、「私ではない誰か」として視ている「目撃者 witness」の世界です。
ここでは、私たちを妨げるものは、何もありません。通常の意味での「私」もいません。
ただ、無形なものの果てしないひろがりだけがあります。
(ウィルバーはここにようやく「スピリット」という言葉を当てはめています)
そして、さらにその先に、「究極/ノンデュアリティー(非二元)/ワンネス」があるというわけなのです。
視るものと視られるものの間の消滅です。二元性の消滅です。
手袋を裏返しても、それはもうひとつの手袋なのです。
そして、実は、裏も表もないのです。

オーロビンドやウィルバーがいう「統合」(多元的統合)とは、実はそのような領域を含んだ事態(垂直的統合)を指しているのです。
「流れる虹のマインドフルネス」においては、そのような多元的統合がなされてくるのです。
そのような世界(時空)体験は、偶然的体験(現象)としては、「臨死体験 Near Death Experience 」や「体外離脱体験 Out-of-body experience 」などでは非常によく報告されている状態です。
このような構造がわかると、さきに引用した臨死体験事例の意味(構造)もわかってくることとなるのです。

「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」

スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者

「究極」の世界は、俗に「ワンネス」「ノンデュアリティ―(非二元)」などと言われますが、真の主体は、「無境界」、他のものと区別がない、宇宙そのものであるという透過的浸透的事態です。また、禅では「無分別の智」と言ったりもしますが、東洋思想では、古来より「悟り」的なものとして語られていた境地とも言えるのです。
前段までの流れでいえば、統合とは、このような状態が、自我的・心身的領域と、垂直的に統合されることが、真の「統合」であるということです。

しかしながら、上に引用した「臨死体験」のように、超越的状態が、偶然的・突発的に体験されてしまった場合は、これらの強烈な体験を心理的に「統合」するのに苦慮して、その後、逆に、生きづらさを抱えてしまうという場合も多いのです。 

そしてまた、伝統的な教えが、これもまたよく言うのは、そのような「悟り」「ワンネス」とはデフォルトの状態、本来は元々「はじめからある状態である」ということです。
伝統的には、「はじめから何も失われていない」とよくいうのです。

さて、では逆に、なぜ、小さな「仮面」的自我に、「排他的同一化すること」が私たちに起きるのでしょうか?
これは、「粗大領域の自我」の抑圧/分裂構造に、その由来があるのです。
感情的な葛藤や執着があると、そのものから自由になれないという事態は、直観的に理解できると思います。
諸々の粗大領域の事柄に、感情的に執着/固着/愛着しているために、私たちは、粗大領域への排他的同一化を止めることができないのです。
と言っても、普通の現代人は、皆、抑圧/分裂構造にあるのです(よほど心理療法をやった人以外は)。

私たちが、普通、この人生で悩んだり、目標にしている事柄(人間関係、金銭関係他)は、みな粗大領域の事柄です。
そして、これらは、抑圧/分裂による「心理的投影」によって起こっているのです。
そのため、まず対処すべきは、実は、微細領域ではなく、粗大領域そのものであるということなのです。

そういう意味では、これは心理療法のテーマと完全に重なるテーマでもあるのです。
これが、ウィルバーの指摘の歴史的な意味でもあるのです。

そして、実はここが一番、実践上は、重要なポイントでもあるのです。

別に、ウィルバーの「意識のスペクトル」論について記しましたので、ご参照ください。
「ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論/【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図」

つまり、このモデルの構造自体は、とりたてて新しいことを言っているのではなく、伝統的なことを言っています。この図の新しさは、西洋の心理療法の方法論と結合させて語ったことです。
このモデルが示唆しているのは、現代社会を生きている「普段の私たち」というものは、「大いなる統合(宇宙的統合)」の観点から見ると、局限化された、抑圧と分裂の結果でしかないということです。
もっというと、近代社会そのものが、そのような抑圧と分裂の社会であるということなのです。

そして、これが、私たちが、粗大領域への「排他的同一化」「癒着/固着」を止められない理由ともなっているのです。
そのため、まずは、抑圧の解放と分裂の統合が必要なことなのです。
そして、「鈍重な」粗大領域を滑らかに流動化させ、排他的同一化を超脱することが、微細領域に真に触れ、真に統合するのには一番必要なことなのです。

統合が進むと、粗大領域な鈍重さを超越し、微細領域に適応した微細さや非時空的な自由さ、精妙さを手に入れることができるようになるのです。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

一方、「鈍重な」粗大領域に主に同一化したままで、微細領域を体験するということも、たまに起こったりします。
ドラッグなどの体験がそれです。しかし、それらは真の解放や統合を起こしません。むしろ、分裂と葛藤を引き起こしてしまうのです。むしろ、(後述しますが)安い魔境に落ちしまうのです。
このあたりも典型的なパターンになっており、ラム・ダス(リチャード・アルパート)の『ビー・ヒア・ナウ』などがそれを典型的に語る物語となっています(ラム・ダスは、元ハーバード大学の教授で、ティモシー・リアリーらとともに、サイケデリック体験の効果を喧伝した初期のメンバーです)。
また、そのことが、大きな問題となってしまう場合もあります。
そのことの意味合いを次に見てみましょう。

6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い

実践的な問題でいうと、近似したテーマが、ケン・ウィルバーによって、初期(1970年代)から指摘され、語られていました。
超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の区別というテーマです。
ウィルバーの図(絵/二次元)で見ると、「微細領域」というものは、通常の「心身領域」(粗大領域)よりも上の位置に置かれているので、それ自体が、「高レベル」「高次のもの」であるかのような印象を与えてしまいます。
しかし、「微細領域」自体は、単なる存在の領域-次元に過ぎないので、(たしかに体験すれば、当然、ケタ違いに多様で深遠な開放状態を体験できますが)それを体験したから価値があるとか、高次であるとか、それだけに価値あるとかという単純な意味でもないのです。偶然的にも、体験できるものですので。
下位レベルのものが、充分に「統合」された時に、次に「統合」されるべき領域として図示されているだけです。
さらなる「統合」の対象となった時、統合が実現された時、それは、「拡張された/より深遠な帯域」として価値を持ってくるということなのです。
そして、ケン・ウィルバーのモデルでいえば、「真の統合」とは、どれかのレベルだけに価値を持たせているというのではありません。
上から下まで(上位から下位まで)すべてのレベルがそれぞれの機能を充分に果たしている上に(左右の水平レベルで統合されている上に)、かつ、上から下まですべてのレベルが縦に「垂直統合」されている状態が、真の統合状態である、ということなのです。
その時、はじめから、上位のものは、下位の領域まで、浸透/透過していたことに気づくのです。
どこに探しに行く必要もなかったのです。
もともと、今ここまで、上位の開放は浸透/透過していたのです。

実際、「微細領域」自体は、下位レベルの「粗大領域」が統合されていなくとも、それが分裂したままでも、いくらでも体験することができます。さきのドラッグの問題がそうです。
この状態が、「前個(プレパーソナル)」の問題として現れてきます。
ただ単に、「粗大領域」が統合されていないというのなら、それは単なる心理的分裂や抑圧があるという状態に過ぎません。私たちの多くが、普通そのようにして生きています。
しかし一方、心理的分裂や抑圧を抱えたまま、「微細領域」を体験したりして、それらに過度に同一化してしまい、勘違いをしてしまうと、昔、ユングが「自我肥大」と呼んだような、病理的だったり、幼稚だったりする奇妙な心理状態になってしまうということがあります。
禅では、「魔境」として、昔からそのような修行中の落とし穴について、厳しく戒められていました。激しい修行をしていると、光が見えるとか、仏が見えるとかは普通に起こることで特別なことでも何でもない。そういうことにいちいち気をとられないで、修行を突き詰めろというわけです。そういう現象に気をとられて、勘違いしたりすること、脇道に逸れてしまうことを「魔境」と呼んだわけです。
昔の精神病院にも、「私はキリスト(神)である」「本当は、私は○○(歴史上の偉人)である」という人が沢山いたと言います。これはカルトの問題も同様です。

つまり、真にトランスパーソナル(超個)な状態の「価値」というものは、粗大領域のパーソナル(人格)の統合が充分になされた後に、実現されてくる(活かされてくる)ということです。
パーソナル(人格)の統合がなされる以前(プレ)の状態で、「微細領域」を体験しても、それを充分に自己のものとして真に統合することはできないということです。むしろ、本人に勘違いや錯覚が起きて、エゴだけが増大する「自我肥大」や、病理的・幼稚な現れ方をしてしまうということなのです。
これが、超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いということになります。

なぜ、ケン・ウィルバーが、このようなテーマに焦点化したのかというと、理論的な精度という意味合いもありますが、ご時勢として、当時(1970年代前半)のアメリカは、世の中的に「ニューエイジ思想」の黎明期だったからでした。
巷には、チャネリングや、幼稚な前個(プレパーソナル)的なものが溢れており、そういう幼稚なものと、真に超個(トランスパーソナル)的なものを、明確に峻別する必要があったからです。
そして、そのような流行が劣化して、その劣化コピー版が、さらに二周三周と周回遅れで入ってきている現代日本において、世のスピリチュアル系と言われるものの多くが、幼稚であったり自己欺瞞的であったりしているのは、そのような理由からなのです。
著名なサイキック・ヒーラーであるバーバラ・ブレナンの言葉を見てみましょう。

「ある女性の事例を挙げましょう。彼女は社会性に乏しく、自分のことも疎かになっており、スピリチュアルガイドと名乗る複数の存在を引き寄せていました。彼女は「ついにガイドが現れた!」と大喜びでセッションに来ましたが、私が見たところ、彼らはダークで形もしっかりしておらず、騙そうというネガティブな意図がありました。私は彼女の現実認識の乏しさが気がかりになり、このダークな存在たちを光に送った後で状況を説明しました。それから、心霊現象の話を抜きにした「普通の」セラピーのセッションをしました。これはとてもよい効果を生みました。彼女は心霊的な体験に没頭するよりも、実生活を充実させることが先決でした。空想に逃げず現実に意識を向けるように促すと、彼女は物質界での生活を見直すようになりました」 ブレナン『コアライトヒーリング』シカ・マッケンジー訳 (河出書房新社)

そういう意味でも、この超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違いは、現代の日本では、特に重要な指標となっているのです。人格の統合以前に、そのような事柄を語っても、それは「真の深さ」を持ってないのです。それは、その人間をよく見ればわかります。そして、人々に「癒し」をもたらすどころか、「心理的な病理」を増幅・増大させることにしかなっていないということになっているのです。

7.真のコントロールに必要なもの 伝統的シャーマニズムの教え

さて、このように変性意識状態(ASC)に入って、微細領域のものを統合的に扱えるようになるためには、自分の心身(粗大領域)そのものが充分に流動化・統合・純化されていなければならない、という考え方は、実は、古今東西、世界中の伝統を見ると、シャーマニズムの伝統の中に既にあるものでした。
ネイティブ・アメリカンのメディスン・マン(シャーマン)は、しばしば「自分をパイプにすぎない」と語ります。
この世界と異界とをつなぐパイプという意味合いです。

そして、「パイプが詰まっている」と異界のエネルギーを充分に働かすことができない。「パイプが詰まりなく、カラッポ(空洞)であればあるほど」、異界のエネルギー(スピリット)は、この世界で十全に働くことができる、とします。
つまりは、この「パイプ」とは、粗大領域の心身(自分自身)のことです。
「パイプ」に「エゴ」が詰まっていると、幼稚なままの「自我(エゴ)の肥大化」が起こり、異界の高次の力が働かないばかりか、周りに害悪をまき散らす、病んだアウトプット(黒魔術)になってしまうという意味合いです。
シャーマニズムでよく強調される「浄化」の概念にはそのような意味合いがあるのです。
「聖なるパイプの喩え(メタファー) シャーマニズムの方法 エネルギーの流動と組織化」

変性意識状態(ASC)を真にコントロールして、十全に扱えるようになるには、心身の深いレベルでの統合、自我(エゴ)の超越が必要となるというわけです。

8.行きて帰りし旅 ―英雄の旅、而今の山水

さて、このようなシャーマニズムが教える伝統は、変性意識状態(ASC)を、いかに扱えばよいかについて、さまざまに教えてくれるものです。
「日常意識/こちら側の世界」と「変性意識/向こう側の世界」とを、十全にノイズなく行き来できる能力を獲得することであり、そのためには、まず「自己の流動化と統合」を充分に推し進めるということなのです。これは「粗大領域」と「微細領域」の間ということも含みます。

そして、このような「往還」の構造形式は、そのまま、神話学者キャンベルの唱える「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」のモデルでもあるのです。
世界中の英雄神話というものは、英雄が異界(冥府)に降りていき、怪物(モンスター)や悪霊と戦い、その結果、隠された魔法の力や栄光を獲得するという形式をとっています。
その旅路は、自分の影(シャドー/怪物)との死闘であり、そのことによる死と再生のプロセスを経ることで、英雄(私たち)は、自己の「浄化」と「統合」、新たな力の獲得や「刷新」を達成することができるのです。
これは、これまで見てきたような「真の統合」の暗喩(メタファー)ともいえるものなのです。

私たちも、変性意識状態と日常意識の、そのような「行きて帰りし旅」を繰り返し経験していくことで、変性意識への真のコントロール能力を獲得し、また創造力や拡張された意識/存在状態を得ることができるのです。
このプロセスは、ひとつの旅ですが、生きる甲斐のある旅、生に「意味」もたらす旅、行きて帰りし旅なのです。

旅から帰った時、その時に、私たちが見ている風景は、日常の風景ですが、旅の前のただの風景ではありません。
ありふれた物事が、そのまま内実の光輝(空)に飽和し、充満しているような『普通の風景』なのです。
その時、私たちの「自己」はかつてと同じ意味を持っていません。「自己」と「宇宙」と「日常」を区別(分別)するものはないのです(無極)。
それでいながら、ただの『普通の風景』なのです。
手袋のように裏返された現実は、また現実なのです。
そして、実は、表も裏もないのです。

道元のいう、
「而今の山水は、古仏の道現成なり」
「空劫以前の消息なるがゆえに而今の活計なり」
「朕兆未萌の自己なるがゆえに現成の透脱なり」

というような世界がひろがっているのです。
それは、ただの『普通の風景』なのです。

【ブックガイド】
変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
また、変性意識状態(ASC)への入り方などその詳細な概要と実践技法は入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



【新版】動画解説「心の構造モデルと心理変容のポイント」

ここでは、心の構造モデルと心理変容のポイントということで、私たちが持っている心がどのような構造を持っているのか、そして、それを良い方向に変えるためには、何がポイントなのかについて解説を行なっています。




サイトページ

【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図
https://freegestalt.net/psyche/transformation/

【新版】動画解説「変性意識状態(ASC)とは ―その可能性と効果の実際」

変性意識状態(ASC)は、通常の日常意識とは変異した、特異な意識状態ですが、私たちの可能性と創造性にみちた興味深い意識世界です。

その状態に入るスキルを上げることで、私たちは、内面的にも、アウトプット的にも、段違いのレベルを手にすることができます。




サイトページ

変性意識状態(ASC)とは
https://freegestalt.net/asc/basic/asc/

動画解説「拡張された知覚力と意識状態」


この動画では、
私たちがたどり着く、
知覚力や意識の拡張状態について、
解説しています。

私たちは、
トレーニングの中で、
心身を深い部分で解放していくことにより、
ある種、心身が流動化する状態を、
獲得していくことになります。

それらは、流れる虹のようにまばゆく、
素晴らしい状態です。

ある種、時空や因果を超えるような、
魔法的な状態です。

そして、これらの特徴は、
私たちの知覚力や意識が、
元来持っている性質とも、
いえるのです。

 



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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動画解説 映画『マトリックス』『攻殻機動隊』 現代的(心理学的)シャーマニズム


この動画では、
変性意識状態(ASC)を扱う技法について、
映画『マトリックス』や『攻殻機動隊』、
シャーマニズムのモデルを使いながら、
その普遍性について検討しています。




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動画解説「魔法入門 変性意識活用法 意識拡張と創造性」


この動画では、
変性意識状態(ASC)の、
基本的な構造や、
役立つ効果について、
簡単にお話しています。



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ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
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変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

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サイケデリック体験と、チベットの死者の書

さて、以前、
心理学的に見た「チベットの死者の書」
ということで、
チベットの死者の書から類推される、
私たちの心の、
構造的モデルについて
考えてみました。
心理学的に見た「チベットの死者の書」

そして、その際、
ティモシー・リアリー博士らが記した、
『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience』
(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)
を参照としました。

ところで、
そもそも、
リアリー博士らは、
向精神性物質を用いることで現れて来る、
サイケデリック(意識拡大的)体験、
つまり、変性意識状態の諸相を理解する、
有効な、心の構造モデルとして、
または、サイケデリック体験をうまく導いてくれる、
ガイドブック(指南書)として、
「チベット死者の書」を、
持って来たわけでした。

さて、前回は、
そのような、心の「構造的側面」を、
テーマにして、
諸々を検討してみましたが、
今回は、
リアリー博士らが、把握した、
サイケデリック体験の、
「体験的側面」、
変性意識状態そのものに焦点化して、
諸々を見ていきたいと思います。

ところで、
前回の振り返りですが、
チベットの死者の書の中では、
死者は、
3つの中有、
つまりバルドゥ(バルド)と呼ばれる、
時空を経由して、
人は再生(心理的再生)してしまうとされています。

①チカエ・バルドゥ(チカイ・バルド)
②チョエニ・バルドゥ(チョエニ・バルド)
③シパ・バルドゥ(シドパ・バルド)
の3つがそれらです。

①のチカエ・バルドゥは、
もっとも空なる、
超越的な体験領域であり、
私たちは、そこで、
すべてから解放された時空、
空なる意識状態を、
達成することが、
可能とされています。

②のチョエニ・バルドゥは、
非常に深い、
深層次元の心が現れる時期であり、
そこで、私たちは、
私たちを構成する、
心自体である、
深部の元型的素材に直面すると、
されています。

③のシパ・バルドゥでは、
これは再生の時期にあたりますが、
私たちの自我に近いレベルが、
回帰して来るとされています。


では、実際に、
リアリー博士らの言葉を、
見てみましょう。

「チベット・モデルにしたがい、
われわれはサイケデリック体験を
三つの局面にわけている。
第一期(チカイ・バルド)は、
言葉、〔空間-時間〕、自己を超えた
完全な超越の時期である。
そこには、
いかなるヴィジョンも、
自己感覚も、
思考も存在しない。
あるのは、ただ、
純粋意識と
あらゆるゲームや生物学的なかかわりからの
法悦的な自由だけである。
第二の長い時期は、
自己、あるいは
外部のゲーム的現実(チョエニ・バルド)を
非常に鮮明な形か、
幻覚(カルマ的幻影)の形で
包含する。
最後の時期は(シドパ・バルド)は、
日常的なゲーム的現実や
自己への回帰に
かかわっている。
たいていの人の場合、
第二(審美的ないし幻覚的)段階が
もっとも長く続く。
新参者の場合には、
最初の光明の段階が長くつづく」
(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)

ところで、博士らは、
私たちが囚われ、落ち込む、
自我の「ゲーム」から、
離れることを、進めます。

サイケデリック体験が弱まり、
バルドゥを進むに従い、
私たちは、
自我の「ゲーム」に、
より、とらわれていってしまうと
いうわけです。

「『ゲーム』とは、
役割、規則、儀式、
目標、戦略、価値、言語、
特徴的な空間-時間の位置づけ、
特徴的な動きのパターンによって
規定されている一連の行動である。
これら九つの特徴を持たない
一切の行動は
ゲームではない。
それには、生理学的な反射、
自発的な遊び、
超越意識などが含まれる。」
(前掲書)

このような、
ゲームにとらわれることなく、
ゲームを回避し、
空なる体験-意識領域に、
同一化できた時、
私たちは、いわば、
解脱(真の解放)できるというわけなのです。

第一のチカエ・バルドゥでは、
(サイケデリック体験が一番強烈な時間では)
そのチャンスが一番あると、
されているのです。

「もし参加者が、
空(くう)の心を
ガイドが明らかにしたとたん、
その観念を見、
把握することができれば、
つまり、
意識的に死ぬ力をもち、
自我を離れる至高の瞬間に、
近づいてくるエクスタシーを認識し、
それとひとつになることができれば、
幻想のあらゆるゲームの絆は
即こなごなに砕け散る。
夢見る人は
すばらしい認識を獲得すると同時に、
リアリティに目覚めるのだ。」
(前掲書)

「解放とは、
〔心的-概念的〕な活動を欠いた
神経系である。
条件づけられた状態、
つまり、
言葉と自我のゲームに限定された心は
たえず思考の形成活動を
おこなっている。
静かで注意が行き届き、
覚醒してはいるが
活動はしていない状態にある神経系は、
仏教徒が
もっとも高い「禅定」の状態(深い瞑想状態)と
よぶものに比較することができる。
そのとき、
身体とのつながりは
依然として保たれている。
光明(クリアーライト)の意識的な自覚は、
西洋の聖者や神秘家が
啓示とよんできた法悦的な意識状態を
誘発する。
最初の徴候は、
『リアリティの光明』
の一瞥であり、
『純粋な神秘的状態としての絶対に誤らない心』
である。
これは
いかなる心の範疇のおしつけもない
エネルギー変容の自覚である。」
(前掲書) 

そして、
サイケデリック体験が一番強烈な時に、
解放や覚醒が得られない場合でも、
その次の時間帯で、
チョエニ・バルドゥ的な解放や覚醒が、
可能だともいうのです。

「最初の光明(クリアーライト)が
認識されない場合、
第二の光明を維持する可能性が
残されている。
それが失われると、
カルマ的な幻想
あるいはゲーム的リアリティの
強烈な幻覚の混合期である
チョエニ・バルドが訪れる。
ここで教訓を思い出すことが
きわめて重要である。
多大な影響や効果を
およぼしうるからである。
この時期、
微細にわたって鮮明な意識の流れは、
断続的に合理化や
解釈を試みる努力によって妨げられる。
だが、
通常のゲームを演じる自我は
効果的に機能していない。
したがって、
流れに身をまかせていれば、
まったく新しい歓喜をともなう
官能的、知的、感情的な体験をする可能性が
無限にある。
だが、その一方で、
体験に自らの意志をおしつけようとすると、
混乱や恐怖の恐ろしい待ち伏せに
遭遇することになる。」
(前掲書)

「経験を積んだ人は、
すべての知覚が
内部からやってくるという自覚を保ち、
静かに坐って、
幻影をつぎつぎに映しだす
多次元的なテレビ受像機のように
拡大した意識を
制御することができるだろう。
非常に敏感な幻覚
―視覚的、聴覚的、触覚的、臭覚的、物理的、身体的―
と絶妙な反応、
そして自己や世界への
思いやりのある洞察。
鍵はなにもしないこと、
すなわち、
周囲で起こっているすべてとの
受動的な合体である。
もし意志をおしつけたり、
心を働かせたり、
合理化したり、
解釈を求めたりしたら、
幻覚の渦にまきこまれるだろう」
(前掲書)

ところで、
リアリー博士らは、
このチョエニ・バルドゥ的な、
サイケデリック体験が、とりがちな、
体験の諸相を、
死者の書に合わせつつ、
いくつかに分類しています。

自己の内的体験に、沈潜する場合や、
外部の知覚的世界に、没入する場合など、
類型的なパターンに分けて、
解説を加えています。

①源泉あるいは創造者のヴィジョン(目を閉じ外部の刺激は無視)、
②元型的プロセスの内的な流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)
③内的な統一性の火の流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)
④外的形態の波動構造(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。知的側面)
⑤外部の一体性の振動波(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。感情的側面)
⑥「網膜のサーカス」
⑦「魔法劇場」
(前掲書)

これなども、
私たちの心や神経、
知覚を考える上で、
大変に示唆に富む指摘と、
なっているのです。

以下に、いくつか、
その描写を見てみましょう。

②の元型的プロセスの内的な流れ
(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)
については…

「第一のバルド
あるいは源のエネルギーの、
分化していない光が失われると、
明るい分化した形態の波が
意識の中にあふれだす。
人の心はこれらの形に
同一化しはじめる。
つまり、
それらにラベルを貼り、
生命プロセスについての啓示を
体験しはじめるのである。
特に被験者は、
色のついた形態、
微生物的な形、
細胞の曲芸、
渦巻く細い管の際限のない流れに
とらわれる。
大脳皮質はまったく新しくて
不思議な分子のプロセスに、
チューン・インするのだ。
抽象的デザインの
ナイアガラや生命の流れを
体験するのである。」
(前掲書)


③の内的な統一性の火の流れ
(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)
については…

「純粋なエネルギーが
その白い空の性質を失い、
強烈な感情として感じられる。
感情のゲームがおしつけられる。
信じられないほど真新しい身体感覚が
身体を貫いて脈打つ。
生命の白熱光が
動脈にそってあふれるのが
感じられる。
人は
オルガスム的な流体電気の大海、
共有された生命と
愛の無限の流れに
溶け込む。」
(前掲書)

「進化の河を
流れ下っていくあいだ、
際限のない無自己の力の感覚が
生まれる。
流れる宇宙的な帰属感の喜び。
意識は
無限の有機的レベルに
チューニングできるのだ
という驚くべき発見。
身体には
何十億という
細胞のプロセスがあり、
そのそれぞれが
独自の体験的宇宙―無限のエクスタシー―を
もっているのだ。
あなたの自我の
単純な喜び、苦痛、荷物は
一つの体験の組み合わせ、
反復的で
ほこりにまみれた組み合わせを
表している。
生物学的なエネルギーの
火の流れのなかにすべりこむと、
一連の体験的組み合わせが
つぎつぎと通りすぎていく。
あなたはもはや
自我と種族の構造に
包み込まれてはいない。」
(前掲書)


④の外的形態の波動構造
(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。知的側面)
については…

「被験者の意識は突然、
外部からの刺激に侵入される。
彼の注意は奪われるが、
古い概念的な心は働いていない。
けれども、
他の感受性は働いている。
彼は直接的な感覚を体験する。
生の『存在性』。
彼は物体ではなく、
波のパターンを見る。
『音楽』や『意味のある』音ではなく、
音響的な波を聞く。
そして、
あらゆる感覚や知覚が
波の振動にもとづいているという
突然の啓示にうたれる。
それまで
幻想のかたさをもっていた
周囲の世界が、
物理的な波動の戯れに
ほかならないという
啓示にうたれる。
テレビ画面のイメージと同様に
実質性をもたない
宇宙的なテレビ・ショーに
まきこまれているのだという
啓示をうける。
もちろん、
物質の原子構造を
われわれは知的に知っているが、
強烈な変性意識の状態以外では、
けっして体験されることはない。
物理学の教科書によって
物質の波動構造を学ぶことは一つ、
それを体験し(そのなかに入りこみ)、
古い、馴染のある粗野な、
「堅固な」物体という
幻覚的な慰めが消え去り、
通用しなくなるということは、
まったく別のことなのである。
もし
これらの超リアルなヴィジョンが
波の現象をふくんでいれば、
外部の世界はびっくりするほど
鮮明な輝きと啓示を帯びる。
現象世界が波動という
電子的イメージの形で
存在しているという体験的な洞察は、
光明の力の感覚を
生みだすことができる。
万物が意識として
体験されるのである」
(前掲書)


さて、以上、
リアリー博士らの言葉によって、
サイケデリック体験が見出す、
リアリティの変貌について、
見てみました。
いかがだったでしょうか。

ところで、当然、
このようなリアリティの諸相は、
サイケデリック体験に限らず、
その他の変性意識状態においても、
現れて来るものであります。

そのような意味においても、
このチベット・モデルや、
リアリティの質性の特性は、
私たちにとって、
変性意識状態の探索や、
意識拡大のための、
示唆に富んだ手引きと、
なっているのです。


※変性意識状態(ASC)へのより統合的な方法論は、 拙著

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧ください。

 



↓サイケデリック体験と、チベットの死者の書についても解説しています。


 



【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 応用編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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しないことのゲシュタルトへ マインドフルネスの光明

さて、
拙著『砂絵Ⅰ』では、
心理的な変容過程(行きて帰りし旅)において、
その最終的な局面の中で、
気づきawarenessの力が、
とりわけ重要なことについて、
特に強調しました。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

この指摘は、
ゲシュタルト療法や体験的心理療法が、
多く陥りがちな落とし穴と、
私たちの心理的変容と拡充を、
さらに進化させるための必須事項として、
記したものです。

気づきawarenessの能力は、
ゲシュタルト療法の、
入口であると同時に、
出口でもあるのです。

しかし、往々にして、
ゲシュタルト療法をやっている人の中でも、
このawarenessの核心部分が見失われて、
マンネリや、悪循環に、
はまっていくという事態に、
なっているのです。

そして、また、
ゲシュタルト療法の中でも
この悪循環の仕組みが
公式化されていないのです。

これ自体が、まさに、
気づきawarenessの欠如、
という事態でもあるわけなのです。

今回は、
巷でも認知度も上がって来た、
「マインドフルネス」
という概念(補助線)を使って、
この問題点の中身を、
見ていきたいと思います。

ゲシュタルト療法を、
長くやっているにも関わらず、
なんか自分は、行き詰っているなぁと、
感じられているような方にとっては、
参考にしていただける内容に、
なっていると思われます。


◆気づきawarenessの力

気づきawarenessという能力の中には、
さまざまな状態や帯域があります。

しかし、
通常、ゲシュタルト療法の中では、
「気づき」という日常用語を、
漠然と使っているため、
どのような状態や要素を指しているのか、
焦点化されにくくもなっているのです。

人は、自分は、
なんでも「簡単に気づける」と、
思ってしまっているわけです。

しかし、
ゲシュタルト療法の中では、
気づきawarenessは、
ある種のスキルであり、
訓練によってこそ、
研ぎ澄まされていくものなのです。

いわば、普通の人の生活は、
気づきawarenessのない生活とも、
いえるものなのです。

ところで、
ゲシュタルト療法の中では、
気づきの連続体awareness continuum
として知られている、
気づきの姿勢があります。
気づきの3つの領域 エクササイズ

刻々と瞬間瞬間、
三つの領域に、
気づき続けているような状態です。

紹介したように、
エクササイズもありますが、
これは、あくまで、
イメージをつかむためのものにすぎません。

実際には、
毎日の生活の中で、
いつでもどこでも、
これを行なっていることが大切なのです。

つねに、
気づきの連続体awareness continuum
として存在できることが、
ベースラインであり、
覚醒awakenessなわけなのです。

そして、
このスキルが、
私たちの心理的統合を進め、
実際的にも、
ワーク(セッション)を、
進め(深め)やすくもするものなのです。

実は、
この気づきの連続体awareness continuumとは、
正規の文脈でいわれている、
マインドフルネスそのものでもあるのです。
判断を挿し込まない、
オープンな気づきの状態である、
ということなのです。


◆気づくことの違い 同一化と脱同一化

さて、
気づきawarenessそのものは、
気づきの連続体awareness continuumとしての、
マインドフルネスなのですが、
そのことが、
ゲシュタルト療法の実践の中でも、
見失われたり、
間違われていく理由(要因)が、
いくつかあります。

まず、それは、
実践上で、起こって来ます。

ゲシュタルト療法のワーク(セッション)を、
長期にわたって継続的に続けていくと、
ワーク自体が、
ある感情的なテーマなどを中心に展開されるため、
その内容(テーマ)そのものに、
気を取られてしまう(同一化してしまう)、
という点が、
まず第一の理由です。

ワークの実践においては、
ある微かな感情に気づきを持ち、
それに深く没入して、
それをさまざまに展開していくことが、
重要となります。

そのことが、
私たちの葛藤を解きほぐし、
情動的に深く、
解放していくことになるからです。

この場合の、
「ある感情」とは、
「ある部分的な自我」に、
由来しているものです。
私たちは、普段、
それらになかなか気づけません。
ワークの中の、
変性意識状態(ASC)でこそ、
それらが気づかれやすくなるのです。
複数の自我(私)について ―心のグループ活動

ところで、
ワークの中のこの場面で、
私たちの心は、
「2つの働き方」を、
しています。

ひとつは、
ある部分的な自我(感情)に、
気づくawarenessという状態です。

これは、
その感情を、
対象化している状態であり、
主体は、
その感情そのものとは、
少し離れた状態、
つまり、脱同一化している状態にある、
ということです。
このわずかな差異、
脱同一化が、
気づきawarenessの状態の核心なのです。

もうひとつの働き方は、
その感情そのものに、
深く没入し、同一化している状態です。
深く同一化しているからこそ、
その感情(自我)を内側から深く把握し、
そのものとして、
自発的に展開していくことが、
可能となるのです。

ワークの中で、
私たちの心は、
この2つの働き(同一化と脱同一化)を、
同時に、2局面で、
振幅しながら、
行なっているのです。

そして、
この2つ(同一化と脱同一化)を
振幅しながら、
行なえることが、
ワークが、
私たちを深く展開し、
統合していく、
肝の力なのです。

この同一化と脱同一化は、
車の両輪のように、
働くものなのです。

そして、
ワークの変性意識状態(ASC)の中では、
このことが、
可能となるわけなのです。


…………
さて、
話をもとに戻しますと、
ではなぜ、
ゲシュタルト療法の中で、
気づきの連続体awareness continuum
という、マインドフルネスが、
なぜ、見失われがちになるのか、
という点です。

それは、
今、前述に見たワークの場面に即して言うと、
ワークの中で起こる、
ダイナミックに情動を解放していく側面、
つまり、各感情や自我と、
「同一化」する側面ばかりに、
私たちが、
気を取られていくことに、
なるからなのです。

そのことが、
ワークの中で、私たちに、
大きなカタルシスや解放をもたらすものなので、
その成功体験に引っ張られて、
これらの体験を、無意識裡に、
繰り返そうとしてしまうのです。

そして、そのことと、
ゲシュタルト療法のやり方そのものを、
同一視してしまいがちなのです。

そして、その際、
気づき(脱同一化)の側面よりも、
同一化の側面に、
意識がいってしまうのです。

また、その結果として、
同一化する心理的内容(各感情や自我)を、
探しはじめることにも、
なってしまうのです。
そして、これが、
落とし穴のはじまりなのです。

よく、
ゲシュタルト療法のサークルでは、
自分の持っている、
問題やテーマ、パターンなどが、
取り沙汰されます。
ワーク(セッション)の、
素材(ネタ)となるものたちです。

そのため、
人によっては、
ワークのための、
問題やテーマ、パターンを、
探しはじめることにもなります。

しかし、本来、
各感情や自我は、
自発的、かつ繊細に、
気づかれるawarenessべきものたちなのです。
無理に、ベタに、
設定するものではないのです。

そのような設定は、
先入観やビリーフ(信念)をつくり出し、
かえって、
ワークと気づきawarenessを、
阻害するものに、
なったりもするのです。

そして、このような態度は、
結果的に、
ワークの類型における、
「することのゲシュタルト」という、
間違った姿勢にも、
つながっていくこととなるのです。


◆「することのゲシュタルト」という落とし穴

さて、
ワーク(セッション)においては、
気づきと情動的な解放、
脱同一化と同一化の振幅が、
表裏一体のものとなって、
深い心理的統合も可能となります。

しかし、
ワークの中で、
情動的な解放による、
「問題解決」や「答え」ばかりを、
求めていくと、
起こっている事態への、
今ここの気づきawarenessが、
根本から、見失われていくことにも、
なっていくのです。

同一化すべき感情ばかりを探して、
自己の、その時の状態への気づきawarenessが、
失われていってしまうのです。

そのようなワーク(セッション)においては、
クライアントの方は、
しばしば、心焦って、
答えを求めて、
「何かをしよう」とばかりをします。

これが、
「することのゲシュタルト」
という落とし穴です。

しかし、
ワークにおいて、
第一に、
何よりも重要なのは、
「何かをすること」
でなく、
「何もしないで」、
ただ、自分の状態に、
気づいてawarenessいることなのです。

自分の中で起こっていることに、
ただ、
気づいてawarenessいることなのです。

「答えを求めている」自分に、
ただ、
気づいてawarenessいることなのです。

その中でこそ、
自己の内側から、
真に自発的な表現、
活路が現れて来るのです。



◆マインドフルネスと、しないことのゲシュタルト

さて、マインドフルネスの流れは、
さまざまな文脈で、
日本でも知られはじめましたが、
その大元は、
ゲシュタルト療法が広まる背景でもあった、
米国西海岸で、
ヴィパサナー瞑想や、上座部仏教の瞑想法として、
広まっていたものでした。

日本では、鬱病への特効薬がない中で、
認知行動心理療法のひとつとして、
認知度があがっていったのかもしれません。

その立役者の一人でもある、
『マインドフルネスストレス低減法』(春木豊訳、北大路書房)
の著者、ジョン・カバットジン博士は、
マインドフルネスとは、気づきawarenessのことだと、
端的に語っています。

その著書の中で、
博士は、プログラムの参加者が、
プログラムに取り組む様子を、
次のように描写します。

「彼らが行っているのは、
“ 何もしない”ということです。
そして、
一つの瞬間から次の瞬間へと連なっていく、
一つひとつの瞬間を自覚し、意識するために、
一つひとつの瞬間に意欲的に集中しようとしているのです。
つまり、彼らは、
“ 注意を集中する”トレーニングをしているのです。
別の言い方をすれば、
彼らは
自分が“ 存在すること”を学んでいるともいえます。
彼らは、
何かをすることによって時をすごすのではなく、
意図的に何かをするのをやめ、
“ 今”という瞬間の中で、
自分を解放しようとしているのです。
心に気がかりなことがあったとしても、
体が何か不快感を感じていたとしても、
その瞬間の中で、
意図的に、心と体に安息を与えようとしているのです。
“ 生きている”ということ、
“ 存在している”ということの本質に
踏み込もうとしているのです。
彼らは、
何かを変えようとするのではなく、
ただ自分の置かれているありのままの状況と共に
その瞬間を過ごそうとしているのです。」
(前掲書)

さて、
ゲシュタルト療法においても、
気づきawarenessのベースラインは、
ここにあります。

ワーク(セッション)で、
何かをすることは、
必須ではないのです。

しないことの中にこそ、
豊饒な気づきawarenessが、
あるのです。

これが、
しないことのゲシュタルト、
です。

見たくない自分も含めて、
判断しないで、
刻々の、
剥き出しの自分を、
ありのままに、
ただ気づいていくことなのです。

それだけでも、
ワーク(セッション)は、
成立するのです。

そしてまた、
ゲシュタルト療法の中では、
「変化の逆説」法則として、
知られているものがあります。

つまり、
何かを変えようとすると、
逆に、
変化というものは起きないのです。
しかし、
変化を期待せずに、
ただその状態を受け入れると、
変化は起こるのです。

変化を求めないと、
変化が起きるのです。

「変化は起こすのではなく、起こるのだ」
とは、パールズの言葉です。

マインドフルネスの姿勢は、
この本来の、
ゲシュタルト療法の姿勢を、
より明確に、
照らし出してくれるものなのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
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気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
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禅と日本的霊性
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明晰夢の効力 2 映画『マトリックス』の世界へ


さて、以前、
映画『マトリックス』について、
取り上げてみました。

そこにおいて、
物語の中で描かれている、
(マトリックスのつくり出す)
仮想世界というものが、
私たちが今生きている、
この現実世界と、
非常に近いものであることについて、
考えてみました。
マトリックスの暗喩(メタファー) 残像としての世界

つまり、
マトリックスの世界とは、
決して、
絵空事とばかりは、
いえないものである
ということについてです。

今回は、
そのような、
マトリックスの世界観と、
特異な夢の一種である、
「明晰夢」との関連性について
少し考えみたいと思います。

ところで、
明晰夢 lucid dream についても、
以前、少し取り上げて、
みたことがあります。
「明晰夢」の効力 夢の中で掌を見る

また、
拙著『砂絵Ⅰ』においても、
夢見の技法のひとつとして、
この明晰夢を、
重要な実践として、
取り上げました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

明晰夢とは、
夢の中で、
人が、
自分が夢を見ていることに気づいて、
その上で、
行動しているような夢のことです。

現在では、
心理学的にも、
研究が進んでいますが、
歴史的には、
チベット密教や、
シャーマニズムの中で、
その存在が、
知られていたものでした。

さて、
ところで、
明晰夢の世界とは、
大変、興味深い世界です。

そこでは、
自分の、
見て、
聞いて、
感じている、
まわりの世界すべてが、
自分のつくり出した仮想世界だと
理解しながら、
その感覚を味わっている、
そんな世界です。

それは、
奇妙な世界です。

たとえば、
明晰夢のなかでは、
今はもう、
物理的には存在しない、
昔の家や部屋にいることが、
あります。

「この部屋は、
もう存在していない」
ということは、
夢の中でも、
分かっています。

目の前に、
存在している物や風景が、
「夢がつくり出している」
ということを分かって、
それらを見たり、
感じたりしているのです。

しかし、
それらはありありと、
存在しています。

夢特有の、
多少感覚のぼやけた感じはありますが、
それでも、
それらの物に触れると、
現実で触れるのと、
同じような感覚が、
得られるのです。

それは、
不思議な感覚です。

たとえば、
それは、
昔、懐かしい部屋だったりします。

そこには、
今ではすっかり、
忘れてしまっていたような、
風景や物の細部が、
再現されています。

「そういえば、
こんな物が、
部屋の片隅に、
いつもあったなぁ」

とか、

「そういえば、
ここには、
こんな感じで、
よく、埃が積もっていたなぁ」
と、
現実に存在しない、
物や風景が、
そこには、
今も、在るのです。

そして、
それらの物に、
実際に触れてみると、
とても懐かしい触感が、
得られたりするのです。

それは、
深い感慨と、
愛惜の世界と、
いえるものでもあります…


さて、
このように、
明晰夢は、
体験それ自体においても、
充分に、
感銘的なものであるのですが、
その影響力は、
さらに、
より深い作用を、
私たちに、
もたらして来るものでも、
あるのです。

つまりは、
興味深いことに、
このような、
明晰夢の感覚は、
普段の、
日常生活に、
影響を与えて来る、
ということなのです。

というのも、
明晰夢の中では、
まわりの風景のすべてが、
「自分の感覚情報が、
創り出したものだ」
と、わかっています。

そのうえで、
さまざまな行動を、
とることを、
試してみたりしているです。

しかしながら、
「自分の感覚情報が、
すべて創り出している」
ということにおいては、
実は、
この普段の日常的現実、
日常意識の見る風景においても、
事情は、
まったく同じなのです。

この覚醒時の、
まわりの風景や物にしろ、
皆、
脳や感覚がつくり出した、
情報の世界、
任意の構成風景であることは、
まったく同じで、
あるからです。

そして、
そのようなことが、
明晰夢での知覚的実感から、
まざまざと、
納得できるわけなのです。

その感覚(世界表象)の任意性を、
否定することが、
できないのです。

「この風景も、
自分で創り出している、
感覚情報である」
ことが、
実感的に、
気づかれawarenessてしまうのです。

そして、
それは、
映画『マトリックス』において、
主人公ネオたちが、
マトリックスのつくり出す、
仮想世界のなかで、
その仮想性を意識して、
行動しているのと、
同じような感覚でも、
あるのです。

私たちも、
この現実世界においても、
任意の感覚情報(世界表象)の中を、
生きている、
というわけなのです。

それらを理解しつつ、
行動していくように、
なっていくというわけです。

そして、
それは、
生きる上で、
私たちに、
新しい種類の自由度を、
もたらすことにも、
つながっていくのです。

チベット密教においては、
おそらく、
世界の空性を、
実感的に理解するために、
夢ヨーガを行なうのでしょうが、
そのように、
私たちは、
明晰夢の眼差し(光線)を通して、
目の前の世界を、
より流動的で、
非実体的なものとして、
とらえるように、
なっていくのです。

映画『マトリックス』の世界を
地で行くような事態が、
実際に起こって来ることに、
なってくるわけなのです。

そのような点で、
この明晰夢の実践(実験)は、
私たちの、
意識拡張の探求において、
とても興味深いものとして、
位置づけることが、
できるわけなのです。


※変性意識状態(ASC)へのより統合的な方法論は、 拙著

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧ください。

Sleep-Patterns-Lucid-Dreaming-Part-1-Dr.-terry-Willard

↓動画「変性意識 『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」
 

↓動画「変性意識状態 心理学的に見た、チベットの死者の書」
 

↓動画「変性意識状態(ASC)とは」


↓明晰夢の入り方は エクササイズ 『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』



↓明晰夢がもたらすもの 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』










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気づき・自己想起・至高体験 目標とプロセス


さて、当サイトでは、右寄せ
人間の意識や存在の、
さまざまな拡張された体験領域を、
取り扱っています。

最近では、
マインドフルネス的な気づきと、
グルジェフの自己想起について、
扱いました。
気づきawarenessと自己想起self-remembering
自己想起self-rememberingの効能

また、マズローの
至高体験や自己実現の考えについても、
見てみました。
「至高体験」の効能と、自己実現
アイデンティティの極致としての至高体験
「完全なる体験」の因子と、マズロー

関連領域としては、
登山における山頂体験について、
卓越した登山家、
ラインホルト・メスナーの洞察を、
参考にしてみました。
登山体験 その意識拡張と変容

これらが示す、
数々の体験領域は、
私たちの生Beingの、
より拡張された次元を、
垣間見せてくれる、
貴重な領域ともいえます。

私たちの生には、
現代社会が、通常了解している以上の、
さまざまな潜在能力があり、
創造性、意識拡張の領域においても、
より大きなひろがりの可能性を、
持っているからです。
その一端は、
拙著の中でも、
多くの考察をめぐらせました。
内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

ところで、一方、
私たちは、
日々の生活を生きつつ、
それほど特別な達成を持たなくとも
さまざまに閃光的で、
刺激的な、
強度の体験を得ながら、
日々を成長、生成Becomingしているとも、
いえます。

今回は、
人生の中における、
そのような大きな目標と、
日々のプロセスとの関係を、
どうとらえるかについて、
少し考えてみたいと思います。

そこでは、
マズローの言葉が、
ヒントとなります。

ところで、
マズローは、
欲求の五段階仮説で、
有名でもありますが、
その下位の
「基本的欲求」
「基本的価値」
を追求することが、
必ずしも、
途中経過としての価値しか、
持たないのというわけではないことを、
至高体験との関係で、
指摘しています。

目標とプロセスとの、
生命Beingと生成Becomingとの、
多様な姿を語ります。

「…かれに関するかぎり、
特定の期間中
階層のうちの
どのような欲求に支配されていようとも、
生命lifeそのものと同じ意味の
絶対的、究極的な価値なのである。
だからして、
これらの基本的欲求
あるいは基本的価値というものは、
目標としても、
また単独の終局目標に達する階梯としても、
とり扱われるのである。」

「なるほど単一の究極的価値
あるいは人生目標といったものの
あることはたしかであるが、
われわれは複雑に連関しあった
価値の階層的、発達的体系をもつこともまた、
たしかに正しいのである。」

「これはまた、
生命Beingと生成Becomingとの間の
明らかに対照的な逆説を解くのに
役立つ。
なるほど、
人間は絶えず究極に向かって精進しており、
それはいずれにしても
別種の生成であり、
成長であるといえる。
まるで、われわれは
つねに到達できない状況に
達しようと努めなければならない宿命に
あるかのようである。
だが、幸い、
こんにちではこれが正しくないこと、
あるいは少なくとも唯一の真理でないことを、
知っている。」

「それを統一する別の真理があるのである。
われわれは一時的な絶対的生命によって、
つまり、至高経験peak-experienceによって、
よい生成が再三、再四報いられるのである。
基本的欲求の満足が達せられることが、
われわれに多くの至高経験を与えてくれる。
しかもその一つ一つが無限の喜びであり、
それ自体完全なものであり、
みずから生き甲斐を感ずる以外
なにも求めようとしない。」

「これは天上が
どこか生涯のはるか彼岸にあるとの考え方を
否定しているようなものである。
いわば天上は生涯にわたり
われわれを待っていて、
一時的にいつでも入りこみ、
われわれが日常の努力の生活に帰るまで
楽しもうと身構えているようである。
そしてひとたびわれわれがそれにひたると、
絶えず思いを新たにし、
この記憶を大切にして、
逆境の際には
心の支えともなるのである。」

「そればかりでない。
刻一刻の成長の過程が、
それ自体完全な意味において、
本質的に報いられる喜ばしいものである。
それらは山頂の至高体験でなくとも、
少なくとも山麓の経験であり、
まったくの自己正当性をもつ喜びの曙光であり、
生命の一瞬である。
生命Beingと生成Becomingとは
矛盾するものでも、
たがいに排反するものでもない。
接近と到達とは
ともにそれ自体報酬なのである。」
(『完全なる人間』
上田吉一訳、誠信書房)

さて、
マズローの言葉を見てみましたが、
探求のプロセス自体の中に、
達成の至福が、
すでにいくらかは含まれている、
というわけなのです。

そうではないと、
たしかに人は、
動機を失いがちになってしまう
ともいえます。

しかし、
筆者が見た多くの事例からも、
実際のところは、
至高体験を含有する、
さまざまな強度な体験が、
人生には、
侵入して来るものなのです。

それとはわかりにくい、
多様な姿や形態で、
至高体験は、
私たちの生のうちに、
含まれているものなのです。
「山頂」にいなくとも、
それに連なる「山麓の経験」は、
非常に多くあるのです。

要は、
気づきawarenessを、
磨いていくことで、
それらを掘り起こし、
育てていくことなのです。

そのようなヴィジョンや熱意、
体験に開かれている姿勢が、
心身の探求を進める上でも、
とても重要なことであるといえるです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
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「聖霊」の階層その3 意識の振動レベル ジョン・C・リリーの冒険から

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
未知の階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究や、アイソレーション・タンクの開発者である、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
過去2回、検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量

今回は、第3弾として、
そのような心(意識)の階層構造の仮説として、
博士の著作『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)の中の、
「意識の振動レベル」という、
階層図式について、
取り上げてみたいと思います。

ところで、
意識の「振動レベル」とは、
リリー博士が、
南米の秘教的スクールであるアリカ研究所で、
創設者のオスカー・イチャーソから、
教示されたものです。
それを、博士が、
自己の体験と照合して、
自著の中で、
解説しているものとなります。

イチャーソ自身は、
スーフィー系、グルジェフ系の教えをもとに、
さまざまな思想をミックスさせて、
自分独自の訓練システムを編み出し、
アリカ・システムとして、
60年代に展開しはじめました。

ところで、
(ついでに記すと)
結果的に、
彼の思想の中で、
一番有名になり、
普及したものといえば、
今では、
性格タイプの分類体系として知られる、
「エニアグラム」でした。

これは、元々、
イチャーソのシステムの元では、
原分析(プロトアナリシス)と呼ばれており、
私たちの自我(エゴ)の偏向を正すために、
利用するツールでした。

「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有率でも、
触れたように、
アリカ研究所では、
自己(セルフ)の中における、
自我(エゴ)と、
本質(エッセンス)の占有率というものを、
重視したのでした。

そして、
自我(エゴ)の占有率が減れば減るほど、
その分、ノイズがなくなり、
私たちの内(外)なる、
本質(エッセンス)が輝き出る、
働くようになると考えていたようです。
これは、シャーマニズム的な見地からも、
ある意味、妥当だと思われます。

そのために、
サトリの妨げとなっている、
自我(エゴ)の歪みを正すことが、
本質(エッセンス)、つまり、
存在の肯定的状態をより得るために、
必要だったわけです。

そのために、
個人の自我(性格)の偏向を捉えるために、
原分析(プロトアナリシス)ということを、
行なっていたわけです。

この原分析(プロトアナリシス)が、
エニアグラムとして広まった理由は、
リリー博士の知り合いで、
同時期に、アリカ研究所で訓練を受けた、
(本書にも登場する)
精神科医クラウディオ・ナランホ博士が、
自分の元々の、
心理学的な性格分類研究と合わせて、
エニアグラムを、一部の人々に、
教授しはじめたことがきっかけでした。

ところで、性格分類は、
上記、訓練システムの一部のものなので、
教授した対象者にも、
決して口外しないようにと、
守秘義務の約定書などをとっていたようですが、
受講者が、勝手に流布し、
結果的に爆発的にひろまってしまったので、
ナランホ博士やイチャーソも、
状況を、追認せざるえなくなったのが、
実情のようです。

ところで、
チリ出身のナランホ博士は、
フリッツ・パールズ直弟子の、
ゲシュタルト療法家であり、
向精神性植物の研究や、
チベット密教、スーフィーの実践者としても、
知られている人物です。
ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢

さて、
話をもとに戻しますと、
「意識の振動レベル」とは、
そのオスカー・イチャーソが、
グルジェフ系のものとして、
提示している、
意識の階層モデルです。

それぞれの、
高低の階層を、
振動レベルの違いと呼んで、
数字で区分けしています。

(意識の振動レベルなどというと、
何か仰々しい感じがしますが、
あまり気にせず、
変性意識状態(ASC)の質性の違い程度に、
とらえておいて、
問題ないと思われます)

そして、
各振動レベルによる、
各意識状態があり、
私たちの通常の意識状態から、
移行する形で、
それら高次、もしくは低次とされた、
意識状態に、移っていくというわけです。

高次のレベルへの移行が、
攻殻機動隊のセリフにいう、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
状態であるわけです。

また当然、同時に、
複数の振動レベルを持つことも可能であり、
リリー博士は、
日常生活(地上生活)における、
ひとつの統合状態として、
そのようなものを目指して、
努力していくこととなります。

リリー博士は、
それらの各意識状態を、
アリカに倣って、象徴的表現を交えつつ、
以下のように記しています。

「振動レベル48」が、
ニュートラルな状態で、
より肯定的なプラスの状態と、
より否定的なマイナスの状態に、
上下対称的に、
分かれています。

①振動レベル+3
 古典的なサトリ。救世主になる。宇宙的な心との融合。神との合一。

②振動レベル+6
 仏陀になる。意識、エネルギー、光、愛の点―源。
 透視の旅。透聴の旅。頭の心的センター。

③振動レベル+12
 至福状態。キリストになる。宇宙的愛。宇宙的エネルギー。
 高められた身体的自覚。身体的意識と地球意識の最高の働き。
 胸にある感情センター。

④振動レベル+24
 専門家的サトリあるいは基本的サトリのレベル。
 必要なプログラムのすべてが生命コンピュータの無意識内にあり、
 円滑に機能している状態。下腹部の運動センター。

⑤振動レベル48
 中立的な生命コンピュータの状態。新しい観念の吸収と伝達の状態。
 肯定的で否定的でもない中立的な状態で、
 教えることや学ぶことを最大限に促進すること。
 地上。

⑥振動レベル-24
 否定的状態。苦痛。罪の意識。恐怖。
 しなければならないことを、苦痛、罪の意識、恐怖の状態ですること。

⑦振動レベル-12
 極端に否定的な身体的状態。人はまだ身体内にいるが、
 意識は委縮し、禁じられ、自覚は苦痛を感じるためにのみ存在する。

⑧振動レベル-6
 極端に否定的であるということを除けば、+6に似ている。
 煉獄に似た状況で、人は意識やエネルギーの点―源にしかすぎなくなる。

⑨振動レベル-3
 宇宙らに遍在する他の実体に融合するという点では+3に似ているが、
 それらは最悪である。自己は悪で、意味をもたない。
 これは悪の典型であり、想像しうる最深部の地獄である。
 (リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)


さて、
リリー博士は、本の中で、
過去のさまざまな変性意識状態(LSD体験等)を、
これらの各振動レベルでの体験として、
割り付けていきます。

そして、
自己の探求の足取りを、
各意識の振動レベルの、
さまざまな体験として、
整理していくのです。

そして、
アリカでの、
実際のトレーニングの中で、
意識の各振動レベルを、
上昇していく様子が、
(上部構造にシフトする様子が)
具体的な風景描写として、
描かれていくこととなります。

また、
さまざまな意識の振動レベルが、
同時的に働いていく様子も、
実際的に、
細かく描かれていくこととなるのです。

その結果、
本書における、
これらの記述は、
実際に、
さまざまな変性意識状態(ASC)を体験し、
それらをどう位置づけたらよいか、
苦慮している人々にとって、
大変参考となるものに、
なっていったのです。

…………………

さて、以上、
リリー博士による、
「意識の振動レベル」について、
概観してみましたが、
博士の実体験として、
本の中で描いている、
各種の変性意識状態(拡張された意識状態)は、
他の精神的探求の伝統に見られる、
さまざまな体系と呼応して、
大変興味深い記録とも、
なっているのです。

そして、また、
これらが、
具体的な方法論の描写を伴う、
(科学者の)実験レポートのような体裁になっている点が、
本書を資料的にも、
より貴重なものにしているともいえます。

この手の体験領域を、
記述しているものの多くは、
前提として、
任意の価値観や思想を、
はじめから含んでいるものが多く、
結果として、
探求としての中立性(明晰性)に、
曇りや歪みが、
生じてしまっているからです。

そして、実際のところ、
本書での図式は、
世界中の、
各種の風変わりな、
変性意識状態(ASC)の事例や、
意識拡張的な事例を、
分析・検討していくに際しても、
さまざまに役立っていくものでも、
あるのです。


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「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量 ジョン・C・リリーの冒険から

 

さて、以前、
映画『攻殻機動隊』を素材に、
私たちの心が持つ、
階層構造の可能性について
考えてみました。
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識

そして、映画の、
「さらなる上部構造にシフトする」という、
セリフ(素材)をもとに、
イルカ研究者、アイソレーション・タンクの開発者であり、
映画『アルタード・ステーツ』のモデルにもなった科学者、
ジョン・C・リリー博士の探求事例を、
検討してみました。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー

今回は、その続編として、
博士の探求事例の中の、
興味深い点をもう少し、
細かく見てみたいと思います。

ところで、リリー博士は、
純然たる科学者であり、
そもそもは、神経生理学の研究から、
意識の研究をはじめました。

私たちの「脳」や「意識」というのは、
一切の知覚・感覚を遮断しても、
(外部情報の入力なしに)
自律的に、存在するものなのだろうか、
というような切り口から、
意識の研究をはじめたわけです。

博士の当初の考え(仮説)では、
脳のソフトウェアでしかない意識などは
外部情報の入力なしには、
独立存在しないだろう、
ということだったわけです。
その実験のために作ったのが、
アイソレーション・タンクだったわけです。
そこから、
イルカの研究にもつながっていくわけです。

ところが、
さまざまな実験を繰り返す中で、
感覚情報なしにも、
意識は存在することや、
加えて、
感覚遮断した意識状態に、
興味深い現象が現れることに、
気づいていくこととなったのです。

もともと、博士は、
精神分析の訓練などは、
受けていたわけですが、
さらに、当時発見され、
精神医学の領域で使われはじめていた、
LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を用いて、
意識についての解明を、
試みることにしたわけです。

さて、
そのような博士の著作に、
『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)という、
自伝的な体裁をとった本があります。

博士自身が、
結論部分で、最終的な解答を見出してないと、
言っているように、
探求の途中経過と、素材として仮説を、
年代記風に示した著作です。

ところで、その本(や前著)の中に、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」と、
名付けられた図式があります。

人間の生命システムが、
どういうプログラミングの、
階層構造になっているかを、
示したものです。

上位にあるものが、その下位にあるものを、
プログラミングし、
制御しているという構造です。

10―未知なるもの
9 ―本質のメタプログラミング
8 ―自己のメタプログラミング
7 ―自我のメタプログラミング
6 ―(制御システムとは関係のない)メタプログラミング全般
5 ―プログラミング
4 ―脳の諸活動
3 ―物質的構造としての脳
2 ―物質的構造としての身体
1 ―(身体と脳を含む)すべての側面をもった外的現実
(リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳、平河出版社より)

「自我(エゴ)のメタプログラミング」あたりが、
通常の私たちの日常意識のレベル、
つまり、諸々のつまらないことに囚われ、
翻弄されている、普段のレベルとなっています。

「自己(セルフ)のメタプログラミング」は、
高度な気づきAwarenessの状態や、
統合の水準であり、
下位のものが統制され(妨げられることなく)、
自己の全体が、
滑らかに作動している状態とされています。

「本質(エッセンス)のメタプログラミング」は、
さらなる上部構造システムの働きです。
「本質とは、人間、個人、身体、生命コンピュータに適用される、
宇宙的法則の最高の表現である」(前掲書)
仮説として、
抽象的に置かれた(措定された)ものといえますが、
博士自身によると、
LSD実験による、体験と検証の中で、
仮定されたものとなっています。
最上位の階層が、
「未知のなるもの」となっているのは、
そのような意味合いからでしょう。

ところで、
『意識(サイクロン)の中心』において、
多くの紙数を占める、
スーフィー的スクール(アリカ研究所)の訓練体験の中では、
このような階層構造を、
上がって(上昇して)いく様子が、
さまざまに描かれています。
化学的なグラフでも示されています。

そこにおいては、
「自己(セルフ)」の中における、
「自我(エゴ)」の含有量が減っていくと、
反対に「本質(エッセンス)」の含有量が増えていくと、
描写されています。

ノイズが減り、
純粋な自発性が、
輝くように現れて来るわけです。
それは、
素晴らしく肯定的な状態、
ハイな意識状態(エクスタシィ)として、
描かれています。

一方、
「自己(セルフ)」において、
「自我(エゴ)」の含有量が増えていくと、
ノイズや落ち込みが増え、
「本質(エッセンス)」の含有量が、
無くなってしまうものとして、
描かれています。

苦痛や葛藤の多い、
ローな状態に、
なってしまうわけです。

さて、
ところで、上に見た、
含有量の構造などは、
実は、
心理療法(ゲシュタルト療法)の世界においても、
同様に、普通に見られる現象だとも、
いえるのです。

ゲシュタルト療法においても、
セッションを数多くこなす中で、
自我の分裂や葛藤が減り、
自己が、より全体性として、
働く感覚が生まれて来ると、
自己の奥底にある、
より自由で、自発的な自己(オーセンティック・セルフ)が、
生きられるようになる、
という構造です。

そして、
私たちは、
より肯定的な意識状態に、
長く留まれるようになる、
という事態(構造)です。

そして、
それはまた、
シャーマニズムにおいて言われることと、
同様の事柄でもあるのです。

シャーマンが、
自我の詰り(ノイズ)を取り去り、
自己をパイプのように
空洞にすればするほど、
未知のメディスン・パワーがそこを流れ、
働きやすくなるという構造と、
似通ったものなのです。

それは、聖なる息吹に充ちた、
パワフルな状態であるというわけです。
そのために、
シャーマンにおいては、
戦士的な空無の状態であることを、
重視することとなっているわけです。

そして、
それはまた、
元ネタの、攻殻機動隊にならって、
新約聖書を引用するとするならば、
ガラテヤ書にある、
パウロの言葉、
「最早われ生くるにあらず、
キリスト我が内に在りて生くるなり」
(生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである)
という体験領域なども、
聖霊に満たされた信徒たちと同様、
「本質」の含有量の、
極めつけに高まった状態だと、
類推することもできるわけなのです。


このように、
興味深いことに、
数々の事例から知られることは、
自己が「全体として」働けば働くほど、
やがて、そこから、
自己を超えた要素が、
「本質(エッセンス)」的な要素が、
フロー体験のように現れて来る、
ということでもあるのです。

リリー博士の、
「人間生命コンピュータの機構(シェーマ)」は、
そのように、
さまざまな視点とも響きあう、
普遍的な構造を持った図式として、
参考になるものでもあるのです。


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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
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体験的心理療法
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「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から

さて、今回は、
私たちの内で働いている、
心的システムの、高次の学習階層について、
考えてみたいと思います。
これらは、
変性意識状態(ASC)の中などでは、
しばしば出遭うことになる、
自己システムの隠された側面とも、
いえるものかもしれません。


◆フロー体験で働く機構

ところで、
以前、取り上げた、
フロー体験flow experienceにおいては、
私たちは、高度な集中状態の中で、
特殊な意識(心身)状態に、
入り込むこととなります。

そこにおいては、
私たちは、その行動(行為)を、
圧倒的で、没我的な集中状態で、
行なっているわけですが、
そこでは、

自分で完全にコントロールしているという、

感覚と同時に、あたかも二重写しのように、
「自分でないものの力」によって、
それらの行動が為されているかのような、
不思議な感覚を得ることになります。



その状態においては、
まるで、何かの自動化によって、
高速的に、最適な判断と選択、
迅速で的確なアクションが、
取られていくかのようです。

おそらく、
この状態においては、
ベイトソンのいう、
二次学習の機能の成果が
並外れた状態で働いているとも、
言えるのかもしれません。

また、この状態における、
閃光のようなフリキシブルな創造性からすると
三次学習の要素も、いくらか、
含まれているのかもしれません。

いずれにせよ、
非常にひろい幅の、
学習階層で、
心身の創造性が、
発揮されている状態であると、
推察されるわけです。


◆心身のメタ・プログラマー

さて、ところで、
ベイトソンの友人で、
イルカの研究者や、
アイソレーション・タンクの発明者としても、
著名な、ジョン・C・リリー博士は、
合法時代のLSDを使った、
心理・意識機能の探求者、研究者でもありました。

人間心理における作動のシステムを、
プログラミングや、
そのメタプログラミングとして記述する、
『バイオコンピュータとLSD』(リブロポート)は、
自らをLSDセッションの被験者として、
(精神分析的な知見も含め)
人の心理機能を、
システムの制御体系として、
抽象度高く表現した書物です。

また、その後の、
『意識(サイクロン)の中心』(平河出版社)においては、
前著の体系を引き継ぎつつ、
心身(意識)システムの制御における、
プログラムとメタプログラミングの階層構造を、
各種の実践体験の中で、実験(確認)していくという、
興味深い書物となっています。

そこにおいては、
私たちの日常意識(プログラム)を制御する、
高次のシステム(メタ・プログラマー)についても、
さまざまな考察がめぐらされています。

そして、
フロー的な体験や、それ以上の体験のように、
極度に潜在能力が解放された、
特殊な存在状態においては、
メタ・プログラマー自身が、
私たちの存在を制御し、
操縦していくかのような事態が、
興味深い実体験(事例)とともに、
数多く紹介されています。

そのような事例などは、
例えば、フロー体験の中で、
どのような超越的なシステムが、
私たちの内で作動しているのかを考える際の、
ヒントになるものと思われるのです。

また、その際の、
仮説としての、心の階層モデルなどは、
世界の諸伝統などとも響きあう、
共通性を持ったモデルでもあり、
そのさまざまな比較検討が、
可能なものともなっているのです。


◆「聖霊」の働く階層

ところで、以前、
映画『攻殻機動隊』と、
そのゴーストGhostの変性意識状態(ASC)について、
考えてみた際、
初期のキリスト教徒に見られた、
「聖霊体験」について、
それらを一種の変性意識状態の事例として、
取り上げてみました。

つまりは、
聖書にある、
「聖霊にみたされる」体験を、
システム的に、
意識が、
未知なる心身の「上部構造」とつながる体験として、

とらえてみる可能性について、
考えてみたわけです。

そして、
上部構造とつながるシステムな体験であるがゆえに、
情報が整列されることにより、
私たちの日常意識(下位構造のプログラム)を、
整理・改変する力、
つまりは統合(治癒)する力が、
生まれるのではないかと、
比喩的に、考えてみたわけです。

ところで、
そのように考えてみると、
この、心の階層システム的な仮説が、
先に見た、
リリー博士のいう、
「私たちのプログラム(日常意識)を、
制御するメタ・プログラマー」という仮説と、
近しい姿を取っていることに、
あらためて気づかされるわけです。

そして、実のところ、
筆者自身、
拙著『砂絵Ⅰ 現代エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

に記したように、
風変わりな変性意識状態(ASC)を、
さまざまな経験として持ったわけですが、
判然とはわからないものの、
それらの事象の背後に、
何らかのシステム的なつながりがあることは、
類推(予感)できたのでした。

そのようなことからも、
これら心的システムの、
プログラミングにまつわる領域には、
世の事例の多さを考えてみても、
探査検討すべき領域が、
まだ沢山あると感じられるのです。


◆この人生の背後にあるもの

私たちの人生には、
何らかのきっかけで、
日常意識を超える要素が、
変性意識状態の片鱗として、
やって来ることがあります。

それらは、
ひょっとしたら、
私たちの日常意識の背後で働いている、
メタ・プログラマーの、
何らかの調整作用の影響であるとも、
考えることができるのかもしれないのです。

日常生活で、
ふと舞い込む、
覚醒感や、感覚の拡張、

偶然や運として、
それらは姿を現わしているのかも、
しれないのです。

そのため、
当スペースでは
X意識状態などと呼んで、
それらに感覚的に焦点化することなども、
行なっているわけです。

それらに、
意図的に気づき、意識化していくことにより、
私たちの、
高次の学習機能も、
少しずつ高まっていくからです。
そして、おそらくは、
メタ・プログラマーの創造的な影響を、
呼び込むことも、
可能になると考えられるからなのです。



※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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階層を超える創造の飛躍 パブロフの犬か、ベイトソンのイルカか


さて、前回、
映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識
を語る中で、
ベイトソンの学習理論について、
触れました。

そこでは、
学習次元の階層を超えるような、
創造的な飛躍が起こる場合があることについて、
少し記しました。

このような階層を超える学習(創造性)について、
ベイトソンは、
『精神と自然』(新思索社)の中で、
興味深い事例を挙げているので、
今回は、そのことについて、
見てみたいと思います。

或るイルカの事例です。

ある時、そのイルカショーでは、
「毎回、イルカに『新しい芸』を教えることができる」
ということを売り物にすることを考えたそうです。

つまり、毎回、そのステージ(セクション)で、
イルカが、或る「新しい芸」をやり、
「そのことを覚えた」とイルカが再現する、
という高度な芸です。
イルカ的には、一日の中で、そのステージごとに、
毎回、新しいしぐさなりを表現し、
そのことを覚えた(学習した)ことを、
人に示すということです。

ここでイルカには、
「或る特定のことことを覚えていれば、エサがもらえる」
という、よくある単純なコンテクスト(二次学習)より、
高度なことが、課せられたのです。

或る時は、覚えている芸Aをやったら、
エサがもらえた。
しかし、次に、芸Aをやっても、
エサはもらえない。
偶然、芸Bをやったら、
エサがもらえた。
しかし、それをもう一度やっても(新しい芸ではないので)、
エサはもらえない。
最初、イルカは、混乱したようです。

しかし、試行錯誤を繰り返す中で、
イルカは、ついに、
「わかった」ことを示すかのように、
嬉しそうな反応をしたそうです。

そして、次々に、
「新しい芸」を見せ出したそうです。

つまり、イルカは、
より高い階層から、
自分の置かれた「コンテクスト(文脈)」を、
理解することをできたのです。

「芸A、芸B、芸C」と、
既存の芸を、ひとつのクラス(類)と見なし、
それとは別の「新しい芸」のクラス(類)が、
自分に求められているものだと理解したのです。
「新芸X、新芸Y、新芸Z」をひとつのクラス(類)として考え、
それを行なっていくことが必要だと理解したわけです。
「芸A…」と「新芸X…」のクラス(類)の差異を理解したのです。


このゲーム全体のコンテクストを理解したのです。
それは、
今までの自分が置かれた階層を、
超えた視点からの理解です。
そこに、
イルカは、飛躍することができたのです。

一方、対照的に、
ノイローゼに陥ったパブロフの犬の、
事例が挙げられています。

その犬は、
丸と、楕円形を識別する訓練を受けたようです。
丸の時は、反応Aを行なう、
楕円形の時は、反応Bを行なう、
というようなことでしょう。

その上で、
丸か楕円形か、識別できない形態が、
提示されたようです。
すると、
犬は、明らかに混乱し、
神経症的な症状を示し出したようです。
つまり、選択肢「丸か楕円形か」の間で、
「識別できない」という、
ダブルバインド(二重拘束)に入ってしまったのです。

つまり、パブロフの犬は、
選択肢「丸か楕円形か」が、
ひとつのクラス(類)であり、
「その他のクラス(類)が、
他の選択肢としてあるかもしれない」
という可能性を、
見出せなかったのです。
そのため、既存の学習の中で、
袋小路に入って(詰んで)しまったのです。

さて、見るところ、
人間の場合も、
個人の行動や、企業の戦略においても、
多くの場合、
パブロフの犬のようにしか振る舞えない、
というのが実情ではないかと思われます。
既存の二次学習の中で、
ダブルバインドに陥ってしまうのです。

つまり、
自分が慣れ親しみ、
身についた既存の二次学習、
既存の視野(選択肢)の階層を、
超える飛躍とは、
なかなかに難しいのです。

習慣的学習ではない超習熟と、
覚醒的な気づき、
プラスアルファの要素が、
必要となります。

そしてまた、
頭で考えるだけの方法論(aboutism)では、
自分自身を構成している
二次学習のプログラムを超える(相対化する)ことは
これも大変難しいからです。
考えることは、解離的なプロセスであり、
それ自体に、物質的に働きかける方法には、
ならないからです。

当スペースが、
ゲシュタルト療法(心理療法)を、
方法論に置いている理由は、
ここにあります。

それは、
ゲシュタルト療法のセッションは、
変性意識状態(ASC)に入り込む中で、
しみついた二次学習のプログラムに、
背後から直接、
コンタクト(接触)できる方法論となっているからです。

そして、
それを、気づきawarenessのうちに、
修正することができるからです。

これが、
当スペースの、
方法論的な狙いとその特徴と、
なっているのです。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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変性意識と天国的な身体―臨死体験のメタファー






以前、映画『マトリックス』について語る中で、通常の私たちの意識が過ごしている世界が、認知的な〈残像〉でしかないことについて触れました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

そして、体験的心理療法のような、心身一元論的な解放が、私たちに別の世界を垣間見せてくれることについて記しました。

ここでは、(昨年2016年に16年ぶりの新譜を出した)アヴァランチーズ The Avalanches の昔のミュージック・ビデオ(PV)、楽しくも感動的な Since I Left You を素材に、私たちの中にある変性意識状態と、「天国的な身体」の存在について記してみたいと思います。

この動画は、ストーリー仕立てになっています。
冒頭のシーンは生き埋めになった炭鉱夫二人が、途方に暮れている情景です。
すると、どこからともなく、上の方から、音楽が聴こえてきます。
音の方向を掘り崩すと、そこに天井板のようなものがあり、それを上に開けると、二人の女性が彼らを迎えるように見つめているのです。

上の空間(部屋)に出てみると、そこでは、何やらダンス・オーディションのようなことが、行なわれているのです。
さきの女性のダンサーたちも、踊りはじめます。
二人はそれを見ているのですが、なぜか、片方の鉱夫(相棒)が、フラフラと惹き寄せられるように、音楽に誘われるように、そのダンスに加わっていきます。
審査員の前で、踊りはじめます。

最初のうちは、動きも硬かった相棒も、だんだんとこなれたステップを、取りはじめます。
女性たちが、手を引いてくれ、ともに踊っていきます。

まるで何かから解き放たれたかのように、彼は、徐々に華麗なステップを取りはじめるのです。
生き生きと、そして、優美に舞うかのようです。
そして、最後には、素晴らしい大団円の大回転(ジャンプ)を決めるのです。

拍手喝采です。

すると、踊らなかった相棒は、ふと、自分が色彩を欠いた白黒の姿になっていくことに気づくのです。
そして、踊っていた相棒の姿を見ると、そこには、〈光に包まれた彼の姿〉があったのです…

さて、このビデオには、最後に種明かしがあります。
老人になった、踊らなかった方の男が、回想して語ります。
自分が救出されてからは、彼(相棒)と会っていない。でも、彼がどこに行ったとしても、彼は、素晴らしい時を過ごしていると思うよと。

つまり、この動画の情景は、いわば「臨死体験 Near Death Experience 」の間の風景だったわけです。
語っている男は、目覚めてこの世に戻り、踊っていた相棒は、光の国に去っていったのです。

動画には、最初の時点で、すでに仕掛けがあります。

板の扉を開けた時点で、
Welcome to paradise, paradise, paradise と
声が聞こえているのです。

つまり、このオーディションは、そもそも彼ら自身の天国へのオーディション、だったわけです。

だから、女性たちは、不思議な明るい眼差しをして、彼らを迎えたのです。彼女たちは、天使だったのでしょうか。そして、相棒の彼は、オーディションに参加し、受かって、向こう側の世界に行ってしまったわけです。

さて、そのことが分かるとこの映像は、どのように見えてくるでしょうか。
フラフラと踊りに加わった相棒は、この世に残った男より、すでに「あの世」に近いところにいたというわけですが、これは、おそらくメタファー(暗喩)としてとらえられると思います。

フラフラと審査員の前に出た相棒の彼は、まるで、ふと何かに気づいたかのように踊りはじめます。
音楽のグルーヴに身を任せつつ、徐々にしなやかになっていきます。
最初はぎこちなかった、身のこなしもだんだんとほぐれてきて、しなやかな波動を放ちはじめます。
女性ダンサーたちや音楽と、ひとつになっていきます。
おそらく、それは、彼がそれまでの人生の中では、(さまざまな重みから)決してとれなかったであろう彼本来の軽やかなステップです。
彼はそれを取り戻していくのです。

踊る中で、彼からさまざまな「この世」的なものが脱落していきます。
彼は、自分の自由なステップ自身になっていくのです。
解き放たれていくのです。
そして、「本来の彼自身」になっていく(戻っていく)のです。

また、踊りに加われない炭鉱夫もとても重要です。
彼ら二人は、どちらも私たちの内側にいる存在(キャラクター/自我状態)だからです。
私たちの中には、つねに「踊れないと思っている自分」と、「本当は素晴らしく踊れる自分」とがいます。
通常、私たちは、勝手に自分は踊れないと思っているだけです(そのキャラクター/自我状態に同一化しています)。

しかし、そんな踊れない自分でさえ、解放された相棒の素晴らしいステップを見ていると、自分も思わず身体を揺らして、タンバリンをたたいてしまうのです。
(最後のシーンに、「天国のダンス」を忘れなかった証からか、彼のタンバリンが映っています)

そんな風に、自分の中の踊れる自分を活かしていくことが、大切なのです。

私たちは、自分の天国的な音楽に、本来の自分の音楽に、身を任せきることができれば、皆、踊れる存在なのです。
そのようなダンスを通して、私たちは本来の姿を取り戻していきます。
ごつい無骨な感じの相棒の男が、しなやかに解放されていく姿は、私たちの心を打ちます。
それは、私たちの皆が持っている本来の姿だからです。
反復される歌詞も、別のことを語っていません。

Since I left you
I found the world so new
Everyday
あなたを後にしてから、毎日毎日、世界がとても新しいことに気づいた


私たちは、思い込みの残像としての世界を離れれば、いくらでも解き放たれた新しい世界を見つけだすことができるのです。
それは、今まで、感じたこともなかったようなカラフルで、鮮やかな世界です。
映像では、向こう側の世界がカラーで、こちら側の世界が白黒になっていることにもそれは暗示されています。
(だから、最後、踊らなかった男は、白黒に戻っていくのです)

私たちは、心身を解き放っていく中で、そのように、色あざやかで、光に包まれた存在の次元(天国的身体/意識/ドリームボディ)を、自分の内に持つことができるのです。

そのような二重の存在として、この世を生きることが可能なのです。
素晴らしい時は、死後にだけあるわけではないのです。
それは、今ここにも、存在しているのです

この世でも、天国へのオーディションを軽やかに突破して、自分の本来の天国を実現することが可能なのです。
むしろ、そのこと、生きることの「意味」でしょう。

それには、相棒の彼のように、霊感に誘われるままに、自分自身のステップを踏みはじめることです。
最初は、上手くできなくてもいいのです。
音楽の流れに身を任せて、グルーヴのままに身体を動かしていくことです。
そのうち、身体の硬さもだんだんとれてきて、流れ(フロー)や波動に乗りはじめます。
身体の動きが、天国の音楽とひとつになっていきます。
自己の内側に、変性意識的な、天国的身体(意識/ドリームボディ)が生まれ、溢れてきます。

まずは、一歩一歩、生活の中で、自分本来のダンス・ステップを見つけはじめることです。
埋もれた壁の向こうから、聴こえて来る音楽に耳を澄まし、自分の本来のグルーヴや鼓動を感じとることがら、はじめることです。
そのことで、毎日毎日、世界が新しいということを、気づけるようになるのです。

 ※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓

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『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
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フロー体験とフロー状態について


さて、現代の心理学の領域で「フロー flow」として知られる心理状態があります。シカゴ大学のチクセントミハイ教授がまとめた心理状態の定義です。

スポーツ選手などが競技のプレー中、最高のパフォーマンスを展開している時などに、しばしば入る心理状態「ゾーン ZONE 」などとして人口に膾炙されています。
そこでは意識が変性し、「あたかも時間が止まっているかのように」「ボールが止まっているかのように」物事が鮮明に見られるとも言われたりします。
この状態は、広くは変性意識状態(ASC)の一種と考えてよいのです。

私たちも、普段の生活の中で最高にノッていて、何か物事に集中・没頭している時に、しばしばこのような意識状態に入っていきます。チクセントミハイ教授は語ります。

「…これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィートバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を『フロー』と呼ぶことにした」M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)

そして、

「目標が明確で、フィートバックが適切で、チャレンジとスキルのバランスがとれている時、注意力は統制されていて、十分に使われている。心理的エネルギーに対する全体的な要求によって、フローにある人は完全に集中している。意識には、考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。することはなんでも、それ自体のためにする価値があるようになる。生きていることはそれ自体を正当化するものになる。肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、人生はついに非の打ち所のないものになる。」(前掲書)

と言います。

さて、この心理状態には、私たちが充実した生の感覚、充実した瞬間、ひいては充実した人生を生きるための実践的なヒントが含まれています。ここではそれらを少し見ていきたいと思います。

ところで、フロー状態についての知見が興味深いのは、この状態を僥倖のように散発的で偶然に生ずるものとしてではなく、諸条件によって意図的に創り出せるものとして研究がされているということです。

これらの知見は、私たちが、実際に物事に取り組む際に、自分の最高の内的状態と最高のパフォーマンス(アウトプット)を生み出すのに、どのように要件をそろえればよいのか、意図をフォーカスすればよいのかについて、さまざまなことを教えてくれます。

チクセントミハイ教授は、これらの内的状態の属性を以下のように数え上げています。
(『フロー体験とグッドビジネス』大森弘監訳(世界思想社)より)

①目標が明確であること

この目標は、長期的な最終目標のことではありません。
今、目の前で直接かかわっているこの事態、この過程の中で何に達すべきか、何がベストなのか、その目標を知悉しているということです。この今やるべき瞬間的過程の目標です。そこにパーフェクトなコミットメントがあり、ブレが無いということです。

②迅速なフィートバック

これはこの瞬間の、自分の行為に対する直接的なフィートバックのことです。
この瞬間の一手が正鵠を得ているのか、そうでないのか、その瞬時の返答がこちらの感覚を鋭敏に目覚ましてくれるのです。そのような直接のフィードバックがあることで、私たちは瞬時に行為と戦術を修正します。そして、すぐに再アタックできます。この瞬時の繰り返しの中で、私たちの俊敏な感覚的スキルが高まっていくのです。

③機会と能力のバランス

教授は指摘します。

「フローは、スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時に起こる傾向がある」「フローはチャレンジとスキルがともに高くて互いに釣り合っているときに起こる」「よいフロー活動とは、ある程度のレベルの複雑さにチャレンジしようとする活動である」(前掲書)

自己の錬磨したスキルを前提に、それをさらにチャレンジ的に働かす時に、フロー状態は生じてくるわけです。チャレンジ的な物事を電光石火のように高速的に処理する中で、私たちは緩やかな登り坂を上がりつつ、飛躍的霊感に満たされるのです。

④集中の深化

フロー状態に入ると、集中は通常の意識状態より一次元深い状態となります。
これは、フロー状態の変性意識状態(ASC)的側面です。注意力は澄みきり、雑念は入り込む余地なく背景に消え去り、意識は眼前のその行為体験自体に深く没入した状態となるのです。


⑤重要なのは現在

その中で、行為に関わるこの瞬間(過程、時間)のみに完全に没入していきます。
雑事に対して、「脇に立つ」「外に在る」という意味でのエクスタシィ状態に入るのです。過去も未来もなくなり、ただ、この「現在のみ」が在ることになります。


⑥コントロールには問題がない

そして、この心理状態の中で、自分がその状況を「完全にコントロールしている」という感覚を持ちます。
すみずみまでに、パーフェクトな統御感が現れてくるのです。

⑦時間感覚の変化

その中で、時間の感覚自体が変わっていきます。時間は、歪み、拡縮しています。知覚力と意識が澄みきり、何時間もが瞬く間に過ぎ去ったように感じられたり、ほんの一瞬間がスローモーションのようにゆっくりと動いて見えたり、止まって見えるように感じられます。純化された別種の時間を生きているように感じられるのです。

⑧自我の喪失

その体験の中では、私たちの日常のちっぽけな自我は、背景に押しやられています。
体験の核にある不思議な〈存在〉感の圧倒的な現前が、その場のすべてを占めているように感じるのです。自分ではないものとして、その体験を体験しているように感じるのです。
それは、ある種の自己超越的な体験とも言えるかもしれません。

 

さて以上が、フロー(状態、体験)の諸属性の概略ですが、このすべての要件がそろわなくとも、私たちは人生の中で、このような充実した状態を偶然のようにしばしば体験しています。
そして、その充実の時を思い返してみると、生活の中でこのような意味深い体験の割合を、意図的に増すようにすれば、より深い創造的な人生が送れるだろうということは、容易に想像がつくと思われます。
意識拡張状態としての変性意識状態(ASC)というものを考えていくにも、とてもヒントになる部分が多いのです。

 

……………………………………………………………………………

ところで、実際的な見地から、しばしば指摘される事柄があります。

上で見たようにフロー状態を生み出すには、スキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスを調整することが重要といわれます。このことに、関係した視点です。

通常、私たちの日常生活は、多くの時間、絶好調というよりかは、「退屈(弛緩)しているか」または「ストレス(不安、圧迫)」を感じているかという状態です。
これは、フロー状態を見る観点からすると、取り組みの目標設定に問題があるのだということもいえます。
退屈(弛緩)している状態というのは、自分のスキルに対して、目標のチャレンジ度が低すぎる状態です。
一方、ストレス(不安、圧迫)を感じている時は、目標や理想、対象が自分のスキル〔技能〕に対して高すぎるといえます。だから、私たちの心は圧迫を感じるのです。

私たちが、ちょうどいい感じで充実して集中できるのは、フローの領域、つまり「スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時」です。
そのため、自分が退屈していたり、ストレスを感じている時は、自分の手前の目標を調整して、自分がよく機能する状態を、適度なチャレンジを、意図的に創り出し、設定していくことが重要となります。

そのように、日々物事に、適度なチャレンジをもって取り組むことで、私たちの心は充実と適度な緊張を持つとともに、生きるスキル〔技能〕も確実に高まっていくのです。
そして、結果的には、より「複雑で」「高度」な物事を処理できるようになり、最終的には、かなり満足度の高いフロー状態をも生み出しやすくなっていくのです。

◆ゲシュタルト療法とフロー状態

ところでフロー状態を生み出すのに、一番「基礎的な条件」が何かといえば、それは心理的なレベルで十分な心理的「統合」状態に達しているか否かという点です。
心理的なレベルで葛藤や分裂を抱えていれば、いくら上記のような条件を整えても、充分に深いフロー状態に入っていくことに限界があるからです。
ドライブする欲求(感情)がバラバラだったり、ノイズまじりだったりするからです。
逆の言い方をすると、なぜゲシュタルト療法など体験的心理療法を深めていくと、集中力が深まり、パフォーマンスが高くなるのかという理由もここからわかります。
ゲシュタルト療法などを通じて心と体が解放され、内部のノイズ(葛藤)がなくなり、癒(統合)されてくると、私たちの欲求(感情)エネルギーが、ひとつの流れに集中しやすくなるからです。
欲求(感情)に葛藤がなくなり、自分が集中したいものに容易に没頭できるようになるからです。
そして、その結果、このようなフロー体験をかなり意識的に、高頻度に生み出しやすくなってくるのです。

また、適切なゲシュタルト療法が体験された場合、習熟される変性意識状態(ASC)へ入るスキルも決定的な要素です。
変性意識状態(ASC)に入ることに慣れると、意識の流動化が高まり、フロー状態へのより的確に入ることができるようになるからです。

そのような意味においても、当スペースでは、このようなフロー状態とその体験を、人格的統合の達成度合いを見る重要な指標としても重視しているのです。
そして、当スペースの方法論を、フリー freeでフロー flowなゲシュタルト療法と謳っているわけなのです。

 

【ブックガイド】
フローに入りやすくなるための心の解放技法、ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
フロー体験や、変性意識状態(ASC)への入り方など、その詳細な概要と実践技法は、入門ガイド↓
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
をご覧下さい。

また、変性意識状態が導く広大な世界を知りたい方はより総合的な↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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コチラ

↓動画解説 フロー体験 フロー状態

↓動画解説 変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際


総合サイト案内 能力拡張のマップ


 

 

当サイトは、以下の4つのパートで構成されています。 

 (全体はこちら→サイトマップ)

 

【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

…当スペースの方法論の基礎である、

 ゲシュタルト療法について、解説しています。

 

【PART2 Standard】気づきと変性意識の技法 基礎編

…変性意識状態(ASC)をはじめ、

 ゲシュタルト療法や心理療法を補足し、拡張する、

 重要な視点を、解説しています。

 

【PART3 Advanced】気づきと変性意識の技法 上級編

→より自由な、気づきと変性意識の技法のモデルとして、

 さまざまなトピックを取り上げています。

 

【PART4】フリー・ゲシュタルト・ワークス

→当スペース関係のご紹介となります。

 

…このPART1~3の流れで、

 私たちは、能力と意識を、より高めていくこととなります。

 心 Mindの「守・破・離」の流れになります。

 この背景では、ベイトソンの学習理論なども

 参照されています。


…非日常意識を扱う、方法論的なスタンスとしては、

 「トランスパーソナル心理学」などと、

 重なっています。

 (※サイケデリック〔意識拡張〕体験とは何か。

 グロフ博士のLSD体験と時代背景 インタビュー動画↓)

 http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

 

…心理療法の技法と、変性意識状態(ASC)を、

 活用することで、他にない形で、

 私たちの心身の解放や、意識能力の拡大が、

 実現されていきます。

 自分の中に、

 トランスパーソナル(超個)な次元が、

 開いてくるのです。 

 それは、私たちに生きる意味を教えて、

 能力を大きく解放することとなります。


…ところで、よく勘違いされますが、

 トランスパーソナル(超個的)な意識と、

 個的な実存(意識)は、排除しあうものではありません。

 トランスパーソナル(超個的)な意識は、

 個的状態を透過しているのです。

 それらは併存しているのです。

 それが統合されたトランスパーソナル状態というものです。


…そのため、

 トランスパーソナル(超個的)な体験を深めれば深めるほど、

 それを統合すれば統合するほど、

 私たちは、より「個」としての在り方や充電を、

 鮮烈で豊かなものにできるのです


…その結果、優れたアウトプットの創出や、

 さまざまな豊かな成果を、

 人生で手にすることができるようになってくるのです。
 →セッションで得られる効果と成果

 

 

⑴心理的変容の見取り図

 

【前段】心理的変容の技法 見取り図

…まず、前段(イントロ)として、

 当スペースの視点によって、

 コーチング、NLP、心理療法等の各種の方法論の中で、

 ・ゲシュタルト療法(体験的心理療法)

 ・気づきawareness、

 ・変性意識状態(ASC)

 などが、マップ的に、位置づけられています。


スライド1 (3)

 

⑵セッションで得られる効果と成果

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されるとともに、

 拡張された意識状態(日常意識+変性意識)と、

 優れたアウトプットが、得られていきます。

 

▼当スペースでのセッションを通して、

 さまざまな方法論(スキル)が、習得されます。

 (以下は、抜粋です)

 

 

▼当スペースで得られる成果

 獲得された方法論(スキル)により、

 ビジネスや日常生活で、まわりの人々をサポートしたり、

 優れたアウトプットを、引き出せるようになります。

 

⑶書籍の案内

 

気づきや統合、変性意識状態(ASC)への、

より総合的な方法論は、拙著↓

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、

より詳細な

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

をご覧下さい。

 

 

↓動画「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」

 

※多様な変性意識状態についてはコチラ

↓動画「ゲシュタルト療法 変性意識状態 エクスタシィ(意識拡張)」

 

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

 

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」

アディクション(中毒・嗜癖)にひそむ精神性

ここでは、
アディクション(中毒、嗜癖)の探索について、
書いてみたいと思います。

ユング派や、あの種の心理療法の考え方では、
アディクション(中毒、嗜癖)の背後には、
精神的(霊性的)なものがあるといいます。
 
クライアントの方の中において、
アディクション(中毒、嗜癖)は、
深い無意識の渇望を充たすための、
代替物として、便宜的に、
その中毒物(中毒体験)がえらばれている、
と考えるわけです。

催眠療法などでも、
中毒治療のアプローチとして、
中毒体験時(状態)で起こっていると思しき、
体験過程を仮定して、
その欲求を充たす手段を、
中毒物ではない別の代替物に転化させるように、
無意識に対して働きかけたりします。

そして、このような無意識の渇望が求める、
体験過程というものには、
私たちの日常意識の理解しがたい要素や、
精神性が、存在している場合もあるのです。
そのため、無意識は、
嗜癖物を通した変性意識状態(ASC)によって、
それらを、得ているとも考えられるのです。

以下は、そのような嗜癖の背後にある、
無意識の精神的欲求を探っていくための、
ワークです。

これは、その昔、

プロセスワークの、

マックス・シュパック博士に、
教えてもらったものとなります。


◆アディクション(中毒、嗜癖)を扱うワークの手順

①まず、自分の嗜癖である、
あるテーマ(飲酒等)を選びます。

②その対象を、
実際に、体験して(味わって)いる時の、
一連の物理的手順や感覚的プロセスを、
すべて細かく思い出します。
そして、ゆっくりと、それを実演するかのように、
再現して、その体験過程を感じてみます。
今まで、気づかなかったような細部(ディテール)に、
気づいていくことと思います。

③次に、その体験過程の中で、
自分が最も魅力に感じている要素を見つけます。
その感覚体験があるがために、
その嗜癖を求めてしまっている要素です。
どこがもっとも魅惑的な要素なのか、
言葉で表現すると同時に、
より直観的な形で、線や図形としても、
書きとめてみます。

さらに、その要素を、
身体的な動作、例えば「手の動き」にしてみます。
そして、その動きを実演して、体感してみて下さい。
その感覚要素を表すのに、ぴったりとした、
「手の動き」を見つけ出すのです。

④次に、②で行なった手順や体験過程を、
スローモーションで再生するかのように、
もう一度、再現してみます。
その体験プロセス・手順を、
細かく分けて、味わうように見ていきます。
自分の体験過程の諸相を、微分するかのように、
細かく気づいていきます。

(例)中毒が珈琲を飲むことの場合

・お湯を沸かす
・珈琲の豆の袋をひらく
・珈琲の豆をすくう
・珈琲の豆を挽く
・珈琲をむらす
・珈琲をドリップする
・お湯を注ぎ足す
・器に注ぐ
・注がれた珈琲を見る
・器を手に取る
・香りを嗅ぐ
・器に口をつける
・珈琲を飲む
等々です。

実際の手順や感覚体験は、
もっと細かく分けられるでしょう。
そのようなプロセスを、
実演しながら、感覚的な体験過程の諸相に、
気づいていって下さい。

⑤次に再演した体験過程・感覚体験のなかで、
今まであまり気に止めていなかった部分、
気づいていなかった部分、盲点のような部分、
謎めいた不思議な部分を探してみて下さい。

中毒(嗜癖)体験なので、今まで何度も、
反復している事柄ですが、
その中で、あまり気づいていなかった、
未知の部分です。

③で見た部分のように、
表面的にわかる部分ではなく、
隅に引っ込んでいたり、
遠くにあって、不鮮明な部分です。

⑥そして、その謎めいた部分、
不思議な部分というものを取り出して、

③でやったように、
言葉や線や絵を与えてみて下さい。
書き留めてみて下さい。

そしてまた、同様に、
その要素を、身体的な「手の動き」にしてみます。
それを実演してみて下さい。
その要素を表す、ぴったりとした、
「手の動き」を見つけ出して下さい。

⑦さて、嗜癖の体験過程から取り出された、
2つのタイプの「手の動き」が見つかりました。
次に、その「手の動き」を、
探求的に、実演していきます。
その背後にあるものを、探っていきます。
まず、最初の③の手の動きを、
実演してみます。

実演する中で、
手の動きが変わって来るようであれば、
それで結構です。
その本質的な要素が変わらないレベルで、
自然な変化に任せて下さい。
ダンスになるようであれば、
その動きや変化を、展開してみて下さい。

その特性・特徴を味わい、
よく実感して、それが自分にとって、
「何を意味しているのか」に気づいていって下さい。
何が魅惑で、嗜癖的に惹きつけるのかを見つけて下さい。
気づいたことがあったら、書きとめて下さい。

次に、⑥の2番目の手の動きに対しても、
同様のことを行ないます。
その中から出て来るものに気づき、
書き留めて下さい。
 
⑧さて、次に、
その2つの手の動きを交互に行ない、
この2つの要素の関係性を探っていきます。
その両方の動きの感じをよく味わいながら、
2つに共通している要素を、
探り、気づいていってみて下さい。
どこかそれらの本質に、
共通している要素がないか。
探ってみて下さい。
そして、この2つの要素が共存する、
空間・場所・状態がないか、
手に動きや体の動きを、
軸にして、探ってみて下さい。
そのようなものが、見つかったら、
書きとめておいて下さい。
それが自分とって、どんな意味があるか、
時間をとって、考えてみて下さい。

 


…………………………………………………………………

さて、
手順だけでは少しわかりにくいので、
事例として、著者の体験を記してみましょう。

十年以上前ですが、

当時は、珈琲に対して、
大きな(中毒的な?)嗜癖を持っていたので、
テーマに取り上げてみました。

さて、まず、最初の手の動きは、
刺すような、稲妻のような動きでした。

その手の動きは、刺すような、
ジグザグで素早い、ギザギザの動きでした。
それは、筆者が、
珈琲に見出している覚醒感の要素の表現でした。
その覚醒感を求めて、
珈琲を飲んでいるといっていい要素でした。

次は、2つ目の手の動きですが、
それは、筆者にとって、
思いがけないところから、
どこから取り出されました。

さきの④⑤の手順にあるように、
珈琲を体験する際の一連の手順や体験を、
気づきの欠けた(謎めいた)部分を探るために、
何度も反復し、気づきを当てていきました。

すると、ふと、
それまで、意識していなかった、
ある体験過程に、気づいたのです。
筆者は、珈琲をドリップして抽出し終わると、
「一瞬だけ」
ホッとして、安心することがあるのでした。
そして、珈琲をすぐには飲まずにいるのでした。

それは、一瞬だけのことなので、
普段、意識していなかったのですが、
スローで体験を再生してみて、
そんな体験をしていることに、
気づいたのでした。

その「一瞬だけ」ホッと安心する要素を、
手の動きにしていくと、
それは気功のような、太極拳の動きのような、
ゆったりとした静謐な動きになりました。
「まったき平和の空間」
そんな要素が、そこにはあったのでした。

そして、その2つの手の動きの要素を、
交互に織り交ぜて、響かせ合いながら、
共通する要素を探っていきました。
その自然な動きの展開に合わせて、
ヴィジョンを追っていくと、
(閃光のように)
ある感覚的なイメージに導かれました。

それは、刺すような点の感覚と、
広大に遍在する光の空間が、
まったく同時に、
同じものとして存在しているような、
不思議に抽象的な空間でした。

点の存在と、空間の遍在とが、
同時に在るような、
奇妙な空間イメージ・感覚でした。

「点はいたるところにある」
そんなメッセージがやって来ました。

点の(非)局在の中に、遍在は含まれており、
遍在空間は、点(いたるところにある)に含まれている。
というようなメッセージでした。

「ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる」
(寿岳文章訳)

そんなウィリアム・ブレイクの詩句を、

思い出しました。

それは、
「いまここで在ること」と、
「遍在して在ること」をつなぐ、
在り方を示唆するものだったのです。

また、当時、抱えていた身体症状に関連して、
無意識の深いに訴えかけて来るような、
メッセージだったのでした。
 

…………………………………………………………………

さて、このワークは、
実際的な効果も持ちました。
それは、以前、珈琲に感じていたような、
強迫的な渇望感がなくなったということです。
余裕をもって、その肯定的な体験を味わえる、
嗜好品になったのです。

つまり、珈琲は、筆者の心身(無意識)の中で、
今ここの感覚的鋭さと、
遍在性を結びつけるという直観の、
媒体物(代替物、ドラッグ)として、

存在していたのでした。

そして、
そのことに、気づきが得られたことで、
以後、珈琲は、嗜癖的な呪物から、
単なる感覚的ヒントをくれる嗜好品に、

変わったのでした。

 

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への、

より総合的な方法論は、拙著↓

入門ガイド

『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

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心理学的に見た「チベットの死者の書」

50死者の書


『チベットの死者の書』という有名な書物があります。
チベット仏教のカギュ派の埋蔵教(偽典)として知られる書物ですが、この本は変性意識状態(ASC)をはじめ、ゲシュタルト療法や体験的心理療法、深層心理学のことを考える上でとても参考(モデル)となる本です。
心理学者カール・ユングは、本書を座右の書としていたと言われていますが、筆者も各種な強度の変性意識状態(ASC)を経験した者として、本書で示されている構造や原理をさまざまなヒントとしてきました。

ここでは、その「チベットの死者の書」を、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリーらが、心理学的にリライトした『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience 』(邦訳『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 八幡書店)をもとに、その内容を色々と見ていきましょう。

◆バルドゥ(中有)と心の深層構造

まず、「死者の書」が何について書かれた経典(本)であるかというと、それは「人が死んでから、再生する(生まれ変わる)までの、49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)のことが書かれている経典(本)である」ということです。

人間が生まれ変わることが、前提となっているというわけです。ただし、この前提は、この経典(本)を読むにあたってあまり気にしなくともよい前提です。
というのも、語られている内容は、(確かに死に際して)心の底から溢れてくる現象(設定)ということになっていますが、それは、人間の心の構造に由来する普遍的な現象であると考えることができるからです。
必ずしも臨死的な状況に限定しなくとも、心の深層領域が発現している事態と解釈することができるからです。
「チベットの死者の書」に描かれている世界は、生きている私たちにも同様に存在している深層心理の世界だといえるからです。
だからこそ、この「死者の書」は、心の広大な領域を探求する人々を魅惑し、広くよく読まれていたというわけなのです。

ところで、心理学者のティモシー・リアリーたちが、この経典(本)をリライトした理由があります。
当時は、薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
の研究がはじまったばかりの時代でした。
薬物による「サイケデリック(意識拡大)体験」
おいては、私たちの非常に深層のところにある心理的・生理的・生物的次元の事柄が、意識の表層に溢れ出してきます。
しかし、実のところ、その体験で「何が起こっているのか」あまりよくわかっていないという状況でした(現在でさえ充分にわかっていないのですから、当時の混迷ぶりは容易に想像がつきます)。
そのような状況下において、「チベットの死者の書」の内容が、正体不明のサイケデリック体験(の内容)に対して、一定の理解を与えてくれると感じられたためでした。
リアリーたちは、サイケデリック体験の内容と「死者の書」で描かれている体験とは、「同じ深層心理」の現れと理解したのでした。
そして、それも実際のサイケデリック・セッションに「役立つ」という実践的な面もあったのでした。

また別の見方をすると、リアリーらの西洋文明の視点からだと、サイケデリック体験で起こる心的現象をなかなか一貫した形で説明できなかったのですが、「チベットの死者の書」はその事態に対して、ある種堅固な世界観を与えてくれる面もあったのでした。

以上のような理由からも、この「チベットの死者の書」は、特異な臨死現象や宗教的な信念体系を語っている経典というだけのものではなく、私たちの「深層心理の世界」を理解するのに参考になるテキストとしても読むことができるということなのです。

ところで、この経典がどのような「形式」をとって書かれているかというと、たった今死んだ死者に向かって「語りかける言葉(声かけ)の形式」となっています。
その死者が、見ているだろうものを告げ、描写し、アドバイスを与えるという形式になっているのです。

「聞くがよい、○○よ。今、お前は、○○を見ているであろう」という感じです。

ところで、「死者の書」では、死んだ魂(死者)は、死んだ後に3つのバルドゥ(中有)を体験し、生まれ変わるとされています。

しかし、経典(本)の中心のメッセージは、
「さまざまな無数の心惹く像が現れてくるが、それらにとらわれることなく、本当の眩い光明を、自己の心の本性と知り、それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、解脱が達成されて、生まれ変わり(輪廻)から離脱できるであろうというのです。

そのため、死者が移行する3つのバルドゥ(中有)について、刻々と諸々の事柄が語られますが、それは、解脱できなかった者たちに対して、このバルドゥで、自己の(心の)本性ををとらえて解脱せよという意味合いの語りなのです。

◆3つのバルドゥ(中有)

さて、死者は、死んだ後に以下の3つのバルドゥを順々に体験していきます。

①チカエ・バルドゥ
→超越的な自己の世界
→法身

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

さて、この3つのバルドゥは、心理学的には、心の深層から心の表層までの3つの階層(宇宙)を表したものと見ることができます。死後の時間的遷移を「逆に」見ていくと、この構造はわかりやすくなります。

③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身

の世界は、再生(非解脱)に近い、最後の段階です。
その世界は、もっとも身近な私たちの自我の世界です。通常の心理学があつかっているのもこの世界です。リアリーらの死者の書では、とらわれの自我のゲームを反復してしまう世界として描かれています。サイケデリックな体験の中でも、低空飛行している段階で、日常の自我のゲームが再演されている状態です。

②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身

の世界は、心の深層の世界、私たちの知らない深層世界がダイナミックに滾々と湧いてくる世界です。死者の書では、膨大な数の仏(如来)たちが現れてきます。濃密な密教的な世界です。心の先験的とも、古生代ともいうべき、ユング心理学でいう「元型的な世界」です。系統樹をさかのぼるような世界かもしれません。(サイケデリック体験などでは、系統樹をさかのぼり、自分が爬虫類などに戻る体験を持つ人もいます)

①チカエ・バルドゥ
→根源的な世界
→法身

は、根源的な、超越的な自己の世界で、上の2つの較べて、空なる世界に一番近い世界です。
ある面では、心理学の範疇には入らない部分ともいえます。ただ、そのような始源的な世界(状態)を仮定することはできます。
リアリーらはこの状態を、ゲームの囚われから解放された、自由の、自然の、自発性の、創造の沸騰する世界と見ます。それでも、充分有効なとらえ方と言えます。

そして、バルドゥ(中有)の現れ方の順番でいうと、死後に一番最初に出会うのが、この「根源の光明(クリアーライト)」の世界なのです。

ところで、「死者の書」の中では、それぞれのバルドゥでは、仏(如来)=「光明」が2つずつ現れてくるとされています。
恐れを抱かせるような眩い光明の如来と、より親しみを感じさせるくすんだ光明の如来の2つのパターンです。

そして、経典は告げます。
恐れを抱かせるようなより眩い光明が、根源の光明であり、それを自己の(心の)本性と見なせと。根源の光明に共振し、同調し、同化せよ、と。そうすれば、解脱できるであろうと。
そして、親しみ深い、よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、そちらには向かうなと告げます。解脱できないからだと。
ただ、多くの人は、この後者の光明に向かってしまうようです。
そのため、解脱できずに、次のバルドゥに進んでしまうのです。

◆経過

さて、死者は、このような3つのバルドゥを経過していくのですが、ティモシー・リアリーは、サイケデリック体験における、この3つの世界の推移の仕方についておもしろい喩えを使っています。サイケデリック薬物の効き方であると同時に、心の構造について示唆の多いことです。それは、各体験領域の強さ(強度)の推移変化は、高いところから地面にボールを落とした時の「ボールの弾む高さ」(の推移変化)に似ているということです。

通常、落ちてきたボールは、最初のバウンドで高く弾み上がります。2度目のバウンドではそれより少ししか弾みません。3度目のバウンドではさらに少ししか弾みません。

つまり、サイケデリック・トリップの初発の段階が、重力(自我)から解放されて、一番遠くのチカエ・バルドゥまで行けて、次にチョエニ・バルドゥまで、次に、シパ・バルドゥまでと、段々と日常的な心理的に次元に落ちてきてしまうという喩えです。

この喩えは、私たちの心の構造や、心の習慣、可能性を考えるのにも、大変示唆の多いものです。

2つの光明の喩えといい、私たちの中には、大いなる自由に比して、慣習と怠惰に惹かれていくというおそらく何かがあるのでしょう。

 

◆変性意識(ASC)の諸次元として

さて、「チベット死者の書」の世界を、心の諸次元の構造として見てきましたが、この世界は、死の体験や薬物的なサイケデリック体験を経由しなくとも、色々な変性意識状態の中で、さまざまにあいまみえる世界です。このモデルをひとつ押さえておくことで、心理学的な見方のさまざまなヒントになっていくと思われるのです。

 

※関連記事
「サイケデリック体験とチベットの死者の書」
 この二種類の如来についての仮説は、
「リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識状態」
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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※ジョン・レノン(ビートルズ)が、LSD体験や、この本にインスパイアされて、
Tomorrow Never Knowsという曲を創ったのは有名なエピソードです。




 




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