ここでは、
「未来からの未完了の体験」
ということについて、
見てみたいと思います。
しかし、これは変な言い方です。
過去の出来事によって、
未完了の欲求不満が生じ、
未完了の体験が生まれるのに、
未だ存在しない未来の体験から、
未完了の体験が生ずるとは変な話です。
当然、これは、ひとつの喩え話です。
ところで、よく、ゲシュタルト療法の中では、
未完了の体験がなくなったら、
どうなるのかという問いかけがあります。
教科書的な答えは、
過去の未完了の体験に妨害されることなく、
「今ここの、ありのままの現実を体験できる」
というものです。
これは、程度の問題はありますが、
実際、そのようなことが起こってきます。
セッションでの取り組みを通して、
私たちの中で、ざわめくさまざまな心的ノイズが、
消失していくに従い、
より直接的に、ダイレクトに、
「現実」を感じ取れるようになっていくのです。
しかし、一方、
人生経験の中では、常に、
新しい未知の事態に直面していくものなので、
そこで葛藤は生じ、
それほど酷いものではありませんが、
軽度な未完了の体験(ゲシュタルト)は、
多かれ少なかれ、
創られ続けていくのです。
それは、ゲシュタルト療法の、
標準仕様の姿なのです。
しかし、ここでは、
もっとその先にある、
心の、大きな全体性という視点から、
生じて来る、未完了のゲシュタルトについて、
考えてみたいと思います。
ところで、実際、長年、
ワーク(セッション)を繰り返して、
心を掘り進んでいくと、
少し毛色の変わった、
「未完了的なテーマ」らしきものが、
浮上してくるというは、
あることなのです。
そのテーマの性質や姿は、
単純な過去の出来事に起因するのとは、
違うタイプのものです。
過去の生活史を探ってみても、
その事実の中に、
その痕跡をつかまえることはできません。
単なる未完了の事柄とは、
違った印象を受けます。
さて、どうやら、
私たちの秘められた心とは、
より深部に潜めている、
全体性・完全性を、
実現しよう、成就しようという、
強い欲求を持っているようなのです。
そのため、
過去の人生にあった、
未完了の体験を完了(無く)していくと、
今度は、さらに違ったレベルの、
心の全体性を、
実現したがりはじめるのです。
未来の心の全体性が、
現在の人生の中に、
押し入り、侵入して来るかのようです。
それは、心の、
ダイナミックで、
創造的な側面ともいえます。
拙著の中では、
このことを、
人生の中に現れて来る、
「夢の力」として、
重要な事柄として取り扱っています。
そのため、
当スペースでは、
未完了の体験を完了させていくと、
今度は、心は、次の、
「より大きな未完了(完全性)を、
引き寄せるだろう」とします。
そのことは、
徒労感を感じさせるでしょうか?
しかし、
それは、創造的で、
エキサイティングな事柄なのです。
※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
【第一部 ゲシュタルト療法関連】
【第二部 気づきと変性意識】
【第四部 当スペース関係】
→著作紹介