ゲシュタルト療法に関係して触れられるエピソードのひとつに、パールズが、日本に来た際、京都で参禅をしたという話があります。そのゲシュタルト療法への影響についての例証のように語られます。
実際、パールズの自伝に、そのことへの言及があります。しかし、その記述は、パールズが元から持っていた考えへ確認(ヒント)以上の強い印象を持たなかったようにも見受けられます。
しかし、ゲシュタルト療法の中には、確かに禅と共通する点が「本質的なレベル」で存在するのです。パールズの直観力、野生的な勘の良さというべきかもしれません。
気づき awareness の力に対する洞察は、ゲシュタルト療法の効果や原理を、各種の瞑想技法との比較の中で検証する機会となります。
「『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。『気づく』ということは、知的で意識的なことではない。言葉や記憶による『~であった』という状態から、まさに今しつつある経験へのシフトである。『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)
『気づき』と『コンタクト』と『現在』は、一つのことの違った側面であり、自己を現実視するプロセスの違った側面である」(前掲書)
このような気づきawarenessへの理解が、ゲシュタルト療法の核心にあるのです。
◆禅とゲシュタルト療法
さて、〈気づき〉の力の理解において、また、その実践を通した達成において、禅とゲシュタルト療法は、近いところにあるというのが、当スペースでの考えです。
ただ、それぞれの特徴や傾向がありますので、各々の利点を活かして実践することが、人格的な統合や自由を獲得するためのポイントとなると考えられます。
①ゲシュタルト療法の禅に較べての利点
ゲシュタルト療法の利点とは、体験的心理療法であるが故の、心理・感情面の取り扱い方とそのダイナミックな解放作用です。
人格における感情や対人関係のあり様を対象にして、心理的な統合を進めていくが心理療法です。そのため、ゲシュタルト療法では、感情面での解放と人格的統合を速やかに進めることができます。
また、心身一元論的な方法論でもあるため、肉体面でのエネルギーの解放が顕著な効果としてすぐに現れます。
一方、禅は、静的な集中が基本のため、気づきの力は鍛えられますが、ダイナミックな感情的解放や統合は、直接的には促進されません。場合によっては、静観的な固定化により、感情的な問題が解離され、取り残されてしまう場合もあります。感情的な進化や統合が進まないということもあります。
②禅のゲシュタルト療法に較べての利点
禅の利点とは、気づきへの集中と留まりです。ゲシュタルト療法は、気づきのセラピーというわりには、この点が、おろそかになりがちです。
というのも、ゲシュタルト療法では、セッション(ワーク)が、強烈な感情的なカタルシスをもたらすこともあるため、(場合によって)そのことに気が取られ過ぎて、気づき awarenessの力によって、体験を対象化したり、自己を対象化することを、おろそかにしがちになるのです。
しかし、この気づきの力が弱いと、体験を抱える統合過程が進まないということも生ずるのです。また、感情的なカタルシスばかりを求めて、セラピーに通うという本末転倒なことも起こるのです。気づきの力が経験を対象化できてこそ、深い感情的体験も人格的に統合ができるのです。
そのため、これらの要点を意識した上で、ゲシュタルト療法や禅をそれぞれ行なっていくことが、より効果的なのです。
ところで、スポーツには「クロス・トレーニング」という考え方があります。自分の専門以外の競技をすることにより、自分の専門分野では鍛えられない肉体や身体能力を鍛えるものです。そのことにより、総合的な身体能力が高まり、結果として、専門ジャンル自体の能力もグッと高まっていくのです。
同様に、禅やゲシュタルト療法を(また、その他の体験的心理療法も)、その特徴やポイントを把握して、自由に交えながら取り組んでいくことが、心の総合力や統合を高めていくには、効果的なことだと思われるのです。
※気づき、野生、変性意識状態(ASC)についてのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。