もし、君たちが、明日を違ったものにしたければ、
ウスペンスキー『奇跡を求めて』(浅井雅志訳)
グルジェフは、別に、
フランスの学院に掲げた文章群の中にも、
「明日という病から自由になった者のみが、
ここに来た目的を達成することができる」と、
たしか書いていました。
人生において、
何かを「為す」ことができる時とは、
「今、ここ」だけです。
そこを逃して、他に、「時」はありません。
今日、少しだけ、新しい局面をひらいたら、
明日は、少しだけでも、違ったものになります。
今日を、今ここを、怠惰に流したら、
何も変わらない明日が、そのままあるのです。
新しい生の局面をひらきたいなら、
今日、少しだけでも、努力して、
小さな冒険をしてみること。
そんな繰り返しが、
いつしか、
私たちを思いがけないところに、
まず今日を違ったものにしなければならない。
もし、今日が単に昨日の結果であるなら、
明日もまったく同様に、今日の結果となるだろう。
―G・I・グルジェフ
ウスペンスキー『奇跡を求めて』(浅井雅志訳)
グルジェフは、別に、
フランスの学院に掲げた文章群の中にも、
「明日という病から自由になった者のみが、
ここに来た目的を達成することができる」と、
たしか書いていました。
人生において、
何かを「為す」ことができる時とは、
「今、ここ」だけです。
そこを逃して、他に、「時」はありません。
今日、少しだけ、新しい局面をひらいたら、
明日は、少しだけでも、違ったものになります。
今日を、今ここを、怠惰に流したら、
何も変わらない明日が、そのままあるのです。
新しい生の局面をひらきたいなら、
今日、少しだけでも、努力して、
小さな冒険をしてみること。
そんな繰り返しが、
いつしか、
私たちを思いがけないところに、
運んでいくのです。
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