ゲシュタルト療法を
実際に経験していくと、
おそらく、
それまでの人生で、
あまり経験してこなかったような類いの、
ある「行動」の重点・推奨に、
気づかれると思います。
それは、
「表現すること」
または、
「アウトプットすること」
です。
これは、
心理療法の技法としても、
特徴的ですし、
また
日本人の文化水準から見ても、
そのように言えるかと思います。
なので、
ある意味、
この点で、
ゲシュタルト療法は、
日本人にとって、
敷居が高くなる面があるのと同時に、
逆に、
爆発的な効果を持つという、
ことにもなります。
この点が、
ゲシュタルト療法が、
特に、
日本人に対して、
大きな可能性を持つ側面といえます。
普通、日本では
「個人として表現する」
とか、
「個としての表現」
というものを、
あまりしない(歓迎しない?)社会です。
まわりに合わせて、
自分の個としての表現を、
抑圧しがちです。
集団の中に、
個人が埋没する社会です。
それが、
推奨される社会です。
一方、
ゲシュタルト療法は、
真実の欲求や感情に根ざした、
個としての自立を、
とても重視します。
自分が外部から取り込み、
鵜呑みにして、
自分を抑圧している作用を、
否定します。
「ノーと言える能力」
を重視し、
育てます。
そういう面でも、
ゲシュタルト療法では、
個としての能力や、
尊厳を大切にします。
「ゲシュタルトの祈り」は、
そのような面の、
あらわれでもあります。
なので
ゲシュタルト療法では、
その場が、
安全・安心である、
という枠組みがあるからですが、
セッション(ワーク)の中で、
自分の、
「なまの感情」を出したり、
「なまの表現」をすることを、
大いに奨励します。
好き嫌いや、
肯定否定を、
明確にうち出すことを、
推奨します。
「実験として」
という枠組みで、「少しリスクをとって」
さまざまな自己表現することを、
試してもらいます。
そのアウトプットすることが、
個の自立能力を、
高めていくからです。
最初は、
おっかなびっくりで、
抵抗があった、
たどたどしい表現も、
手ごたえを感じて、
慣れてくると、
だんだんと、
自分の中心から、
感情表現できるように、
なっていきます。
表現やアウトプットすることに対する、
自信がついてきます。
より、
自発的に表現できるように、
なってきます。
個として、
その人らしい表現が、
行なえるように、
なっていきます。
それは、
前記したように、
安全な空間で、
実験として、
色々と、
ロールプレイが試せるからです。
そして、
身内に育った自信は、
実生活の中や、
人生の選択の中でも、
さまざまに、
役立っていきます。
「言うべきか、言わないべきか」の、
どちらかを選ぶ段で、
「あえて言う(表現する)」の方を、
選ぶこと、
(日本人は、たいがい、
言わない方を、選びますが)
それが、
人生の可能性を、
大きく開いていくということを、
経験として、
実体験として、
勘として、
つかんでいきます。
そのような、
アウトプットが、
自分の内奥の命を活かす道であるとともに、
他人の魂も覚醒させる道である、
ということに、
気づいていきます。
この点だけにおいても、
現代日本人に対して、
ゲシュタルト療法は、
真に必要なミッションを、
持っているとも言えるのです。
フリー・ゲシュタルト・ワークスが、
よって立つ、
大切な視点でもあります。
※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への
【第二部 気づきと変性意識】
【第四部 当スペース関係】
→著作紹介