潜在意識と変性意識を利用した自己変容で
 〈流れる虹のマインドフルネス〉へ
           
〈変性意識〉と〈深化/進化型のゲシュタルト療法〉で、
    あなたのビジネス、アート、コーチング、カウンセリング、NLPに
        真の超越的次元をもたらします

フリー・ゲシュタルト・ワークスは、
「実践的心理学」―ゲシュタルト療法―
をベースに、
・ほしい未来や状態の実現、目標/目的の達成
・卓越したパフォーマンスの発揮(発現)
・並外れたアウトプットの具現化
・自信や意欲の向上、自己肯定感のアップ
・まわりの人々(他者)への影響力の増大
・人間関係の悩みや葛藤解決、過去の囚われからの解放
・才能と独創性(天才性)の発掘/発揮
・アウェアネス(awareness 気づき)とマインドフルネスの向上
・意識と知覚の拡大、覚醒 awakeness 状態の実現
・既存の自己(世界)からの超越と変容
・自己変容と至高体験 peak-experience の達成
など、
心の能力を育て、増大するための、
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変性意識状態(ASC)と、ゲシュタルト療法)を、
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アウトプットとゲシュタルト療法Ⅰ

さて、

ゲシュタルト療法を

実際に経験していくと、

おそらく、

それまでの人生で、

あまり経験してこなかったような類いの、

ある「行動」の重点・推奨に、

気づかれると思います。

 

それは、

「表現すること」

または、

「アウトプットすること」

です。

 

これは、

心理療法の技法としても、

特徴的ですし、

また

日本人の文化水準から見ても、

そのように言えるかと思います。

 

なので、

ある意味、

この点で、

ゲシュタルト療法は、

日本人にとって、

敷居が高くなる面があるのと同時に、

逆に、

爆発的な効果を持つという、

ことにもなります。

 

この点が、

ゲシュタルト療法が、

特に、

日本人に対して、

大きな可能性を持つ側面といえます。

 


普通、日本では

「個人として表現する」

とか、

「個としての表現」

というものを、

あまりしない(歓迎しない?)社会です。

 

まわりに合わせて、

自分の個としての表現を、

抑圧しがちです。

集団の中に、

個人が埋没する社会です。

それが、

推奨される社会です。


一方、

ゲシュタルト療法は、

真実の欲求や感情に根ざした、

個としての自立を、

とても重視します。

 

自分が外部から取り込み、

鵜呑みにして、

自分を抑圧している作用を、

否定します。

「ノーと言える能力」

を重視し、

育てます。

そういう面でも、

ゲシュタルト療法では、

個としての能力や、

尊厳を大切にします。

 

ゲシュタルトの祈り」は、

そのような面の、

あらわれでもあります。

 

なので

ゲシュタルト療法では、

その場が、

安全・安心である、

という枠組みがあるからですが、

セッション(ワーク)の中で、

自分の、

「なまの感情」を出したり、

「なまの表現」をすることを、

大いに奨励します。

 

好き嫌いや、

肯定否定を、

明確にうち出すことを、

推奨します。


「実験として」

という枠組みで、

「少しリスクをとって」

さまざまな自己表現することを、

試してもらいます。

そのアウトプットすることが、

個の自立能力を、

高めていくからです。

 

最初は、

おっかなびっくりで、

抵抗があった、

たどたどしい表現も、

手ごたえを感じて、

慣れてくると、

だんだんと、

自分の中心から、

感情表現できるように、

なっていきます。

表現やアウトプットすることに対する、

自信がついてきます。

より、

自発的に表現できるように、

なってきます。

 

個として、

その人らしい表現が、

行なえるように、

なっていきます。

 

それは、

前記したように、

安全な空間で、

実験として、

色々と、

ロールプレイが試せるからです。

 

そして、

身内に育った自信は、

実生活の中や、

人生の選択の中でも、

さまざまに、

役立っていきます。

 

「言うべきか、言わないべきか」の、

どちらかを選ぶ段で、

「あえて言う(表現する)」の方を、

選ぶこと、

(日本人は、たいがい、

言わない方を、選びますが)

それが、

人生の可能性を、

大きく開いていくということを、

経験として、

実体験として、

勘として、

つかんでいきます。

 

そのような、

アウトプットが、

自分の内奥の命を活かす道であるとともに、

他人の魂も覚醒させる道である、

ということに、

気づいていきます。

 

この点だけにおいても、

現代日本人に対して、

ゲシュタルト療法は、

真に必要なミッションを、

持っているとも言えるのです。


フリー・ゲシュタルト・ワークスが、

よって立つ、

大切な視点でもあります。


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。



 



【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【第四部 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

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著作紹介

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啐啄同時と、創造の機


さて、ここでは、

「啐啄同時(啐啄同機)」について、

書いてみたいと思います。

 

啐啄同時は、禅語であり、

有名な『碧巌録』の中にある話です。

 

啐啄とは、

つつくことを意味しており、

啐啄同時とは、

雛鳥が卵から孵る場面の描写と、

なっています。

 

啐とは、

雛鳥が、内側から卵の殻をつつく合図、

啄とは、

親鳥が、(雛鳥が、卵の外に出てくるのを助けるために)

外から卵の殻をつついて割ることをです。

そして、

この啐啄は、

同時でなければならないということを、

意味しています。

 

啐がないのに、

親が、卵の殻を割ったら、

育っていない、中の雛は死んでしまいます。

また逆に、

啐があったのに、

親が、卵の殻を割らなかったとしたら、

外に出られない、中の雛は死んでしまいます。

 

そのため、

啐啄は、同時でなければならないというのです。

啄は、

早すぎても、遅すぎても、

いけないのです。

 

『碧巌録』の中では、鏡清禅師の弟子が、

禅師に、悟りを手助けしてほしいと訴える、

そんなエピソードとして語られます。

 

そしてまた、この喩え話は、

教育における、タイミングの妙としても、

よく引かれます。

 

心理療法の世界においては、

クライアントの機が熟した時に、

「ちょうどその時に」

ファシリテーターが介入しないと、

効果的な介入にはならないことの、

喩えに使われます。

遅くても、早くても、それはダメなのです。

クライアントを活かせないのです。

 

さて、以上見たような事柄は、

実は、自分(個人)の中における、

創造性を考える場合においても、

示唆を投げかけてくれるのです。

 

以前、「大地性と待つこと」として、

私たちの、自分自身の、

成長してくれない心に対して、

待つことの重要性について触れました。

 

私たちの心が「啐」として、

内側からノックして来るまで、

忍耐して、待たなければならないこともあるのです。

気が急いて、卵の殻を割ってしまったために、

中の、まだ十分の育っていない心の力が、

死んでしまうこともあるのです。

外に出るのに、

十分な保育・養成期間というものが、

あるのです。

 

また一方、逆のケースもあります。

 

「啐」として、

内側から、心の創造力がノックしているのに、

外に出してあげなくて、

中の心が、死んでしまう、

ということもあるのです。

 

以前、「アウトプットの必要性」についても書きましたが、

現代の社会は、インプットすることが通例で、

個人的体験の価値や、個の創造性の発現が、

ないがしろにされている社会です。

そのことのせいで、

個人が、無力化し、衰弱している社会です。

現代においては、この側面での問題が、

多いのでは、ないでしょうか。

 

しかし、啐が起こり、

内部の機が熟しているのに、

創造的なアウトプットをしていかないと、

殻の中の心は、死んでしまうものです。

 

このような場合、

自分で、自分に、場や機会を与えて、

高まる内部の心や創造性を、

殻の外に、解き放っていくことが、

必要です。

 

これは、現代における、

個人の無力化や閉塞感の中で、

当スペースが、

特に重視している側面でもあります。

 

啐啄同時の喩えは、

そのような心の創造性の機微を、

教えてくれてもいるのです。

 


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修験道の神 山の信仰と日本の文化

山折
「仏教、特に密教のものの考え方というのは、色々な立場があるわけですけれども、一つには、仏でも菩薩でも守護神でも、これらをすぐさま具象的イメージとしてとらえる。つまり権化の思想―incarnation―というものがある。これに対して日本の神道の考え方には目に見えない神霊が遊幸し憑着するという感覚がどうも基礎になっているように思うのです。こういう遊幸し、憑着し、そして祟るといった機能を抽象して言えば憑霊―possesion―というふうに言うこともできるのではないでしょうか?」

五来
「基本的には憑霊だと思います。だから天照大神の姿は誰も見たことがない。天照大神の御杖代として遊幸するのは倭姫命ですし、天照大神が稲を食べているのは、倭姫命が食べているのです。修験道の神や仏は山伏に憑依するが、その笈の中に籠められて、いわば山伏と一体となって歩くわけです。「善光寺縁起」は、本田善光が難波から信濃へ下るとき昼は善光が如来を背負い、夜は如来が善光を背負ったなどといいます。一体化しているのです。法然の弟子の念仏房については「阿弥陀如来の使者なり」ということが言われている。そういうのは遊行者に阿弥陀如来が依り憑いているわけです。だから庶民信仰ではその人がそのまま仏なんで、これが日本人の即身成仏の考え方です。密教の三密瑜伽の即身成仏とは違うのです。この辺のところ、教条的な密教にとらわれていたら、日本の密教、とくに山岳信仰を基底にすえた日本密教はわかりません。日本人は神さまがその人に宿っているから「即身成神」、それを仏さまに転換して即身成仏なのです。少し論理が違いますわね。密教学者は五来は密教を誤解しているというかもしれないが、日本密教も日本仏教も、インドの密教、インドの仏教の誤解の上に成立したのです。三密瑜伽したら大日如来と凡夫が一つになるということは理論ですけどね。日本人は苦行の結果、精進の結果でないと三密瑜伽しないのです。それが黙って座って、印を結び、真言をとなえ三摩地に住したら、ぱっと光りを放って「八宗論大日」の絵みたいに、弘法大師が大日如来に変わったというのは子供だましのお伽話であって、面白いとは思うが、話す方も聞く方も本当と思っていない。人間にできない苦行、山籠もりをした行者に対してのみ、その人の言うことは神の言葉だ、不動明王の言葉だというような受け取り方をしているわけです。修験道は非常に原始宗教的で、マジコ・リリジャスであると同時に、シャーマニスティックですね。(…)」

山折
「そうすると、いわゆる本地垂迹曼荼羅などに出てくる法体、俗体をした神々というのは、あれはやはりそういう考え方がそのままあらわれたものということになりましょうか。人間の姿そのままで……。」

五来
「修験道の神というのは、女神である、男神である、あるいは法体であるということだけがわかっているのですね。本当は神名はわからないのです。だから十二単で表現したり衣冠束帯で表現したりする。別にその神さまには個性も何もないわけです。熊野の神さんも日吉の神さんもみな同じ顔をしているわけです。同じ服装をしています。熊野本宮の神は「熊野に座す神」という名なのです。」

五来重/山折哲雄『山の信仰と日本の文化』



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急告! 吉報! S・キリツ博士来日


さて、
今回は、お知らせです。

今年2015年の6月に、
スチュワート・キリツ博士が、
来日することとなりました。

http://www.gestaltnet.jp/ws/kiritzws.html

この機会に、
ぜひ、良質のゲシュタルト療法を、
体験して下さい。


***********************************************

筆者の推薦の言葉です。  
 
キリツ博士は、大きくて、
そして、静かな人です。
やさしい静謐の人です。
このような繊細な透明感をもった人も、
あまりいないでしょう。
その静かなたたずまいのうちに、
ワークは、淡々とすすみ、
そして、私たちの心の一番深いところに触れます。
 
以前、一緒に、ワークショップに参加したある人は、
はじめて博士を見た瞬間に、
「アッと思った」と、言いました。
それは、博士が、雰囲気として発している〈何か〉が、
すでに普通のセラピストとは違っていたということです。
こういう人のワークショップでは、
「何かが起こってしまう」ことが予感されたからでした。
 
私は、10年以上前に、何度も博士のワークを受け、
また、ゲシュタルトについての教えを受けました。
それは、私にとってのゲシュタルト体験のピークとなりました。
残念ながら、それを超える体験を、
それ以後、ゲシュタルトで、もてていないのです。  
 
パールズの一番弟子のシムキンの元で学び、
初期のゲシュタルトをよく知る、
キリツ博士のワークに触れられるのは、
ゲシュタルトをやっている者にとって、
人生の大きな僥倖です。
この機会をぜひ、逃さないようにして下さい。


→ゲシュタルト療法

体験的心理療法

ホーム


 
 

弟子に準備ができた時、 師が現れる

「弟子に準備ができた時、

師が現れる」

という言葉があります。

 

この不思議な共時性は、

実際に、働いている実感があります。

 

ただ、対人関係を、

心理学的な投影関係の中で考えると、

このことは、

案外、普通の事柄とも言えます。

 

人は、

自己の心理的な成長とともに、

自分の中に芽生えて来た、

創造的な因子を

(鏡に映すように)

外部の他者に投影するようになり、

他人の優れた美質を、

見出しやすくなるとも、

言えるからです。

つまり、

内実の成長とともに、

他者の中に、

「師」(未来の可能性の自分)、

を見出しやすくなる、

というわけです。

 
 

………………………

 

さて、私たちの中には、

「複数の自我」がありますので、

それぞれの自我に、

対照するような形で、

外部の他者に、

萌芽しつつある、

その自我要素を見出していきます。

 

私たち自身が、

自己の中に、未だ端的に感じ取れない

心(自我)の要素を、

他者の上に、見出していくのです。

 

そして、

それらの他者との交流を通して、

その要素(自我)が、

だんだんとくっきりと育っていき、

自己の重要な属性に、

なっていくのです。

 

そして、

成長の果てに、

かつては、自分が目標とした人の、

或る美質が、

自分の中にも育って来たことを見出して、

深い感慨を得ることになります。

 

ヘルマン・ヘッセの小説、

『デミアン』は、

タイトルどおり、

魔霊(demon)のような、

不思議な友人()をめぐる、

ある青春の物語です。

 

批評家のブランショも指摘するように、

この物語自体が、

話り手の白昼夢であるような、

不思議な肌触りを持った小説です。

 

描かれる出来事も、

通常の日常的現実を超えるような、

どこか夢幻的な光輝を帯びています。

 

さて、その物語は、

戦地で砲弾を浴びた、

(死に近くいる)

主人公が、自分の心の中に、

かつての卓越した友人()のような、

自己の存在の姿を、

見出すところで終わっています。

これは、

上記で見たような事柄を考えると、

納得的な結末だといえるでしょう。

 

そして、

そのようなことは、

実際にあることなのです。

大地性と待つこと

かつて、

鈴木大拙は、

「生命はみな天をさして居る。

が、根はどうしても大地に下ろさねばならぬ。

大地にかかわりのない生命は、

本当の意味で生きて居ない」と、

記しました。

「霊性の奥の院は、

実に大地の坐に在る」と。

 

『日本的霊性』の一章、

「大地性」でのことです。

 

そして、

「人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。

人間はその力を大地に加えて、農作物の収穫につとめる。

大地は人間の力に応じてこれを助ける。

人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。

誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。

人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることができる。

大地はいつわらぬ。欺かぬ。ごまかされぬ」

とします。

 

また、

「大地はまた急がぬ、

春の次でなければ夏の来ぬことを知って居る。

蒔いた種は時節が来ないと芽を出さぬ、

葉を出さぬ、枝を張らぬ、花を咲かぬ、従って実を結ばぬ。

秩序を乱すことは大地のせぬところである。

それで人間はそこから物に序あることを学ぶ。

辛抱すべきことを教えられる。

大地は人間に取りて大教育者である。大訓練師である。

人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ」

と。

 

そして、

「大地と自分は一つのものである。

大地の底は、自分の存在の底である。

大地は自分である」 

としました。

 

 

さて、私たちは、

自己の心の成長を熱望しながらも、

自己のどうしようもならない、

「自然」というものに、

ぶつかります。

 

頭で考えるほどに、

すっきりと簡単には、

自分自身の心の底、

存在の底は、

成長してくれないのです。

それらは、

大地のように、

そこにどっしりと、

存在しています。

 

心や存在の成長は、

自然の成長であり、

物事が育成する時間が、

樹木が育っていくように、

四季のめぐりのように、

かかるからです。

それは、

動かせない自然の原理なのです。

それと、

折り合いをつけるしかないのです。

 

ところで、

ゲシュタルト療法においては、

異質な複数の自我の葛藤を、

解きほぐし

人格的な統合を、

高めることが、

通常の方法論よりは、

はるかに速やかに、

行なうことができます。

 

しかし、

それでも、

「無意識の自然の力」による、

育成の時間は、

絶対に必要なものなのです。

 

しかし、そのことが、

心の力を、

不思議なくらいに、

育てて、

高めてくれるのです。

大拙が、

耕作について語るように、

探求に、

誠を尽くした分だけ、

強靭でリアルな深みが、

かえってくるのです。

 

かつて、

ニーチェは、

ツァラトゥストラに、

「私は、本当に待つことを学んだ」

と、語らせました。

 

私たちは、

なかなか成長しない自分の心に、

地団太を踏みながら、

「待つしかない」のです。

 

しかし、

そのことは、

甲斐のあることなのです。

 

そのことを通して、

意識に近い面では、

待つことという、

一種の、

「忍耐の力」が、戦士的な力が、

育ちます。

同時に、

心の底において、

「何かを育てる」

という保育者的な、

女性的な感覚を、

育てることにもなるのです。

 

自分の心を、

農作物のように、

守り育てる能力を、

獲得していくことになるのです。

 

心と肉体の、

底の部分においては、

複数の響きあう異質の力が、

溶けあう中で、

極彩色の果実が、

育ってくるのです。

 

誠を尽くした分だけ、

掘り進んだ分だけ、

自己を超えていくかのような、

豊かで深い収穫が、

得られるのです。

 

ここには、

不思議なバランスが、

働いています。

 

私たちは、

そのことで、
大地の力を、 

信頼していいのです。



※野生や大地性、気づき、変性意識状態(ASC)についての、

より総合的な方法論については、拙著↓
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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法

ゲシュタルト療法【基礎編】

ゲシュタルト療法【実践・技法編】

ゲシュタルト療法【応用編】

「セッション(ワーク)の実際」

 

【PART2 Standard】

気づきと変性意識の技法 基礎編

変性意識状態(ASC)とは

「英雄の旅」とは

体験的心理療法

NLP 普及・効果・課題

禅と日本的霊性

野生と自然

 

【PART3 Advanced】

気づきと変性意識の技法 上級編

変性意識状態(ASC)の活用

願望と創造性の技法

その他のエッセイ

 

【PART4 当スペース関係】

フリー・ゲシュタルトについて

セッションで得られる効果

 なぜ、ゲシュタルトなのか

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ザ・ポップ・グループの教え 怒り・テロ・絶望


さて、ここでは、
先日(2015.3.1)、来日した、
イギリス、ブリストル出身のバンド、
ザ・ポップ・グループTHE POP GROUPについて、
書いてみたいと思います。

彼らは、
1970年代末のロック音楽シーン、
パンク、ニューウェーブの流行の中にあって、
音楽面での創造性と
アクティブな姿勢とが、
群を抜いていたバンドでした。

初期に関わりをもった、
ストラングラーズのメンバーが、
当時のポップ・グループは、
物凄いハードロックをやっていたと、
語っていたので、
おそらくそんなところから、
出発したのでしょう。

そこから、バンドの成長とともに、
ダブ、ファンク、フリージャズを、
急速に同化しつつ変態し、
飛躍的に先鋭化していったものと、
思われます。

そのような探求の果てにつくられた、
セカンド・アルバム、
For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?
は、一種の極限的な音楽であり、
ロックという形式を、

乗り越えてしまっていると同時に、
さまざまなフリー・ミュージックの中にあってさえ
強度、濃密さ、創造性において、
類い稀な作品となったのです。

そのような創造的な共同体が、
人間のグループとして、
長期的に維持継続できるわけもなく、
歴史的には、
瞬く間に、消えたのでした。

さて、そんな彼らも、歳月とともに、
長年のわだかまりも解けたのか、
グループを、再結成することになったのです。

しかし、実際のところ、
再結成などしても、
老醜をさらすのが、世の通例なので、
傑作を創った、伝説のバンドのままで、
いてほしかったというのが、
本音のところでもありました。

しかし、
単独来日するとなれば、
これもまた、一応、歴史の目撃者として、
見ておかなければしょうがないということで、
まったく気乗りのしないままに、
ライブ会場に、おもむいたのでした。

しかし、
実際に見た、ポップ・グループは、
予想を大きく裏切り、
まったく錆びついていなかったのでした。

むしろ、歳に反して、
その精神の生きた尖鋭さが、
明瞭に感じとれる類いの、
ものだったのでした。

もちろん、音楽に、
往時の肉体的テンションを、
求めるべくもありません。
しかし、
その切れ味の鮮度は、
こちらの感覚を、
充分に刺激させるものだったのです。
なによりも、歳をとっても鈍っていない、
その尖鋭さに、感心したのでした。

音楽的には、かつてからあった
時間感覚の良さが、
細部に健在であり、
力強さを感じさせました。

しかし、
歳とった彼らを、
なおも鈍らせないものとは、
なによりも、その音楽的身体と一体化した、
精神的な姿勢だったのでしょう。
そのことが、
明瞭に伝わってきたのでした。

ヴォーカルのマーク・スチュワートは、
かつて、インタビューで、
もっとも伝えたいことは
「怒りだ」と答えていました。

たしかに、
昔のセカンド・アルバムには、
怒りの、烈火のような、
火のような感覚が、
充ちていました。

それは、一種、
神話的(不動明王的)といってもいいような
精神的な火の感覚でした。
(仏教には、憤怒尊という、
仏の一群がいます)

マーク・スチュワートは、
バンドの精神的な側面を、
体現する人物ですが、
その怒りの表現は、彼らを錆びつかせない
エッジを研ぎつづける触媒でも、
あったわけです。


◆気づきをもった、怒りの効能

さて、ゲシュタルト療法が、
心理療法の中では、
怒りの表現を、
大切にするのは、
特徴的な点です。

ゲシュタルト療法では、
気づきとコンタクトした、怒りの表現を、
とても大事なことと考えているのです。

セッション(ワーク)の中でも、
自分の中にある怒りに気づき、
ごまかさないで、それにコンタクトし、
表現できる能力を、重視します。

きちんとコンタクトされ、
統御された表現を得ている、
怒りのエネルギーは、
パワーと健康さの証です。

抑圧され、排除された怒り、
表現されない怒りにこそ、
ゆがみが、病が、
蔓延するのです。

表現することを奪われた怒り、
抑圧(弾圧)された怒りは、
解離を起こし、暴力となります。

たとえば、テロとは、
怒りの表現ではありません。
怒りの存在(尊厳)や、
表現を奪われた果てに現れた、
絶望の表現です。

健康な怒りの表現においては、
それを行なう「主体」があります。
テロの絶望においては、
主体が、すでに毀損(破壊)されています。
だから、自爆的なテロもなくならないのです。
そのような、コントロールを失った絶望は、
世界にきりなくあるからです。

さて、世に蔓延する、
低劣なものに対する、
正しい怒りの感覚や、
怒りの表現は、

正義の賦活剤、
精神的覚醒の賦活剤、
人間の創造的運動の触媒になります。

精神を、錆びつかせないままにする、
尖鋭さとなります。

その歴史的偉業と較べれば、
ずいぶんと小さなライブハウスで、
ザ・ポップ・グループは、
そのことを、教えてくれたのです。



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【PART1 Basic】ゲシュタルト療法
ゲシュタルト療法【基礎編】
ゲシュタルト療法【実践・技法編】
ゲシュタルト療法【応用編】
「セッション(ワーク)の実際」

【PART2 Standard】
気づきと変性意識の技法 基礎編
変性意識状態(ASC)とは
「英雄の旅」とは
体験的心理療法
NLP 普及・効果・課題
禅と日本的霊性
野生と自然

【PART3 Advanced】
気づきと変性意識の技法 上級編
変性意識状態(ASC)の活用
願望と創造性の技法
その他のエッセイ

【PART4 当スペース関係】
フリー・ゲシュタルトについて
セッションで得られる効果
なぜ、ゲシュタルトなのか
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夢見の技法 コルトレーンとヘンドリックス

まったく別のところで、

似たようなエピソードに行き当たると、

その背後にある、

普遍的な共通原理について、

思いを馳せることとなります

 

伝記的なドキュメンタリー映画を見ていて、

直接的には、関係のない2人に共通している。

あるエピソードに気づいて、

興味深く感じた記憶があります。

 

「彼が、会場に着く(いる)とすぐわかるんだ。

(演奏)が聞こえたからね」

と、友人たちが語る挿話です。

 

その2人とは、

ジミ・ヘンドリックスと、

ジョン・コルトレーンです。

 

彼らは、片時も、

ライブ会場の控え室でも、

演奏をやめなかったのです。

 

コルトレーンについては、

ライブの前に、すでにライブ1本分くらい、

吹いてしまうという、

エピソードもありました。

 

同時代(60年代)を生きた、

彼らは、ともに、黒人であり、

霊感に満ちた即興演奏を旨とし、

その卓越した創造力で、

それぞれのジャンル(ロック、ジャズ)の、

変革者となった人物です。

 

彼らは、なぜ、片時も、

演奏をやめなかったのか。

 

拙著の中では、

「夢見の技法」と題して、

私たちの人生を貫く、

夢の力とその扱い方について、

取り上げています。

 

2人はなぜ、

演奏をやめなかったのか。

 

筆者は、それを、

演奏を通す中で、

彼らを貫いていく、

電流のような夢の力のせいだと、

考えています。

 

演奏を通す中で、

メッセージのように、

現れてくる、

〈何か〉をつかみ、

具現化し、完了するために、

演奏(創造)するしかなかったのです。

 

彼らが、ともに燃え尽きた者の、

印象を与えるのは、

彼らを、内側から焼いた、

高圧電流のような、

強烈な夢の力(熱)を、

私たちも感じるからです。

 

芸術において、

ある内的な意味の単位とは、

自律的な生命をもって現れ、

完了されていきます。

 

演奏なりも、

音楽の自律的生命の、

この十全な発現をもって、

意味のまとまりとして

完了されます

 

その内的なプロセスは、

ホロトロピック・ブリージングの際に見た、

「オルガスム曲線」と同様です。

 

また、ゲシュタルト療法でいえば、

現れてきた未完了な感情を、
表現し、完了するプロセスと

同様の事柄です。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

普段から、そのような、

たえず現れてくる

強度の夢の力に、

貫かれていたのでしょう。

 

それを、

完了させていくためには、

演奏し、表現し、

模索し、創造するしかなかったのでしょう。

アウトサイダー・アートについて触れたところで、

それらのある種、

非人間的な無尽蔵の力について、

書きました。

 

それは、容赦ない、 

根源的なエネルギーです。

 

コルトレーンや、

ヘンドリックスは、

そのような根源的なエネルギーに、

より近く、生きていたのでしょう。

 

また、ある意味、

彼らのたえざる演奏・創造的実践が、

彼らを、その近くに生きることを、

可能にしたともいえるのでしょう。
 

彼らのエピソードは、

深い創造性と夢見の技法について

考える際に、さまざまなヒントを、

与えてくれるのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

 

 


 


【第一部 ゲシュタルト療法関連】

ゲシュタルト療法【基礎編】

 →ゲシュタルト療法【実践・技法編】

 →ゲシュタルト療法【応用編】

 →「セッション(ワーク)の実際」

 →体験的心理療法

 →NLP 普及・効果・課題

 

【第二部 気づきと変性意識】

 →変性意識状態(ASC)とは

 →「英雄の旅」とは

 →禅と日本的霊性

 →野生と自然

 

 【第四部 当スペース関係】

 →フリー・ゲシュタルトについて

 →セッションで得られる効果

 →メニュー/料金

 →著作紹介

 →お問い合わせ

「ワーク」とはⅤ 存在論的体験

さて、

ゲシュタルト療法の

ワークには、

さまざまな効果や魅力がありますが、

(サイトでも、多角的にご紹介しましたが)

心理療法的な枠組みをとっぱらって、

他にあまりない、エッセンス(本質)だけを、

残す(取り出す)とすると、

その最良のもののひとつは、

ある種の「存在論的体験」だと、

いうことができます。

 

「自分が、存在していることをまざまざと実感すること」

 

「自分が、存在していることの不思議さに感じ入る」

そのようなことが、

ワークの中では、

強い気づきの体験として、

起こって来るのです。

 

世界が、新らしく瑞々しく立ち現れて来る、

そのような瞬間を、

しはしば体験できるのです。

 

それだけでも、

生の感覚を喪失し、

鈍麻した社会の中では、

意味のあることなのです。

 

「世界と、生きている自分」

を、強烈に感じて、

生きる力を獲得していく。

そんなシンプルで力強い道が、

ゲシュタルト療法の取り組み中では、

得られていきます。

 

そこには、

身体的・感情的に対する、

具体的なアプローチがあるために、

知覚力や感性が動かしやすい、

という側面があります。

 

即興的、遊戯的な動き、身体技法が、

気づきの閃きとが、

ひとつになっているようなものです。

一種、動的な禅といえる面があります。

 

さて、

「生きるためのゲシュタルト」とは、

筆者が、よく使うフレーズですが、

そのように、

ゲシュタルト療法を、

身近に置いて、

生を加速する鋭利な道具(姿勢)として、

さまざまな側面で役立てることが、

長い取り組みの中では、

可能となっていくのです。

 


※気づきや統合、変性意識状態(ASC)への

より総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

昔、『マトリックス』という三部作の映画がありました。ユニークな世界観や映像表現でヒット作となった映画です。

その世界観についても問題をはらみ、多様な解釈や議論がなされましたが、ここでは、少し違う切り口で考えてみたいと思います。

ところで、この映画が示している感覚表現(表象)の世界は、変性意識状態(ASC)シャーマニズムまたサイケデリック的な状態(世界)考える者にとっては、大変興味深いメタファー(暗喩)となっているのです。

実は、映画で描かれているマトリックスの創りだす世界と、私たちの生きているこの現実世界とは、さほど事情が違っているわけではないからです(むしろ、鏡写しの世界です)。

ところで、拙著『砂絵Ⅰ』の中では、この日常的現実とは何かを考えてみたところで、「合意的現実」という考え方について取り上げてみました。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

私たちのこの現実世界も、皆の合意した集合的な信念体系(ビリーフ・システム)として存在しているという考え方です。

ところで、このような合意的現実のあり方は、単に思考や認識、認知の拘束として、私たちの世界を映し出しているだけではありません。

実際には、「知覚的な拘束力」をともなって、「この世界」を映し出してもいるのです。
そのため、私たちはなかなかこの合意的現実を相対化することが
できないのです

ところで、ゲシュタルト療法体験的心理療法を解説する中で、その前提となっている「心身一元論的」な人間のあり様を見ました。硬化した心と硬化した身体とは、相互的なフィードバックを繰り返して、生活史の中で硬化した抑圧的な世界を創りだしてしまうのです。
心身一元論的・ボディワーク的アプローチ

その多くの由来は、現代社会(やその出先機関である親、教師)の「信念体系」です。
そして、私たちは物心がつく前から、そのシステムによって、感情や肉体や知覚を狭められ、拘束された状態で社会に出されて(再生産されて)いくのです。

実際のところ、社会の私たちの知覚・感覚への洗脳は、映画におけるマトリックス(母体)による支配と、実は大差がないものなのです。
ところで、映画でもそうですが、この拘束された知覚世界の外に出るには、強度の変性意識状態(ASC)を誘発する「赤いピル」のようなものが必要(有効)です。

アップルのスティーブ・ジョブズは、自伝の中で自身のLSD体験人生の最重要事に挙げています。一方、実際問題、比喩的にいえば、多くの人は日々の中で、赤いピルを得るチャンスに出遭っても、青いピルを選んで眠りつづける人生を選んでいるのです。それほど洗脳が強いわけです。

ところで、赤いピルのような物質によらずとも、強度の変性意識状態(ASC)を誘発し、この拘束的な知覚世界を超脱していく手法は多様にあります。

体験的心理療法などもそのひとつです。LSDセラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士が、LSDセラピーからブリージング(呼吸法)・セラピーに移行したようにです。

実際、ゲシュタルト療法をはじめ、体験的心理療法の多くの手法が、強烈な変性意識(ASC)を創りだし、内側から心身を解放し、私たちの硬化した信念体系や知覚のコードを溶解する効果を持っています。

ゲシュタルト療法などの体験的心理療法的な探求を、実直かつ真摯に進めていくと、心身が深いレベルで解放され、エネルギーが流動化されていきます。身体の感受性が深いレベルで変わっていくことになります。知覚力が鋭敏になっていくのです。

変性意識(ASC)への移行や、日々の気づきの力も、ずっと流動性を高めたものになっていくのです。そして、私たちは、旧来の硬化した世界を、まったく別様に見ていることに気づくこととなるのです。

硬化した見慣れた世界は、単なる世間の信念体系、後付け的に既存の意味を再構成した「残像としての世界」にすぎず、よりリアルな世界とは、刻々にまばゆい息吹が流動するエネルギーの世界であると感覚できるようになるのです。

それは、あたかも映画の中で、主人公ネオが腕を上げていくのにつれて、マトリックスのつくり出す幻想世界よりも「より速く」知覚し、動けるようになっていくのと同じことなのです。

これらの体験についての映像表現は、流動化し、透視力化していく知覚力の変容をうまく表現しています。

シリーズ一作目の終盤で、あたりの風景やエージェントを「流動するデータ」として透視し、エージェントに立ち向かいはじめるネオの姿が描かれています。

映画のストーリーとしては、自分の力の可能性を感じはじめるネオという、覚醒的でエキサイティングなシーンでもあるのですが、実際には、たとえ特別な救世主でなくとも、私たちの誰もがこの洗脳的な表象世界を透視し、それよりも「速く動き」その支配を脱する力を持っているのです。
「信念体系」の牢獄を超えて、新しく拡張した透視的な「身体性」として、空間の中をエネルギー的にひろがりはじめるのです。

私たちに必要なのは単に信じることではなく、心身と意識を実際に解放していくこと、そして、その中で新たな知覚力を訓練・開発し、エネルギーを解放していくことなのです。

そして、それは実際できることなのです。

 

※気づきや心理統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
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